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未認可の保育園で睡眠中の幼児が一時無呼吸となり、低酸素性虚血性脳症を発症し後遺障害が残存したが、保育園の責任が否定

 横浜地方裁判所川崎支部 平成26年3月4日判決

事件番号 平成22年(ワ)第863号

 

 

       主   文

 

 一 原告らの請求をいずれも棄却する。

 二 訴訟費用は原告らの負担とする。

 

       事実及び理由

 

第一 請求

 一 被告は、原告Aに対し、一億三五六四万〇八六五円及びこれに対する平成二〇年一一月一〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

 二 被告は、原告Bに対し、二〇〇万円及びこれに対する平成二〇年一一月一〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

 三 被告は、原告Cに対し、二〇〇万円及びこれに対する平成二〇年一一月一〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

 四 仮執行宣言

第二 事案の概要

 原告Aは、原告B及び原告Cが被告との間で締結した保育委託契約に基づいて被告が管理する保育園に預けられており、その睡眠中にうつ伏せ寝の状態となっていたところ、心肺停止となり、低酸素性虚血性脳症という重度の障害が残った。本件は、原告らにおいて、原告Aの双子の妹のD(以下「訴外D」という。)が原告Aの後頭部に覆いかぶさったため、原告Aが窒息により心肺停止となったもので、これは被告が保育上の注意義務又は救護義務を怠ったことによると主張して、原告Aは不法行為に基づいて、原告B及び原告Cは不法行為又は債務不履行に基づいて、被告に対し、損害賠償金及びこれに対する上記事故発生日である平成〇年〇月〇日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。

 一 前提事実 (1) 当事者等

 ア 原告等

  (ア) 原告Aは、平成〇年〇月▲日生まれの男児であり、平成〇年〇月〇日当時、一歳二か月であった。同人には双子の妹の訴外Dがいる。

  (イ) 原告Bは原告Aの父であり、原告Cは原告Aの母である。

 イ 被告等

 被告は、平成〇年〇月〇日当時、被告住所地に所在していた「丙保育園」(以下「本件保育園」という。)を管理していた者である。

 本件保育園は、平成〇年〇月に開設された認可外保育施設であるが、平成〇年〇月以降、園児の募集を停止している。本件保育園では、被告を含む六名の保育士と被告の子である乙(以下「訴外乙」という。)が保育に従事していた(ただし、平成二〇年一一月一〇日午前は被告及び訴外乙を含む三名が、同日午後は被告及び訴外乙の二名がそれぞれ保育を行っていた。)。

 (2) 原告B及び原告Cと被告との間の保育委託契約

 原告B及び原告Cは、平成二〇年八月、被告との間で保育委託契約を締結し、同月五日から訴外Dと共に原告Aを本件保育園に預け始めた。

 (3) 原告Aの心肺停止の発生とその後の経過(以下、日付を付していない時刻はいずれも平成二〇年一一月一〇日のものである。)

 ア 本件保育園は、木造二階建ての住宅であり、別紙見取図一記載のとおり、同建物の一階部分には、南側にフローリング張りの広さ八畳の保育室(以下「南側保育室」という。)、北側にフローリング張りの上にパズルマットが敷き詰められた広さ六畳の保育室(以下「北側保育室」という。)があり、両保育室の仕切りとして四枚引きの木製引き戸が設置されていた。

 イ 午後零時三〇分頃、本件保育園で預かり中の原告Aは、北側保育室において、他の園児ら五名(訴外Dのほか、〇歳児一名、二歳児二名及び四歳児一名)と共に昼寝を始めた(この時点での原告Aの位置は、別紙見取図二の①と記載された場所であり、訴外Dの位置は、同図の②と記載された場所である。なお、同図に記載の引き戸、円卓、被告及び訴外乙の各位置(被告については③、訴外乙については④)については、後記のとおり、当事者間に争いがある。)。

 ウ 午後三時一〇分頃、被告は、うつ伏せになっていた原告Aの上に訴外Dが覆いかぶさっているところを発見し(なお、この覆いかぶさりの部位については、後記のとおり、当事者間に争いがある。)、訴外Dを原告Aの上から元の布団に移動させた。その後、被告は、原告Aがうつ伏せで顔面蒼白となり呼吸をしていない状態であること(以下「本件異常」という。)を発見した。

 エ 午後三時二三分頃、本件保育園で被告と共に保育を行っていた訴外乙が被告の指示を受けて一一九番通報した。訴外乙が通報先と会話をしている途中、被告は、原告Aを、自己の運転する乗用車でa消防出張所(川崎市《番地略》所在)に搬送し、午後三時二五分頃に同出張所救急隊長に預けた。

 オ 午後三時二五分頃、救急隊は、原告Aが心肺停止(CPA)となっていることを確認し、救急車内で心肺蘇生(CPR)を開始した。その時点での原告Aは、顔面蒼白で無表情、唇にチアノーゼがある状態であった。午後三時二六分頃、原告Aの心停止が心電図モニター上で確認された。

 カ 午後三時二七分頃にはb大学病院救命救急センターへ向けて、原告Aの搬送が開始され、午後三時三九分頃には同病院に到着した。原告Aの心拍は午後三時四五分頃には再開した。

 キ その後、原告Aは、平成二一年四月二〇日まで同病院に入院し、後遺障害等級の一級に相当する低酸素性虚血性脳症の障害が残った。

 二 争点

 (1) 原告Aの心肺停止の原因は窒息か(争点一)

 (2) 被告について保育上の注意義務違反があったといえるか(争点二)

 (3) 被告について救護義務違反があったといえるか(争点三)

 (4) 損害額(争点四)

 三 争点についての当事者の主張

 (1) 争点一(原告Aの心肺停止の原因は窒息か)

 【原告らの主張】

 以下の根拠により、原告Aの心肺停止の原因は、訴外Dがうつ伏せ寝の状態であった原告Aの後頭部に覆いかぶさったことで、原告Aの鼻口が寝具に圧迫され、鼻口部の閉塞あるいは狭さくによって酸素が充分摂取できず急性窒息に陥ったことである。

 ア 原告Aには突然の心肺停止につながる疾病はないこと

 出生時から本件異常発生までの原告Aの健康状況に問題はなく、原告Aは正常に発育・発達しており、原告Aには突然の心肺停止につながる疾病はない。すなわち、原告Aは、低出生体重児であったが、特段の治療はされず、医師から先天的な異常を指摘されたこともない。出生直後の先天性代謝異常等スクリーニング検査においても正常値との結果が出ている。本件異常発生時の原告Aの身長・体重は正常の範囲内であり、運動発達機能も正常に発育しており、乳幼児検診において医師から発達について指摘を受けたこともない。原告Aは、出生以降、風邪症状や予防接種のため通院したことがあるだけである。

 イ 本件異常発生当日の原告Aの健康状態に問題がなかったこと

 本件異常発生当日の原告Aの様子は、普段と変わらず元気であり、原告Aには突然の心肺停止につながるような内的要因はない。すなわち、本件異常発生当日、原告Aは、普段同様、しっかりと朝食をとっており、ぐずることもなく、体調不良を示す様子もなく、本件保育園に登園した。登園時、被告から降園を促された事実はなく、原告Aの健康状況に問題があるような様子は一切なかった。登園後、原告Aは、ボールで遊び、機嫌も良く、昼食も普段どおりの量をとるなどしていた。

 ウ 訴外Dが覆いかぶさっていたのは原告Aの後頭部であったこと

 訴外Dが覆いかぶさっていたのは、原告Aの後頭部であった。すなわち、実況見分調書には「後頭部」と記載され、同調書の現場見取図第三にも「被害者甲野Aの頭部に、(黒塗り)が覆い被さっていた位置」と記載され、被告の言い分が記載された通知書でさえ、「甲野A殿の頭の上に」と記載されている。

 この点、被告は、覆いかぶさりの箇所について、本件裁判当初は「胴体」と主張し、陳述書では「背中」と述べるなど、覆いかぶさりという重要な点について徐々に変遷しており到底信用できるものではない。

 エ 原告Aの顔の向きは真下又はほぼ真下であったこと

 被告が訴外Dの覆いかぶさりを発見した際、原告Aはうつ伏せ寝の状態であり、実況見分調書の写真⑩、⑪及び⑫のとおり、原告Aの顔の向きも真下又はほぼ真下であり、鼻口部は下に敷かれたタオルに接している状況であった。

 この点、被告は、「顔は右横」と述べ、鼻口は閉塞しておらず、心肺停止を引き起こす危険性があるような状況ではなかったことを強調するが、この主張を裏付ける客観的資料はない。

 オ 医学的知見から窒息が原因であることが裏付けられたこと

 丁原春夫医師(以下「丁原医師」という。)の意見書では、原告Aは、うつ伏せ寝、訴外Dの覆いかぶさり及び寝具の状況から、これらの原因が複合的に競合して急性窒息から心肺停止に陥った可能性が極めて高いと結論づけられている。また、丁原医師は、当審における尋問において、「急性窒息の可能性が高い」、「可能性が高いというときは、ほとんどそうであろうと推定しているという意味です。」などと供述している。

 さらに、原告Aの現在の主治医であるb大学病院の戊田夏子医師(以下「戊田医師」という。)も、窒息の可能性があるとの回答をし、被告の主張する乳幼児突発性緊急事態(以下「ALTE」という。)については、「今回、覆い被さっている状況が存在し、圧迫があった可能性を考えると該当しないと考えられる」と診断している。

 【被告の主張】

 原告Aの心肺停止の原因は、以下に述べるとおり、訴外Dがうつ伏せ寝の状態であった原告Aの後頭部に覆いかぶさったことによる窒息ではなく、ALTEである。なお、ALTEとは、「それまでの健康状態及び既往歴からその発症が予測できず、しかも児が死亡するのではないかと思わせるような、無呼吸、チアノーゼ、顔面蒼白、筋緊張低下、呼吸頻迫などのエピソードで、その回復に強い刺激や蘇生処置を必要としたもののうちで、原因が不詳のもの」と定義されている。

 ア 医学的所見

 これまで原告Aの治療を行ってきたb大学病院の医師が作成した身体障害者診断書・意見書では、「②原因となった疾病・外傷名」につき「来院時心肺停止」とされ、「交通」、「労災」、「その他の事故」、「戦傷」、「戦災」、「疾病」、「先天性」、「その他」の中から「疾病」が選択されている。

 また、b大学病院では、各種検査を行い、経緯を把握し、症状の経過を観察した上で、「明らかな原因は不明」としている。

 b大学病院の医師は、原告Aが「訴外Dに下敷きになるようにうつ伏せ寝の状態」にあったと認識しながら、臨床所見において「SIDS様症状」の「有」にチェックを入れた。実際は、下敷きというよりも覆いかぶさりであるが、うつ伏せ寝かつ下敷きでも窒息ではないと判断したことを示している。また、同医師の依頼により、質量分析による代謝検査が行われたものの、先天代謝異常を否定できない旨の判定がされた。

 これらは、本件異常の原因が窒息でないことを示す極めて重要な事実である。

 イ 昼寝の状況

 覆いかぶさりの状況は、原告Aの背中の上に、訴外Dの胸が重なるような状態で、この時の原告Aの顔は右横を向いていて、鼻や口はふさがれていなかったものであり、訴外Dによる覆いかぶさりはいつもと変わらないものであって、危険性はなかった。

 うつ伏せ寝が危険なのは、首も座らず、自力で寝返りすることもできない時期(新生児期から乳児期早期まで)のことで、一歳を過ぎた幼児にうつ伏せ寝をさせてはならないということはなく、たとえ仰向けにしていたとしても寝返りにより自らうつ伏せ寝になることもあるため、仰向け寝を推奨すること自体は意味がないとされているところであり、寝返りができる原告Aにとってうつ伏せ寝は危険ではない。

 寝具の状況も、フローリングの上に、スポンジ製のパズルマット、その上にカーペットマット、その上にバスタオルが敷かれていたが、この組合せの厚さは、川崎市からの支給品である幼児用布団の二分の一以下で、弾力も支給品の幼児用布団と比較にならないほどの硬さがあり、口鼻に絡むようなものではないから、寝具に危険性はなかった。

 以上のとおり、覆いかぶさり、うつ伏せ寝及び寝具の各状況は、いずれも危険性を有しておらず、原告Aに窒息が生じるような状況ではなかった。

 ウ 原告Aの心肺停止の原因はALTEであること

 本件異常の原因につき、c大学医学部の甲田秋夫教授は、「窒息ではなく、「ALTE(乳幼児突発性緊急事態)」により生じたものと考えられる」とし、乙野冬夫医師も、「患児をALTEと判断することには妥当性があります」としている。

 (2) 争点二(被告について保育上の注意義務違反があったといえるか)

 【原告らの主張】

 ア 保育士として園児の安全を守るべき立場にある被告は、本件異常発生の当日、自ら引き戸を引いて死角を創出し、これにより原告Aがうつ伏せ寝で訴外Dに覆いかぶさられているという状況にあることを発見できず、原告Aの異常発生を見逃し、その結果、原告Aは急性窒息から心肺停止に至り低酸素脳症という重篤な後遺症を負った。このような被告の行動は、保育士として求められる注意義務に著しく反するものである。

 イ 原告Aは、本件異常発生当時、一歳二か月であったところ、川崎市の認可外保育施設に対する基準では、「乳児(〇歳~二歳児)については五分から一五分おきに顔色や呼吸、嘔吐の有無等睡眠時の状態をきめ細やかに観察し、睡眠時チェック表に記録する。」とされている。被告は、被告の位置から原告Aが死角となるような状況を作出しており、それ自体、睡眠時の状態をきめ細かく観察する義務に反しているが、この死角の存在により、原告Aがいつからうつ伏せ寝になったのか、訴外Dがいつから原告Aに覆いかぶさっていたのかを発見、観察できていない以上、睡眠時の観察義務を怠ったことは明らかである。被告が睡眠時の観察義務を履行していれば、心肺停止の原因が窒息であれ窒息以外であれ、このような危機的状況に陥る前の段階で顔色の異常等に気付き、原告Aを救うことは十分に可能であった。

 ウ 川崎市では、うつ伏せ寝で昼寝中の園児の後頭部に他児が覆いかぶさった場合、保育士は、すぐに覆いかぶさった子どもを自分の布団に戻すという対応をとる義務があるとされている。被告は、死角の存在により、訴外Dが原告Aに覆いかぶさる経緯を目撃しておらず、覆いかぶさり発生の直後に訴外Dを自分の布団に戻すという保育士がとるべき対応をとっていないことは明らかである。

 エ 川崎市では、保育園に対して、うつ伏せ寝を避けるよう指導しており、うつ伏せ寝を発見した場合には、仰向けにする必要があるとされている。被告は、うつ伏せ寝の原告Aを発見した後も、仰向けに戻しておらず、うつ伏せ寝を回避する義務、うつ伏せ寝を発見した場合に仰向けにする義務に反していたことは明らかである。

 【被告の主張】

 ア 児童福祉法によれば、保育所は、「乳児又は幼児を保育することを目的とする施設」とされており(同法三九条一項)、乳児とは「満一歳に満たない者」(同法四条一項一号)であるから、〇歳から二歳までを乳児とすることは同法の規定と異なる。成長段階に応じた保育が行われるべきであり、例えば、寝返りができる園児は、仰向けにしたとしても寝返りにより自らうつ伏せ寝になることもあるため、仰向け寝を推奨することは意味がない。

 イ 被告は、本件異常発生当時、原告Aの様子を十分に確認していた。すなわち、被告は、午後三時頃、南側保育室と北側保育室との間にある引き戸を移動させたが、その頃原告Aが仰向けに寝ていることを確認し、その後、被告は、報告書に記載のとおり、園児の様子が見て、壁に寄りかかり対面の時計が見える位置に座り、円卓を挟んで訴外乙が座っていた。そして、被告は南側保育室から、訴外乙は南側保育室から又は事務室との往復の都度、北側保育室の様子を確認している上、原告Aの鈍い声がした午後三時一〇分以降、原告Aの隣において、原告Aの様子を確認していた。要するに、原告らの主張する「五分から一五分おき」に観察を十分に行っている。

 ウ 原告らは、被告が、被告の位置から原告Aが死角となるような状況を作出した旨主張しており、当該主張は、実況見分調書及び事故記録簿に基づく。

 しかし、実況見分調書は、被疑者不詳の段階で作成されたものであり、被告は被疑者として立ち会ったわけではないから、その再現の正確性は不十分である。被告が、南側保育室と北側保育室との間の引き戸を移動させたのは、南側保育室に近い場所で寝ていた自閉症の園児が目を覚ましたため、南側保育室の光と音が北側保育室に入ることを遮るためであり、実況見分調書の写真の状態では、自閉症の子に対する光及び音を遮ることができない。実況見分の際、引き戸を移動させた状況及び円卓に座った位置の状況について、被告や訴外乙は、違和感を覚え、引き戸を動かそうとしたり、警察官に対して、写真を見せてほしい旨告げたりしたが、警察官は、大体でいい、雰囲気が分かればいいなどの対応で、写真も見せてくれなかった。また、実況見分時には、本件異常発生時にはなかった遊具等が壁側に存在したため、位置関係がずれていたし、被告も、実況見分時は本件異常発生当日で気が動転していた。そのため、実況見分調書の引き戸及び円卓の位置関係は正確でない。また、事故記録簿は、被告の向かいに座った訴外乙の位置からも常に見えるように引き戸を全開にしておけばよかったと思って「死界(原文ママ)(「角」の誤記と認める。)となってしまった」と記載したものであり、死角の存在を認めたものではない。

 このように、被告が、引き戸を引いた午後三時頃以降も、被告の位置から原告Aの様子が見えており、死角の作出はされていない。

 エ 乳児について五分から一五分置きに観察するとの原告らの主張を前提とすると、原告Aがいつからうつ伏せ寝になっていたのか、訴外Dがいつから原告Aに覆いかぶさっていたのかを発見・観察できなくとも、原告らの主張する睡眠時の観察義務を怠ったことにならない。被告は、訴外Dが原告Aに覆いかぶさっていることを発見し、訴外Dを原告Aの右隣の位置に移動させたが、この時、原告Aは普段どおり寝ていたことを確認しており、観察を怠っていない。呼吸停止からの時間と救命可能性を示すドリンカー曲線によれば、生存の可能性は呼吸停止から三分で七五%、四分で五〇%、五分で二五%、八分頃には〇%とされている。原告Aが蘇生しているということは、被告において、本件異常後直ちにそれに気付いていることを示している。

 オ 被告には原告Aのうつ伏せ寝を避ける義務やうつ伏せ寝を発見した場合であっても仰向けに房す法的義務はない。すなわち、寝返りができる園児は、仰向けにしたとしても、寝返りにより自らうつぶせ寝になることもあるので、仰向け寝を推奨しても意味がない。認可外保育施設指導監督基準では、寝かせる場合に仰向けに寝かせるのは乳児であって幼児は除かれている上、医学上の理由から医師がうつ伏せ寝を勧める場合もあるとされている。このように原告Aがうつ伏せ寝をすること自体は危険ではない。睡眠中の園児を動かすことは睡眠の妨げになるところ、川崎市においても、睡眠の妨げにならないよう仰向けにするとされているだけであり、どのような場合であっても園児を仰向けにしなければならないというわけではない。

 カ 被告は、原告Aのウオー(ウオッ)という鈍い声を聞き、北側保育室を見ると、原告Aがうつ伏せで寝ていて訴外Dが覆いかぶさっていたので、訴外Dを原告Aの右隣の位置に移動させている。原告Aの声が「ものをどけてとか、どいて、というようなとき」という意味であることからすれば、訴外Dが覆いかぶさってから、原告Aの声がするまでの間、時間が経過しているとは考えがたい。

 (3) 争点三(被告について救護義務違反があったといえるか)

 【原告らの主張】

 ア 業として乳幼児の生命や安全を守る立場にある被告には、緊急事態の際にどのような対応をとるべきかを事前に講じ、実際に緊急事態が発生した場合には冷静に的確な対応をとるべき注意義務がある。

 具体的には、乳幼児の異常事態を発見した場合には、呼吸や脈拍の有無を確認したり、気道を確保して人工呼吸をしたり、心臓マッサージを行う必要がある。これらの心肺蘇生行為を救急車が来るまで継続することが重要である。

 イ 訴外乙が一一九番通報をした午後三時二三分頃から被告がa消防出張所に到着した午後三時二五分頃までは約二分間であり、本件保育園から同出張所までは一分半から二分程度の距離であることからすれば、被告は、一一九番通報指示後すぐに本件保育園を離れ、同出張所に向かったのであり、本件保育園内で原告Aに対して何らかの処置をとるような時間はなかった。被告は、原告Aの異常発見後、車を運転しながら原告Aに人工呼吸を行ったと主張するが、このような行為が客観的に不可能であることはいうまでもなく、仮にそのような動作をしていたとしても、それは原告Aの蘇生にとって効果を有するものではない。被告は、原告Aの脈や心臓の動きを確認しておらず、原告Aに対して心臓マッサージもしていない。

 以上のとおり、被告は、原告Aの異常発見後に適切な蘇生行為は何ら行っておらず、訴外乙に一一九番通報を指示しながら、通報先の指示を聞くこともなく、慌てて原告Aを車に乗せただけである。被告の行為は、異常発見前からの心肺停止の状態をいたずらに引き延ばすものであり、重篤な後遺症を発生させるものでしかない。よって、被告には救護義務違反がある。

 【被告の主張】

 ア 被告は、本件異常直後、直ちに心肺蘇生法及び一一九番通報の指示を行い、訴外乙が一一九番通報をしている上、被告が、車を利用すればせいぜい一分半から二分程度という近くのa消防出張所に人工呼吸をしながら、自動車で向かい、その結果、別の救急隊が本件保育園に到着した午後三時三一分よりも早い午後三時二五分に同出張所に到着したことで、救急隊による早期の搬送ができたのであり、適切な処置であったというべきであり、救護義務違反はない。

 イ 被告は、保育士であり、心肺蘇生の講習も度々受講している専門家であるが、原告Aの心肺停止の原因が分からないため、少しでも早く医療専門家に委ねたいと判断したことは十分に尊重されるべきである。

 (4) 争点四(損害額)

 【原告らの主張】

 ア 原告Aの損害 合計 一億三五六四万〇八六五円

  (ア) 入院中の付添看護費 一一二万七〇〇〇円

 原告Aの一六一日間の入院期間中、原告B及び原告Cによる毎日の付添看護に相当する費用を一日当たり七〇〇〇円として計算した。

  (イ) 入院雑費 二四万一五〇〇円

 原告Aの一六一日間の入院期間中の入院雑費を一日当たり一五〇〇円として計算した。

  (ウ) 将来の付添看護費 五六八九万六二〇〇円

 原告Aは後遺障害等級一級相当の後遺障害を負い、今後、生涯にわたり、第三者による付添介護が必要となる。この介護費用を一日八〇〇〇円(年額二九二万円)として、原告Aの平均余命七五年間に対応するライプニッツ係数一九・四八五〇により計算した。

  (エ) 将来の介護に要する費用 三七四万七三〇〇円

  a 原告Aの介護に当たっては、心拍と血中酸素飽和度を計測するモニターが欠かせない。このモニターのレンタル料として毎月一万五〇〇〇円(年額一八万円)を要するところ、原告Aの平均余命七五年間に対応するライプニッツ係数一九・四八五〇により計算すると、合計三五〇万七三〇〇円となる。

  b 原告Aの座位保持椅子を身体の成長に合わせて三年に一回の頻度で原告Aが成人するころまでに六回買い換える必要がある。一回当たりの自己負担額が四万円であるため、合計二四万円となる。

  (オ) 後遺障害による逸失利益 四三六二万八八六五円

 原告Aは後遺障害等級一級相当の後遺障害を負ったため、労働能力喪失率は一〇〇%である。男子労働者の平均賃金五五〇万三九〇〇円を基礎収入とし、原告Aの就労可能年数である一八歳から六七歳までの四九年間に対応するライプニッツ係数七・九二六九により計算した。

  (カ) 慰謝料 三〇〇〇万円

 イ 原告B及び原告Cの損害(慰謝料) 各二〇〇万円

 【被告の主張】

 争う。

第三 当裁判所の判断

 一 争点一(原告Aの心肺停止の原因は窒息か)について

 (1) 認定事実

 《証拠略》によれば、以下の事実が認められる。

 ア 原告Aの出生及び発育の状況

 原告Aは、平成一九年八月一五日、双胎の第一児として、身長四七センチメートル、体重二三六八グラムの低出生体重児として出生したが、新生児検診では異常は認められず、医師から先天的な問題があるとの指摘もなかった上、出生直後に採血された血液による先天性代謝異常等スクリーニング検査においても正常値との結果であった。

 原告Aは、本件異常発生当時、一歳二か月で、身長七六センチメートル、体重九・五キログラムで、いずれも正常な発育曲線の範囲内にあった。原告Aは、自由に寝返りをすることができるなど、その運動発達機能も正常に発育しており、乳幼児検診において発達に関する問題の指摘を受けたことはなかった。

 イ 原告Aの本件異常発生当日の健康状況

 原告Aは、本件異常発生当日、午前六時四五分頃に起床し、しっかりと朝食を食べ、午前九時頃、本件保育園に登園した。登園後の原告Aの体調について、体温は三七・二度で、少量の鼻水があり、下着が水っぽい便で汚れていたため、被告がこれを取り替えた。また、原告Aは、午前中はボールで遊び、機嫌も良く、午前一一時四五分頃には昼食を普段どおり食べた。

 ウ 原告Aの昼寝の状況

 原告Aを含む園児六名は、午後〇時三〇分頃から、北側保育室において、フローリングの床上に、下からスポンジ製のパズルマット、おねしょ対策用の四つ折りにしたカーペットマット、バスタオル一枚の順に重ねて敷かれた寝具の上で、バスタオル一枚を体に掛けて仰向けの状態で昼寝を始めた。この組み合わせの寝具の厚さは、川崎市からの支給品である幼児用布団の二分の一以下で、その弾力も同支給品の幼児用布団よりもかなり硬いもので鼻や口に絡むようなものではなかった。

 昼寝を始めた時点での原告Aの位置は、別紙見取図二の①と記載された場所であり、訴外Dの位置は、同図の②と記載された場所である。園児らが昼寝をしている間、被告と訴外乙は、南側保育室において、円卓を置き、円卓を挟んで向かい合う形で座って、書類の整理等をしていた。

 原告Aは、午後二時四〇分頃、北側保育室において、はいはいをして、隣で寝ていた訴外Dの側に座って同人を手でたたくなどしたが、午後二時五〇分頃、再び寝た。被告は、午後三時頃まで、園児を寝かせるため、北側保育室にいたが、原告Aは、その頃、仰向けで寝ていた。被告は、その頃、別紙見取図二の⑤と記載された場所で寝ていた自閉症の園児が目を覚ましたことから、南側保育室の光と音が北側保育室に入ることを遮るため、南側保育室と北側保育室との間にある引き戸を移動させた後、南側保育室の元の位置に再び座った。

 被告は、午後三時一〇分頃、原告Aの「ウオッ」又は「ウオー」という鈍く低い声を聞き、うつ伏せで顔を右横に向けた状態で寝ていた原告Aの頭部に、訴外Dの胸が重なるような状態となっていることを発見し、訴外Dを元の位置に移動させた。

 その後、被告は、訴外Dと原告Aの間に座り、訴外Dを寝かしつけようとしたところ、原告Aの左隣の園児が起きて泣き出してしまい、同園児も寝かしつけようとしたが、同園児と訴外Dが眠らなかったため、昼寝の時間を終わらせ、園児らを起こすこととし、声を掛けながら、北側保育室の東側にある半開きのシャッターを上げるなどした。被告が最後に原告Aを起こそうとした際、原告Aがぐったりしていたため、被告は、直ちに、原告Aの口の中に異物がないことを確認するとともに、原告Aの呼吸を確認したところ呼吸をしていなかった。

 エ 本件異常発生後の原告Aについての医学的所見

 被告から原告Aを引き渡された救急隊員は、原告Aの唇にチアノーゼがあり、明らかな外傷がないことを確認した。

 原告Aの搬送先であるb大学病院の丙山一夫医師(以下「丙山医師」という。)は、本件異常発生当日である平成二〇年一一月一〇日に、血液検査、尿検査、レントゲン検査、頭部・胸部・腹部の各CT検査、腹部超音波検査を実施したが、心肺停止の明らかな原因は不明であった。

 同病院の丁川二夫医師は、同月一二日、原告Aの臨床所見として「SIDS様症状」を認めた上で、d大学医学部小児科に質量分析による有機酸・脂肪酸代謝異常検査を依頼したところ、同月一三日頃、乳酸、ピルビン酸の著明な排泄増加により先天性高乳酸血症も否定できないとして、先天性代謝異常を否定できない旨判定された。もっとも、平成二二年七月二二日の財団法人神奈川県予防医学協会による有機酸・脂肪酸代謝異常症に係る検査では正常値であるとの結果が出た。

 丙山医師は、原告Aについて、平成二一年二月一九日付けで身体障害者診断書・意見書(肢体不自由用)を作成したが、同文書には、障害名として「低酸素性虚血性脳症」と記載した上、その原因として、「来院時心肺停止」と記載し、不動文字で記載されていた「交通」、「労災」、「その他の事故」、「戦傷」、「戦災」、「疾病」、「先天性」、「その他」について、特段支障がないものを選択する趣旨で「疾病」に丸を付した。

 原告Aの現在の主治医であるb大学病院の戊田医師は、平成二五年一月一六日付けで、「今回の心停止の原因は不明である。」とした上で、「SIDSは基本一才未満の児に主として起こることであり、今回、覆い被さっている状況が存在し、圧迫があった可能性を考えると該当しないと考えられる。ALTEに関しても同様である。」と診断している。また、同医師は、同年一〇月九日付けで、原告訴訟代理人からの質問書に対し、前任の丙山医師と話し合った上で、明らかな証拠がなければ確定診断がしにくいとしつつ、本件異常発生後に一般的な心肺停止の原因検索をしたが、原因は不明であり、本件異常発生当時の状況からは窒息の可能性はあるものの、原告Aは死亡していないため解剖検査をしておらず、来院時の状態からは窒息の確定診断はできないと回答している。

 なお、ALTEとは、「それまでの健康状態及び既往歴からその発症が予測できず、しかも児が死亡するのではないかと思わせるような、無呼吸、チアノーゼ、顔面蒼白、筋緊張低下、呼吸窮迫などのエピソードで、その回復に強い刺激や蘇生処置を必要としたもののうちで、原因が不詳のもの」と定義される疾患であるとされているが、ALTEは、原因が不明であるため、単に事態を表す概念にすぎず、疾患名ではないとの考え方もあり、その医学的評価は定まっていない。

 (2) 前記認定事実についての補足説明

 前記(1)で認定した事実と異なる各当事者の主張は、以下のとおり採用することができない。

 ア 被告が聞いた「ウオッ」又は「ウオー」という声について

 原告らは、本件異常発生当日に被告が聞いた「ウオッ」又は「ウオー」という声は、原告Aのものか訴外Dのものかは不明である旨主張する。

 この点、被告は、本件異常発生当日は、どちらの声であるかを判別できなかったものの、後日に訴外Dの声を聞いて、本件異常発生当日に聞いた声は原告Aのものであったことに間違いない旨供述する。

 確かに、被告は、本件異常発生当日は原告Aか訴外Dかどちらの声か判別できていないが、鈍く低い声を出すのは覆いかぶさった訴外Dではなく、覆いかぶさられた原告Aと考える方が自然であることや、双子であってもいわゆる二卵性双生児の場合には声質に違いがあることがあり、その場合には聞き分けることは可能であると考えられることからすれば、被告の供述どおり、本件異常発生当日に被告が聞いた「ウオッ」又は「ウオー」という声は、原告Aのものと認めるのが相当である。

 イ 訴外Dが覆いかぶさっていた原告Aの部位について

 訴外Dが覆いかぶさっていた原告Aの部位について、原告らは、原告Aの後頭部である旨主張し、他方、被告は、原告Aの背中である旨主張する。

 この点について、被告は、原告Aの背中の上に訴外Dの胸が覆いかぶさるような状態であった旨供述する。

 しかし、本件異常発生当日に実施された実況見分の際、被告自身が、原告Aに見立てた人形(縫いぐるみ)をうつ伏せの姿勢で寝かせた上、その頭部あるいは頸部付近に、訴外Dに見立てた人形(縫いぐるみ)を覆いかぶせるように置いており、これを見分した警察官が、訴外Dが覆いかぶさっていた原告Aの部位として「後頭部」である旨記載したこと、被告訴訟代理人が平成二二年四月二日付けで原告B及び原告Cに送付した通知書には、原告Aの頭の上に訴外Dの胸が重なるような状態であった旨記載があることからすれば、被告の上記供述は信用することができない。

 もっとも、実況見分調書における「後頭部」との記載は、実況見分をした警察官の認識にすぎず、被告が自ら説明したものではないことや、被告訴訟代理人による前記通知書の記載も踏まえれば、訴外Dが覆いかぶさっていた原告Aの部位は「頭部」との限度で認めるのが相当である。

 ウ 訴外Dが覆いかぶさっていた時の原告Aの顔の向きについて

 原告らは、訴外Dが覆いかぶさっていた時の原告Aの顔の向きについて、真下又はほぼ真下であった旨主張する。

 この点について、被告は、原告Aの顔は右横を向いていた旨供述するところ、被告が本件異常発生後二日以内に作成した事故記録簿には、原告Aが横を向いて眠っていた旨の記載があること、被告訴訟代理人による前記通知書には、原告Aがうつ伏せで顔を右に向けていた旨記載があることからすれば、被告の供述は、上記の限度では当初より一貫していたといえる。

 なお、本件異常発生当日に行われた実況見分において、被告は、原告Aに見立てた縫いぐるみをうつ伏せの状態に置いており、縫いぐるみの顔の向きは右横又はほぼ真下のいずれにも見る余地がある。しかし、この縫いぐるみは、頭と体が縫い付けられた一般的なもので、顔の向きを変えることができないものであることからすれば、縫いぐるみがほぼ真下を向いているとしても、このことから、直ちに被告としても原告Aの顔が真下又はほぼ真下を向いていたとの認識であったとは認められない。

 これらを踏まえると、訴外Dが覆いかぶさっていた時の原告Aの顔の向きは、被告の供述どおり、右横を向いていたと認められる。

 (3) 原告Aの心肺停止の原因について

 そこで、前記(1)で認定した事実を前提に原告Aの心肺停止の原因が窒息であるかを以下検討する。

 ア 原告Aの昼寝の状況(前記(1)ウ)について

 原告らは、訴外Dがうつ伏せ寝の状態であった原告Aの後頭部に覆いかぶさったことにより、原告Aの鼻口が寝具に圧迫され、鼻口部の閉塞あるいは狭さくによって酸素が十分に摂取できず急性窒息に陥ったものである旨主張する。

 確かに、前記認定事実のとおり、訴外Dがうつ伏せ寝の状態であった原告Aの頭部に覆いかぶさったことは認められるものの、① この時の原告Aの顔は右横を向いており、呼吸を継続することが可能であったと認められること、② 寝具の厚さや弾力も川崎市の支給品である幼児用布団と比較して窒息の危険性が小さいものであったこと、③ 寝返りが自由にできる原告Aにとって、うつ伏せ寝自体は窒息の危険性を有するものではなく、訴外Dが原告Aの胸腹部に覆いかぶさっていたなどの事情も認められないことなどの事情に照らすと、原告Aの鼻口部が閉塞あるいは狭さくしたことを認めるには足りないというべきである。

 イ 本件異常後の原告Aの医学的所見(前記(1)エ)について

 また、原告Aが搬送されたb大学病院では各種検査を行い、経緯を把握し、症状の経過を観察した上で、原告Aの心肺停止の原因は不明であると一貫して結論付けており、本件異常後の原告Aの医学的所見に照らしても、原告Aの心肺停止の原因が窒息であると認めることは困難である。

 なお、戊田医師は、原告Aの心肺停止について、その原因は不明であるとしながら、ALTEについて、訴外Dが覆いかぶさっている状況が存在し、圧迫があった可能性を考えると該当しないと考えられる旨診断している。同診断の趣旨は、原因が不明であるとはいえ、窒息の可能性があるため、その評価が定まっていないALTEと鑑別することは慎重であるべきであるとの意見を示したものと認められるから、前記診断は、それのみで窒息と認めるに足りる根拠となるものではないというべきである。

 ウ 原告Aの出生及び発育状況並びに本件異常発生当日の健康状況(前記(1)ア及びイ)について

 原告Aの出生及び発育状況(前記(1)ア)からすれば、原告Aは、出生後から本件異常発生までの間に特段の疾病は認められず、正常に発育、発達してきたと認められ、また、本件異常発生当日の健康状況(前記(1)イ)も、やや体調を崩していたことはうかがわれるものの、心肺停止の原因となり得るものとは認め難いことから、原告Aには心肺停止の原因となり得る明らかな疾病は認められない。

 他方で、医学的にその評価は定まっていないものの、ALTEなる現象が存在することも確かである。

 そうすると、窒息が生じる可能性があり、かつ、心肺停止の原因となり得る明らかな疾病が認められないとしても、そのことから、直ちに心肺停止の原因が窒息であると推認することは相当ではない。

 エ 丁原医師の意見について

 ところで、丁原医師は、原告Aの心肺停止の原因について、急性窒息の可能性が高い、又は、ほとんどそうであろうと推定できる旨供述し、その根拠として、① 原告Aの顔面が真下又はほぼ真下を向いた状態でその後頭部に原告Aと同体格の訴外Dにうつ伏せで覆いかぶさられた状態では、原告Aの頭部・顔面の重さに加えて訴外Dの体重の一部で鼻口部が寝具に圧迫され、鼻口部の閉塞あるいは狭さくによって酸素が十分摂取できなかった可能性が高いこと、② 寝具の状況について、寝具の柔らかさについては不明であるが、うつ伏せ寝で要求されるアイロン台の硬さでしわのないようにシーツをピンと敷いた状態ではなく、敷かれていたバスタオルがしわになったり身体に絡まって、鼻口部を圧迫閉塞したり、窒息回避運動を妨害した可能性は十分に考えられること、③ 原告Aには心肺停止に陥る原因となり得る疾病や損傷は臨床的に認められていないことなどを指摘する。

 しかし、① 丁原医師も、他方では、顔の向き等条件が異なれば結論も変わってくるし、例えば、原告Aについて完全に鼻と口が開いており、訴外Dが胸に乗っていないという状態であれば、窒息の可能性は少ない旨供述している。そして、前記アで説示したとおり、原告Aの顔は、真下あるいはほぼ真下ではなく、右横を向いていたと認められること、訴外Dは原告Aの頭部に覆いかぶさっていただけであることからすると、窒息の可能性は少ないと認められる。② 原告Aの寝具の状況も、前記アで説示したとおり、川崎市の支給品である幼児用布団と比較して窒息の危険性が小さいものである上、敷かれていたバスタオルがしわになったり身体に絡まったりしていたことを認めるに足りる証拠はない。③ 前示ウで説示したとおり、原告Aには心肺停止の原因となり得る明らかな疾病等は認められないものの、これをもって窒息以外の原因が排除されるものではない。これらの点を踏まえると、丁原医師の前記意見は、その前提が異なるものであるか、あるいは窒息の可能性があることを指摘するにとどまるものにすぎない。これをもって、原告Aの心肺停止の原因が窒息であると認めることは困難である。

 オ 小括

 以上によれば、原告Aの心肺停止の原因は不明であり、窒息であると認めることはできない。

 二 争点二(被告について保育上の注意義務違反があったといえるか)について

 (1) 原告らは、主として、原告Aの心肺停止の原因が窒息であることを前提に、被告には保育上の注意義務違反がある旨主張する。しかしながら、前記一(3)のとおり、原告Aの心肺停止の原因は不明である以上、被告が、原告Aの心肺停止及びそれによる低酸素性虚血性脳症を避けるべく、いかなる保育上の注意義務を果たすべきであったかという点も特定を欠いていることになるというほかなく、同義務違反を構成する前提を欠く。

 もっとも、原告らは、原告Aの心肺停止の原因が窒息以外であったとしても、被告には保育上の注意義務違反があるとも主張するので、以下、念のため検討することとする。

 (2) 原告らの主張について

 ア 死角の創出による異常発生の見逃し

  (ア) 原告らは、被告が、自ら引き戸を引いて死角を創出し、これにより原告Aがうつ伏せ寝で訴外Dに覆いかぶさられているという状況にあることを発見できず、原告Aの異常発生を見逃したという保育上の注意義務違反がある旨主張する。

  (イ) 《証拠略》によれば、被告は、北側保育室と南側保育室との間の引き戸の一枚を開口部のほぼ中央まで移動させたこと、被告は、南側保育室のほぼ中央付近に円卓を出し、被告はその東側に、訴外乙はその西側に座ったこと、被告の座った位置から見て、原告Aと訴外Dの頭部の位置は、移動させた引き戸を隔てた反対側にあり、訴外乙の座った位置から見て訴外Dの頭部は見えるが、原告Aの頭部は引き戸の陰に隠れることが認められる。この事実及び前掲証拠からすると、被告が北側保育室と南側保育室との間の引き戸を移動させた午後三時頃から訴外Dが原告Aの上に覆いかぶさっていることを被告が発見した午後三時一〇分頃までの約一〇分間、被告及び訴外乙から見て原告Aの位置が死角となっていた可能性が高い。

 この点について、被告は、実況見分調書について、その再現は正確でなく、それについては合理的な理由があるなどと主張し、事故記録簿について、被告の向かいに座った訴外乙の位置からも常に見えるように引き戸を全開にしておけばよかったと思って「死界(原文ママ)(「角」の誤記と認める。)となってしまった」と記載したものであり、死角の存在を認めたものではないと主張する。しかし、この実況見分は、本件異常発生時の状況を再現するために行われたものであり、訴外乙が自ら引き戸を開口部のほぼ中央に移動させ、被告が自ら円卓を出して南側保育室のほぼ中央付近に置いた上、被告及び訴外乙が自ら円卓の傍らに座ったのであり、円卓を置く位置や被告及び訴外乙が座る位置はおおむね決まっていたというのであるから、本件異常発生時の状況についての被告及び訴外乙の認識どおり再現されたというほかなく、その他再現の正確性に疑義があることを認めるに足りる証拠はない。また、事故記録簿についても、被告及び訴外乙から見て原告Aの位置が死角となっていたことを記載したとみるのが自然であり、被告が主張する趣旨を読み取ることは困難である上、被告の主張を裏付ける適切な証拠は他にない。被告の主張は採用することができない。

 ただし、実況見分において再現された被告及び訴外乙の位置や引き戸の位置が実際の位置と少しでもずれていた場合、原告Aの位置は被告又は訴外乙の視界に入ることから、被告又は訴外乙の位置から見て、原告Aの位置が完全に死角になっていたとまでは断定できない。

 もっとも、上記のような状況の下で、被告及び訴外乙は、訴外Dが原告Aの上に覆いかぶさる過程を全く目撃しておらず、原告Aの声を聞いたことでその覆いかぶさりを発見したことからすれば、午後三時頃から午後三時一〇分頃までの約一〇分間は、少なくとも原告Aの様子が被告及び訴外乙の視界に入っていなかったことは明らかである。

  (ウ) しかし、認可外保育施設指導監督基準では、睡眠中の児童の顔色や呼吸の状態をきめ細かく観察することとされているものの、観察の時間間隔は明記されていない。他方、川崎市では、〇歳ないし二歳児については五分ないし一五分置きに顔色や呼吸等睡眠時の状態をきめ細かく観察するよう指導されている。要するに、本件保育園側が、園児の睡眠時の状態について、きめ細かく観察しなければならない義務は存するとしても、状況に応じ間断的な観察で足りるのであって、一瞬たりとも目を離さないような常時監視を義務付けることはできないというべきである。

 原告Aが再び寝付いた午後二時五〇分頃から午後三時頃までの間及び午後三時一〇分頃から原告Aの異常を発見した午後三時二三分頃までの間は、いずれも被告が北側保育室の原告Aの付近でその様子を確認しており、原告Aの様子が被告及び訴外乙の視界に入っていなかったのは、約一〇分間であるから、上記監督基準や川崎市の指導に反するものとはいえない。また、呼吸停止からの時間と生存の可能性を示すドリンカー曲線によれば、呼吸停止からの時間が三分のときの救命確率は七五%、四分のときは五〇%、五分のときは二五%、八分頃には〇%となるとされているところ、呼吸停止に至った原告Aが結果的に蘇生していることからすれば、被告は、原告Aが心肺停止に至った後速やかにこれを発見していると推認することができる。

  (エ) 以上によれば、被告が、死角を創出し、訴外Dが原告Aの上に覆いかぶさるところを全く目撃していないとしても、保育上の注意義務を怠ったとは認められない。

 イ 訴外Dの覆いかぶさりの放置

 原告らは、被告が、死角の存在により、訴外Dが原告Aに覆いかぶさる経緯を目撃しておらず、覆いかぶさり発生の直後に訴外Dを自分の布団に戻すという保育士がとるべき対応をとっていないことから保育上の注意義務違反がある旨主張する。

 しかし、被告は、原告Aの「ウオッ」又は「ウオー」という鈍く低い声を聞き、訴外Dが原告Aの上に覆いかぶさっていることを発見すると速やかに訴外Dを原告Aの上から元の布団に移動させている。前記一(2)で認定のとおり、原告Aの鈍く低い声は訴外Dが覆いかぶさったために発した声であると考えられ、訴外Dの覆いかぶさりに近接していると認められることからすれば、原告らが主張する保育上の注意義務を被告が怠ったとはいえない。

 ウ 原告Aのうつ伏せ寝の放置

 原告らは、被告が、うつ伏せ寝の原告Aを発見した後も、仰向けに戻しておらず、うつ伏せ寝を回避する義務、うつ伏せ寝を発見した場合に仰向けにする義務に反していた旨主張する。

 しかし、前記一(1)で認定したとおり、原告Aは寝返りを自由にすることができるのであるから、うつ伏せ寝になること自体を回避する義務があるとは認められない。また、仰向け寝が乳幼児突然死症候群等の予防に有効であり、推奨されるとしても、乳幼児突然死症候群は主として一歳未満に見られるものであるところ、原告Aは本件異常発生時において一歳二か月であった上、うつ伏せ寝自体も、長時間その状態で放置するのでなければ、直ちに生命に危険をもたらすものとはいえない。そうだとすれば、原告Aのうつ伏せ寝を発見した場合に直ちに仰向けにする義務があるとも認められない。それゆえ、原告らが主張する保育上の注意義務を被告が怠ったとはいえない。

 (3) 小括

 以上をまとめると、原告らが主張するような保育上の注意義務を被告が怠ったということはできない。

 三 争点三(被告について救護義務違反があったといえるか)について

 (1) 前記前提事実及び《証拠略》によれば、① 被告は、本件異常の発生直後の午後三時二三分頃、本件保育園で被告と共に保育を行っていた訴外乙に対し、一一九番通報を指示するとともに、原告Aに対し、気道確保、人工呼吸、心臓マッサージ等を組み合わせた心肺蘇生法(CPR)を実施したこと、② 被告は、訴外乙が通報先と会話をしている途中、その会話に時間を要していると感じ、原告Aを少しでも早く専門家の手に委ねたいと考え、原告Aを自己の運転する乗用車で一、二分程度の距離にあるa消防出張所に搬送することとしたこと、③ 被告は、原告Aを同出張所へ搬送する間に、乗用車を運転しながら原告Aに人工呼吸を施し、この途中で原告Aの口からゴボッという音を聞いたこと、④ 被告は、午後三時二五分頃、同出張所から出動しようとしていた救急隊長に引き渡したこと、⑤ 同出張所と連携で出動していたe救急隊が本件保育園に到着したのが午後三時三一分頃であったことがそれぞれ認められる。

 (2) これらの事実について、原告らは、被告には、本件異常発見後、原告Aの呼吸や脈拍の有無を確認したり、気道を確保して人工呼吸をしたり、心臓マッサージを行い、これらを救急車が来るまで継続すべき義務があったにもかかわらず、被告は、適切な蘇生行為を何ら行っておらず、他方、被告がした行為は、異常発見前からの心肺停止の状態をいたずらに引き延ばすもので、重篤な後遺症を発生させるものでしかなく、被告には救護義務違反が存する旨主張する。

 確かに、保育士として一定の救命処置に関する知識を有する被告としては、本件異常発見から一一九番通報により救急隊員らが到着するまでの間、原告Aに対し、心肺蘇生法といった適切な救命処置を継続的に施すことが医学的には最善であった可能性を否定できるものではない。

 しかしながら、被告が、原告Aの原因不詳の心肺停止という突発的緊急事態に際し、より早く専門家の手に委ねたいとの考えのもと、訴外乙に一一九番通報をさせた上で、自動車で一、二分程度の距離にある消防出張所に原告Aを搬送するとの選択をしたこと自体は、一定の合理性を有すること、被告による自動車を運転しながらの人工呼吸も、原告Aの口から音がするなど、一定の効果があった可能性があること、被告は、本件異常発見後数分間というごく短時間のうちに、原告Aを救急隊に引き渡すことに成功しており、その後に原告Aの心拍が再開したことを踏まえると、被告の前記行動をもって救護義務を怠ったとまで断ずることはできない。

第四 結論

 以上の次第で、原告らの請求は、その余の点を判断するまでもなく、いずれも理由がないから棄却することとし、主文のとおり判決する。



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