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PCI(経皮的冠動脈形成術)治療の際、狭窄が九〇%から九九%造影遅延に悪化した冠動脈九番に対し措置も行わなかったことに注意義務違反ないし過失はないとされた事例

横浜地裁 平成25年9月25日 事件番号 平成23年(ワ)第2376号        主   文  一 原告らの請求をいずれも棄却する。  二 訴訟費用は原告らの負担とする。        事実及び理由 第一 請求  一 被告は、原告Aに対し、一九九二万〇八五五円及びこれに対する平成二三年五月二六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。  二 被告は、原告Bに対し、一九九二万〇八五五円及びこれに対する平成二三年五月二六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。  三 被告は、原告Cに対し、一九九二万〇八五五円及びこれに対する平成二三年五月二六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。  四 訴訟費用は被告の負担とする。  五 仮執行宣言 第二 事案の概要  一 事案の要旨  本件は、原告らの父である亡甲(以下「甲」という)が平成二〇年七月四日に急性心筋梗塞及びこれに起因する心タンポナーデにより死亡したのは、被告が開設運営する被告病院(以下「被告病院」という)医師による心臓カテーテル検査(CAG)及び経皮的冠動脈形成術(以下「PCI」といい、被告病院医師が同日甲に実施したPCIを「本件PCI」という。)の実施において、冠動脈狭窄の悪化がみられ、その後、急性心筋梗塞の発症が疑われたにもかかわらず、適切なPCI治療等を行うべき義務を怠ったり、緊急時以外ノルアドレナリンとの併用が禁忌とされるボスミンを投与したりしたことによるものであるとして、原告らが、被告に対し、債務不履行ないし不法行為(使用者責任)に基づき、それぞれ一九九二万〇八五五円(合計五九七六万二五六五円)及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成二三年五月二六日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。  二 前提事実(争いのない事実並びに後掲各証拠及び弁論の全趣旨により容易に認められる事実)〈編注・本誌では証拠の表示は一部を除き省略ないし割愛します〉  (1) 当事者等  ア 甲は昭和●年▼月■日生まれ(平成×年×月×日死亡)の男性であり、原告A(以下「A」という。)は甲の長女、B(以下「B」という。)は同次女、C(以下「C」という。)は同長男であり、各自の相続分は各三分の一である(争いがない。)。  イ 被告は、被告病院を開設運営する〇〇法人である(争いがない。)。  (2) 事実経過(以下、日付の年号は記載のない限り、いずれも「平成■年」であり、時刻は二四時間表示による。)  ア 入院の経緯  六月二四日、甲は自宅内の階段を昇った際に胸痛を覚えたことから、従前から診療・治療を受けていた被告病院循環器内科を受診し、入院となった(争いがない)。  イ 六月三〇日の治療経過等   (ア) 一〇時五分ころから、被告病院医師が甲に心臓カテーテル検査(CAG)を実施したところ、冠動脈一一番(以下、AHA分類による冠動脈の番号については、単に番号のみを記載する。)が九九パーセントの狭窄、五番が五〇~七五パーセントの狭窄、六番が五〇パーセントの狭窄、七番が七五パーセントの狭窄であった。   (イ) 上記CAGの各所見の検討を経て、被告病院医師が、一一番、六番から七番、五番から六番の血管に各々ステントを留置する本件PCIを実施したところ、六番から七番のステント留置に伴い、九番の血管は、九〇パーセントの狭窄から九九パーセント造影遅延へと悪化したが、被告病院医師はこれに対し何らの処置もしなかった(争いがない)。   (ウ) また、本件PCI処置中、甲の血圧は七〇台まで低下したが、そのような血圧の低下は、昇圧剤であるドーパミン・ノルアドレナリンを投与しても上昇しなかった(争いがない)。   (エ) 一八時過ぎ、被告病院医師が甲に対し胸部レントゲン検査を行ったところ、左肺のうっ血像が認められ、肺水腫・心不全の所見であった(争いがない)。   (オ) 一八時三〇分、甲の低血圧の遷延に対応するため、昇圧剤であるドブタミン(DOB)の投与を始めたが、血圧は上昇しなかった。   (カ) 一八時四三分、動脈血ガス分析で酸素分圧が下がっていたため、被告病院医師は、甲に対する酸素投与を毎分三リットルから一〇リットルに増やしたが、一九時の時点で、SpO2(動脈血酸素飽和度)は左側臥位で八〇パーセント台、右側臥位で九〇パーセント台であった。   (キ) 二〇時二〇分、甲から血液を採取したところ、同日二一時四〇分ころに判明した同血液の検査結果は、CPK(クレアチンホスホキナーゼ)が一〇九五、CK-MB(心筋クレアチンキナーゼ)が一五七、トロポニンIが一一・八五という状態であった(争いがない)。   (ク) 二三時台になっても、甲の血圧は八〇台から九〇台で推移しており、同日二三時二〇分、被告病院医師は甲にエーライン、スワンガンツカテーテルを挿入した(争いがない)。  ウ 七月一日の治療経過等   (ア) 〇時四〇分頃、甲の血圧が七一/三九となったことを確認した被告病院医師は、一時間あたり〇・一ミリリットル投与していたノルアドレナリンを、一時間あたり〇・二ミリリットルに増量し、更には、一時間あたり〇・四ミリリットルに増量した上、ボスミン(エピネフリン)を〇・三ミリグラム静脈注射した。   (イ) ボスミン投与後、甲は嘔吐し、胸部痛を訴え、同日〇時五五分ころ、心肺停止となり、直ちに蘇生措置が施されるも効果なく、同日一時五二分、経皮的心肺補助(PCPS)が開始され、大動脈内バルーンパンピング(IABP)を挿入するなどの処置がとられた。  エ 死亡及び病理解剖  甲の状態は、その後改善することなく、七月四日六時四五分、死亡し、同日一三時五八分から被告病院医師により実施された病理解剖で、甲の死因は三枝不全型急性心筋梗塞とそれに起因する心タンポナーデと考えられる旨結論付けられた。  (3) 本件に関係する循環器疾患及び同疾患に対する治療方法等  ア PCI  PCIとは、カテーテルを大腿動脈等から挿入し、冠動脈狭窄部位に送り込んで、狭窄した冠動脈を開通させる治療方法である。バルーンカテーテルを冠動脈狭窄部位に送り込み、同バルーンを膨らませて狭窄部位を拡張させるバルーン拡張術(POBA)や、金属ステント(網目状筒型の金具)をかぶせたバルーンを狭窄部位に送り込み、同バルーンを膨らませることにより狭窄部位及び金属ステントを拡張させ、拡張した同ステントを残したままカテーテルを抜去する方法(BMS)、同様の手技により留置したステントから狭窄予防の薬剤を溶出させる方法(DES)などがある。  イ 心筋梗塞  心筋梗塞とは、冠動脈の閉塞、または狭窄によりその血流域の心筋が壊死に陥った状態をいう。  心筋壊死の発生と大きさは、心筋の壊死・破壊によって放出される心筋逸脱酵素や収縮蛋白を測定(血液生化学検査)することで知ることができる。同酵素である心筋クレアチンキナーゼ(CK-MB)は二~三時間、トロポニンTは三~四時間で値が上昇し、心筋梗塞に特異性が高いのは、CK-MB、心筋ミオシン軽鎖I、トロポニンTの三つとされている。CK-MBの値が四以上上昇していれば、診断的意義が高い。  心筋梗塞症の急性期には、酸素需要量をできるだけ少なくする必要があり、心筋壊死部に強い張力がかかると心筋の断裂を起こすことがあるので、血圧は低めに保つことが望ましいとされている。しかし、血圧が急激に低下すると腎・脳の血流が減少あるいは途絶し、乏尿・意識障害を生じ心原性ショック状態に陥ることから、その場合には、早急に血圧を上昇させなければならない。  ウ 心破裂  虚血・壊死心筋の断裂により引き起こされる急性心筋梗塞後の合併症の一つ。心破裂により、血液が心のうに流入して心臓が拡張できなくなると(心タンポナーデ)、心停止することになる。甲の死因とされる心タンポナーデの原因となった心破裂を、以下「本件心破裂」という。  三 争点及びこれに関する当事者の主張  (1) 本件PCI治療の際、狭窄が九〇%から九九%造影遅延に悪化した九番に対し、被告病院医師がバルーン拡張術(POBA)やステント留置を行わなかったことの是非について  (原告らの主張)  ①九番の血管径が小さかったとしても、少なくともバルーン拡張術(POBA)による治療は可能であるところ、②九番は、心筋に血液を供給する重要な役割を担う冠動脈であり、狭窄した血管を治療せず放置して良いという医学的知見はないし、③現に、甲は、九番の狭窄増悪によって引き起こされた前側壁梗塞により死亡したのであるから、狭窄を放置した被告病院医師の判断が誤りであったことは明らかである。  (被告の主張)  ①九番の血管径は小さく、拡張するためのPCI手技は困難であり、これを試みることは、本件PCIの主目的である重要な左前下行枝本幹(六番から七番)の長期開存性を損なう可能性が高いこと、②九番は比較的灌流域が小さい側枝であり、また、完全閉塞でもないので、血行動態を破綻させるほどの心筋虚血を惹起する可能性は極めて低いことから、被告病院医師が積極的措置をとらなかったことに誤りはない。  また、③甲は、以下のとおり、九番の狭窄増悪により死亡したわけではない。本件心破裂が起こったと考えられる前側壁梗塞の領域は、九番が栄養する領域と異なるし、本件心破裂は七月一日一時前、すなわち、本件PCIで六番から七番にステントを挿入してから約一三時間後に発生したと考えられるところ、一般に、一三時間程度の虚血で左心室壁の間質組織の変性や退縮は発生せず、急性心筋梗塞発生後の二四時間以内に心破裂を合併することは極めてまれであるから、仮に、九番の血流障害が心筋障害に関与していたと仮定したとしても、それが本件心破裂の原因と考えることは医学的に合理性に欠ける。  (2) 本件PCI後、血液検査結果判明時点で、被告病院医師が冠動脈造影・再度のPCI治療を行うべきであったか否かについて  (原告らの主張)  一般に、PCI後は、ステントのトラブルや心筋梗塞等の発症に注意すべきところ、殊に、甲は、七六歳の高齢者、冠動脈リスク因子保有者、約一〇年にわたり進行していた冠動脈硬化症(三枝病変)、PCIの反復、加齢による弁膜の変性により厳重管理が必要な高リスク患者である上、九番の狭窄が放置されていたのであるから、同狭窄による心筋梗塞の発症が当然に予想される状況であった。かかる状況下において、低血圧が遷延し、ST低下(心筋虚血)の心電図所見が継続的に現れ、前記二(2)イ(エ)、(カ)、(キ)の症状が現れていた以上、同(キ)の採血検査結果を認識した被告病院医師としては、遅くとも同結果判明時点で、急性心筋梗塞の発症を疑って冠動脈造影を実施し、再度のPCI治療を行うべきであった。  (被告の主張)  仮に九番が完全閉塞してその領域に心筋梗塞が生じたとしても、それが原因で血行動態が悪化して本件のような低血圧遷延が起こることは考えがたく、九番に対するPCI治療が不必要かつ不適切であることは、前記(1)の(被告らの主張)①②のとおりである。確かに、前記二(2)イ(キ)の採血検査結果は、心筋の新たな傷害が推測されるものであるが、被告病院医師らは、その原因として、①ステント留置後の合併症であるステントの急性閉塞(血栓による急性閉塞)、②九番を含む側枝の閉塞、③微小末梢塞栓(ステントを入れた内壁からコレステロールの微小な粒が漏れ出て冠動脈の末梢に流れて詰まるもの)、④ガイドワイヤー穿孔部からの再出血、⑤心筋梗塞の発症等を考慮しており、甲のバイタルサインの変化や症状の訴えの変化を慎重に観察するとともに、適宜、心電図、心エコー、バイオマーカー(トロポニン等)の確認を行い適切な経過観察を行っていた。しかし、再度のPCI治療が必要な病態である①については、心電図上、特にST変化も認められないことから否定的に解され(実際、急変後の血管造影でも否定された)、②③については、再度のPCI等の積極的な治療の適応ではなく(なお、これらについても、急変後の血管造影から否定的に解された。)、その他の可能性についても、再度のPCI等の積極的な治療を直ちに行うべき所見は認められなかった。従って、被告病院医師が冠動脈造影・再度のPCI治療を行わなかったことに注意義務違反及び過失はない。なお、原告ら指摘のST低下(心筋虚血)の心電図所見については、本件PCIを実施した当日二二時二〇分頃にはかなり改善し、正常に近い状態となっている。  (3) 本件PCI後、血液検査結果判明時点で、被告病院医師が補助循環具である大動脈内バルーンパンピング(IABP)や経皮的心肺補助装置(PCPS)を使用すべきであったか否かについて  (原告らの主張)  カテコラミン(昇圧剤)投与を開始して一時間経過しても低血圧が改善しない場合は、補助循環の使用を考慮すべきところ、本件では、本件PCI実施当日の一三時五〇分のノルアドレナリン投与開始から既に八時間ほどが経過し、その後増量するも昇圧が得られない経過を辿っているのであるから、心臓のポンプ不全は明らかであり、遅くとも前記血液検査結果判明時点(六月三〇日二一時四〇分ころ)において、IABP又はPCPS等の補助循環具の使用に踏み切り、心臓の負荷を減らした上で、血流量を確保すべきであった。  (被告の主張)  補助循環具は、いずれも侵襲性の高いものであって、実施するのであれば、それなりに確実な根拠が必要である。被告病院医師らは、状況によってはいつでも実施できるよう、補助循環具(IABP、PCPS)の準備はしていたが、未だその使用が必要な状況ではなかったので使用しなかったに過ぎない。  (4) ボスミン投与の是非について  (原告らの主張)  九番の狭窄放置、継続的なST低下(心筋虚血)、前記二(2)イ(エ)、(カ)、(キ)の症状に照らせば、甲は、七月一日〇時四〇分時点において、急性心筋梗塞の発症が十分疑われる状況にあったところ、心筋梗塞によって生じた心筋壊死部に強い張力がかかると、心筋の断裂を引き起こすことがあるため、急性心筋梗塞の患者の血圧は低め(急性心筋梗塞急性期の収縮期血圧は一二〇mmHg以下、一一〇mmHg前後)に保つことが望ましいとされているにもかかわらず、被告病院医師らは、強力な血圧上昇作用があり、虚血性心疾患に対しては注意が必要とされているノルアドレナリンの投与量を増量した上、心肺停止状態でもない甲に対し、蘇生等の緊急時を除きノルアドレナリンとの併用が禁忌とされているボスミンを、通常使用量を超えて投与したのであって、同行為が注意義務違反ないし過失を構成することは明らかである。そして、同処置を施した直後、甲の血圧は一六〇台まで上昇し、嘔吐・胸部痛を訴え、突然心肺停止となったのであるから、同処置による急激な昇圧が本件心破裂の原因となったことは明らかである。  (被告の主張)  甲の血圧は、PCI治療以降、多量の昇圧剤を投与してきたにもかかわらず、七月一日〇時四〇分ころには七一/三九に急低下し、ノルアドレナリンを増量しても収縮期血圧が五〇台から七〇台をふらふらしているような状態であった。それはまさに併用禁忌の例外である「緊急時」にあたり、急性心筋梗塞の発症を十分疑いうる状況にあったとしても、ボスミン投与は救命のため必要な措置であったといえる。また、原告が通常使用量であると主張する〇・二五mgと本件投与量の〇・三mgは、臨床的転帰が変わるような量の差ではなく、〇・三mg程度のボスミン投与は一般的に行われていることであるから、投与量についても不適切とはいえない。  (5) 損害  (原告らの主張)  被告の上記注意義務違反ないし過失によって、甲において死亡逸失利益合計一五八二万九六〇七円、死亡慰謝料二八〇〇万円、葬儀費用一五〇万円の合計四五三二万九六〇七円の損害が生じ、原告らにおいて、固有の慰謝料各三〇〇万円のほか、それぞれ弁護士費用の損害が生じた。  (被告の主張)  いずれも争う。 第三 当裁判所の判断  一 認定事実  前記前提事実並びに《証拠略》によれば、以下の事実が認められる。  (1) 本件PCIに至るまでの被告病院における甲の診療経過  ア 甲は、平成元年より、労作時に胸部圧迫感を自覚するようになり、その後、同圧迫感が頻回となったため、平成六年、被告病院循環器内科で心臓カテーテル検査を受けたところ、七番が九九パーセントの狭窄、一三番が九九パーセントの狭窄で造影遅延がある状態であった。そこで、バルーンによる血管拡張(PTCA)を施行し、七番は五〇パーセントの狭窄、一三番は五〇~七五パーセントの狭窄へと改善した。以後、甲は、被告病院において外来加療を受けていたが、冬になると胸部圧迫感を自覚することがしばしばあった。  イ 平成一〇年、甲は、トレッドミル(運動負荷)心電図検査で陽性所見が認められたため、心臓カテーテル検査を施行したところ、二番近位部が七五パーセントの狭窄、二番遠位部が七五パーセントの狭窄、四番後下降枝が完全狭窄、六番中間部から七番近位部がびまん性五〇パーセントの狭窄、九番が九九パーセントの狭窄、一三番がびまん性五〇パーセント狭窄、一五番が九〇パーセントの狭窄であった。同所見から、甲に対し、PCIによる加療も検討されたが、末梢病変のため、薬物治療の方針となり、以後甲は外来加療となった。  ウ 甲は、平成二〇年(以下、特記しない限り、年号はいずれも平成二〇年である。)一月四日ころから四日間で四回、労作時胸部圧迫感を認め、同症状はいずれもニトロ舌下投与により二分ほどで改善したものの、同月六日、顔面腫脹・発赤等の増悪がみられたことから被告病院救急外来を受診し、更に顔面腫脹も悪化してきたため、同月七日、被告病院循環器内科を受診した。その際の血液検査で、TNT(心筋トロポニンT)やCPK(クレアチンホスホキナーゼ)の上昇を認め、以前と比較すると、心電図の胸部誘導波形V5、V6で水平型ST低下が認められた上、もともと三枝病変もあり、症状増悪が認められたため、不安定狭心症との診断で緊急入院となった。同月二八日と二月四日にPCIを施行し、一番から二番、二番から三番、三番、一一番から一二番、一一番から一三番にサイファーステント(薬剤溶出性ステントの一種)を留置して、二月七日に退院となった。  (2) 本件PCI治療の経過  ア 六月二四日、甲は自宅内の階段を昇った際に胸痛を覚え、同日、被告病院循環器内科を受診したところ、TNT(心筋トロポニンT)の値が〇・〇四(基準値〇・〇〇-〇・〇一)と上昇していることもあって、不安定狭心症・心筋梗塞の疑いにて、心臓カテーテル検査による冠動脈造影(CAG)目的で入院となった。入院時、甲は、血小板凝集抑制薬であるプラビックス、バイアスピリン、冠拡張薬であるシグマート等、九種類の薬を服用しており、同日から同月三〇日まで、これらの薬剤に加え、ニトロール注五mgが投与された。この間、甲が特段の症状を訴えることはなかった。  イ 同月三〇日一〇時一〇分から(なお、術室への入室は一〇時五分)、被告病院医師である丙川医師を術者、丁原松夫医師をセカンド(サポート役)として、戊田医師立ち合いのもと、心臓カテーテル検査(CAG)を実施したところ、五番遠位部が五〇~七五パーセントの狭窄、六番が五〇パーセントの狭窄、七番近位部が七五パーセントの狭窄、九番が九〇パーセントの狭窄、一一番起始部が九九パーセントの狭窄、一四番側枝が九九パーセントの狭窄、一五番近位部が九〇パーセントの狭窄、一五番中間部が九九パーセントの狭窄であった。  かかる結果を受け、丙川医師は、一一番にサイファーステントを、五番から六番にかけても同じくサイファーステントを、六番から七番にかけてドライバーステント(T字型のステント)を留置する本件PCIを実施した。  ウ 同月三〇日一一時七分頃、第三対角枝(八番から出ている枝)の末梢にガイドワイヤーによる穿孔が生じ、一六分間のバルーンによる圧迫止血が行われた。このころ、甲の血圧は七〇台を記録し、ノルアドレナリンが投与され一時昇圧したものの、その後も、低血圧が遷延することとなった。  エ また、上記イの六番から七番のステント留置に伴い、九番の血管は、九〇パーセントの狭窄から九九パーセント造影遅延へと悪化したが、これに対しては、何らの処置もなされなかった(争いがない)。  (3) 本件PCI後の経過  ア 甲は、本件PCI後、六月三〇日一二時四五分に一般病棟に帰室したが、本件PCI処置中に投与を開始したドーパミンの効果もなく、低血圧が遷延しているため、処置室へと運ばれた。一三時時点での甲の血圧は六八/四〇であった。  イ 甲は、同日一三時一四分の心電図では軽度のST低下がみられたものの、同日一三時二〇分ころの心エコーでは心機能に問題はなく、心のう液貯留も認められなかった。そのころの甲の血圧は六八/四八であり、同日一三時二五分ころ受け付けられた甲の血液検査結果はTNT(トロポニンT)〇・〇八、CPK(クレアチンホスホキナーゼ)六九(基準値六〇-二四七)、CK-MB(心筋クレアチンキナーゼ)一五であった。更に、同日一三時三五分ころの血圧は六九/四八、SpO2は九七パーセントであった。同日一三時五〇分ころになっても甲の血圧は七〇/三二であり、ノルアドレナリンの投与が開始され、同時五五分ころ、再度心エコーがとられ、同日一四時ころ、尿道カテーテルが挿入された。一四時時点での甲の血圧は七二/三〇であった。  ウ 同日一四時一五分ごろ、甲から胸部圧迫感の訴え(三/一〇)があったため、同日一四時二二分、心電図検査を行ったところ、ST低下は一三時一四分の心電図よりも深くなっており、同日一四時二五分のSpO2は九三パーセント、同日一四時四〇分の血圧は七三/四九であったが、同日一五時四五分に再度心電図検査を行ったところ、ST低下は浅くなり、胸部圧迫感も〇~一/一〇に改善し、同日一五時五〇分の血圧は八二/四七であった。  エ 同日一六時半ころ、甲は本件PCI治療後に来院したBとCを病床に呼び、同人らに、お腹がすいた、自分は大丈夫だからもう帰っていいなどと話した。甲は酸素マスクをつけていたが、意識は清明で、同室していた戊田医師は、Bらに対し、「酸素の値が少し低いが、指先が冷たいために酸素濃度計の感知が悪いのだと思う。実際はもう少し上の数値のはず、昇圧剤を投与しているのでしばらくすれば安定してくると思う。」などと説明した。  オ 同日一八時ころ、甲のSpO2は八六パーセントになり、甲が「胸が重苦しい感じがする」と述べたことから、心エコー、胸部レントゲン、心電図検査が施行された。心エコー上、心のう液の貯留は認められず、心尖部の壁運動低下が認められた。心電図検査では、同日一五時四五分のときよりもST低下が悪化していたものの、同日一四時二二分のころに比べれば良い状態であった。胸部レントゲンでは、左肺にうっ血像が認められ、肺水腫・心不全の所見であったことから、一八時四〇分からラシックス(利尿剤)が投与された。  カ 同日一八時三〇分、低血圧の遷延に対応するため、ドブタミンの投与が開始され、同日一八時四三分、動脈血液ガス分析で酸素分圧が四四・六(基準値八〇・〇-一〇〇・〇)と下がっていたため、酸素投与が毎分三リットルから一〇リットルに増やされた。同日一九時、SpO2は、左側臥位で八〇パーセント台、右側臥位で九〇パーセント台であった。  キ 同日二〇時二〇分に採取された血液検査の結果(二一時四〇分ころ判明)は、トロポニンIの値が一一・八五(基準値〇・〇〇-〇・〇九)、CPK(クレアチンホスホキナーゼ)が一〇九五、CK-MB(心筋クレアチンキナーゼ)が一五七であった。  ク 同日二一時三〇分、酸素投与は六リットルから四リットルに減らされたが、二一時三五分、甲から「気持ち悪いのは良くなってきた」との発言があり、同日二二時一一分ころ施行された心電図でもST低下はかなり改善して正常に近い状態となり、同日二二時三〇分ころに施行された心エコーでも、心のう液は認められず、二二時五七分のSpO2は九六パーセントであった。  ケ しかし、依然として血圧は上昇せず、同日二二時五七分ころの血圧は七〇/四〇であったため、同日二三時ころ、血圧コントロールや心不全評価のため、スワンガンツカテーテルとエーラインを挿入すること、そのために同意書が必要であることが家族に電話連絡された。  コ 同日二三時一五分ころ、甲の肺機能評価のため胸部CTが施行され、同日二三時二五分ころから救急カテーテル室でエーライン、スワンガンツカテーテルが挿入された。  サ 同年七月一日〇時一〇分、病棟に帰室した甲は、声掛けに対する受け答えもはっきりしており、看護師は、上記同意書署名のために来院したCに対し、ベッド周りの準備ができたら呼ぶのでもう少し待ってほしいと声を掛けた。また、同日〇時二〇分ころの甲の血圧は九六/五六、九五/四九であった。  シ ところが、同日〇時四〇分、甲の血圧は七一/三九となり、下肢を挙げる処置がなされ、一時間あたり〇・一ミリリットル投与されていたノルアドレナリンが、一時間あたり〇・二ミリリットルに増量されたが、間もなく一時間あたり〇・四ミリリットルに増量され、その後、ボスミン(エピネフリン)が〇・三ミリグラム静脈注射された。  ス ボスミン投与後、甲は嘔吐し、「苦しい」と言って同日〇時五五分ころ、心肺停止となり、直ちに心臓マッサージが施行された。心エコーを施行すると、心のう液の貯留が認められた。同日一時五二分、経皮的心肺補助(PCPS)が開始され、大動脈内バルーンパンピング(IABP)を挿入した。同日二時一五分、心のう穿刺を行うと、約七〇ccの血性心のう液が引けた。  セ 同日三時から四時にかけて、冠動脈造影を施行すると、九番は造影遅延の状態であったが、狭窄等の有意所見はなかった。  ソ 甲の状態は、その後改善することなく、同月四日六時四五分、死亡した(争いがない)。  タ 同日一三時五八分から行われた病理解剖では、甲の心内膜下全周性に新鮮心筋梗塞が認められ、「組織学的には、梗塞部には好中球浸潤を伴う完成した凝固壊死巣及び周囲の横紋構造の乱れを伴うcontraction band necrosis(収縮帯壊死)の所見を認め、発症後四八-七二時間に相当する。臨床経過約七二時間に一致。左前側壁は貫壁性で心膜下及び壁表面に新鮮血腫を認める」状態であったほか、後壁から中隔には陳旧性心筋梗塞が認められ、甲の死因は三枝不全型急性心筋梗塞とそれに起因する心タンポナーデと考えられた。  チ 解剖心写真上、亀裂個所と思われる濃赤(血腫)箇所は、心基部に近い領域に存在している。  (4) 本件に関係する循環器疾患及び同疾患に対する治療方法等  ア 不安定狭心症  狭心症とは、一過性の心筋虚血により、狭心痛(主に胸骨後方)を起こす疾患であり、心筋梗塞の前駆病態である。不安定狭心症は、最近三週間以内に、①新しく発症したか、②次第に発作の頻度・程度が増悪してきたか、③安静時にも胸痛を自覚するようになった狭心症であり、心筋梗塞に移行しやすい状態の狭心症をいう。  イ 急性冠症候群(ACS)  有意の狭窄に至らないプラーク(血管内膜下に大量にコレステロールが蓄積した細胞が集まり、中膜の破壊をきたし、増殖して一塊になったもの。動脈硬化性の粥種・アテローム。)が突然破壊し、血栓形成する病態を急性冠症候群という。従来は、プラークが徐々に増大し、狭心症、心筋梗塞が発症すると考えられていたが、心筋梗塞は、冠動脈造影(CAG)で有意な狭窄(七五パーセント以上の狭窄)を示さない病変から八〇パーセント以上が発症し、狭窄の程度と心筋梗塞の発症は相関しないことから、プラークの突然の破壊により閉塞性血栓形成がなされることが急性心筋梗塞の原因であると考えられるようになった。  ウ 心不全  心不全とは、心臓の末梢組織が必要としている血流量を拍出できない状態をいい、心筋梗塞を含むほとんど全ての心疾患が心不全に至る可能性を有する。心不全の症状は主にうっ血によるものであり、肺うっ血の場合(左心不全)、心拍量低下により、血圧の低下、尿量減少等の症状が認められる。  エ 再灌流障害  再灌流障害とは、虚血に陥った心筋に血流が再開した場合に、心筋に障害が生じる現象である。収縮帯壊死は、虚血早期の再灌流障害であるとされ、虚血性心筋細胞障害がある段階を超えたとき(半死状態)に血流が再開すると、過収縮により収縮帯壊死が生じるが、再開通のない虚血や、虚血が進行して心筋細胞が完全に壊死状態となった以後の再開通では、過収縮は起こらず、凝固壊死が認められる。  オ カテコラミン  カテコラミンとは、心筋収縮機能増作用・末梢血管拡張作用により、結果として血圧を上昇させる作用を有する薬剤であり、エピネフリン(ボスミン)、ノルエピネフリン(ノルアドレナリン)、ドパミン、ドブタミン等の種類がある。ドブタミンは血圧上昇作用としては弱く、ノルエピネフリン(ノルアドレナリン)は、血圧上昇作用は強力であるが、心筋酸素需要が増加するので、心筋壊死が拡大する可能性もある。エピネフリン(ボスミン)は各種疾患に伴う急性低血圧の補助療法、心停止の補助療法に用いられ、他のカテコラミン製剤投与中は原則禁忌であるが、蘇生等の緊急時はその限りではない。  カ 大動脈内バルーンパンピング(IABP)  経皮的心肺補助法(PCPS)と並ぶ循環補助であり、胸部下行大動脈に挿入した専用のカテーテルのバルーンを、心拍に同期して拡張期に拡張、収縮期に縮小させ、冠血流量の増加、左心仕事量の減少効果を得るものである。急性心筋梗塞などによる重症心不全に対し、薬物療法に加えて行われる。  キ 経皮的心肺補助法(PCPS)  心不全急性期の循環補助に用いられ、静脈血をポンプでくみ上げることにより左右心室の前負荷を減らすことで、心拍出量を増加させる利点や、膜型人工肺で脱血液を酸素化することで、低酸素血症を是正する利点がある一方、酸素化した血液を大腿動脈に挿入したカニューレから戻すことで、左心後負荷が増大する欠点がある。  ク 冠動脈の基本構造  冠動脈は、大動脈起始部の膨大部(バルサルバ洞)から右冠動脈(RCA)と左冠動脈(LCA)に分枝し、左冠動脈は、その根元の部分である主幹部(五番)から左回旋枝(LCX)と左前下行枝(LAD)に分岐している。左前下行枝は、同主幹部に近い方から順に六番、七番、八番の番号が付されて末梢に至り、九番、一〇番はその側枝である。左回旋枝は、主幹部に近い方から順に一一番、一三番の番号が付されており、一一番から一二番が、一三番から一四、一五番が分岐する構造となっている。  主として、右冠動脈は右心室を、左冠動脈前下行枝は心室中隔・心臓の前壁を、左冠動脈回旋枝は側壁を灌流支配しているが、後下壁をどの動脈が灌流支配しているかによって灌流支配の型が三種類に分類されるなど、各枝の灌流支配領域にはある程度の個人差がある。  二 争点に対する判断  (1) 争点(1)(本件PCI中の九番狭窄増悪放置の是非)について  ア 原告らは、九番の血管径が小さかったとしても、少なくともバルーン拡張術(POBA)による治療は可能であるところ、九番は、心筋に血液を供給する重要な役割を担う冠動脈であるから、狭窄した血管を治療せず放置して良いという医学的知見はないなどと主張する。  イ しかし、経皮的冠動脈形成術説明・同意書からも明らかなとおり、PCI治療は、心血管内にカテーテルという異物を挿入して冠動脈に物理的な力を作用させるものであり、感染、出血、血栓・塞栓、穿刺部周辺の神経損傷、心・血管損傷等の一定の危険が伴う手技であることは否定しえないこと、前記一の認定事実(1)、(2)イ、(3)タ・チのとおり、平成六年に、七番が九九パーセントの狭窄、一三番が九九パーセントの狭窄で造影遅延があった際には、バルーンによる血管拡張(PTCA)が施行されている一方、平成一〇年に、本件PCIでも問題視されている九番が九九パーセントの狭窄であった際には、四番に至っては完全狭窄であったにもかかわらず、末梢病変であるとして、いずれに対してもPCI治療は施行されず、以後一〇年近く薬物治療・外来加療のみで推移していたこと、本件PCI前の検査においても、一四番側枝も九九パーセントの狭窄、一五番中間部も九九パーセントの狭窄であったが、これに対してもPCI治療は施行されておらず、解剖所見上はもとより、原告らからも、これらの血管の狭窄を放置したことは問題視されていないこと、および、前記認定事実(4)クの冠動脈の基本構造等もあわせ考慮すれば、心筋に血液を供給する役割を担う同じ冠動脈であっても、それが本幹か側枝か等によって、その栄養領域の広狭に差がある以上、おのずとその重要性にも差が出てくることは否定できず、その重要性(一定の危険を冒してまで開通させることが必要不可欠な血管か否か)に応じて、PCI治療を行うべき血管を取捨選択することに、合理性が認められることは明らかである。  そして、前記認定事実(2)イのとおり、本件PCIは、本幹である五、六、七、一一番の血行再建を目的とした治療であったと認められるところ、原告の主張するとおり、九番に対する治療が不可能ではなかったとしても、同枝に治療を行うとすれば、九番は、前記認定事実(4)クのとおり六、七番(左前下行枝本幹)の側枝であるから、まず六~七番にステントを留置してこれを開通させ、同ステントの隙間からバルーン等を通過させて九番に対する治療を行わなければならないこととなる。しかし、六~七番に留置したステントの隙間からバルーン等を通過させることになれば、六~七番のステントの血管壁への圧着性が損なわれる危険性があることは否定し得ないし、かかる危険が現実化することになれば、より広大な領域の栄養に寄与する左前下行枝本幹の長期開存性が損なわれる本末転倒な結果となる。そして、かかる結果が治療として望ましくないことも明らかである。  以上によれば、本幹である六~七番の長期開存性を優先し、側枝である九番の狭窄(造影遅延)につき処置に及ばなかった被告病院医師らの判断は、医療水準に照らし、適切さを欠く不合理なものであったとまで認めることはできない。  ウ これに対し、原告らは、九番の狭窄が、結果的に有意な範囲の心筋梗塞を引き起こしたのであるから、被告病院医師らの判断は甘かったといわざるを得ない旨主張する。   (ア) しかし、甲の死因が急性心筋梗塞に起因する心タンポナーデであったことについては争いがないところ、前記認定事実一(3)チのとおり、解剖心写真上、本件心破裂の亀裂箇所と思われる濃赤(血腫)箇所は、心基部に近い領域に存在しており、同箇所と、左冠動脈前下降枝の側枝である九番の栄養領域とが重なり合っているとは認めがたい。  この点、原告は、病理解剖報告書によれば、本件心破裂を来した箇所は「左前側壁」であり、左前壁は九番を含む左前下行枝が灌流支配している箇所であるから、本件心破裂箇所は九番の栄養領域と重なっている旨主張する。  しかし、前記一(4)クのとおり、左前下行枝は六、七、八番を本幹とする左冠動脈であるところ、九番はその側枝であるから、仮に、左前下行枝が灌流支配している領域が心破裂箇所であったとしても、それによって九番が責任血管であると特定することはできない。また、上記の通り、病理解剖報告書上、本件心破裂を来した箇所が「左前側壁」であるとすると、左側壁を灌流支配しているのは左回旋枝(一一~一五番)であるから、左回旋枝のいずれかの血管が責任血管である可能性も否定し得ないこととなる。  よって、原告らの主張する事実は、九番の狭窄が有意な範囲の心筋梗塞を引き起こしたことを裏付けるものとはいえない。   (イ) また、原告らは、甲の症状は、本件PCI前は安定していたにもかかわらず、本件PCI後に異常(血圧低下や心不全、心筋逸脱酵素や蛋白の著しい上昇等)を来すようになったのであるから、甲の死亡は、本件PCIによって引き起こされたと考えるのが合理的である旨主張し、本件PCI前の甲の症状安定を裏付ける事実として、平成二〇年三月に実施された核医学検査報告書で「前行枝領域に心筋虚血を示唆するトレーサー異常は明らかではありません」とされていたこと、同年五月の外来通院でも異常が指摘されていないこと、同年六月二四日の入院後、本件PCI施行前まで、甲に胸痛はなく、バイタルサインも良好であったことなどを挙げている。  しかし、前記一(2)アのとおり、そもそも平成二〇年六月二四日に甲が被告病院を受診したのは、胸痛を覚えたからであって、受診時、TNT(心筋トロポニンT)の値は既に上昇しており、不安定狭心症・心筋梗塞が疑われている状況だったのである。加えて、甲は、同日の被告病院受診前から、血小板凝集抑制薬や冠拡張薬を服用していた上、入院期間中はニトロ製剤が投与されていたのであるから、受診前及び入院後に、薬物療法によって甲の状態が安定していたことをもって、本件PCI、とりわけ、九番の狭窄以外に死因に結びつく要因がなかったといえないことは明らかである。   (ウ) さらに、原告らは、病理解剖報告書の「新鮮心筋梗塞、心内膜下全周性 組織学的には、梗塞部には好中球浸潤を伴う完成した凝固壊死巣及び周囲の横紋構造の乱れを伴うcontractionband necrosis(収縮帯壊死)の所見を認め、発症後四八-七二時間に相当する。臨床経過約七二時間に一致。左前側壁は貫壁性で心膜下及び壁表面に新鮮血腫を認める」との記載が、①解剖の約七二時間前、すなわち本件PCI治療後に新鮮心筋梗塞が生じ、かかる新鮮心筋梗塞が本件心破裂を惹起したことを示している旨、また、②梗塞部に虚血早期の再灌流障害である収縮帯壊死の所見が認められるのは、梗塞が再灌流(昇圧剤による急激な血流上昇)からさほど離れていない時間帯である本件PCI後に生じたことを基礎づけている旨主張する。  しかし、同報告書は、①新鮮心筋梗塞が死亡の四八~七二時間前に発症したことを指摘するものではあっても、それが九番の狭窄によって引き起こされたことを基礎づけるものとはいえないし、②心筋虚血後間もなく再灌流障害が生じたことを示すものであるとしても、再灌流障害が生じた時期及び心筋虚血が生じた時期を特定するものでもなく、いわんや、その箇所が九番であることを示すものでもない。   (エ) なお、原告らは、被告病院医師が本件PCI時に九番の狭窄増悪を放置したこと、甲が結果的に心タンポナーデによって死亡したこと等から直ちに「九番の狭窄増悪によって前側壁梗塞が起こり、破裂したと考えられる」とする鑑定意見書を提出するが、同意見書には、そのように考えられる根拠については一切触れられていないことから、上記結論を本件において採用することはできない。   (オ) 以上のとおり、本件PCI時における九番の狭窄増悪が有意な範囲の心筋梗塞を引き起こしたと認定するまでには至らないから、この点を前提として、被告病院医師らの判断に誤りがあるとする原告らの主張も、採用することはできない。  エ 従って、本件PCI時、狭窄が九〇%から九九%造影遅延に悪化した九番に対し、被告病院医師らがPCI治療を施さなかったことが、医師としての注意義務に違反したものであり、過失を構成すると評価することはできない。  (2) 争点(2)(再度の冠動脈造影・PCI治療を行うべきであったか否か)について  ア 原告らは、甲はそもそも高リスク患者であるから、前記前提事実(2)イ(エ)、(カ)、(キ)の症状が現れていた以上、同(キ)の採血検査結果判明時点で、急性心筋梗塞の発症を疑って冠動脈造影を実施し、再度のPCI治療を行うべきであった旨主張する。  しかし、心臓カテーテル検査説明・同意書、経皮的冠動脈形成術説明・同意書からも明らかなとおり、冠動脈造影検査やPCI治療自体に合併症等の危険が存することは否定し得ないし、しかも、本件においては、前記前提事実(2)イ(キ)の採血検査結果が判明した僅か九時間前に、冠動脈造影検査及びPCI治療が行われたばかりであって、その際にも穿孔が生じるなどしていたのであるから、侵襲性があり一定の危険性も否定し得ないそれらの手技を、さしたる間も置かず反復するには、その必要性を認めるべき相応の根拠が必要であると解するのが相当である。  イ そこで問題は、原告らの主張する事実が、再度の冠動脈造影検査やPCI治療の必要性を認めるべき相応の根拠となり得るか、ということになる。  まず、九番の狭窄が九九パーセント造影遅延であったことについては、前述のとおり、PCI治療を行うべき相応の根拠とはなりえない。  また、原告らは、低血圧の遷延、ST低下、肺水腫・心不全の所見、血中酸素飽和度の低下等の異常所見が認められた末に、心筋壊死が疑われる血液検査結果が判明したことから、同血液検査結果判明時点において、急性心筋梗塞を疑うべき状況にあったとして、再度の冠動脈造影検査・PCI治療の必要性を主張する。しかし、同血液検査結果が判明したのは平成二〇年六月三〇日二一時四〇分ころであるところ、前記認定事実(3)クによれば、同日二一時三〇分に、甲に対する酸素投与は六リットルから四リットルに減らされているが、同日二一時三五分、甲から「気持ち悪いのは良くなってきた」旨の発言があり、原告らの指摘する数々の異常所見のうちのいくつかについて、その後むしろ改善していたことが認められる。また、同血液検査結果から認められる心筋逸脱酵素や収縮蛋白の増加は、確かに、心筋の障害を推測させるものではあるが、心筋の障害は、本件PCIによって血流が急激に増えたことによる再灌流障害によっても生じうるものであるから、同血液検査結果から直ちに、新たな狭窄・閉塞によって心筋障害が生じているものと判断し、再度の冠動脈造影検査・PCI治療を行うべきであったとまでは断じ得ない。  なお、原告らが提出している鑑定意見書には、「PCI後に急性心筋梗塞を発症することが予測されたので、モニターでの監視(リズムとST・T変化)、バイタルサインのチェックを厳重に行うことが必須であった」との記載はあるものの、再度の冠動脈造影・PCI治療を行うべきであったとの記載はないうえ、被告病院医師らが、各種チェックを厳重に行っていたことは、前記認定事実(3)アないしコの事実から明らかである。  ウ また、前記認定事実(3)セによれば、結果的に容態が急変したのちに施行された冠動脈造影においても、狭窄等の有意所見は認められていないのであるから、結論から遡って見ても、再度の冠動脈造影・PCI治療が必要とされる状況になかったことは明らかである。  エ 以上によれば、被告病院医師らが再度の冠動脈造影・PCI治療を行わなかったことについては、原告ら主張の問題は認められない。  (3) 争点(3)(本件PCI後、血液検査結果判明時点で、被告病院医師らが補助循環具を使用すべきであったか否か)について  原告らは、カテコラミンを投与しても低血圧が遷延している以上、補助循環器具の使用に踏み切るべきであった旨主張する。  しかし、その根拠として、原告らが引用する「カテコラミン投与を開始して一時間を経過しても状態が改善しない場合には、補助循環の使用を考慮する」との医学文献の記載は、同文献からも明らかなとおり、「重症心筋梗塞症患者」であることを前提とするものであるところ、前述のとおり、原告らが主張する時点において、甲が「重症心筋梗塞症」を引き起こしていたと断定することはできないし、同文献に「使用を考慮する」との記載はあるが、原告らの主張する時点でその使用に踏み切らなければならなかったことを窺わせる記載とはいえない。原告らの提出した鑑定意見書においても、「心筋梗塞に至る可能性が高く、大動脈バルーンポンプの留置などが必要であった」「心筋梗塞発症すれば重度心不全に陥ったであろうから簡易人工心肺などをスタンバイすることは肝要であった」とは述べられているが、原告らが主張する時点において、遅くともそれらの使用に踏み切るべきであったとまでは述べられていない。更に、原告らが提出している甲B七号証において、「治療」として循環補助装置が挙げられているのは「心原性ショック」の項目であるところ、血液検査結果判明時点における甲の症状は、同項目において心原性ショックの特徴として挙げられている症状にも該当しない。  そして、前記認定事実(4)カ、キによれば、補助循環器具は、非常に侵襲性の高いものであることが認められ、前述のとおり、血液検査結果判明時点前後の甲は、各種異常の改善が認められる状況だったのであるから、低血圧が遷延していることのみをもって、侵襲性の高い補助循環器具の使用に踏み切るべきであったと認めることはできない。  従って、この点に関する原告の主張も採用できない。  (4) 争点(4)(ボスミン投与の是非)について  ア 原告らは、心停止状態でもない甲に対し、蘇生等の緊急時を除き、ノルアドレナリンとの併用が禁忌とされているボスミンを、通常量を超えて投与し、結果血圧を一六〇台まで上昇させ、心破裂に至らしめたことが被告の注意義務違反ないし過失に当たる旨主張する。  イ しかし、前記認定事実一(3)サのとおり、平成二〇年七月一日〇時四〇分に、甲の血圧は七一/三九となり、その後、下肢を挙げても、一時間あたり〇・一ミリリットル投与されていたノルアドレナリンを一時間あたり〇・二ミリリットルに増量しても、更に、それを一時間あたり〇・四ミリリットルに増量してもなお、血圧が上がらない状態であったことは明らかである。この点、被告病院医師は、この頃の甲は「血圧が五〇台から七〇台をふらふらしている状態であった」旨述べているところ、確かに、原告らの指摘するとおり、その点の記載は診療録上認められない。しかし、同診療録によれば、前記認定事実一(3)イ、ウ、ケのとおり、六月三〇日の一三時から一四時台、二二時台にも、何度も血圧が七〇台前後を記録したことが認められるが、極めて短時間のうちに、このように立て続けにカテコラミンの増量等を含む各処置が取られたことはなく、慎重な経過観察がなされていたことが認められる。とすれば、〇時四〇分ころ、極めて短時間のうちに、多量の昇圧剤を立て続けに増量して投与していること自体から、この頃の甲の血圧が尋常でない低下を示し、しかもそれが全く上昇する兆しを見せていなかった状況をうかがい知ることができるというべきである。そして、前記認定事実一(3)サによれば、甲は、その僅か三〇分前の同日〇時一〇分時点においては、声掛けに対する受け答えもはっきりしていて、家族との面会も可能な状態であり、同日〇時二〇分頃においても、甲の血圧は九六/五六、九五/四九だったのであるから、その僅か二〇分後の〇時四〇分時点における甲の血圧低下及びその遷延は、まさに急変と評価すべき状態であったといえる。そのような中、前記認定事実一(4)オによれば、ボスミンは、各種疾患に伴う急性低血圧の補助療法としても用いられることとされているのであるから、前述のとおりの尋常でない低血圧の遷延状況を、ノルアドレナリンとの併用が許される緊急時であると捉え、ボスミン投与に踏み切った被告病院医師らの判断が誤っていたということはできない。  この点、原告らは、急性心筋梗塞の患者の血圧は低めに保つことが望ましいとされていることから、ボスミン投与により急激に血圧を上昇させた被告病院医師の行為は注意義務違反を構成する旨主張する。しかし、前記前提事実(3)イによれば、急性心筋梗塞の場合であっても、血圧が急激に低下すると腎・脳の血流が減少あるいは途絶し、乏尿・意識障害を生じ心原性ショック状態に陥ることから、その場合には、早急に血圧を上昇させなければならないこととされており、急性心筋梗塞が疑われる限り、いついかなる場合でも血圧を上昇させる処置をとってはならないものとは解し得ない。  ウ また、原告らは、ボスミンの投与量について、〇・二五mgを超えない量が通常量であるところ、被告病院医師が投与した〇・三mgは通常量を超えているから、注意義務に違反し、過失を構成する旨主張する。  しかし、原告らが提出した各種文献によっても、臨床の現場におけるボスミンの使用量には、かなりの幅があることが認められるから、〇・二五mgを超え、〇・三mgに至れば直ちに注意義務違反ないし過失を構成することになるということはできない。  エ 以上によれば、被告病院医師らのボスミン投与が被告の注意義務違反ないし過失を構成する旨の原告らの主張も、採用することができない。  三 結論  以上によれば、その余の点について判断するまでもなく、原告らの請求はいずれも理由がないから、これを棄却することとして、主文のとおり判決する。 

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