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心電図で発作性心房細動の波形が認められたのは、電気生理学検査の誘発で認められた診断であり、信憑性について疑義が生じた。人工誘発された波形で確定診断をして手術したことから、医師の過失を認めた事例。

東京高裁 令和2年12月10日

平成30年(ネ)第2231号

       主   文

 1 原判決を次のとおり変更する。

 2 被控訴人は,控訴人に対し,7807万5461円及びこれに対する平成24年8月30日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

 3 控訴人のその余の主位的請求及び予備的請求をいずれも棄却する。

 4 訴訟費用は,第1,2審を通じてこれを40分し,その1を控訴人の負担とし,その余を被控訴人の負担とする。

 5 この判決は,第2項に限り,仮に執行することができる。

 

       事実及び理由

 

第1 控訴の趣旨

 1 原判決を取り消す。

 2 主位的請求被控訴人は,控訴人に対し,8060万6119円及びこれに対する平成24年8月30日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

 3 予備的請求

   被控訴人は,控訴人に対し,8060万6119円及びこれに対する平成27年8月1日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

第2 事案の概要(以下,特に定義しない限り,略語は原判決による。)

 1 A(本件患者)は,被控訴人が開設する医療法人Bセンター(本件病院)において,平成22年10月15日,本件病院のC医師(C医師)による心房細動に対するカテーテルアブレーション手術(本件手術)を実施中に急性心タンポナーデを発症し,遷延性意識障害の状態となり,平成24年8月30日に死亡した。

   本件は,本件患者の配偶者であり,唯一の相続人である控訴人が,被控訴人に対し,被控訴人には,本件手術が本件患者に適応しないのにこれを実施した過失があるなどと主張して,主位的に不法行為(使用者責任)に基づき,予備的に診療契約上の債務不履行に基づき,損害賠償として8060万6119円及び主位的請求については不法行為の後の日である本件患者の死亡日(平成24年8月30日)から,予備的請求については訴状送達の日(催告の日)の翌日から各支払済みまで平成29年法律第44号による改正前の民法(以下「改正前民法」という。)所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。

 2 原審は,①C医師が,本件患者に対して心房細動の確定診断をして,これに基づき手術を実施したことについて過失があるとは認められない,②同医師が,本件患者には抗不整脈薬に対する薬物治療抵抗性があると判断し,本件手術を実施したことについて過失があるとは認められない,③同医師には,本件患者の心タンポナーデの診断及び治療が遅れた過失は認められない,④本件病院の医師らに,本件患者に対して,診療内容を患者自らが決定するために必要な情報提供を怠った過失は認められないと判断して,控訴人の請求をいずれも棄却したため,これを不服とする控訴人が控訴をした。

 3 前提事実,争点及び争点に対する当事者の主張は,次の4のとおり原判決を補正するほかは,原判決の「事実及び理由」欄の「第2 事案の概要」の1から3まで(原判決2頁16行目から14頁12行目まで)に記載のとおりであるから,これを引用する。

 4 原判決の補正

  (1)原判決2頁19行目の「本件患者」の後に「(昭和30年○月○○日生)」を加え,同頁20行目の「心タンポナーデを発症し,遷延性意識障害に陥り」を「心タンポナーデを発症した結果,低酸素脳症を起こして遷延性意識障害に陥り,同日以後,本件病院において入院治療を継続し,」と改める。

  (2)原判決2頁21行目の「原告は」から22行目の「甲C1)」までを「本件患者は,N及びOの長男であり,両名の間には,長女であるP(昭和27年○月生)がいる。Nは,昭和37年4月に死亡した。(甲C1,C7,C9及びC10)」と改める。

  (3)原判決2頁22行目の末尾の後に改行の上,次のとおり加える。

  「 控訴人と本件患者は,平成12年6月8日,婚姻の届出をした(甲C1及びC6))。

    本件患者には子はおらず,Oは平成24年10月23日に,Pは同年11月20日に,それぞれ横浜家庭裁判所横須賀支部に本件患者に係る相続放棄を申述し,受理された(甲C1,C3,C6ないしC8,C11)。」

  (4)原判決2頁25行目の「勤務する」を「勤務していた」と改める。

  (5)原判決3頁8行目の「甲A2の1」の後に「,A3の3の4頁」を加える。

第3 当裁判所の判断

 1 認定事実

   認定事実は,次のとおり原判決を補正するほかは,原判決の「事実及び理由」欄の「第3 当裁判所の判断」の1(1)及び(2)(原判決14頁14行目から20頁25行目まで)に記載のとおりであるから,これを引用する。

  (1)原判決14頁16行目の「認めることができる」の後に「(なお,下記認定の事実に反する乙B第30号証の記載及び証人Cの証言は信用できない。)」を加える。

  (2)原判決15頁1行目の「同心電図の結果,」の後に「正常洞調律は49であり,」を加える。

  (3)原判決15頁7行目の末尾の後に改行の上,次のとおり加える。

  「(エ)本件患者は,平成19年12月15日,本件病院を受診し,C医師に対して,以前よりは楽になってきていると話した。また,心電図の結果,心房細動の所見は認められなかった。C医師は,プレタールを処方し,通院治療を継続することとした(甲A3の2の2頁)。」

  (4)原判決15頁8行目の「(エ)」を「(オ)本件患者は,平成20年3月6日,本件病院を受診した。その際,洞性徐脈が認められ,プレタールを継続処方することとされた。また,」と,「平成20年3月8日」を「同月8日」と,それぞれ改める。

  (5)原判決15頁11行目の末尾の後に,「本件患者には,44BPMの徐脈が認められた。」を加える。

  (6)原判決15頁16行目の末尾の後に改行の上,次のとおり加える。

  「(カ)本件患者は,平成20年3月15日,鑑別を目的とする電気生理学的検査のため,本件病院に入院した。本件患者は,同日午前11時の時点で,歩くと疲れる旨訴え,入院のオリエンテーションの際には,軽度の息切れが認められたが,バイタルに変調はなく,モニターSR(洞調律。以下同じ。)リズムのために安静にしながらオリエンテーションを続行したところ,意識消失は発生しなかった。また,本件患者は,同日午後8時15分の時点において,今は平気であると述べた。当日の診療録には,入院後は眼前暗黒感の出現はなく,めまいや気分不快もないと記載され,HRは50台から40台と記録され,同日の心電図には,心房細動の所見は認められなかった(甲A1の1・9及び10頁,A3の3・4頁)。」

  (7)原判決15頁17行目の「(オ)」を「(キ)」と改め,21・22行目の「発作性心房細動の有意所見である波形」を「誘発された不整脈が心房細動の波形を示したこと」と改める。

  (8)原判決15頁22行目の「最中」から23行目の「述べた」までを削り,24行目の「,証人C6頁」を削る。

  (9)原判決15頁24行目の末尾の後に改行の上,以下のとおり加える。

  「 本件患者は,本件電気生理学的検査を終えて病室に帰室した際,担当した看護師に対し,「胸はどうもないです。カテーテルのとき,脈が速くなったからその方が気持ちよかった。」などと発言した。また,当日の診療録には,HR50,SR,バイタル異常なしと記載された(甲A3の3の4~5頁)。」

  (10)原判決15頁26行目の「,当該波形」から16頁1行目の「問診情報」までを削る。

  (11)原判決17頁6行目の「と主訴に大きな変化はない(甲A3の3の6~8頁)。」を「というもので,以前よりだいぶ楽になったとの主訴に大きな変化はなく(甲A3の3の6~8頁),この間,外来受診をするたびに心電図検査を実施したが,心房細動の波形が記録されることはなかった(甲A1の1)。」と改める。

  (12)原判決19頁20行目の「午後2時22分」を「ATP(アデノシン三リン酸)使用時から血圧が20台に降下したため,午後2時30分」と改める。

  (13)原判決20頁6・7行目の「ドレーンからの出血が止まらなかったため,」を「ドレーン内血液が吸引しづらくなったため,」と,同頁8行目の「16頁」を「15頁」と,同頁25行目の「別紙」を「原判決別紙」と,それぞれ改める。

  (14)原判決20頁25行目の末尾の後に改行の上,次のとおり加える。

  「(3)当審における鑑定の結果

    ア 心房細動の確定診断を行ったことは,不適切であったか。

     (ア)Q大学医学部R医師(以下「R医師」という。)の意見

      (結論)

       適切とはいえない。

      (理由)

       確定診断は12誘導心電図,ホルター心電図等の検査ツールにより自然発生型の心房細動を記録することが必須となる。これに加えて“症状出現時における不整脈の一致”すなわち“自然発生型の心房細動が記録された際に,患者による症状(眼前暗黒感やふらつきなど)の訴えがある”ことが診断の信頼度を高める。

       電気生理学的検査(頻回刺激法)によって得られた誘発性心房細動は非生理的反応であることから,自然発生心房細動と同等の臨床意義があるとはみなされない。自然発生心房細動の記録がある場合に限り,電気生理学的検査で得られた誘発性心房細動と比較して自然発生型と同型(脈拍,電気軸,トリガーなどのパターン)であるかどうかの判断を行う。自然発生心房細動と誘発性心房細動が一致する場合は誘発性心房細動の臨床意義が同等とみなし,両者が異なる場合は複数の心房細動パターン(不整脈起源)がある可能性を念頭におく。しかしながら例外として,誘発性心房細動が臨床的意義を有する場合がある。それは電気生理学的検査施行時の誘発性心房細動発症時に患者の症状を確認し,患者の訴えとして「いつも自覚している症状に一致している」という回答が得られた場合に,補助的な診断価値が増す。

       本患者においては病院での検査範囲内で自然発生心房細動の記録がないことから,電気生理学的検査による誘発性心房細動のみで確定診断を行ったことは適切とはいえない。12誘導心電図,ホルター心電図に加えて,長時間心電図記録器,イベント心電図等の使用を検討し,心房細動捕捉と症状の一致確認に努めることも診断の選択肢としてあげられる。しかし当時これらの診断機器としての有用性は十分に評価されていなかったこともあり,使用しなかったことに非があるとは言えない。一般的には症状に応じてホルター心電図を3-6か月に1回程度,施行するという方法になるであろう。さらに神経調節性失神を鑑別するためのヘッドアップチルト検査,起立性低血圧を鑑別するための起立試験などを考慮しても良かったと思われる。

    (イ)S病院T医師(以下「T医師」という。)の意見

     a 電気生理学的検査によって波形が発生した際に,本件患者から「いつも感じている症状に似ている」との発言があった場合

      (結論)

       不適切とは考えられない。

      (理由)

       電気生理学的検査の頻回刺激法で再現性(2回)をもって心房細動が認められていることより,発作性心房細動の確定診断は不適切とは考えられない。

       しかし,平成22年の当時,心房細動の診断は臨床の場において,心電図やモニターで発見できた場合が一般的であり,電気生理学的検査の誘発において,認められた心房細動の診断は信用性が落ち,さらには心房細動診断のために電気生理学的検査は行っておらず,本症例のように偶然誘発される場合が多い。また,2回のホルター心電図検査において動悸症状時に明らかな心電図変化は認めていないため,動悸やめまいなどの症状と心房細動との関連性は明らかでない。さらには,失神の原因として,心房細動の可能性は低く,神経調節性失神の可能性も考えられる。

     b 電気生理学的検査によって波形が発生した際に,本件患者から「いつも感じている症状に似ている」との発言がなかった場合

      (結論)

       発作性心房細動の確定診断は不適切とは考えられない。

      (理由)

       本症例においては,2回のホルター心電図や入院時のオリエンテーション時の症状出現時に心電図異常は認められていないことや,ホルター心電図で心房細動の前段階である心房性期外収縮の連発時に症状を認めていないことより,臨床で認められていた症状と心房細動は関連性が低い。

       しかし,電気生理学的検査の頻回刺激法で再現性(2回)を持って心房細動が認められていることより,症状がなくても発作性心房細動の確定診断は不適切とは考えられない。

    (ウ)U病院V医師(以下「V医師」という。)の意見

     a 電気生理学的検査によって波形が発生した際に,本件患者から「いつも感じている症状に似ている」との発言があった場合

      (結論)

       本件患者の症候が心房細動によるものと推定することは可能である。

      (理由)

       C医師は動悸・息切れに加え眼前暗黒感を有する本件患者に対し,洞不全症候群の可能性を考慮して平成20年3月17日電気生理検査を行った。偶発所見として心房の頻回刺激により心房細動が誘発されたが,本所見をもって心房細動と確定診断することはできない。なぜなら心房細動は他のタイプの不整脈(上室頻拍など)と異なって健常例でも誘発可能であり,本件のような周期の短い(250ms)心房刺激では,心房細動患者でなくとも心房細動が誘発されることは決して稀ではない。したがって心房細動の診断は,自然に発生した発作時に心電図を記録して心房細動を確認することが原則である。この原則は平成22年当時も同様である。

       しかしながら検査中,偶発的に誘発された心房細動時の自覚症状が,自然発作時の自覚症状と酷似しているとの患者回答があったのならば,本件患者の症候が心房細動によるものと推定することは可能である。診療録(甲A3の3)を見る限り,C医師は「労作時の症状は心房細動によるものであった可能性がある」と記載しており,心房細動が原因と断定はしていない。生活に支障をきたす症状があり,他に良い診断法がない場合は,疑診であっても患者の治療希望と同意が存在するのであれば,治療を行うのは医師の裁量内と考える。

     b 電気生理学的検査によって波形が発生した際に,本件患者から「いつも感じている症状に似ている」との発言がなかった場合

      (結論)

       誘発された心房細動時にそのような症状に関する発言が存在しなかった場合は,心房細動が原因と推定することさえも不適切である。

   イ 薬物治療抵抗性に関する判断は不適切であったか

    (ア)R医師の意見

     (結論)

      判断できない。

     (理由)

      電気生理学的検査による誘発性心房細動を根拠にリスモダンRの投与を開始し,薬剤投与後の患者の症状は軽減している。薬剤の一定効果は得られているが,完全な症状の消失を認めていない点ではリスモンダンR抵抗性と言えるかもしれない。「リスモダンR抵抗性」と明記し「薬剤抵抗性」と明記しなかったのは下記の理由による。

      日本循環器学会:不整脈薬物治療に関するガイドライン2009年版,P20には「薬剤抵抗性(2剤以上)」と明記され2剤以上の使用と定義している。一方日本循環器学会:不整脈薬物治療に関するガイドライン2020年版,P40には薬剤抵抗性(少なくとも1種類のⅠ群又はⅢ群抗不整脈が無効)との明記がある。時代によって2剤以上とするか1剤以上とするかは異なるが,2010年当時であっても1剤で薬剤抵抗性と呼ぶことに臨床的問題は少ないと考える。

      なぜなら本例においては変更薬剤の候補として,考慮し得る薬剤選択の幅が狭かったという事実がある。例えばリスモダンと同系統のNaチャネル遮断薬であるシベンゾリン(シベノール),別の機序を有するNaチャネル遮断薬としてフレカイニド(タンボコール),ピルジカイニド(サンリズム),Kチャネル遮断薬としてアミオダロン(アンカロン)などがあるが,シベンゾリンはリスモダンRと薬理作用が極めて類似しているため更なる効果は期待できない。またアミオダロンは徐拍化作用やQT延長作用を有するため,洞性徐脈を合併する症例には不適である。

      一方「薬剤抵抗性」の判断に最も重要なことは効果と副作用を正当に評価出来ていたかという点である。抗不整脈薬投与中の継続観察に際しては,投薬前後でのホルター心電図検査による不整脈の増減と,12誘導心電図所見(PQ,ORQS,QT)による副作用発生の有無を目安にコントロールを行う。本例においては12誘導心電図・ホルター心電図検査による心房細動の検出がないため,薬剤抵抗性について評価できない。症状の訴えのみで抗不整脈薬の増減や変更を判断することは困難である。仮に本患者の症状が心房細動ではなく神経調節性失神に由来していた場合,リスモダンRの有する抗コリン作用は一時的に症状を改善させる可能性もある。

    (イ)T医師の意見

     (結論)

      不適切である。

     (理由)

      発作性心房細動に対する薬物治療抵抗性の判断として,抗不整脈薬2剤以上使用してもコントロール不能の場合であり,本症例は徐脈が有り薬物を使用しにくい状態であったが,リスモダンの使用のみで有り薬物治療抵抗性との判断は不適切と考える。

    (ウ)V医師の意見

     (結論)

      適切であった。

     (理由)

      症状の原因が心房細動であることを前提とした場合,本件患者は薬物治療により症状がコントロールされておらず,治療抵抗性といえる。平成22年当時の医療水準を基準にしても,薬物治療抵抗性の判断は適切であったといえる。

   ウ 心房細動カテーテルアブレーションに関する判断は不適切であったか。

    (ア)R医師の意見

     (結論)

      疑問の余地がある。

     (理由)

      カテーテルアブレーションの是非は有症候性心房細動においてのみ確立されている。有症候性とは「心房細動に起因する症状を呈するもの」を指すため,上記アに述べたように,自然発生心房細動の記録があることを大前提とする。従って本例のような誘発性心房細動のみの症例において,カテーテルアブレーションの適応判断は疑問の余地がある。

    (イ)T医師の意見

     (結論)

      適切とは考えにくい。

     (理由)

      平成22年度のカテーテルアブレーション適応としては有症候性で薬物治療抵抗性が原則で有り,本症例においては心電図やホルター心電図,モニター等で心房細動は見つかっておらず,電気生理学検査で誘発されたのみで有り,有症候性か判断できない。基本的に本件患者が強く希望しない限り,電気生理学検査のみで認められた心房細動に対しては,パイロットや公共交通機関の運転手等職業上制限がある場合以外はカテーテルアブレーション適応とは考えにくい。さらに本症例は薬物治療抵抗性とは判断できないため,カテーテルアブレーションの判断は適切とは考えにくい。

    (ウ)V医師の意見

     (結論)

      本件患者において誘発された心房細動時の症状が,自然発生時の症状に酷似しているという発言があり,さらに疑診の段階であることを本件患者が理解した上で本人が治療を希望したのであれば,カテーテルアブレーションの判断は妥当であったといえる。一方,そのような発言がなかった,又は確定診断には至っていないことを本件患者が理解していなかった場合はカテーテルアブレーションが適切であったとはいえない。

     (理由)

      平成22年当時に公開されていた日本循環器学会が作成した心房細動治療ガイドライン(2008年改訂版)では,自覚症状又はQOLの低下を伴い,薬物治療抵抗性又は副作用のために薬物の使用が困難な再発性発作性心房細動に対するカテーテルアブレーションはクラスⅡaであり,治療が有用,有効である可能性が高く,すでに推奨されるべき治療の一つであった。本件患者においては上記アで述べたように,誘発された心房細動時の症状が自然発生時の症状に酷似しているという発言があり,さらに疑診の段階であることを本件患者が理解した上で治療を希望したのであれば,カテーテルアブレーションの判断は妥当であったといえる。一方,そのような発言がなかった,又は確定診断には至っていないことを本件患者が理解していなかった場合はカテーテルアブレーションが適切であったとはいえない。

   エ 心タンポナーデに対する診断・治療に関する判断及び対応は,平成22年当時の医療水準を基準にして,不適切であったか。

    (ア)R医師の意見

     a 心タンポナーデの対処処置の開始について

      (結論)

       おおむね適切であったと類推されるが,UCG開始時間が不明である。

      (理由)

       本件患者は,13:44に収縮期血圧90未満のショックを呈しているが(甲A5),心拍数の上昇はなく血圧の回復を認めているため心タンポナーデを積極的に疑う所見は乏しい。14:16には肺静脈隔離を確認するために右側へのアデノシン三リン酸(ATP)投与による心房細動誘発を試みているが,その後の高度な血圧低下(BP56/32)と徐拍化(HR40)が認められた。ATPは洞結節及び房室結節伝導の抑制作用を有することから,術者らは恐らくこれらの現象(血圧低下と徐拍化)をATPの薬剤効果(副作用)によるものと判断したと類推される。それゆえ14:22には左側へのATP投与を施行している。しかしその後,著明な血圧低下(34/-)を認めたことから,プロタノールによる昇圧と徐脈の解除を試みたと類推される。心拍118との記載があるが,ATP投与後あるいはプロタノール投与後いずれの変化なのかは記録からは判断できない。ここまでの経緯で,血圧低下に対して術者らはATPの薬剤効果(副作用)によるものと判断していたと類推される。合計74回の焼灼を行っている事実から,急激な血圧低下に対しては心タンポナーデの合併も鑑別には上がるが,薬効によるバイタル変化と考えたとしてもやむを得ない。

       一方,14:22以降のバイタルサイン,モニター心電図波形(PEA,Asystoleなど),検査・手技(UCG,気管挿管,血液ガス分析,動脈ライン確保)などの記載がなく,14:30に胸骨マッサージを開始するまでの8分間の経過は不明である。心タンポナーデを疑ってどの段階でUCGを実施したかは判断できない。14:30にCPAを認識して以降は適切なCPRと速やかなドレナージを実施し,およそ27分後の14:57にショックを離脱したことが読み取れる。

     b 心タンポナーデの対症処置について

      (結論)

       対症処置は適切である。

      (理由)

       心タンポナーデに対するドレナージにより一時的な血行動態の回復を図ったうえで,心臓血管外科による開胸ドレナージへの判断を施行しており,処置は適切と思われる。

    (イ)T医師の意見

     a 心タンポナーデの対処処置の開始について

      (a)13時22分

        この段階では心拍数62回/分,血圧99/57mmHg,酸素濃度99%であり,血行動態的には問題なく,カテーテルによる穿孔や心嚢水貯留,さらには心タンポナーデとは診断できないため,対症措置の準備を開始しなかったことが不適切とはいえない。

      (b)13時42分

        この段階では心拍数73回/分,血圧88/65mmHg,酸素濃度99%であった。血圧は少し低下しているが脈拍は上昇しておらず,麻酔下であれば,カテーテルによる穿孔や心嚢水貯留,さらには心タンポナーデとは診断できないため,対症措置の準備を開始しなかったことが不適切とはいえない。

      (c)13時52分

        この段階では心拍数84回/分,血圧94/61mmHg,酸素濃度99%であった。麻酔下であれば,カテーテルによる穿孔や心嚢水貯留,さらには心タンポナーデとは診断できないため対症措置の準備を開始しなかったことが不適切とはいえない。

      (d)14時10分

        この段階では心拍数111回/分,血圧100/76mmHg,酸素濃度99%であった。心拍数は上昇しているが,血圧は保たれており,カテーテルによる穿孔や心嚢水貯留,さらには心タンポナーデとは診断できないため対症措置の準備を開始しなかったことが不適切とはいえない。

     b 心タンポナーデの対症措置について

      (a)14時16分

        この段階では心拍数40回/分,血圧56/32mmHg,酸素濃度99%であった。

        心タンポナーデを疑い,この時点で心エコーにおいて心嚢水貯留を確認したほうが良かったと考える。しかし,実際に手技をしている場合であるとこの段階では経過観察をしてしまう可能性はある。

      (b)14時22分

        この段階では心拍数118回/分,血圧34mmHg,酸素濃度99%であった。

        プロタノール0.2mg投与しても改善していないため,この時点で心エコーにおいて心嚢水貯留を確認したほうが良かったと考える。そうすればこの時点で心タンポナーデを診断でき,ドレナージを開始できたと考える。

      (c)14時30分以降の処置は心タンポナーデによる処置が開始しているため特に問題はないが,14時22分の時点で心タンポナーデを疑い,心エコーをすべきと考えられた。心房細動に対するアブレーションの合併症として心タンポナーデは1~2%で認められるため,血圧低下時はまず考える合併症である。

        14時22分の段階で心タンポナーデを診断できたとしても,その後の後遺症及び死亡と関連したかについては明らかでない。

    (ウ)V医師の意見

     a 心タンポナーデの対処処置の開始について

       甲A5によれば,麻酔導入後のシース挿入開始時にすでに血圧90台が記録されており,また心拍数は鎮痛が十分でないとアブレーション時の疼痛で上昇することがあることや,アブレーションの心臓自律神経叢への影響で心拍数が上昇することもあることなどを勘案すると,13時22分,13時42分,13時52分及び14時10分の時点で心タンポナーデを疑えなかったとしても,不適切とはいえない。

     b 心タンポナーデの対症措置について

       14時22分の時点で血圧は30台まで低下し,一方心拍数は頻脈となっていることを考えると,β刺激作用が主のプロタノールよりも,α刺激作用をもつエピネフリン等のカテコラミン製剤の方が適切であったと考えられる。しかし,その後エピネフリンを投与しても,心嚢ドレナージが達成されるまでは血圧が回復しておらず,最初からエピネフリンを投与していても結果は同様であったと考えられる。その他の対症処置に関しては平成22年当時の医療水準として標準的であり,不適切とはいえない。」

 2 争点1(C医師に,本件患者には心房細動と診断できる所見がないにもかかわらず,本件手術を実施した過失があるか)について

  (1)平成22年に実施された本件手術当時における心房細動診断の医療水準について

   ア 証拠(甲B2,B6,B42及びB48)によれば以下の事実が認められる。

    (ア)「心房細動の治療と管理Q&A第2版(平成21年3月15日発行)」(甲B2)には,心房細動(疑いを含む)に対して実施される検査について,以下の記載がある。

      基本的検査の項目(甲B2・14頁表1)として,①病歴聴取,②身体所見,③12誘導心電図,④胸部X線及び⑤血液検査があげられ,発作性心房細動が疑われる場合の検査の項目(甲B2・14頁表2)として,①心電図による確認,②Holter心電図,③運動負荷試験(運動負荷試験が施行されるのは,労作との関連性が示唆される場合)があげられ,必要に応じて行う検査の項目(甲B2・15頁表4)の一つとして,④電気生理検査(心房細動の場合,異所性起源の心房細動アブレーションを前提とするもの)があげられている。また,電気生理検査について,特殊な場合を除いては心房細動例には行われず,動悸の原因探索のために行うことは稀であり,合併する洞不全症候群の評価に用いられることがあり,アブレーションによる根治術を目指す場合には,電気整理検査が行われるとの記載がある(甲B2・15頁)。

    (イ)「新しい診断と治療のABC15/循環器2 心房細動 改訂第2版(平成21年12月25日発行)」(甲B6,甲B47)には以下の記載がある。

      心房細動を正しく診断するためには,心房細動中に心電図を確実に記録し,心房細動特有の所見を正確に判読することが不可欠であり,心房細動の確定診断は,心電図による(甲B6・82頁)とされている。また,検査方法については,12誘導心電図検査,ホルター心電図検査,イベントレコーダー検査,加算平均心電図検査,心エコー図検査,血液生化学的検査・凝固線溶系検査,薬物血中濃度検査があげられている(甲B6・88頁から91頁まで)。そして,一週間に一度以下など発作発生頻度の低い例では,ホルター心電図を用いても心房細動をとらえきれない。このような例では,しばしばイベントレコーダーが有用である(甲B6・89頁)とされ,不整脈発作の頻度が低い場合には,ホルター心電図よりイベントレコーダーの方が診断的価値が高く,患者に一定期間(通常は1乃至2週間)貸し出し,患者自身が自覚症状の出現時にイベントスイッチを押し,電話伝送で解析センターにデータを送ったり,直接病院に持参したりする方法をとる(甲B47・98頁)とされている。

    (ウ)「EPS-臨床心臓電気生理検査 第2版(平成19年3月15日発行)」(甲B48)には,電気生理検査は,SSS(洞不全症候群)が疑われるも,非観血的検査では確定診断に至らない場合に用いられる(甲B48・87頁),房室結節リエントリー性頻拍以外の上室頻拍については,「診断確定のためには電気生理検査が必要となり(甲B48・188頁),心室頻拍についても確定診断のために用いられる(甲B48・285頁)との記載があるが,心房細動に対する電気生理検査については,他の頻拍と異なり必ずしも積極的に施行されてきたわけではなく,最近は,心房細動の発症,維持に重要な役割を果たしている肺動脈の電気的隔離を目的とする左房アブレーション及び心室レートコントロールを目的とする房室結節アブレーションのために行われることがほとんどである(甲B48・272頁)との記載がある。

   イ また,当審における鑑定の結果によれば,R医師は,確定診断は12誘発心電図,ホルター心電図等の検査ツールにより自然発生型の心房細動を記録することが必須となると意見を述べ,T医師は,平成22年の当時,心房細動の診断は臨床の場において,心電図やモニターで発見できた場合が一般的であり,電気生理学的検査の誘発において,認められた心房細動の診断は信用性が落ち,さらには心房細動診断のために電気生理学的検査は行っておらず,本症例のように偶然誘発される場合が多いとの意見を述べ,V医師は,心房細動の診断は,自然に発生した発作時に心電図を記録して心房細動を確認することが原則であり,この原則は平成22年当時も同様であるとの意見を述べている事実が認められる。

   ウ 以上の文献の記載及び当審における鑑定の結果によれば,平成22年に実施された本件手術当時における心房細動診断の医療水準としては,自然に発生した発作時における心電図を記録して心房細動を確認することが原則であったというべきである。

  (2)本件電気生理学的検査の結果を受けたC医師の判断の経緯について

   ア 上記認定事実によれば,C医師は,本件電気生理学的検査の結果,誘発された不整脈が心房細動の波形を示したことから,本件患者が心房細動であるとの確定診断をした事実が認められる(なお,被控訴人は,当審において,C医師は確定診断をしたわけではない旨主張するが,C医師は,その証人尋問において,みずから確定診断をした旨証言していること(証人C49頁)からすれば,上記被控訴人の主張を採用することはできない。)。

   イ 被控訴人は,C医師が,本件患者の症状について心房細動であると確定診断をした根拠について,本件電気生理学的検査の結果に加えて,本件患者が,本件電気生理学的検査時に,従前感じていた症状と同様の感覚があったと述べたことも指摘し,C医師陳述書(乙B30第2の2)には同旨の記載があり,C医師も同旨の証言をする(証人C6頁)。

     しかし,本件患者が,C医師に従前感じていた症状と同様の感覚があったと述べたことについて,カルテ上に記載がないことは当事者間に争いがない。そして,認定事実(1)ア(キ)(補正後のもの。以下同じ。)のとおり,本件患者は,平成20年3月17日,本件電気生理学的検査を終えて,9時30分に帰室した際,担当看護師に対し,「胸はどうもないです。カテーテルのとき脈が速くなったからその方が気持ちよかった。」と述べている。また,認定事実(1)ア(オ)のとおり,本件患者は,本件電気生理学的検査以前には,C医師に対し,息切れ,動悸,階段を上った後立っているのが苦しい,電車を待っているときにいつもの発作があり,転倒しそうになり,失神前の状態であったと訴えていたのである。こうしたことからすれば,本件患者が,従前感じていた症状と,本件電気生理学的検査の際に感じていた「気持ちよかった。」という感覚は,全く相容れないものであることは明らかであったといわざるを得ない。

     以上によれば,C医師の陳述書(乙B30)の記載及びC医師の証言を信用することができず,他に本件患者がC医師に対して従前感じていた症状と同様の感覚があったと述べたことを認めるに足りる証拠はない。

   ウ そうすると,C医師は,本件患者の本件電気生理学的検査における自覚症状が従前感じていた症状と同様のものであることを確認することなく,単に本件電気生理学的検査の結果,誘発された不整脈が心房細動の波形を示したことをもって,本件患者が心房細動であるとの確定診断をしたというべきである(なお,控訴人は,本件電気生理学的検査の結果,誘発された不整脈が心房細動の波形であることについて争うが,当審における鑑定の結果によれば,R医師,T医師及びV医師のいずれも,当該波形が心房細動のものであることについて疑問を呈していないことからすれば,同波形は心房細動のものであると認められる)。

     しかし,上記に説示したとおり,平成22年に実施された本件手術当時における心房細動診断の医療水準として,自然に発生した発作時における心電図を記録して心房細動を確認することが原則であったところ,本件において,このような心電図を記録して心房細動を確認する必要がなかったことを裏付ける事情は認められない。そうすると,C医師が,このような確認をしないまま,心房細動であるとの確定診断をしたことは,本件手術当時の医療水準に明らかに反しているというべきであり,C医師には,過失があったといわざるを得ない。

  (3)まとめ

    以上によれば,C医師は,本件患者には心房細動と診断できる所見がないにもかかわらず,本件手術を実施したというべきであり,C医師が本件手術を実施したことには過失が認められる。したがって,C医師は,本件手術によって本件患者が被った損害について,民法709条に基づく不法行為責任を負うというべきであり,被控訴人は民法715条に基づく不法行為責任を負うというべきである。

 3 争点5(損害額)について

  (1)本件患者に生じた損害について

   ア 入院雑費      102万9000円

     前提事実(第2・1)及び認定事実(第3・1)によれば,本件患者は,平成22年10月15日に本件手術を受け,低酸素脳症による遷延性意識障害に陥り,そのまま入院を継続して,平成24年8月30日に死亡した事実が認められ,686日間にわたる入院治療を余儀なくされたというべきである。したがって,本件患者の入院雑費は102万9000円が相当である。

    (計算式)

     1500円×686日=102万9000円

   イ 付添介護費     445万9000円

     上記認定のとおり,本件患者は686日間の入院治療を余儀なくされたというべきところ,本件患者は,前提事実において認定したとおり,低酸素脳症による遷延性意識障害に陥っており,寝返りを自力でできず,2時間ごとの体位変換を介助によって行う必要があった(甲A3の3)というのであるから,その間の付添介護には必要性が認められる。したがって,本件患者の付添介護費は445万9000円が相当である。

    (計算式)

     6500円×686日=445万9000円

   ウ 付添交通費      31万5560円

     上記認定のとおり,本件患者が入院していた期間は,付添介護の必要性が認められるところ,弁論の全趣旨によれば,控訴人が付添介護のために費やした交通費は,1日当たり片道230円であると認められる。したがって,本件患者の付添交通費は,31万5560円が相当である。

    (計算式)

     230円×2×686日=31万5560円

   エ 葬儀費用      150万0000円

     葬儀費用は,150万円が相当である。

   オ 休業損害     1041万3100円

     証拠(甲C5)によれば,本件患者は,W株式会社において稼働し,平成22年の年収が554万0498円であった事実が認められるところ,本件患者は,上記認定のとおり686日間の入院治療を余儀なくされたのであるから,その間の休業損害は1041万3100円が相当である。

    (計算式)

     554万0498円÷365日×686日=1041万3100円

   カ 死亡逸失利益   2139万1032円

     証拠(甲C1)によれば,本件患者は,昭和30年○月○○日生まれの男性であり,死亡時には57歳であった事実が認められる。そして,前記認定のとおり,本件患者の平成22年の年収が554万0498円であった事実が認められることからすれば,本件患者の死亡逸失利益は2139万1032円が相当である。

    (計算式)

     554万0498円×(1-0.5)×7.7217(67歳までの10年間のライプニッツ係数)=2139万1032円

   キ 入院慰謝料     387万0000円

     本件患者の入院期間に鑑みれば,本件患者の入院慰謝料は387万0000円が相当である。

   ク 死亡慰謝料    2800万0000円

     前提事実によれば,本件患者は一家の支柱であったと認められる。したがって,本件患者の死亡慰謝料は2800万円が相当である。

   ケ 合計額      7097万7692円

  (2)控訴人の損害

    本件における弁護士費用は,709万7769円が相当である。なお,控訴人本人の固有の慰謝料については,本件患者の慰謝料において評価されているというべきである。

  (3)まとめ

    以上によれば,控訴人の損害額は,7807万5461円となる。

 4 したがって,被控訴人は,控訴人に対し,民法715条に基づき7807万5461円及びこれに対する平成24年8月30日から支払済みまで改正前民法所定の年5分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。

   また,控訴人の予備的請求については,過失の内容及び損害額が主位的請求と同一であると認められ,主位的請求の認容額を超える部分の請求については理由がない。

 5 そうすると,控訴人の8060万6119円の主位的請求は,7807万5461円の支払を求める限度で理由があるからその限度で認容し,その余は理由がないからこれを棄却すべきであり,予備的請求についても理由がないからこれを棄却すべきところ,これと異なり,控訴人の請求を全部棄却した原判決は失当であって,本件控訴の一部は理由があるから,原判決を上記のとおり変更することとして,主文のとおり判決する。

    東京高等裁判所第19民事部

        裁判長裁判官  北澤純一

           裁判官  新田和憲

           裁判官  青木裕史

 



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