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狭心症の発作を起こした患者が,病院で受診し,通院治療中に自宅で発作を起こし死亡した件について病院の責任を認めた事例

千葉地裁 平成17年5月30日

平成16年(ワ)第175号

 主   文

 

 1(1)被告は,原告Aに対し,金2557万9294円及びこれに対する平成8年8月9日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

 (2)被告は,原告Bに対し,金850万9764円及びこれに対する前同日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

 (3)被告は,原告Cに対し,金850万9764円及びこれに対する前同日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

 (4)被告は,原告Dに対し,金850万9764円及びこれに対する前同日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

 2 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

 3 訴訟費用は,これを5分し,その1を原告らの負担とし,その余を被告の負担とする。

 4 この判決は,第1項に限り,仮に執行することができる。

 

       事実及び理由

 

第1 請求

  被告は,原告Aに対し,金3395万0226円及びこれに対する平成8年8月9日から支払済みまで年5分の割合による金員,原告B,原告C,原告Dに対し,各金1131万6741円及びこれに対する平成8年8月9日から支払済みまで年5分の割合による金員を,それぞれ支払え。

第2 事案の概要

  本件は,狭心症の発作を起こして被告の経営する病院を受診し,通院治療中の患者が,自宅で発作を起こし死亡したことから,患者の妻及び子らが,担当医師には,①発作を訴える患者に対して入院検査を怠った過失,②投薬上の説明を怠った過失,③投薬の継続が必要であったにもかかわらず,これを中止し,もしくは変更した過失,④病院内における引継ぎを怠った過失があったなどと主張し,被告に対し,主位的に不法行為,予備的に債務不履行に基づき,損害の賠償を請求した事案である。

1 争いのない事実等

 (1)当事者等

  ア 被告は,医療法人E病院(以下「被告病院」という。)及び医療法人Fクリニック(以下「被告クリニック」という。)を経営する医療法人である。G医師,H医師,I医師及びJ医師は,いずれも被告病院及び被告クリニックの勤務医である。

  イ 原告Aは,亡Kの妻であり,原告B,原告C及び原告Dは,いずれもKの子である。Kは,平成8年8月11日午前5時20分,満66歳で死亡した。

 (2)診療契約の成立

Kは,平成8年7月3日,胸痛発作を訴えて被告病院救命救急センターを受診し,被告との間で診療契約を締結した。

 (3)事実経過(以下,特に断りのない限り,平成8年中の出来事である。)

  ア Kは,7月3日午前10時ころ,L眼科において胸痛発作を生じ,ニトログリセリンの舌下投与を受けた上で,Mクリニックに搬送された。Mクリニックにおいて心電図検査を受けた結果,同クリニックの医師から精密検査を勧められ,被告病院を紹介された。

  イ 同日午後1時ころ,Kは被告病院救命救急センターを受診し,G医師の診察を受けた。診察後,G医師は,ニトログリセリンを処方した上で,帰宅するよう指示した。

  ウ Kは,7月4日午前6時50分ころ,自宅で胸痛発作を生じたが,1分程度で自然軽快した。また,Kは,同日午前8時ころ及び同月5日午前7時ころにも,自宅で胸痛発作を生じたが,いずれもニトログリセリンを舌下投与したところ,まもなく軽快した。

  エ Kは,7月5日午前11時ころ,被告病院救命救急センターを受診してH医師の診察を受け,心電図検査及びトレッドミル検査の一部を施行された。H医師は,アイトロール錠20ミリグラム及びアダラート10ミリグラムを処方した上で,帰宅するよう指示した。

  オ Kは,7月5日午後11時ころから激しい腹痛及び下痢を発症したため,同月6日は,アイトロール錠及びアダラートの服用を中止した。

  カ Kは,7月7日午前7時35分ころ,自宅で強度の胸痛発作を起こして失神状態に陥ったが,ニトログリセリンを舌下投与したところ,まもなく軽快した。

  キ Kは,7月9日午前11時ころ,被告クリニックを受診し,H医師の診察を受けた。その際,K,原告A及び原告Bが,同月7日の発作の様子を説明したところ,H医師から,「アイトロールとアダラートは中止しないように。」との指示を受けた。同日,H医師は,Kに対し,ニトログリセリンを処方した。

  ク Kは,7月17日から同月18日にかけて,被告クリニックにおいてホルター心電図検査を受け,同月19日にはG医師の診察を受けた。また,同月25日には第2回目のトレッドミル検査を施行された。

  ケ Kは,8月9日に被告クリニックを受診してJ医師の診察を受け,「病歴と対応」と題する書面を提出した。J医師は,アダラートの服用を中止し,アイトロール錠の服用量を10ミリグラムに減量するように指示した。同日以降,Kはこれに従って服用量を変更した(以下「本件投薬変更」という。)。

  コ Kは,8月11日早朝,自宅で,これまでにない激しい胸痛発作を起こし,同日午前5時20分ころ,Mクリニックにおいて死亡した。死因は,急性心不全であった。

(4)医学的知見

  ア 冠れん縮性狭心症の病態(甲B1ないし3)

    冠れん縮性狭心症とは,病態の観点から分類した狭心症の一類型であり,心筋酸素需要とは無関係に生じる冠動脈の異常収縮(冠れん縮)により,冠血流の絶対的減少をきたし,虚血を生じるもので,発作は多くの場合安静時に出現し,出現頻度は夜間から早朝に多く,日中は少ない。

    発作時の心電図でST上昇を伴う異型狭心症においては,特に発作時に重症不整脈を伴いやすく,失神をきたすこともあり,さらに心筋梗塞や死亡に至ることもある。特に,新たに起こった狭心症で,発作が15分以上と長く,ニトログリセリンの効果が不十分な場合には,不安定狭心症として,突然死,心筋梗塞の危険性が高く,緊急入院の対象とされる。

    冠れん縮性狭心症の診断は,心電図検査,ホルター心電図検査,負荷心電図検査,冠動脈造影検査などにより行うが,これらの検査を行う以前に,発作時の症状から一応の診断をすることも可能とされる。症状からの診断においては,①発作が安静時に出現し,また夜間から早朝に多く,日中には少ないこと,②労作が誘因となって生じる発作の場合,午前中にはわずかな労作でも発作が生じるのに対し,午後はかなりの労作でも生じにくいこと,③発作が労作中に生じた場合,労作を続けると発作が自然緩解することがあること,④発作が生じやすい時期と,そうでない時期があること,⑤発作が過換気負荷により誘発されること,⑥発作はCa拮抗薬により予防されるが,β遮断薬単独では予防されず,むしろ悪化しやすいことが臨床的特徴であり,以上①ないし⑥のうち1つでも認められれば,冠れん縮性狭心症との一応の診断が可能とされる。

  イ 薬物療法

    冠れん縮の予防には,Ca拮抗薬及び持続性亜硝酸薬が有効であり,発作が頻発する場合は,両者を併用するが,そうでない場合はCa拮抗薬の単独投与でも足りる。投薬は,日内変動を考慮して,就寝前及び起床時の1日2回とされることが多いが,日中にも発作が起きる例では,1日4回投与する場合もある。投薬効果の判定は,自覚症状のみでなく,ホルター心電図検査の結果により判定し,発作が完全に予防された場合は,投薬量及び回数を減らすとされる。

    Ca拮抗薬には,アダラート,ヘルベッサー,ワソランなどがあり,冠れん縮予防には前二者がよく用いられるが,いずれも血圧低下を伴うため,過度に血圧の低い患者については,慎重投与が必要とされる。また,Ca拮抗薬の投与を急に中止した場合,症状が悪化した症例が報告されているため,休薬を要する場合は徐々に減量し,観察を十分に行うとともに,患者に,医師の指示なしに服薬を中止しないように注意する必要があるとされる。

    持続性亜硝酸薬には,ニトロール,フランドル,アイトロールなどがあり,血圧低下を伴うため,低血圧症の患者については,慎重投与が必要とされる。また,硝酸・亜硝酸エステル系薬剤を使用中の患者で,急に投薬を中止したとき症状が悪化した症例が報告されているので,休薬を要する場合は他剤との併用下で徐々に投与量を減じ,患者に医師の指示なしに中止しないよう注意する必要があるとされる。

2 争点

 本件における争点は,①被告病院及び被告クリニック医師らが,遅くとも7月9日時点でKを入院させ,精密検査を実施しなかったことに過失があるか否か,②アイトロール錠及びアダラートを処方するに当たり,被告病院及び被告クリニック医師らが服用上の注意ないし指示を十分に行わなかった過失があるか否か,③J医師が本件投薬変更を行ったことにつき過失があるか否か,④J医師は,G医師,H医師及びI医師らの診察内容,診療情報を確認しないまま診察を行った過失があるか否か,⑤損害額,の5点である。

3 争点に関する当事者の主張

(1)争点1(入院及び精密検査を怠った過失)について

(原告らの主張)

  ア 患者が胸痛発作を訴える場合,これを受けた医師は,問診,胸痛の鑑別診断,各種検査を行った上で,狭心症ないしその疑いの診断がなされた場合には,さらにその病態,重症度を確認した上で,治療方針を立てるべき義務がある。

  イ Kは狭心症を疑われて前医の紹介により被告病院を受診したものであったこと,被告病院受診開始後も,数回にわたり心臓発作を起こしていたこと,上記発作はアイトロール錠及びアダラートの服用開始前及び服用中止時に顕著であり,服用を継続していた期間には1回も発作を生じていないことなどからすれば,被告病院医師らは,遅くとも7月9日の時点で,冠れん縮性狭心症の確定的診断をすることが可能であった。また,仮に同日時点で確定的診断まではできなかったとしても,狭心症を疑わせる所見があったことは被告も認めるところであるから,これを前提として,早急に冠動脈造影などの精密検査を行うべきであった。さらに,Kは,7月3日,同月5日及び同月9日の3回にわたり,被告病院医師らに対し,入院による精密検査を強く要請していたのであるから,被告はより一層,精密検査を行うべきであった。そして,上記精密検査は,入院によらなければ実施できないから,被告はKを入院させるべきでもあった。

  ウ 被告が7月9日の時点でKを入院させ,十分な精密検査を行っていれば,より早期に重篤な狭心症であるとの診断をして,外科的療法を含む適切な治療を開始することが可能だったのであり,適切な治療が開始されていれば,Kの死亡は回避可能であった。

 (被告の主張)

    7月3日の胸部単純X線検査及び心電図検査の結果によれば,Kには心肥大もなく,心臓に有意な異常は認められなかった。また,同月5日の心電図検査の結果においても冠動脈疾患に特有なST変化は見られず,また,トレッドミル検査は目標値の75パーセントまでしか実施しなかったものの有意な異常は認められず,狭心症よりもむしろ筋骨格系の痛みが疑われる状況であった。したがって,同月9日時点においては,入院して精密検査を実施する必要性はなかった。また,患者本人が強く希望したとしても,そのことから患者を入院させるべき義務が生じることはない。さらに,仮に被告が7月9日にKを入院させていたとしても,8月11日の発作による死亡は,回避し得なかった可能性が高い。

(2)争点2(服用上の注意ないし指示を怠った過失)について

 (原告らの主張)

  ア アイトロール錠及びアダラートは,服用を急に中止した場合,症状が悪化し,大発作を招来する危険性があるから,医師は,これらの治療薬を外来で処方するに当たっては,患者に対し,服用の中止ないし減量に伴う危険性を説明し,医師の指示なしに服用を中止しないよう,厳重に注意ないし指示を与えるべき義務がある。

  イ H医師は,7月5日にはじめてアイトロール錠及びアダラートを処方した際,Kに対し何ら服用上の指示をしておらず,同月7日にKが激しい発作を起こしたのを受けて,同月9日に診察した際も,「アイトロールとアダラートは中止しないように。」との指示を行ったのみで,服用の中止ないし減量に伴う危険性については全く説明をしなかった。また,G医師及びJ医師も,何ら注意ないし指示を与えたことはないから,被告病院医師らは,上記の注意ないし指示を与えるべき義務を怠った。

  ウ H医師が,服用の中止ないし減量に伴う危険性につき十分に説明していれば,Kは,本件投薬変更後もニトログリセリンの携帯を中止することはなかったのであり,そうしていれば,8月11日朝の発作の際も,即座にニトログリセリンを舌下投与することにより,死亡を回避することが可能であった。

 (被告の主張)

    H医師は,7月5日にアイトロール錠及びアダラートを処方するに当たり,Kに対し十分な薬剤情報を提供した。また,G医師及びJ医師も,それぞれの診察の際に説明を行っている。

(3)争点3(本件投薬変更を指示した過失)について

(原告らの主張)

  ア アダラートなどのCa拮抗薬を処方するに当たっては,服用の中止により症状が悪化する危険性があるため,原則としてみだりに休薬すべきではなく,やむを得ず休薬する場合には,医師による厳重な経過観察下で行う必要がある。

  イ Kは,8月9日の本件投薬変更の時点で冠れん縮性狭心症の診断が可能な症状を呈しており,7月6日にアイトロール錠及びアダラートの服用を中止したところ,同月7日に重篤な発作を生じていたのであるから,上記事実経過からしても,本件投薬変更を行えば,重大な発作を誘発する危険性があり,従前の投薬を継続すべき状態であった。しかるに,J医師は,上記の事情を看過し,安易に狭心症の疑いを否定して,本件投薬変更を指示したものである。

  ウ Kは,7月10日から8月8日まで,アイトロール錠20ミリグラム及びアダラート10ミリグラムを服用していた期間には,一度も発作を起こしていないことからすれば,従前の投薬を継続していれば,8月11日の発作は生じなかった。

(被告の主張)

  ア Kは,血液検査,ホルター心電図検査及びトレッドミル検査のいずれにおいても陰性との検査結果が出ており,既往歴,家族歴などからも,狭心症を含む心疾患の可能性は低く,むしろ筋骨系あるいは神経症の痛みと考えられる状態であった。したがって,狭心症の可能性を前提として,アイトロール錠及びアダラートの服用を継続する必要性はなかった。

  イ むしろ,Kは,7月25日時点で,収縮時血圧が110mmHg,拡張時血圧が60mmHgと低血圧の状態であり,8月9日時点でも,降圧作用のあるアダラートの服用を継続させれば,心疾患に劣らぬ重篤な脳梗塞,緑内障等を引き起こすおそれがあったから,J医師の本件投薬変更は適切であった。

(4)争点4(前任医らの診察内容等の確認を怠った過失)について

 (原告らの主張)

  ア 狭心症の診断,治療方針の決定には,継続的な問診が重要であり,同一の医師が継続して診察を担当できない場合,後任医は,前任医の従前の診療経過,診断及び治療方針等の診察内容を十分に確認しておくべき義務がある。

  イ 本件では,8月9日以前はG医師,H医師が直接の診察を行い,I医師が指導的立場で診察に関与していたものであるところ,J医師は,8月9日に初めてKの診察を担当するに当たり,各前任医の診察内容等をいずれも確認しなかった。

  ウ J医師が各前任医の診察内容等を確認していれば,冠れん縮性狭心症の可能性を考慮して,従前の投薬を継続したはずであり,そうしていれば8月11日朝の発作は生じなかった。

(被告の主張)

  J医師は,従前のカルテの記載,検査結果を確認した上でKの診察に当たっているので,原告ら主張の過失はない。

(5)争点5(損害額)について

(原告らの主張)

  本件医療事故によって,Kは以下の損害を被った。(合計6790万0451円)

  ア 逸失利益   3012万5973円(内訳は,年金収入分2484万6185円,労働収入分358万3198円,雑収入分169万6590円,平成7年度のKの収入額(年金収入327万5100円,労働収入79万2000円,雑収入37万5000円)を基礎収入とし,年金収入については平均余命を16年間,労働収入及び雑収入については,就労可能期間を8年間,生活費控除率はいずれも30パーセントとして,中間利息をライプニッツ式で控除して算定。)

  イ 死亡慰謝料  3000万円

  ウ 葬儀費用   150万円

  エ 証拠保全関係費用

   10万1712円(カメラマン費用及び記録謄写費用)

  オ 弁護士費用  617万2766円(原告Aにつき308万6384円,原告B,原告C及び原告Dにつき各102万8794円)

 (被告の主張)

  争う。

第3 当裁判所の判断

 1 認定事実

  後掲各証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の各事実が認められる。

 (1)Kは,平成6年5月24日午前6時20分ころ及び平成7年7月21日午前6時20分ころ,自宅で胸痛発作を起こし,同日Mクリニックを受診した。

 (2)Kは,平成8年7月1日にL眼科において右眼白内障の手術を受けた後,同月3日午前10時ころ,同所において胸痛発作を起こし,心拍数が28に低下し,心電図上のST低下を生じた。L眼科の医師がニトログリセリンを舌下投与すると発作は2,3分で軽快したが,L眼科の医師は狭心症を疑って,KをMクリニックに転送した。

 (3)Kは,Mクリニックで心電図検査を受けた後,同クリニックの医師から被告病院を紹介され,同日午後1時22分ころ,被告病院救命救急センターを受診し,当時研修医であったG医師の診察を受けた。G医師が胸部単純X線検査を実施したところ,心肥大は認められなかった。G医師は,Kの胸痛につき,非定型的胸痛で,筋骨格系痛の疑いがあり,心由来痛,狭心症,不整脈の鑑別診断及び基礎心疾患の精査が必要である旨診断した。同日の被告病院の診療録「傷病名」欄には,「狭心症」との記載が存在する。K,原告A及び原告Bは入院を希望したが,G医師は,胸痛が非典型的であり,症状からは狭心症の可能性はあるが,はっきりしないとの説明をして,帰宅を指示した。なお,被告病院においては,研修医が診察を行う場合,診察状況を当時被告病院総合内科部長であったI医師に内線電話で連絡し,I医師の判断により治療方針等が決定されていた。

 (4)Kは,7月4日午前6時50分ころ,自宅で胸痛発作を生じたが,1分程度で自然軽快した。また,同日午前8時ころ及び同月5日午前7時ころにも,自宅で胸痛発作を生じたが,いずれもニトログリセリンを舌下投与したところ,まもなく軽快した。

 (5)Kは,同日午前11時23分ころ,被告病院救命救急センターを受診して,当時研修医であったH医師の診察を受け,同日午後に心電図検査及び第1回目のトレッドミル検査を施行された。ただし,トレッドミル検査は,白内障手術後の眼の安静のためとのK本人の希望により,75パーセントまで実施された時点で終了し,検査中の最大心拍数は135であった。また,心電図検査の結果,心拍数は57で,ST変化は認められなかったが,運動により胸痛が出現した。H医師は,アイトロール錠20ミリグラム及びアダラート10ミリグラムを処方し,経過観察の上で,眼科医師が許可したら再度トレッドミル検査を行う旨決定した。K,原告A及び原告Bは入院を希望したが,H医師は帰宅するよう指示した。

 (6)Kは,同日夜11時ころから激しい腹痛と下痢を起こしたため,同月6日は,アイトロール錠及びアダラートの服用を中止した。Kは,同月7日午前7時35分ころ,自宅で胸痛発作を起こして失神状態となったが,ニトログリセリンを舌下投与すると,まもなく軽快した。

 (7)Kは,予約していた同月9日午前11時ころ,被告クリニックを受診し,H医師の診察を受け,同月7日の胸痛発作の発生を報告した。H医師は,Kの症状につき,冠れん縮性狭心症の可能性が高い旨診断し,同月17日にホルター心電図検査を,眼科医の許可があり次第トレッドミル検査をそれぞれ実施する旨,決定した。同月9日の被告クリニックの診療録「傷病名」欄には,「狭心症」及び「不整脈」との各記載が,H医師による記載部分には,「Angina(狭心痛の意)」「アイトロール+アダラートで良好」「vasospastic(冠動脈れん縮性の意)である可能性高い」との各記載がそれぞれ存在する。

     同日もK,原告A及び原告Bは,入院の希望を伝えたが,H医師は,「アイトロールとアダラートは中止しないように。」と注意した上で,帰宅するよう指示した。

 (8)同月10日から8月8日までの間,Kはアイトロール錠20ミリグラム及びアダラート10ミリグラムの服用を継続し,上記期間中には胸痛発作は1回も生じなかった。

 (9)Kは,7月17日午前10時20分から,同月18日午前9時24分にかけて,被告クリニックにおいてホルター心電図検査を受けた。上記ホルター心電図検査の結果,-2.00mm以上のST変化は認められなかったが,徐脈が記録された。なお,上記ホルター心電図検査の平成13年8月7日付け解析サマリー(解析チャンネルCH1)には,「治療検討が必要な不整脈,もしくは虚血性心疾患の疑いがあります。」との記載部分があるが,平成14年4月11日付け解析サマリー(解析チャンネルCH2)には,上記記載部分は存在しない。

 (10)Kは,同月25日午前10時30分ころから,被告クリニックにおいて,第2回目のトレッドミル検査を施行された。上記トレッドミル検査の結果,ST変化は認められず,検査結果は陰性とされた。

 (11)Kは,8月9日に被告クリニックを受診し,J医師の診察を受けた。J医師は,Kの担当ではなかったが,担当予定の医師が不在であったため,代診として担当した。J医師は,診察前に7月9日以降の被告クリニックの診療録を確認したが,同日以前の被告病院救命救急センターの診療録は,確認しなかった。

    上記診察の際,Kは「病歴と対応」と題する書面を提出したが,J医師は,ホルター心電図検査の結果及びトレッドミル検査の結果に異常がない旨報告し,冠れん縮性狭心症の可能性は低いと診断して,本件投薬変更を指示した。なお,この際,J医師は,投薬の中止ないし変更による症状悪化の危険性についての説明を行わなかった。

 (12)同日以降,Kは,J医師の指示に従い,アダラートの服用を中止し,アイトロール錠の服用量を10ミリグラムに変更した。また,従前携帯していたニトログリセリンを,自宅1階に保管するようになった。

 (13)同月11日早朝,Kは自宅2階で激しい胸痛発作を起こし,ニトログリセリンを舌下投与した上でMクリニックに救急搬送されたが,午前5時20分ころ死亡した。死因は急性心不全と診断された。

 (14)被告病院においては,平成14年4月25日に,本件診療についての説明会が実施された。上記説明会の席上で,G医師は,7月19日時点の診断名につき,「狭心症」「冠れん縮性狭心症」と述べ,その理由につき「症状があって,薬を飲むと明らかに症状が治まっている。その効き方が顕著である。」と説明した。他方,J医師は,8月9日時点の診断名につき,「狭心症ではないと考えていた。」「心臓の異常ではないと考えました。」「発作は心臓が原因ではないと考えました。」と述べ,その理由につき「トレッドミル検査の結果で厳しいものはない,循環器の方に回していない,非典型の胸痛である,危険因子がない。」「心臓が原因であれば最初の時点で,入院させると思う。そのまま外来で診れるという状態は,心臓の可能性は低いと判断されたのではと思いました。」と説明した。

2 争点1ないし4(過失の有無)について

 (1)前記認定事実によれば,Kは,7月6日にアイトロール錠及びアダラートの服用を一時中止したところ,同月7日に強度の発作を生じた一方,同月10日から8月8日まで,アイトロール錠及びアダラートの服用を継続していた期間においては,一度も発作を起こしていないこと,発作はいずれも午前中の比較的早い時間帯に生じていることが認められる。上記各症候は,前記第2(4)ア記載の医学的知見における冠れん縮性狭心症の臨床的特徴のうち,①及び⑥に該当するものである。

    また,実際の診療経過においても,7月5日時点で,H医師が冠れん縮性狭心症の可能性が高いとの診断をしており,同月19日時点では,G医師も,冠れん縮性狭心症との診断をしていたのであるから,以上の各事実を総合すれば,8月9日時点においても,Kの症状が冠れん縮性狭心症であった可能性が高い。

 (2)J医師は,8月9日の診察に先立ち,被告クリニックにおける診療録を確認しているところ,同診療録の7月9日の「傷病名」欄には,「狭心症」及び「不整脈」との記載が,H医師による記載部分には,「Angina(狭心痛の意)」「アイトロール+アダラートで良好」「vasospastic(冠動脈れん縮性の意)である可能性高い」との各記載が存在したにもかかわらず,J医師の陳述書には,「担当するはずだった医師が重篤な心疾患を考えてないからだろうと」考えて,心疾患の可能性は低いと診断した旨の記載部分が存在する。

    上記記載部分が,診療録の各記載を看過したとの趣旨か,記載自体は確認したものの,自らの診察内容とあわせて検討した結果,心疾患の可能性は低いと判断したとの趣旨かは判然としないが,前者であれば,そのこと自体,前任医の診察内容等の確認を怠った過失(争点4)があるといわざるを得ない。

    一方,後者の趣旨であった場合,上記前任医の診断を前提として,なお,「ホルター,トレッドミルなど異常所見もなく危険因子もないことから,心疾患の可能性はとても低い」とした判断の適否が問題となるので,以下に検討する。

 (3)ホルター心電図検査は,安静狭心症,異型狭心症及び胸痛を伴わない虚血発作(無痛性心筋虚血)を捕らえるのに最も有用な検査方法とされ,自然発作時の虚血性ST変化において,水平型又は右下りスロープ型の1mm以上のST低下又は2mm以上のST上昇が確認された場合,狭心症の確診が可能とされる。もっとも,ホルター心電図記録中に自然発作を捉えることは必ずしも容易ではなく,自然発作時の心電図変化が記録できない場合は,負荷心電図検査等を行うとされる。

    本件では,7月17日から同月18日にかけて行われたホルター心電図検査の結果によれば,-2.00mm以上のST変化は認められないが,上記検査はアイトロール錠及びアダラートを服用した状態で実施されたものであり,検査中に自然発作が生じたことはないのであるから,前記判断基準を適用すべき前提を欠くことは明らかである。したがって,上記ホルター心電図検査の結果,-2.00mm以上のST変化が認められなかったとしても,狭心症の可能性を除外することはできない。

    また,トレッドミル検査は,負荷心電図検査の一種であり,目標最大心拍数(220-年齢×0.9)まで漸増性に負荷をかけて,ST変化を測定し,1mm以上のST下降があれば,陽性とされる。本件では,7月5日と同月25日の2回にわたりトレッドミル検査が実施されており,同月5日の検査は75パーセントまで実施した時点で中止されたが,同月25日の検査は終了まで行われ,結果は陰性であったことがそれぞれ認められる。もっとも,冠れん縮性狭心症の場合,負荷中に軽い胸痛と軽度のST上昇が認められたが(Kも,第1回目のトレッドミル検査の際に,運動負荷により胸痛を訴えている。),負荷を継続すると症状が消失し,ST上昇も回復した例もあり,このような場合は,検査結果としては陰性になることもあり得ると考えられるから,トレッドミル検査の結果が陰性であったことをもって,狭心症の可能性を確実に除外することもできない。

    さらに,Kには高血圧,喫煙,高脂血症,糖尿病,肥満,虚血性心疾患または突然死の家族歴等,冠危険因子は特になかったと認められるが,上記危険因子が存在しないことから,直ちに狭心症の可能性を否定できるものではないことはいうまでもない。

 (4)以上を総合すれば,8月9日時点で存在した検査結果等からは狭心症の可能性を確実に除外することはできなかったのであり,このことと,前任医がいずれもの冠れん縮性狭心症の可能性があるとの診断をしていたこととを併せ考えれば,J医師は,少なくとも冠れん縮性狭心症の可能性が存在することを前提に治療方針を決定すべきであったのに,これを怠り,安易に本件投薬変更を指示した過失(争点3)があるというべきである。

 (5)加えて,前記争いのない事実等によれば,アダラートについては,投与を急に中止したとき,症状が悪化した症例が報告されているため,休薬を要する場合は徐々に減量し,観察を十分に行うべきとされる。

    J医師は,アダラートの投与を中止するに当たり,一時的にKを入院させる等の観察を十分に行ったと認めることはできないから,十分な観察をしながら投薬変更をすべきであったのに,これを行わなかった点においても過失(争点3)があるといわなければならない。

 (6)そして,アダラートの投与を急に中止した場合,症状が悪化した症例が存在すること,Kはアイトロール錠及アダラートの服用を継続していた期間には1回も発作を生じていなかったにもかかわらず,7月6日にアダラートの服用を中止したところ,直後の同月7日に強度の発作を生じたとの経緯があることからすれば,J医師が従前どおりアダラートの投与を継続していれば,8月11日早朝の発作は発生せず,Kの死亡は回避可能であったと認められるから,その余の争点(争点1,2)について検討するまでもなく,被告は,不法行為に基づき,原告らに対し,Kの死亡によって生じた後記損害を賠償すべき責任がある。

4 争点5(損害額)について

  Kが本件医療事故によって被った損害は,以下のとおりであると認めることができる。(合計4655万8588円)

(1)逸失利益(合計2295万6876円)

   Kは,平成7年度において,建築設計事務所「N」における事業専従労働収入として年額79万2000円,講演料等の雑収入として,年額37万5000円,年金収入として年額327万5100円の収入を得ていたことが認められる。冠れん縮性狭心症の根治は困難であるとしても,アイトロール錠及びアダラートを服用している限りにおいては特に生活に困難な状況があったとは認められないこと,労働収入及び雑収入は比較的少額であり,特段重度の労働によるものとは考えられないことなどからすれば,Kは66歳以降も相当期間にわたり,従前とおりの収入を得ることができた蓋然性が高いと認められる。

   したがって,上記金額を基礎とし,就労可能期間を平成8年度簡易生命表における66歳男性の平均余命である16.22年の2分の1である8年間(1年未満切捨て)として,逸失利益をライプニッツ方式(16年の係数は10.8377,8年の係数は6.4632)により算定することになる。なお,本件当時のKの家族形態等にかんがみると,就労可能期間である8年間については,生活費控除率を40パーセントとするのが相当であるが,その後の期間は年金収入のみとなるので,生活費として60パーセントを控除して算定するのが相当である。

   以上を前提として逸失利益を算定すると,以下に記載したとおり(1円未満切捨て)となる。

ア 労働収入分及び雑収入分

 (79万2000円+37万5000円)×(1-0.4)×6.4632

   =452万5532円

イ 年金収入分

   327万5100円×(1-0.4)×6.4632=1270万0575円

   327万5100円×(1-0.6)×(10.8377-6.4632)

   =573万0769円

    1270万0575円+573万0769円=1843万1344円

(2)慰謝料

   本件事案の内容,診療経過,結果の重大性,Kの家庭内における立場その他一切の事情を考慮すると,Kが被った精神的損害に対する慰謝料は,少なくとも2200万円を下らないものと認めるのが相当である。

(3)葬儀費用

   Kの死亡にかかる葬儀費用は,150万円を本件と相当因果関係のある損害と認めるのが相当である。

(4)証拠保全関係費用

   本件訴え提起に先立つ証拠保全における費用については,カメラマン費用及び現像費用として6万6332円,記録謄写費用として3万5380円の合計10万1712円を本件と相当因果関係のある損害と認めるのが相当である。

(5)損害賠償額

   原告らは,上記(1)ないし(4)の合計金額である4655万8588円を相続分に従って相続したことになるから,被告に負担させるのが相当な損害賠償額は,原告Aについては,2327万9294円に弁護士費用230万円を加算した2557万9294円,原告B,原告C及び原告Dについては,いずれも775万9764円(1円未満切捨て)に弁護士費用75万円を加算した850万9764円となる。

第4 結論

  よって,原告らの請求は,被告に対し,原告Aが,2557万9294円及びこれに対する平成8年8月9日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求め,原告B,原告C及び原告Dが,各850万9764円及びこれに対する前同日から支払済みまで前記同様年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度でそれぞれ理由があるから,その限度でこれを認容し,その余の各請求はいずれも理由がないから,これを棄却することとし,訴訟費用の負担につき,民訴法61条,64条本文,65条1項本文を,仮執行宣言につき同法259条1項を,それぞれ適用して主文のとおり判決する。

    千葉地方裁判所民事第2部



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