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病院に入院していたXが自殺を図り植物状態になった事案。 担当医らは,Xの家族からXの希死念慮について告げられた時点で,必要に応じて問診等を行うべきであった。これらを怠らなければXの自殺を防止する相当程度の可能性はあり得たとして原告らの損害賠償請求を一部認容した

横浜地裁 平成25年1月31日 事件番号 平成20年(ワ)第5567号        主   文  1 被告は,原告X1に対し,金330万円及びこれに対する平成18年1月11日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。  2 被告は,原告X2に対し,金30万円及びこれに対する平成18年1月11日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。  3 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。  4 訴訟費用はこれを900分し,その767を原告X1の,その97を原告X2の,その余を被告の各負担とする。  5 この判決は,第1,第2項に限り,仮に執行することができる。        事実及び理由 第1 請求  1 被告は,原告X1に対し,金8005万1918円及びこれに対する平成18年1月11日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。  2 被告は,原告X2に対し,金1000万円及びこれに対する平成18年1月11日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 第2 事案の概要    本件は,被告が設置するY1大学附属市民総合医療センター(以下「被告病院」という。)で入院治療を受けていた原告X1(以下「原告X1」という。)が,病院内で自殺を図り,その後植物状態となった事故につき,原告X1及びその夫である原告X2(以下「原告X2」という。)が,「被告病院の医療従事者には,①医療保護入院の要件を満たさない原告X1に対し,医療保護入院の措置をとった過失,②抗うつ薬であるアナフラニールの投与を中止しなかった過失,③自殺念慮の有無について問診しなかった過失,④自殺防止のための措置をとらなかった過失等があり,これらの過失によって,原告X1は自殺を図るに至った。」と主張して,被告に対し,不法行為ないし債務不履行に基づく損害賠償及び遅延損害金の支払を求める事案である。  1 前提事実(当事者間に争いがないか,後掲の証拠又は弁論の全趣旨により容易に認められる事実)   (1) 当事者    ア 原告X1は,昭和14年○月○○日生まれの女性であり,平成18年1月11日に,被告病院において自殺を図った(当時67歳)。その後,原告X1は植物状態となり,現在も被告病院に入院している。      原告X2は,原告X1の夫であり,平成18年11月16日,原告X1の成年後見人に就任した(甲B1)。    イ 被告は,被告病院を設置する公立大学法人である。   (2) 診療経過    ア 平成17年11月17日,原告X1は,うつ病のため,被告病院に入院した。この時点での入院は,原告X1の意思に基づく任意入院であり,担当医は,A医師(以下「A医師」という。),B医師(以下「B医師」という。)及びC医師(以下「C医師」という。)の3名であった(以下3名をまとめて,「担当医ら」ということがある。)。    イ 入院時から,原告X1には,トレドミン(セロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害薬(SNRI))の投与が行われた。ただし,平成17年12月26日,同月27日の2日間は,トレドミンとパキシル(選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI))が併用されている。      なお,原告X1には,便秘があり,これに対しては下剤が投与されたが,それによって,下痢になってしまうこともあった(甲A5(乙A2と同一。以下同じ。))。    ウ 平成17年12月28日,C医師は,原告X2の同意を得て,原告X1の入院形態を医療保護入院に変更した。また,同日から,抗うつ薬が,アナフラニール(三環系抗うつ薬)に変更され,その後,投与量が増量された(甲A3の1・2,甲A5)。    エ 平成18年1月5日,原告X1に対して胃管が挿入され,胃管を通じた経管栄養と抗うつ薬の投与が開始された。なお,この時点での原告X1のアルブミン値は3.3g/dlであった(甲A5,甲A29)。    オ 平成18年1月6日,原告X2とA医師が面会を行った(この際,原告X2が,A医師に対し,原告X1に希死念慮があることを伝えたかどうかについては争いがある。)。    カ 平成18年1月10日午前中,原告X1は,オーバーテーブルに寝衣やタオルを置いていた(甲A5)。また,午後には,挿入されていた胃管を自己抜去したため,再度胃管が挿入された。その際,原告X1は,看護師の腕を掴み「いて,いて」と言うなどした(甲A5)。    キ 平成18年1月11日午後1時50分ころ,看護師が原告X1の病室を訪れると,原告X1は病室の窓の鍵にバンダナを引っかけ縊頚しており,心肺停止状態となっていた。原告X1は救命措置を受け,蘇生したものの,心肺停止に伴う低酸素脳症のため,外部の刺激には全く反応せず,脳波上も基礎律動が全く見られなかった。現在も,原告X1の意識は回復せず,被告病院への入院を続けている(甲A5,乙A1)。  2 争点    本件の争点は以下のとおりである。   (1) 被告病院の医療従事者には,平成17年12月28日に,原告X1を医療保護入院とするに際して,①医療保護入院の要件がないのに医療保護入院とした過失があるか,②原告X1の身体状況が著しく悪化していたにもかかわらず,内科的診断や治療を行わなかった過失があるか,③自殺念慮の有無,程度を評価するための問診,及び精神療法の実施を怠った過失があるか。   (2) 被告病院の医療従事者には,平成18年1月5日に,①身体状態が著しく悪化した原告X1に対しては,アナフラニール投与を中止し,その代わりに電気痙攣療法(以下「ECT」という。)を実施すべきであったのに,そうしなかった過失があるか,②内科的診断や治療を行わなかった過失があるか,③自殺念慮の有無程度を評価するための問診,及び精神療法の実施を怠った過失があるか,④胃管を挿入し,食事の経口摂取をさせなかった過失があるか。   (3) 被告病院の医療従事者には,平成18年1月6日に,①アナフラニールの投与中止,及びECTの施行をせず,かえってアナフラニールの投与量を増加させた過失があるか,②体重やアルブミン測定等の全身状態の管理及び内科的診療を怠った過失があるか,③自殺念慮の有無程度を評価するための問診,及び精神療法の実施を怠った過失があるか,④30分より短い間隔で訪室する,スカーフなど自殺に使用可能な私物を一時的に除去する,マットコールや離床センサーを設置するなどの自殺防止措置を実施しなかった過失があるか。   (4) 被告病院の医療従事者には,平成18年1月10日の午前中の時点で,(3)と同様の各種措置を行わなかった過失があるか。   (5) 被告病院の医療従事者には,平成18年1月10日夕方以降の時点で,(3)と同様の各種措置を行わなかった過失があるか。また,⑤胃管を自己抜去した原告X1に対し,胃管を再挿入したことは過失に当たるか。   (6) 被告病院の医療従事者には,平成18年1月11日の午前中の時点で,(3)と同様の各種措置を行わなかった過失があるか。   (7) 上記(1)~(6)の過失と,原告X1の自殺企図との間に因果関係はあるか。   (8) 原告らの損害額  3 争点に関する当事者の主張   (1) 争点(1)(平成17年12月28日の過失)について   (原告らの主張)    ア ①(医療保護入院の要件との関係)について      医療保護入院の要件として,①任意入院が行われる状態にないこと,②保護者の同意があることが必要である。しかし,次のとおり,担当医らには,上記の要件がいずれも認められないにもかかわらず,原告X1を医療保護入院させた過失がある。     (ア) 原告X1が昏迷又は亜昏迷の状態であったとはいえず,任意入院を継続することは可能であり,医療保護入院の要件を満たしていなかった。被告は,原告X1が亜昏迷の状態であったと主張するが,①原告X1が,担当医らの問いかけに反応しなかったのは,担当医らが投薬中心の医療を行うことに対しての不信感を表明するためであって,現実検討能力が低下したからではない。また,原告X1の意識は清明で,看護師や原告X2に対しては意思疎通も可能であったし,自己の心身の不調を医師や看護師らに訴えており,病識もあった。このようなX1が亜昏迷の状態にあったとはとうてい考えられないのである。     (イ) また,原告X2が,医療保護入院について同意したのは,原告X1が自殺念慮を示していたことを伝え,ECTを行うことはできないのかと尋ねた原告X2に対し,担当医らが,自殺を防ぐためにも医療保護入院を勧めると告げたからであった。このような経緯から,原告X2は,医療保護入院となった場合には,自殺の危険性についてより配慮した管理がされると信じたにもかかわらず,実際には,自殺防止のための高度な管理が行われることはなかったのであるから,原告X2の同意の前提となった事実について錯誤があり,同意は無効である。    イ ②(内科的治療の必要性)について      高齢のうつ病患者に対してうつ病治療を行うに当たっては,身体症状の治療が重要である。そして,原告X1は,便秘と下痢を繰り返し,過敏性腸症候群の疑いもあり,身体的な衰弱が目立っていたのであるから,総合病院であり,内科との連携も容易であった被告病院としては,原告X1を内科病棟に移すか,少なくとも内科医による受診機会を作り,内科的治療を受けさせる義務があった。ところが,担当医らはこの義務を怠り,内科的治療を受けさせないまま,原告X1を医療保護入院させてしまった。    ウ ③(自殺念慮の問診及び精神療法)について     (ア) うつ病患者の場合,自殺の危険は常に念頭に置くべき事柄なのであるから,担当医としては,必要に応じて自殺念慮について問診をし,患者の状況を確認する義務がある。そして,この場合,医師としては,単に患者を観察して,自殺念慮の有無を判断するだけではなく,自殺念慮の有無を直接患者に確認し,自殺念慮の有無や程度を評価する必要がある。すなわち,患者の心情を理由に自殺念慮について問診することをためらってはならず,あえて尋ねることで,患者が辛い気持ちを表明する端緒となるなど,患者にとって良い効果をもたらすというのが,本件当時の医療水準に基づく考え方であったのである。       それにもかかわらず,担当医らは,原告X1に対し,入院時に自殺念慮について問診し,漠然とした希死念慮を認めて以降,一度も自殺念慮についての問診を行わなかった。本件の場合,平成17年12月26日と同月28日に,原告X2が担当医らに対し,原告X1が「死んでしまいたい」などと述べていたことを伝えていることなどからすれば,原告X1には,切迫した自殺念慮が見られるといえるし,仮に,原告X2による申告の事実が認められないとしても,外見上切迫した自殺念慮が見られない患者が,内心に自殺念慮を有している可能性は十分にあるのであるから,少なくとも医療保護入院とした平成17年12月28日の時点で改めて自殺念慮の有無を確認し,原告X1が自殺念慮を示した場合には,自殺しない約束をさせるべきであったのに,それをしなかったのは過失である。       被告は,原告X1が亜昏迷状態にあり,意思疎通が困難であったから,問診を行うことは困難であったと主張するが,原告X1は医師の呼びかけに対して返答するなど,意思疎通性を全く欠いていたわけではないのであるから,この点は問診を実施しない理由にはならない。そもそも,原告X1が担当医らの問いかけに対して反応しなくなったのは,担当医らが,内科的治療を行わずに医療保護入院とし,原告X1が拒否している投薬治療を続けるなど不適切な治療を実施し,不信感を招いたためであって,自らが招いた結果なのであるから,このことからしても,問診が困難であったと主張することは許されない。     (イ) 精神療法は,薬物療法を補完するものとして重要であり,定期的に実施されるべきものである。ところが,診療記録上,平成17年12月27日を最後に,精神療法が実施された旨の記載は存在しないから,その後は,精神療法は実施されていなかったものと認められる。しかし,同月28日の時点では,入院後1か月の投薬治療によっても症状に改善が見られず,身体状態が悪化する一方で,担当医らに対する不信感も強くなっていたのであるから,原告X1の訴えを支持的態度で傾聴し,信頼関係を回復するためにも,精神療法を真摯に行うべきであったのに,これを行わなかったのは過失である   (被告の主張)    ア ①(医療保護入院の要件との関係)について     (ア) 原告X1は,平成17年12月20日ころから,問いかけに反応しないなど意思発動が困難な状態が見られるようになった。その後も,時間帯によっては意思の疎通が可能な場合もあるなど症状は動揺しながらも,徐々に意思発動困難な傾向が強まり,同月27日には,はっきりとその傾向が見られるようになった。そこで,担当医らは,同日時点において,原告X1が亜昏迷の状態にあると診断した。       そして,担当医らは,原告X1が亜昏迷状態のため意思疎通ができないときがあり,病識,現実認識能力も低下していたことから,医療行為に対する有効な同意が得られないと判断し,適切な医療行為を行えるようにするために,原告X2の同意を得て医療保護入院への切替を行ったものである。     (イ) 原告らは,原告X1が担当医らの問いかけに反応しなかったのは,亜昏迷状態にあったからではなく,担当医らに対して不信感を抱いていたため,反応を拒絶していたのにすぎないと主張する。しかし,原告X1が投薬治療への拒否感を示したこと自体,うつ病の症状の一つである認知のゆがみによるものというべきである。また,仮に原告X1が,自らの意思で,担当医らに対してのみ拒否的な態度をとっていたのであれば,看護師や原告X2とも原告X1が反応に乏しく,意思疎通が図れないことがあったのは不自然であって,原告X1が選択的に態度を変えていたとは認められない。     (ウ) 担当医らは,原告X2に対し,医療保護入院とする理由を十分に説明し,納得をしてもらった上でその同意を得ているから,同意が錯誤であるとの主張は争う。    イ ②(内科的治療の必要性)について      原告X1は,被告病院に入院する以前,佐藤内科病院に入院しており,同病院での検査の結果,内科的異常はないと診断されていた。したがって,担当医らが,原告X1の便秘等の症状をうつ病性の身体症状又は抗うつ薬の副作用ととらえ,内科医の診察を依頼しなかったとしても不適切とはいえない。      原告X1が高齢のうつ病患者であるとしても,若年者よりも慎重な対応が必要であるとはいえても,それ以上に特別な対応が求められるわけではないから,高齢であることを理由に内科的治療が必要であるとはいえない。    ウ ③(自殺念慮の問診及び精神療法)について     (ア) 担当医らは,自殺念慮の有無を直接問う問診は行っていないが,入院中,折にふれて診察・問診を行い,その結果から,自殺念慮の有無,程度について評価しており,自殺念慮の有無及び評価を怠ったことはない。そして,平成17年12月28日の時点においても,総合的に判断して,原告X1には,うつ病患者にしばしば認められる漠然とした自殺念慮を否定できなかったものの,具体的な切迫した自殺念慮を認めなかった。したがって,自殺念慮について直接に問わなかったことが過失とはいえない。       原告らは,原告X2が,担当医らに対し,原告X1が「死んでしまいたい」などと述べていると告げたと主張しているが,そのような事実はない。また,担当医らの判断は,総合的な考慮の結果なのであるから,仮に上記のような話を聞いていたとしても,結論に変わりはなかったものと考えられる。     (イ) 担当医らは,精神療法の基本である支持的精神療法を適切に行っていた。精神療法は,診察において毎回自然に行うものであるから,カルテに記載がない日であっても,担当医らは,診察の度に支持的な関わりを行っているし,看護師も常に支持的関わりをもって看護していた。   (2) 争点(2)(平成18年1月5日の過失)について   (原告らの主張)    ア 争点①(アナフラニールの中止とECTの施行)について     (ア) 老年期うつ病については,抗うつ剤の単剤大量使用は禁忌である。特に,アナフラニールを含む三環系抗うつ剤は,老年期うつ病患者に対する副作用が強く,便秘やふらつきの副作用が出るため,現在では,高齢者に対する第一選択としてはほとんど用いられていないのである。       以上のとおり,高齢者にアナフラニールを投与することはそもそも禁忌であるし,仮に投与するとしても,慎重に投与すべきであったにもかかわらず,担当医らは,原告X1に対して安易にアナフラニールを投与し,更に投与量を増量した過失がある。     (イ) 1月5日の時点では,アナフラニールの効果は見られず,副作用と考えられる排尿障害,体温上昇等の症状が発生していた。したがって,担当医らには,この時点でアナフラニールの投与を中断すべきであったのに,投与を中断しなかった過失がある。     (ウ) 高齢者で,衰弱が顕著であり,薬物治療に抵抗し,自殺の危険性が高い患者に対しては,早期の治療効果発現を期待して,投薬治療の効果発現を待たずにECTを実施することがある。原告X1についても,入院から1か月以上薬物治療が実施された1月5日の時点でも改善傾向が見られず,薬物治療に抵抗していたといえること,アルブミン値が急落して衰弱が目立っていたことなど,うつ病が重症化し,緊急的な治療を行う必要が高い状態になっていることを示唆する徴候が認められ,現に,担当医ら自身もECTの可能性を考慮し始めていたものである。これらの点に照らすと,担当医らとしては,同日時点でECTを施行すべき義務を負っていたのに,これを行わなかった。       被告は,ECTには副作用があるとか,アナフラニールの効果を見極める必要があったなどと主張しているが,ECTの副作用は重篤なものではないから,それを理由にECTを実施しないというのは誤りであるし,上記のとおり,アナフラニールを投与したこと自体が誤りなのであるから,その効果判定を待つことは許されないのであって,被告の主張は失当である。    イ ②(内科的治療)及び③(自殺念慮の問診等)について      1月5日の時点では,原告X1のアルブミン値は,12月28日の4.3g/dlから,3.3g/dlへと急落しており,栄養失調状態に陥っていたといえるし,担当医らから骨と皮だけの状態であると判断されるなど,原告X1の衰弱の程度は著しかった。したがって,担当医らとしては,平成17年12月28日と同様に,原告X1に対し,内科的治療や,自殺念慮の有無についての問診,支持的な精神療法等を行うべきであったのに,これを行わなかった。    ウ ④(胃管の挿入)について      担当医らは,原告X1が拒薬的な姿勢を示していたのに薬物の投与にこだわり,そのための手段として,原告X1に痛みと不快感を与える胃管の挿入を行った。1月5日以前は,原告X1は自ら薬の内服をすることが可能だったのであるから,同日の段階で,薬の投与のために胃管を挿入する必要性はなかったのである。      また,原告X1は衰弱していたが,1月5日朝の段階でも,朝食をある程度摂取できるなど,経口摂取が可能な状態にあった。このことに,経口摂取は,入院患者にとって食べる努力をし,食べる喜びを得る機会であるから,できるだけ経口摂取を続けられるような配慮が必要であることを併せると,担当医らとしては,栄養摂取に関しても,胃管挿入による経管栄養ではなく,中心静脈栄養を内科医の管理の下に行い,併せて経口からの栄養摂取の努力をするという方法を採用すべきであった(なお,中心静脈栄養に合併症のリスクがあることは事実であるが,胃管挿入にもリスクがあるから,リスクがあることを理由に,胃管挿入を選択することが許されるとはいえない。)。      このように,薬剤投与,栄養摂取いずれの面から見ても,胃管の挿入は不必要かつ不相当であり,このような措置を行ったことには過失がある。   (被告の主張)    ア ①(アナフラニール投与及びECT)について     (ア) うつ病治療の原則は,重症度や精神病症状の有無に関わらず薬物療法である。そして,大うつ病性障害の場合,第1選択薬(多くの場合は,SSRI,SNRIが選択される)を投与しても改善が見られない場合は,抗うつ薬をアナフラニールを含む三環系抗うつ薬などに変更するとされている。三環系抗うつ剤は,重症例ではSSRIよりも効果が高いという報告もあり,これを使用する際は,25~50mgの少量から始め,2週間は初期量を維持し,効果がなければ2~6週かけて徐々に増量するとされている。なお,アナフラニールが高齢者に対して禁忌であるとの医学的知見はない。       担当医らは,SNRIであるトレドミンの効果が認められず,しかも,原告X1が亜昏迷で,錠剤を飲み込むことが困難であったため,投与する薬剤を三環系抗うつ剤であるアナフラニールに変更し,かつ,確実な投与のため,点滴静注の方法によってアナフラニールを投与することとしたものである。うつ病治療において,薬物の選択は担当医の裁量に属するところ,担当医らの選択は,うつ病治療のアルゴリズムに則ったものであり適切である。       また,1月5日の時点では,12月28日の投与開始から,徐々に投与量を増やしつつ治療経過を観察し,治療効果を評価している途中であったから,この時点で投与を中止する義務はない。     (イ) 自殺念慮の存在等,緊急的な治療の必要性が高く,速やかな症状の改善を優先する場合には,ECTを選択するとされている。また,難治性うつ病に対してはECTが有効な治療法の一つとされている。しかし,原告X1は,アナフラニールの効果を判定中であったから,未だ難治性うつ病であったとはいえないし,病態に緊急性・切迫性も認められず,ECTの適応はなかった。       また,ECTには,血圧上昇,不整脈,健忘,認知機能障害,躁転などの副作用があるため,慎重に行う必要がある。担当医らは,原告X1の状況と,ECTの副作用とを踏まえて,この時点ではECTを施行しないという選択をしたものであり,その判断に過失はない。    イ ②(内科的治療)及び③(自殺念慮の問診等)について      1月5日の診察,問診の結果を総合的に判断しても,この時点で原告X1に具体的な自殺念慮は認められず,身体症状も,内科的治療を必要とするものであったとまではいえないから,内科的治療や自殺念慮の有無を具体的に問いただす問診を行うべきであったとはいえない。また,精神療法は,従前と同様,適切に行っているから,精神療法実施に関する過失もない。    ウ ④(胃管挿入の必要性)について      原告X1は,12月21日には,体重が33.6kgとなるなど低栄養状態にあり,12月24日から,末梢血管を通じての栄養薬投与を始めたが,その後も原告X1の食欲は十分ではなかった。そのため,担当医らは,原告X1の栄養補給方法について再検討し,消化管の機能に問題がなかったこと,中心静脈栄養法は,身体的侵襲が高く,合併症も多いことから,身体的侵襲,合併症のリスクが低く,長期的に安定した栄養管理が可能な胃管による経腸栄養を行うことを決定したものであって,上記のような原告X1の状態からすれば,胃管挿入の必要性は高かったといえる。   (3) 争点(3)(平成18年1月6日の過失)   (原告らの主張)    ア ①ないし③について      1月6日,原告X2は,被告病院の医師に対し,原告X1が「死んだ方がいい,尊厳死したい,こんな自分を消し去りたい。」と言っていると述べ,自殺念慮があることを訴えた。したがって,原告X2の申告を聞いた医師としては,原告X1の自殺の危険性が切迫していると判断し,アナフラニールの投与中止,ECTの施行,内科的治療の実施(その前提としての体重やアルブミン値測定を含む。),自殺念慮についての問診,支持的な精神療法の実施義務があったのに,これらを行わなかった。    イ ④(自殺防止措置)について      担当医らは,原告X1を医療保護入院としたのであるから,自殺防止については,任意入院よりも高度な注意義務が課されている。そして,1月6日当時の原告X1には,自殺直前のサインとされている徴候(甲B12・添付資料4,乙B21・12頁など)のうち,自殺念慮の表明,食欲不振,不眠,身体的な不調など多数の項目が当てはまるのであるから,担当医らとしては,原告X1の自殺の危険性を予見した上で,その防止策をとる義務があった。具体的には,看護師に30分よりも短い間隔での訪室を指示するとともに,自殺に使用可能な私物を除去し,また,原告X1がベッドから降りたことを把握し,自殺行為を防止するため,同人のベッドにマットコールや離床センサーを設置すべきであった。      被告は,マットコールや離床センサーは,自殺防止のために使用されるものではないと主張するが,これらの装置は,単に患者の転倒や転落を知らせるだけではなく,患者がベッドから降りたことを知らせ,それをきっかけに看護師が訪室することにより自殺の防止に繋がるという意味も有するのであるから,自殺念慮のある患者に対する自殺防止措置としても,設置が求められているというべきである。   (被告の主張)    ア ①ないし③について      原告X2が,平成18年1月6日,医師に対し,原告X1の自殺念慮に関する申告をした事実はない。      また,仮にそのような事実があったとしても,原告X2を介して,一度そのような話がされただけで,原告X1に自殺の切迫した危険性が認められることにはならない。      したがって,原告X1に切迫した自殺念慮があったことを前提とする原告らの主張(アナフラニールの投与中止を始めとする各種の措置を講じるべきであったとの主張)は,その前提を欠いている。    イ ④(自殺防止措置)について      原告X1には自殺の企図歴はなく,自殺をほのめかすような言動の繰り返しもなく,自殺の準備行動,自傷行為も認められず,不安・焦燥が高まって,悪化していくなどの症状も見られなかった。問診時の支持的声かけに対する反応は乏しいことが多かったが,表情や態度から総合的に判断して,切迫した自殺念慮があるとは判断できず,本件自殺企図を予見することはできなかった。以上のような点を考慮すると,担当医らに,被告病院が実際に行っていた以上の自殺防止措置を講じる義務があったとはいえない。      被告病院では,通常1時間毎に看護師が病室を巡回しているし,点滴などをしているときは30分毎に巡回しており,原告X1についても,同様の巡回を行っていたものであり,具体的に切迫した自殺念慮が認められなかった以上,巡回頻度は適切であったといえる。      また,原告X1に対しては,刃物・火器等の持ち込みのみを禁止し,タオルやスカーフの使用は禁じていなかったが,これは,原告X1に具体的に切迫した自殺念慮が認められず,タオルやスカーフを自殺に用いることを予見できなかった以上,やむを得ない措置であった。むしろ,漠然とした自殺念慮が認められるにすぎない患者に対してまで危険物以外の私物管理を行うことは,患者の人権侵害にもなりかねないし,精神保健及び精神障害者福祉に関する法律(以下,「精神保険福祉法」という。)の基本理念に反するおそれもある。      マットコール及び離床センサーは,本来,転倒・転落を知らせるための装置であり,自殺を予防するためのものではないから,自殺予防のためにこれらの装置を設置すべきだとする原告らの主張は失当である。   (4) 争点(4)(平成18年1月10日午前中の過失)について   (原告らの主張)     1月7日から9日は休日であったが,この間,原告X1は,不穏時薬としてレキソタンを投与されたり,「つらい」と発言するなど,不安・焦燥が高まった様子であり,10日の朝には「疲れちゃった」とも発言していて,身体の衰弱状況も好転してはいなかった。また,1月10日朝の時点で,ベッドのオーバーテーブルに寝衣やタオルが置かれていたことは,自ら動くことが困難であると考えられていた原告X1が,自らロッカーへ移動し,これらの物品を取り出したことを推測させる事実であり,自殺の準備行為であると解することができる。これらのことからすると,1月10日朝の時点で,原告X1には,緊急な対応を要するほどに,自殺の危険性が高まっていたというべきである。したがって,担当医らは,アナフラニールの投与中止,ECTの施行,内科的診療の実施,自殺念慮についての問診,支持的精神療法の実施のほか,頻回訪室を初めとする既に主張した自殺防止措置(以下「自殺防止措置」という。)を行うべきであったのに,これらの措置を講じなかった。     なお,1月10日朝には,原告X1に対する診察が行われているが,診察をしたのは消化器内科を専門とする研修医のD医師であり,自殺念慮の有無及び程度の評価が適切に行われたとはいえない。   (被告の主張)     1月10日朝の時点も,アナフラニールを徐々に増量し,治療効果を評価している段階であったし,原告X1に自殺の具体的・切迫的な危険性は認められなかった。したがって,原告が主張するような措置が講じられなかったとしても,過失があったとはいえない。   (5) 争点(5)(平成18年1月10日の夕方の過失)について   (原告らの主張)     原告X1は,1月10日午後5時に胃管を3度抜こうとし,午後6時20分には胃管を自己抜去した上,その後,E看護師に「いて,いて」と発言し,看護師の腕を掴み離そうとしないという行動にも及んでいた。このように,原告X1は,不穏行動をし,強い不安を看護師に表明していたものであるところ,これらの行動に加え,起き上がり動作等の予測できない行動にも及んでいたものであるから,自殺の危険性を示す要素の一つである臨床状態の急激な変化が見られ,自殺の危険性は更に高まっていたといえる。     そして,原告X1の胃管抜去は,経管栄養及びアナフラニール投与に対する強い拒否の表明であるから,この時点でアナフラニールの投与を中止して,ECTを施行すべきであったし,抜去した胃管を再度挿入するのではなく,中心静脈栄養を行うべきであった。そして,そのためにも,アルブミン値,体重の測定,内科医の診察を行うべきであったのに,これらの措置は講じられていない。     また,胃管抜去という異常行動があった以上,その後直ちに自殺念慮について問診した上で,支持的な精神療法を行うべきであったのに,医師の回診は午後8時30分まで行われず,回診の際にも,自殺念慮について具体的に確認する問診や,支持的な精神療法は実施されていない。更に,自殺防止措置も行われていない。   (被告の主張)     胃管の自己抜去は,胃管挿入中によく見られるものであって,重大な危険行動といえるようなものではない。また,医師は,午後5時からの原告X1の状態をカルテや看護師からの報告によりその都度認識していたし,午後8時30分の回診の際には,原告X1に「どうですか」と声をかけ,様子を観察したが,落ち着いており,不穏な状態はなかったことから,自殺の切迫した危険性があるとは認めなかった。また,原告X1は,依然として摂食量が極めて不安定であり,体重減少も著しく,胃管以外の方法による栄養維持は困難であったことから,抜去した胃管を再度挿入する必要があると判断されたものである。したがって,以上の措置に誤りがあったとはいえないし,それ以外に原告らが主張する措置についても,講じる必要は認められなかった。   (6) 争点(6)(平成18年1月11日の午前中の過失)について   (原告らの主張)     1月11日午前6時,原告X1は茶色のタオルを探していたが,これは,自殺の方法を探していたものと理解できる。また,同日午前中,原告X1は,痛いという発言を何度も行っており,これも自殺の危険性を示すものである。他方,同日の時点では,不穏行動は見られなかったものの,不穏状態が先行した後に落ち着いた様子になることも,自殺の徴候の一つであるから,担当医らは,不穏行動がないからといって安易な対応をするのではなく,原告X1に自殺の危険性が切迫していることを予見し,アナフラニール投与の中止等,これまで主張してきた措置を講じるべきであったのに,これを怠った。   (被告の主張)     1月10日夕方の胃管抜去が,自殺の予兆とはいえないことは既に主張したとおりである。そして,担当医ら及び看護師らは,胃管再挿入後,就寝中も含めて,原告X1の様子を慎重に観察し,胃管が再度抜去されることなく経管栄養が継続できていることや,睡眠が得られていることを確認し,更に,1月11日朝にも不穏な言動は見られず,胃管抜去が,その後精神不穏として持続したり増悪することがなかったことを確認している。     1月11日は,午後に医師の回診が予定されていたため,午前中に医師の診察は行われていない。しかし,原告X1は,胃管再挿入後は落ち着いており,1月11日の午前中にも,タオルの場所を看護師に聞き,自分で歯磨きをした後,顔も自らタオルで拭き,その後,洗髪介護を受け,午後1時20分にはしっかりと開眼し,看護師に経管栄養が終わったことを伝えるなど,何らそれまでと異なる様子を示しておらず,自殺の危険性が切迫した緊急性の高いものであると判断されるような状態ではなかったのであるから,予定を早めて午前中に診察を行う必要性はなかった。     そして,そうである以上,自殺を予見して,原告らが主張するような措置を講じる必要もなかったものである。   (7) 争点(7)(因果関係の有無)について。   (原告らの主張)    ア 被告病院の担当医らは,(1)から(6)の一連の過失により,原告X1を自殺に追い込んでいった。(1)から(6)の過失がなければ,被告病院が原告X1のうつ病を治療することは可能であり,原告X1が自殺行為に及ぶことはなかった。      担当医らが,医療保護入院,アナフラニールの増量投与,胃管挿入など,原告X1が拒否をし,苦痛に感じるばかりであった一連の治療行為を行わず,適切な内科的治療,中心静脈栄養,自殺念慮についての問診,精神療法,ECTの施行,看護体制の強化等の措置を行っていれば,原告X1は自殺企図に及ぶことはなかった。    イ 自殺防止措置との因果関係についていえば,1月11日午後1時20分の経管栄養終了後,20分毎に看護師が訪室するようにしていれば,午後1時40分には,原告X1の部屋を訪室することとなり,午後1時50分直前であったと推測される原告X1の縊頚を防止できたと考えられる。      また,ロッカー内の私物を一時的に除去していれば,そこに入っていたスカーフで原告X1が自殺に及ぶことはなかった。胃管チューブ等による縊頚は,スカーフに比べ困難であるから,スカーフ等がなくても胃管チューブ等で縊頚したとする被告の主張は誤りである。      更に,医師による自殺念慮についての問診,精神療法によって原告X1の自殺の意思が和らげられていれば,原告X1が自殺を企図することはなかったと考えられるし,マットコールや離床センサーが設置されていれば,原告X1が縊頚をするために窓への移動を開始した時点で,看護師が部屋に駆けつけ,自殺を阻むことができたはずである。    ウ 1月10日夕方の,胃管抜去などの不穏行動は,自殺の決意をいったんは固めた原告X1が,弱気になって,医師等にコンタクトを求めたい気持ちになって起こしたものと理解することができる。したがって,この時点で,胃管の再挿入など行わず,自殺念慮についての問診及び精神療法を実施していれば,原告X1の自殺の決意が和らげられ,1月11日の自殺企図が回避された蓋然性がある。      原告X1の自殺の決意が強く,1月10日夕方の時点で問診等を行っただけでは,これを和らげることができなかったとしても,1月10日の朝に,担当医らが適切な問診を行っていれば,原告X1の苦しみが和らげられ,自殺企図を回避させることが可能であった。      また,1月5日,6日に問診等を行っていれば,より早期に原告X1の苦しみは和らげられていたはずであるし,12月28日に,医療保護入院などといった,原告X1に自らの意思が全否定されたと感じさせるような措置をとらず,問診等によって自殺念慮の有無を確認し,内科的治療を行うなど適切な措置を講じていれば,原告X1の病状は治癒に向かった可能性があり,いずれにしても,自殺企図を回避できた高度の蓋然性がある。   (被告の主張)     原告の主張は,すべて争う。     マットコールや離床センサーを設置したり,私物を除去したりしたとしても,原告X1が私物以外の胃管チューブなどの紐状のもので自殺を図った場合には,それを防止することはできない。     医療保護入院,胃管挿入を行ったこと,自殺念慮について尋ねなかったことなどが,原告X1の症状悪化の原因となったという原告の主張は,推測にすぎず,それらがなければ,原告X1の症状悪化が回避され,自殺企図に至らなかったとはいえない。   (8) 争点(8)(原告らの損害額)について   (原告らの主張)    ア 原告X1の損害     (ア) 治療費・入院費 1624万0390円     (イ) 慰謝料 2800万円     (ウ) 将来の医療費 2861万1528円      (計算式)1か月220000×12×10.8377(16年のライプニッツ係数)     (エ) 弁護士費用 720万円     (オ) 合計 8005万1918円    イ 原告X2の損害 1000万円      民法711条により,原告X1の夫である原告X2には固有の損害賠償請求権が認められる。   (被告の主張)     争う。 第3 当裁判所の判断  1 診療経過   (1) 被告病院に入院するまでの経過    ア 平成16年に,原告X1と仲の良かった兄嫁が亡くなり,その後,原告X1は,徐々に味覚・嗅覚の低下が目立ち始め,食欲も低下していった。時に不眠も出現するようになった。    イ 平成17年8月ころから,食欲不振,不眠が増悪し,それまで下痢気味であったものが便秘傾向となった。そこで原告X1は,平成17年9月17日から同月26日までと,同年10月11日から同月31日までの2度にわたり佐藤内科病院に入院したが,腹部CT,胃カメラ等の諸検査の結果,問題はないとされた。    ウ 平成17年11月14日ころ,原告X1は,みやうちクリニックを受診し,身体症状(食欲減退,42kgから36kgへの体重減少,便秘)以外に,抑うつ気分,集中力低下,興味消失,精神運動抑制などがあり,うつ病と診断され,アモキサン(三環系抗うつ薬)などを処方されるとともに,入院加療目的で被告病院を紹介された(甲A1,乙A1・8頁,15頁)。   (2) 被告病院の診療経過(医療保護入院に至るまで)    ア 平成17年11月16日,原告X1は,被告病院精神科を受診し,B医師の診察を受けた。原告X1には,食欲不振(体重が42kgから35kgに低下),意欲低下,興味喪失,不眠(中途覚醒),不安・軽度焦燥,罪業感(昔から好きなことばかりしてきて,他の人みたいに一生懸命生きてこなかったからばちが当たった)が認められ,また,「こんなに辛いならもう消えてしまいたい,などと考えませんか」という質問にうなずき,希死念慮も認められた(乙A1・9頁,乙A5)。    イ 翌17日には,A医師による診察が行われた。A医師は,抑うつ気分,精神運動抑制,不眠,食欲不振,不安焦燥,味覚異常等を認めた。また,「いっそのこと死んでしまいたいと思うことはありませんか」と問いかけると,原告X1は「ありません」と答え,直接の希死念慮は認めなかったが,前日のB医師による診察の際,希死念慮が認められたことから,日によって変動するような漠然とした希死念慮があるのだろうと診断した。A医師は,原告X1の症状を精神病性の伴わない重症うつ病と診断し,休養・薬物調整目的で開放・個室に任意入院させることとした(甲A2の1・2,甲A5・2頁,乙A1・10頁,乙A6,証人A尋問調書2頁。)。そして,同日から,前医で投与されていたアモキサンに加えて,トレドミンの投与が開始された。また,原告X1には,便へのこだわりがあったため,便が2日以上出ない場合には,プルゼニド(下剤),ラキソベロン(下剤)を投与する方針とされた(甲A2号証2・2頁,甲A12・7頁)。      なお,同日時点における診断に関し,原告らは,A医師が事後に作成した書面(甲A4)に,原告X1が「精神病症状を伴う重症うつ病エピソード」であったと記載されていることを根拠に,担当医らは,原告X1のうつ病を,精神病性を伴わないものであると確定診断していたわけではないと主張する。しかし,A医師は,上記の記載について,結果的に自殺企図があったことから,便へのこだわりを過大に評価して,事後的に,精神病性が伴うとの記載をしたものであって,当初の診断を記載したものではないと説明しているところ(同医師の尋問調書14頁),この説明は,F医師(以下「F医師」という。)が,便へのこだわりは妄想とはいえず,1月7日にカタレプシーが認められるまでは,精神病性症状は認められなかったとしていること(乙B1)や,G医師(以下「G医師」という。)及びH医師(以下「H医師」という。)も,11月17日の時点で精神病性のうつ病であったとの指摘はしていないこと(甲B11,12)とも整合し,合理的なものであるということができる。したがって,原告らの主張を採用することはできない。    ウ 平成17年11月中の,原告X1の経過は以下のとおりであった(甲A5,甲A6,甲A12)。     (ア) 入院当初から,便に対するこだわりが強く,便が出ないことを何度も訴え,便秘のため,すべてが悪い方向に向かっていると話し,看護師に下剤の処方を要求するなどしていた。しかし,医師から,便に対するこだわりもうつ病の症状の一つであると説明されると,下剤の処方を希望しないこともあった。     (イ) 11月21日のグループカンファレンスでは,うつ病の診断で,未だにうつ状態にあり,便秘から抜け出せない,精神運動抑制,食欲不振,不眠,不安があると判断された。     (ウ) 11月23日の体重は37.6kgであった(甲A6・3頁)。     (エ) 11月24日には,就寝中に下痢をすることがあり,下剤のため無意識のうちに下痢をしてしまうので,夜は寝ないでおこうと話すなどしたため,医師の判断により,下剤を中止して様子を見ることとされた。また,同日には,アモキサンの投与が中止される一方で,トレドミンの投与量が1日当たり60mgに増量された(甲A12・4頁,13頁ないし20頁)。     (オ) 11月30日の体重は36.3kgであった(甲A6・4頁)。     (カ) 11月24日以降,下剤を中止すると下痢は治まるものの,再度便秘になってしまうなど,排便のコントロールに苦労している様子であった。また,この間,自らの症状等について,医師,看護師と口頭で意思疎通をすることが可能であり,治療を拒否するような態度は見られなかった。食事は,ほとんど食べない日や,主菜,副菜ともにすべて食べる日も見られたが,摂取量は概ね半分程度であった。    エ 平成17年12月中の原告X1の経過は以下のとおりであった(甲A5,甲A6,甲A12)。     (ア) 12月1日からは,トレドミンの投与量が,1日当たり90mgに増量された(甲A12・4頁,21頁)。     (イ) 12月に入っても,食欲不振は続いており,食事を全量摂取することはほとんどなく,全く食事を摂取しないこともあった。体重は,12月7日の時点で35.2kgであり,12月14日の時点で34.5kgであった。また,12月9日の時点で,アルブミン値は4.3g/dlであった(甲A6・5頁,6頁,甲A29)。     (ウ) 12月10日ころから,眉間にしわを寄せ,ベッドに横になったまま小声で,状態が改善しないこと等について不安を述べるようになり,担当医らから,必ずよくなるなどと説得を受けた。     (エ) 12月15日から,トレドミンの投与量が1日当たり120mgに増量された(甲A12・4頁,35頁ないし41頁)。     (オ) 12月19日には,昨夜は2時間ほどしか眠れなかったと話し,日中も傾眠がちで活気は見られなかった。昼食時は表情が乏しく,何も語らずベッドに横になり,配膳しても首を振って頑なに拒否し,食事をほとんど摂取しなかった。グループカンファレンスでは,今後,主剤の変更を考慮することとされた(甲A5・32の1頁ないし33頁,甲A6・7頁)。     (カ) 12月20日には,看護師に対し「調子よくない。食事も全然食べられない。体が全然思うように動かなくて,読書とかする気も起きません。もう,家に帰れる気がしません。先生達は,何でみんな薬,薬っていうのかしら。今まで私は薬に頼ってこなかったのに。何か正反対の方向に行っているよう。」と,ベッドに臥床したまま,聞き取れるかどうかという程度の小声でぼそぼそと話した。その際の表情も,眉間にしわを寄せ,変化に乏しいものであった。       その後,A医師の診察を受けた際は,ベッドに横になって閉眼しており,声をかけると,うっすらと目を開けては,また閉眼し,その後は問いかけに反応しないという状態で,昏迷様の症状があると診断された。夕食は摂取しなかった(甲A5・33頁ないし34頁,甲A6・7頁,乙A6)。     (キ) 12月21日の体重は33.6kgであった(甲A6・7頁)。     (ク) 12月23日,採血検査の結果,アルブミン値が3.8g/dl,カリウム値が3.1mEq/lであって(甲A29),カリウムの低下が認められたため,スローケー(栄養製剤)の投与が開始された(甲A12・5頁,42頁ないし48頁)。       原告X2の面会時には,一点を見つめ,眉間にしわを寄せ,表情,反応が乏しい状態であった。看護師の問いかけに対しても,臥床したままで首を振ったり,うなずくのみでで(ママ)あった。深夜にトイレに行くために歩行する際には,ふらつきが著明で,「強い薬を飲まされているから」と述べた(甲A5・36頁ないし38頁)。     (ケ) 12月24日,ふらつきの一因は体重減少にあると判断され,アミノフリード(末梢静脈栄養用輸液製剤)500mlの末梢静脈点滴栄養が開始された。発語はなく,うなずきのみで反応する状態であった(甲A5・38頁,甲A6・7頁)。     (コ) 12月25日にもアミノフリードの点滴が行われたが,原告X1は,ほとんど体を動かさず,表情にも乏しく,うなずきのみで反応する状態であった。昼食はほとんど摂取しなかった(甲A5・39頁)。     (サ) 12月26日,この日もアミノフリードの点滴が行われた。この日の原告X1は,眉間にしわを寄せた表情で,「ぼーっとしちゃう」,「ご飯はいらない」など,小声ではあったが,わずかに発語が見られたものの,それ以外はうなずきで反応するのみであった。グループカンファレンスでは,トレドミン等の投与による改善が乏しいため,主剤をパキシル(選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI))に変更し,トレドミンの量を減らすことや,食事摂取が不良のため,アミノフリードに加え,フィジオの投与を追加することが決定された。そのため,同日から,パキシル20mg(1日当たり)の投与が開始された(甲A5・39頁ないし41頁,甲A12・5頁,46頁,47頁)。     (シ) 12月27日,アミノフリードとフィジオの点滴が行われた。原告X1は,看護師に対し,眉間にしわを寄せた表情で,小声ではあるが,昨日はまあまあ眠れたこと,点滴をしていると疲れることなどを話した。       A医師による訪室時は,ベッドに臥床して口唇を振るわせており,問いかけに対して応答はほとんどなく,困っていることはないかと聞かれると,点滴を指さして「しばられている」と答えた。その後,看護師が訪室した際も,ベッド上で仰臥位となり,口唇を振るわせ閉眼しており,看護師の声かけにも薄く開眼するのみで返答はなく,問いかけには首を振ったり,うなずいたりして反応した。夕食は摂取できず,夕方に飲む予定の薬も服用できなった。夕食後も同様の状態が続いた(甲A5・41頁ないし43頁,甲A12・47頁)。   (3) 被告病院での経過(医療保護入院以降)    ア(ア) 12月28日午前8時ころ,原告X1は反応なく小刻みにふるえており,薬の内服はできなかった。この日の朝から,トレドミン,パキシルの投与が中止され,アナフラニール(1日当たり25mg)の点滴投与が開始された(甲A12・48頁,49頁)。午前9時30分ころ,医師が訪室したところ,開眼はしているが,反応は明らかに遅延しており,発語もほとんどなく,首を振ることで何とか意思疎通できている状態であり,亜昏迷状態にあると診断された。歩行も困難と判断され,この日から尿道バルーンカテーテルが挿入された。なお,アルブミンは4.3g/dlであった(甲A29)。       C医師及びA医師は,原告X2と面談し,原告X1は,現在亜昏迷状態であり,点滴から抗うつ薬の投与及び栄養補給を行っていること,食事が十分とれず,意思疎通が図れない時間帯が多く見られ,引き続き入院が必要であるが,入院に対する有効な同意が得られないときがあり,任意入院を継続できる状態にないため,医療保護入院への変更が必要であることを説明したところ,原告X2は医療保護入院に同意した。       その後,C医師,A医師,原告X2の3名が原告X1の病室を訪れ,原告X1に対し,医療保護入院となることを説明した。その際,原告X1は亜昏迷の状態で,表情の変化に乏しかったが,明らかな拒否は見られなかった。(甲A3の1・2,甲A5・44頁,45頁,乙A5ないしA7,証人A調書10頁,証人C調書8頁,9頁)。     (イ) なお,原告らは,12月28日の時点において,原告X1は亜昏迷状態にはなく,医師に対する不信感から,医師に対して拒否的な態度を示していたのにすぎないと主張している。しかし,既に認定したところによれば,たしかに,原告X1は,医師に対して拒否的な反応を示す傾向が見られないではないものの,反面,看護師や原告X2に対しても,反応に乏しい対応をすることが少なからず見られていたのであるから,医師に対してのみ選択的に無反応であったということはできない。したがって,原告らの主張は失当であり,そのまま採用することは困難である。       また,原告らは,原告X2が,担当医らに対し,12月26日及び同月28日の2日にわたって,原告X1が死んでしまいたい,尊厳死したいなどと言っていることを伝えたと主張し,原告X2はこれに沿う供述をしている(本人尋問)。しかし,希死念慮の表明という,原告X2にとっても,担当医らにとっても重要な事実が,カルテにも,原告X2が手帳に付けていた日記(甲A11)にも記載されていないのは不自然といわざるを得ないことからすると,原告X2の上記供述をそのまま採用することができるかどうかは疑問といわざるを得ない(原告X2が,医師との面談をする際,事前に作成していたメモであると説明している甲A第14号証の5頁及び6頁には,平成17年12月26日の記載として「死んだ方がいいと云うことも云いだした」,12月28日の記載として「もう死んでしまいたいみたいなことを云いだした。」という記載がある。しかし,甲A第11号証の記載とも併せ考えると,甲A第14号証の記載が,その日付の日にされていたものであるかどうかには疑問があるといわざるを得ないし,その日に記載されていたものであるとしても,そこに記載された内容が,すべて医師に対して伝えられていたのかどうかも定かではないといわざるを得ないのであるから,甲A第14号証は,原告らの主張の十分な裏付けとなり得るものではない。)。また,原告らは,甲A26号証(平成18年9月7日に行われた,原告X2と被告病院との面談内容を反訳したもの)を根拠に,被告病院の出席者が,原告X2との面会の際,原告X1に希死念慮があることを伝えられていたと認める発言をしたとも主張しているところ,たしかに上記反訳書には,被告病院の担当者が,「希死念慮があるということはこちらとしても把握はして注意していたつもりです。」と発言した旨の記載がある。しかし,その後の発言内容も併せて考えると,この発言が,どの時点の,どの程度の状態を指して述べているものなのかは定かではないといわざるを得ないから,これも原告らの主張を裏付ける十分な証拠とはいい難い。そして,他に原告らの上記主張を認めるに足りる証拠は存在しない。       更に,原告らは,12月28日に医療保護入院の告知を受けた後,原告X1が,強い調子で「だまされているのよ」などと怒りを表明したとも主張するが,この主張を裏付ける的確な証拠はない。    イ 12月29日以降,原告X1は食事をほとんど摂取せず,無表情で閉眼しており反応も乏しかった。しかし,1月1日には,依然として活気はないものの,A医師の問いかけに対し,視線を向けて,睡眠もまずまず取れていると答えるなどしており,亜昏迷状態で全く動けないというほどの状態ではないと判断された。アナフラニールの投与量は,12月30日には1日当たり50mgに,1月1日には1日当たり75mgに増量された(甲A5・45頁ないし50頁,甲A6・8頁,甲A12・50頁ないし56頁)。      なお,原告らは,担当医らが,12月28日以降,原告X1に対して精神療法を実施しなかった(その証拠に,カルテには,12月27日の記載を最後に,精神療法を実施した旨の記載が全くない。)と主張する。しかし,医師が原告X1に対する声かけを行ったことは,カルテにも記載されているところ,そのような声かけの際に,「必ずよくなる」などといった支持的声かけを行うことは,精神科治療においては基本的なことであって,カルテへの記載を要するような特別な措置であるとは考えられない。したがって,A医師が供述するとおり(証人尋問),担当医らは,診察の度に,支持的な態度での声かけ程度は行っていたと認めるのが相当である(これが,精神療法として十分なものであったかどうかは,後に改めて検討する。)。    ウ 1月5日のアルブミン値は3.3g/dlであった。原告X1はベッド上でぐったりしており,昼食時には,声かけに反応せず,口唇を振るわせる状態となったことから,昏迷状態と診断された。そこで,午後3時30分には胃管が挿入され,その後は,経管栄養及び胃管を通じたアナフラニールの投与を行うこととされた。グループカンファレンスでは,12月28日からアナフラニールの点滴を開始しているが,今のところ著効がないので,1月6日からアナフラニール100mgを胃管を通じて投与し,1月12日から150mgへ増量すること,薬物でコントロール不可の場合は,ECTも考慮すること,低栄養状態が続いていることから,胃管を通じて徐々に栄養を増量するとともに,投薬もコントロールすることなどが決定された(甲A11・8頁,甲A12・56頁,57頁,甲A5・52頁ないし54頁,乙B9の1・2)。    エ 1月6日,A医師が訪室すると,原告X1は閉眼して臥床しており,問いかけに対しても首を横に振るのみで,亜昏迷状態にあるものと診断された。原告X1は,看護師に対し,おしっこが出そうなのに出ないと訴えていたが,尿道カテーテル内には尿が排出されていた。同日から,アナフラニールの投与量は,1日当たり100mgに増量された(甲A5・53頁,甲A12・57頁ないし62頁)。      なお,この日,A医師は,原告X2と面談し,同原告から,原告X1が死んでしまいたいなどと述べているとの申告を受けた(被告は,この事実を否認しているが,原告X2が,申告の事実を明確に供述している上,A医師自身も,このような申告を受けた可能性があることを認めていることからしても,上記のような申告があったことは事実と認めてよい。以上につき,原告X2尋問調書15頁,A医師尋問調書12頁。もっとも,それ以上に,原告X1が「尊厳死したい」,「消えてなくなりたい」などと言ったという申告があったかどうかについては,裏付けとなる的確な証拠がなく,認定が困難である。)。    オ 1月7日,原告X1は問いかけに反応せず,うなり声を上げており,腕を持ち上げるとそのままの姿勢を保っていたため,亜昏迷状態で,カタレプシーも見られると診断され,レキソタン(抗不安薬)の投与を受けた。すると,投与後は,うなり声,顎のふるえ,額のしわ等が消失した。また,同日から,胃管を通じてラコール(経腸栄養剤)の投与が開始され,ラコールの投与量は,1月7日には300ml,1月8日には600ml,1月9日には1200ml,1月10日には1800mlと増量された(甲A5・55頁,56頁,甲A12・57頁ないし62頁)。    カ 1月8日,原告X1は,閉眼した状態が続き,辛いかどうかを看護師から尋ねられると「つらい」と答えた。この日もレキソタンが投与され,投与後は表情の硬さが和らいだ印象であった(甲A5・56頁,57頁)。    キ 1月9日,原告X1は,閉眼しており,眉間にしわを寄せたまま返答がないこともあるが,意思の疎通は可能で,自らの要求を訴えることもあるという状態であった。表情は,以前と比較すると悪くはなかった(甲A5・58頁,59頁)。    ク 1月10日,午前中,原告X1は,オーバーテーブルに寝衣やタオルを置いており,看護師に対し,「今日体洗う日だと思って準備しておいた」と話した。研修医のD医師による診察時は,亜昏迷状態であるが症状はやや軽快してきている印象であった。I看護師(以下「I看護師」という。)が,経管栄養のためにベッドアップを行っている際,「疲れちゃった」と一言話したほかは,終始閉眼しており,問いかけへの反応も体動もなかった。      午後5時前にナースコールがあり,I看護師が訪室すると,問いかけに反応なく,閉眼して,口の周りを痙攣させていた。胃管のテープを貼り替える際,原告X1は急にチューブを握りしめ抜こうとし,その後も胃管に3度手を持って行くという危険行動が見られたため,I看護師は,レキソタンを投与し,「抜かないようにしましょう」と声をかけた。I看護師は,原告X1が,瞬間的にすばやい動作をし,予想がつかないこともあるため,危険行動に注意し,場合によっては抑制を行う必要があると判断した(乙A8,証人I調書2頁。)。      午後6時20分,ナースコールのため訪室したEかおり看護師(以下「E看護師」という。)は,原告X1が胃管を抜去していることを発見した。原告X1は,「気持ち悪くて。おしっこは出てる。いて,いて」と発言した。表情は苦痛様で,E看護師の腕を掴み放そうとしなかったため,同看護師は,5分ないし10分程度,原告X1に付き添った。また,上半身をベッドに起こす動作が見られたため,E看護師は,行動が予測できず,注意する必要があると判断した。      午後7時35分ころ,C医師らにより,胃管の挿入が必要であることなどの声かけが行われた上,胃管が再挿入された。午後8時30分,C医師が,回診のため,再度原告X1の病室を訪れたところ,同原告はベッドに入っており,特に不穏や焦燥を感じさせる状態はなく,午後11時には入眠した(甲A5・59頁,60頁,乙A7,乙A8,乙A9,証人C調書12頁,13頁,証人E調書3頁)。    ケ 1月11日,午前6時に看護師が訪室した際,原告X1は,ベッドの上に座り,「茶色のタオルどこかしら」とタオルを探している様子であった。顔をタオルで拭いてもらった際には,胃管挿入部が痛いと何度も訴えた。午前10時ころ,J看護師(以下「J看護師」という。)が,尿道カテーテルを交換した際は,前日のような胃管抜去などの行動は見られず,意思疎通が可能であり,5分程度腹部の痛みを訴えた(甲A5・60頁ないし62頁,乙A10,証人J尋問調書3頁)。      午後0時ころ,経管栄養が開始され,午後1時20分ころ,経管栄養が終了した際,原告X1は胃管を指さして,「終わった」と話した。午後1時50分,J看護師が,訪室すると,原告X1は病室の窓の鍵にバンダナを巻き付けて窓に背を向けた状態で縊頚しており,呼びかけにも反応せず,呼吸・脈拍も見られなかった。その後,心臓マッサージ等の蘇生措置が行われ,午後2時過ぎには自己心拍が再開したが,自発呼吸,瞳孔の対抗反射はなかった(甲A5・61頁,62頁,甲A7,甲A18の1・2,乙A10,証人J尋問調書14頁)。    コ その後,原告X1は,心肺停止に伴う低酸素脳症のため,外部の刺激には全く反応は見られず,脳波上も基礎律動は全く見られず,意識が回復する見込みはないと診断され,いわゆる植物状態のまま,現在も被告病院での入院を継続している(乙A1・12頁)。  2 争点(1)(12月28日の医療保護入院時の過失)について   (1) ①(医療保護入院の要件を満たしていたかどうか)について    ア 精神保健福祉法33条1項は,精神科医院の管理者は,指定医による診察の結果,精神障害者であり,かつ,医療及び保護のため入院の必要がある者であって当該精神障害のために同法22条の3規定による入院(任意入院)が行われる状態にないと判定されたものについて,保護者の同意があるときは,本人の同意がなくてもその者を入院させることができると定めているところ,原告らは,本件においては,上記の要件のうち,①任意入院が行われる状態にないこと,及び②保護者の同意があることの2要件が欠けていたと主張する。    イ そこで,まず,ア①の要件について検討するに,任意入院が行われる状態にないとは,本人に病識がない等,入院の必要性について本人が適切な判断をすることができない状態をいうとされているところ(甲B16),担当医らは,原告X1が,うつ病性亜昏迷状態にあり,意思疎通が十分に図れない状態にあるため,入院に対する有効な同意を得られない時があるから,任意入院を継続する状態にないと判断したものである。これに対し,原告らは,医療保護入院の措置がとられた当時,原告X1は,そもそも亜昏迷の状態にはなかったと主張するが,この主張を採用することができないことは,既に説示したとおりである(1,(3),ア,(イ))。      また,原告らは,亜昏迷であるだけではア①の要件に当たらないとも主張し,G医師も同旨の意見を述べている(甲B11,14)。しかし,任意入院が行われる状態にない(言い換えれば,患者の有効な同意に基づいて任意入院を継続できる状態にない)との要件が認められるかどうかを検討するに当たっては,実際に当該患者を入院させ,その診療に当たり,直接かつ継続的に当該患者の様子を確認している医師の判断を尊重する必要があると考えられるところ,平成17年12月27日及び28日には,原告X1は応答をほとんどせず,口唇を振るわせ,薬の内服もできない状態であったことなど,既に認定した診療経過に照らしてみれば,意思疎通が困難であるため,任意入院の継続が困難であるとした担当医らの判断が不合理であるとはいえない。      したがって,ア①の要件を欠くとの原告らの主張は失当である。    ウ 次に,ア②の要件について検討するに,担当医らが,原告X2に対してした説明の内容は,原告X1が亜昏迷の状態にあり,任意入院の継続が困難なこと,今後状態が悪化した場合にはやむを得ず,拘束・隔離が考えられることなどであって,これらの説明の内容に事実と異なるところがあったとはいえない。原告X2が,錯誤があったと主張している点は,要するに,医療保護入院後,被告病院において,原告X2が期待していたような処置が行われなかったということに帰するのであって,これは動機の錯誤の範疇に属する事柄であるから,これによって同意が錯誤無効になるということはできない。      したがって,この点に関する原告らの主張も失当である。    エ 以上の次第であって,担当医らが原告X1を医療保護入院としたことに過失があったと認めることはできない。   (2) ②(内科的診断,治療の必要性)について     原告らは,原告X1は,便秘と下痢を繰り返しており,過敏性腸症候群の疑いがあったのであるから,消化器内科専門医の診断を仰ぐべきであったと主張し,H医師の意見書(甲B12・7頁)にも,これに沿う部分がある。     ところで,過敏性腸症候群とは,慢性・反復性の腹痛と便通異常があり,大腸内視鏡検査を含む通常精密検査で腫瘍,炎症などの器質的疾患が見られない機能性疾患をいうところ,その原因は不明であるが,ストレス,不安などが発症に関与するとされ,うつ病などの精神疾患と共存することが少なくないとされている(甲B12・資料7)。そして,原告X1は,12月28日の時点までに,便秘と下痢を繰り返していたことなどから,過敏性腸症候群の可能性があったことはH医師,F医師がともに指摘するところであって(甲B12,乙B21),この時点で,原告X1には過敏性腸症候群を疑うべき症状があったといえる。     しかし,過敏性腸症候群は,ストレスや不安が関与するものであるとされているのであるから,精神科において,その治療をすることにも一定の合理性が認められる一方,原告X1が,被告病院入院以前に,佐藤内科病院に入院し,CT検査,胃の内視鏡検査等を受けた上で,問題がないとされていることなどからすると,原告X1について,特に内科的な観点からの治療が必要であったともいい難い。そして,便秘型の過敏性腸症候群の治療方法としては,酸化マグネシウムやラキソベロンなどの下剤を投与するとされているところ(甲B12・資料7),被告病院においてもラキソベロンなどが投与されているのであるから,治療内容自体にも,相当性を認めることができるところである。     以上の点を併せ考えると,原告X1に内科的診断,治療を受けさせなかったことが過失に当たるということはできない(乙B21・4頁以下も参照)。   (3) ③(自殺念慮についての問診及び精神療法)について     この点に関しては,個々の時点での過失の有無についての判断を留保し,後に,診療経過全体を踏まえた検討を行うこととする。  3 争点(2)(平成18年1月5日の過失)について   (1) ①(アナフラニール投与中止及びECT施行)について    ア まず,被告病院に入院後,原告X1に対して行われた投薬の経過を整理すると,①入院時である11月17日からは,前医で投与されていたアモキサン(三環系抗うつ剤)に加え,SNRIであるトレドミンの投与が開始され(ただし,アモキサンの投与は11月24日に中止された。)たが,②原告X1の状況に改善が見られなかったことから,12月26日には,トレドミンを減量して,主剤をSSRIであるパキシルに変更することとされ,実際にパキシルの投与が開始されたが,③薬の内服が困難な状態にあるなどの理由から,12月28日からは,パキシルの投与が中止されて,アナフラニールの点滴投与が開始され,その量も,開始当初(12月28日)の1日25mgの点滴投与から,1月6日以降の1日100mgの胃管を通じた投与まで増量されるという経過を辿っていたものである。      ところで,精神病性を伴わない重症うつ病の場合,その治療アルゴリズムは,第1選択薬として三環系抗うつ薬,非三環系抗うつ薬,SSRI,SNRIのいずれかを投与した上,無効な場合は,他の抗うつ薬へ変更するというものである(乙B3,4,5,14)。本件では,SNRIであるトレドミンの効果が見られなかったことから,短期間のパキシル(SSRI)の投与を経て,三環系抗うつ薬であるアナフラニールの投与が開始されており,この治療薬選択は,上記のアルゴリズムに適合するものであったといえるから,薬剤の選択に問題があったとはいえない。      原告らは,アナフラニールを高齢者に投与することは禁忌であり控えるべきであると主張し,H医師の意見書(甲B12・14頁)にも,老年期うつ病患者に対し,アナフラニールの単剤大量使用を試みてはならないとする部分がある。しかし,アナフラニールの能書(甲B2の3)は,高齢者については,少量から投与を開始するなど患者の状態を観察しながら慎重に投与すること(高齢者では,起立性低血圧,ふらつき,抗コリン作用による口渇,排尿困難,便秘,眼内圧亢進等があらわれやすい)としているのみで,高齢者への投与を禁じてはいない。また,高齢者に対しては三環系抗うつ薬の投与は勧められないとする文献も存在するものの(甲B12・添付資料3),この文献も,高齢者に対する三環系抗うつ剤の投与を禁忌であるとはしていない。そして,重症のうつ病患者についてはSSRIよりも三環系抗うつ薬の方が有効であるという見解もあるところ(乙B5・49頁),原告X1については,入院以来の経過に照らし,SNRIであるトレドミンの効果がないことは明らかであったといえる上,同原告が,12月27日の時点で,薬を服用できない状態になっており,薬剤の経口投与が困難となっていたことなどの事情を併せ考えると,点滴投与が可能な抗うつ薬であるアナフラニールを選択したことには合理的な根拠があるといえ,薬剤の選択に誤りがあったということはできない(F医師の意見書である乙B21・7頁も同旨。)。なお,原告は,1月5日の時点で,アナフラニールの副作用である排尿障害が現れていたから,アナフラニールの投与を中止すべきであったと主張しており,たしかに,原告X1が,1月6日,看護師に対し,おしっこが出そうなのに出ないなどと述べていたことは前認定(1,(3),エ)のとおりである。しかし,留置されていた尿道カテーテルからの排尿量には問題がなかったのであるから,上記の訴えをアナフラニールの副作用としての排尿障害によるものであると断定することは困難であり(アナフラニールの投与に疑問を呈しているH医師も,排尿障害等が生じていたとの指摘はしていない。甲B12,13),原告らの上記主張は失当である。      そして,アナフラニールの能書によれば,1日の最高量は,経口投与の場合,220mgないし225mgとされているところ,担当医らは,1日25mg(ただし点滴)という少量から投与を開始し,原告X1の症状や容態を観察しながら投与量を徐々に増量していたものであるが,一般に,三環系抗うつ薬の場合,効果が現れるまでに4週間程度かかることがあり,高齢者の場合にはより長期間を要することもあるとされていること(乙B5)に照らしてみると,本件の場合,アナフラニールが点滴投与されていたため,より早期に効果が現れる可能性があったこと(F医師の意見書である乙B21・7頁は,早い回復を望むうつ病患者に対して,アナフラニールの点滴静注が行われると指摘している。)を考慮しても,12月28日の投与開始から,8日が経過したにすぎない1月5日の段階で,アナフラニールに効果があるかどうかを判断するのは,未だ時期尚早であったといわざるを得ない。      以上をまとめれば,担当医が,アナフラニールを選択したことそれ自体に過失があったとはいえないし,1月5日の時点において,アナフラニールに効果がないことが明らかになったとか,アナフラニールの投与を不相当とするような副作用が現れていたなどということもできないのであるから,いったん開始した投与を中止すべきであったということもできない。したがって,この点に関する原告らの主張も失当といわざるを得ない。    イ ECTについて     (ア) 原告らは,原告X1に対し,ECTを施行すべきであったのにこれをしなかったことは過失であると主張し,H医師の意見書(甲B12,13)にもこれに沿う部分がある。       ところで,後掲の各証拠によれば,ECTに関しては,文献上,大うつ病への有効性と安全性は確立しているので,患者の合併症や抗うつ薬の有害作用などで薬物療法の継続が困難な場合や自殺念慮などの症状によっては,より早い段階での選択を推奨する(乙B4・38頁),薬物治療に反応しないうつ病,自殺の危険性の高いケース,身体疾患のために薬が使えないケースでは第一選択である(乙B14・136頁),非精神病性のうつ病に対しても,薬物療法困難例や自殺念慮などの症状があるときにはECTは治療の選択肢となるが,錯乱,せん妄,記憶障害などの副作用が起こることがある(甲B10・309頁),この療法は,自殺の危険性が高い,身動きができないほど精神運動抑制が強い,衰弱が激しいという患者にも用いられるが,健忘の副作用が起こることがある(甲B13・添付資料5)などといった指摘がされていることが認められる。       以上によると,薬物療法とECTのいずれを優先するかは,基本的には医師の裁量に属する事柄というべきであるものの(療法選択は,基本的には担当医の裁量に属する事柄というべきである。),薬物療法が奏功しない患者や,自殺の危険性が高い患者についてはECTの早期施行を考慮する必要があり,また,全身衰弱が激しい患者に対してもECTの施行を考慮する必要がある場合があり得るものと考えられる。そして,1月5日の時点においては,未だ薬物療法が奏功しないと判断できるような段階にまで至っていなかったことは既に説示したとおりなのであるから,自殺の危険や全身衰弱という観点からECTを施行する必要があったといえるかどうかを検討する必要がある。     (イ) 自殺の危険性について       ところで,一般的には,自殺の危険因子として,①過去の最近の自殺企図,②最近の自殺・自傷の試み,③最近の自殺念慮の表明,④最近の喪失体験,⑤解決困難な持続的ストレス負荷,⑥家族や人的サポートの乏しさ,⑦重症の抑うつ状態からの回復初期であること,⑧短期間での再発の初期であること,⑨元来の性格傾向(メランコリー親和的性格,自己評価が低いなど),⑩治療への拒否的傾向などが,防御因子として,①守る価値のあるものの存在,②良好な家族関係や人的サポートの存在,③経済的安定,④良好な治療効果と治療関係を挙げられるところ(H医師の意見書である甲B12,13,F医師の意見書である乙21等),H医師は,1月5日の時点において,原告X1には,危険因子④,⑤,⑥,⑨,⑩が認められ,防御因子はすべてなくなっていたから,自殺の危険性は高かったと指摘している。       この見解の当否について検討してみると,たしかに,原告X1の病状は,入院治療にもかかわらず,目立った改善は示していない上,11月23日の時点では37.6kgあった体重が12月21日には33.6kgにまで減少し,食物を十分に経口摂取できないこともあって,12月24日からは点滴による栄養補給が行われるようになる(1月5日からは胃管が挿入される)など全身状態も悪化していたのであるから,これらが危険因子⑤に当たるという余地はあり得るし,危険因子⑩の存在も認められ,他方,防御因子④が欠如していたこともH医師が指摘するとおりであろうと考えられる。しかしながら,約2年前の出来事である平成16年の兄嫁の死を,最近の喪失体験ととらえることができるかどうかには疑問があること(危険因子④),原告X2は,原告X1を何度も見舞うなど,サポートに努めていたこと(危険因子⑥,防御因子①,②)などの点に照らしてみると,H医師の指摘のうち,少なくとも,危険因子⑤,⑥の存在や,防御因子の不存在を指摘する点は疑問というべきである。以上の点に,直接自殺に結びつく要因である危険因子①,②が存在したとは認められないこと(H医師も,これらがあったとは指摘していない。)を併せ考えると,1月5日の時点において,原告X1に,自殺の具体的危険があったとか,自殺に対する危険性が高まっていたとまで認めることは困難である(ただし,原告X1に,自殺の危険がなかったとまで言っているわけではない。この点は,後に改めて指摘する。)。       したがって,自殺の危険が高かったからECTを施行すべきであったとの主張は失当である。     (ウ) 全身衰弱について       次に,全身衰弱について検討するに,原告X1は,食事をほとんど摂取できず,体重が大幅に減少していたことは既に指摘したとおりである上,アルブミン値を見ても,12月28日には4.3g/dlであったものが,1月5日には3.3g/dlに低下し,基準値の下限である3.8ないし4.0g/dl(甲B13・添付資料6)を下回っているという状態で,ベッド上でぐったりすることが多く,声かけへの反応も見られなかったのであるから,相当程度衰弱していた状態にあったことは否定し難い。しかし,身体の衰弱に対しては,1月5日の時点で,胃管による経管栄養という新たな措置が講じられていたのであるから,直ちにECTを施行するのではなく,薬物療法を継続しつつ,経管栄養により全身衰弱の改善を図るという手法を採用したことが,誤った判断であったということはできない。       したがって,この点に関する原告らの主張も失当である。   (2) ④(胃管挿入)について     原告らは,原告X1に痛みと不快感を与える胃管挿入は行うべきではなく,中心静脈栄養の手段を選択した上で,食物の経口摂取の可能性を残すべきであったと主張する。     ところで,1月5日時点における原告X1は,ほとんど経口での食事の摂取を行えておらず,かなりの衰弱も見られていたのであるから,何らかの方法による栄養管理を行うことは必須であったということができる。     そして,その手法としては,担当医らが実際に実施した胃管による経腸栄養や,原告らが主張する中心静脈栄養が考えられるが(神経性食欲不振患者については,いずれの栄養方法も適応があるとされている。),文献(乙B6,B12,B17)によると,中心静脈栄養は,消化管を経由しない非生理的な栄養法であるため,種々の手技的,あるいは,代謝性の合併症を起こす可能性があるとされる一方,胃管を含む経腸栄養は,腸が機能している場合はすべて適応となる(ママ)り,中心静脈栄養に見られる合併症はなく,長期管理が容易であるとされている。     そうすると,胃管の挿入が,原告X1に不快感を与える可能性はあるとしても,種々の合併症等を避けるという観点から,胃管による経腸栄養を行うという判断には十分な合理性があったものということができるから,中心静脈栄養の方法を採用しなかったことが過失に当たるということはできない(ただし,胃管挿入に伴う不快感が,原告X1の精神状態に影響を与えないかどうかについての考慮は必要であったと考えられる。この点は,後に改めて触れる。)。   (3) ②(内科的診察等)について     1月5日の時点で,原告X1が身体的に衰弱した状態にあったことは既に説示したとおりであるが,それについては,胃管による栄養法を行うことが決定され,実際にも胃管挿入が行われている。そして,当面は,胃管を通じた経腸栄養によって全身衰弱の回復を図ることとしたことが,医学的に誤っていたということはできないから,同日時点において,原告X1に内科的診療を受けさせなかったことが過失に当たるということはできない。  4 争点(3)(平成18年1月6日の時点での過失)について   (1) ④(自殺防止措置)について     1月6日に,原告X2がA医師に対し,原告X1が死んでしまいたいと述べ,自殺念慮を有している旨を伝えたことは既に認定したとおりであるところ,原告らは,このような自殺念慮の存在や,それまでの経過等に照らし,被告病院としては,原告X1に自殺の具体的危険があることを認識し,看護師による頻回の訪室,私物の制限,マットコールの設置等の自殺防止措置を実施すべきであったと主張する。     しかし,自殺念慮の存在は自殺の危険性を表す一つの要素ではあるものの,このことから直ちに自殺の具体的危険が生じたということはできない。すなわち,文献上も,自殺企図が見られず,自殺念慮を持つのにとどまる場合,その実効性には幅があり,判断は必ずしも容易ではないとされていたり(乙B14・133頁),「死んだ方がましだ」などの希死念慮は,程度の差こそあれ,うつ病患者の40~70%に見られるが,実際に自殺を企図するのは約15%とされている(乙B15・36頁)のであるから,自殺念慮があったからといって直ちに自殺の具体的危険が高まっていると即断することはできず,その自殺念慮が自殺企図を伴うものであるかどうかや,患者の状況を踏まえ,自殺の具体的危険性の有無,程度を判断する必要がある。     この観点から考えた場合,担当医らが,自殺企図の履歴や,自殺・自傷の試みがないことや,診察時の様子が落ち着いていたことなどの事情を総合考慮して,原告X1には,自殺の具体的危険がないと判断したことが誤りであったいうことはできないものというべきである(ただし,問診の点については,後に改めて検討する。)。     したがって,自殺防止措置に関する原告らの主張は,その前提を欠き,失当である。   (2) ①,②(アナフラニール投与中止,ECT実施,内科的治療等)について     原告X2から,原告X1の自殺念慮に関する申告があったことを除くと,1月6日の原告X1の状況等は,1月5日と概ね同様であったということができる。したがって,アナフラニールを中止してECTを行わなかった点や,内科的治療を行わなかった点を過失ということはできないことも1月5日の場合と同様というべきである。なお,原告らは,原告X1の体重測定やアルブミン値の測定を行わなかったことも問題としているが,ベッド上でぐったりしていることが多かった原告X1に対し,あえて移動を促してまで体重を測定すべきであったというのは疑問であるし,1月5日にアルブミン値の測定が行われているにもかかわらず,その翌日に再度測定をする必要があったといえるかどうかも疑問であり,上記主張を採用することもできないところである。  5 争点(4)(平成18年1月10日午前中の過失)について   (1) ①,②,④(アナフラニール投与中止,ECT施行,内科的治療,自殺防止措置)について     まず,1月6日から1月10日までの原告X1の経過を振り返ると,1月7日には,亜昏迷状態でカタレプシーの症状を呈していたが,レキソタンの投与により,カタレプシー症状は改善されたこと,胃管からラコールの投与が開始されたこと,1月8日には,辛いかという看護師からの問いかけに対して「つらい」という発語が見られ,意思疎通が可能な状態にあり,1月9日も,意思の疎通が可能であって,自らの要求を伝えることもあったことなどは既に認定したとおりであって,このような経過を,原告X1の症状の改善ととらえるか(F医師意見,乙B21),症状の改善は見られないととらえるか(G医師補充意見,甲B14)はともかく,自殺の具体的危険を疑わせるような徴候があったということはできない。     また,10日の午前中,原告X1は,オーバーテーブルに寝衣やタオルを自ら用意していたことは前認定のとおりであるところ,この行為は,回顧的に見れば,自殺の準備行為ないしその予兆と理解することが可能であるといえなくはない。しかし,上記の行為は,それ自体として見れば,「体を洗う日だと思って準備しておいた」という原告X1本人の説明によっても十分に理解可能な行為であるし,当時の原告X1に,不穏な様子等があった節もうかがわれない。このことに,1月10日午前に至るまでの間において,原告X1に,自殺の具体的危険を疑わせるほどの言動や徴候が認められてはいなかったこと(この点は,既に説示したとおりである。)を併せ考えると,上記の行動があったから自殺の危険が高いと判断すべきであったというのは結果論であるといわざるを得ない。     したがって,この時点で,自殺の具体的危険があったとはいえないから,原告らの主張する過失はいずれも認めることができない。  6 争点(5)(平成18年1月10日夕方の過失)について   (1) ①,②,④,⑤(アナフラニールの投与中止,ECTの施行,内科的治療,自殺防止措置,胃管の再挿入等)について     1月10日夕方,原告X1は,自ら胃管を抜去し,かつ,苦痛様の表情で,E看護師の腕を掴み,「いていて」と話したことが認められる。G医師は,この行動は,原告X1の深い苦悩を示すとともに,弱気になり医療者にコンタクトを求めたい気持ちになったことを示すものであるとし(甲B14),また,H医師は,深い苦悩の表出であるとともに,臨床症状の急激な変化であるとする(甲B13・添付資料12)ところ,たしかに,このような行動を,自殺の危険因子である絶望感や強い不安感等の感情の現れであるとする理解もあり得るものと考えることができる。     しかし,胃管チューブの自己抜去は,通常の患者でもあり得る事柄であるし(乙B6,102頁),看護師の腕を掴む行為も,様々な意味に理解することが可能である。このことに,これらの行動を,うつ状態の改善に伴う意思表示行動の出現と見ることもできるとするF医師の意見(F医師の意見書である乙B21)をも併せ考慮すると,原告X1が上記のような行動をとったことから直ちに自殺の具体的危険があると判断すべきであったと断定することはできない。そして,原告X1による上記の行為があった後,看護師がその場で5分程度付き添い,その後も,午後11時に就寝するまで,頻回に訪室していることをも併せ考えれば,それ以上の自殺防止措置を講じなかったことが過失に当たるということはできない。     また,以上の検討結果によれば,1月10日夕方の時点でアナフラニールの投与を中止しなかったことや,ECTを施行しなかったこと,内科的治療を行わなかったこと等が過失に当たるということもできない。     更に,原告X1に対する栄養補給の方法として,胃管による経管栄養の方法を選択したことが過失に当たるとはいえないことは既に説示したとおりであるところ,1月10日夕方の時点においても,原告X1は,依然として低栄養状態を脱するには至っておらず,栄養補給を継続する必要があったと認められるのであるから,そのために胃管を再度挿入したことが過失に当たるともいえない。  7 争点(6)(平成18年1月11日午前中の過失)   (1) ①,②,④(アナフラニール投与中止,ECT施行,内科的治療,自殺防止措置)について     原告らは,原告X1がタオルを探していたり,胃管挿入部が痛いと訴えたことなどを根拠に,この時点において,アナフラニールの投与中止,ECT施行,内科的治療等の措置をすべきであったと主張する。     しかし,タオルを探すという行動は,回顧的に見れば,自殺の準備行動であると理解することも可能であるが,その反面,洗顔のためのタオルを探していたと理解することも可能である。また,胃管挿入部が痛いと訴えたことも,単に痛みを訴えただけであると考えることも可能であり,これを自殺の予兆であると決めつけることはできない。そして,1月11日午前中の原告X1には,胃管抜去などの不穏行動は見られず,比較的落ち着いていたこと(このことは,原告ら自身も認めている。)をも併せ考えれば,担当医らが,この時点において,原告X1に,自殺の具体的危険があるとは判断しなかったことが過失であるということはできない。     そうすると,アナフラニール投与を中止しなかったこと,ECTを施行しなかったこと,内科的治療を実施しなかったこと,自殺防止措置を講じなかったことなどが過失に当たるとの主張も,その前提を欠き,失当であるといわざるを得ない。  8 問診及び精神療法について    以上のとおり,アナフラニールの投与中止,ECTの実施,内科的治療の実施,胃管挿入の中止ないし抜去等に関する原告らの主張は,いずれも失当といわざるを得ない。しかし,問診及び精神療法が不十分であったとの原告らの主張についてはもっともなところがあると考えられる。その理由は,次のとおりである。   (1) まず,うつ病患者の治療において,自殺の防止が重要な課題であることは明らかであり,このこと自体は,被告も認めているところであると考えられる。そして,G医師は,自殺防止のためには,医師が患者に対する入念な問診を行って自殺念慮の有無,程度を確認し,自殺念慮が認められる場合には,患者に「治療中には自殺しない約束」をさせるなどの働きかけをすることが重要であると指摘し(甲B11,14),H医師も,自殺意図を直接問診することで,自殺を防ごうという治療者の熱意を知らせることができるから,行うべきであるとするなど,自殺念慮に関する問診や働きかけが重要であることを指摘している(甲B12,13)。そして,他の文献等を見ても,患者に死にたいのかと問うことをためらってはならず,直接的な聞き方が最も有効である(甲B12・添付資料1),自殺念慮を疑わせる症例では,臆さずその有無を問う必要がある(甲B12・添付資料10),自殺念慮の聴取が患者を刺激して自殺を誘発するという考えは正しくなく,変化を看取したときには繰り返し自殺念慮を直接尋ねるべきである(甲B13・添付資料8,9,12,13),自殺について話すのは危険で,寝ている子を起こすことになるというのはまったくの迷信にすぎない(甲B7)などといった指摘がされているし,本件において,結論的には,自殺念慮について問診する必要はなかったとするF医師も,一般的には,自殺念慮に関する問診等が有効であることを認めている(乙B21)。     このように,自殺防止のためには,患者の希死念慮(自殺念慮)の有無を把握することが重要であり,そのためには,「死にたいと考えているか」を端的に問いかけ(そのような問いかけ自体が自殺を誘発するという考え方には根拠がなく,問いかけをためらってはならない),肯定的な答えが返ってきた場合には,治療中は自殺しないことを約束させるなどの働きかけをすることが,有効な手段の一つであることは,精神医学の臨床現場において,コンセンサスが得られた考え方であるということができる(なお,以下,本項においては,上記のような問いかけや働きかけを併せて「問診等」ということとする。)。     もっとも,自殺の一般的抽象的可能性があることのみを根拠に,常に問診等を行う義務があるとすることは,治療に関する医師の裁量権を制約したり,医師に過大な負担を負わせる可能性があるし,問診等を行うことが相当ではないと認められる場合もあり得るところである(甲B14,乙B21等)。     このように考えていくと,うつ病患者に対し,常に,定期的に問診等を行う義務があるということはできないが,希死念慮を有することが具体的に疑われたり,自殺について,一般的抽象的可能性を超えた,相当程度の危険が認められる場合には,担当医としては,問診等を不相当とするような事情が存在しない限り,問診等を行う義務があるものというべきである。   (2) この観点から考えた場合,担当医らとしては,少なくとも,原告X2から,原告X1が希死念慮を有していることを告げられた平成18年1月6日以降は,原告X1に自殺念慮があることを考慮し,問診等を行う義務があったのであり,それにもかかわらず,問診等が行われていない点には過失があったといわざるを得ないものと考えられる。     すなわち,原告X1は,入院前日(平成17年11月16日)の診察において,希死念慮があることを認める発言をし,併せて,不安・軽度焦燥,罪業感等,自殺に繋がり得る心理状態にあることも申告していたのであるから,この時点においては,希死念慮の存在や,自殺についての相当程度の危険が認められたものということができる。そして,このような事実があった上で,1月6日に,改めて原告X2から希死念慮の存在が伝えられたのであるから,この希死念慮の存在は,決して軽視すべきものではなかったと考えられる。なお,原告X1は,入院当日(11月17日)の診察時において,希死念慮を否定する発言をしており,その後も,医師の問診に対して,積極的に希死念慮がある旨の発言はしておらず,1月6日にも,夫である原告X2を通じて希死念慮の存在が伝えられたのにとどまるが,入院当日の発言は,希死念慮の存在を完全に否定するに足りるものではないし(担当医ら自身,そのように考えていたことも,既に認定したとおりである。1,(2),イ),原告X1には,担当医らに対して拒否的な反応を示す傾向が見られたことも既に認定したとおりなのであるから(1,(3),ア,(イ)),原告X1から担当医らに対し,直接,希死念慮に関する申告がなかったことも,希死念慮の存在を疑わせるような事情であるとは言い難い。     更に,原告X1は,11月17日の入院以来,既に1か月半以上の期間が経過しているにもかかわらず,うつ状態に目立った改善が見られていないばかりではなく,食欲不振,便秘と下痢の繰り返しなどといった状態が続き,体重が,入院直後(11月23日)の37.6kgから12月21日時点で33.6kgにまで低下し(甲A1等によれば,原告X1の標準的な体重は42kg程度であったことがうかがわれるから,それに比べれば10kg近い体重減少が生じていたことになる。),1月5日には,アルブミン値が正常値を下回り,1月6日から胃管を挿入せざるを得ない状況になるなど,身体的にも疲弊した状態になっていたことが認められる。そうすると,1月6日時点の原告X1は,精神的,肉体的な疲弊状態から,将来に対して絶望的な感情を抱いても不思議ではない状況にあったものと考えられるのであって,このことからしても,原告X2から伝えられた希死念慮は,深刻なものである可能性があり得るものとして取り扱われるべきであったと考えられる。     そして,その後の経過を見ても,1月6日には,胃管の挿入という,原告X1にとって不快感を増すような措置が講じられ,1月8日には看護師の問いに対して辛いと答え,1月10日午前には,自らタオルを用意し,同日夕方には,胃管を自ら抜去し,看護師の腕を掴んで「いていて」と述べるなどし,1月11日午前には,タオルを探したり,胃管挿入部が痛いと訴えるなどしていたものである。これらの行動が,それ自体としてみれば,自殺の具体的危険を疑わせるう(ママ)ようなものとまでは言い難いことは既に説示したとおりであるものの,希死念慮の存在や,自殺の相当程度の危険というレベルで考える限り,無視してしまってよい事情であったというのは疑問である。     このように検討していくと,担当医らとしては,原告X2から希死念慮について告げられた1月6日の時点において,原告X1に対する問診等を実施すべきであったし,その後も,原告X1の状態を入念に観察し,必要に応じて問診等を行うべきであったと考えざるを得ないし,それにもかかわらず,一度も問診等が行われなかったことには過失があったと考えざるを得ない。被告は,担当医らは,希死念慮の存否について直接問いかけることはしていないものの,折に触れて診察,問診をしていたと主張するが,具体的にどのような質問を行い,それに対してどのような反応があり,それをどのように評価したのかといった点は明らかではなく,その主張をそのまま採用することは困難である。   (3) F医師は,意見書(乙B21・10~11頁)において,問診等の一般的な必要性については理解を示しつつも,本件の場合,原告X1の意思疎通性が低下しており,正確な情報が得られない可能性があり,また,抑うつ状態にある原告X1に対し,あえて「死にたくないですか」などと直截に問うことで,かえって原告X1を傷つけるおそれがあったという事情があるのであるから,問診等を行うことは困難であったという趣旨の意見を述べている。     しかし,原告X1は,カタレプシー状態にあった1月7日はともかく,1月6日,及び1月8日以降は,意思疎通が図れないというような状態にはなかったものと認められるのであるから(F医師自身,1月8日以降は,うつ状態に改善傾向が認められると指摘している。),問診等を行うことができないほど,意思疎通性が低下していたといえるかどうかは疑問である(H医師,G医師も同様の指摘をしている。甲B13,14)。また,希死念慮について問うことが,寝た子を起こすことになるという考え方が否定されていることは既に説示したとおりであるところ,原告X1の場合,問診等を不相当とする特段の事情があったと認めるに足りる証拠もない。     以上の次第で,F医師の上記意見をそのまま採用することはできないから,本件において問診等を不相当とする事情があったと認めることも困難である。  9 争点(7),(8)(因果関係及び損害)について    以上のとおり,原告X1に対し,1月6日,及びその後1月11日までの間,必要に応じて問診等を行うべきであったのに,これを行わなかった点は過失といわざるを得ない。そして,この過失がなければ,原告X1に対し,希死念慮の有無が具体的に確認され,その返答次第では,治療期間中は自殺しないよう約束させるなどの働きかけが行われたり,原告X2ら家族に対しても協力要請等が行われ,更に,原告X1の状況に応じて,原告らが主張する他の措置,すなわちECTの施行,内科的治療,看護師の訪室頻度の増加,私物管理の強化等の対応措置が講じられた可能性があり得たものと考えられる。    もちろん,患者の自殺は,単なる物理的過程の結果ではなく,患者本人の意思に基づく行為なのであるから,原告X1が,担当医らによる問診に対して,正直に心情を吐露したかどうかは定かではないし,自殺しないよう約束させるなどの働きかけや,その他の措置が講じられたとしても,それが功を奏したかどうかも定かではない。更に言えば,そもそも,本件の証拠関係に基づく限り,担当医らが問診等を行った場合,それにより具体的にどのような反応がされたものと考えられ,その反応に対し,どのような措置が講じられ,その措置がどのような効果を上げることができたのかなどといった点について,蓋然性のあるストーリーを組み立てること自体困難といわざるを得ないところがあるのであって,これらの事情を総合考慮すると,担当医らが問診等を行っていれば,原告X1の自殺を防ぐ高度の蓋然性があったと認定することは困難であるといわざるを得ない。    しかし,その反面,冒頭に記載した点を考慮すると,問診等や,それをきっかけとした各種措置等によって,それほど高度なものではないとしても,原告X1の自殺を防止する相当程度の可能性はあり得たということができるから,このような可能性を喪失した点は,担当医らの過失と相当因果関係のある損害であるということができる。そして,現在,原告X1が植物状態に陥るという重大な結果が発生していることを考慮すると,原告X1ばかりではなく,夫である原告X2に対しても,相当程度の可能性喪失を理由とする慰謝料の支払が認められて良い(なお,原告らの主張には,このような意味での損害も含まれていると理解することができる。)。    そこで,慰謝料の額について検討すると,上記のとおり,原告X1には重大な結果が生じており,それに起因する精神的苦痛は多大なものがあると考えられる反面,自殺を防止できた可能性は,それほど高いものであったとは言い難いこと,担当医らは,薬物療法を中心とする治療を行ってきたものであり,そのすべてを肯定することができないことは既に説示したとおりであるものの,担当医らの措置も,相応の医学的根拠があり,重大な職務懈怠があったとまではいえないことなどの事情も認められ,これらの事情を総合考慮すると,原告X1に対して支払われるべき慰謝料の額は300万円,原告X2に対して支払われるべき慰謝料の額は30万円が相当である。    そうすると,原告X1の請求は慰謝料300万円に弁護士費用30万円を加えた330万円,原告X2の請求は慰謝料30万円,及びこれらに対する平成18年1月11日(不法行為の日以後)から支払済みまで,民法所定年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから認容し,これを超える部分は理由がないものとして棄却すべきである。 第4 結論    よって,訴訟費用の負担につき民事訴訟法61条,64条,65条,仮執行の宣言につき同法259条1項を各適用して主文のとおり判断する。



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