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手術中のラボナール液の過剰投与により自閉スペクトラム症や知的能力障害等を発症したと主張した事案。過剰投与と症状との間の因果関係は認められないが,適切な治療が行われて本件過剰投与がなければ知的障害がなかった相当程度の可能性が認められるとして精神的苦痛に対する慰謝料を原告は請求できるとして一部認容した事例

 

横浜地裁 平成29年11月29日判決

事件番号 平成24年(ワ)第73号

 

 

 

       主   文

 

 1 被告は,原告A1に対し,840万4400円及びこれに対する平成〇年〇月〇日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

 2 原告A1のその余の請求並びに原告A2及び原告A3の請求をいずれも棄却する。

 3 訴訟費用は,原告A1に生じた費用の20分の1と被告に生じた費用の20分の1を被告の負担とし,原告A1に生じたその余の費用と被告に生じた費用の20分の5を原告A1の負担とし,原告A2に生じた費用全部と被告に生じた費用の20分の7を原告A2の負担とし,原告A3に生じた費用全部と被告に生じた費用の20分の7を原告A3の負担とする。

 4 この判決は,第1項に限り,被告に送達された日から14日を経過したときは,仮に執行することができる。ただし,被告が,原告A1に対し,1000万円の担保を供するときは,その仮執行を免れることができる。

 

       事実及び理由

 

第1 請求

   被告は,原告らに対し,1億7400万円及びこれに対する平成〇年〇月〇日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

第2 事案の概要

 1 本件は,被告の開設に係る神奈川県立□□センター(以下「被告病院」という。)において消化器外科手術を受けた原告A1(以下「原告A1」という。)並びにその父母である原告A2(以下「原告A2」という。)及び原告A3(以下「原告A3」という。)が,当該手術中のラボナール(麻酔導入剤)を含む水溶液の過剰投与により原告A1が自閉スペクトラム症や知的能力障害等を発症したなどと主張して,被告に対し,債務不履行又は不法行為による損害賠償請求権に基づき,損害金1億7400万円及びこれに対する平成〇年○月○日(過剰投与のあった日)から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。

 2 前提となる事実(証拠を付したもの以外は,いずれも当事者間に争いがない。)

  (1) 当事者

   ア 原告A1(平成〇年○月○日生)は,原告A2と原告A3との間の子であり,後記(2)イのとおり,被告病院において消化器外科手術を受けた者である(甲A1)。

   イ 被告は,被告病院を開設する地方独立行政法人である。

  (2) 診療経過

   ア 原告A1は,平成〇年○月○○日,~病院において,帝王切開により出生(37週6日,体重3148g)した。原告A1は,同日深夜から同月26日にかけ,腹部膨満及び嘔吐の症状を呈し,同月27日に腹部膨満の症状が増強したことから,被告病院に入院することとなった。(乙A1(2丁))

   イ 原告A1は,平成〇年○月○日(以下,単に時刻のみを記載する場合には,同日の時刻のことをいう。),被告病院において,先天性回腸閉鎖症との診断を受け,午後4時05分から消化器外科手術(以下「本件手術」という。)のための麻酔を受け,午後4時40分から本件手術を受けた(乙A1(2・11丁))。

   ウ 被告病院の担当医らは,本件手術に際し,原告A1に対し,麻酔導入剤であるラボナール(麻酔準備時に血液循環を抑制する作用を有する。一般名は注射用チオペンタールナトリウム。乙A1(40~62丁))を含む水溶液(ラボナール液)を予定量投与した後,血液製剤であるアルブミン液を投与しようとして,複数回にわたり,誤ってラボナール液を過剰に投与した(以下,当該ラボナール液の過剰投与を「本件過剰投与」という。)(甲A1)。

   エ 原告A1は,本件過剰投与の影響により血圧低下を生じ,本件手術中,一時心停止の状態に陥った。原告A1は,心停止状態からの回復後,昏睡状態(痛み刺激に対して覚醒しない状態)となり,〇年〇月〇日に昏迷状態(外界からの強い刺激に短時間は覚醒が得られるが,目的ある動作はできない状態)に,同月4日に清明状態に回復した。(甲A1,乙A1(3丁),乙B14)

  (3) 原告A1の症状

    原告A1には,現在,自閉スペクトラム症や知的能力障害の症状が見られる(典型的な自閉スペクトラム症とはいえない症状が見られるかどうかを含め,後記第3,1〔本判決7頁〕のとおり,原告A1の現在の症状については当事者間に争いがある。)。

  (4) 医学的知見

   ア 自閉スペクトラム症等

     自閉スペクトラム症は,従前診断名として用いられてきたいわゆる「自閉症(自閉性障害)」や「アスペルガー症候群(アスペルガー障害)」を含む発達障害である(DSM-5。「DSM-5」は平成25年に公開されたアメリカ精神医学会の診断基準であり,「DSM-Ⅳ-TR」は平成12年に公開されたその前身であり,「DSM-Ⅳ」はその更に前に公開された前々身である。なお,「DSM-Ⅳ」と「DSM-Ⅳ-TR」との間に大きな変更はないが,「DSM-5」は,「DSM-Ⅳ-TR」などで用いられてきたいわゆる「自閉症」の診断名が廃止されるなど,大きな変更を伴うものであった。乙B37~39)。

     自閉スペクトラム症の基本的特徴は,持続する相互的な社会的コミュニケーションや対人的相互反応の障害(基準A),及び限定された反復的な行動,興味又は活動の様式(基準B)である。これらの症状が,幼児期早期から認められ(基準C),日々の活動を制限するか又は障害し(基準D),知的能力障害又は全般的発達遅延だけではうまく説明されないものである場合(基準E),自閉スペクトラム症と診断される(DSM-5)。(乙B37)

     なお,従前診断名として用いられてきたいわゆる自閉症の基本的特徴は,①対人的相互反応の障害,②社会的コミュニケーションの障害及び③限定された反復的な行動,興味又は活動の様式である。この基本的特徴がいずれも認められ,その症状のうち少なくとも1つの症状が3歳以前から認められ,他の障害(Rett障害,小児期崩壊性障害)ではうまく説明されないものである場合,自閉性障害(自閉症)と診断されてきた(DSM-Ⅳ,DSM-Ⅳ-TR)。(甲B7,乙B29)

     自閉スペクトラム症の患者には,知的能力障害のない者から知的能力障害の重度な者まで様々な者がいるが,その多くの患者は,知的能力障害などの疾患を合併する(いわゆる自閉症の患児については,約半数が知的能力障害を合併し,約4分の1がてんかんを合併するといわれている。)。(甲B7,乙B37)

   イ 知的能力障害(精神遅滞)

     知的能力障害は,18歳以前に発症し,全般的知的機能が平均よりも明らかに低く(知能指数であるIQが概ね70以下),コミュニケーション・自己管理・家庭生活・社会的/対人的技能・地域社会資源の利用・自律性・発揮される学習能力・仕事・余暇・健康・安全などのうちいくつかの領域において適応機能障害が認められる状態をいう。(甲B7,48)

     出生前後の低酸素性虚血性脳症は,知的能力障害の原因の一つとされている。特に,出生前後の低酸素性虚血性脳症を経験した患児については,そのうち15~20%が新生児期に死亡し,生存した患児のうち30%が知的能力障害等の神経学的後遺症を残すとの報告がある。(甲B4)

     知的能力障害は,知的機能の程度によって,次のとおり分類される。(甲B6,49)

    ・軽度(IQ50~55からおよそ70)

    ・中等度(IQ35~40から50~55)

    ・重度(IQ20~25から35~40)

    ・最重度(IQ20~25以下)

   ウ MRI検査(甲B32)

     MRI(磁気共鳴画像法)検査は,均一な静磁場内に置かれた被検者に対してラジオ波を照射して体内の水素原子を高エネルギーの状態にし,その後に照射を停止して高エネルギーの状態にあった水素原子がエネルギーを放出して元の状態に戻る過程を電気信号として採取し,画像化することで体内の病変の診断に役立てる検査である。

     MRI検査によって得られる画像(MRI画像)には主に次のものがある。

    ・T1強調像:高エネルギーの水素原子が周囲の格子(分子等)との間でエネルギーを授受することにより元の状態に戻る時間(T1)を強調した画像

    ・T2強調像:ラジオ波の照射により同じ位相で動くようにされた各々の水素原子が元の状態(各々の位相)に戻る時間(T2)を強調した画像

    ・プロトン密度強調像:T1及びT2の影響をできるだけ排除して組織内の水素原子(プロトン)の量の多少を際立たせた画像

    ・FLAIR像:水からの信号を排除してその他の組織のT2を強調した画像

 3 争点

  (1) 原告A1の現在の症状(争点(1))

  (2) 本件過剰投与と原告A1の現在の症状との間の因果関係の有無(争点(2))

  (3) 原告らの損害(争点(3))

第3 争点に関する当事者の主張

 1 原告A1の現在の症状(争点(1))

  (1) 原告らの主張

    原告A1には,現在,次の症状が見られる。

   ア 自閉スペクトラム症(いわゆる自閉症を含む。)

     原告A1には,自閉スペクトラム症(いわゆる自閉症を含む。)が見られる。

     なお,原告A1の認知機能には,大きなばらつきがあり,認知処理の傾向や対人的相互反応の一部には,先天性の広汎性発達障害に見られない部分もあり,原告A1には,典型的な自閉スペクトラム症とは異なる後天性脳障害(高次脳機能障害)の症状である注意障害・記憶障害・固執・抑制困難・社会認知発達の障害等も現れている。

   イ 中等度の知的能力障害

     原告A1には,中等度の知的能力障害(健常児に比べて精神の発達に著しい遅れ)が見られる。

   ウ 軽度の運動障害

     原告A1には軽度の運動障害が見られる。

     原告A1は,肩甲骨周囲筋や肘屈筋群の低緊張状態を呈しており,体幹が弱く,粗大運動機能の支障を有してはいないものの,手指の細かな運動が苦手である。

  (2) 被告の主張

   ア 自閉スペクトラム症(いわゆる自閉症を含む。)

     原告A1には,典型的な自閉スペクトラム症が見られる。しかし,原告A1にこれと異なる後天性脳障害(高次脳機能障害)の症状が見られるとの原告らの主張は否認する。

   イ 中等度の知的能力障害

     原告A1には,中等度の知的能力障害が見られる。

   ウ 軽度の運動障害

     原告A1に軽度の運動障害が見られるとの原告らの主張は否認する。

     原告A1の症状は,麻痺ではなく,知的能力障害に伴う「ぎこちなさ,稚拙さ,多動」に相当するものと考えられ,医学診断上の「運動障害」には当たらないものである。

 2 本件過剰投与と原告A1の現在の症状との間の因果関係の有無(争点(2))

  (1) 原告らの主張

   ア 因果関係の存否

     本件過剰投与により原告A1にラボナール液が過剰に投与されたことによって原告A1は低酸素性虚血性脳症を発症し,これにより原告A1の脳に不可逆的梗塞・海馬萎縮(壊死)が発生し,そのために自閉スペクトラム症,知的能力障害及び運動障害が発症した。その理由は後記イないしエのとおりである。

   イ 本件過剰投与の内容

     原告A1には,適正投与量(当初予定されていた投与量。0.6ml)の26倍以上(用意されたラボナール液20ml全量が投与されたとすれば,適正投与量の30倍)のラボナール液が過剰に投与された。

   ウ 本件過剰投与による不可逆的梗塞・海馬萎縮(壊死)の発生

     下記(ア)ないし(ウ)の諸事情に照らせば,本件過剰投与により,原告A1が低酸素性虚血性脳症を発症し,これにより原告A1の脳に不可逆的梗塞・海馬萎縮(壊死)が発生したことは明らかである(被告の主張に対する原告らの反論は下記(エ),(オ)のとおりである。)。

    (ア) 酸素血流の不足による低酸素状態

      脳は,他の臓器に比して虚血による酸素不足に脆弱である。特に,海馬は,分水嶺領域としての脆弱性,構成細胞特有の脆弱性(強い虚血で壊死,弱い虚血でアポトーシス(個体の統制・制御のための能動的細胞死)する性質)を有しており,新生児期には未熟であるがゆえの脆弱性(より軽度の虚血で壊死,アポトーシスする。)も加わることにより,軽度の虚血で壊死・アポトーシスする。そうであれば,3分以上の虚血は不可逆的な脳障害をもたらし,新生児においてはこれが特に妥当するものというべきである。

      原告A1については,午後6時42分に血圧計による血圧測定が不能となり,午後6時43分の直後に心電図モニター上心静止となり,午後6時53分に自己心拍再開が確認された。心臓マッサージは,自己心拍の再開を目的とし,その再開の有無を確認しながら行われるものであり,自己心拍が再開しているにもかかわらず,その後数分間も継続されることはない。そうであれば,自己心拍の再開とその確認との間の時間差はごく短時間であり,本件過剰投与により,原告A1の血圧が急激に低下し,午後6時43分から午後6時53分までのほとんどの間において原告A1は心停止の状態にあったものと考えられる。そして,原告A1は,午後7時13分に心電図上心室細動が出現し,カウンターショックが行われて自己心拍の再開が確認されるなど不安定な状態にあり,血流が十分に維持された状況にはなく,十分な酸素が供給されない状況にあった。

    (イ) MRI画像所見

      原告A1の平成〇年○月○日(生後〇日目)のMRI画像(乙A7の2~4)には,低酸素性虚血性脳症(低灌流が主)による多発性脳梗塞(融解壊死)の所見が認められる。

      平成〇年〇月〇日(〇歳〇か月)のMRI画像(乙A6の1~6)は,平成〇年○月○日のMRI画像と比較して顕著な変化が見られず,低酸素性虚血性脳症(低灌流が主)による陳旧性多発脳梗塞の所見及び低酸素性虚血性脳症による海馬壊死の所見が認められる。

      平成〇年〇月〇日(〇歳〇か月)のMRI画像(甲A5~8)において,脳梁膨大部(後方部分)が脳梁膝(前方部分)に比べてわずかに小さく,左右大脳半球白質の特に後方部分が萎縮した所見が認められる。また,周囲の正常な脳組織が成長により増大したことにより,相対的に小さくなったものの,梗塞によって生じた壊死やグリオーシス(病変部における神経細胞以外の神経系細胞の増殖)は残存しており,低酸素性虚血性脳症(低灌流が主)による陳旧性多発脳梗塞の所見が認められる。さらに,大脳白質後方部の所見は,脳室周囲白質軟化症によるものと考えられ,左右海馬については,著明に萎縮し,平成〇年〇月〇日のMRI画像と比較して顕著な変化は見られず,海馬の壊死及び萎縮性変化の所見が認められる。

    (ウ) 本件過剰投与直後の所見

      原告A1には,平成〇年○月○日の心停止から同年〇月〇日までの昏睡状態や,脳機能低下に伴う脳波の所見である群発抑制交代パターン,アシドーシス(酸性血症。動脈血pHが7.35未満の状態)等,低酸素性虚血性脳症の予後不良因子とされている症状が見られた。

    (エ) 直後の神経学的異常,運動障害,てんかん等の不存在

      被告は,頭蓋内圧亢進症状がない旨の平成〇年〇月〇日の神経学的所見があること,原告A1に運動障害が見られないこと,原告A1にてんかんがないことに基づいて原告らの主張を争う。

      しかし,緻密な診察を踏まえたとはいえない平成〇年〇月〇日の神経学的所見は,信用し得ないものであるし,本件過剰投与直後の神経学的診察によって将来の障害発生経過を予測することには限界がある。また,原告A1には,軽度の運動障害がある(前記1(1)ウ〔本判決7頁〕)。仮に運動障害が見られなかったとしても,複数箇所の分水嶺梗塞が融解壊死を起こした場合に,運動障害が見られなくても知的能力障害を来した症例は存在する。さらに,原告A1は平成29年8月にてんかんを発症しているし,仮に本件過剰投与の直後にてんかん等を発症しなかったとしても,てんかん等を発症せずに海馬萎縮(壊死)した症例はある。

    (オ) 他の原因による可能性

      被告は,原告A1の不可逆的梗塞・海馬萎縮(壊死)は本件過剰投与以外の原因により生じた可能性があると主張する。しかし,原告A1については,帝王切開の適応障害とされる帝切児症候群の発症は認められていない。腹部膨満による脳障害は一般的ではなく,また,腹腔内圧上昇による頭蓋内圧上昇及びそれによる脳灌流圧減少を裏付けるものはない。原告A1に脳細胞の脆弱性を基礎付ける遺伝的異常があったとの証拠もない。

      被告は,新生児の時期に大脳基底核,視床,脳幹,海馬,中心溝周囲の大脳皮質などの部位が障害される場合には,一部のみではなく一体の病変として障害されると主張する。しかし,海馬が分水嶺領域に位置しており,分水嶺領域に分水嶺梗塞が生じた以上,海馬に影響が及ぶことは明らかである。①大脳基底核等他の部位の損傷が不可逆的なものには至らないために事後的なMRI画像上では検出されない例,②不可逆的な損傷はあるもMRI画像上では検出されない例,③他の部位の損傷がないまま海馬萎縮(壊死)を生ずる例もあるから,MRI画像上において他の部位の損傷がないことは,分水嶺梗塞による海馬萎縮(壊死)を否定する根拠とはならない。また,原告A1の脳のMRI画像は,海馬萎縮(壊死)の所見が目立つというものであって,他の部位の損傷が全くないことを示すものでもない。

   エ 不可逆的梗塞・海馬萎縮(壊死)による現在の症状の発症

    (ア) 不可逆的梗塞・海馬萎縮(壊死)による自閉スペクトラム症の発症

      出生前後の低酸素性虚血性脳症による不可逆的梗塞・海馬萎縮(壊死)は,自閉スペクトラム症の原因となり得る。

      先天的な自閉症及び知的能力障害を併せ持つ小児の発生頻度が1000人に1人程度であることからすれば,不可逆的梗塞・海馬萎縮(壊死)により原告A1の自閉スペクトラム症等が引き起こされたと考えるのが合理的である。

    (イ) 不可逆的梗塞・海馬萎縮(壊死)による知的能力障害の発症

      出生前後の低酸素性虚血性脳症による不可逆的梗塞・海馬萎縮(壊死)は,知的能力障害の原因となり得る。

      原告A1の症状には典型的な自閉スペクトラム症とはいえない部分があり,先天的な自閉症及び知的能力障害を併せ持つ小児の発生頻度が1000人に1人程度であることからすれば,当該部分については,不可逆的梗塞・海馬萎縮(壊死)により引き起こされたと考えるのが合理的である。

      なお,原告A1の遺伝子に異常があることは明らかにされておらず,また,原告A1は幼少期を外国で過ごしたが,幼少期を外国で過ごした多くの日本人が言語発達に支障を来すことなく生活することができている。

    (ウ) 不可逆的梗塞・海馬萎縮(壊死)による運動障害の発症

      低酸素性虚血性脳症は,後遺症として運動障害を来すものであり,不可逆的梗塞・海馬萎縮(壊死)によって原告A1の運動障害が引き起こされたことは明らかである。

  (2) 被告の主張

   ア 因果関係の存否

     本件過剰投与により原告A1にラボナール液が過剰に投与されたことによって原告A1は低酸素性虚血性脳症を発症し,これにより原告A1の脳に不可逆的梗塞・海馬萎縮(壊死)が発生し,そのために自閉スペクトラム症,知的能力障害及び運動障害が発症したとの原告らの因果関係に関する主張は争う。その理由は,後記イないしエのとおりである。

   イ 本件過剰投与の内容

     原告A1に投与されたラボナール液の量は,用意された全量20mlではなく,15.6mlである。また,1回の手術における原告A1(当時の体重約3kg)に対するラボナールの最大投与量(体重1kg当たり20mg)は60mg(ラボナール液2.4ml)であったというべきであるから,原告A1に対する投与総量15.6mlは,最大投与量の6.5倍にとどまる。

   ウ 本件過剰投与による不可逆的梗塞・海馬萎縮(壊死)の発生

     次の(ア)ないし(エ)の事情に照らせば,本件過剰投与によって原告A1の脳に不可逆的梗塞・海馬萎縮(壊死)が発生したとはいえない。

    (ア) 酸素血流の不足による低酸素状態

      脳は,一定の強い低酸素状態に一定の時間さらされることで初めて不可逆的障害を生ずる(低灌流による分水嶺梗塞が重度になって初めて神経細胞の代謝活性の高い大脳基底核や海馬に病変が生ずる。)。一般的に,3分以上の虚血は不可逆的な脳障害をもたらすが,一定の強い低酸素状態にあることがその基準であり,「3分」というのは,何らの措置も講じなかった場合における目安にすぎない。脳血流が10分ないし15分途絶しても障害は見られないという報告があることからも,3分以上の虚血が不可逆的な脳障害について広く妥当する基準であるとはいえない。

      原告A1は,心停止に陥ったものの,人口呼吸器を装着され,即刻非開胸式心臓マッサージ(新生児については,胸郭が柔らかいため,非開胸式心臓マッサージでも正常の40~50パーセントの有効心拍出量が得られる。)を施行されることで,酸素血流を維持されており(血圧も正常値に近い範囲で保たれていた。),被告担当医によるその他の薬剤の投与によって血圧低下に対する適切な対処を受けたことで,原告A1の脳は不可逆的な脳障害をもたらす程度の低酸素状態に陥らなかった。また,医師は,自己心拍の再開よりも血流を維持することを優先するため,実際に自己心拍が再開した時点よりもしばらく後に自己心拍の再開を確認して心臓マッサージの中止の判断をすることが多く,自己心拍は,通常,心臓マッサージが終了する数分前から再開している。そのため,原告A1の脳が酸素血流の不足による低酸素状態にあったとはいえない。

    (イ) MRI画像所見

      原告A1の平成〇年○月○日(生後〇日目)のMRI画像(乙A7の2~4)には,大脳白質に低灌流による分水嶺梗塞の所見(分水嶺領域,左右対称,前後対称)が見られるが,不可逆的梗塞があると判断することはできない。また,小脳や大脳基底核には,病変が見られない。

      平成〇年〇月〇日(〇歳〇か月)のMRI画像(乙A6の1~6)においては,海馬萎縮の所見が認められるものの,分水嶺梗塞の所見はかなり改善しており,小脳や大脳基底核には病変が見られない。

      平成〇年〇月〇日(〇歳〇か月)のMRI画像(甲A5~8)において,海馬萎縮の所見が認められるものの,原告A1の前頭葉白質は,仮に異常所見と見るとしても,軽度のグリオーシスにとどまり,分水嶺梗塞の治癒過程の所見が認められ,大脳皮質及び大脳白質の容積低下や狭小化の所見はなく,後遺症としての神経細胞の喪失の所見は認められない。原告A1の脳は,成長による治癒の過程をたどっていると判断される。また,原告A1の脳梁部分の所見は,脳の機能障害を示すようなものではない。脳室周囲白質軟化症は,主に未成熟子に見られ,かつ,脳室壁全体にわたり白質の軟化壊死を起こす病態であるが,原告A1は成熟子(〇週〇日)であり,また,MRI画像上の異常所見は大脳白質後方部にとどまり,脳室壁全体にわたっているわけではない。

      以上の所見からすれば,平成〇年○月○日(生後〇日)のMRI画像(乙A7の2~4),平成〇年〇月〇日(〇歳〇月)のMRI画像(乙A6の1~6)の梗塞に関する各所見は,一時的かつ可逆的な所見であると判断される。

    (ウ) 本件過剰投与直後の所見

      原告A1には,本件過剰投与後に,昏睡状態や,脳機能低下に伴う脳波の所見である群発抑制交代パターン,アシドーシスが見られた。しかし,ラボナール液は,麻酔薬(麻酔導入剤)であり,中枢神経抑制作用を有するから,原告A1の昏睡状態が続いたことは,その作用によるもので,低酸素性虚血性脳症によるものではない。群発抑制交代パターンは,麻酔等により新生児において脳機能が低下しているときに見られる所見であり,脳機能が損なわれているときには数か月にわたり継続するものであるが,原告A1の脳に現れた群発抑制交代パターンは,ラボナール液の排出とともに消失しており,ラボナール液(麻酔薬)の作用として現れたものにすぎない。原告A1に見られたアシドーシスは,投薬(メイロン)により適時に補正され,脳細胞を障害するものではない。

    (エ) 直後の神経学的異常,運動障害,てんかん等の不存在

      原告A1については,平成〇年〇月〇日,頭蓋内圧亢進症状がない旨の神経学的所見(乙A1・27丁)が示されている。このことから,原告A1の脳は,低酸素による負担がかかった状態ではなかったといえる。

      複数箇所の分水嶺梗塞が融解壊死を起こした場合,患者には,通常,運動障害が見られるところ,原告A1には,運動障害が見られない。

      海馬が萎縮(壊死)を起こすと,一般に難治性のてんかんやけいれんを発症する。原告A1にはそのような症状が見られないから,原告A1の脳に海馬萎縮(壊死)が生じたと判断することはできない。

    (オ) 他の原因による可能性

      原告A1の脳は,帝王切開による分娩時のストレスにより血液の循環不全に陥り,そのために不可逆的梗塞及び海馬萎縮(壊死)となった可能性がある。また,原告A1の脳は,先天性回腸閉鎖症による腹部膨満等のために血液の循環不全に陥り,そのために不可逆的梗塞及び海馬萎縮(壊死)となった可能性がある。さらに,生まれつきの遺伝要因による脳細胞の脆弱性が元々ある場合には,中程度の低酸素状態でも脳障害を来すことがあるところ,原告A1にはこのような遺伝的異常があった可能性もある。

      新生児の時期に大脳基底核,視床,脳幹,海馬,中心溝周囲の大脳皮質などの部位が障害される場合には,一部のみではなく一体の病変として障害される(特に基底核障害のない海馬障害が分水嶺梗塞と合併するという症例報告は見られない。)ところ,原告A1の脳のMRI画像においては,海馬萎縮(壊死)の所見が見られるが,大脳白質に病変が見られるも小脳や大脳基底核に病変が見られない。そうであれば,原告A1の海馬萎縮(壊死)は,低灌流の分水嶺梗塞に起因するものとはいえない。

   エ 不可逆的梗塞・海馬萎縮(壊死)による現在の症状の発症

    (ア) 不可逆的梗塞・海馬萎縮(壊死)による自閉スペクトラム症の発症

      自閉スペクトラム症は,遺伝的な要因のもとに起こる疾患である。

      仮に,出生前後の低酸素性虚血性脳症が自閉スペクトラム症の原因となり得るとしても,そのような場合には,自閉スペクトラム症の症状とともに,上肢や下肢の麻痺,筋緊張亢進などの症状が見られるところ,原告A1にはそのような症状が見られない。

      なお,先天的な自閉症及び知的能力障害を併せ持つ小児の発生頻度が1000人に1人程度であるとする原告らの推論は,対照群同士について均質な遺伝的・環境的背景を有しているという前提を欠くため,合理的であるとはいえない。また,因果関係があると認められるためには,特別な関連性を示し,発症要因が独立して作用していることが必要であるところ,産科的合併症と自閉スペクトラム症との間には,現時点において,何らの関連性も見いだされていない。

    (イ) 不可逆的梗塞・海馬萎縮(壊死)による知的能力障害の発症

      原告A1の症状は典型的な自閉スペクトラム症であり,前記(ア)のとおり,その症状は遺伝要因によるものである(成熟新生児の低酸素性虚血性脳症の重症度に関して用いられるサルナーの分類によれば,てんかんを発症していない点などから原告A1は最も軽度な第1期に分類され,症例研究によれば,第1期に分類された者の全例が後遺症なく正常に成長したとのことである。)。

      仮に,原告A1に典型的な自閉スペクトラム症とはいえない症状があるとしても,遺伝的疾患を含めた胎児期の障害が原因となって,部分的な脳障害が生じ,そのためにそのような症状を生ずるケースもある。原告A1が自閉スペクトラム症のほかに先天性回腸閉鎖症を有していたことからすれば,他にも先天性疾患を有しており,それが原因となった可能性がある。また,原告A1は,〇歳〇月から〇歳〇か月まで外国において生活しており,原告A1の言語発達障害は,このような生活的要因による可能性もある。

    (ウ) 不可逆的梗塞・海馬萎縮(壊死)による運動障害の発症

      不可逆的梗塞・海馬萎縮(壊死)によって原告A1が運動障害を発症した旨の原告らの主張については否認する。

 3 原告らの損害(争点(3))

  (1) 原告らの主張

   ア 治療関係費 27万9690円

     原告A1は,自閉スペクトラム症のため,歯科治療には入院を伴う麻酔処置を要した。その歯科治療費の実費は7万5590円であった。

     原告A1は,後遺症の検査,訓練のため,平成23年6月6日から同年7月15日まで神奈川リハビリテーション病院に入院し,その入院費は20万4100円であった。

     治療関係費は,上記の7万5590円と20万4100円の合計27万9690円である。

   イ 通院付添費 31万円

     原告A1は幼少であり,原告A3による付添いがなければ通院をすることができなかった。通院付添費は1回1万円であり,31回通院したから,通院付添費は31万円である。

   ウ 将来介護費 8537万4595円

     原告A1は,自閉スペクトラム症,中等度の知的能力障害及び運動障害を有することにより,将来にわたって介護を要する。

     原告A3が約67歳になるまでは原告A3が介護するので介護費用は日額1万円であり,1年の介護費用は365万円である。本件過剰投与が行われた平成〇年〇月〇日から原告A3が約67歳になる平成46年○月○○日までの32年に対応するライプニッツ係数は15.8027である。そうすると,原告A3が約67歳になるまでの将来介護費は5767万9855円(365万円×15.8027=5767万9855円)である。

     原告A3が約67歳になった後は職業付添人が介護するので介護費用は日額2万円であり,1年の介護費用は730万円(2万円×365日=730万円)である。原告A1が生存する蓋然性の高い80歳になるまでの80年に対応するライプニッツ係数19.5965から,本件過剰投与が行われた平成〇年〇月〇日から原告A3が約67歳になる平成〇年○月○○日までの32年に対応するライプニッツ係数15.8027を差し引くと,3.7938である。そうすると,原告A3が約67歳になった後の将来介護費は2769万4740円(730万円×3.7938=2769万4740円)である。

     将来介護費は,原告A3が約67歳になるまでの5767万9855円と原告A3が約67歳になった後の2769万4740円の合計8537万4595円(5767万9855円+2769万4740円=8537万4595円)である。

   エ 通院交通費等 132万7097円

     原告A1を,原告らの居住地であったアラブ首長国連邦ドバイのインターナショナルスクールに通園させるには,原告A1が自閉スペクトラム症及び中等度の知的能力障害であるため,ヘルパーの付添を条件とされた。そのヘルパーの付添に要した費用は26万9097円であった。

     本件過剰投与による事故を受け,原告A2は仕事のために駐在していたドバイから緊急一時帰国し,その際の往復航空券代は35万円であった。原告A2及び原告A3は,被告病院の担当者と,原告A1の見舞いにタクシーを利用することを合意した。1回の見舞いの往復のタクシー代金は1万2000円であり,平成〇年〇月〇日から同年〇年〇月〇日まで28回見舞いに行ったから,原告A2及び原告A3の見舞いのためのタクシー代は33万6000円(1万2000円×28回=33万6000円)であった。

     原告A1は,平成〇年〇月〇日に至るまで約7年間にわたり31回通院をした。1回の通院の往復のタクシー代金は1万2000円であり,31回分の通院交通費は37万2000円(1万2000円×31回=37万2000円)である。

     通院交通費等は,上記の航空券代35万円,ヘルパーの付添に要した費用26万9097円,見舞いのためのタクシー代33万6000円及び平成〇年〇月〇日に至るまでの通院交通費37万2000円の合計132万7097円である。

   オ 入通院慰謝料 128万円

     原告A1は,平成〇年〇月〇日から同年〇年〇月〇日まで(〇日間)被告病院に入院し,その後平成〇年〇月〇日に至るまで約7年間にわたり31回通院をしたから,入通院慰謝料は128万円である。

   カ 後遺症による逸失利益 4193万1675円

     賃金センサス平成14年第1巻第1表・産業計・企業規模計・学歴計・男性労働者の平均年収額は555万4600円である。

     原告A1は,知的能力障害を有しており,健常者の従事する通常の労働に従事することは不可能であるから,労働能力喪失率は100%である。

     原告A1が67歳になるまでの67年に対応するライプニッツ係数19.239から,原告A1が18歳になるまでの18年に対応するライプニッツ係数11.690を差し引くと7.549である。

     原告A1の後遺症による逸失利益は4193万1675円(555万4600円×1×7.549=4193万1675円(円未満切捨て。以下,同じ。))である。

   キ 後遺症による慰謝料 2800万円

     原告A1は自閉スペクトラム症,中等度の知的能力障害の後遺症及び運動障害を負ったから,後遺症による慰謝料は2800万円である。

   ク 弁護士費用 1549万6943円

     損害としての弁護士費用は1549万6943円である。

   ケ 合計 1億7400万円

     前記アないしクの損害の合計は1億7400万円である。なお,この損害の主張は,本件過剰投与がなければ後遺症を負わなかったであろう相当程度の可能性を侵害されたことによる慰謝料の主張をも含むものである。

  (2) 被告の主張

    原告らの主張については,否認し争う。

第4 当裁判所の判断

 1 認定事実

   前記前提となる事実(前記第2,2〔本判決2頁〕)に後掲各証拠及び弁論の全趣旨を総合すれば,以下の事実を認めることができる。

  (1) 被告病院退院までの診療経過

   ア 本件手術を受けるに至った経緯

     原告A1(当時日齢2)は,平成〇年〇月〇日,被告病院において,先天性回腸閉鎖症との診断を受け,同症に関する本件手術を受けることとなった(前記第2,2(2)イ〔本判決3頁〕)。

   イ ラボナール液の準備

     被告病院の麻酔科医であったA医師(以下「A医師」という。)は,本件手術に先立ち,ラボナール500mgを含む水溶液(ラボナール液)20mlを注射器に準備し,うち0.6mlを別の注射器に分け置いた。A医師は,本件手術において使用が予定されていた0.6mlのラボナール液が入った注射器にはラボナール液が入っている旨のラベルを貼付したが,ラボナール液19.4mlが残存する注射器には当該ラベルを貼付し忘れた。(乙A1(18丁))

   ウ 本件手術における経緯

    (ア) 午後4時5分,A医師から引き継ぎを受けた被告病院の麻酔科担当医であったB(旧姓B’)医師(以下「B医師」という。)は,原告A1に対し,前記イのラベルの貼られた注射器のラボナール液0.6mlを静脈注射した。

      午後4時40分,本件手術は,開始された。

      午後6時10分頃,B医師は,当直の麻酔科担当医であったC医師(以下「C医師」という。)と交替した。その際,B医師は,C医師に対し,ラボナール液が残った注射器がある旨を引き継がなかった。

      午後6時40分,C医師は,閉腹作業が行われるに際し,原告A1に対し,血液製剤であるアルブミン液3mlを投与しようとしたところ,前記イのラボナール液19.4mlが残存する注射器をアルブミン液が入ったものと誤信して,ラボナール液3mlを投与した。当該ラボナール液の投与により,原告A1には,血圧低下が生じ,閉腹前,著明なアシドーシス(動脈血pHが7.35未満の状態。代謝性のものは,組織への酸素供給低下による嫌気性代謝(低血圧,心不全,ショック,心肺停止)により生じるものである。甲B21)が見られた。

      午後6時43分,C医師は,これに対処すべく,原告A1に対し,昇圧剤であるエフェドリン2mgを投与するとともに,アルブミン液と誤信して更にラボナール液3mlを投与した。

      その直後,原告A1が,心電図モニター上電気的活動が見られない心静止,更には心停止の状態となったことから,被告病院の担当医は,原告A1に対して非開胸式心臓マッサージを開始した。

      午後6時45分,C医師は,原告A1の心静止の状態がなおも続いたことから,原告A1に対し,強心作用を有するボスミン0.03mgを投与するとともに,アルブミン液と誤信して更にラボナール液3mlを投与した。

      午後6時48分,C医師は,原告A1に対し,ボスミン0.05mgを投与する際,アルブミン液と誤信して更にラボナール液3mlを投与した。

      午後6時51分,C医師は,原告A1に対し,ボスミン0.1mgを投与する際にも,アルブミン液と誤信してラボナール液3mlを投与した。

      なお,原告A1の手術の際,アルブミン液を作成した者はなかった。以上の次第で,原告A1には,当初予定されていた0.6mlのほかに合計15mlのラボナール液が過剰に投与された(本件過剰投与)。なお,ラボナールの添付文書(甲B1)には,ラボナールの用量や静注速度は,年齢・体重と関係が少なく個人差があるため一定ではないものの,概ねの基準において短時間麻酔として使用する場合でも1回の最大投与量は1000mgまでとする旨が定められている。

    (イ) 原告A1については,心静止の状態となった直後から被告病院の担当医による前記(ア)の心臓マッサージの施行が続けられ,午後6時53分には自己心拍の再開が確認された。

      原告A1については,午後7時13分,心電図上心室細動が確認されたが,被告病院の担当医によりカウンターショックを施行されたことで自己心拍の再開が確認された。

      その後,原告A1には,ボスミンが点滴投与され,午後7時19分に排泄促進作用を有するメイロン10ml,午後8時20分にメイロン20mlがそれぞれ投与され,原告A1は,午後8時30分に被告病院のICUに搬送された。動脈血pH(正常値は7.35~7.45)は,午後8時47分には7.524となったものの,午後9時35分には7.336となり,その後も翌日午前3時5分に7.366に改善するまでは,7.35未満の状態(アシドーシス)が続いた。(甲A1,乙A1(11・18・126丁))

   エ 本件過剰投与の判明

     平成14年6月29日,前記ウの原告A1の異常の原因について,B医師及びC医師が検討をした結果,ラボナール液を誤って過剰に投与した可能性が浮上し,同年7月1日の血中濃度測定の結果,本件過剰投与の事実が判明した(乙A1(18・19丁))。

     その後,ラボナールの体外排出が検討されたものの,有効確実な方策はなく,バイタルサインが安定し,後記オのとおり意識状態も改善傾向にあったことから,原告A1については,全身管理のみを行い,ラボナールの自然排泄に期待することとされた(乙A1(2丁))。

   オ ICU搬送後の経緯

     原告A1の意識状態は,平成14年7月1日まで昏睡状態(痛み刺激に対して覚醒しない状態)が続き,同月2日に昏迷状態(外界からの強い刺激に短時間は覚醒が得られるが,目的ある動作はできない状態)に,同月4日に清明状態に回復した。(乙A1(3丁),乙B14)

     原告A1の脳波には,平成14年6月30日及び同年7月1日には群発抑制交代パターン(特定の麻酔深度でごく普通に見られる脳波所見であるが,脳器質疾患,未熟児など,薬物使用時以外に出現する場合には,極めて重篤な脳障害の存在を示唆するもの。乙B19)が見られたものの,同月2日以降には発作性異常は見られなくなった。(乙A1(16・158・166丁))

     原告A1のモロー反射(原始反射の1つで,左右非対称による出現は,外傷性分娩麻痺を示す。乙B14)は,同年〇年〇月〇日から同年○月○日までは見られなかったものの,同月4日にその兆候が見られ,同月5日以降左右対称のモロー反射が見られるようになった(乙A1(23・25丁)。

     原告A1は,同月3日,脳のMRI検査を受けた。当該検査の結果(乙A7の2~4)において,傍矢状部に分水嶺梗塞の所見が認められた。(乙A1(24丁))

     原告A1には,同月5日,体幹部の筋肉の緊張状態が左右非対称である所見が見られた(乙A1(25丁))。

     原告A1は,同月8日,ICUから退室した(乙A1(306丁))。

   カ ICU退室から被告病院退院まで

     原告A1について平成14年7月5日に見られた体幹部の筋肉の緊張状態の左右非対称所見は,同月8日以降には見られなくなった(乙A1(27丁))。

     原告A1については,同月10日,神経学的所見の確認が行われたが,頭蓋内圧亢進(低酸素性虚血性脳症により脳浮腫が生じた場合に生じることがある疾患)の症状(大泉門の拡大や矢状縫合の離開)は確認されなかった(乙A1(27丁),乙B14)。

     原告A1の脳波は,同月13日,概ね正常な状態に回復した(乙A1(3丁))。

     原告A1は,同月24日,被告病院を退院した(乙A1(2丁))。

  (2) 被告病院退院後の経過等

   ア 原告A1の生活状況等

     原告A1は,平成17年4月から平成20年12月までの間,原告A2の仕事の関係でアラブ首長国連邦ドバイに居住し(ただし,その間,何度か帰国している。),それ以外の期間については,日本において生活をしている。(甲A4(9丁),甲C1)

     原告A1は,平成21年4月に小学校に入学し,平成27年4月に中学校に入学した。原告A1は,小学校及び中学校のいずれについても,入学当初から,特別支援学級に通っている。(甲A4(2丁),甲C9)

     なお,原告A1については,自閉スペクトラム症や知的能力障害の家族歴はない(甲A4(9丁))。

   イ 原告A1の症状の推移

    (ア) 原告A1には,3歳頃に至るまで,言語面での遅れが見られ(3歳6か月で単語の発語が可能となった。),ミニカー,キャラクター,人形等に集中して遊ぶ様子が観察された。もっとも,原告A1は,運動面等のその余の面では正常範囲での発達の経過をたどった(1~2か月であやすと笑う。3か月で頚がしっかりする。7か月で座位を保つ。11か月で伝い歩きをする。1歳5か月で独りで歩く。)。(甲A4(2丁),甲C1)

    (イ) 原告A1は,その後,ドバイのインターナショナルスクールの幼稚部に入ったが,先生の言うことを聞かず,友人とトラブルとなることが多かった。ただし,原告A1は,本人を受け入れてくれる環境のもとでは,楽しく通うことができていた。(甲A4(2丁),甲C1)

    (ウ) 原告A1は,ドバイから帰国後の平成21年4月,小学校に入学し,特別支援学級に通うこととなった。入学後,原告A1には,感情のコントロール,注意力・集中力,行動の組立て,人との接し方において問題があることが指摘され,こだわりが強いことも指摘された。原告A1は,平成22年秋以降,病院への通院を開始し,通院先病院において,自閉症,注意欠如・多動症(AD/HD)及び中等度の知的能力障害との診断を受けた。(甲A4(2丁))

    (エ) 原告A1は,平成23年6月6日から同年7月15日までの間,神奈川リハビリテーション病院に入院し,症状に関する検査を受けた(甲A4)。

     a 当該入院中に実施された心理検査の結果は,次のとおりであった。

      (a) 田中ビネー知能検査Ⅴでは,精神年齢4歳11か月から5歳2か月,知能指数54であった。上限で7歳級の課題に通過する一方,下限で2歳級の課題に失敗するなど,能力のばらつきの大きさが見られた。言語理解・言語的説明などを伴うような課題は苦手傾向が目立ち,位置の記憶や順序の記憶など記憶に関わる課題が困難な様子が見受けられた。

      (b) 知能検査の一つである大脇式知能検査では,精神年齢3歳6か月から5歳10か月,知能指数38から64であった。上限で5歳10か月の課題に通過する一方,3歳8か月の課題に失敗し,失敗した課題を再実施すると正答するなど,注意の持続力の弱さが窺われた。

      (c) 知能検査の一つであるK-ABCでは,継次処理尺度92(手の動作14,数唱7,語の配列5),同時処理尺度78(絵の統合6,模様の構成10,視覚類推4,位置探し6),習得度尺度66(算数67,なぞなぞ52,言葉の読み79,文の理解74),認知処理尺度82であった。下位検査レベルでの得点のばらつきが大きく,手の動作,模様の構成など視覚と運動の協応を伴う課題が高得点,視覚類推的な情報を手がかりに推測・判断していくような課題で低得点であった。また,習得度は全体で境界域以下(軽度障害域)と,認知機能と比較して達成が有意に低く,習得度間の比較からはなぞなぞが有意に低得点で,聴覚的な言語情報を把時・統合し,答えを導き出していくような課題の苦手さが窺われた。

      (d) S-M社会生活能力検査では,社会生活年齢5歳10か月,社会生活指数64(身辺自立7歳0か月,移動5歳7か月,作業6歳7か月,意思交換5歳8か月,集団参加5歳5か月,自己統制6歳4か月)であった。環境や周囲の接し方により達成が浮動する可能性があるとの所見であった。

     b 当該入院中に実施された身体機能面の観察結果は,次のとおりであった。

      (a) 動作時に肩甲骨周囲筋や肘屈筋群に過剰な力が入りやすく,道具の操作は左で行うことも多いなど,右上肢のわずかな随意性の低下が疑われた。体幹や四肢近位部の安定性の弱さやバランスをとりながら持続した筋活動を要求される動作は困難な様子が見られた。手本を示せば課題に取り組む様子が見られ,興味を持ったおもちゃや他の患者が目に入ると遊びたくなり指示に従えなくなるものの,その場から離れたり玩具を他の場所に移すなど,対象が見えなくなってしまえば固執しなかった。視覚認知や体験で獲得された記憶の想起は良好と考えられ,細かな力加減などを要さず自分のペースでできる作業であれば,経験的に体得していける様子であった。

      (b) サッカーボールを一側下肢で止めたり,下方の物を取ったりする際,肩甲骨周囲に緊張が見られ,塗り絵では力み過ぎて筆圧が強く,人へのタッチも力強い傾向があり,力の加減のコントロールが十分ではなく,はさみの操作など両手の協調動作もやや苦手な様子が窺われたほか,注意,集中の低下が著明で,固執する対象物が目に入ってしまうと切替えが苦手であった。もっとも,対象物を目に入れない環境設定や,行う課題を構造化して提示していくなどの工夫をすることで集中することができるようになると,様々な課題に挑戦することができていた。

     c 原告A1は,当該入院中の平成23年6月16日,脳のMRI検査を受けた。当該検査の結果(甲A5~8)において,両側海馬を中心とした内側側頭葉に萎縮の所見が認められた(甲A12(6・7丁))。

    (オ) 原告A1には,現在,自閉スペクトラム症の症状が見られ(前記第2,2(3)〔本判決4頁〕),具体的には,幼少期よりは減少しつつも,多動や自傷行為,こだわりなどが見られ,紋切り型で抑揚の少ない発語,返答に困った際の反響言語,常同運動,視線が合いづらい,会話がかみ合わないことが多いなどの症状が見られる(甲B43,甲C1,9,原告A2本人,原告A3本人,鑑定の結果)。

      原告A1には知的能力障害の症状が見られ,原告A1の現在の症状からすれば,成人した時点でも健常児の9~10歳程度の精神年齢となる可能性が高く,一般就労ができる可能性はない。また,自閉スペクトラム症のために,社会性やコミュニケーション面において,生活や就労に支障を来すことが想定される。(甲B43)

      なお,原告A1には,平成29年8月,症候性局在関連てんかん(中枢神経系の障害を基盤に発現するもので,神経細胞の興奮が一側の大脳半球の限局した部位において起こるてんかん。甲B59)の症状が見られた(甲A16)。

   ウ 原告A1が受けたその他の検査の結果等

    (ア) 原告A1は,平成〇年〇月〇日,被告病院において脳のMRI検査を受けた(乙A6の1~6)。

    (イ) 原告A1は,平成26年10月1日,神奈川リハビリテーション病院において脳のMRI検査を受けた。当該検査の結果(甲A13)には,平成23年6月16日のMRI検査と同様に海馬を中心とした側頭葉に萎縮の所見が認められた。

    (ウ) 原告A1が受けた新版K式発達検査2001及び田中ビネー知能検査Ⅴの各結果(前記イにおけるものを含む。)は,別表知能検査結果等一覧のとおりである。

   エ 本訴提起に至る経緯(いずれも当事者間に争いがない。)

     原告A2及び原告A3は,本件手術後から平成17年春頃までの間,被告病院と賠償について協議をしたが,合意には至らなかった。

     原告A2及び原告A3は,平成22年4月27日に横浜簡易裁判所に対して調停の申立てをしたが,同調停は,平成23年3月4日に不成立で終了した。

     原告A1,原告A2及び原告A3は,平成24年1月12日,本訴を提起した。

  (3) 医師の意見(なお,比較のため,意見を明確には述べていないものがあっても,概ね同じ項目を設けている。)

   ア D医師(平成23年6月6日から同年7月15日までの間,神奈川リハビリテーション病院において,原告A1の検査入院を担当した主治医の一人。甲A12(6丁),16)

    (ア) 原告A1の症状(最終診察平成29年8月25日)

      典型的ではないものの,DSM-Ⅳの診断基準を満たし,自閉症として了解可能なものである。一方,認知処理の傾向や対人的相互反応の一部には,先天性の広汎性発達障害にはあまり見られない部分もあるという印象である。

      運動面では,体幹や四肢近位部の弱さ,協調動作の稚拙さが見られる。

    (イ) 本件過剰投与による不可逆的梗塞・海馬萎縮(壊死)の発生及び不可逆的梗塞・海馬萎縮(壊死)と原告A1の症状との因果関係

      後頭葉,頭頂葉機能の障害(視覚,視覚と運動の協応等の障害)は比較的目立たず,前頭葉や海馬を中心とした内側側頭葉の機能と関連した障害(注意障害,記憶障害,固執,抑制困難,社会認知発達の障害等)が認められ,原告A1の症状は,新生児期の前頭葉優位の傍矢状部脳梗塞や現在の海馬病変によるものとして矛盾しない。また,中等度新生児仮死により脳性麻痺を伴うことなく認知的な障害をきたした症例,出生時の低酸素性虚血性脳症により海馬が傷害され記憶障害が残った症例,新生児期の傍矢状部脳梗塞では脳性麻痺を残さず認知機能の障害が残った症例の報告がある。そうであれば,原告A1の症状は,新生児期の低酸素性虚血性脳症による後天性脳障害として矛盾しない。

   イ E医師(小児神経科専門医。甲B11,43)

    (ア) 原告A1の症状(最終診察平成27年4月3日)

      自閉症及び軽度ないし中等度の知的能力障害である。

    (イ) 本件過剰投与による不可逆的梗塞・海馬萎縮(壊死)の発生

      原告A1には胎児期及び出生時に異常が見られず,本件過剰投与後のMRI画像において脳灌流障害による脳障害を発症した所見が見られる。そうであれば,本件過剰投与によって原告A1に低酸素性虚血性脳症による脳障害が生じたことは確実である。

    (ウ) 不可逆的梗塞・海馬萎縮(壊死)と原告A1の症状との因果関係

      一般的に,自閉症及び知的能力障害の原因の大部分は,先天的なものである。もっとも,少数ではあるものの,出生前後の低酸素性虚血性脳症に起因する自閉症及び知的能力障害の存在が知られている。

      一般的に,知的能力障害を有する小児の割合は,日本の小児人口の0.7%程度(全程度の知的能力障害,原因不問)であり,その知的能力障害の程度による内訳は,概ね,軽度0.3%,中等度0.2%,重度0.2%である。そうであれば,軽度ないし中等度の知的能力障害を有する小児の割合は,日本の小児人口の0.2~0.3%程度と考えられる。そして,軽度ないし中等度の知的能力障害を有する小児2,3人のうち1人程度は,自閉症を合併する。また,一般的に,自閉症を有する小児の割合は,日本の小児人口の0.2~0.3%程度である。

      そうであれば,原告A1が先天的に軽度ないし中等度の知的能力障害及び自閉症を有していた可能性は,0.1%程度(小児1000人に1人程度)であり,原告A1の軽度ないし中等度の知的能力障害及び自閉症は,低酸素性虚血性脳症の後遺症である可能性が極めて高く,そのように考えることが医学的・科学的に極めて合理的である。

   ウ F医師(放射線診断専門医。甲B29,30,40,42,50)

    (ア) 原告A1の症状

      自閉症及び中等度の知的能力障害である。

    (イ) 本件過剰投与による不可逆的梗塞・海馬萎縮(壊死)の発生

     a 平成14年○月○日(生後〇日目)のMRI画像(乙A7の2~4)

       T1強調像(乙A7の3),FLAIR像(乙A7の4)の左右側脳室三角部周囲白質には左右対称性に高信号域が見られ(特に,FLAIR像において,左側脳室三角部外側の斑状高信号域は中心部が低信号を示している。),大脳皮質下白質には斑状高信号域が散在している。T1強調像の所見は,梗塞による壊死巣がT1強調像で急性期から亜急性期に高信号を呈することがあることと矛盾しない。FLAIR像の所見は,低酸素性虚血性脳症(低灌流が主)による多発性脳梗塞によるものと考えられ,当該場所の融解壊死を示していると考えられる。

       平成14年○月○日(生後〇日目)のMRI画像については,横断像のみであり評価が困難であるが,海馬に明らかな萎縮や信号異常は認められない。

     b 平成〇年〇月〇日(〇歳〇月)のMRI画像(乙A6の1~6)

       プロトン密度強調像(乙A6の1),T2強調像(乙A6の2)及びFLAIR像(乙A6の6)の左右側脳室三角部周囲白質には左右対称性に高信号域が見られ,左右大脳半球皮質下白質には斑状高信号域が散在している。T1強調像(乙A6の4)の左右側脳室三角部周囲白質には,左右対称性に淡い低信号域が見られ,平成14年○月○日のMRI画像と比較して顕著な変化が見られない。以上の所見から,原告A1の脳には,低酸素性虚血性脳症(低灌流が主)による陳旧性多発脳梗塞があると考えられる。

       FLAIR像(乙A6の6),T2強調像(乙A6の2),T2強調冠状断像(乙A6の5)の左右海馬が著明に萎縮し,軽度高信号域が見られる。以上の所見から,原告A1の脳には,低酸素性虚血性脳症による海馬壊死があると考えられる。

     c 平成23年6月16日(8歳11か月)のMRI画像(甲A5~8)

       T2強調像(甲A6)及びFLAIR冠状断像(甲A8)の左右側脳室三角部周囲白質には左右対称性に高信号域が見られ,左右大脳半球皮質下白質には淡い斑状高信号域が散在している。T1強調像(甲A5)の左右側脳室三角部周囲白質には,左右対称性に淡い低信号域が見られる。T1強調矢状断像(甲A7)において脳梁膨大部(後方部分)が脳梁膝(前方部分)に比べてわずかに小さい。前記aの平成14年○月○日及び前記bの平成〇年〇月〇日の各MRI画像と比較して病変はやや縮小しているが,梗塞によって生じた壊死やグリオーシス(病変部における神経細胞以外の神経系細胞の増殖)が治癒したものではなく,周囲の正常な脳組織が成長により増大したことにより,病変部が相対的に小さくなったものにすぎない。また,正常な場合には脳梁膨大部(後方部分)が脳梁膝(前方部分)より小さいことはないところ,脳梁膨大部が脳梁膝より小さいことは,左右大脳半球白質の特に後方部分が萎縮したことを反映しているといえる。以上の所見から,原告A1の脳には,低酸素性虚血性脳症(低灌流が主)による陳旧性多発脳梗塞があると考えられる。

       また,新生児の大脳白質は,虚血に弱い乏突起細胞の前駆細胞が多く,低灌流による梗塞に陥りやすく,全脳虚血により点状,斑状の梗塞が生じやすい(脳室周囲白質軟化症)。このことは,新生児が未成熟子であるか成熟子であるかを問わず妥当するから,大脳白質後方部の所見は,脳室周囲白質軟化症によるものと考えられる。

       T2強調像(甲A6),FLAIR冠状断像(甲A8)の左右海馬は著明に萎縮し,平成〇年〇月〇日のMRI画像と比較して顕著な変化は見られない。以上の所見から,原告A1の脳には,海馬の壊死及び萎縮性変化があると考えられる。

     d 海馬は,分水嶺領域に存し,構成細胞特有の脆弱性(強い虚血で壊死,弱い虚血でアポトーシス(個体の統制・制御のための能動的細胞死)する性質)を有しており,新生児期には未熟であるがゆえの脆弱性(より軽度の虚血で壊死,アポトーシスする。)も加わることにより,特に,新生児期の低酸素性虚血性脳症による分水嶺梗塞の好発部位である。分水嶺領域に分水嶺梗塞が生じた以上,海馬に影響が及ぶことは明らかである。

       海馬の萎縮や信号異常は,稀な先天代謝疾患等で認められることがあるが,正常新生児には認められない。平成14年○月○日(生後〇日目)のMRI画像において海馬に明らかな萎縮や信号異常は認められなかったことは,原告A1が正常新生児であったことの証左であり,海馬の壊死及び萎縮性変化は,本件過剰投与によるものと判断される。

       なお,①大脳基底核等他の部位の損傷が不可逆的なものには至らないために事後的なMRI画像上では検出されない例,②不可逆的な損傷はあるもMRI画像上では検出されない例,③他の部位の損傷がないまま海馬萎縮(壊死)を生ずる例もあるから,MRI画像上において他の部位の損傷がないことは,分水嶺梗塞による海馬萎縮(壊死)を否定する根拠とならない。

    (ウ) 不可逆的梗塞・海馬萎縮(壊死)と原告A1の症状との因果関係

      認知機能の低下,記憶力の低下,運動機能の稚拙さ等は,海馬萎縮(壊死)及び脳の広汎な障害によるものとして説明されるものである。知的能力障害は,海馬病変によって生じ得るものである。知的能力障害の発症頻度が1%未満であることからすれば,海馬病変がなければ原告A1は知的能力障害を発症することなく健常人として成長することができたはずである。

      海馬病変と自閉症との関連は,多くの報告において指摘されている。自閉症の発症頻度が男女総合で1.46%,男子で2.36%であることからすれば,海馬病変がなければ原告A1は自閉症を発症することなく,健常人として成長することができたはずである。

   エ G医師(小児神経科専門医。乙B22)

    (ア) 原告A1の症状

      軽度ないし中等度の知的能力障害を伴う自閉症である。

    (イ) 本件過剰投与による不可逆的梗塞・海馬萎縮(壊死)の発生

     (明確な意見は示していない。)

    (ウ) 不可逆的梗塞・海馬萎縮(壊死)と原告A1の症状との因果関係

      軽度ないし中等度の知的能力障害の主因は,自閉症にある。仮に低酸素性虚血性脳症を伴う分水嶺梗塞が知的能力障害の主因であるとすれば,脳性麻痺等の何らかの運動障害を伴ってしかるべきであるところ(脳性麻痺等を伴わない程度の分水嶺梗塞であれば,知的能力については,発達的変化によって改善する傾向が見られる。),原告A1にはそのような運動障害が見られない。分水嶺梗塞については,知能段階をより重度側に偏らせた可能性を完全に否定することはできないが,臨床経験からみれば,自閉症が知能段階をより重度側に偏らせている可能性が高い。

      分水嶺梗塞については,自閉症の発症には直接関係しないという見解が有力である。自閉症については,その原因が不明であるが,家族的素因に何らかの外因が加わって発症するものと考えられており,その外因については,一般的かつ軽微なものがほとんどであり,新生児期の低酸素性虚血性脳症がその主体となるとは考えられていない(低酸素性虚血性脳症の既往児に自閉症が多発するとの報告は存在しない。)。

      仮に海馬萎縮が軽度ないし中等度の知的能力障害を伴う自閉症の原因であるとすれば,てんかん性脳波異常及びてんかんの症状があってもおかしくないが,原告A1にはそのような症状が見られない。また,自閉症児の扁桃核及び海馬の容積をMRI検査によって経年的に観察した研究によれば,これらの容積は定型発達群の児童と比較して同等あるいはやや増加している。したがって,海馬の萎縮と知的能力障害を伴う自閉症との関連は乏しい(自身の臨床経験にも一致する。)。

   オ H医師(放射線診断専門医)・I医師(放射線診断専門医)(乙B23,27,30)

    (ア) 原告A1の症状

     (明確な意見は示していない。)

    (イ) 本件過剰投与による不可逆的梗塞・海馬萎縮(壊死)の発生

     a 平成14年○月○日(生後〇日目)のMRI画像(乙A7の2~4)

       大脳白質には低灌流による分水嶺梗塞の所見(分水嶺領域,左右対称,前後対称)が見られるが,不可逆的梗塞があると判断することはできない。また,小脳や大脳基底核には,病変が見られない。

     b 平成〇年〇月〇日(〇歳〇月)のMRI画像(乙A6の1~6)

       分水嶺梗塞の所見は,かなり改善している。小脳や大脳基底核には病変が見られない。海馬萎縮(障害)の所見は見られる。

     c 平成23年6月16日(8歳11か月)のMRI画像(甲A5~8)

       原告A1の大脳の前頭葉白質の高信号は,非常に淡い所見であり,仮に異常所見とみるとしても,軽度のグリオーシスにとどまる。原告A1の左右側脳室三角部の白質の軽度の減少は,分水嶺梗塞の治癒過程である。神経細胞が大量に壊死に陥ると,脳組織が消失し,MRI画像では容積減少として捉えられるが,原告A1の脳のMRI画像には,大脳皮質及び大脳白質の容積低下や狭小化の所見はなく,後遺症としての神経細胞の喪失の所見は見られない。原告A1の脳は,成長による治癒の過程をとっていると判断される。

       また,原告A1の脳梁部分の所見は,脳の機能障害を示すようなものではない。

       脳室周囲白質軟化症は,未成熟子に見られる病態であるが(未成熟子には,大脳白質の乏突起細胞前駆細胞が豊富に存在し,虚血に伴う酸素供給低下が生じる嫌気性解糖による乳酸アシドーシスに弱いため,アポトーシスが生じる。これに対し,成熟子では,幼弱な乏突起細胞が成熟して虚血に対する抵抗性を獲得しているため,上記のアポトーシスは生じない。),原告A1は成熟子(37週6日)である。そうであれば,平成23年6月16日(8歳11か月)のMRI画像(甲A5~8)の大脳白質後方部の部分的変化は,脳室周囲白質軟化症によるものではない。

       平成14年○月○日(生後〇日)のMRI画像(乙A7の2~4),平成〇年〇月〇日(〇歳〇月)のMRI画像(乙A6の1~6)の各所見は,一時的かつ可逆的な所見であると判断される。

       なお,原告A1の脳のMRI画像に海馬萎縮の所見は見られる。

     d 血圧の低下によって海馬が障害されるのは,血圧の低下が長時間(一般に30分程度と言われている。)に及んだ場合であり,それゆえ,新生児の時期に血圧の低下によって海馬が障害される場合には,大脳基底核,視床,脳幹,中心溝周囲の大脳皮質などと共に一体の病変として障害される(特に基底核障害のない海馬障害が分水嶺梗塞と合併するという症例報告は見られない。)。

       原告A1については,約10分程度で自己心拍の再開が確認されており,心臓マッサージの施行やエフェドリン,ボスミンの投与によって,全身の血流は維持されており(最低収縮期血圧50以上),また,原告A1の脳のMRI画像においては,海馬萎縮(壊死)の所見が見られるものの,小脳や大脳基底核に病変は見られない。

       そうであれば,原告A1の海馬萎縮(壊死)は,低灌流の分水嶺梗塞に起因するものとはいえない。

    (ウ) 不可逆的梗塞・海馬萎縮(壊死)と原告A1の症状との因果関係

     (明確な意見は示していない。)

   カ 鑑定人J医師(小児神経科専門医。鑑定の結果,補充鑑定の結果)

    (ア) 原告A1の症状

      自閉スペクトラム症が非常に多彩多様な発現をするものであることからすれば,原告A1の症状は,自閉スペクトラム症及び知的能力障害であると判断される。

    (イ) 本件過剰投与による不可逆的梗塞・海馬萎縮(壊死)の発生

      平成14年○月○日(生後〇日目)のMRI画像(乙A7の2~4)及び平成〇年〇月〇日(〇歳〇月)のMRI画像(乙A6の1~6)には,脳に梗塞が生じた所見が認められ,平成23年6月16日(8歳11か月)のMRI画像(甲A5~8)にも,縮小してはいるものの梗塞の所見が見られる。したがって,原告A1の脳(大脳白質後方部)には,本件過剰投与により不可逆的な梗塞が生じたものと認められる。

      海馬萎縮(これを壊死と評価することについては慎重であるべきである。)は認められるものの,これが本件過剰投与による脳の虚血によって生じたかどうかは不明である。もっとも,原告A1の臨床経過において,本件過剰投与による脳の虚血以外にその原因となる異常を見出すことができない以上,両者の関係を完全に否定することはできない。

      脳室周囲白質軟化症は,拡大解釈される傾向があるものの,在胎32週以下の未成熟子に見られる深部白質の虚血性病変のことをいうものと理解することが適切である。そうであれば,在胎37週6日で出生した成熟子である原告A1について,脳室周囲白質軟化症を診断することは慎重であるべきである。

    (ウ) 不可逆的梗塞・海馬萎縮(壊死)と原告A1の症状との因果関係

      自閉スペクトラム症の原因については,十分な解明がされていない状況にあるものの,遺伝要因のみならず,環境要因が大きく影響している可能性が指摘されている。本件過剰投与による低酸素性虚血性脳症は,その環境要因の一つとして原告A1の症状に影響を与えた可能性を否定することができないものである。

      近年の研究では自閉スペクトラム症をシナプスの異常から理解する試みがあり,大脳白質後方部の不可逆的な梗塞がシナプスの異常を引き起こした可能性は否定し得ない。また,自閉スペクトラム症の患者について,海馬の容量の変化が見られることが報告されており,このことは,自閉スペクトラム症に海馬病変が関与していることを示唆する。

      したがって,大脳白質後方部の不可逆的な梗塞及び海馬萎縮が原告A1の自閉スペクトラム症及び知的能力障害に影響を与えた可能性は,否定することができない。

      もっとも,自閉スペクトラム症の主要症状と脳の障害部位との関係については,未だ明らかとはされておらず(原告A1について,シナプスの病変は画像所見上も確認することができる程度のものとはなっていない。),海馬病変の結果として自閉スペクトラム症を発症するのか,又はその逆であるのかも不明である。また,自閉スペクトラム症の小児患者に関する研究では,記憶・認知機能と海馬の容量との間に相関関係が認められておらず,自閉スペクトラム症の患者について,海馬病変と知的能力障害との関連も十分には解明されていない。そのため,上記の影響を与えた可能性を数値化することは困難である。

      仮に自閉スペクトラム症の発症に関わっていなかったとしても,成人と同様に発達期にも海馬病変のために記憶障害を生じることはよく知られており,原告A1と同じように新生児期に低酸素を経験することで海馬萎縮を引き起こし,記憶障害につながるという報告例はある。そのため,原告A1の症状のうちの記憶の低下が海馬萎縮に影響を受けたものである可能性は否定することができない。

      なお,不可逆的梗塞・海馬萎縮以外で,原告A1の自閉スペクトラム症及び知的能力障害に影響を与えたものとしては,遺伝要因及びその他環境要因が考えられる。

   キ 鑑定人K医師(精神科専門医。鑑定の結果,補充鑑定の結果)

    (ア) 原告A1の症状(最終診察平成28年9月12日)

      中等度の知的能力障害を伴う自閉症

    (イ) 本件過剰投与による不可逆的梗塞・海馬萎縮(壊死)の発生

      MRI画像の読影及び本件過剰投与と不可逆的梗塞・海馬萎縮(壊死)の発生との間の因果関係については専門外であるが,本件過剰投与直後から脳の画像所見に異常所見が認められ,それが現在まで何らかの形で継続して確認されていることも確かであるから,本件過剰投与によって脳に損傷を及ぼす程度の脳の虚血は間違いなく存在したと断定することができる。ただし,原告A1は,脳性麻痺(胎児期,周産期等の脳の虚血と明らかに因果関係があり,かつ,発症頻度の最も高い障害)を発症しておらず,乳幼児期に身体的発達に明らかな遅れが認められなかったことからすれば,その脳の損傷の程度は,軽かったものと推測される。

    (ウ) 不可逆的梗塞・海馬萎縮(壊死)と原告A1の症状との因果関係

      自閉症については,その原因が未だ明らかとされていないが,現時点では,数十個に及ぶ多数の遺伝子がその発症に関与し,個々の症例において,それぞれ異なった遺伝子の組合せと胎内を含めた様々な環境(胎生期,周産期(妊娠22週~生後7日)等における環境)との相互作用の結果,発症に至るものと考えられている(胎生期,周産期における異常と自閉症の発症との関連を指摘する科学的に信頼性の高い論文は存する。)。もっとも,自閉症を発症する先天的な脆弱性がこれらの胎生期,周産期等における異常の要因発生を高めている可能性もあることから,現段階では,胎生期,周産期等における異常と自閉症の発症とは関連がある可能性があるという程度にとどまる。

      本件過剰投与による影響を肯定する仮説としては,①自閉症の発症の直接の原因となったという仮説と,②自閉症の発症の原因とはならなかったものの,知的能力障害の程度を重度にしたという仮説とが考えられる。本件過剰投与による脳の虚血が上記論文において自閉症の発症と関連するものとして直接指摘されているわけではないものの,臍帯異常,胎児窮迫,出生時外傷,低アプガー指数,胎便吸引等当該論文において指摘されているものには脳の虚血を引き起こす可能性が高いものが含まれており,①の仮説は,否定することができない。もっとも,胎児期,周産期等に脳の虚血を経験した児のほとんどは自閉症を発症することなく成長しており,同時期の脳の虚血によって自閉症を発症する頻度は低い。自閉症の70~80%は軽度から最重度まで様々な知的能力障害を伴うものとされているが,出生時の脳虚血による脳症が軽度又は中等度であっても9,10歳における行動面の問題が健常児よりも患児に多いことを指摘する論文が存することからすれば,本件過剰投与による脳の虚血がなければ,原告A1の知的能力が軽度の知的能力障害を伴う程度又は正常範囲にとどまった可能性は否定することができず,②の仮説も,否定することができない。

      以上2つの仮説を否定することができないことからすれば,本件過剰投与による脳の虚血と原告A1の現在の症状との間の因果関係(上記仮説①及び②によるもの)は,医学的に,あると断定することができないものの,決して否定することができないものである。

      そして,本件過剰投与による脳の虚血が知的能力障害をより重度にしている可能性があることからすれば,本件過剰投与による脳の虚血が現在の原告A1の症状に影響を与えた可能性は,50~80%である。これは,鑑定人K医師の臨床的な印象によるものであって,科学的根拠に基づくものではない。なお,原告A1の胎児期や出産時に大きな問題が認められず,家庭での養育や学校での対応も適切にされていることからすれば,本件過剰投与による脳の虚血以外に原告A1の現在の症状の原因となり得るものは特に認められない。

 2 原告A1の現在の症状(争点(1))

  (1) 当裁判所は,原告A1の現在の症状として,自閉スペクトラム症(いわゆる自閉症を含む。)及び中等度の知的能力障害であることは認められるが,原告A1が軽度の運動障害を有していることは認められないと判断する。その理由は,以下のとおりである。

  (2) 自閉スペクトラム症について

   ア 原告A1には,現在,自閉スペクトラム症の症状が見られる(前記1(2)イ(オ)〔本判決28頁〕,1(3)カ(ア)〔本判決38頁〕)。その自閉スペクトラム症の症状は,いわゆる自閉症として理解されてきたものにも該当する(前記1(3)ア(ア)〔本判決30頁〕,イ(ア)〔本判決30頁〕,エ(ア)〔本判決35頁〕,キ(ア)〔本判決40頁〕)。

   イ この点に関し,原告らは,原告A1の認知機能には,大きなばらつきがあり,認知処理の傾向や対人的相互反応の一部には,先天性の広汎性発達障害に見られない部分もあり,原告A1には,典型的な自閉スペクトラム症とは異なる後天性脳障害(高次脳機能障害)の症状である注意障害・記憶障害・固執・抑制困難・社会認知発達の障害等も現れている旨主張し(前記第3,1(1)ア〔本判決7頁〕),平成23年6月6日から同年7月15日までの間,神奈川リハビリテーション病院において,原告A1の検査入院を担当した主治医の一人であるD医師も,これに沿う意見を述べる(前記1(3)ア(ア)〔本判決30頁〕)。

     しかしながら,自閉症を含む自閉スペクトラム症が非常に多彩多様な発現をするものであり(前記1(3)カ(ア)〔本判決38頁〕),本件の鑑定に際して原告A1を直接診察(平成28年9月12日)した鑑定人K医師が典型的な自閉スペクトラム症とは異なる障害が見られる旨を指摘していないこと(前記1(3)キ(ア)〔本判決40頁〕)からすれば,D医師の意見は採用することができず,原告A1に典型的な自閉症とは異なる障害が見られることを認めるに足りる証拠はなく,原告らの上記主張は採用することができない。

  (3) 知的能力障害について

    原告A1には,現在,知的能力障害の症状が見られる(前記1(2)イ(オ)〔本判決28頁〕)。知的能力障害は,知的機能の程度によって,軽度(IQ50~55からおよそ70),中等度(IQ35~40から50~55),重度(IQ20~25から35~40),最重度(IQ20~25以下)に分類されるところ(前記第2,2(4)イ〔本判決5頁〕),原告A1のIQが12歳の時点(平成26年○月○○日)において48であり(前記1(2)ウ(ウ)〔本判決29頁〕,別表知能検査結果等一覧),上記の分類の中等度に該当し,本件の鑑定に際して原告A1を直接診察した鑑定人K医師が中等度の知的能力障害である旨の意見を述べていること(前記1(3)キ(ア)〔本判決40頁〕)からすれば,原告A1の現在の知的能力障害の程度は,中等度であると認められる。

    なお,原告A1の知的能力障害の程度が軽度~中等度である旨の医師の意見(前記1(3)イ(ア)〔本判決30頁〕,エ(ア)〔本判決35頁〕)もあるが,いずれも,原告A1が中等度の知的能力障害であることを積極的に否定するものではなく,鑑定人K医師が診察をするよりも前の状況を前提とするものであるから,鑑定人K医師の意見による上記認定を左右しない。

  (4) 運動障害について

    原告らは,原告A1が,肩甲骨周囲筋や肘屈筋群の低緊張状態を呈しており,体幹が弱く,粗大運動機能の支障を有してはいないものの,手指の細かな運動が苦手であり,軽度の運動障害を有している旨主張する(前記第3,1(1)ウ〔本判決7頁〕)。平成23年6月6日から同年7月15日までの間,神奈川リハビリテーション病院において,原告A1の検査入院を担当した主治医の一人であるD医師は,運動面では,体幹や四肢近位部の弱さ,協調動作の稚拙さが見られるとして,上記の原告らの主張に沿うと解される意見を述べる(前記1(3)ア(ア)〔本判決30頁〕)。

    しかしながら,原告A1が中等度の知的能力障害を有することは前記(3)〔本判決43頁〕のとおりであって,知的能力障害には,精神年齢の遅滞ゆえに,動作にぎこちなさや稚拙さ,多動を伴うことがあることが容易に想定されるところ,上記D医師の意見において述べられるところの症状は,そのぎこちなさや稚拙さ,多動の域を超えるものではないと考えられ,その他の医師が運動障害を格別には指摘していないこと(前記1(3)イ(ア)〔本判決30頁〕,エ(ア)〔本判決35頁〕,カ(ア)〔本判決38頁〕,キ(ア)〔本判決40頁〕)にも照らせば,原告A1が軽度の運動障害を有しているものとは認められず,原告らの上記主張は,採用することができない。

  (5) 以上のとおり,原告A1の現在の症状は,自閉スペクトラム症(いわゆる自閉症を含む。)及び中等度の知的能力障害であると認められる。

 3 本件過剰投与と原告A1の現在の症状との間の因果関係の有無(争点(2))

  (1) 因果関係の存否

    当裁判所は,本件過剰投与により,原告A1に不可逆的梗塞及び海馬萎縮(壊死)が発生したものと認められるが,その不可逆的梗塞又は海馬萎縮(壊死)によって原告A1の自閉スペクトラム症及び中等度の知的能力障害のいずれが発生したとも認めることができないから,結局,本件過剰投与と原告A1の自閉スペクトラム症及び中等度の知的能力障害の間にはいずれも因果関係を認めることはできないと判断する。その上で,当裁判所は,本件過剰投与がなければ原告A1に自閉スペクトラム症を生じなかった相当程度の可能性は認められないが,本件過剰投与がなければ原告A1に中等度の知的能力障害を生じなかった相当程度の可能性は認められるものと判断する。以下,詳述する。

  (2) 本件過剰投与の内容

   ア 原告A1に対するラボナール液の投与量

    (ア) 原告A1には,当初予定されていた0.6mlのほかに合計15mlのラボナール液が過剰に投与されたものであり,投与量は合計15.6mlであったものと認められる(本件過剰投与。前記1(1)ウ〔本判決21頁〕)。

    (イ) これに対し,原告らは,原告A1に投与されたラボナール液の量が,15.6ml以上であることを前提として,原告A1には,適正投与量(当初予定されていた投与量0.6ml)の26倍以上(用意されたラボナール液20ml全量が投与されたとすれば,適正投与量の30倍)のラボナール液が過剰に投与された(本件過剰投与)旨主張する(前記第3,2(1)イ〔本判決8頁〕)。そして,証拠(乙A1(290・293丁))によれば,平成14年6月30日にA医師らが原告A2らに対してこれに沿う説明をしたことが認められる。

      しかしながら,上記説明は,原告A1の状況をその家族との間で早急に共有するために行われたものであり,投与量に関する正確な事実関係の確認が不十分な状況において行われた可能性があり,ラボナール液を実際に過剰投与したC医師等の聞き取りの上でその後に作成された「医療事故の概要」と題する報告書(前記認定事実に沿った記載がある。甲A1)に比べて,投与量に関する事実関係の正確性に乏しいものと認められる。そして,他に原告A1に15.6mlを超えるラボナール液が投与されたことを認めるに足りる証拠はないから,原告らの上記主張を採用することはできない。

   イ 予定投与量及び最大投与量との比較

     本件手術において当初予定されたラボナール液の投与量は,0.6mlであった(前記1(1)イ〔本判決21頁〕)。

     また,ラボナールの添付文書(甲B1)には,ラボナールの用量や静注速度は,年齢・体重と関係が少なく個人差があるため一定ではないものの,概ねの基準において短時間麻酔として使用する場合でも1回の最大投与量は1000mgまでとする旨が定められている(前記1(1)ウ(ア)〔本判決21頁〕)。薬剤の用量に関しては,成人(概ね体重50kg)を基準として定められていること(弁論の全趣旨)からすれば,体重が約3kg(前記第2,2(2)ア〔本判決3頁〕)であった原告A1に対するラボナールの1回の最大投与量は,60mg(1000mg÷50kg×3kg=60mg)であったと認められる。本件手術に先立ち,ラボナール500mgを含む水溶液(ラボナール液)20mlが作成されたことからすると,今回のラボナール液の最大投与量は,2.4ml(20ml÷500mg×60mg=2.4ml)であったと認められる。

     前記ア(ア)〔本判決45頁〕のとおり,原告A1に投与されたラボナール液は,合計15.6mlであったと認められるから,原告A1に投与されたラボナール液の量は,当初予定されていた投与量0.6mlの26倍,最大投与量2.4mlの6.5倍であったと認められる。

   ウ 本件過剰投与の法的評価

     本件過剰投与の経緯は,前記1(1)〔本判決21頁〕のとおりであり,本件過剰投与は,A医師が,本件手術での使用が予定されていなかったラボナール液19.4mlが残置する注射器を,内容物を示すラベルを貼付せずに放置し,A医師から引き継ぎを受けたB医師が,本件で使用予定のないラボナール液の在中する上記注射器が存在することを,B医師から更に引き継ぎを受けるC医師に引き継がず,C医師が,ラボナール液が在中する上記注射器を,内容物について何ら確認することなくアルブミン液が在中するものと誤信し,上記注射器によって5回にわたり,合計で当初予定された投与量の26倍,最大投与量の6.5倍に及ぶラボナール液を原告A1に投与したというものであり,A医師,B医師及びC医師の,初歩的な注意を怠った重大な過失による不適切な医療行為であったというべきである。

  (3) 本件過剰投与による不可逆的梗塞・海馬萎縮(壊死)の発生

    原告A1は,本件過剰投与により,低酸素性虚血性脳症を発症し,これにより,原告A1の脳に不可逆的梗塞・海馬萎縮が発生したものと認められる。その理由は,以下のとおりである。

   ア(ア) 鑑定人J医師は,平成14年○月○日(生後〇日目)のMRI画像(乙A7の2~4)及び平成〇年〇月〇日(〇歳〇月)のMRI画像(乙A6の1~6)には,脳に梗塞が生じた所見が認められ,平成23年6月16日(8歳11か月)のMRI画像(甲A5~8)にも,縮小してはいるものの梗塞の所見が見られ,原告A1の脳(大脳白質後方部)には,本件過剰投与により不可逆的な梗塞が生じたものと認められる旨の意見を述べる(前記1(3)カ(イ)〔本判決38頁〕)。

      上記鑑定人J医師の意見は,基礎とするMRI画像の読影に関してF医師(放射線診断専門医)の意見(前記1(3)ウ(イ)〔本判決31頁〕)に沿うものであり,不可逆的であるか否かの判断は異にするものの,梗塞の存在を肯定する点ではH医師及びI医師(放射線診断専門医)の意見(前記1(3)オ(イ)〔本判決36頁〕)に沿うところのものであり,採用することができる。

    (イ) 鑑定人J医師は,海馬萎縮(これを壊死と評価することについては慎重であるべきである。)は認められ,これが本件過剰投与による脳の虚血によって生じたのかどうかは不明であるが,原告A1の臨床経過において,本件過剰投与による脳の虚血以外にその原因となる異常を見出すことができず,両者の関係を完全に否定することはできない旨の意見を述べる(前記1(3)カ(イ)〔本判決38頁〕)。

      また,F医師は,①海馬が,分水嶺領域に存し,構成細胞特有の脆弱性(強い虚血で壊死,弱い虚血でアポトーシス(個体の統制・制御のための能動的細胞死)する性質)を有しており,新生児期には未熟であるがゆえの脆弱性(より軽度の虚血で壊死,アポトーシスする。)も加わることにより,特に,新生児期の低酸素性虚血性脳症による分水嶺梗塞の好発部位であって,分水嶺領域に分水嶺梗塞が生じた以上,海馬に影響が及ぶことは明らかであり,②平成14年○月○日(生後〇日目)のMRI画像において海馬に明らかな萎縮や信号異常は認められなかったことは,原告A1が正常新生児であったことの証左であり,海馬の壊死及び萎縮性変化は,本件過剰投与によるものと判断される旨意見を述べる(前記1(3)ウ(イ)d〔本判決33頁〕)。

      鑑定人J医師の意見は,海馬萎縮について,本件過剰投与による脳の虚血が原因であるかどうかは正確には不明であるとするものの,本件過剰投与による脳の虚血以外にその原因となる異常を見出すことができないとするものであり,F医師の意見においては,海馬が特に脆弱性を有しており,本件過剰投与によって分水嶺梗塞が生じたことからすれば,海馬にその影響が及ぶことが明らかであり,原告A1に先天的な異常の所見が認められなかったことも指摘されている。両意見によれば,原告A1の海馬には萎縮が生じており,それは本件過剰投与によるものであると認めるのが相当である。

   イ これに対し,被告は,本件過剰投与による不可逆的梗塞・海馬萎縮(壊死)の発生を争うので,この点に関する被告の主張につき検討する。

    (ア) 被告は,本件過剰投与により不可逆的障害が生じたことを争い,その根拠として,原告A1の脳が不可逆的な脳障害をもたらす程度の低酸素状態に陥らなかった旨主張する(前記第3,2(2)ウ(ア)〔本判決13頁〕)。

      しかし,本件過剰投与により,原告A1には,午後6時40分頃に血圧低下が生じ,閉腹前に著明なアシドーシスが見られ,午後6時43分頃に心電図モニター上電気的活動が見られない心静止,さらには心停止の状態が見られ,自己心拍の再開が確認される午後6時53分まで,非開胸式心臓マッサージを10分近く継続することが要される状態となっており,その間も昇圧剤であるエフェドリンや強心作用を有するボスミンが投与されるも並行してラボナール液の過剰投与もされており,午後7時13分には心電図上心室細動が確認されるなど不安定な状態が続いたのであるから(前記1(1)ウ(ア),(イ)〔本判決21,23頁〕),原告A1の脳が不可逆的な脳障害をもたらす程度の低酸素状態に陥ったことは明らかである。したがって,原告A1の脳が不可逆的な脳障害をもたらす程度の低酸素状態に陥らなかった旨の被告の指摘は,その前提において採用することができない。

    (イ) 被告は,梗塞が不可逆的でないとして,MRI画像上で分水嶺梗塞の所見が縮小して改善ないし治癒過程をたどっている旨主張する(前記第3,2(2)ウ(イ)〔本判決14頁〕)。

      放射線診断専門医であるH医師及びI医師は,MRI画像上で分水嶺梗塞の所見が縮小して改善ないし治癒過程をたどっている旨の意見を述べる(前記1(3)オ(イ)〔本判決36頁〕)。しかし,同医師らの意見を前提にしても,MRI画像上では,分水嶺梗塞の所見は残っていると認められる。そして,梗塞が不可逆的か否かの点について,鑑定人J医師の意見は,H医師及びI医師らの意見と異なるが,鑑定人J医師は,裁判所の選任した鑑定人であり,中立的な立場から意見を述べているものと認められ,その意見のうちの上記の点に特段不合理な点はないから,不可逆的な梗塞が生じたという上記鑑定人J医師の意見を採用するのが相当である。

    (ウ) 被告は,原告A1には,本件過剰投与後に,脳機能低下に伴う脳波の所見である群発抑制交代パターンやアシドーシスがあったが,群発抑制交代パターンは麻酔薬(麻酔導入剤)であるラボナール液の作用として現れたものにすぎず,原告A1に見られたアシドーシスは投薬(メイロン)により適時に補正されている旨主張する(前記第3,2(2)ウ(ウ)〔本判決15頁〕)。

      群発抑制交代パターンは,脳器質疾患,未熟児など,薬物使用時以外に出現する場合には,極めて重篤な脳障害の存在を示唆するものであるが,特定の麻酔深度でごく普通に見られる脳波所見であるところ,原告A1については,ラボナール液の経時的な自然排泄に伴って消失しており(前記1(1)オ〔本判決24頁〕),群発抑制交代パターンがラボナール液の作用として現れたことは,被告の指摘するとおりである。しかし,これらの所見から,逆に,原告A1の脳が不可逆的な脳障害をもたらす程度の低酸素状態に陥らなかったことが窺われるものではない。また,アシドーシスについては,午後7時19分及び午後8時20分にメイロンが投与され,午後8時47分には一時的に改善をみるも,翌日の午前3時5分に改善するまでは,再度続いているのであって(前記1(1)ウ(イ)〔本判決23頁〕),適時に補正されたとは必ずしもいえず,この点で,被告の上記主張は,採用することができない。したがって,被告の上記主張により,不可逆的な梗塞が生じたという鑑定人J医師の意見の採用が覆されることはない。

    (エ) 被告は,本件過剰投与の直後に頭蓋内圧亢進症状及び運動障害が見られない旨主張する(前記第3,2(2)ウ(エ)〔本判決15頁〕)。

      原告A1に平成〇年〇月〇日に頭蓋内圧亢進(低酸素性虚血性脳症により脳浮腫が生じた場合に生じることがある疾患)の症状(大泉門の拡大や矢状縫合の離開)が確認されず(前記1(1)カ〔本判決24頁〕),原告A1に運動障害が認められないこと(前記2(4)〔本判決43頁〕)は,被告が指摘するとおりである。しかしながら,低酸素性虚血性脳症によって不可逆的な梗塞が生じた場合にこれらの症状が見られるという医学的知見を認めることはできても,その逆に,これらの症状が見られない場合には低酸素性虚血性脳症によって不可逆的な梗塞が生じていないとの医学的知見を認めることはできないから,被告の上記主張により,不可逆的な梗塞が生じたという鑑定人J医師の意見の採用が覆されることはない。

      また,被告は,海馬が萎縮(壊死)を起こすと,一般に難治性のてんかんやけいれんを発症するところ,原告A1にはそのような症状が見られない旨主張する(前記第3,2(2)ウ(エ)〔本判決15頁〕)。

      しかし,難治性のてんかんやけいれんを発症する点については,海馬が萎縮(壊死)を起こした場合には必ず難治性のてんかんやけいれんを発症するとの医学的知見を認めることができず,また,この点を措くとしても,原告A1は難治性か否かは未だ不明であるものの平成29年8月に症候性局在関連てんかんを発症していることからすれば(前記1(2)イ(オ)〔本判決28頁〕),被告の上記主張は,その前提において採用することができない。

    (オ) 被告は,本件過剰投与以外の原因として,帝王切開による分娩時のストレスにより血液の循環不全や,先天性回腸閉鎖症による腹部膨満等のために血液の循環不全,生まれつきの遺伝要因による脳細胞の脆弱性を指摘する(前記第3,2(2)ウ(オ)〔本判決15頁〕)。

      被告が本件過剰投与以外の原因として主張する事由は,いずれも抽象的可能性を指摘するにとどまるものであり,それらの事由によって原告A1の脳に不可逆的な梗塞が生じたことを具体的に裏付ける証拠はないから,被告の上記指摘により,不可逆的な梗塞及び海馬萎縮が生じたという鑑定人J医師の意見の採用が覆されることはない。

      また,被告は,新生児の時期に大脳基底核,視床,脳幹,海馬,中心溝周囲の大脳皮質などの部位が障害される場合には,一部のみではなく一体の病変として障害される(特に基底核障害のない海馬障害が分水嶺梗塞と合併するという症例報告は見られない。)ところ,原告A1の脳のMRI画像においては,海馬萎縮(壊死)の所見が見られるが,大脳白質に病変が見られるも小脳や大脳基底核に病変が見られない旨主張する(前記第3,2(2)ウ(オ)〔本判決15頁〕)。

      海馬が一体の病変として障害される点については,H医師及びI医師もこれに沿った意見を述べる(前記1(3)オ(イ)d〔本判決37頁〕)。しかし,F医師は,分水嶺領域に分水嶺梗塞が生じた以上,海馬に影響が及ぶことは明らかであるとしつつ,①大脳基底核等他の部位の損傷が不可逆的なものには至らないために事後的なMRI画像上では検出されない例,②不可逆的な損傷はあるもMRI画像上では検出されない例,③他の部位の損傷がないまま海馬萎縮(壊死)を生ずる例もあるから,MRI画像上において他の部位の損傷がないことは分水嶺梗塞による海馬萎縮(壊死)を否定する根拠とならない旨意見を述べており(前記1(3)ウ(イ)d〔本判決33頁〕),このようなF医師の意見は合理的なものと認められ,採用することができる。海馬は分水嶺領域に存在するから,原告A1について分水嶺梗塞によって不可逆的梗塞を来した以上,海馬にも萎縮的変化が及び得ると考えることは合理的であるといえる。したがって,被告の上記主張を採用することができない。

   ウ なお,原告らは,脳室周囲白質軟化症の発症を指摘し(前記第3,2(1)ウ(イ)〔本判決9頁〕),F医師もこれに沿った意見を述べるが(前記1(3)ウ(イ)c〔本判決32頁〕),鑑定人J医師の意見によれば,脳室周囲白質軟化症は,拡大解釈される傾向があるものの,在胎32週以下の未成熟子に見られる深部白質の虚血性病変のことをいうものと理解するのが適切であるから(前記1(3)カ(イ)〔本判決38頁〕),37週6日で出生した成熟子である原告A1が脳室周囲白質軟化症を発症したとは認められない。

  (4) 不可逆的梗塞・海馬萎縮(壊死)による自閉スペクトラム症の発症

   ア(ア) 鑑定人J医師は,自閉スペクトラム症の原因については,十分な解明がされていない状況にあるものの,遺伝要因のみならず,環境要因が大きく影響している可能性が指摘されており,本件過剰投与による低酸素性虚血性脳症がその環境要因の一つとなった可能性を否定することができない旨の意見を述べ(前記1(3)カ(ウ)〔本判決38頁〕),鑑定人K医師は,自閉症については,その原因が未だ明らかとされていないが,現時点では,数十個に及ぶ多数の遺伝子がその発症に関与し,個々の症例において,それぞれ異なった遺伝子の組合せと胎内を含めた様々な環境(胎生期,周産期(妊娠22週~生後7日)等における環境)との相互作用の結果発症に至るものと考えられている(胎生期,周産期における異常と自閉症の発症との関連を指摘する科学的に信頼性の高い論文は存する。)旨の意見を述べる(前記1(3)キ(ウ)〔本判決40頁〕)。これらの両鑑定人の意見によれば,現時点においては,出生前後の低酸素性虚血性脳症が自閉スペクトラム症発症の環境要因の一つとなり得るものとして考えられているものと認められる。

      もっとも,低酸素性虚血性脳症による脳のいずれの部分への障害が自閉スペクトラム症発症にかかわるのかについては,鑑定人J医師の意見によれば,近年の研究では自閉スペクトラム症をシナプスの異常から理解する試みがされており,大脳白質後方部の不可逆的な梗塞がシナプスの異常を引き起こす可能性があり,また,自閉スペクトラム症の患者について,海馬の容量の変化が見られることが報告されており,自閉スペクトラム症に海馬病変が関与していることが示唆されることが指摘されるものの,シナプスの異常から理解する試みが通説的なものであるとは必ずしも認められず,海馬病変の結果として自閉スペクトラム症を発症するのか,又はその逆であるのかも不明であって(前記1(3)カ(ウ)〔本判決38頁〕),自閉スペクトラム症の主要症状と脳の障害部位との関係については,未だ明らかとはされていない。

      以上によれば,現時点においては,出生前後の低酸素性虚血性脳症が自閉スペクトラム症発症の環境要因の一つとなり得るものとして考えられているものの,具体的に出生前後の低酸素性虚血性脳症による不可逆的梗塞や海馬萎縮(壊死)が自閉スペクトラム症の原因となるか否かについては不明であるという他ない。

    (イ) その上で,鑑定人J医師は,本件過剰投与による低酸素性虚血性脳症が,その環境要因の一つとして原告A1の症状に影響を与えた可能性を否定することができない旨意見を述べるところ(前記1(3)カ(ウ)〔本判決38頁〕),当該意見は,自閉スペクトラム症の原因について十分な解明がされていない状況にある中で,その環境要因の一つとなった可能性を指摘するものにとどまるから,当該意見に基づいて,本件過剰投与による低酸素性虚血性脳症によって,原告A1の自閉スペクトラム症が引き起こされたものと認めることはできない。

    (ウ) 鑑定人K医師は,本件過剰投与が自閉症の発症の直接の原因となったという仮説を否定することができず,本件過剰投与による脳の虚血が現在の原告A1の症状に影響を与えた可能性は,50~80%である旨意見を述べる(前記1(3)キ(ウ)〔本判決40頁〕)。

      しかし,上記意見中確率に関する部分は,鑑定人K医師の臨床的な印象によるものであって,科学的根拠に基づくものではない(前記1(3)キ(ウ)〔本判決40頁〕)。

      さらに,鑑定人K医師は,本件過剰投与による脳の虚血以外に原告A1の現在の症状の原因となり得るものは特に認められないとするが(前記1(3)キ(ウ)〔本判決40頁〕),鑑定人J医師が,自閉スペクトラム症の原因について遺伝要因のみならず環境要因が大きく影響している可能性が指摘されているとの意見を述べていることからすれば(前記1(3)カ(ウ)〔本判決38頁〕),原告A1に自閉スペクトラム症を生じた要因としては,本件過剰投与による低酸素性虚血性脳症の他に,遺伝要因及びその他の環境要因が考えられる。そして,G医師により,自閉症の原因として,家族的素因以外の外因については,一般的かつ軽微なものがほとんどであると指摘されている(前記1(3)エ(ウ)〔本判決35頁〕)。ところが,原告A1について遺伝要因の有無は不明であり,また,その他の環境要因についても,一般的かつ軽微なものが含まれ得るとされていることに鑑みれば,原告A1について,自閉症の原因となるその他の環境要因の有無は不明であると言わざるを得ない。

      以上に検討したところに,自閉スペクトラム症の原因について十分な解明がされていない状況にあることも踏まえれば,鑑定人K医師の意見中の,本件過剰投与による脳の虚血が現在の原告A1の症状に影響を与えた可能性が50~80%である旨の確率に関する部分を根拠として,本件過剰投与と自閉スペクトラム症との間の因果関係の存在を肯定することはできない。

   イ 原告らは,出生前後の低酸素性虚血性脳症による不可逆的梗塞・海馬萎縮(壊死)が自閉スペクトラム症の原因となり得るものであり,先天的な自閉症及び知的能力障害を併せ持つ小児の発生頻度が1000人に1人程度であることからすれば,不可逆的梗塞・海馬萎縮(壊死)により原告A1の自閉スペクトラム症が引き起こされたと考えるのが合理的である旨主張し(前記第3,2(1)エ(ア)〔本判決11頁〕),E医師(前記1(3)イ(ウ)〔本判決31頁〕)及びF医師(前記1(3)ウ(ウ)〔本判決34頁〕)もこれに沿うと解される意見を述べる。

     E医師の意見によれば,一般的に,知的能力障害を有する小児の割合は,日本の小児人口の0.7%程度(全程度の知的能力障害,原因不問)であり,その知的能力障害の程度による内訳は,概ね,軽度0.3%,中等度0.2%,重度0.2%であり,軽度ないし中等度の知的能力障害を有する小児2,3人のうち1人程度は,自閉症を合併するとのことであるから,自閉症及び中等度の知的能力障害を併せ持つ小児の発生確率は0.1%程度(1000人に1人程度の発生頻度)であると解される。しかしながら,これは,自閉症及び中等度の知的能力障害の原因が「先天的」か「後天的」かを問わない発生確率であり,原告らやE医師の指摘する「先天的」に自閉症及び中等度の知的能力障害を併せ持つ小児の発生確率ではない。したがって,先天的な自閉症及び知的能力障害を併せ持つ小児の発生頻度が1000人に1人程度であるとする原告らの主張は,採用することができない。

     さらに,仮に,先天的な自閉症及び知的能力障害を併せ持つ小児の発生頻度が1000人に1人程度であるとしても,前記ア(ア)〔本判決53頁〕のとおり,出生前後の低酸素性虚血性脳症が自閉スペクトラム症発症の環境要因の一つとなる可能性はあるものの,出生前後の低酸素性虚血性脳症による不可逆的梗塞や海馬萎縮(壊死)が自閉スペクトラム症の原因となるか否かについては不明であるという他ない状況にあることを考慮すると,原告A1の出生前後の低酸素性虚血性脳症による不可逆的梗塞・海馬萎縮(壊死)と自閉スペクトラム症との間の因果関係が立証されたとはいえない。

   ウ 訴訟上の因果関係の立証とは,経験則に照らして全証拠を総合検討し,特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであり,その判定は,通常人が疑義を差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうる程度のもので足りると解される(最高裁昭和48年(オ)第517号同50年10月24日第二小法廷判決・民集29巻9号1417頁)。しかし,以上検討したところに加え,本件の全証拠を考慮しても,本件過剰投与が原告A1の自閉スペクトラム症を招来した関係を是認しうることについて,通常人が疑義を差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうる程度の高度の蓋然性を認めることはできず,本件過剰投与と原告A1の自閉スペクトラム症との間の因果関係を認めることはできない。

  (5) 不可逆的梗塞・海馬萎縮(壊死)による知的能力障害の発症

   ア 原告らは,出生前後の低酸素性虚血性脳症による不可逆的梗塞・海馬萎縮(壊死)は知的能力障害の原因となり得るものであり,原告A1の症状には典型的な自閉スペクトラム症とはいえない部分があり,先天的な自閉症及び知的能力障害を併せ持つ小児の発生頻度が1000人に1人程度であることからすれば,当該部分については,不可逆的梗塞・海馬萎縮(壊死)により引き起こされたと考えるのが合理的である旨主張する(前記第3,2(1)エ(イ)〔本判決12頁〕)。

   イ 出生前後の低酸素性虚血性脳症は知的能力障害の原因となり得るものである(前記第2,2(4)イ〔本判決5頁〕)。

     原告らは,原告A1の症状には典型的な自閉スペクトラム症とはいえない部分がある旨を主張するが,当該主張部分は,前記2(2)イ〔本判決42頁〕において説示したとおり,採用することができない。ただし,原告らは,自閉スペクトラム症との因果関係が否定されるとしても,中等度の知的能力障害がこれとは別個に本件過剰投与によって引き起こされたことをも主張するものであるから,以下その点について検討する。

     出生前後の低酸素性虚血性脳症を経験した患児で新生児期以降にも生存した患児のうち30%が知的能力障害等の神経学的後遺症を残すとの報告があり(前記第2,2(4)イ〔本判決5頁〕),特に本件過剰投与による低酸素性虚血性脳症によって原告A1の脳に不可逆的梗塞・海馬萎縮が生じていること(前記(3)〔本判決47頁〕)に照らせば,原告A1の中等度の知的能力障害は,本件過剰投与によって引き起こされた又は重くなったものと考える余地はある。

     もっとも,原告A1については,自閉スペクトラム症が見られ,その症状はいわゆる自閉症として理解されてきたものにも該当するものであるところ,自閉症の患児の約半数が知的能力障害を合併するといわれていること(前記第2,2(4)ア〔本判決4頁〕。なお,鑑定人K医師の意見によれば,より高率の合併率とのことでもある。前記1(3)キ(ウ)〔本判決40頁〕)からすれば,原告A1の中等度の知的能力障害については,自閉スペクトラム症(自閉症)ゆえに引き起こされたものである可能性がある。

     このように,原告A1の中等度の知的能力障害は,本件過剰投与によって引き起こされた又は重くなったものと考える余地はあるものの,他方で,自閉スペクトラム症(自閉症)であるがゆえに引き起こされたものである可能性があることからすれば,原告A1の中等度の知的能力障害が本件過剰投与によって引き起こされた又は重くなったということが立証されたとはいえず,原告らの主張は,採用することができない。

     なお,先天的な自閉症及び知的能力障害を併せ持つ小児の発生頻度が1000人に1人程度であるとする原告らの主張が採用することができないことは,前記(4)イ〔本判決55頁〕のとおりである。そして,本件過剰投与によって知的能力障害が重くなった可能性を指摘する意見(G医師(前記1(3)エ(ウ)〔本判決35頁〕,鑑定人J医師(前記1(3)カ(ウ)〔本判決38頁〕)は,いずれもその可能性を指摘するにとどまるものであって,高度の蓋然性があることをいうものではない。また,鑑定人K医師は,本件過剰投与が自閉症の発症の直接の原因となったという仮説を否定することができず,本件過剰投与による脳の虚血が現在の原告A1の症状に影響を与えた可能性は,50~80%である旨意見を述べる(前記1(3)キ(ウ)〔本判決40頁〕)が,上記意見中確率に関する部分は,鑑定人K医師の臨床的な印象によるものであって,科学的根拠に基づくものではなく(前記1(3)キ(ウ)〔本判決40頁〕),上記意見中の確率に関する部分を根拠として,本件過剰投与と知的能力障害との間の因果関係の存在を肯定することはできない。

   ウ 以上検討したところに加え,本件の全証拠を考慮しても,本件過剰投与が原告A1の中等度の知的能力障害を招来した関係を是認しうることについて,通常人が疑義を差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうる程度の高度の蓋然性を認めることはできず,本件過剰投与と原告A1の中等度の知的能力障害との間の因果関係を認めることはできない。

  (6) 不可逆的梗塞・海馬萎縮(壊死)による運動障害の発症

    原告A1が運動障害を発症したとは認められないから(前記2(4)〔本判決43頁〕),本件過剰投与による不可逆的梗塞・海馬萎縮(壊死)によって運動障害が引き起こされた旨の原告らの主張は,その前提において採用することができない。

  (7) 相当程度の可能性の存否

   ア そこで,適切な医療が行われて本件過剰投与がなかったならば,原告A1に自閉スペクトラム症又は中等度の知的能力障害が残らなかった相当程度の可能性の有無について検討する。

   イ 自閉スペクトラム症の原因については,十分な解明がされていない状況にあり,具体的に出生前後の低酸素性虚血性脳症による不可逆的梗塞や海馬萎縮(壊死)が自閉スペクトラム症の原因となるか否かについては不明であるという他ないこと(前記(4)ア(ア)〔本判決53頁〕)を考慮すると,適切な医療が行われて本件過剰投与がなかったならば,原告A1に自閉スペクトラム症の後遺症が残らなかった相当程度の可能性があるとはいえない。

   ウ 他方,知的能力障害については,出生前後の低酸素性虚血性脳症がその原因となり得るとされており(前記第2,2(4)イ〔本判決5頁〕),未だに分からないことが多いものの,低酸素性虚血性脳症との結びつきは,自閉症に比べれば,知的能力障害の方が明確にされているといえる。そして,本件過剰投与による低酸素性虚血性脳症によって原告A1の脳に不可逆的梗塞・海馬萎縮が生じていること(前記(3)〔本判決47頁〕)に照らせば,本件過剰投与との間の因果関係が立証されたとはいえないとしても,原告A1の中等度の知的能力障害が本件過剰投与によって引き起こされた又は重くなったと考える余地はある(前記(5)イ〔本判決57頁〕)。さらに,D医師は原告A1の症状が新生児期の低酸素性虚血性脳症による後天性脳障害として矛盾しない旨の意見を述べ(前記1(3)ア(イ)〔本判決30頁〕),E医師は原告A1の軽度ないし中等度の知的能力障害及び自閉症が低酸素性虚血性脳症の後遺症である可能性が極めて高く,そのように考えることが医学的・科学的に極めて合理的である旨の意見を述べ(前記1(3)イ(ウ)〔本判決31頁〕),G医師は分水嶺梗塞については知能段階をより重度側に偏らせた可能性を完全に否定することはできない旨の意見を述べ(前記1(3)エ(ウ)〔本判決35頁〕),鑑定人J医師は大脳白質後方部の不可逆的な梗塞及び海馬萎縮が原告A1の自閉スペクトラム症及び知的能力障害に影響を与えた可能性は否定することができず,原告A1の症状のうちの記憶の低下が海馬萎縮に影響を受けたものである可能性は否定することができない旨意見を述べ(前記1(3)カ(ウ)〔本判決38頁〕),鑑定人K医師は,本件過剰投与による脳の虚血と原告A1の現在の症状との間の因果関係が医学的にあると断定することができないものの決して否定することができず,本件過剰投与による脳の虚血が知的能力障害をより重度にしている可能性がある旨意見を述べており(前記1(3)キ(ウ)〔本判決40頁〕),本件過剰投与による低酸素性虚血性脳症が知的能力障害を引き起こした又は重くした可能性のあることは,複数の医師により指摘されているところでもある。

     そうであれば,適切な医療が行われて本件過剰投与がなければ,原告A1の中等度の知的能力障害がなかった相当程度の可能性はあったものと認めるのが相当である。

     なお,被告は,成熟新生児の低酸素性虚血性脳症の重症度に関して用いられるサルナーの分類によれば,てんかんを発症していない点などから,原告A1は最も軽度な第1期に分類され,症例研究によれば,第1期に分類された者の全例が後遺症なく正常に成長した旨主張するが(前記第3,2(2)エ(イ)〔本判決17頁〕),原告A1はてんかんを発症しているから(前記1(2)イ(オ)〔本判決28頁〕),被告の上記主張は,その前提において採用することができない。

 4 原告らの損害(争点(3))

  (1) 相当程度の可能性の侵害による損害

   ア 医療水準に達しない不適切な医療行為と患者の後遺症との間に因果関係の存在が証明されなくても,不適切な医療行為がなく適切な医療行為を受けていたならば患者に重大な後遺症が残らなかった相当程度の可能性の存在が証明されるときは,医師は,不法行為又は債務不履行に基づき,患者が上記可能性を侵害されたことによって被った精神的苦痛に対する慰謝料を賠償すべきである。

   イ 前記3(4)ウ〔本判決56頁〕,前記3(5)ウ〔本判決59頁〕のとおり,本件過剰投与と,原告A1の自閉スペクトラム症及び中等度の知的能力障害との間の因果関係を認めることはできないが,前記3(7)ウ〔本判決59頁〕のとおり,適切な医療が行われて本件過剰投与がなければ,原告A1の中等度の知的能力障害はなかった相当程度の可能性はあったものと認められる。そのため,原告A1は,そのような可能性を侵害されたことによる精神的苦痛に対する慰謝料を請求することができるというべきである。

   ウ そこで損害の金額について検討する。本件過剰投与行為は,被告病院の医師の初歩的な注意を怠った重大な過失による不適切な医療行為であった(前記3(2)ウ〔本判決46頁〕)。そして,原告A1は,知的能力障害があるため,成人したとしても健常児の9~10歳程度の精神年齢となる可能性が高く,一般就労ができる可能性がないというのであり(前記1(2)イ(オ)〔本判決28頁〕),中等度の知的能力障害という原告A1の後遺症は,重大であるといえる。その他本件に現れた諸事情を考慮すれば,原告A1が中等度の知的能力障害が残らなかった相当程度の可能性を侵害されたことにより被った精神的苦痛を慰謝するに足りる金額は,500万円と認めるのが相当である。

  (2) 原告らが主張するその他の損害について検討する。

   ア 治療関係費 20万4100円

     原告ら請求の治療関係費(前記第3,3(1)ア〔本判決17頁〕)のうち,自閉スペクトラム症のために要した歯科治療費7万5590円については,本件過剰投与によって自閉スペクトラム症が生じたとは認められない(因果関係が認められないということ。以下,同じ。)から,本件過剰投与によって生じた損害であると認めることはできない。

     後遺症の検査,訓練のため,平成23年6月6日から同年7月15日まで神奈川リハビリテーション病院に入院した際の入院費用20万4100円(甲C4の1・2)については,本件過剰投与によって自閉スペクトラム症及び中等度の知的能力障害が生じたか否かにかかわらず,後遺症の有無の診察のために必要であったと認められるから,その全額20万4100円が,本件過剰投与によって生じた損害であると認められる。

   イ 通院付添費 10万2300円

     原告A3は,平成〇年〇月〇日まで,本件過剰投与による後遺症の診察のため,原告A1の通院に31回付き添った。

     上記通院は,本件過剰投与によって自閉スペクトラム症,中等度の知的能力障害が生じたか否かにかかわらず,その後遺症の診察のために行われたものであり,原告A1が幼少であったことをも踏まえれば,原告A3の付添は,必要であったと認められる。そのため,当該通院付添費は,本件過剰投与によって生じた損害であると認められる。(甲C10)

     通院付添費は1回3300円と認められ,31回分は10万2300円(3,300円×31回=10万2300円)であると認められる。

   ウ 将来介護費 0円

     原告ら請求の将来介護費は,原告A1が自閉スペクトラム症及び中等度の知的能力障害であることにより必要となる将来の介護の費用であるところ,本件過剰投与によって自閉スペクトラム症及び中等度の知的能力障害が生じたとは認められないから,上記の将来介護費は,本件過剰投与によって生じた損害であるとは認められない。したがって,原告らの将来介護費の請求は認められない。

   エ 通院交通費等 105万8000円

    (ア) 原告A1をトバイのインターナショナルスクールに通園させるためにヘルパーの付添を条件とされたのは,原告A1が自閉スペクトラム症及び中等度の知的能力障害であったからであった。本件過剰投与によって自閉スペクトラム症及び中等度の知的能力障害が生じたとは認められないから,上記のヘルパーの付添に要した費用は,本件過剰投与によって生じた損害であるとは認められない。

    (イ) 原告A2が仕事のために駐在していたドバイから緊急一時帰国した際の往復航空券代35万円は,本件過剰投与によって原告A1が昏睡状態等になりその容態が深刻であったことからすれば,本件過剰投与によって生じた損害であると認められる(甲C6の1・2,甲C10)。

    (ウ) 原告A2及び原告A3が見舞いのために支出したタクシー代は,本件過剰投与によって原告A1が昏睡状態等になりその容態が深刻であったこと,見舞いにタクシーを利用することは原告A2及び原告A3と被告病院の担当者との間で合意されたと認められること(甲C10,原告A3本人)からすれば,本件過剰投与によって生じた損害であると認められる。原告A2及び原告A3の見舞いのための往復のタクシー代の平均額は1回1万2000円であり(甲C5の1~5),平成〇年〇月〇日から同年〇年〇月〇日まで28回見舞いに行ったから,原告A2及び原告A3の見舞いのためのタクシー代は33万6000円(1万2000円×28回=33万6000円)である。

    (エ) 原告A1の平成〇年〇月〇日に至るまでの被告病院への通院は,本件過剰投与によって自閉スペクトラム症,中等度の知的能力障害が生じたか否かにかかわらず,その後遺症の診察のために行われたものであり,タクシーを利用することは原告A2及び原告A3と被告病院の担当者との間で合意されたと認められること(甲C10,原告A3本人)からすれば,その通院のために支出したタクシー代は,本件過剰投与によって生じた損害であると認められる。原告A1の通院のための往復のタクシー代の平均額は1回1万2000円であり(甲C5の1~5),平成〇年〇月〇日に至るまで31回通院しているから(甲C10),原告A1の通院のためのタクシー代は37万2000円(1万2000円×31回=37万2000円)である。

    (オ) 以上によれば,通院交通費等は,105万8000円(35万円+33万6000円+37万2000円=105万8000円)であると認められる。

   オ 入通院慰謝料 128万円

     原告A1は,平成〇年〇月〇日から同年〇年〇月〇日まで(28日間)被告病院に入院しており,その後平成〇年〇月〇日に至るまで約7年間にわたり31回通院をしている。(甲C10)

     上記入通院は,本件過剰投与によって自閉スペクトラム症,中等度の知的能力障害及び運動障害が生じたか否かにかかわらず,本件過剰投与によって生じた昏睡状態等からの回復やその後遺症の診察等のために必要となったものであり,その入通院によって生じた精神的苦痛は,本件過剰投与によって生じたものと認められる。入通院期間等,本件に現れた一切の事情を考慮すれば,その精神的苦痛を慰謝するに足りる金額は128万円と認めるのが相当である。

   カ 後遺症による逸失利益 0円

     原告らは,原告A1の自閉スペクトラム症,中等度の知的能力障害及び運動障害が本件過剰投与の後遺症であることを前提として,後遺症による逸失利益を請求するが,本件過剰投与によって自閉スペクトラム症,中等度の知的能力障害及び運動障害が生じたとは認められないから,原告らの後遺症による逸失利益の請求は認められない。

   キ 後遺症による慰謝料 0円

     原告らは,原告A1の自閉スペクトラム症,中等度の知的能力障害及び運動障害が本件過剰投与の後遺症であることを前提として,後遺症による慰謝料を請求するが,本件過剰投与によって自閉スペクトラム症,中等度の知的能力障害及び運動障害が生じたとは認められないから,原告らの後遺症による慰謝料の請求は認められない。

   ク 弁護士費用 76万円

     前記(1)ウの慰謝料500万円,前記アの治療関係費20万4100円,前記イの通院付添費10万2300円,前記エの通院交通費等105万8000円,前記オの入通院慰謝料128万円の合計は,764万4400円であり,事案の難易,認容額その他諸般の事情を斟酌し,本件過剰投与と相当因果関係のある損害としての弁護士費用は76万円と認めるのが相当である。

  (3) 合計 840万4400円

    前記(1)ウの慰謝料500万円,前記(2)アの治療関係費20万4100円,前記(2)イの通院付添費10万2300円,前記(2)エの通院交通費等105万8000円,前記(2)オの入通院慰謝料128万円,前記(2)クの弁護士費用76万円の合計は840万4400円であり,これらの損害は,いずれも原告A1に生じたものと認められる。

    本件では,被告の不法行為によって原告A2及び原告A3に原告ら主張の損害が生じたと認めることはできない。

 5 請求の成否

   以上によれば,原告A1は,被告に対し,不法行為による損害賠償請求権に基づき,損害金840万4400円及びこれに対する不法行為日である平成〇年〇月〇日(本件過剰投与のあった日)から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めることができる。原告A2及び原告A3の被告に対する請求はいずれも認められない。

 6 結論

   よって,原告A1の請求は,840万4400円及びこれに対する平成〇年〇月〇日から支払済みまで年5分の割合による金員の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し,その余は理由がないから棄却し,原告A2及び原告A3の請求はいずれも理由がないから棄却することとし,主文のとおり判決する。

    横浜地方裁判所第5民事部

        裁判長裁判官  中平 健

           裁判官  森 大輔

           裁判官  山田義幸

 

横浜地方裁判所 平成24年(ワ)第73号 損害賠償請求事件 平成29年11月29日

 

 

 

 



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