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内視鏡的静脈瘤結紮術を受け,その術中に心肺停止となるなどした結果,低酸素脳症となったのは,鎮静剤の投与の方法に過失があったとして損害賠償を認めた判例

神戸地裁

令和3年9月16日判決

 

 

       主   文

 

 1 被告は,原告に対し,1億3830万5198円及びこれに対する平成25年1月21日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

 2 原告のその余の請求を棄却する。

 3 訴訟費用は,これを10分し,その1を原告の負担とし,その余を被告の負担とする。

 4 この判決は,第1項に限り,仮に執行することができる。

 

       事実及び理由

 

第1 請求

   被告は,原告に対し,1億5078万5330円及びこれに対する平成25年1月21日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

第2 事案の概要

 1 事案の要旨

   本件は,原告が,平成25年1月21日,被告が開設するA病院(以下「被告病院」という。)において,食道静脈瘤に対する内視鏡的静脈瘤結紮術(EVL)を受け,その術中に心肺停止となるなどした結果,低酸素脳症により寝たきりの状態になったのは,被告病院の医師らの過失又は注意義務違反によるなどと主張して,被告に対し,選択的に不法行為又は債務不履行による損害賠償として合計1億5078万5330円及びこれに対する不法行為の日である平成25年1月21日から支払済みまで平成29年法律第44号による改正前の民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。

 2 争いのない事実等(後掲の証拠及び弁論の全趣旨により容易に認定し得る事実を含む。)

  (1)当事者

   ア 原告は,昭和〇年○月○○日生まれの●性である。原告は,平成〇年頃から,下腿浮腫が増悪し,平成〇年に被告病院に転院し,キャッスルマン病並びに後腹膜繊維症による上大静脈及び下大静脈閉塞と診断されて退院し,以後,被告病院への入退院を繰り返していた。(乙A2の4頁,乙A3,9)

   イ 被告は,被告病院を開設する地方独立行政法人である。

  (2)原告がEVLを受けるまでの診療経過

   ア 原告は,キャッスルマン病及び後腹膜繊維症による上大静脈及び下大静脈閉塞に伴って側副血行路が発達し,その結果,食道静脈瘤(以下「本件静脈瘤」という。)を発症しており,被告病院消化器内科において年1回の検査を受けていたところ,本件静脈瘤が年々増大傾向にあることに鑑み,平成24年11月12日,その精査加療を目的として被告病院消化器内科に入院した。(乙A2の4頁,乙A9)

     原告は,翌13日,被告病院の内視鏡センターにおいて,上部消化管内視鏡検査を受け,その結果,本件静脈瘤は横ばいないしやや増大していることが認められ,破裂出血のリスクを避けるため,根治的治療の必要性が認められた。(乙A9)

   イ 被告病院の医師らは,平成〇年〇月〇日,原告に対し,食道静脈瘤の治療としてEVLを選択肢として考えているが,原告の本件静脈瘤は,キャッスルマン病及び後腹膜繊維症によって大きな血管(上大静脈及び下大静脈)が閉塞し,血液の流れに異常が生じてできたものであるため,治療後に予期せぬ合併症が発生する可能性があること,根本的な治療としては血管の手術により血液の流れを元に戻す方法が考えられることを説明した。(乙A2の10頁,乙A9)

     原告は,同月〇日,静脈造影検査を受けた。同検査を受けて,被告病院の医師らは,同日,原告に対し,本件静脈瘤に対する治療として,①EVLを実施する,②IVR治療(上大静脈へのステント留置)を試みる,③外科的治療(人工血管によるバイパス手術)を試みる,④無加療で経過観察し,静脈瘤出血時に緊急止血で対応する,との四つの方針が考えられる旨説明した。

     原告は,同月〇日,上記②の治療を受けることに決めた。(乙A2の15,18,19頁)

   ウ 原告は,平成24年11月27日,被告病院を一旦退院し,同年12月11日,再度,本件静脈瘤の精査加療の目的で入院した。(乙A2の19,21,30頁)

     原告は,同月13日,IVR治療を受けたが,上大静脈の閉塞部が硬く,ガイドワイヤーが通らなかったため,ステントを留置することができず,同治療は中止された。(乙A2の35頁)

   エ 原告は,平成24年12月17日,今後内視鏡治療を行うこととして,被告病院を一旦退院し,平成25年1月17日,EVLの実施を目的として再度,同病院に入院した。(乙A1,乙A2の51,52頁)

  (3)手術の経過

   ア 原告は,平成〇年〇月〇日午後〇時〇分頃,EVLのため,内視鏡センターに入室した(以下,同日の時刻を記載する場合には,日付の記載を省略する。また,同日の一連の手術を指して「本件手術」という。)。(乙A2の63頁)

   イ 被告病院の医師らは,午後2時10分,原告に対し,EVLの術前の処置として,鎮静剤であるドルミカム1アンプル(容量2mg)と生理食塩水18mLの混合溶液20mL(以下「本件混合溶液」という。)のうち12mL,鎮痛剤であるペンタジン2分の1アンプル及び抗アレルギー性緩和精神安定剤であるアタラックスP2分の1アンプルを静脈注射した。(甲B22~24,32,33,乙A2の63頁)

     その後,原告のSpO2(経皮的動脈血酸素飽和度。以下単に「酸素飽和度」ということもある。)が88%に低下したため,被告病院の医師らは,酸素カニューレにより毎分2Lの酸素を投与した。(乙A2の63頁)

     被告病院の医師らは,EVLを開始し,原告の本件静脈瘤のうち1個を結紮したところ,原告の体動が非常に激しくなった。(乙A2の61,63頁)

   ウ 被告病院の医師らは,午後〇時〇分,先に投与した本件混合溶液の残量8mLとペンタジン2分の1アンプル及びアタラックスP2分の1アンプルを静脈注射した。その直後,原告の体動が激しくなり,原告は,食道内に挿入されていたフレキシブルオーバーチューブ(内視鏡を複数回挿入する際に,内視鏡の通過を容易にし,咽頭や食道を保護するための軟質ポリ塩化ビニル製の器具。以下「オーバーチューブ」という。)を自己抜去した。(乙A2の63頁,乙B18)

   エ 被告病院の医師らは,午後〇時〇分,原告のSpO2が測定できなくなり,脈拍及び呼吸が微弱となったことから,酸素マスクにて毎分13Lの酸素を投与した。この頃,原告の意識レベルは,痛み刺激に反応しない程度となっていた。被告病院の医師らは,原告に対し,鎮静剤に対する拮抗薬としてアネキセート1アンプルを静脈注射した。(乙A2の63頁)

   オ 被告病院の医師らは,午後2時30分,原告に対し,心停止の際の蘇生に用いられるボスミン1アンプルを静脈注射するとともに,点滴の滴下不良のため,点滴ラインの2本目を確保した。この頃,原告の頸動脈が触知できず,SpO2が30%から60%台となり,胸郭の動きも見られない状態となった。

     被告病院の医師らは,原告に対し,アンビューバッグによる強制換気を実施した。(乙A2の61,63頁)

   カ 被告病院の医師らは,午後〇時〇分,原告の血圧が84/55mmHg,1分当たりの心拍数(以下,単に「心拍数」という。)が20回台となったため,PEA(無脈性電気活動。有効な心臓の拍動がない状態)に近い状態にあると判断し,原告に対し,心臓マッサージを開始するとともに,CPAコール(蘇生のために医師及び看護師を招集するコール。CPAは心肺停止を意味する。)を行い,原告を病棟ベッドに移動させた。(乙A2の63頁)

   キ 午後〇時〇分,原告の心電図は,PEAの波形となったが,被告病院の医師らが心肺蘇生を行い,午後〇時〇分に心拍が再開し,午後〇時〇分には自発呼吸が確認された。

     午後〇時〇分,原告は,血圧122/89mmHg,心拍数130回/分,ジャクソンリースによる毎分9Lの酸素投与状態でSpO2 100%となった。(乙A2の63,64頁)

  (4)本件手術後の原告の状況

    原告は,本件手術の際に低酸素状態となったことにより低酸素脳症となり,意識障害が継続することとなった。原告は,平成〇年〇月〇日,低酸素脳症による遷延性意識障害に対する治療を行うため,B病院に転院した(なお,原告に対する診療経過についての当事者の主張は,別紙診療経過一覧表のとおりであり,このうち争いのない事実は,同別紙中にその旨記載のとおりである。)。(乙A1)

  (5)医学的知見

   ア 食道静脈瘤

     食道静脈瘤は,肝臓の門脈に流れ込むべき静脈血が正常に流れないために,門脈を迂回する側副血行路として,食道の粘膜内及び粘膜下に静脈血が流入し,食道内の静脈が拡張,蛇行した結果として形成されることが多い(なお,本件静脈瘤は,これとは発生機序を異にする。)。食道静脈瘤が増大し,破裂すると,大量に出血し,死亡するに至ることがあるため,食道静脈瘤が一定の所見を示すと治療の対象となる。(乙A13)

   イ EVL(内視鏡的静脈瘤結紮術)

     EVLは,消化器内視鏡を使用した食道静脈瘤の治療方法の一つであり,内視鏡のスコープの先端に取り付けられたデバイスにより,ゴムリング(Oリング)を静脈瘤の根元にかけ,静脈瘤を結紮することで静脈瘤の血流を遮断し,静脈瘤を壊死させ,静脈瘤のあった部分を閉塞させて,破裂による出血を予防するものである。(乙A13)

   ウ ミダゾラム

     ミダゾラム(商品名ドルミカム)は,麻酔前投薬,全身麻酔の導入及び維持並びに集中治療における人工呼吸中の鎮静等に用いられるベンゾジアゼピン系の催眠鎮静剤である。(甲B22,32,33,乙B5)

第3 争点

 1 被告病院の医師らが,午後2時10分の時点で,原告に対し,EVLを開始したことに過失又は注意義務違反があるか。

 2 被告病院の医師らが,原告に対し,午後2時10分及び午後2時20分に鎮静剤であるミダゾラム10mg(体重1kg当たり0.14mg)を側管注法で投与したことに過失又は注意義務違反があるか。

 3 被告病院の医師らが,午後2時25分の時点で,原告に対し,アンビューバッグやジャクソンリース等による強制換気を実施しなかったことに過失又は注意義務違反があるか。

 4 被告病院の医師らが,午後2時30分の時点で,原告に対し,心臓マッサージを行わなかったことに過失又は注意義務違反があるか。

 5 損害及びその額

第4 争点に対する当事者の主張

 1 争点1(被告病院の医師らが,午後2時10分の時点で,原告に対し,EVLを開始したことに過失又は注意義務違反があるか)について

  (原告の主張)

  (1)被告病院の医師らの過失又は注意義務違反

   ア 被告病院の医師らには,原告のSpO2が低下したまま回復していないにもかかわらず,EVLを開始した過失又は注意義務違反がある。すなわち,被告病院らの医師は,午後2時10分に原告に鎮静剤を投与した後,原告のSpO2が88%に低下したため,酸素カニューレによって原告に酸素を投与した。しかし,原告のSpO2は十分に回復せず,原告は,午後2時10分に激しく暴れ出し,午後2時20分にはオーバーチューブを自己抜去するなど苦しむ様子を見せており,呼吸困難状態にあった。このような場合,被告病院の医師らは,酸素投与によって原告のSpO2が回復するのを確認してからEVLを開始すべき注意義務があったのに,これを怠り,漫然とEVLを行った過失又は注意義務違反があった。

   イ 被告は,モニター機器のアラームが鳴らなかったから,原告のSpO2は90%を下回っていなかった旨主張するが,否認する。また,仮にアラームが鳴っていたとしても,そのアラームに医療スタッフが適切に対応しないケースはあるため,アラームが鳴っていたことと適切な対応がされたこととは関係がない。

   ウ 酸素カニューレによる酸素投与によって,原告のSpO2が90%以上に上昇していたとしても,呼吸が安定して良好な状態にあったとはいえず,被告病院の医師らは,EVLを開始すべきではなかった。

  (2)体動の原因

    被告病院の医師らが,午後2時10分に食道静脈瘤1個を結紮したとき,原告が激しく暴れ出し,午後2時20分には,原告はオーバーチューブを自己抜去した。これらの原告の行動の原因は,呼吸困難状態で苦しかったことにある。

  (被告の主張)

  (1)被告病院の医師らに過失又は注意義務違反がないこと

   ア 被告病院の医師らは,原告のSpO2が88%に低下した後,酸素カニューレによる酸素投与を行い,SpO2が95%に回復をしたことを確認してからEVLを開始した。

   イ 一般に,呼吸器疾患がなければ,SpO2は,酸素投与後に直ちに上昇する。本件では,酸素カニューレでの酸素投与を行ったから,それにもかかわらず原告が酸欠状態であったとは考え難い。

   ウ 内視鏡センターでは,心電図モニター,パルスオキシメーター及び呼吸モニターが一体となったモニター機器を使用しており,同機器では,出荷時の初期設定としてSpO2が89%以下でアラームが鳴るように設定されている。

     EVLを開始した時点では,アラームは鳴っておらず,少なくとも原告のSpO2は90%以上となっていた。SpO2が90%以上であれば,呼吸が安定して良好な状態ではなかったとはいえず,EVLを開始することに問題はない。

  (2)体動の原因

   ア 午後2時10分の原告の体動の原因は,①オーバーチューブの挿入による苦痛・不快感に反応したこと,②食道静脈瘤を結紮する際の食道壁が引きつれる痛みに反応したことである。

     午後2時20分の体動は,上記①が原因である。

   イ 消化器内視鏡診療での鎮静に用いられる鎮静剤の投与量では,患者の体動を完全に抑制する程度の深度の鎮静には至らず,鎮静下での体動はしばしばみられる事象である。

   ウ この頃,原告に対して酸素投与中であったが,それにもかかわらず,SpO2が低下するとすれば,過鎮静による呼吸抑制が原因であると考えられる。しかし,体動があるということは,苦痛に対する鎮静が不十分であったことを示しており,この時点で鎮静剤による呼吸抑制が生じていたとは考えられない。

   エ 酸欠状態の患者が激しく暴れることは通常考えにくく,体動の原因が酸欠状態にあったとはいえない。

 2 争点2(被告病院の医師らが,原告に対し,午後2時10分及び午後2時20分に鎮静剤であるミダゾラム10mg(体重1kg当たり0.14mg)を側管注法で投与したことに過失又は注意義務違反があるか)について

  (原告の主張)

  (1)原告には鎮静剤の慎重投与が必要であったこと

    原告は,肺気腫,胸水といった慢性肺疾患が存在したため,強い呼吸抑制が早期から生じる可能性があり,本件手術の際にもSpO2が90%台前半と低く,通常よりも低酸素脳症に陥りやすい傾向があった。よって,原告に対しては,呼吸抑制の危険性があるミダゾラムを慎重に投与する必要があった。

  (2)鎮静剤の添付文書・ガイドラインの記載に照らし,本件手術におけるミダゾラムの使用量が多いこと

   ア ミダゾラムの添付文書上,鎮痛剤等と併用する場合には作用が強く表れやすいので投与量を減じることが指示されている。

   イ 内視鏡診療における鎮静に関するガイドラインでは,ミダゾラムの投与量は0.02ないし0.03mg/kg(体重1kg当たりの投与量)が推奨され,消化器内視鏡ガイドラインでは,0.15mg/kg以上を使用すると,一過性の無呼吸の頻度が増えるので注意が必要とされるところ,本件手術で被告病院の医師らが投与したミダゾラムの量は,合計0.14mg/kgであり,これは推奨される投与量を大きく超え,注意が必要とされる0.15mg/kgに匹敵する。

  (3)被告病院の医師らの過失又は注意義務違反

   ア したがって,このように通常よりも多量の鎮静剤を投与するに当たっては,ガイドラインが求めるように,呼吸抑制を生じさせないよう,できるだけ緩徐な方法,すなわち,持続静脈注射ないしは少なくとも1分以上をかけて静脈内に注射する方法を用いるか,それが不可能なのであれば,EVLは,緊急性の高い治療ではなく,予防的治療であったのであるから,鎮静剤を大量に追加投与をしてまでEVLを続行するのではなく,投与を取りやめて,EVLを中止すべき義務があった。

   イ ところが,被告病院の医師らは,EVLを継続しようとして,急速静脈注射・ワンショットに分類される側管注法(三方活栓から注射器で薬剤を注入する方法)によりミダゾラムの投与を行い,呼吸抑制を生じさせており,投与方法に安全性を欠いた過失又は注意義務違反がある。

     なお,鎮静剤を希釈して投与したとしても,投与量自体が減るわけではなく,また,被告病院の医師らは,即時の鎮静効果を期待して三方活栓からライン内の薬剤をフラッシュする(押し流す)方法を用いたと考えられ,その投与速度は緩徐になっていない。

  (被告の主張)

  (1)2回の投与それぞれについて過失又は注意義務違反の有無を検討すべきであること

    そもそも被告病院の医師らは,原告に対し,ミダゾラムを2回に分けて投与しており,EVL開始前の投与と追加投与とでは状況が異なるから,これらを全体として評価して過失又は注意義務違反を論じることはできない。

  (2)原告に対する慎重投与の必要性がないこと

    原告には,肺気腫及びわずかな胸水はあるものの,呼吸機能に影響するほどの重症度ではなく,原告への鎮静剤の投与に際し,考慮すべき慢性の呼吸器疾患はなかった。

  (3)添付文書等の記載と本件の鎮静剤の投与量について

   ア 添付文書等の記載

     ミダゾラムの添付文書の記載は,麻酔前投薬,全身麻酔の導入及び維持,集中治療における人工呼吸中の鎮静,並びに歯科・口腔外科領域における手術及び処置を対象としており,保険適用外である内視鏡診療の鎮静についての記載はないから,本件に直接該当しない。対象とされる分野で緩徐に投与することが指示されるのは,他の薬剤と併用し持続的な投与を行うなどの特殊性があり,投与量も多いことによる。

     また,鎮静剤の投与量はガイドラインに示されているものの,患者によって調整する必要がある。添付文書でも用量を適宜増減することが認められており,用法,用量の基準は絶対的なものではない。鎮静剤の効果は個人差が大きく,柔軟な対応が求められるものである。

   イ 前回投与時との比較

     本件手術時のミダゾラムの総投与量は,平成24年11月13日の内視鏡検査時の投与量である0.12mg/kgと大きくは変わらないものであり,その際,原告は同量の鎮静剤の投与を必要とし,投与による合併症も起こさず,何ら問題なく検査を終えており,本件手術で原告に投与した鎮静剤の種類及び投与量は適切であった。

  (4)投与方法に過失又は注意義務違反がないこと

   ア 投与方法が緩徐であること

     被告病院における鎮静剤の投与方法は,静脈ラインを確保して輸液を流し,静脈ラインの途中に設けた三方活栓から,鎮静剤を生理食塩水で希釈した混合溶液を注入するというものである。三方活栓から注入された鎮静剤は,静脈ライン内の輸液と混合して希釈された上,輸液の滴下によって徐々に体内に移行する。この静脈ラインから投与する場合の通常の輸液の滴下速度は,時速60ないし80mL(分速1ないし1.34mL)である(乙B28)。なお,内視鏡検査・治療の際,持続静脈注射を採用することは一般的ではない。

   イ 午後2時10分の0.08mg/kg投与

     被告病院の医師らは,午後2時10分,原告に対し,鎮静剤0.08mg/kgを投与したが,これは一過性の無呼吸が発生するとされる投与量の半分程度であり,投与量は一般的な医療水準に適合する。また,薬剤合計は13mLであり,これに輸液10mL程度が加わり,上記アの滴下速度からして全量が静脈内に入るまで1分以上かかる緩徐な方法であった。

     よって,この時点での投与方法は不適切といえず,被告病院の医師らに過失又は注意義務違反はない。

   ウ 午後2時20分の0.06mg/kg投与

     午後2時20分の時点では,原告に激しい体動があり,鎮静の深度が足りない状態であって,安全に治療を行うために迅速に追加投与を行う必要があった。このような場合に,持続投与等の緩徐な投与を行うことは現実的ではなく,確保済みの静脈ラインの三方活栓から鎮静剤を注入することが最も安全かつ迅速である。

     また,原告は,前回の内視鏡検査時には総量0.12mg/kgの投与を要したところ,苦痛の大きいEVLにおいて,前記イの投与に加えそれよりやや多い0.06mgの追加投与を行うことは妥当かつ適切であった。よって,被告病院の医師らに過失又は注意義務違反はない。

     なお,追加投与後にも原告がオーバーチューブを自己抜去したことは,追加投与されたミダゾラムの効果発現は緩徐で間に合っていないことを示している。

 3 争点3(被告病院の医師らが,午後2時25分の時点で,原告に対し,アンビューバッグやジャクソンリース等による強制換気を実施しなかったことに過失又は注意義務違反があるか)について

  (原告の主張)

  (1)被告病院の医師らの過失又は注意義務違反

   ア 一般的な人工呼吸器開始基準によれば,人工呼吸器の使用については,無呼吸の場合だけでなく,意識レベルや循環動態,他の臓器不全の合併なども考慮し,全身状態の推移から判断することが大切であり,高度の呼吸抑制がある場合,人工呼吸が絶対的適応となる。

     原告は,午後2時25分の時点で,痛み刺激に反応しない深刻な意識障害が生じており,呼吸微弱,脈拍微弱及びSpO2測定不能という結果が生じたことからすれば,ミダゾラム投与による高度の呼吸抑制が強く推認されたため,強制換気を行うことが必要であった。

   イ このように,原告は,午後2時25分の時点では,高度の呼吸抑制が強く推認され,口呼吸ができない状態にあったため,被告病院の医師らには,この時点で,原告に対し,アンビューバッグやジャクソンリースによる強制換気を実施する義務があった。しかし,被告病院の医師らが,アンビューバッグによる強制換気を実施したのは午後2時30分であって,強制換気を始めるべき時期よりも5分遅かった。被告病院の医師らには,午後2時25分の時点でアンビューバッグやジャクソンリースによる強制換気を実施する義務を怠った過失又は注意義務違反がある。

  (2)SpO2測定不能の原因

   ア 午後2時25分には,原告のSpO2が測定できなくなったが,SpO2測定不能の原因は,酸欠のために呼吸中枢が働かなかったことである。

   イ SpO2測定不能の原因は,体動によってパルスオキシメーターがずれて再装着できなかったことではない。

     原告に激しい体動があったのは,午後2時20分の時点であり,午後2時25分の時点で体動によってSpO2が測定できないというのは時系列的に不自然である。また,脈拍や呼吸が微弱で,痛み刺激にも反応しない状態で体動があるとも考えられない。

     C医師が記入した診療記録中の「体動で測れなくなったモニターが再測定できなくなった」とは,体動で測定できなくなったモニターが,体動が治まった後に再測定しようとしたができなかったという意味と理解すべきである。

  (3)拮抗薬では不十分であること

    午後2時25分には,原告の脈拍や呼吸が微弱となったが,脈拍や呼吸の微弱の原因は,ミダゾラムの中枢神経抑制によるものである。

    被告は,通常,拮抗薬であるフルマゼニル(アネキセート)により呼吸抑制等は改善すると主張するが,拮抗薬は,鎮静の解除の効果を有するにとどまり,呼吸機能及び循環機能の回復効果は十分ではない。

    また,フルマゼニルを投与するにしても準備時間及び効果発現時間を要し,かつ原告の血圧低下のため循環にも時間がかかることからすると,拮抗薬の投与のみで呼吸循環障害の改善はできず,直ちに強制換気を行うべきであった。

  (4)痛み刺激に反応がなかった原因

    原告は,午後2時25分には,痛み刺激に反応しない状態になったが,そのような状態となったのは,原告が低酸素脳症にあったためである。

  (被告の主張)

  (1)被告病院の医師らに過失又は注意義務違反がないこと

   ア 原告は,午後2時25分の時点では,有効な自発呼吸があり,強制換気の必要はなかった。

   イ 原告は,午後2時20分に鎮静剤を追加投与され,激しい体動を呈した後に,脈拍や呼吸が弱まった状態になったのであるから,医師としては,過鎮静による一過性の呼吸抑制・循環抑制の出現を疑い,鎮静剤の拮抗薬であるアネキセートを投与し,投与酸素量を増やして反応を観察することが通常である。少なくとも原告は,呼吸停止に至っていないのであるから,この段階で,医師らがアンビューバッグやジャクソンリースによる強制換気に着手すべきであったとはいえない。

     なお,被告病院の医師及び看護師は,午後2時25分時点の脈拍(大腿動脈の拍動)の触知による観察及び胸郭の動きの目視による観察から,それまでと比較して相対的に弱まった状態となったために,医療記録に「脈拍微弱,呼吸も微弱」と記載した。

   ウ 原告は,午後2時25分時点で自発呼吸があり,高度の呼吸抑制があったとはいえず,そのほかの人工呼吸器開始基準にも該当していなかった。

  (2)SpO2測定不能の原因

   ア SpO2測定不能の原因は,治療の不快感・痛みによる原告の体動によって,装着していたプローブがずれて,測定値がモニターに表示されなくなったことである。

     原告には,午後2時20分に激しい体動があったのであり,その後の経過として午後2時25分の時点で,体動によってSpO2が測定できなかったことは何ら不自然ではない。

     体動が収まった後もSpO2の測定不能が続いた原因は,原告の原疾患に伴う抹消循環障害によって,再測定が困難であったためである。

   イ パルスオキシメーターは,体動等の因子により測定誤差があり,測定不良状態や異常値を示したときにはこれらの要因の有無を確認するとされている。また,脱落するような大きなずれでなくとも測定不良は起こる。

     パルスオキシメーターが正常に酸素飽和度の測定をしている状態であれば,何らかの数値が表示されるのであり,数値が表示されないことは,酸欠を意味しない。

   ウ 無呼吸の場合であれば,酸素飽和度は一気に低下する。原告は,午後2時30分の時点でSpO2が60%台であったことからすれば,午後2時25分の時点では有効な呼吸が行われていたということができる。

  (3)脈拍や呼吸の微弱

   ア 原告の脈拍や呼吸が微弱となったのは,鎮静剤による過鎮静が原因であり,この時点では有効な自発呼吸はあった。

   イ ドルミカム(ミダゾラム)の場合,薬剤が効きすぎた場合には,呼吸抑制が起こり得る。このような薬剤の副作用による予期せぬ事態が発生すること(偶発症)は,適切に鎮静剤を投与した場合にも発生する。

   ウ 過鎮静による副作用は突然現れるものであり,だからこそ処置中のSpO2のモニタリングが推奨されている。原告が直前にオーバーチューブを自己抜去した出来事があっても,過鎮静があったことを否定することはできない。

  (4)痛み刺激に反応がなかった原因

    原告が痛み刺激に反応しなかったのは,鎮静剤によってDeep sedationの程度(簡単には覚醒しにくいレベル。乙B7)まで鎮静が進み,痛み刺激に対する反応の閾値が上昇し,痛み刺激に対して容易に反応しない状態に至ったことが原因である。

 4 争点4(被告病院の医師らが,午後2時30分の時点で,原告に対し,心臓マッサージを行わなかったことに過失又は注意義務違反があるか)について

  (原告の主張)

  (1)被告病院の医師らの過失又は注意義務違反

   ア 原告は,午後2時30分の時点で,痛み刺激に反応なし,頸動脈触知不可,胸郭の動き見られず呼吸停止等の状態にあったが,これは心停止を強く示唆するものである。被告病院の医師らには,この時点で,直ちに心臓マッサージを行う義務があった。しかし,被告病院の医師らが,心臓マッサージに着手したのは午後2時32分であり,心臓マッサージを始めるべき時期よりも2分遅かった。2分の遅れは,患者の予後に大きな影響を与えるのであって,被告病院医師らには,心臓マッサージを午後2時30分時点に行わなかった過失又は注意義務違反がある。

   イ 救急救命の際と同様に,心停止の判断は,頸動脈の拍動が触れるか否かで行うべきである。

     仮に,大腿動脈の触知を認めたとしても,頸動脈は触知不可であり,モニター等による正確な確認もできない状況下においては,脈拍の観察が難しいときや拍動の有無に自信を持てない場合に該当するから,直ちに心臓マッサージを開始すべきであった。

  (2)循環動態の観察

   ア 被告病院の医師らは,原告の大腿動脈を触知していなかった。

     そもそも大腿動脈の触知は臨床では余り使われていない。

     また,大腿動脈を触知できないのは,収縮期血圧70mmHg以下の場合であり,頸動脈触知ができないのは60mmHg以下の場合とされており,大腿動脈よりも先に頸動脈が触知できなくなるとは考えにくい。

     キャッスルマン病を理由として頸動脈が触知できなかったのであれば,同病によるリンパ節の膨張は鼠径部にも存在するため,大腿動脈も容易に触知できなかったことになる。そもそも体型から容易に頸動脈を触知できないのであれば,看護師が,あえて看護記録に「頸動脈触知せず」とは記載しない。

   イ 心電図モニターの使用や波形を認めたことは診療記録及び看護記録には記載がなく,データや紙媒体の記録も保存されていないのであって,被告病院の医師らが,心電図モニターによって循環動態の観察をしていたことには疑問がある。被告病院の医師らは,原告の頸動脈での脈拍を触知できないことからPEAと判断したのである。

   ウ 心肺停止中のパルスオキシメーターの測定値は信頼できない。午後2時30分時点においてSpO2が30ないし60%と測定されたが,このような数値は通常あり得ず,測定不能の状態にあったというべきである。パルスオキシメーターに数値が表示されたからといって末梢に動脈血流があったとはいえない。

  (被告の主張)

  (1)被告病院の医師らに過失又は注意義務違反がないこと

   ア ショック状態では心臓マッサージの適用はなく,心停止に至って初めて適応となるところ,原告は,午後2時30分の時点において,心停止の状態にはなかったから心臓マッサージの適応はない。

   イ 午後2時30分の時点では,心電図モニターでも心拍動が観察されており,大腿動脈の触知も可能であったため心停止に該当せず,この時点で実施すべきは強心剤の投与であった。

   ウ 午後2時32分には,原告の血圧は84/55mmHg,心拍数は20回/分と測定されており,原告は心停止ではなかったが,被告病院の医師らは,PEAに近い状態と判断し,この段階で心臓マッサージを開始したのであって,心臓マッサージの開始が遅れたとはいえない。

   エ 内視鏡センターでの処置中に急変が生じた場合には,それまでの経過を継続的に観察しているのであって,救急救命のように,急変に至った経緯の分からない場合とは異なる。心電図モニターが使用できる場合には,心停止の判断には,触知による循環動態の把握と心電図モニターとを併用すべきであり,本件手術においては原告に心電図モニターを装着していたから,心停止の判断に当たり,その点も考慮すべきである。

  (2)循環動態の観察

   ア 午後2時30分の時点において,原告の大腿動脈は触知できていた。

     原告は,肥満,キャッスルマン病並びに上大静脈及び下大静脈閉塞による血行障害により頸部が肥厚しており,容易に頸動脈の触知ができる体型ではなかったため,被告病院の医師らは,並行して大腿動脈でも循環動態を観察していた。

     動脈によって触知可能な収縮期血圧には差があり,大腿動脈の触知は可能だが,頸動脈の触知ができないことは発生する。

   イ 医療施設における治療中の急変時には,心電図モニターの波形を観察するとともに,頸動脈その他の脈拍を観察できる部位で脈拍の触知をして,循環動態を観察することが通常である。また,急変時及び一時救命処置において大腿動脈の触知で循環動態を観察する場合があることは,文献にも記載されている。

   ウ 医師及び看護師は,遅くとも午後2時30分までに原告に心電図モニターを装着して循環動態を観察していた。

     午後2時32分の看護記録に,「脈拍20回台(PEA)」と記載されているのは,心電図モニターの結果,心臓の拍動はあり,末梢動脈により測定した心拍数も20回/分と認められるものの,明らかな徐脈であり,有効な心拍動ではないことが観察されたためである。PEAの定義上,その判断を行うには心電図モニターを装着していることを前提としている。

   エ 2本目の点滴ラインを確保する際,静脈からの強い逆血が確認されたが,これは循環動態の存在を示すものである。

   オ パルスオキシメーターによる酸素飽和度(SpO2)の測定ができていたということは,末梢において動脈血の循環があったということであり,数値が表示されたこと自体が末梢に動脈血流があったことを示している。

 5 争点5(損害及びその額)について

  (原告の主張)

  (1)原告の後遺障害の程度

    原告は,低酸素脳症のため寝たきりの植物人間状態となり,低酸素脳症,両上肢機能全廃,両下肢機能全廃として,身体障害者等級1級とされている。原告の後遺障害は,後遺障害等級1級に相当する。

  (2)原告の症状固定日

    原告の症状固定日は,被告病院からB病院に転院した日である平成27年10月6日である。

    遷延性意識障害の場合,リハビリテーションにより意識状態の改善を得た症例は多数あり,実務上症状固定時期の目安は1年半とされている。被告病院においても,入院中に検査・画像診断・投薬・リハビリテーション・処置等の治療を継続しており,これらは,患者の状態改善のための積極的治療と考えられるから,原告のB病院への転院日が症状固定日になる。

  (3)損害の額

    原告が,被告病院の医師らの過失又は注意義務違反によって被った損害の額は次のとおりである。

   ア 治療費  425万7617円

    (内訳)

    (ア)被告病院分  104万7700円(入院期間平成25年1月21日から平成27年10月6日まで)

    (イ)B病院分  320万9917円(入院期間平成27年10月6日から令和元年12月31日まで)

   イ 入院雑費  158万2400円

     入院雑費として,本件手術の日(平成25年1月21日)から症状固定日(平成27年10月6日)までの989日間につき,日額1600円を要する。

    (計算式)

    1,600×989=1,582,400

   ウ 将来の介護費用  4831万7240円

     原告は寝たきりの状態で,現在も入院中であり,病院で医療・身体的看護・介護を受けているが,病院での入院を将来にわたって継続することのできる保障はなく,将来は家族による介護をせざるを得ず,その場合には職業介護人の援助を受けなければならない可能性もある。現在においても,原告の父母や夫(原告成年後見人)は,見守りや声掛け支援のための付添いと補助的な看護・介護を行い,遷延性意識障害の患者である原告への精神的支援を行っている。

     そこで,将来の介護費用につき,日額を8000円とし,平成27年における49歳女性の平均余命(39.08年)を下回る36年間に生じる部分(ライプニッツ係数16.547)をもって損害と主張する。

    (計算式)

    8,000×365×16.547=48,317,240

   エ 休業損害  983万5498円

     原告は,本件手術当時,46歳の専業主婦であり,平均賃金に相当する収入を獲得する蓋然性があった。

    (計算式)

     ・平成25年分(平成25年1月21日~同年12月31日。345日間)

      3,539,300(平成25年賃金センサス産業計・企業規模計・学歴計女性全年齢平均賃金)÷365×345=3,345,365(1円未満切捨て)

     ・平成26年分

      3,641,200(平成26年賃金センサス産業計・企業規模計・学歴計女性全年齢平均賃金)

     ・平成27年分(平成27年1月1日~同年10月6日。279日間)

      3,727,100(平成27年賃金センサス産業計・企業規模計・学歴計女性全年齢平均賃金)÷365×279=2,848,933(1円未満切捨て)

     ・休業損害合計 3,345,365+3,641,200+2,848,933=9,835,498

   オ 逸失利益  4504万2003円

     原告は,症状固定(平成27年10月6日)の当時,49歳の専業主婦であり,平均賃金に相当する収入を獲得する蓋然性があり,その後19年間(ライプニッツ係数12.085)にわたり就労可能であった。

    (計算式)

    3,727,100(平成27年賃金センサス産業計・企業規模計・学歴計女性全年齢平均賃金)×12.085=45,042,003(1円未満切捨て)

   カ 入院慰謝料  442万円

   キ 後遺障害慰謝料  3200万円

   ク 小計  1億4545万4758円

   ケ 弁護士費用  1454万5475円

   コ 一部請求

     以上を合計すると,1億6000万0233円となるが,原告は,被告に対し,その一部として1億5078万5330円を請求する。

  (4)素因減額が認められないこと

    原告の疾患がどのように結果に影響したかは不明であり,そのような疾患自体,本件手術の実施前から原告に存在したものであって,被告病院の医師らにおいてこれらを考慮した上で治療に当たるべきであるし,素因減額しなければ損害の公平な分担に反するといった事情は存しない。

  (被告の主張)

  (1)原告の後遺障害の程度

    原告の主張(1)(原告の後遺障害の程度)は争う。

  (2)原告の症状固定日

    原告の症状固定時期は,低酸素脳症によって生じた神経学的症状が変化しないことが診断された時期であり,遅くとも平成25年3月18日のMRI検査の日となる。被告病院は,積極的な治療を行うことができない状況となって以後,原告の家族に再三にわたり転院を依頼していたが同意が得られなかったことから,転院時期が遅れ,入院期間が延びた。その間にも定期的な病状把握を行ってはいたが,遷延性意識障害からの回復を目指した積極的な治療ではなかった。

  (3)損害の額

    各損害額についての反論は次のとおりである。

   ア 治療費

     症状固定日である平成25年3月18日以後の被告病院ないし転院後の病院での治療費は損害に含まれない。

   イ 入院雑費

     争う。1日当たりの金額及び期間がいずれも過大である。

   ウ 将来の介護費用

     現実には近親者付添いは必要になっておらず,少なくとも現実に発生していない介護費について将来発生する蓋然性があるともいえない。原告は多数の疾患にり患しており,平均余命までの期間の介護費用を認めるのは相当ではない。

   エ 休業損害

     原告には,キャッスルマン病及び上大静脈及び下大静脈閉塞という特殊な疾患があり,家事労働についても現実には困難であった。原告の就労状況や現実の収入については何ら立証されていない。

   オ 逸失利益

     上記エと同様に,原告は家事労働への従事も困難であり,原告の就労状況や現実の収入については何ら立証されていない。

   カ 入院慰謝料

     上記アと同様,症状固定日以後のものは損害に含まれない。

   キ 後遺障害慰謝料

     本件の諸経緯を考慮すると,原告の主張は過大である。

  (4)素因減額

    原告には,キャッスルマン病に伴う上大静脈及び下大静脈閉塞があり,これらの疾患に加えて,原告の肺気腫,胸水が鎮静剤の影響による低酸素血症の誘因であったとすると,これらの素因によって本件の急変が生じた。

    原告の素因がなければ,鎮静剤による低酸素血症の発症はなく,仮に発症しても通常の措置で容易に回復したはずであり,素因の結果への寄与が大きい。

    したがって,8割の素因減額が認められるべきである。

第5 当裁判所の判断

 1 認定事実

   前記第2の2(争いのない事実等)で認定した事実に加え,証拠(甲A1,2,7,甲B1,2,4,7~12,16,18,19,22~28,32,33,38,40,42,46,50,51,56,61,63,65,69~72,74,97~100,乙A1~9,11の1・2,乙A13,14,15,18の1・2,乙A21の1・2,乙A22,乙B1,4~7,16~19,21,22,24,28,証人D,証人C,証人E,原告成年後見人本人,鑑定)及び弁論の全趣旨によれば,次の医学的知見及び事実が認められる。上記証拠中,以下の認定に反する部分は採用しない。

  (1)医学的知見

   ア 食道静脈瘤

     食道静脈瘤は,肝臓の門脈に流れ込むべき静脈血が正常に流れないために,門脈を迂回する側副血行路として,食道の粘膜内及び粘膜下に静脈血が流入し,食道内の静脈が拡張,蛇行した結果として形成されることが多い。食道静脈瘤が増大し,破裂すると,大量に出血し,死亡するに至ることがあるため,食道静脈瘤が一定の所見を示すと治療の対象となる。

     原告の症例においては,キャッスルマン病及び後腹膜線維症による上大静脈及び下大静脈閉塞に伴い,閉塞した上大静脈に正常に血液が流れ込まず,上大静脈を迂回する側副血行路として食道の粘膜内及び粘膜下に静脈血が流入し,食道内の静脈が拡張,蛇行した結果,静脈瘤を形成したものである。発生機序は,通常の食道静脈瘤と異なるものの,その危険性は同様である。(乙A13)

   イ EVL(内視鏡的静脈瘤結紮術)

    (ア)EVLは,消化器内視鏡を使用した食道静脈瘤の治療方法の一つであり,内視鏡の先端に取り付けられたデバイスによりゴムリング(Oリング)を静脈瘤の根元にかけ,静脈瘤を結紮することで静脈瘤の血流を遮断し,静脈瘤を壊死させ,静脈瘤のあった部分を閉塞させて,破裂による出血を予防するものである。

    (イ)EVLの手技は,以下のとおりである。

     a 治療対象となる患者に鎮静剤を投与し,鎮静させる。

     b オーバーチューブを使用する場合には,内視鏡のスコープにオーバーチューブを装着して,食道内に挿入し,オーバーチューブを留置する。

     c スコープを抜去し,ゴムリングを掛けるデバイスをスコープの先端に装着する。

     d ゴムリングを装着したスコープを,オーバーチューブを通して挿入し,結紮する静脈瘤を正面に捉える。

     e 静脈瘤を吸引して,デバイスの中に引き込み,その根元にゴムリングをかけ,結紮する。

     f スコープを抜去し,新たなゴムリングを装着して,結紮を繰り返す。(乙A13,乙B6,16~18)

   ウ 経皮的動脈血酸素飽和度

    (ア)パルスオキシメーターは,プローブを指尖部などに装着し,動脈血の酸素飽和度を経皮的に測定する機械であり,パルスオキシメーターにより測定した動脈血の酸素飽和度をSpO2という。SpO2は,体動,末梢循環障害,光の干渉やプローブによる圧迫等により,測定値に誤差が生じる。(甲B1,16,18,19,26,乙A18の1・2,乙B19)

     SpO2とPaO2(動脈血O2分圧)との対応関係は以下のとおりである。PaO2は,大気吸入時において80Torr以上を正常値とすることが多い。(甲B2,乙B1)

     SpO2(%)    60 75 85 88 90 93 95

     PaO2(Torr) 30 40 50 55 60 70 80

    (イ)低酸素血症を避けつつ,肺を保護する最低限の酸素化の指標としてSpO2を90%に保つ管理では,30%以上の患者で低酸素血症を回避できない可能性が高い。(甲B11)

      SpO2が90ないし92%というのは,呼吸窮迫症状が明らかであり,カナダの救急外来におけるトリアージの基準である緊急度分類表によっても「緊急」に分類される。(甲B12)

   エ ミダゾラム

     ミダゾラム(商品名ドルミカム)は,麻酔前投薬,全身麻酔の導入及び維持並びに集中治療における人工呼吸中の鎮静等に用いられるベンゾジアゼピン系の催眠鎮静剤である。1管(アンプル)の容量は2mLでミダゾラム10mgを含有する。(甲B10,22,32,33,64,乙B5)

    (ア)添付文書の記載(甲B33)

      ミダゾラムの添付文書には,用法・用量に関する使用上の注意として,①ミダゾラムに対する反応は個人差があり,患者の年齢,感受性,全身状態,目標鎮静レベル及び併用薬等を考慮して,過度の鎮静を避けるべく投与量を決定すること,②患者によってはより高い用量が必要な場合があるが,この場合は過度の鎮静及び呼吸器・循環器系の抑制に注意すること,③投与は常にゆっくりと用量調節しながら行うこと,また,より緩徐な静脈内投与を行うためには,本剤を適宜希釈して使用することが望ましい,との記載がある。

    (イ)鎮静に関するガイドライン等

      内視鏡診療における鎮静に関するガイドラインによれば,ミダゾラムの使用法は,0.02ないし0.03mg/kg(体重1kg当たりの投与量)をできるだけ緩徐に注入するものとされている。(甲B46,乙B24)

      また,意識下鎮静法(名前を呼ばれれば応答できるような意識レベルで,医師と被検者との間でコミュニケーションを保つことができる鎮静状態をもたらす手法)におけるミダゾラム使用量を0.025ないし0.07mg/kgとする文献(「安全な消化管内視鏡検査」(平成13年))もある。(乙B5)

      また,消化器内視鏡ガイドライン(第3版。平成18年)は,ミダゾラムの適量は,0.02ないし0.04mg/kgとし,0.15mg/kg以上では,副作用である一過性の無呼吸の頻度が増えるので注意が必要とする。日本消化器内視鏡学会監修の「消化器内視鏡ハンドブック」(平成24年)には,ミダゾラムの特徴と使用法に関し,次の指摘がある。すなわち,短時間作用性などの特徴をもつため,内視鏡時の麻酔にもよいとの報告もあるが,鎮静効果が他の薬剤(ジアゼパム)より強く,舌根沈下による呼吸抑制が起こる。副作用として一過性の無呼吸を起こす。どのような量でも,静注時に気道確保されていない状態では呼吸に十分注意する。0.15mg/kg以上では一過性の無呼吸の頻度が増えるので注意が必要である。(乙B6,7)

   オ 静脈注射の方法(甲B56,乙A21の1・2)

    (ア)静脈注射は,静脈内に直接薬剤を注入する注射法である。静脈注射には,比較的少ない量の薬剤を一度に静脈内に注入するワンショットの方法と,比較的大量の薬剤を持続的に注入する点滴静脈注射の方法に区分される。

      側管注法は,そのうちワンショットに区分される方法であり,点滴静脈注射がされている輸液ライン途中の三方活栓(一つのラインから同時に複数の薬剤を投与するために使用される器具)等にシリンジを接続し,点滴のメインの薬剤とは異なる薬剤を注入する方法である。一定の時間に薬剤の効果を得たい場合に用いられる。

    (イ)なお,三方活栓からシリンジを用いて薬剤を注入する場合,ライン内にとどまり,すぐには体内に流入しないため,早期の効果を期待したい場合,生理食塩水などでライン分薬剤をフラッシュ(押し流す)する方法が用いられる。

   カ 人工呼吸器開始基準

     人工呼吸器の使用をいつ開始するかについて統一された基準はないが,一般的には,肺の酸素化能低下,肺胞換気量減少,換気力学異常に加え,意識レベル低下の際に人工呼吸を開始すべきとされる。(甲B7,9,27,28,40)

     人工呼吸の開始は,意識レベルや循環動態,他の臓器不全の合併なども考慮し,全身状態の推移から判断することが大切であり,①無呼吸や高度の呼吸抑制がある場合,②酸素投与下でPaO2が60mmHg以下(SaO2が90%以下)の場合,③PaCO2が60mmHg以上で呼吸困難が強い場合や意識障害がある場合などでは人工呼吸が絶対的適応となる。(甲B50,51,69~72,97)

   キ 強制換気(甲B61,98~100)

     バッグを利用し,強制的に換気を行う用手換気装置として,アンビューバッグ(バッグバルブマスク)やジャクソンリースがある。

     アンビューバッグ(バッグバルブマスク)は,自動膨張式のバッグと一方弁を組み合わせた徒手的人工呼吸バッグである。

     ジャクソンリースは,非自動膨張式のバッグとガスフロートロールバルブを組み合わせた徒手的人工呼吸バッグである。

   ク 拮抗薬

     フルマニゼル(商品名アネキセート)は,ベンゾジアゼピン系薬剤による鎮静の解除及び呼吸抑制の改善に用いられる拮抗薬である。拮抗効果は迅速であり,有効率は80%以上と高い。呼吸抑制に対して拮抗作用を認めるが,完全ではない。(甲B25,63,74)

     ミダゾラムにより誘発された呼吸抑制に対する拮抗作用は,フルマゼニルを静脈注射した120秒後には発現し,呼吸抑制を直ちに軽減解除させることができる。(甲B46,乙B24)

   ケ 心肺蘇生

     「JRC蘇生ガイドライン2015」,「救急・集中治療ガイドライン」によれば,呼吸なし又は死戦期呼吸(異常な呼吸)であれば,心停止と判断し,直ちに胸骨圧迫を開始する(確認に10秒以上かけない。)とされ,呼吸の確認に迷った場合も同様とし,一方,呼吸なしでも脈拍がある場合は,気道確保及び人工呼吸を行い,ALS(二次救命措置。Advanced Life Support)チームを待つとされている。(甲B38,42)

     もっとも,上記ガイドラインの趣旨は,呼吸の確認に時間をかけすぎないという点にあるところ,院内での心停止については,呼吸と脈拍の確認を必須とするのではなく,熟練した医療従事者による臨機応変で適切な判断は十分容認される。(乙B22)

     心停止の定義は様々であるが,①反応がない,②正常な呼吸がない,③脈がない,の三つの条件を満たす場合とするものがある。(甲B1,4,8,乙B21)

  (2)原告の生活状況,病歴等

   ア 原告は,昭和41年生まれの女性であり,平成8年,F(原告成年後見人)と婚姻した。原告は,平成25年1月当時は46歳であり,夫と同居し,専業主婦として生活しており,当時の身長は157cm,体重は72.7kgであった。

   イ 原告の病歴は,次のとおりである。いずれも短期間の入院後,退院した。

    (ア)平成18年,全身倦怠感,息切れ及び下腿浮腫を訴えて,G病院に入院。

    (イ)平成19年,下腿浮腫が増悪し,G病院に再入院し,キャッスルマン病と診断。上大静脈,下大静脈の閉塞が認められた。

    (ウ)平成20年,被告病院に入院し,後腹膜線維症,縦隔線維症,甲状腺機能低下症と診断。(乙A4)

    (エ)平成21年,被告病院に入院し,キャッスルマン病と診断。(乙A3)

    (オ)平成22年,被告病院に入院し,右下副甲状腺腺腫摘出。(乙A5)

    (カ)平成23年,被告病院に入院し,心不全の疑い,冠攣縮性狭心症と診断。(乙A6)

    (キ)平成24年8月,出血性ショックで被告病院に入院。(乙A7)

    (ク)平成24年10月,下腿潰瘍による出血のため,被告病院に入院。(乙A8)

  (3)診療経過

   ア 本件手術までの診療経過

    (ア)原告は,キャッスルマン病及び後腹膜繊維症による上大静脈及び下大静脈閉塞に伴って側副血行路が発達し,その結果,本件静脈瘤を発症しており,被告病院消化器内科において年1回の食道・胃・十二指腸検査で経過観察をしていたところ,本件静脈瘤が年々増大傾向にあることに鑑み,平成24年11月12日,その精査加療を目的として被告病院の消化器内科に入院した。(乙A2の4頁,乙A9)

    (イ)原告は,平成24年11月13日,被告病院の内視鏡センターにおいて,上部消化管内視鏡検査を受けた。

      原告が同センターに入室した当初のSpO2は93%であったが,内視鏡検査に先立ち,被告病院の医師らが,原告に対し,鎮静剤であるドルミカム1アンプル(容量2mL。ミダゾラム10mg含有)と生理食塩水18mLの混合溶液20mLのうち,18mL(ミダゾラム9mg含有。原告の体重(72.7kg)につき0.12mg/kgに相当)を投与したところ,原告のSpO2は85%まで低下した。

      被告病院の医師らが,原告に対し,毎分3Lの酸素を投与した結果,原告のSpO2は90%以上に上昇した。その後,被告病院の医師らが,原告にファイバーを挿入したところ,原告の体動が強く,鎮痛薬であるペンタジン1アンプル及び抗アレルギー性緩和精神安定剤であるアタラックスP1アンプルを原告に静脈注射した。(甲B23,24)

      被告病院の医師らは,上記検査終了時に拮抗薬であるアネキセート1アンプルを静脈注射した。

      原告は,上記検査終了後,酸素吸入のない状況で深呼吸を促されればSpO2 90%以上を維持できるものの,寝入るとSpO2 85%まで低下するため,カニューレで酸素毎分1Lを投与し,SpO2を90%以上に維持することとし,ベッドで病棟へ移動した。

      上記検査の結果,本件静脈瘤は横ばいないしやや増大していることが認められ,破裂出血のリスクを避けるため,根治的治療の必要性が認められた。(乙A2の6,7頁,乙A9)

    (ウ)原告は,肺気腫及び胸水があり,平成24年11月14日にはSpO2が91%に低下し,その後94%まで上昇し,同月30日にSpO2が94%と測定されるなど,しばしばSpO2が90%台前半を示していた。(乙A2の5,9頁,乙A6)

    (エ)被告病院の医師らは,平成24年11月15日,原告に対し,食道静脈瘤の治療としてEVLを選択肢として考えているが,原告の本件静脈瘤は,キャッスルマン病及び後腹膜繊維症により生じたものであるため,内視鏡治療の後に,予期せぬ合併症が発生する可能性があること,根本的な治療としては血管の手術により血液の流れを戻してやる方法が考えられることを説明した。(乙A2の10頁,乙A9)

    (オ)原告は,平成24年11月20日,静脈造影検査を受けた。検査の結果を踏まえて,被告病院の医師らは,同日,原告に対し,本件静脈瘤に対する治療として,①EVLを実施する,②IVR(上大静脈へのステント留置)を試みる,③外科的治療(人工血管によるバイパス手術)を試みる,④無加療で経過観察し,静脈瘤出血時に緊急止血で対応する,との四つの方針が考えられる旨説明した。また,被告病院のH医師は,上記①の治療は,姑息的な治療で,静脈瘤が再発する可能性や他の血管への影響が考えられること,上記②及び③の治療は,根本的治療ではあるが,上記①の治療に比べ合併症のリスクが高いこと等を説明した。

      この際,原告は,③は乗り気ではなく,④も心配がつきまとうのは嫌な感じがする旨述べた。これに対し,H医師が,EVLの実施が最も受け入れやすそうだが,可能であれば,上記②の治療が根本的治療として望ましいと伝えると,原告は迷う様子を見せた。

      原告は,家族と相談の上,同月26日,上記②の治療を受けることに決め,その旨をH医師に告げた。(乙A2の15~19頁)

    (カ)原告は,平成24年11月27日,被告病院を一旦退院し,同年12月11日,本件静脈瘤の精査加療の目的で入院した。(乙A2の19,21,30頁)

      原告は,同月13日,IVR治療を受けたが,上大静脈の閉塞部が硬く,ガイドワイヤーが通らなかったため,ステントを留置することができず,同治療は中止された。(乙A2の35頁)

    (キ)原告は,平成24年12月17日,今後内視鏡治療を行うこととして,被告病院を一旦退院し,平成25年1月17日,EVLの実施を目的として再度,同病院に入院した。(乙A1,乙A2の42,51頁)

   イ 本件手術の実施(平成25年1月21日)

    (ア)原告は,午後2時5分頃,EVLのため,内視鏡センターに入室した。(乙A2の63頁)

    (イ)被告病院の看護師らは,処置台の上にあお向けになった原告に対し,パルスオキシメーター,心電図等のモニター類(以下「本件モニター」という。)を装着し,左側臥位にした。被告病院の医師らは,午後2時10分,原告に対し,本件混合溶液(ドルミカム1アンプル(容量2mL。ミダゾラム10mg含有)と生理食塩水18mLの混合溶液20mL)のうち12mL(ミダゾラム6mg含有。原告の体重につき0.08mg/kgに相当),ペンタジン2分の1アンプル及びアタラックスP2分の1アンプルを側管注法により静脈注射した。(乙A2の63頁,乙A11の1・2,乙A13)

      その後,原告のSpO2が88%に低下し,本件モニターのアラームが鳴ったことから,C医師は,酸素カニューレにより毎分2Lの酸素を投与した。(乙A2の63頁,乙A13,14)

      C医師はEVLを開始し,原告に対し,デバイスを装着したスコープを,そのまま食道に挿入しようと試みたが,鎮静剤投与後であってもなお食道入口の反射及び抵抗が強く,挿入することができなかった。そこで,C医師は,スコープにオーバーチューブを装着した状態で食道内に挿入した後,スコープを抜去しオーバーチューブのみを留置した。この頃から原告には体動が生じており,看護師が原告の体を抑える等していた。

      C医師及びE医師が,本件静脈瘤のうち1個を結紮し,オーバーチューブから抜去したスコープにゴムリングを装着して,次の静脈瘤を結紮する準備をしていたところ,原告の体動が非常に激しくなった。(乙A2の61,63頁,乙A13,14)

    (ウ)被告病院の医師らは,鎮静の効果が足りないものと考え,EVLを継続するため,鎮静剤を追加投与することとし,午後2時20分,本件混合溶液の残量8mL(ミダゾラム4mg含有。原告の体重につき0.06mg/kgに相当)とペンタジン2分の1アンプル及びアタラックスP2分の1アンプルを側管注法により静脈注射した。その直後,原告の体動が激しくなり,原告は,食道内に挿入されていたオーバーチューブを自己抜去した。このとき,医師2名(E医師及びI医師)並びに看護師3名で,体動の激しい原告を抑えていた。(乙A2の63頁)

    (エ)午後2時25分,原告の体動が激しかったため原告のSpO2が測定できない状態となった。看護師が,原告に装着されたパルスオキシメーターのプローブを調節したが,依然として数値は測定できなかった。その頃,前記(ウ)のとおり,複数人で仰臥位にして原告の体を抑えているうちに,原告は呼吸が静かになり,自発呼吸が弱まる状態となった。

      E医師は,頸動脈及び大腿動脈を触知して,脈拍があることを確認した。(乙A13~15,証人C,証人E,証人D)

      C医師は,原告の脈拍及び呼吸が微弱となったことから,酸素マスクにて毎分13Lの酸素を投与した。この頃,原告の意識レベルは,痛み刺激に反応しない程度となっていた。C医師は,原告に対し,拮抗薬であるアネキセート1アンプルを静脈注射した。(乙A2の61,63,64頁)

    (オ)被告病院の医師らは,午後2時30分,原告に対し,ボスミン1アンプルを静脈注射するとともに,点滴の滴下不良のため,点滴ラインの2本目を確保した。この頃,原告の頸動脈が触知できない状態になり,SpO2が30%から60%台となり,胸郭の動きも見られない状態となった。この時,原告は自発呼吸がかすかにある程度であった。

      被告病院の医師らは,原告に対し,アンビューバッグによる強制換気を実施した。(乙A2の61,63頁)

    (カ)被告病院の医師らは,午後2時32分,原告の血圧が84/55mmHg,心拍数20回台/分となり,パルスオキシメーターにより脈拍が測定できていること,血圧も測定できていることを踏まえ,PEAに近い状態にあると判断した。被告病院の医師らは,原告に対し,心臓マッサージを開始するとともに,CPAコールを行い,原告を病棟ベッドに移動させた。(乙A2の63頁)

    (キ)被告病院の医師らは,午後2時36分,原告に対し,ボスミン1アンプルを静脈注射したが,午後2時38分,原告の心電図はPEAの波形となった。被告病院の医師らは,ボスミン1アンプルを更に静脈注射するとともに,心肺蘇生を行い,午後2時41分に心拍が再開し,午後2時55分には自発呼吸が確認された。

      午後3時10分,原告は,血圧122/89mmHg,心拍数130回/分,SpO2 100%(ジャクソンリースにより毎分9Lの酸素投与状態)となった。(乙A2の63,64頁)

  (4)本件手術実施後の原告の状況

    原告は,本件手術の際に,低酸素状態となったことにより,低酸素脳症となり,意識障害が継続し,判断能力を欠くことが常態となった。

    被告病院の医師らは,平成25年1月30日に原告の頭部MRI検査を実施し,その所見を踏まえ,神経学的な改善の見込みは限定的と診断した。同医師らは,同年3月18日にも原告のMRI検査を実施し,低酸素脳症との所見を得,神経学的には,今後は基本的には現状から大きくは変わらないと診断した。(甲A2,乙A2の210頁,乙A22)

    原告の夫であるFは,平成26年7月28日,神戸家庭裁判所に成年後見の申立てを行い,同裁判所は,同年9月2日,原告を成年被後見人とする後見開始の審判をし,Fを成年後見人として選任した。(甲A1,原告成年後見人本人)

    原告は,平成27年10月6日,低酸素脳症により遷延性意識障害に対する治療を行うため,被告病院からB病院に転院した。(乙A1)

 2 争点に対する判断

  (1)争点1(被告病院の医師らが,午後2時10分の時点で,原告に対し,EVLを開始したことに過失又は注意義務違反があるか)について

    原告は,原告のSpO2が88%に低下した後,酸素投与によっても原告のSpO2が回復していないのに,被告病院の医師らがEVLを開始した過失又は注意義務違反がある旨主張する。

    既に認定した事実によれば,原告が平成24年11月13日に上部消化管内視鏡検査を受けた際,鎮静剤の投与の後にSpO2が85%まで低下したことがあったが,酸素投与により90%以上に回復したこと(前記1(3)ア(イ)),本件手術の際には,午後2時10分に本件混合溶液を静脈注射したところ,その後原告のSpO2が88%に低下したため,C医師が,酸素カニューレにより毎分2Lの速度で酸素を投与したこと(同イ(イ))が認められる。これに加えて,証拠(乙A11の1・2,乙A13~15,乙B4,証人C,証人E,証人D)によれば,本件手術で用いられたモニター機器は,SpO2が90%を下回るとアラーム音が鳴ること,午後2時10分のSpO2低下の後,酸素投与により速やかに原告のSpO2は90%以上に回復し,被告病院の医師及び看護師はそのことを確認してからEVLを開始したこと,以上の事実を認めることができる。そして,そのような状況で,原告が呼吸不全に陥っていたとは認められず,被告病院の医師らがEVLを開始したことについて,日常診療からの逸脱は認められない(乙B28,鑑定)。

    これによれば,この点の過失又は注意義務違反に関する原告の主張は,その前提とする事実関係が認められないため,採用できない。

  (2)争点2(被告病院の医師らが,原告に対し,午後2時10分及び午後2時20分に鎮静剤であるミダゾラム10mg(体重1kg当たり0.14mg)を側管注法で投与したことに過失又は注意義務違反があるか)について

   ア 過失又は注意義務違反の検討

     原告は,前記第4の2(原告の主張)のとおり,午後2時10分及び午後2時20分の鎮静剤投与を一体のものと捉えて被告病院の医師らの過失又は注意義務違反を主張する。

     これに対し,被告は,前記第4の2(被告の主張)(1)のとおり,そもそも被告病院の医師らは,原告に対し,ミダゾラムを2回に分けて投与しており,EVL開始前の投与と追加投与とでは状況が異なるから,これらを全体として評価して過失又は注意義務違反を論じることはできない旨主張するので,この点について,まず検討する。

     本件混合溶液が2回に分けて原告に投与されることとなった経緯は前記1(3)イ(イ)及び(ウ)のとおりである。被告病院の医師らが,午後2時10分に本件混合溶液のうち12mLを投与した後には,一時的にSpO2が90%未満に低下することもあり,これは酸素投与により回復したものの,EVLを開始した後には,スコープの挿入に対する原告の反射及び抵抗が強く,挿入できず,原告の体動が生じるなどしており,この時点では客観的には鎮静の効果が不足していたものと認められる(乙B28,鑑定)。他方で,午後2時20分に本件混合溶液の残量(8mL)を追加投与した後に呼吸抑制が生じた原因は,過鎮静であると考えられ(乙B28,鑑定),過鎮静による呼吸抑制発生の可能性は被告も認めるところである(前記第4の3(被告の主張)(1),(3)イ)。そうすると,争点2に係る過失ないし注意義務の検討に当たっては,午後2時10分に鎮静剤の1度目の投与がされていたことを注意義務発生の前提事実と捉えた上で,午後2時20分の追加投与に係る過失又は注意義務違反の存否を検討する(もし,この過失又は注意義務違反が認められなければ,午後2時10分の1度目の投与に遡って,過失又は注意義務違反を検討する)のが適切である。

   イ 注意義務の有無及び内容

    (ア)ミダゾラムの特性

      ミダゾラムには,副作用として一過性の無呼吸を起こすおそれがあり,内視鏡検査での適量とされるのは多くとも0.07mg/kgであり(前記1(1)エ(イ)),消化器内視鏡ガイドライン(乙B6)によれば,0.15mg/kg以上では一過性の無呼吸の頻度が増えるので注意が必要とされる(前記1(1)エ(イ))。

      ミダゾラムの添付文書(甲B33)には,ミダゾラムに対する反応は個人差があり,患者の年齢,感受性,全身状態,目標鎮静レベル及び併用薬等を考慮して,過度の鎮静を避けるべく投与量を決定すること,患者によってはより高い用量が必要な場合があるが,この場合は過度の鎮静及び呼吸器・循環器系の抑制に注意すること,投与は常にゆっくりと用量調節しながら行うこと,また,より緩徐な静脈内投与を行うためには,本剤を適宜希釈して使用することが望ましいとの記載があり(前記1(1)エ(ア)),内視鏡診療における鎮静に関するガイドラインにもできるだけ緩徐に注入するとの記載がある(同(イ))。

    (イ)SpO2の管理

      呼吸状態に関し,SpO2を90%に保つ管理では,30%以上の患者で低酸素血症を回避できない可能性が高く,SpO2が90ないし92%というのは,呼吸窮迫症状が明らかな状態である(前記1(1)ウ(イ))。

    (ウ)鎮静剤により低酸素血症に陥りやすいという原告の傾向

      原告は,以前より肺気腫や胸水を有する等の理由により,本件手術より前から,しばしばSpO2が90%台前半と低かったことがうかがわれ,通常の患者に比して低酸素血症に陥りやすい傾向にあったことが推認される(前記1(2),(3)ア(イ),(ウ))。

      また,本件手術に先立つ平成24年11月13日の内視鏡検査時には,原告に対しては,鎮静のためミダゾラム0.12mg/kgの投与を要した一方で,この投与によりSpO2が85%にまで低下したため,検査を施行するためには,酸素投与をし,SpO2 90%以上に回復させる必要があった(前記1(3)ア(イ))。

    (エ)鎮静の目的

      原告に対するEVLは,本件静脈瘤に対する治療として行われたものであるところ,平成24年11月13日に上部消化管内視鏡検査を受けた際には,破裂出血のリスクを避けるため,根治的治療の必要性が認められたものの,本件静脈瘤は,従前と比べて横ばいないしやや増大しているという状態であり(前記1(3)ア(イ)),同月20日に被告病院医師が原告に対して提示した治療の選択肢としては,無加療で経過観察し,静脈瘤出血時に緊急止血で対応するという方針もあり得る旨の説明がされていたこと(同(オ))に照らすと,原告に対するEVLは,どうしても本件手術の当日に実施しなければ,その日における原告の生存にかかわるといった意味での急を要する手術という訳ではなかったことが認められる。

    (オ)午後2時10分のミダゾラムの投与量

      被告病院の医師らは,午後2時10分,原告に対し,本件混合溶液(ドルミカム1アンプル(2mL。ミダゾラム10mg含有)と生理食塩水18mLの混合溶液20mL)のうち12mL(ミダゾラム6mg含有。原告の体重につき0.08mg/kgに相当),ペンタジン2分の1アンプル及びアタラックスP2分の1アンプルを静脈注射した(前記1(3)イ(イ))。このときのミダゾラムの投与量(0.08mg/kg)は,平成24年11月13日の投与量(0.12mg/kg。前記1(3)ア(イ))よりは少ないが,内視鏡診療を行う際の鎮静を目的とする場合の一般的な使用量(0.02ないし0.07mg/kg。前記1(1)エ(イ))を超えていた。

      被告病院の医師らが,午後2時10分に上記の投与をしたところ,原告のSpO2は88%まで低下し,本件モニターが異常を知らせるアラーム音を鳴らす事態となり,毎分2Lの酸素投与により,ようやく90%台を維持することができる状態となった。

    (カ)EVL実施と原告の体動

      そうした状態で,C医師はEVLを開始し,原告に対し,デバイスを装着したスコープを,そのまま食道に挿入しようと試みたが,鎮静剤投与後であってもなお食道入口の反射及び抵抗が強く,挿入することができなかった。C医師らは,スコープにオーバーチューブを装着することにより食道内に挿入することができたが,その頃から原告には体動が生じており,看護師が原告の体を抑えなければならない状態であった。

      C医師及びE医師らが,本件静脈瘤のうち1個を結紮し,オーバーチューブからスコープを抜去して,次の静脈瘤を結紮する準備をしていたところ,原告の体動が非常に激しくなった。

      被告病院の医師らが,午後2時20分,原告に本件混合溶液の残量を投与した際の状況は,上記のとおりであった。

    (キ)被告病院の医師らの注意義務

      以上の医学的知見及び認定事実を前提とすると,原告は,ミダゾラムの投与により呼吸抑制に陥りやすい状態にあり,実際にミダゾラム0.08mg/kgに相当する本件混合溶液を投与したことにより既に呼吸抑制が生じていたこと,被告病院の医師らは,平成24年11月13日の投与とその際の原告の状況を把握していたのであるから,これらの事実を認識していたこと,ミダゾラムには呼吸抑制の副作用発生が警告されており,投与は緩徐な方法によるべきものとされていたことが認められるから,午後2時20分の時点で,被告病院の医師らが,原告の体動を抑制しようとし,鎮静の度合いを深めるため,更に多量のミダゾラムを投与しようとするに当たっては,緩徐な方法によるべきであったし,体動が激しいため,緩徐な方法による投与では対応できないような場合には,原告に対するEVLが,どうしても本件手術の当日に実施しなければ,その日における原告の生存にかかわるといった意味での急を要する手術という訳ではなかったことに照らせば,本件混合溶液を追加投与するのではなく,EVLの続行を中止すべき注意義務があったと認められる。

   ウ 被告病院の医師らの過失又は注意義務違反

     被告病院の医師らには,上記イ(キ)の注意義務が認められるところ,被告病院の医師らは,午後2時20分頃,EVLを中止するとの判断をせず,これを続行するため,側管注法により本件混合溶液の残量8mL全部を原告に投与した。この際に投与された本件混合溶液は,ミダゾラム4mgを含有するもので,その投与量は,原告の体重につき0.06mg/kgに相当し,先に投与した0.08mg/kgと合計すると0.14mg/kgに及び,それは一過性の無呼吸の頻度が増えるので注意が必要とされる0.15mg/kgに匹敵する量であった。その結果,午後2時25分頃に至り,原告には,過鎮静による呼吸抑制が生じ,これにより原告に低酸素状態がもたらされることとなったものである(前記1(3)イ(ウ)ないし(キ))。

   エ 本件の投与方法について(補足説明)

     なお,午後2時20分頃に,被告病院の医師らが,原告に本件混合溶液の残量を投与する際の投与方法である側管注法は,持続的な投与方法ではなく,急速な投与方法であるワンショットに分類されている(前記1(1)オ)。

     この点に関し,被告は,医師の意見書(乙B28)を援用しつつ,るる主張するが,午後2時20分のミダゾラム0.06mg/kgの追加投与は,原告の体動が非常に激しくなり,鎮静の深度が足りていない状況下でされたものであり,直ちに鎮静の効果を得なければならない状況であったこと,そのわずか5分後である午後2時25分に原告の脈拍や呼吸が微弱になり,痛み刺激に反応しないこととなったのは,このミダゾラムの追加投与による呼吸抑制が原因であると認められることからすれば,被告病院の医師らは,迅速に鎮静の効果を得ようとして,点滴の滴下速度での注入ではなく,三方活栓からライン内の薬剤をフラッシュ(押し流す)する方法(前記1(1)オ)等の急速な投与方法を用いたと認められるから,投与方法が緩徐であったとの被告の主張及びこれに沿う前記証拠は,いずれも採用することができない。

     また,被告は,鎮静の深度が足りていない原告に対し,安全に治療を行うために迅速に追加投与を行う必要があり,持続静脈注射等の緩徐な投与を行うことは現実的ではない旨や,内視鏡検査時でさえ,総量0.12mg/kgの投与を要したところ,より苦痛の大きい本件手術において,総量0.14mg/kgとなるような追加投与を行うことは妥当であった旨を主張する。しかしながら,総量0.14mg/kgのミダゾラムが多量であることや,内視鏡検査時にも原告のSpO2の低下状況を踏まえ,鎮静剤の投与方法に注意しなければ低酸素血症を招くということは,前記の医学的知見に照らせば,被告病院の医師らとしても当然に予見し得たものと認められる。加えて,本件手術時のEVLが予防的治療であって,安全に鎮静が行えないなら実施を取りやめるという判断も十分可能であったことからすれば,被告のこれらの主張も採用することができない。

   オ 鎮静剤投与に関する鑑定の結果

    (ア)当裁判所が採用し,鑑定人であるJ医師によって実施された鑑定の結果中には,本件のミダゾラムの投与方法に問題があったことを指摘する部分があり,これは上記イないしエに示した当裁判所の判断に沿うものである。鑑定の結果の概要は,次のとおりである。

    (イ)原告は,通常より低酸素血症に陥りやすかったところ,被告病院の医師らが,原告に対し,急速静脈注射を施行したため,持続静脈注射に比べて,鎮静剤の血中濃度が上昇しやすく,副作用の中で呼吸抑制が生じやすかった可能性がある。本件で実施されたEVLは,予防的治療であり,事前に周到な準備が可能であったことを考慮すると,原告の特性や鎮静剤の量が比較的多いこと等に十分配慮して持続静脈注射のような投与方法を考えて治療に当たれば,今回の結果を回避できた可能性がある。

      午後2時25分に原告の脈拍や呼吸が微弱になり,痛み刺激に反応しないこととなったのは,午後2時20分のミダゾラムの追加投与による一過性の呼吸抑制が最も疑われる。このことは,原告が午後2時30分に頸動脈の触知が不能,SpO2が30ないし60%台となり,胸郭の動きも見られないこととなったことからも矛盾しない。

   カ 小括

     ここまでの検討によれば,被告病院の医師らは,原告が鎮静剤の投与方法に注意しなければ低酸素血症を招くということも予見し得たところ,一過性の無呼吸の頻度が増えるので注意が必要とされる0.15mg/kgに匹敵する合計0.14mg/kgという多量のミダゾラムを投与するに際しては,なるべく緩徐な方法を採るか,そうでなければEVLの続行を中止すべき注意義務を負っていたところ,これを怠り,EVLを中止することなく,側管注法かつフラッシュ(押し流す)等の急速な投与を行ったと認められ,鎮静剤の投与方法に過失又は注意義務違反があったものと認められる。

  (3)争点3(被告病院の医師らが,午後2時25分の時点で,原告に対し,アンビューバッグやジャクソンリース等による強制換気を実施しなかったことに過失又は注意義務違反があるか)について

   ア 原告は,午後2時25分の時点では,被告病院の医師らには,この時点で,原告に対し,人工呼吸器開始基準に従って,アンビューバッグやジャクソンリースによる強制換気を実施する義務があったところ,これを怠った過失又は注意義務違反がある旨主張する。

     原告はその前提として,SpO2測定不能の原因は,酸欠のために呼吸中枢が働かなかったことであり,パルスオキシメーターがずれて再装着できなかったことが原因ではなかったと主張する。

     しかしながら,午後2時25分,原告の体動が激しかったため原告のSpO2が測定できない状態となり,看護師が,パルスオキシメーターのプローブを調節したが,依然として数値は測定できなかったのであり(前記1(3)イ(エ)),パルスオキシメーターが外れ,再装着後も測定が安定しないという臨床上起こり得る事態であった可能性が高い(乙B28,鑑定)。よって,SpO2測定不能の原因は,酸欠のために呼吸中枢が働かなかったためであるとする原告の主張は採用できない。

   イ そして,被告病院の医師らが,原告の脈拍を確認していた事実に関しては,次のとおりである。すなわち,その後,原告の体を仰臥位にして複数人で抑えているうちに,呼吸が静かになり,自発呼吸が弱まる状態となったが,E医師は,頸動脈及び大腿動脈を触知して,脈拍があることを確認した。(乙A13~15,証人C,証人E,証人D)

     被告病院の医師らは,そのような状態にあった原告に対し,酸素マスクにて毎分13Lの酸素を投与し,拮抗薬であるアネキセート1アンプルを静脈注射した(前記1(3)イ(エ))。

   ウ 原告は,人工呼吸器開始基準(前記1(1)カ)に照らし,原告の状態が,意識レベル,循環動態等から高度の呼吸抑制に該当する旨主張する。しかし,原告は痛み刺激に反応しない意識レベルにあったものの,直前まで激しい体動を示しており,SpO2の数値も測定不能状態を示していたと考えられること,原告の自発呼吸はあり,脈拍が触知できていたことからすると,高度の呼吸抑制として直ちに強制換気をすべき義務があったとまでは認められない。

     かえって,被告病院の医師らは,酸素マスクにて毎分13Lの酸素を投与し,拮抗薬であるアネキセートを静脈注射するという呼吸抑制状態の解消に向けた対処をしており,この拮抗薬は,静脈注射の120秒後には発現し,呼吸抑制を直ちに軽減解除させる(前記1(1)ク)が,かかる効果時間を待つことが許されない状況であったとも認められない。

   エ 鑑定の結果においても,午後2時25分時点で,原告に対し,強制換気を実施することが望まれたが,予見困難な事態であり,対処困難であった可能性があるとされており,この点に関し,前方視的に被告病院の医師らの行為を問題視してはいないものである。

   オ 以上の検討によれば,被告病院の医師らが,午後2時25分の時点で,原告に対し,アンビューバッグやジャクソンリース等による強制換気を実施しなかったことに過失又は注意義務違反があったとまで認めることはできない。

  (4)争点4(被告病院の医師らが,午後2時30分の時点で,原告に対し,心臓マッサージを行わなかったことに過失又は注意義務違反があるか)について

   ア 原告は,午後2時30分の時点で,痛み刺激に反応なし,頸動脈触知不可,胸郭の動き見られず呼吸停止等の状態にあった原告に対し,心停止を強く疑い,直ちに心臓マッサージを行う義務があったのに,これを怠った過失又は注意義務違反がある旨主張する。

     原告は,その前提として,心停止の判断は,頸動脈の拍動が触れるか否かで行うべきであること,被告病院の医師らは,原告の大腿動脈を触知していなかったこと,仮に,大腿動脈の触知を認めたとしても,頸動脈は触知不可であり,モニター等による正確な確認もできない状況下においては,脈拍の観察が難しいときや拍動の有無に自信を持てない場合に該当する旨を主張する。

   イ なるほど,午後2時30分の時点で,被告病院の医師らに原告の頸動脈触知はできていなかったが,原告の体型(身長157cm,体重72.7kg)のため,頸動脈は触知しづらく,代わりに大腿動脈を触知するということは臨床の現場であり得ることとされる(乙B28,鑑定)。

     そして,証拠(乙A13~15,証人C,証人E,証人D)によれば,E医師は,この時点で原告の大腿動脈を触知できていたとの事実が認められる。なお,この点は医療記録に記載がないが,そのことから直ちに上記事実の存在が否定されるものでもない。

     そうすると,原告は,自発呼吸が弱いながらもあり,脈もあったといえ,直ちに心停止を疑う状況にあったとはいえない。

   ウ よって,被告病院の医師らに,午後2時30分の時点で,心停止を前提として心臓マッサージを行うべき義務があったとまでは認められない。

   エ 鑑定の結果も,午後2時30分時点で原告は,ショック状態にあり,心臓マッサージを実施することが望ましかったとしつつ,被告病院の医師らは,強制換気を実施し,2分後の午後2時32分には心臓マッサージを実施して,比較的早期に心拍と自発呼吸の再開を得たと結論付けている。

   オ 以上の検討からは,被告病院の医師らは,午後2時30分の時点では,原告の呼吸や脈拍を確認しつつ,強制換気の措置を実施しており,その2分後には心臓マッサージを実施していたのであって,この点に被告病院の医師らに過失又は注意義務違反があったとまで認めることはできない。

  (5)争点5(損害及びその額)について

    上記(4)までの検討によれば,被告には,前記(2)の過失又は注意義務違反があると認められるから,この過失又は注意義務違反と相当因果関係を有する損害を検討する。

   ア 原告は,低酸素脳症から,寝たきりの状態,いわゆる植物人間状態となり,低酸素脳症,両上肢機能全廃,両下肢機能全廃として,身体障害者等級1級とされている(弁論の全趣旨)。原告の後遺障害は,後遺障害等級1級に相当する。

   イ 原告は,被告病院においても,入院中に検査・画像診断・投薬・リハビリテーション・処置等の治療を継続しており,これらは,患者の状態改善のための積極的治療と考えられるから,原告のB病院への転院日が症状固定日になる旨主張する。

     しかしながら,原告は,本件手術の際に低酸素状態となったことにより,低酸素脳症となり,意識障害が継続し,判断能力を欠くことが常態となり(前記1(4)),本件手術後,原告の状態が改善方向に変わったことはない(原告成年後見人本人)というのである。そして,被告病院の医師らは,平成25年3月18日に原告のMRI検査を実施し,低酸素脳症との所見を得,神経学的には,今後は基本的には現状から大きくは変わらないと診断した(前記1(4))ことに照らすと,原告の主張するように転院日を症状固定日と認めることはできず,遅くとも上記MRI検査を経た後である同月31日までには,原告の意識障害については更に治療を継続しても改善が見込めない状態に至ったということができるから,同日をもって症状固定日と認める。

   ウ 以上を前提に,原告が,被告病院の医師らの過失又は注意義務違反によって,被った損害は次のとおりである。

    (ア)治療費

      証拠(甲A7の1~3頁)によれば,被告病院での平成25年1月21日(本件手術の日)から同年3月31日(症状固定日)までの治療費の額は,19万4000円と認める。

      なお,原告は,同年1月17日から被告病院に入院しており,同日から同月20日までの治療費は,被告病院の医師らの前記(2)の過失又は注意義務違反とは因果関係がないから,損害から控除すべきである。もっとも,被告病院は,同月分の原告の本来負担すべき治療費27万5720円のうち,4万4400円のみ請求し,原告はその限度で支払っているところ(甲A7の1頁),これは,同月21日から同月末日までの治療費の額(本件手術及び本件手術後に要した治療費)を超えないものと認められる。したがって,1月分の4万4400円については,その全額を被告病院の医師らの過失又は注意義務違反と因果関係のある損害と認める。

    (イ)入院雑費

      入院雑費については,日額1500円の限度で,本件手術の日(平成25年1月21日)から症状固定日(同年3月31日)までの70日間に生ずる分につき相当と認める。その額は,10万5000円である。

    (計算式)

    1,500×70=105,000

    (ウ)将来の介護費用

      原告は,被告病院からB病院に転院し,入院を継続しているが,症状固定の状態にあることに照らすと,いつ何時退院を求められるかわからない状態にあるのであり,その場合には,在宅介護が避けられない。現在入院中の病院では,原告に対する医療・身体的看護・介護はされているが,原告の父母や夫は,見守りや声掛け支援のための付添いと補助的な看護・介護を行い,遷延性意識障害の患者である原告への精神的支援を行うなど,親族による看護を実施しており,その必要性も認められる。よって,症状固定日以後において,親族による介護の必要があるものと認め,その費用を日額8000円とし,平均余命まで(症状固定日における46歳女性の平均余命は41年である。)の介護費用である5049万9356円の損害が発生したものと認める。

     (計算式)

     8000×365×17.2943(41年のライプニッツ係数)=50,499,356

    (エ)休業損害

      原告は,本件手術当時,46歳の専業主婦であったことから,女性労働者の平均賃金に相当する収入を得ることができたものと認め,下記計算式のとおり,本件手術の日(平成25年1月21日)から症状固定日(同年3月31日)までの70日間に係る休業損害の額は67万8769円と認める。なお,被告は,従前の疾患により,原告が現実に家事労働に従事することが困難であった旨主張するが,本件手術以前の原告の症状に照らし,およそ家事労働も行えない状態であったとは認められない。

     (計算式)

      3,539,300(平成25年賃金センサス産業計・企業規模計・学歴計女性全年齢平均賃金)÷365×70=678,769(1円未満切捨て)

    (オ)逸失利益

      前記のとおり,原告の後遺障害等級は1級に相当し,労働労力喪失率は100%である。原告の基礎収入は,症状固定日(平成25年3月31日)における女性学歴計・全年齢平均賃金とし,原告(当時46歳)が就労可能な67歳までの労働能力喪失期間(21年)に係る逸失利益は,4537万8073円である。

     (計算式)

     3,539,300(平成25年賃金センサス産業計・企業規模計・学歴計女性全年齢平均賃金)×12.8212(21年のライプニッツ係数)=45,378,073(1円未満切捨て)

    (カ)入院慰謝料

      本件の過失又は注意義務違反の内容,原告の被った結果,本件手術から症状固定日までの入院期間(70日)を考慮し,145万円をもって相当と認める。

    (キ)後遺障害慰謝料

      原告の後遺障害の程度に鑑み,2800万円をもって相当と認める。

    (ク)小計

      上記(ア)から(キ)までの合計額は,1億2630万5198円である。

    (ケ)素因減額の要否

      被告は,原告には,キャッスルマン病に伴う上大静脈及び下大静脈閉塞があり,これらの疾患に加えて,原告の肺気腫,胸水が鎮静剤の影響による低酸素血症の誘因となって本件の急変が生じた,原告の素因がなければ,鎮静剤による低酸素血症の発症はなく,仮に発症しても通常の措置で容易に回復されたはずであり,素因の結果への寄与が大きく8割の素因減額が認められるべきである旨主張する。

      しかしながら,被告の指摘する原告の疾患は,本件手術実施時に,被告病院の医師らが認識していた事情であり,原告が鎮静剤の影響により低酸素血症になりやすいことを予見できたことも前記(2)で認定,判断したとおりであるから,被告病院の医師らは,これらの事情を念頭に治療行為に当たるべきであった。

      よって,被告が指摘する種々の事情を本件の結果が発生した原因であるとみるのは相当ではないから,被告に損害の全部を賠償させることが公平を欠くとまではいえず,素因減額は認められない。

    (コ)弁護士費用

      原告,原告訴訟代理人に本件訴訟の遂行等を依頼したことは当裁判所に顕著であり,本件事案の内容・性質,原告に生じた損害の額その他諸般の事情を総合すると上記(ク)の約1割に相当する1200万円の弁護士費用を認めるのが相当である。

    (サ)損害額合計

      上記(ク)(小計)及び(コ)(弁護士費用)を合計すると,1億3830万5198円となる。したがって,被告は,原告に対し,不法行為に基づき,同額及びこれに対する不法行為の日である平成25年1月21日から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金の支払義務を負う。なお,原告は,被告に対し,選択的に診療契約上の債務不履行に基づく損害賠償も請求しているが,これまで判断したところによれば,その損害額は上記の不法行為による額を上回るものではないと認められるから,債務不履行責任に係る判断を要しない。

 3 結論

   以上によれば,原告の請求は,上記の1億3830万5198円及びこれに対する平成25年1月21日から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから認容し,その余は理由がないから棄却することとし,主文のとおり判決する。

    神戸地方裁判所第5民事部

        裁判長裁判官  齋藤 聡

           裁判官  高橋綾子

           裁判官  小林 薫

 

 



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