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医師だった患者の病変を脳膿瘍の可能性高いと判断し、すぐに抗菌薬投与や穿刺排膿術等の処置を怠った過失があるので損害賠償を認めた

鹿児島地裁 令和4年4月20日判決

事件番号  平成28年(ワ)第762号

 

 

       主   文

 1 被告らは、原告に対し、連帯して3億2714万4245円並びにうち2億6932万4555円に対する平成29年1月31日から及びうち5781万9690円に対する同年12月12日から各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
 2 原告のその余の請求をいずれも棄却する。
 3 訴訟費用は、これを5分し、その1を原告の負担とし、その余は被告らの負担とする。
 4 この判決は、第1項に限り仮に執行することができる。

       事実及び理由

第1 請求
   被告らは、原告に対し、連帯して4億1253万7855円並びにうち2億6932万4555円に対する平成29年1月31日から、うち1億0723万5860円に対する同年12月12日から及びうち3597万7440円に対する令和3年6月12日から各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2 事案の概要
   本件は、頭痛等を訴えて被告らがそれぞれ設置運営する病院において検査及び診察を受けた後に、脳膿瘍に起因する脳ヘルニアを発症し、意識障害等の後遺障害を残すに至った原告が、これらの病院の医師は原告の脳膿瘍を疑って直ちに治療等を開始すべき注意義務があったのにこれを怠り、その結果、原告の脳膿瘍が悪化して重篤な後遺障害が残存した旨主張して、被告らに対し、債務不履行に基づく損害賠償の一部及びこれに対する請求の後の日から支払済みまで平成29年法律第44号による改正前の民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。
 1 前提事実(争いのない事実、顕著な事実、掲記証拠等によって容易に認定することができる事実。なお、医学的知見は、特に断りのない限り、平成19年12月当時のものである。)
  (1) 当事者等
    被告AはB病院を、被告●(以下「被告●」という。)は●病院(以下「●病院」という。)を、それぞれ設置及び運営する法人である。
    原告は、▲年▲月▲日生まれの男性であり、平成19年12月当時■歳であり、B病院で医師として勤務していた。
  (2) 診療経過の概要等
   ア 原告は、平成19年12月10日、3日前から頭痛があり、改善しないと訴えて、B病院内科を受診した(乙A1[726頁])。
     原告は、同月11日、頭痛に加えて、持っていたペンを落とすといった左上肢の感覚麻痺を覚えたことから、同病院内科を再度受診し、同診察では、左顔面に軽度の神経麻痺の症状も認められ、頭部CT検査及びMRI検査並びに血液検査を受けた。CT検査及びMRI検査の結果、右側頭葉の腫瘤性病変及びその周辺の浮腫が確認され、造影MRI画像において病変部の辺縁に造影効果が見られるというリング状増強効果が確認された。(乙A1[718~726頁])
     リング状増強効果を示す病変としては、脳膿瘍、膠芽腫及び転移性脳腫瘍が挙げられる。このうち、脳膿瘍は細菌感染により脳内に膿が形成された状態であり(甲B6)、膠芽腫(グリオブラストーマ)は神経膠細胞から発生する脳腫瘍(神経膠腫:グリオーマ)の一種であり、脳腫瘍の中でも悪性度の高いものである(丙B40、丙B41)。脳膿瘍及び膠芽腫は、いずれも、病変部の周辺に強い脳浮腫を伴い、頭痛、嘔吐、意識障害等の頭蓋内圧亢進症状を生じさせたり、局所神経症状を生じさせたりする(甲B6、甲B78、丙B30)。
     また、上記血液検査の結果は、白血球数が8270(mm^3。正常範囲は3500~8000)であり、CRPが1.30(mg/dl。正常範囲は、0.00~0.40)であった(乙A1[1015頁])。
     原告は、同日、脳腫瘍の疑いによりB病院に入院した。同病院においては、脳浮腫対策を行い、手術は他院で行うこととし、入院期間は転院までとすることが計画された。(甲A1[727頁、1094頁])
     同病院のC医師は、同日、●病院脳外科のD医師に宛てて、原告に係る診療情報提供書を作成し、原告の診察を依頼した。同診療情報提供書の「傷病名」欄には、脳腫瘍との記載があり、「症状経過及び検査結果・治療経過」欄には、頭部CT、MRI(造影)を施行し、脳腫瘍と診断し、手術等の集学的治療が必要ではないかと考えて紹介したとの記載がある。なお、B病院には、脳神経外科又は脳神経内科は設置されていない。(乙B1、丙A1の4[3頁])
   イ 原告は、平成19年12月12日、B病院のE医師の付添いの下、同病院における検査等に係るCT画像、MRI画像及び血液検査報告書を持参して●病院脳外科外来を受診し、D医師の診察を受けた(以下「本件診察」という。乙A1[719、1055頁]、丙A1の3)。D医師は、本件診察の後、B病院のC医師外に宛てて、原告に係る診療情報提供書を作成した。同診療情報提供書の「病名」欄には、「悪性グリオーマ疑」との記載があり、「ご返事」欄には、画像からは悪性グリオーマが最も考えられ、その中でもグリオブラストーマの可能性が低くない、同月17日に●病院に入院させることとし、定位的生検術を実施し、病理組織診断が決定した段階で開頭術についてどうするかを決めたいと思うといった記載がある(乙A1[1056頁])。
   ウ 原告は、本件診察以降もB病院での入院を継続し、同病院において、リンデロン(ステロイド)やグリセオール(脳圧下降薬)の投与を受けた。同病院の原告に係る診療録には、平成19年12月12日午後8時52分の記録として「●病院脳外科へコンサルト。頭痛が続き、嘔吐しているようなら、苦痛をとる意味でステロイドの使用やむを得ないとの返事」との記載がある。(甲B6、乙A1[712~716頁])
     なお、脳腫瘍については、脳浮腫による頭蓋内圧亢進症状に対しては、リンデロンが投与されることがある(甲B6)。
   エ 原告は、平成19年12月16日、意識を失って昏睡状態に陥ったことから、●病院に緊急搬送された。●病院においてCT検査を行ったところ、右側頭葉に径45ミリメートルの腫瘤性病変が認められ、強い脳浮腫も認められた(丙A1の3[8頁]、丙A1の6[2頁])。●病院のF医師、G医師等は、原告に脳ヘルニア(頭蓋内圧が亢進し、脳組織が本来の位置からはみ出る状態[甲B23])が生じていると判断し、画像上は、その原因として悪性神経膠腫と脳膿瘍の双方が考えられたために、まずは、脳室穿刺針をガイドにドレーン(貯留する液体を排出するための管)を病変部に刺入したところ、膿汁が流出してきたために、これが脳膿瘍であると判断し、そのまま病変部から35ミリリットルの排液を行い、さらに、十分な頭蓋内減圧を行うために開頭手術を行った(丙A1の2、丙A1の3[8頁]、丙A1の4[19、20、52頁])。また、膿汁からは溶血性連鎖球菌が検出された(丙A1の3[32頁])。
   オ 原告は、平成19年12月16日から平成20年3月27日まで●病院に入院して治療を受け、上記脳ヘルニアは、同日、意識障害、運動障害(自分で動くことができない)等の後遺障害を残して症状固定した。原告は、同日、B病院に転院し、現在に至るまで断続的に同病院に入院している。
  (3) 原告の医療費、被告Aによる立替払い等
   ア 被告Aは、平成19年12月11日から口頭弁論終結日までの間に原告の入院により生じた費用として、食事・生活療養費を除く保険診療の自己負担分465万6687円、食事・生活療養費の自己負担分243万2140円、その他自己負担分3万4240円を負担している。なお、令和3年のB病院における原告の医療関係費(保険負担分を含む。)は、食事・生活療養費を除いて、693万6390円である。(乙C1、乙C3、乙C7、弁論の全趣旨)
   イ 被告Aは、平成21年7月から口頭弁論終結日までに原告の社会保険料として合計758万1833円を立替払いした(乙C2、乙C4、乙C8、弁論の全趣旨)。
   ウ 原告及び被告Aは、本件訴訟において、上記ア及びイについて、次のとおり相殺処理をすることを合意した(顕著な事実)。
    (ア) 被告Aに対する請求が認容される場合には、食事・生活療養費を除く保険診療の自己負担分については、損害に計上しないものとする。
    (イ) 被告Aに対する請求が認容される場合には、被告Aによる食事・生活療養費の自己負担分、その他自己負担分及び社会保険料の立替分の合計額を原告の症状固定日から口頭弁論終結日までの経過年数で除した金額を原告の逸失利益のうち同年数分を計算する際の基礎収入から控除するものとする。
 2 争点及びこれに関する当事者の主張
  (1) 被告鹿大の過失
  (原告の主張)
   ア 抗菌薬の投与や定位的穿刺排膿等を怠った過失(以下「過失1」という。)
    (ア) 造影MRIにおいてリング状増強効果が認められる場合には、脳膿瘍、膠芽腫及び転移性脳腫瘍が鑑別の対象になるところ、本件診察当時、原告にはリング状増強効果が認められていた一方、以下のとおり、脳膿瘍を診断から除外することができる事情はなく、むしろ脳膿瘍を強く疑わせる事情があった。
     a B病院で撮影されたMRIの拡散強調像では病変内部が明瞭な高信号を示していた。また、T2強調像において、病変内部が高信号であり、その辺縁部に低信号の被膜様構造があり、その周囲には浮腫を示す高信号が認められた。これらは、脳膿瘍の特徴である。他方で、膠芽腫であった場合、その内部が拡散強調像で高信号を示すことは出血のない限り起こりえないところ、原告のCT画像に高吸収域がないこと、T1強調像にも高信号域がないこと及び脳出血の症状が認められなかったことを併せ考慮すれば出血の可能性は否定されるから、上記所見は膠芽腫のそれとは解し難い。
     b 原告には継続的な頭痛、左上肢及び下肢の感覚鈍麻、左顔面神経の麻痺等の神経症状が認められた。
     c 脳膿瘍患者であっても発熱や炎症反応などの感染症の所見がみられないこともあり、原告に発熱等がなかったことをもって脳膿瘍を除外することはできない。
    (イ) 脳膿瘍は、進行が早く、重大な結果を惹き起こす疾患であるから、これが疑われる場合には、確定診断を待たずに、疑いが生じた時点で直ちに治療等を開始すべきである。さらに、本件診断当時は、脳膿瘍が強く疑われたのであるし、また、原告に頭痛や嘔吐の症状が生じ、脳浮腫が生じていたことからすれば、頭蓋内圧が亢進し脳ヘルニアを惹起する危険が切迫していたといえるところ、一度脳ヘルニアが生ずれば脳が不可逆的に損傷され死亡や重大な後遺障害等の結果を招来するおそれがあるから、D医師は、本件診察の時点で、直ちに原告を入院させて、脳膿瘍の治療等を開始すべきであった。具体的には、脳圧降下薬の投与とともに、起因菌が同定されていないことに鑑み、広域スペクトラムの抗菌薬である第三世代セフェム系薬剤やペニシリン系の抗菌薬を併用して投与し、CT又はMRIによって経過を観察し、また、本件診察当時腫瘤の大きさは25ミリメートルを超えており、外科的手術の適応もあったから、穿頭による定位的穿刺排膿や持続的膿瘍ドレナージによって頭蓋内の減圧を図るべきであった。
      しかるに、D医師は、これらの治療等を怠った。
   イ ステロイドを投与した過失(以下「過失2」という。)
     原告には脳膿瘍が強く疑われていたところ、ステロイドは、副作用として感染症を増悪させるおそれがあるから、感染症の患者に投与すべきではないにもかかわらず、D医師は、B病院からの問い合わせに対し、原告にステロイド(リンデロン)を使用することもやむを得ないと回答した。
  (被告鹿大の主張)
   ア 過失1について
    (ア) 本件診察当時、以下の事情があり、原告が脳膿瘍であると診断することは困難であった。
     a 脳膿瘍は細菌感染によって発症するものであるところ、原告には、発熱、白血球数の著明な増加、CRP値の上昇等の感染症の所見が認められず、また、問診においても、先行感染因子となる疾病、感染源等はうかがわれなかった。
     b 膠芽腫を含む脳腫瘍患者が拡散強調像で高信号を示すことは稀ではない。すなわち、膠芽腫はしばしば出血、壊死等を伴うところ、膠芽腫の構成物のうち、細胞密度の高い腫瘍性病変、出血、梗塞、壊死、粘稠な液体等の部分は拡散強調像で高信号を示すのであり、実際、●病院において過去に脳腫瘍と確定診断された症例の中にも、拡散強調像が高信号を示すものがあったのであるから、拡散強調像の信号の高低をもって脳膿瘍と膠芽腫を鑑別することはできない。同様に、脳膿瘍と壊死性神経膠芽腫の間にはT2強調像で低信号を示す被膜の存在率に統計的な有意差が認められないから、被膜の存否をもって両者を鑑別することもできない。
       かえって、脳膿瘍であれば、造影画像上で増強効果を示すリング内部は、拡散強調像において均一に高信号を示すはずであるところ、原告の場合は、全領域が高信号を示すのではなく、等信号部分及び低信号部分も混在していた。このことは、膠芽腫であれば構成物の種類や腫瘍細胞の活動性の高低が様々であることに由来するものとして容易に説明できるのであり、膠芽腫を示唆する所見といえる。さらに、T2強調像においてリング内部の高信号領域の信号強度が一様ではなく、これも膠芽腫を示唆する所見である。
       また、原告の病変は基底核外側に存在しているところ、脳膿瘍は脳血管の抹消部や白質部に好発し、基底核付近に発生することはほとんどない一方で、脳腫瘍であれば基底核付近に発生することがある。
     c 脳膿瘍患者の約41%ないし約51%には精神障害が認められるが、原告には精神障害が認められなかった。脳膿瘍は中高年齢者に多く、若者に発症することはほとんどない疾患であるところ、原告は本件診察の当時25歳であった。
     d 脳腫瘍患者数に比較して脳膿瘍患者数は極めて少なく、●病院においては、両疾患合計数のうち3%に過ぎない。
    (イ) 上記のとおり、本件診察当時の事情から判断すれば、原告が脳膿瘍である可能性は低かったといえる。そして、その程度の可能性に備えて抗菌薬を投与しなければならないとすれば、多くの膠芽腫患者にも無意味に抗菌薬が投与されることとなり、その効果を見極めている間に膠芽腫の治療が遅れる、アナフィラキシーショック等の重大な副作用が発生する、その後の検査データが狂うといった弊害が生じ得る。また、膠芽腫患者に対し、脳膿瘍の可能性に備えてドレナージを行ってしまうと、術後出血等の合併症が生じたり、腫瘍細胞が穿刺経路に広がって膠芽腫が急速に進行したりするなどの悪影響が生ずる可能性がある。これらの事情も考慮すると、D医師において、原告に対し、抗菌薬の投与、ドレナージ等の治療を開始すべきであったとはいえない。
   イ 過失2について
     D医師は、リンデロン投与の可否についてのB病院からの問い合わせに対し、「自分の管理下にない患者に対する薬については責任を持てない」と回答したのであって、リンデロン投与を認めてはいない。ただし、当時、原告が脳膿瘍であると診断することはできなかったのであり、リンデロンを投与すべきでなかったということもできない。
  (2) 被告Aの過失
  (原告の主張)
   ア B病院のC医師は、原告の疾病が脳膿瘍であったにもかかわらず、●病院に対し、膠芽腫の疑いがあるとの誤った情報を提供した。
   イ B病院のE医師は、D医師に対し、本件診察の際に脳膿瘍の疑いが否定されるまで慎重な診断を求めるべきであったにもかかわらず、これを怠った。
   ウ B病院の医師は、脳膿瘍を患う原告に対して、ステロイドを投与すべきではなかったにもかかわらず、平成19年12月12日以降、ステロイド(リンデロン)を投与した。
  (被告Aの主張)
    争う。平成19年12月16日に症状が急変するまでは、原告が脳膿瘍であると診断することはできなかった。
  (3) 因果関係
  (原告の主張)
   ア 一般に脳膿瘍は治療されれば約70%で良好な予後が得られるとされており、死亡率も10%以下である上に、予後が不良となる症例は、脳ヘルニアの発症に至ったものであるところ、原告に脳ヘルニアが生じたのは平成19年12月16日であること、本件診察の時点では、原告には未だ発熱、CRP値の上昇、痙攣、意識障害等の症状がみられず、抗菌薬の投与等による治療効果を待つ時間的余裕があったこと、原告に生じた脳膿瘍の起因菌が連鎖球菌であり、起因菌の同定前に経験的に投与されるべき抗菌薬が効果を有したことも踏まえれば、本件診察の時点で治療を開始し、抗菌薬の投与、定位的穿刺排膿、持続的膿瘍ドレナージ等を行っていれば、原告の脳ヘルニア及びそれによる後遺障害の発生を避けることが十分可能であった。
   イ 被告らが原告にステロイドを投与したことにより膿瘍の増大や脳浮腫の拡大を招き、原告に脳ヘルニア及びこれによる後遺障害を生じさせた。
  (被告らの主張)
    本件当時、脳膿瘍患者の死亡率は20%程度であったことからすれば、原告の主張する過失がなくとも、原告に中等度又は重度の後遺障害が残った可能性が相当程度ある。
    過失1に関しては、抗菌薬の効果が現れるまでには早ければ約3日、遅ければ7日以上を要することを踏まえれば、本件診察後直ちに抗菌薬が投与されたとしても平成19年12月16日の脳ヘルニア発生を避けられなかった可能性が十分にある。また、ドレナージ等は抗菌薬を投与しその無効を判定してから行う処置とされていること、特定の抗菌薬が無効であっても他の抗菌薬に切り替えて更に経過観察することもあり得ることを踏まえると、本件診察後直ちに脳膿瘍の治療が開始されたとしても、脳ヘルニア発生前にドレナージが行われなかった可能性も十分にある。
  (4) 損害
  (原告の主張)
    原告は、被告らの過失により、以下とおり合計4億7444万2463円の損害を被った。
   ア 入院雑費 15万4500円
     結果発生日から(平成19年12月16日)から症状固定日(平成20年3月27日)までの入院期間103日間につき、1日当たり1500円。
   イ 入院付添費 103万円
     原告の母が上記入院期間原告に付き添っており、その付添費として1日当たり1万円が相当である。
   ウ 医療関係費 6777万6448円
    (ア) 口頭弁論終結日までの分 465万6687円(前提事実(3)ア)
    (イ) 口頭弁論終結日の後の分 6311万9761円
      口頭弁論終結時(症状固定の13年後)から症状固定日当時の平均余命53年までの40年間(ライプニッツ係数9.0998)について1年当たり693万6390円(前提事実(3)ア)を要する。
   エ 将来介護費 1億2198万4460円
    (ア) 口頭弁論終結日までの分 4745万円
      症状固定日から口頭弁論終結日までの13年間、母親その他の近親者が原告の付添介護を行い、その介護費は1日当たり1万円(1年当たり365万円)を下らない。
    (イ) 口頭弁論終結日の後の分 7453万4460円
      現在原告の介護を担っている母親の年齢を踏まえると、今後は職業的介護が必要であり、1日当たり1万2000円(1年当たり438万円)の費用を要する。介護が必要な期間は、現在の原告の平均余命である40年ライプニッツ係数(17.017)である。
   オ 逸失利益 2億1239万7055円
     労働能力率は100%、基礎収入は平成26年賃金センサスにおける医師の平均賃金1237万8100円、労働能力喪失期間は27歳から67歳までの40年(ライプニッツ係数17.1591)として計算した。
   カ 入院慰謝料 160万円
   キ 後遺障害慰謝料 3200万円
   ク 弁護士費用 3750万円
  (被告らの主張)
    入院雑費、将来治療費につき認めるが、その余は不知ないし否認する。
    原告の入院する病院は完全看護であり、入院付添費及び将来介護費は不要である。
    逸失利益につき、原告の主張する基礎収入は、医療法人の理事長等の開業医の収入をも含めた平均値であるから、これを原告に用いるのは相当ではない。
第3 争点に対する判断
 1 医学的知見
   掲記証拠等によれば、次の医学的知見が認められる。なお、特に断りのない限り、平成19年12月当時のものである。
  (1) 脳膿瘍の原因及び病態
    脳膿瘍は、細菌感染によって脳内に膿が形成された状態であり(前提事実(2)ア)、その起因菌は、連鎖球菌、ブドウ球菌が多い。脳膿瘍は、細菌が脳実質内に進入し、周囲に炎症反応を生じた後、脳実質炎が被膜に覆われるという過程を経て形成され、この過程は、発病から1ないし3日の脳炎初期、4ないし9日の脳炎晩期、10ないし13日の皮膜形成初期、14日以降の皮膜形成晩期の四つの病期に分けられる。通常は、中耳炎、副鼻腔炎、扁桃腺炎等の他部位の細菌感染症が脳膿瘍の原因となるが、感染経路が不明なものも珍しくない。(甲B6[634頁]、甲B38[409頁]、甲B39、甲B78[337頁]、甲B79)
  (2) 脳膿瘍及び膠芽腫の好発年齢及び症例数
    脳膿瘍は、ほとんどの場合、30歳代以前に発生する。一方、膠芽腫の好発年齢は、25歳から70歳までである。(甲B79、丙B30)
    また、日本脳神経外科学会の会員が所属する施設における入院症例を対象とした同学会の症例登録データベースに登録された症例数は、平成30年は、膠芽腫が6924件、脳膿瘍が822件、平成31年は、膠芽腫が7702件、脳膿瘍が890件であった(調査嘱託の結果)。
  (3) 感染症症状
    脳膿瘍は、発熱、白血球数増加、CRP上昇等の炎症所見といった感染症症状を示すことがある。もっとも、脳膿瘍であっても、発熱等の全身症状や白血球増多をほとんど認めないか、欠くことも多いことに留意すべきであり、例えば発熱は脳膿瘍患者の約半数にしかみられない。なお、臨床的に意義のある発熱とは、37.5度以上を指す。(甲B1[249頁]、甲B6[634頁]、甲B38、甲B39、甲B46[192頁]、甲B86)
  (4) 脳膿瘍及び膠芽腫のMRI所見及びCT所見
   ア 脳膿瘍及び膠芽腫は、いずれも造影MRIにおいてリング状増強効果を示す(前提事実(2)ア)。膠芽腫の場合、増強効果を示す領域は不均一で厚い一方、脳膿瘍の場合、膠芽腫に比べると増強効果を示す領域が比較的均一で薄い傾向にある(甲B4、丙B38)。
   イ 脳膿瘍は、拡散強調像において、病変内部が著明な高信号を示す。これに対し、膠芽腫は、出血がある場合を除いて、拡散強調像において、病変内部が強い高信号を示すことはまずない。そのため、膠芽腫と脳膿瘍の鑑別には拡散強調像が有用であり、拡散強調像で内部が著名な高信号を示す場合には、出血がない限り脳膿瘍と考えてよい。(甲B4、甲B35、甲B77)
   ウ 脳膿瘍は、T2強調像において、病変の内部が高信号を示し、被膜(辺縁)が等信号又は低信号を示し、その外周が高信号を示す。この辺縁が特徴的であり、脳腫瘍との鑑別に有用である。もっとも、病変内部は、壊死物質の状態の差等を反映して低信号領域を含むこともある。(甲B4[168頁]、甲B35、甲B38[411頁]、甲B86、丙B35[119頁])
     これに対し、膠芽腫は、T2強調像において、境界の不鮮明な不均一な信号強度を示し、病変の内部には、実質部分である高信号を示す領域と出血を示唆する低信号を示す領域がみられる(甲B4[76頁]、丙B38、丙B40[43頁])。
   エ 脳膿瘍は、T1強調像において、内部は低信号、被膜は等信号又は高信号、周囲の浮腫は低信号を示す(甲B38、甲B78、甲B79)。
     これに対し、膠芽腫は、T1強調像において、境界の不鮮明な不均一な信号強度を示す(丙B38、丙B40[43頁])。
   オ 脳膿瘍は、CT画像において、被膜は等吸収を示し、内部は低吸収を示す(甲B4、甲B6、甲B78、甲B79)。
  (5) 膠芽腫の出血
    膠芽腫は、しばしば出血を伴う(丙B41[4頁])。そして、頭蓋内出血は、急性期にはCTにおいて高吸収を示し、亜急性期にはMRIのT1強調像において高信号を示す(甲B83[43頁])。
  (6) 脳膿瘍に対する治療
   ア 脳膿瘍に対する治療は、脳内の細菌を殺菌して炎症を抑え、脳内の膿を取り除くことにあり、抗菌薬投与等の内科的療法と排膿等の外科的療法が基本となる(甲B6[635頁]、丙B36[79頁])。
   イ 抗菌薬投与は、起因菌同定後に開始することが望ましいが、現実的にはほとんどの場合においてCT画像で診断がつき次第、抗菌薬の投与を開始する(甲B86[568頁])。
     起因菌が明らかでない場合には、ロセフィン(セフトリアキソンナトリウム)又はセフォタックス(セフォタキシムナトリウム)を選択し、起因菌同定後は、その感受性に応じて抗菌薬を変更する。ロセフィンやセフォタックスは、連鎖球菌に対して優れた抗菌力を有している。投与後3日間で改善がないときは抗菌薬を変更し、反応があるときは6から8週間投与を続ける。(甲B6[635頁]、甲B73、甲B86[568頁]、丙B51)
   ウ 外科的療法としては、穿刺排膿術(ドレナージ術)が一般的である。穿刺排膿術は、局所麻酔で行うため全身状態への影響が少なく、頭蓋内圧亢進及び膿瘍の脳室穿破を防止するために、早期の実施が勧められる。特にCT等のガイド下で定位的に行われる穿刺排膿術は、比較的安全な手技であり、診断の確定、起因菌の同定及び頭蓋内減圧を可能にすることから、抗菌薬投与と並行して広く行われている。(甲B6[635頁]、甲B39[20頁]、甲B46、甲B79[348頁]、丙B36[79頁])
   エ 治療法の選択に関しては、脳炎の段階で治療を開始すれば、抗菌薬の投与のみで完治する場合もあるが、多くの場合は内科的療法と外科的療法の両者が必要となる。早期に診断された膿瘍径2cm以下の症例で、初期の抗菌薬投与に対する反応が良好である場合などには、抗菌薬投与を第一選択とし、CT検査又はMRI検査を反復して経過を観察し、抗菌薬の投与にもかかわらず、膿瘍が増大し、神経症状が悪化するときには外科的療法を行う。これに対し、膿瘍径が少なくとも2~3cm以上のものは、当初より内科的療法と外科的療法の組合せを考慮する。(甲B39、甲B79[348頁]、甲B86)
  (7) 脳膿瘍の予後
    CT導入によって迅速かつ正確な診断が可能となり、また、治療法の進歩により、脳膿瘍の予後は改善した。しかし、診断の遅れにより予後不良となることもあり、膿瘍が脳室に穿破すると、炎症の急激な波及、脳ヘルニアにより致死率が高くなる。とりわけ、膿瘍径が2cm以上で深部に局在するものは脳室穿破をきたしやすいので注意を要する。(甲B38、甲B39、甲B78、丙B36)
    ①脳膿瘍が局所症状、知能障害、てんかんなどの機能障害を残す頻度は数%から30%程度であり、致死率は10%以下に減少した(甲B79)、②致死率は約20%である(丙B51)、③致死率は13.2%であり、非穿破例に限定すれば3.4%である(甲B38)、④致死率は5%程度にまで減少した(甲B6)、⑤致死率は3%、介助が必要となる割合は13%、良好な回復を得られる割合は84%である(甲B39)、⑥予後は治療開始時点での意識レベルと相関しており、致死率は意識清明であれば0%、傾眠傾向であれば4%、痛み刺激にのみ反応であれば59%、昏睡状態であれば82%である(甲B46)といった報告がある。
 2 認定事実
   掲記証拠によれば、次の事実が認められる。
  (1) MRI検査及びCT検査の結果
    B病院が平成19年12月11日に実施した原告の頭部CT検査及びMRI検査(前提事実(2)ア)によれば、次の所見が認められる(以下に証拠として掲記した画像フィルムには、縦4段、横4列の計16枚の画像が現像されており、以下では、上からm段目、左からn列目の画像のことを「m段目n列目」と呼称する。)。
   ア 造影MRI画像(乙A3の5)において、右脳実質内にリング状増強効果を伴う病変が認められる。その形状は不整な円形であり、増強効果を示す領域の太さは均一でない。(2段目2列目~同4列目、証人H[13、209~217]、同D[85、307])
   イ 拡散強調像(乙A3の4)において、右脳実質内に明瞭な高信号を示す(画像上は白い)病変が認められる。もっとも、病変の内部全域が高信号を示しているわけではなく、低信号を示す(画像上は黒い)領域も認められる。(2段目2列目~同4列目、3段目1列目、証人H[44~46、185]、同D[72~80、315~318])
   ウ T2強調像(乙A3の2)において、右脳実質内に高信号を示す(画像上は白い)病変が認められる。同病変には、不明瞭なリング状の低信号を示す(画像上は黒い)領域があり、その内部及び周辺部に高信号を示す領域が広がっている。低信号を示す領域は、造影MRI画像においてリング状増強効果を示す領域と概ね一致する。(2段目1列目から同4列目、乙A3の5[2段目2列目~同4列目]、丙B9の1、証人H[84~87])
   エ T1強調像(乙A3の1)において、右脳実質内に病変が認められ、病変内部は低信号(画像上黒い)を示している(2段目3列目、甲25の2、丙B9の1)。
   オ CT画像(乙A4)において、右脳実質内に境界不明瞭な病変が認められる。当該病変内部に高吸収域(画像上白い)はない。(3段目2行目)
   カ アからオまでの病変は、基底核付近にあり、その大きさは、左右径37.99ミリメートル、前後径34.03ミリメートルである(甲B25の2、甲B62[11頁]、丙B9の1)。
  (2) 感染症を疑わせる症状等
    平成19年12月12日に本件診察前にB病院において計測された原告の体温は36.7度であった(乙A1[727頁])。
    原告は、本件診察において、D医師から先行感染因子の有無を質問され、該当がない旨答えた。また、原告に付き添っていた原告の母は、D医師に対し、原告がそれまで健康であった旨伝えた。(甲A8[27~28、38頁]、証人D[121~129]、原告法定代理人[100~109]、弁論の全趣旨)
 3 争点(1)について
  (1) 脳膿瘍の高い疑いを生じさせる事情の存在
   ア 本件診察当時の医学的知見によれば、脳膿瘍は、造影MRI画像において、リング状増強効果を示し、かつ、拡散強調像において、病変の内部が著名な高信号を示し、このような画像所見を示す場合には出血がない限りは脳膿瘍と考えてよいとされていた。そして、原告の頭部CT検査及びMRI検査の結果をみると、造影MRI画像においてリング状増強効果を伴う病変が認められ、拡散強調像において、当該病変の内部が著名な高信号を示している。
     さらに、CT画像における高吸収域及びT1強調像における高信号域がいずれも存在せず、当該病変内で出血が生じていたとは認められない(甲B25の2、丙B9の1)。
     また、本件診察当時の医学的知見によれば、脳膿瘍は、T2強調像において、病変の内部が高信号を示し、辺縁が等信号又は低信号を示し、その外周が高信号を示し、この辺縁が特徴的であり、脳腫瘍との鑑別に有用であるとされていた。そして、原告の頭部MRI検査の結果をみると、T2強調像において、病変の内部が高信号を示し、辺縁が低信号を示し、その周辺部が高信号を示している。
     これらの事情を踏まえると、D医師は、さらなる検査等を行って原告の右脳実質内に生じていた病変が脳膿瘍である可能性を否定できるような特段の事情を認めた場合でない限り、これが脳膿瘍である疑いが高いと診断すべきであったというべきである。
   イ これに対し、被告らは、拡散強調像における信号の高低をもって脳膿瘍と膠芽腫を鑑別することはできないと主張し、その裏付けとなる文献(丙B4の1[訳文は丙B7]、丙B12[訳文は丙B25])の存在を指摘する。そこで検討すると、これらの文献の一方(丙B4の1[丙B7])は、T1強調像によって出血の所見が認められる症例をあらかじめ除いたリング状増強効果を示す症例17件(内訳は、脳膿瘍3件、膠芽腫6件及び転移性脳腫瘍8件)のうち、膠芽腫のすべての症例及び転移性脳腫瘍の症例のうち7件は、拡散強調像において低信号を示したが、転移性脳腫瘍の症例のうち1件が拡散強調像において高信号を示したことを紹介するものである。もう一方の文献(丙B12[丙B25])は、膠芽腫の大半(原語はvastmajority)は拡散強調像において高信号を示さないが、膠芽腫の一部が拡散強調像において高信号を示すと述べるものである。これらの文献は、いずれも上記1(4)認定の医学的知見と矛盾するものではない。
     また、被告らは、脳膿瘍と壊死性神経膠芽腫の間にはT2強調像において低信号を示す被膜の存在率に統計的有意な差がなく、被膜の存否をもって両者を鑑別することはできないと主張し、その裏付けとなる文献(丙B33)を指摘する。しかしながら、当該文献は、本件診察の後である平成24年に発行されたものであり、本件診察時における医学的知見を示すものであるとはいえない上に、脳膿瘍の症例12例及び膠芽腫の症例20件の分析からは統計的に有意な差を認めなかったと述べるものであって、上記1(4)認定の医学的知見と必ずしも矛盾するものではない。
     被告らは、その他にも、上記1(4)認定の医学的知見を争って、各種医学的知見を引用するが、それらは、拡散強調像における高信号が脳膿瘍に100%特異的であるとはいえないことなどを指摘するものに過ぎず、上記1(4)の認定及び上記アの判断を左右しない。
     さらに、被告らは、脳膿瘍の症例数は、脳腫瘍の症例数と比較して極めて少なく、そうである以上、原告の右脳実質内に生じていた病変が脳膿瘍である可能性も小さいと主張する。しかしながら、本件診察当時の脳膿瘍及び膠芽腫の症例数に関する証拠は提出されていない上に、被告らの主張する●病院における脳膿瘍と膠芽腫の症例数の比率(脳膿瘍の症例数と膠芽腫の症例数の合計に占める脳膿瘍の症例数の割合が3%)は、上記1(2)認定の日本脳神経外科学会の会員が所属する施設における平成30年及び平成31年の脳膿瘍と膠芽腫の症例数の比率(上記割合は10%)とも大きく異なっており、被告らの主張は、前提を欠くものであって、採用することができない。
  (2) 脳膿瘍の可能性を否定できる事情の不存在
    以下のとおり、本件全証拠によっても、本件診察当時、原告の右脳実質内に生じていた病変が脳膿瘍である可能性を否定できるような特段の事情が存在したとは認められない。したがって、D医師は、これが脳膿瘍である疑いが高いと診断すべきであった。
    まず、原告には発熱、白血球数の著明な増加等の感染症症状が見られなかった。しかしながら、本件診察当時の医学的知見によれば、脳膿瘍であっても感染症症状をほとんど認めないか、欠くことも多いことに留意すべきであり、発熱は脳膿瘍患者の約半数にしかみられないとされていたのであるから、感染症症状が見られなかったことは、上記特段の事情には当たらない。また、原告には先行感染因子が見当たらなかった(上記2(2))。しかしながら、本件診察当時の医学的知見によれば、脳膿瘍において感染経路が不明なものも珍しくないとされていたのであるから、このことも上記特段の事情には当たらない。好発年齢の観点から検討をしても、脳膿瘍はほとんどが30歳代以前に発生するとされているところ、原告は本件診察当時に25歳であったのであるから、原告の年齢は上記特段の事情には当たらない。そして、以上説示したところを踏まえると、炎症所見がないこと、先行感染因子が見当たらないこと、原告が当時25歳という若年であったことなどから、脳膿瘍よりも膠芽腫を疑うべきであるという一般財団法人Ai情報センター作成の意見書(丙B9)の指摘は採用することができない。
    次に、被告らは、B病院が平成19年12月11日に実施した原告の頭部MRI検査の結果に関し、拡散強調像において、病変の内部全域が均一な高信号を示しておらず、T2強調像において、病変内部の高信号域の信号強度が一様ではなく、これらは脳膿瘍と矛盾する所見であると主張する。しかしながら、拡散強調像において脳膿瘍の内部全域が均一な高信号を示すとの医学的知見が本件診察当時に存在したことを認めるに足りる証拠はない(なお、本件診察後の文献の中には、拡散強調像における膿瘍内部の高信号は均一な場合と不均一な場合があると指摘するものがある[甲B27]。)。また、本件診察当時の医学的知見によれば、脳膿瘍は、T2強調像において、病変内部に低信号領域を含むことがあるとされている。したがって、拡散強調像及びT2強調像において、病変内部の高信号が均一でなかったことは、上記特段の事情には当たらない。
    さらに、被告らは、脳膿瘍が基底核付近に発生することはほとんどないとの医学的知見を前提として、原告の右脳実質内に生じていた病変が基底核付近にあったことは当該病変が脳膿瘍であることを否定する所見であると主張する。そして、久留米大学医学部のI教授作成の意見書及び鹿児島大学のJ教授作成の意見書(丙B5の3、10)は、これに沿う指摘をする。しかしながら、脳膿瘍が基底核付近に発生することはほとんどない旨の医学的知見を裏付ける文献は提出されておらず、上記各指摘及び被告らの主張は、前提を欠き、採用することができない。また、被告らは、脳膿瘍患者のうち精神障害が認められるものの割合が41.6%ないし51%である一方、原告には精神障害が認められなかったと主張する。しかしながら、仮に脳膿瘍患者のうち精神障害を発症するものの割合が被告らの主張のとおりであるとしても、そのことをもって、原告が精神障害を発症していなかったことから脳膿瘍の疑いを否定し又は減ずることができるとはいえず、これが上記特段の事情に当たるともいえない。
    なお、被告らは、B病院が平成19年12月11日に実施した原告の頭部MRI検査に関し、造影MRI画像において増強されたリング状領域の太さが均一ではなかったことは、脳膿瘍の可能性を減ずるものであったと主張する。たしかに、本件診察当時の医学的知見によれば、脳膿瘍は、造影MRI画像において、増強効果を示す領域の太さが比較的均一であるとされていたが、これは増強効果を示す領域の太さが均一でなければ脳膿瘍の可能性が否定されることを意味するものではない。したがって、原告の頭部MRI検査において増強効果を示す領域の太さが均一でなかったことが上記特段の事情に当たるとはいえない。
  (3) D医師が執るべきであった措置
   ア 本件診察当時の医学的知見によれば、脳膿瘍は、診断の遅れにより予後不良となることもあり、とりわけ膿瘍が脳室に穿破すると脳ヘルニア等により致死率が高くなり、膿瘍径が2cm以上で深部に局在するものは脳室穿破をきたしやすいので注意を要するとされていた。一方、B病院が平成19年12月11日に実施した原告の頭部MRI検査の結果によれば、原告の右脳実質内の病変は、基底核の付近にあり、その大きさは、左右径37.99ミリメートル、前後径34.03ミリメートルに達していたのであるから、これが脳膿瘍であるならば、原告には、本件診察当時、膿瘍が脳室に穿破する現実的危険が切迫していたというべきである。このような状況下においては、脳膿瘍に対する治療によりかえって生命の危険が高まるためにその実施を避けることが相当といえるような特段の事情が認められる場合でない限り、D医師は、原告の右脳実質内の病変が脳膿瘍であるとの高い疑いを持った場合には、確定診断に至らなくとも、直ちに脳膿瘍に対する治療を開始すべきであったというべきである。
     そして、本件診察当時の医学的知見によれば、脳膿瘍に対する治療としては、抗菌薬投与と穿刺排膿術があり、上記認定説示の病変の大きさを踏まえれば、抗菌薬投与及び穿刺排膿術のいずれについても適応があったと認められる。
   イ そこで、抗菌薬投与及び穿刺排膿術について、上記特段の事情が認められるか検討する。
     まず、被告らは、抗菌薬投与について、その効果の有無を見極めるために時間を要し仮に膠芽腫であった場合に同疾患に対する治療開始が遅れる、アナフィラキシーショックを含む副作用が発生する可能性がある、検査データに狂いを生じさせるといった弊害を指摘する。しかしながら、これらの弊害は抽象的なものであって、脳膿瘍が疑われる病変を放置することにより脳ヘルニアが生ずる危険性を上回るものではない。
     次に、被告らは、穿刺排膿術について、これを実施すると、仮に膠芽腫であった場合に腫瘍細胞が穿刺経路に広がってしまい膠芽腫が一気に末期症状まで到達してしまうおそれがあると主張する。しかしながら、当該主張の裏付けとなる医学的知見を認めるに足りる証拠はない。
     なお、被告らは、穿刺排膿術は抗菌薬投与が無効であることを確認してから行うものであると主張し、これに沿う記載のある文献を証拠(丙B51)として提出する。しかしながら、当該文献は、抗菌薬の投与が無効である例において穿刺排膿術を行うと述べてはいるが、抗菌薬投与を穿刺排膿術に常に先行させるべきであるとは述べていないし、抗菌薬投与を穿刺排膿術に先行させるべき理由も述べていない。これに対し、抗菌薬投与が先行しているか否かにかかわらず穿刺排膿術を行うべき場合がある旨を述べる文献は複数存在し(甲B6、甲B39、甲B79)、これらの文献は、脳膿瘍の進行の程度によっては治療開始直後から穿刺排膿術を実施すべきであると述べているのであって、その内容は合理的であると認められる。これらの文献の内容に照らすと、穿刺排膿術は抗菌薬投与が無効であることを確認してから行うべきであるとの被告らの主張は、本件においては採用することができない。
     そして、本件全証拠によっても、抗菌薬投与及び穿刺排膿術について、上記特段の事情があるとは認められない。
   ウ 以上によれば、D医師には、本件診察の結果を踏まえ、原告の右脳実質内に生じていた病変が脳膿瘍である疑いが高いと診断した上で、直ちに抗菌薬投与及び穿刺排膿術を実施する義務を負っていたにもかかわらず、これらを怠った過失が認められる。
 4 争点(2)について
   上記3において認定説示した事情を踏まえると、B病院の医師は、平成19年12月11日に実施した原告の頭部CT検査及びMRI検査によって発見した右脳実質内の病変が脳膿瘍である疑いが高いと診断した上で、これに対する治療を直ちに開始するための措置を講ずる義務を負っていたと認められる。しかるに、B病院の医師らは、この義務を怠り、C医師において●病院に対し膠芽腫の疑いがあるとの情報を提供し、E医師においてD医師の判断に従った過失がある。
 5 争点(3)について
   上記認定の医学的知見のとおり、脳膿瘍が局所症状、知的障害、てんかんなどの機能障害を残す頻度は、数%から30%であり、致死率は約20%であるとの報告がある。しかしながら、これらは、診断の遅れによって予後が不良になった症例も含む数値であると解され、脳室非穿破の症例に限定すれば致死率は3.4%であり、治療開始時に意識清明であった症例に限定すれば致死率は0%であるとの報告もある。一方、認定事実によれば、本件診察当時は、原告は意識が清明であり、脳膿瘍の脳室穿破も生じていなかったと認められる。
   また、本件診察当時の医学的知見によれば、起因菌が明らかでない段階で選択すべき抗菌薬はロセフィン又はセフォタックスであり、これらはいずれも原告に生じた脳膿瘍の起因菌である連鎖球菌に対して優れた抗菌力を有していた。さらに、穿刺排膿術、とりわけCT等のガイド下で定位的に行われるものは、比較的安全な手技であり、これにより頭蓋内圧亢進及び膿瘍の脳室穿破を防止する効果を期待することができた。
   これらの事情を踏まえれば、本件診察の時点で、原告の右脳実質内の病変が脳膿瘍であるとの高い疑いをもって、脳膿瘍に対する治療を直ちに開始していれば、脳ヘルニアの発生及びそれによる後遺障害の発生を避けることができたと認められ、被告らの債務不履行と原告の後遺障害との間には相当因果関係が認められる。
 6 争点(4)について
  (1) 入院雑費 15万4500円(争いがない)
  (2) 入院付添費 66万9500円
    証拠(甲A15、甲C6、原告法定代理人[62~82])及び弁論の全趣旨によれば、原告の母が平成19年12月16日から平成20年3月27日までの103日間原告に付き添ったことが認められる。そして、当該付添いについて医師の指示があったことを認めるに足りる証拠はないが、前提事実(2)エ及びオの原告の症状等を踏まえると、同付添いは必要であったといえ、その費用として上記期間について日額6500円を相当と認める。
  (3) 医療関係費 6311万9761円
    原告の後遺障害の内容及び原告が症状固定後現在まで断続的に入院を継続していること(前提事実(2)オ)を踏まえると、原告は、後遺障害のために生涯にわたり医療関係費を必要とすると認められる。また、原告が症状固定日である平成20年3月27日当時26歳であり、同年当時の26歳の男性の平均余命は53年であった(公知の事実)から、原告が医療関係費を必要とする期間は53年であると認められる。ただし、口頭弁論終結日(症状固定から13年経過後)までに生じた医療関係費は損害に計上しない(前提事実(3)ウ(ア))。そして、前提事実(3)ア及び弁論の全趣旨によれば、原告は、口頭弁論終結日時以降の40年間(症状固定日から13年経過して以降の40年間。ライプニッツ係数9.0998)、1年当たり693万6390円の医療関係費を要すると認められる。
    これに対し、被告らは、原告は重度心身障害者等医療費の助成制度による助成を受けることができ、医療費を負担しないと主張するが、支給を受けることが確定していない助成を損害から控除することは相当でなく(最高裁平成5年3月24日大法廷判決・民集47巻4号3039頁参照)、被告らの主張は採用することができない。
  (4) 将来介護費 0円
    甲C第6号証、乙C第5号証、乙C第6号証及び弁論の全趣旨によれば、原告が症状固定日以降入院しているB病院においては完全看護の体制が取られており、看護師が原告の介護を行っていると認められ、上記(3)の医療関係費は、そのような医療体制を前提として計算されたものである。このことを踏まえてもなお上記(3)の医療費に加えて将来介護費が必要であることを基礎付ける事情は本件全証拠によっても認められない。
  (5) 逸失利益 2億0390万0484円
    原告の症状固定時の年齢(26歳)及び前提事実(2)オの後遺障害の内容を踏まえると、原告は、症状固定日から41年間(ライプニッツ係数17.2944)にわたり労働能力を100%喪失したと認められる。そして、原告の性別、原告が勤務医として稼働していたこと及び原告が症状固定時には若年というべき年齢であったことを踏まえると、基礎収入としては、症状固定日の属する年である平成20年の賃金センサスによる男性医師の企業規模計・全年齢平均賃金を用いるのが相当であり、その額は1220万9800円である(公知の事実)。なお、被告らは、賃金センサスは、医療法人の理事長等の賃金を含めて平均を算出しているから、賃金センサスによる平均賃金を基礎収入として用いるのは相当でないと主張する。しかしながら、平均に様々な属性の者が含まれるのは当然であり、原告が若年であったことを踏まえて平均を用いるのが相当であると判断する以上(原告は、平成19年に実施された第101回医師国家試験に合格して医師になったと認められ[甲C4]、本件診察当時は医師になったばかりであり、将来の進路としては多様なものが考えられたはずである。)、被告らの主張は採用することができない。
   ア 症状固定後13年分 1億0743万3297円
     症状固定日から口頭弁論終結日までに13年間が経過していることを踏まえ、症状固定後13年間の逸失利益を算定するに当たっては、被告Aによる食事・生活療養費の自己負担分、その他自己負担分及び社会保険料の立替額の合計額である1004万8213円を13で除した77万2939円を基礎収入から控除する(前提事実(3)ウ(イ))。そして、13年に対応するライプニッツ係数9.3936を用いて中間利息控除を行う。
   イ その後28年分 9646万7187円
     13年後から41年後までの28年間に対応するライプニッツ係数7.9008を用いて中間利息控除を行う。
  (6) 入院慰謝料 160万円
    原告が昏睡状態に陥った平成19年12月16日から症状固定日である平成20年3月27日まで●病院に入院したことを踏まえ、160万円を相当と認める。
  (7) 後遺障害慰謝料 2800万円
    前提事実(2)オの後遺障害の内容を踏まえ、上記額を相当と認める。
  (8) 弁護士費用 2970万円
    原告が、原告訴訟代理人に本件訴訟の遂行等を依頼したことは当裁判所に顕著であり、本件事案の内容・性質、同人に生じた損害の額その他諸般の事情を総合して、被告らの債務不履行と相当因果関係のある弁護士費用として、上記額を相当と認める。
第4 結論
   よって、原告の請求は主文第1項の限度で理由があるから、その限度でこれを認容し、その余については理由がないから棄却することとし、主文のとおり判決する。
    鹿児島地方裁判所民事第2部
        裁判長裁判官  坂庭正将
 裁判官宍戸崇及び同溝口翔太は、転補につき、署名押印することができない。
        裁判長裁判官  坂庭正将



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