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救急搬送された患者に対し、MRI検査等を怠ったことで、脳梗塞による半身麻痺になったとして損害賠償を求めたが、認められなかった事件

大阪地方裁判所判決 平成31年2月8日判決

平成27年(ワ)第352号

       主   文

 1 原告らの請求をいずれも棄却する。

 2 訴訟費用は原告らの負担とする。

       事実及び理由

第1 請求

 1 主位的請求

  (1)被告は,原告X1に対し,8098万9928円及びこれに対する平成23年8月1日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

  (2)被告は,原告X2に対し,550万円及びこれに対する平成23年8月1日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

 2 予備的請求

   被告は,原告X1に対し,7350万9673円及びこれに対する平成27年2月3日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

第2 事案の概要

  原告X1は,平成23年8月1日午後9時頃,被告が開設・運営するA病院(以下「被告病院」という。)に救急搬送され(以下,この救急搬送を「1回目救急搬送」という。),MRI検査等を受けずに帰宅したが,その後自宅で倒れ込むなどしたため,同月2日午前0時30分頃に再度被告病院に救急搬送され(以下,この救急搬送を「2回目救急搬送」という。),同日に脳梗塞と診断された。

  本件は,主位的に,原告らが,被告に対し,被告病院の担当医師らが,原告X1の1回目救急搬送時にMRI検査等を行うべき注意義務を負っていたにもかかわらず,これを怠ったなどと主張して,不法行為(使用者責任)に基づき,損害賠償金合計8648万9928円及びこれに対する不法行為の日である平成23年8月1日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求め,予備的に,原告X1が,被告に対し,1回目救急搬送時にMRI検査等が施行されなかったことが診療契約上の債務不履行に当たるなどと主張して,債務不履行責任に基づき,損害賠償金7350万9673円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成27年2月3日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。

  被告は,被告病院の担当医師らが原告ら主張の注意義務を負っていなかったか,又は注意義務に違反していないなどと主張して争っている。

 1 前提事実

  (1)当事者等

   ア 原告X1は,昭和〇年○月○○日生まれの女性である(平成23年8月1日当時77歳)。原告X2は,原告X1の子(長女)である(なお,原告X2は,歯科医師である。)。原告らは,同日当時,同居していた。なお,原告X1の長男は医師(専門は産婦人科)であり,二男(B)も医師(専門は脳神経外科)である(甲A8,12,B17,18,乙A1,原告X2本人)。

   イ 被告は,被告病院を開設・運営する一般財団法人である。

     C医師(以下「C医師」という。)は,平成〇〇年〇月に医師免許を取得し,同年4月から研修医として被告病院に勤務しており,同年当時は初期研修1年目(4箇月)であった(乙A2,B1,証人C医師)。

     D医師(以下「D医師」という。)は,平成〇〇年〇月に医師免許を取得し,同月から研修医として被告病院に勤務しており,〇〇年当時は初期研修2年目(1年4箇月)であった(乙A3,B1,証人D医師)。

     E医師(以下「E医師」という。)は,平成〇〇年〇月に医師免許を取得し,平成23年当時,被告病院に勤務していた3年目の医師であった(乙A5,証人E医師)。

     F医師(以下「F医師」という。)は,平成〇〇年〇月に医師免許を取得し,平成23年当時,被告病院に勤務していた4年目の医師であった(乙A4,証人F医師)。

     平成23年8月当時,被告病院においては,①指導医の管理下で,後期研修医が診療の中心となり,初期研修医(R2)が診療を行う,②初期臨床研修医R2が診察を行った場合は,診療終了後に後期研修医以上の上級医師が診療内容をチェックしカウンターサイン(指導医の承認のサイン)をカルテに記載する旨が定められていた(乙B1・資料4のうち「A病院ER・総合診療センター規約」〔平成22年7月1日施行〕)。

  (2)診療契約の締結

    原告X1は,平成23年8月1日,被告との間で,めまいと高血圧の治療等を目的とする診療契約を締結した。

  (3)原告X1の既往等

    原告X1は,平成19年6月頃,朝自宅で倒れているところを長男に発見されて医療法人G病院(以下「G病院」という。)に緊急搬送され,一過性脳虚血発作,高血圧性脳症の治療のためにG病院に入院したことがあった(甲A10,11,乙A1,原告X2本人)。原告X1は,上記の既往歴のほか,平成5年に胸部良性腫瘍の摘出を受けたことがあり,これにより横隔神経(左肺を膨らませる神経)が切断されており,左側肺機能不全の状態であった。また,原告X1は,数十年来狭心症の診断を受けていた(乙A1)。

    原告X1は,平成22年5月27日,二男(B)がセンター長を務めているHクリニックの脳ドックを受診し,その際,右中大脳動脈(MCA)の主幹部狭窄が認められた(甲A15,乙A1)。

    原告X1は,平成23年8月1日当時,自宅内での歩行・日常動作・家事動作は一応可能であったが,両側膝関節症を患っており,人工関節の手術を受けるかどうかを検討中であった。また,原告X1は,同日当時,降圧剤(ディオバン,ヘルベッサー,アダラート)を処方されていた(甲A11,B68,乙A1,原告X2本人)。

  (4)被告病院での診療経過等

   ア 1回目救急搬送に至る経過

     原告X1は,平成23年8月1日,原告X2に対し,救急車を呼んでほしい旨依頼した。原告X2は,同日午後8時15分頃,救急車を呼んだ(甲A11,12,18,原告X1本人,原告X2本人)。

   イ 1回目救急搬送時の状況

    (ア)被告病院(救急外来)の当直態勢等

      原告X1は,平成23年8月1日午後8時52分頃,被告病院に救急搬送され(1回目救急搬送),原告X2も原告X1に付き添って被告病院に行った(甲A8,11,12,C1,乙A1,原告X2本人)。

      平成23年8月1日の被告病院の救急外来の当直業務は,C医師,D医師,I医師,E医師が担当しており,C医師及びD医師が原告X1の診察を担当した(乙A2,3,B1)。

    (イ)1回目救急搬送時の原告X1の容態等

      1回目救急搬送時,原告X1の血圧は,収縮期圧203mmHg/拡張期圧105mmHg(右上肢),収縮期圧211mmHg/拡張期圧94mmHg(左上肢)であり,瞳孔は左右とも3.0mm,対光反射は俊敏で,フィブリノーゲン値は435mg/dlであった(乙A1)。

    (ウ)C医師及びD医師の診察等

      C医師及びD医師は,原告X1に対し,約1時間かけて問診,診察等を行った。そして,診察等の結果や,原告らから聴取した事実を踏まえ,このまま様子をみるしかないと判断し,原告らに帰宅を促した(ただし,C医師及びD医師の診察等の詳細については,当事者間に争いがある。)(証人C医師,証人D医師,証人E医師,原告X2本人)。

    (エ)原告X1の帰宅

      原告X1は,被告病院内を車椅子に乗って移動し,タクシーで帰宅した(甲A8,原告X2本人)。

   ウ 2回目救急搬送とその後の状況

    (ア)原告X1は,平成23年8月2日午前0時30分,被告病院に救急搬送された(事故覚知日時は同月1日午後11時50分,被告病院到着日時は同月2日午前0時30分である。)(甲A8,C2,乙A1,原告X2本人)。

    (イ)F医師は,平成23年8月2日,原告X1の診療を担当した。F医師は,原告X1に対し,頭部CT検査及び頭部MRI検査を施行し,右中大脳動脈(MCA)の完全閉塞が認められたこと等から,右アテローム血栓性脳梗塞(頭蓋内・外の主幹動脈の動脈硬化によって引き起こされる脳梗塞)と診断し,ラジカット(脳保護薬〔脳梗塞急性期に伴う神経症状,日常生活動作障害,機能障害の改善が期待される薬剤〕)等を処方した(乙A1)。

      原告X1は,平成23年8月2日,被告病院に入院した。

    (ウ)原告X1は,平成23年8月19日,被告病院から,社会医療法人J病院(大阪市城東区所在。以下「J病院」という。)の回復期リハビリ病棟に転院した(乙A1)。

      原告X1は,平成26年8月29日,J病院(リハビリテーション科)の医師により,「左肩麻痺が主体」,左の「上下肢ともに全廃」の左半身麻ひの状態で,症状固定と診断された(甲A9)。

  (5)平成23年当時の医学的知見の概要

   ア 脳梗塞

     脳梗塞とは,主に,①アテローム血栓性脳梗塞,②ラクナ梗塞,③心原性脳梗塞,④その他に分類される。進行性脳梗塞とは,脳梗塞のうち,進行性に悪化するものをいう。一般に,脳梗塞の治療に当たっては,適応が認められる場合にはアルテプラーゼ(rt-PA,t-PA)投与による血栓溶解療法が有効であるとされている。そして,アルテプラーゼの投与に当たっては,脳梗塞発症時刻の把握が重要となる。平成23年当時,アルテプラーゼの適応は,患者が無症状であることが最後に確認された時刻(目の前で脳梗塞を発症したのでない場合は,最終無症状確認時刻)から3時間以内とされていた(なお,その後,4.5時間以内とされた。)(甲A16添付資料,B1,4,24,25,29,33,42,48,49,証人F医師,弁論の全趣旨)。

   イ 一過性脳虚血発作(TIA)

     一過性脳虚血発作(TIA)とは,脳血管の狭窄や閉塞による局所脳神経症候を呈する短時間の発作である(甲B1,3,16)。

   ウ 高血圧

     高血圧は,脳出血・脳梗塞・一過性脳虚血発作のリスク要因となり,収縮期圧180mmHg以上の場合または拡張期圧110mmHg以上の場合は,血圧以外に脳心血管についての危険因子がなかったとしても,脳心血管に問題が発生するリスクが高いとされる。そして,65歳以上の患者に対しては,収縮期圧140mmHg未満かつ拡張期圧90mmHg未満を目標として血圧を管理すべきであるとされている(甲B11)。

 2 争点

  (1)(1回目救急搬送時における)MRI検査・脳梗塞予防措置義務違反の有無

  (2)(2回目救急搬送時における)アルテプラーゼ等の投与義務違反の有無

  (3)(1回目救急搬送時における)説明義務違反の有無

  (4)被告病院の救急診療態勢についての注意義務違反の有無

  (5)被告病院の原告X1に対する入院後の治療及び容態管理に関する注意義務違反の有無

  (6)因果関係

  (7)損害額

  (8)消滅時効の成否

 3 争点についての当事者の主張

  (1)争点(1)(〔1回目救急搬送時における〕MRI検査・脳梗塞予防措置義務違反の有無)について

  (原告らの主張)

   ア 次の(ア)~(キ)の事実等に照らせば,C医師及びD医師は,平成23年8月1日,原告X1に対して頭部MRI検査を施行し,原告X1を入院させるなど脳梗塞予防のための治療を開始すべき注意義務を負っていた。

    (ア)医学的知見

      一般に,一過性脳虚血発作を疑った場合には,原則として全例を入院させ,迅速に診断を行い,脳梗塞予防のための治療を開始しなければならないとされる(甲B1)。また,血液凝固に関係するフィブリノーゲンの高値,高血圧は,脳梗塞の危険因子とされる(甲B3・9頁,11・23頁)。

    (イ)一過性脳虚血発作や脳梗塞を疑うべきであったこと

      原告X1は,①平成23年8月1日午後8時頃に回転性のめまいが認められ,②救急外来初診時の血圧が収縮期圧203mmHg/拡張期圧105mmHg(右上肢),収縮期圧211mmHg/拡張期圧94mmHg(左上肢)であって,③同日の被告病院受診時において,脱力傾向,左下肢の軽度下垂,鼻指鼻試験(患者に,検査者の指と本人の指とを人差し指で交互に触ってもらい,小脳失調の症状である距離測定障害や運動分解や企図振戦等をみる試験)が稚拙等の所見が認められ(乙A1・6,10頁),④約4年前に一過性脳虚血発作,高血圧性脳症でG病院に救急搬送され,⑤平成23年8月1日,被告病院から帰宅する際に車椅子を使用していた。以上の事実に照らせば,1回目救急搬送の時点で,C医師及びD医師は,原告X1について一過性脳虚血発作や脳梗塞を疑うべきであったといえる。なお,被告病院の診療録には,「脳梗塞の疑い」と記載されており,C医師及びD医師も脳梗塞を疑っていたものと推測される。被告は,「脳梗塞の疑い」との記載は検査をするための保険病名であって脳梗塞を疑っていたことを示すものではないと主張するが,脳梗塞を疑っていないにもかかわらず,検査をするために保険病名として「脳梗塞の疑い」と記載することは,保険請求上虚偽請求に該当するので,そのような処理をするはずはない。また,被告は,脳梗塞の可能性を検査等するためと主張しながら,実際は,脳梗塞の可能性がないといえるだけの医学的根拠があり得るほどの検査(例えばMRI検査)を行っておらず,矛盾している。

      脳梗塞を疑うことは一過性脳虚血発作を疑うことにもなり,逆に,一過性脳虚血発作を疑うことは脳梗塞を疑うことにもなる。被告病院の診療録に脳梗塞の疑いと記載して診断している以上,一過性脳虚血発作を疑っていなかったとはいえない。

    (ウ)脱力傾向や左下肢の軽度下垂

      原告X1には,1回目救急搬送時,脱力傾向や左下肢の軽度下垂が認められていた。C医師及びD医師は,原告X1の言葉のみから,原告X1に脳梗塞を疑わせる症状がないと判断したが,脳梗塞患者が自身の症状に気付かない場合や脳機能の低下によってその症状を適切に表現することができない場合もあるので,そのような判断を行うべきではなかった。

      また,被告は,原告X1が極めて非協力的な態度をとり担当医師らの指示に従わなかったために各試験を施行することができなかった旨主張するが,産婦人科医師(長男)・脳神経外科医師(二男)・歯科医師(長女である原告X2)を子に持つ原告X1が医師に対して非協力的な態度をとったとは考えられない。

    (エ)原告X1の脳梗塞発症リスクが高かったこと

      上記の事情に加え,原告X1は,平成23年8月1日当時77歳であり,血圧も収縮期圧180mmHgと高く,フィブリノーゲン値も435mg/dl(基準値150~400mg/dl)であり,C医師及びD医師が行った各種検査のうち一部が施行できなかったことからすれば,原告X1が脳梗塞を発症するリスクは高く,ABCD2スコアで評価すると,入院が必要とされる症状であった。なお,被告は,原告X1の血圧が収縮期圧180mmHgと改善傾向にあって救急搬送前に服用した降圧剤の効果によって今後血圧が低下することが予想されたことを根拠にして原告X1を帰宅させた判断に問題がなかった旨主張する。しかし,原告X1の血圧は,収縮期圧211mmHg(右上肢)・203mmHg(左上肢)から僅かに改善していたものの,収縮期圧180mmHgと非常に危険な状態であり,脳梗塞又は一過性脳虚血発作を否定することができる状態ではなかったし,また,同月2日午前5時の時点で収縮期圧180mmHgであったのであるから,被告の主張は理由がない。

    (オ)麻ひ症状について

      被告は,麻ひ等の症状がないか,又は症状が非常に軽微であれば,そもそも脳梗塞を疑うこと自体が不可能である旨主張する。しかし,脳梗塞には,麻ひ等の症状がない無症候性脳梗塞や,症状が非常に軽微であって通常の診断では発見することができない脳梗塞もある。このことからすれば,患者の症状やMRI検査以外の診察では,脳梗塞ではないと診断することはできない。脳梗塞でないと診断するためには,MRI検査を行うことが必要である。

    (カ)無症状であるとされた場合の意義

      仮に,C医師及びD医師が1回目救急搬送の際にMRI検査を行っていたとすれば,仮に,その時点で無症状であると診断されたとしても,その後救急搬送された際に,アルテプラーゼの適応があるか否かを判断する上で有用であり,この意味でもMRI検査は重要である。C医師及びD医師は,原告X1について脳梗塞発症の可能性を予見していたのであるから,原告X1に対してMRI検査を行うべき注意義務を負っていた。

    (キ)E医師の判断を仰がなかったこと

      仮に,E医師が,1回目救急搬送時の原告X1の状態(高齢,高血圧,回転性めまい〔この症状は軽減していた。〕,麻ひの所見〔原告X1本人は認識していない。〕,フィブリノーゲンの高い値)を認識していたならば,確定診断のためにMRI検査を行っていたと考えられる。そうすると,C医師及びD医師は,E医師の判断を仰ぐことなく原告X1を帰宅させたものと考えられる(被告病院の診療録にはE医師の判断により原告X1を帰宅させた旨の記載は存在しない。)。また,仮にC医師及びD医師がE医師の判断を仰いでいたとしても,E医師に十分な情報伝達を行っていなかったと考えられる。

   イ それにもかかわらず,C医師及びD医師は,平成23年8月1日,原告X1にMRI検査を施行することなく原告X1を帰宅させており,上記注意義務に違反した。

   ウ これに対し,被告は,1回目救急搬送の際,原告X1が約4年前に一過性脳虚血発作,高血圧性脳症でG病院に救急搬送されたことを聴いておらず,その点を考慮して診療方針を決めることはできなかった旨主張する。しかし,原告X2は,平成23年8月1日,D医師に対し,原告X1が約5年前に別の病院に救急搬送された旨を伝えていた。また,仮に,原告X2が上記事情を伝えていなかったとしても,本来,C医師及びD医師が既往歴や入院歴について詳細な聴取をすべきであったところ,C医師及びD医師がその聴取を怠ったにすぎない。なお,被告は,救急外来診療の現場の状況を前提にすると,原告らの主張は理由がないと主張するが,既往歴や入院歴は問診の中で極めて基本的な項目であり,患者の診断に役立てることは当然であって,救急外来診療の現場においても入院歴の有無を確認することは時間と労力をかけずに行うことができるのであるから,被告の主張は理由がない。

     また,被告は,診療においては診療時に患者自身が最も困っている問題や受診の契機となった自覚症状の解決を目的として治療をするものである旨主張する。しかし,原告X1が当時最も困っていたこと及び受診の契機は,「回転性めまい」だけではなく,普段の血圧が収縮期130mmHg前後であったにもかかわらず,1回目救急搬送前に自宅で計測したところ190mmHgを超えており,高血圧の状態であったことである。さらに,救急車内では血圧が200mmHgを超えていたところ,このような高血圧に対する治療をせずに原告X1を帰宅させることは,治療行為を全うしたことにはならない。

     そして,被告は,平成22年5月27日に他院で実施されたMRA検査の結果(原告X1に血管の狭窄が認められたもの)がC医師及びD医師に告知されていなかった旨主張する。しかし,同月のMRA検査においては,脳梗塞所見は認められておらず,無症候性の右中大脳動脈(MCA)の主幹部狭窄が認められたのみであり,平成23年8月2日に認められた脳梗塞とは狭窄部位が異なっていたのであるから,平成22年5月27日のMRA検査の結果の告知の有無は,平成23年8月1日にMRI検査をすべき義務の有無を左右するものではない。

  (被告の主張)

   ア 次の(ア)~(ウ)の事実等からすれば,1回目救急搬送時において,MRI検査をせずに原告X1を帰宅させたC医師及びD医師の判断に注意義務違反はない。

    (ア)原告X1に一過性脳虚血発作等を疑わせる症状がなかったこと

      原告X1には,1回目救急搬送時,一過性脳虚血発作及び脳梗塞を疑わせる神経学的局所症状や所見は認められなかった。

      「鼻指鼻試験 稚拙」と診療録に記載されているのは,原告X1が検査に対して極めて非協力的な態度をとっていたこと又は倦怠感等の影響によるものと考えられ,少なくとも麻ひを示唆する所見ではない。麻ひを示唆する所見であれば,左右差が認められるはずであるが,原告X1に左右差は認められなかった。「上肢Barre徴候 施行できず」,「回内回外試験 施行できず」(回内回外試験とは,上腕を回内回外させ,その周期が不規則になると小脳失調があると判断される試験をいう。)との診療録の記載についても,原告X1が検査に対して極めて非協力的な態度をとり,被告病院の担当医師らの指示に従わなかったために施行することができなかったにすぎず,麻ひ等の症状のために施行できなかったものではない。最終的に,原告X1についてBarre徴候検査(肢挙上の保持検査)及びアームドロップ検査(寝ている患者の腕を,患者の顔の上に持ち上げた上で急に離す検査)が行われた結果,Barre徴候検査では左右差は認められず,アームドロップ検査でも麻ひは認められなかった。アームドロップ検査を施行した際にも,腕は顔面を避けて落下した。上肢に麻ひがあった場合,アームドロップ検査を施行すると,腕は顔面に落下する(乙B2)。

    (イ)原告X2からの問診内容

      原告X2は,平成23年8月1日,D医師に対し,①原告X1は,本件以前から本件と同様の症状で数回救急搬送されており,その際には,いずれも高血圧が原因であると診断され,降圧により症状が改善したこと,②原告X1が,同日午後7時頃,降圧剤であるディオバン,ヘルベッサーを服用したことを話した。なお,C医師及びD医師は,1回目救急搬送時において,原告X1に一過性脳虚血発作の入院歴があること等の既往に関する告知や説明等を一切受けていなかった。また,後日判明したところでは,原告X1に対して平成22年5月27日に他院で実施されたMRA検査の結果,原告X1には血管の右中大脳動脈(MCA)の主幹部狭窄が認められていたとのことであるが,C医師及びD医師に対するこの検査結果についての告知や説明等もされなかった。なお,2回目救急搬送時において認められた脳梗塞の狭窄部位は,上記MRA検査の結果において認められた狭窄部位と同部位であった。

    (ウ)C医師及びD医師の判断

      C医師及びD医師は,上記の事情に加えて,原告X1に対して行われた各種検査等の結果,早急な対応を必要とする重大な疾患の発症を示唆する徴候が認められなかったこと,来院時の主要な症状であった倦怠感が改善し,その他にも症状の増悪等を認めなかったこと,神経学的局所症状・所見を認めなかったこと,血圧が収縮期圧180mmHgと改善傾向にあり,救急搬送前に服用した降圧剤の効果によって今後血圧が低下することが予測されたこと,原告X1本人が普段と変わらないと言っていたこと,原告X1が帰宅を望んだこと等から,上級医師であったE医師と相談した上で,原告X1についてMRI検査は不要であって,帰宅可能であると判断した。

   イ(ア)これに対し,原告らは,約4年前に一過性脳虚血発作,高血圧性脳症で別の病院に救急搬送されたことがあったことを根拠の1つとして,MRI検査等を行う必要があったと主張するが,C医師及びD医師は,1回目救急搬送時の問診においてそのような事情を聴いておらず,その事情を診断の基礎とすることはできなかった。また,C医師及びD医師の問診にも特に問題はなかった。

    (イ)また,原告らは,被告病院の診療録に「脳梗塞の疑い」と記載されていることを指摘するが,この記載は,脳梗塞の可能性について検査するための保険病名であって,C医師及びD医師が脳梗塞を疑っていたことを示すものではない。被告病院の診療録には,原告X1について1回目救急搬送時に一過性脳虚血発作や脳梗塞を疑わせる神経学的局所症状・所見が認められたことをうかがわせるような記載が存在しないばかりか,「神経所見は,左上肢に軽度脱力を認めるも普段と変わりないとのことであり,その他神経脱落所見を認めず,脳梗塞は否定的であった」(乙A1・11頁)と記載されていることからすれば,被告病院の医師らが1回目救急搬送時において原告X1の状況から脳梗塞を疑っていたなどという事実はない。

    (ウ)さらに,原告らは,ABCD2スコアで評価すると,原告X1は脳梗塞発症の可能性が高かった旨主張するが,ABCD2スコアは一過性脳虚血発作と診断された場合に用いられる基準であり,上記ア(ア)のとおり原告X1に一過性脳虚血性発作を疑わせる所見がなかったことからすれば,本件でABCD2スコアを用いることはできない。

    (エ)救急外来診療の現場においては,1人の患者が抱える全ての問題を短時間で解決することはおよそ不可能であり,診療時に患者自身が最も困っている問題や受診の契機となった自覚症状の解決を目的として治療を行い,その他の問題については通常診療時間帯での再診を促すのが原則である。そのような救急外来の診療の現場において,受診した患者のあらゆる傷病について既往の有無を確認しなければならないというのは現実的ではない。原告らは,C医師及びD医師が既往歴や入院歴に対して詳細な聴取をすべきであった旨主張するが,救急外来診療(当直時間帯での診療)の現場の状況等を前提にすると,その主張は理由がない。

    (オ)原告らの主張に対する具体的認否は,次のとおりである。

     a 「1回目救急搬送時に原告X1に認められためまいは,回転性のめまいである」との原告らの主張は,否認する。そもそも1回目救急搬送時において,問診の結果,「めまい」については落ち着いていたのであり,倦怠感のみの訴えであったことから(乙A1・6頁「めまいは今は落ち着いています」,乙A1・9頁「眩暈(-)」),被告病院の担当医師らは,「めまい」について特段精査しなかった。被告病院の担当医師らは,原告X2からの聴取の結果,原告X1が以前から同様の症状で数回救急受診しており,その際は,いずれも血圧高値のためと診断され,高圧により症状は改善したとのことであったことから,1回目救急搬送時点では落ち着いていた原告X1の「めまい」については,血圧上昇に伴う自覚症状であると認識していた。いずれにしても,1回目救急搬送時点では,原告X1の「めまい」症状は消失していたのであり,被告病院の担当医師らが原告X1について「中枢性のめまい」や「回転性のめまい」と診断した事実はないし,診療録にもそのような記載は全く存在しない。

       なお,原告らは,原告X1の「めまい」について,訴状では単に「めまい」と主張し,「当初の強いめまいは退院時には一時的にはおさまっていた」(訴状4頁)と主張していたが,原告ら第2準備書面において「中枢性のめまい」と主張し,その後「回転性のめまい」と主張している。原告らのこれらの主張は,原告が後方視的に自らの主張に沿うように後付けで主張していることを示すものである。

     b 原告らの主張欄ア(オ)の主張は,否認する。「麻ひ等の症状がない」か「症状が非常に軽微」であれば,そもそも脳梗塞を疑うこと自体が不可能であり,脳梗塞を疑って頭部MRI検査を施行することもできない。

     c 「C医師及びD医師は,退院後の脳梗塞発症の可能性を予見していた」との原告らの主張は,否認する。

       被告病院の担当医師らが,脳梗塞発症の可能性を予見していたのであれば,脳梗塞を疑って頭部MRI検査を施行している。診療録に「脳梗塞疑い」(甲A2・3頁,乙A1・11頁)と記載されているのは,脳梗塞の可能性を検査等するために保険病名として記載されているものにすぎない。1回目救急搬送時において,原告X1について,脳梗塞を疑わせる病歴はなく,検査等の結果,一過性脳虚血発作や脳梗塞を疑わせる神経学的局所症状・所見は認められていない。被告病院の担当医師らは,適宜,原告X1に付き添っていた原告X2に対し,診察の結果,心臓血管系疾患,一過性脳虚血発作,脳梗塞等は否定的である一方,症状の改善も認めており,原告X1本人の希望も強いことから帰宅を認める旨説明した上で,万一麻ひ症状等新たな症状が出現したり,症状の増悪がみられたりした場合には,脳梗塞等のおそれもあるので,すぐに来院するように説明していたにすぎない(乙A1・6,11頁)。診療録には,「麻痺出現など症状増悪時は脳梗塞の可能性がある」と記載されているのであり(乙A1・6頁),実際にも,万一,麻ひ症状等新たな症状が出現したり,症状の増悪がみられたりした場合には,脳梗塞等のおそれもあるので,すぐに来院するようにと説明しているのであって,脳梗塞を示唆する所見が認められた場合を前提にして上記説明をしたにすぎない。

     d 原告らの主張欄ア(キ)の主張は,否認する。そもそも,1回目救急搬送時点において,問診の結果,めまいについては落ち着いていたのであり,倦怠感のみの訴えであった(乙A1・6頁「めまいは今は落ち着いています」,乙A1・9頁「眩暈(-)」)。すなわち,めまい症状は消失していたのであり,被告病院の担当医師らが原告X1について「回転性のめまい」と診断した事実はないし,診療録にもそのような記載は全く存在しない。

       また,1回目救急搬送時において,一過性脳虚血発作や脳梗塞を疑わせる神経学的局所症状・所見が認められていないにもかかわらず,確定診断のためにMRI検査を施行することなどあり得ない。救急外来診療の現場であることからしても,一過性脳虚血発作や脳梗塞を疑わせる神経学的局所症状・所見が認められなかったにもかかわらず,確定診断のためにMRI検査を施行することなどあり得ない。

     e 「原告X2は,平成23年8月1日,D医師に対し,原告X1が約5年前に別の病院に救急搬送された旨を伝えていた」旨の原告らの主張は,否認する。

       1回目救急搬送時,被告病院の担当医師らは,原告X2からの聴取において,①原告X1は,以前から同様の症状で数回の救急受診(他院)をしており,その際は,いずれも血圧高値のためと診断され,降圧により症状は改善していた。②この日も,それまでの各救急受診の際と同様に,かかりつけの病院を受診しようとしたが断られたため,被告病院救急外来を初めて受診したことを聴取したが,「約5年前に別の病院に救急搬送された」ことは聴取していないし,ましてや,原告X1が,平成18年頃,G病院に緊急搬送され,高血圧性脳症と診断された事実や,平成19年6月頃,一過性脳虚血発作,高血圧性脳症の治療のためにG病院に入院した事実についての告知・説明等は一切なかった。

  (2)争点(2)(〔2回目救急搬送時における〕アルテプラーゼ等の投与義務違反の有無)について

  (原告らの主張)

   ア アルテプラーゼについて

     仮に,1回目救急搬送時において原告X1が脳梗塞を発症していなかったという判断,原告X1にMRI検査が必要ではなかったという判断が正しかったとすれば,最終未発症確認時刻は片麻ひが出現する直前(2回目救急搬送直前)となるので,2回目救急搬送時においても原告X1にはアルテプラーゼ投与の適応があったはずであり,F医師は,原告X1の2回目救急搬送時に,原告X1に対し,アルテプラーゼを投与すべき注意義務を負っていた。しかも,仮に,F医師が原告X2に直接問診をして平成23年8月1日の昼間の詳細な事情や片麻ひが発症した時刻を聴取していたならば,最終未発症確認時刻が3時間以内であるという判断になっていたはずであり,アルテプラーゼ投与の適用があったことは明らかである。

     それにもかかわらず,F医師は,2回目救急搬送時に,原告X1に対し,アルテプラーゼを投与しておらず,上記注意義務に違反した。

   イ キサンボンについて

     また,F医師は,2回目救急搬送時,原告X1の症状がラクナ梗塞ではなくアテローム血栓性脳梗塞であったのであるから,原告X1に対し,キサンボン(抗血小板薬)を投与すべき注意義務を負っていたにもかかわらず,原告X1の症状をラクナ梗塞であると誤診し,キサンボン(抗血小板薬)を処方したものの投与せず,同注意義務に違反した。

  (被告の主張)

   ア アルテプラーゼについて

     平成23年当時においては,アルテプラーゼの適応は,最終未発症確認時刻から3時間以内とされていたところ(甲B1),原告X1は,同年8月1日の朝から1人で自宅にいたが,同日午後6時過ぎの時点で,原告X2からの電話に出るのもやっとの状態であり,天井が回っているなどと述べ,同日午後9時頃に救急搬送されており,事後的に検討すると,同日の昼頃に脳梗塞を発症していた可能性があり,最終未発症確認時刻は同日朝である。以上からすれば,少なくとも2回目救急搬送時には原告X1にアルテプラーゼの適応はなく,アルテプラーゼを投与しなかったF医師に注意義務違反はない(また,仮に1回目救急搬送時にMRI検査を行い,脳梗塞の発症が認められなかったとしても,2回目救急搬送時にMRI検査が行われた時刻等からすれば,アルテプラーゼの適応はなかった。)。

     なお,F医師は,2回目救急搬送時において,原告X1の被告病院来院前(1回目救急搬送前)の経緯等に照らして,平成23年8月1日昼頃に原告X1の脳梗塞が発症した可能性があると事後的に判断している。被告は,1回目救急搬送時にMRI検査を行わなかった理由について,1回目救急搬送時には原告X1に一過性脳虚血発作や脳梗塞を疑わせる神経学的局所症状・所見が認められず,MRI検査を行う必要がないと判断したと主張しているのであるから,2回目救急搬送時において1回目救急搬送以前に脳梗塞が生じていた可能性があると判断した旨の主張と矛盾するものではない。

   イ キサンボンについて

     原告らの主張は否認し,又は争う。

  (3)争点(3)(〔1回目救急搬送時における〕説明義務違反の有無)について

  (原告らの主張)

    C医師及びD医師は,平成23年8月1日,原告X1を帰宅させる際,原告X1の検査状況等(具体的には,鼻指鼻試験で「稚拙」と評価されたこと,実施できなかった試験があること,血圧が収縮期圧180mmHgであったこと,MRI検査を実施していなかったこと)を原告X2に説明すべき注意義務を負っていた。

    それにもかかわらず,C医師及びD医師は,原告X2に対し,上記検査状況等の説明をすることなく,研修医であるC医師1人だけで血液検査の結果が記載された2枚の紙(甲A14)を原告X2に渡し,血圧が下がったので心配ないとして原告X1を帰宅させており(仮に,上記検査状況等の説明を受けていれば,原告X2は帰宅に応じなかったし,原告X1も帰宅を強く望まなかった。),上記注意義務に違反した。

  (被告の主張)

    C医師及びD医師は,平成23年8月1日,原告X2に対し,診察の結果原告X1に一過性脳虚血発作及び脳梗塞等の所見が認められなかったこと,原告X1に症状の改善がみられること,本人が帰宅を強く希望していることを説明した上で,今後,麻ひ症状等新たな症状の出現や症状の増悪が認められた場合には直ちに来院するように指示した(乙A1・6,11頁)。

    以上によれば,C医師及びD医師は,説明義務に違反していない。

  (4)争点(4)(被告病院の救急診療態勢についての注意義務違反の有無)について

  (原告らの主張)

   ア 被告病院の「A病院ER・総合診療センター規約」(平成20年7月18日時点のもの。平成23年度の初期臨床研修プログラム107頁参照)には,1年目の研修医(R1)の診療について,①指導医の管理下で,後期研修医が診療の中心となり,初期研修医(R2,R2)とともに診察を行う,②初期研修医(R2,R1)が診察を行った場合は,診療終了後に後期研修医以上の上級医師が診療内容をチェックしカウンターサイン(指導医の承認のサイン)をカルテに記載する旨が定められていたところ,その後改訂され,「A病院ER・総合診療センター規約」(平成22年7月1日施行。平成24年度の初期臨床研修プログラム107頁参照)には,①指導医の管理下,後期研修医が診療の中心となり,初期研修医(R2)が診療を行う,②初期臨床研修医R2が診察を行った場合は,診療終了後に後期研修医以上の上級医師が診療内容をチェックしカウンターサインをカルテに記載する旨が定められ,同月以降は,1年目の研修医に診療を行わせないこととされていた(乙B1・資料4)。

   イ 上記アの事実に照らせば,被告は,平成22年7月以降,被告病院において,1年目の研修医が原告X1のような患者の診療を実質的に1人で行うことがないような態勢を構築すべき注意義務を負っていたというべきである。

   ウ それにもかかわらず,1回目救急搬送の際,1年目の研修医であったC医師が原告X1の診療を実質的に1人で行っており,被告は上記注意義務に違反した(D医師及びE医師は,第1回目救急搬送の際,原告X1の診療を行わなかった。)。

  (被告の主張)

    原告らの主張は,独自の見解に基づくものにすぎず,また,法的根拠も明らかでないから,およそ反論・応答するに値しない。なお,原告X1については,C医師のみならずD医師も診察をしており,この点においても原告らの主張は理由がない。

  (5)争点(5)(被告病院の原告X1に対する入院後の治療及び容態管理に関する注意義務違反の有無等)について

  (原告らの主張)

   ア 被告病院の原告X1に対する入院後の治療及び容態管理に関して,被告病院の担当医師らには,次の(ア)~(カ)の注意義務違反がある。

    (ア)ギャッジアップ

      被告病院の担当医師らは,原告X1に対し,本件のような主幹動脈の高度狭窄又は閉塞があれば,脳への血流量を低下させるギャッジアップ(背部を水平にするのではなく頭部を一定角度に挙上する座位をとること)は極力避け,頭部挙上をする場合も時間をかけて慎重に行うべき注意義務を負っていたにもかかわらず,原告X1に対してギャッジアップを行い,同注意義務に違反した。

    (イ)F医師の誤診

      F医師は,原告X1に対し,脳梗塞について適切に判断し治療を行うべき注意義務(経過観察を含む。)を負っていたにもかかわらず,原告X1の症状について誤診し,適切な治療を行わず,同注意義務に違反した。

    (ウ)セレネース投与

      被告病院の担当医師らは,原告X1に対し,セレネース(抗精神病薬,鎮痛薬)を投与してはならない注意義務を負っていたにもかかわらず,原告X1にセレネースを投与し,同注意義務に違反した。

    (エ)経鼻栄養チューブ

      被告病院の担当医師らは,原告X1に対し,経鼻栄養チューブを挿入してはならない注意義務を負っていたにもかかわらず,経鼻栄養チューブを用い,同注意義務に違反した。

    (オ)身体拘束(「おにぎりくん」の着用)

      被告病院の担当医師らは,原告X1に対し,身体拘束を行ってはならない注意義務を負っていたにもかかわらず,身体拘束(具体的には「おにぎりくん」〔ミトン。「おにぎりくん」とは,介護用手袋の商品名である。甲B37号証参照。〕の着用)を行い,同注意義務に違反した。

    (カ)専門医による早期診療及びMRI等を用いた経過観察の不備

      被告病院の担当医師らは,原告X1に対し,専門医による早期診療及びMRI等を用いた経過観察をすべき注意義務を負っていたにもかかわらず,これを怠り,同注意義務に違反した。

   イ これに対し,被告は,原告らの上記の主張等が時機に後れた攻撃方法として却下されるべきである旨主張する。しかし,原告らがこれらの主張等を行うことが可能になったのは協力医の意見書(甲B33,34)が作成された後であること,協力医の意見書を提出すること自体は遅くとも平成30年1月頃には被告に対して明らかにしていたこと等に照らせば,被告の上記の主張は理由がない。

  (被告の主張)

   ア 次の(ア),(イ)の事実に照らせば,原告らの争点(5)に係る主張及び甲B33,34号証(協力医の意見書)の提出は,時機に後れた攻撃方法として却下されるべきである(民訴法157条1項)。

    (ア)本件訴訟が提起されたのは平成27年1月16日であり,かつ,本件訴訟に先立ち民事調停手続も行われていた。原告らの争点(5)の主張は平成30年5月25日付け準備書面(第18回弁論準備手続期日〔同日〕で陳述された。)に基づくものであり,また,甲B33,34号証が取り調べられたのは第19回弁論準備手続期日(同年6月15日)であるところ,同年5月の時点において,同年6月29日に被告病院医師らの証人尋問が予定されていた。

    (イ)原告X1の長男及び二男は,医師である。

   イ 仮に,上記アの主張が認められなかった場合には,原告らの主張は否認し,又は争う。

  (6)争点(6)(因果関係)について

  (原告らの主張)

   ア 原告X1には2回目救急搬送時に右中大脳動脈(MCA)の閉塞が認められたが,そのような閉塞が直ちに生ずるわけではないことからすれば,原告X1の右中大脳動脈は,1回目救急搬送時に既に閉塞していたか,又は閉塞する寸前であったものと考えられる。そうすると,仮に,C医師及びD医師が,1回目救急搬送時において,原告X1に対してMRI検査を施行し,原告X1を入院させるなどの措置を講じていたならば,原告X1が左半身麻ひに至ることはなかったといえる。また,仮に,2回目救急搬送時に原告X1にアルテプラーゼが投与されていたならば,原告X1が左半身麻ひに至ることはなかったといえる。そして,仮に,C医師及びD医師が平成23年8月1日に原告X2に対して原告X1の上記検査状況等を説明していたならば,原告X2は,C医師及びD医師に対し,原告X1に対するMRI検査施行や入院をより強く求めていたはずであって,原告X1が左半身麻ひに至ることはなかったといえる。

     以上からすれば,前記各注意義務違反と原告X1に左半身麻ひが生じたこととの間には因果関係がある。

   イ 仮に,上記アの因果関係が認められないとしても,原告X1が脳血管障害を発症したのは平成23年8月1日午後8時15分頃であるから,前記各注意義務違反がなかったならば,原告X1に重篤な後遺障害が残らなかった相当程度の可能性があった。

   ウ さらに,上記ア,イのいずれも認められないとしても,前記各注意義務違反によって,原告X1は,適切な治療を受ける期待権を侵害された。

  (被告の主張)

    原告らの主張は否認し,又は争う。

    なお,被告は,2回目救急搬送時において,原告X1の被告病院来院前(1回目救急搬送前)の経過等に照らして,原告X1が平成23年8月1日昼頃に脳梗塞を発症していた可能性があると事後的に判断しているところ,同日の昼頃に脳梗塞を発症していた可能性があれば,本件当時のガイドライン(篠原幸人ほか編「脳卒中ガイドライン2009」)に従えば,そもそも1回目救急搬送時においてもアルテプラーゼの適応はない。また,仮に1回目救急搬送時にMRI検査を実施して脳梗塞の発症が認められなかったとしても,2回目救急搬送時においてMRI検査が行われた時刻等からすれば,本件当時のガイドライン(篠原幸人ほか編「脳卒中ガイドライン2009」)に従えば,アルテプラーゼの適応はない。

    そして,仮に,原告X1に対してアルテプラーゼによる治療がされていたとしても,約5割は後遺症を残し約1割は死亡する旨が指摘されていることや,原告X1の脳梗塞が進行性脳梗塞であったことに照らせば,原告X1の脳梗塞は進行性の経過をたどったであろうと考えられる。したがって,2回目救急搬送時に原告X1にアルテプラーゼが投与されていたとしても,原告X1に左半身麻ひが生じなかったなどとはいえない。

  (7)争点(7)(損害額)について

  (原告らの主張)

   ア 原告X1の損害 8098万9928円

    (ア)治療費 342万7955円

      原告X1は,脳梗塞等の治療費として342万7955円を支払った。

    (イ)入院雑費 38万1000円

      原告X1は,入院雑費として38万1000円(1500円×254日)を支払った(入院日数合計254日)。

    (ウ)通院交通費 32万6000円

      原告X1は,上記の通院の通院交通費として32万6000円を支払った(通院日数合計134日)。

    (エ)入院付添看護費用 203万2000円

      原告X1は,入院付添看護費用として203万2000円(8000円×254日)の損害を被った。

    (オ)退院後介護費用 662万4000円

      原告X1は,退院後も自立生活が困難であり,介護費用(平成24年5月24日~平成26年8月29日)として662万4000円(8000円×828日)の損害を被った。

    (カ)自宅改造費・装具費 48万1018円

      原告X1は,自宅改造費等として48万1018円を支払った。

    (キ)雑費 260万0547円

      原告X1は,車椅子やサポーター等の購入に当たり260万0547円を支払った。

    (ク)将来の介護費用 2425万4688円

      原告X1は,左半身麻ひ等の後遺障害に係る将来の介護費用として2425万4688円の損害を被った。

    (ケ)入通院慰謝料 350万円

      脳梗塞等の治療のための入院(入院日数合計254日)及び通院(通院日数合計134日)によって原告X1が被った精神的損害に対する慰謝料は,350万円が相当である。

    (コ)後遺障害慰謝料 3000万円

      左半身麻ひ等の後遺障害が残ったことによって原告X1が被った精神的損害に対する慰謝料は,3000万円が相当である。

    (サ)小計 7362万7208円

      (ア)~(コ)を合計すると,7362万7208円である。

    (シ)弁護士費用(主位的請求のみ) 736万2720円

      前記各注意義務違反と相当因果関係のある弁護士費用は,736万2720円である。

   イ 原告X2の損害(主位的請求のみ) 550万円

    (ア)近親者慰謝料 500万円

      母親である原告X1に左半身麻ひの後遺障害が残ったことによる原告X2の精神的損害に対する慰謝料は,500万円が相当である。

    (イ)弁護士費用 50万円

      前記各注意義務違反と相当因果関係のある弁護士費用は,50万円である。

  (被告の主張)

    原告らの主張は否認し,又は争う。

  (8)争点(8)(消滅時効の成否)について

  (被告の主張)

    被告は,平成28年7月1日の第8回弁論準備手続期日において,原告らに対し,原告らの不法行為に基づく損害賠償請求権について,消滅時効を援用するとの意思表示をした。

    これに対し,原告らは,原告X1が損害を知ったのは症状固定日以降である旨主張するが,そもそも「損害を知った」とは,被害者が損害の程度やその額を具体的に知ることまでは要しないし,また,被害者本人を基準に判断するのではなく,飽くまでも通常人を基準として判断すべきものであるから,原告らの主張は理由がない。

  (原告らの主張)

    ①原告X1の症状固定日は平成26年8月29日である。②原告X1は,同年までサプリメントによる自宅療法を行っていた。③原告X1は,平成24年2月までJ病院に入院しており,平成26年頃も他の病院に通院するなどしていた。④本件の経緯からすれば,症状固定までに1年以上の期間が必要なことは当然である。

    本件訴訟提起は平成27年1月16日であるところ,消滅時効の起算点を上記①~④のいずれと解したとしても,まだ消滅時効は完成していない。

第3 争点に対する判断

 1 認定事実

   前記前提事実並びに後掲各証拠及び弁論の全趣旨により認められる事実は,次のとおりである。

  (1)1回目救急搬送に至る経過

    原告X1は,平成23年8月1日,午前9時頃に原告X2が自ら開設・運営する歯科医院に出かけてから,自宅で,1人で過ごしていた。原告X1は,原告X2が出勤した際,ベッドに横になっていた。原告X1は,同日の正午前後頃,下痢の症状を訴えたことからお茶を飲むなどした。その際,原告X1は,家の中を歩くことが可能であった(甲A11,12,18,原告X1本人,原告X2本人)。

    原告X1は,平成23年8月1日午後6時頃,原告X2からの電話を受け,原告X2に対し,「この電話をとるのが一苦労だった。帰ってきてほしい。」などと伝えた。そこで,原告X2は,急いで帰宅し,原告X1に,下痢を治すための正露丸を服用させた後,降圧剤(ディオバン,ヘルベッサー)を服用させた。その後,原告X1が「とても楽になったが,天井が回っている。救急車を呼んでほしい。」などと述べ,立ち上がって歩けない状態であったことから,原告X2は,同日午後8時15分頃,救急車を呼んだ。原告X1は,同日,発語に問題はなかった(甲A11,12,18,原告X1本人,原告X2本人)。

  (2)1回目救急搬送時の診療経過等

   ア 救急搬送直後の聴取

     C医師は,平成23年8月1日午後8時52分頃,原告X1の主訴及び症状等について,救急隊員及びD医師を通じ,主訴が倦怠感及びめまいであること,狭心症及び高血圧の既往があること,血圧高値であるがバイタルは安定していること等を聞いた。原告X2は,救急隊員から原告X1の既往等について質問されなかったため,これらを告げなかった(乙A1~3,証人C医師,証人D医師,原告X2本人)。

   イ 搬送状況

     原告X1は,平成23年8月1日午後8時52分頃,救急隊のストレッチャーで被告病院1階の処置室に入り,ベッドに寝かされた。上記処置室及びその近辺の部屋の位置関係は,別紙図面のとおりである(乙A2,B3の1・2,証人C医師)。

     C医師が原告X1に対して問診をしたところ,原告X1は,しんどくて電話がかかってきても取れなかったこと,下痢の症状があったこと,現時点でめまいは落ち着いていること等を答えた。原告X1は,C医師から生年月日,現在の場所を質問された際,間違った返答をした(甲A1,2,乙A1,証人C医師,証人D医師)。

   ウ 検査の状況

     C医師が,問診と並行して血圧測定や心電図検査を施行しようとしたところ,原告X1は,「なんでこんなことされないといけないのか。」などと述べ,四肢に巻いた血圧計を自ら外そうとするなどした(甲A2,乙A1~3,証人C医師,証人D医師,原告X1本人)。

     C医師は,原告X1が高齢であったことや,高血圧の既往があったことを踏まえ,脳卒中等の脳に関連する病気の神経学的所見の有無を確認するため,上肢Barre徴候検査(上肢挙上の保持検査)を実施した。しかし,原告X1は,「しんどい。」と述べ,すぐに上肢を自ら下ろしてしまう状況であり,C医師及び担当看護師が説明,説得しても状況は変わらなかった(甲A2,乙A1,2,証人C医師)。

     C医師は,回内回外試験(上腕を回内回外させ,その周期が不規則になると小脳失調があると判断される試験),鼻指鼻試験(患者に,検査者の指と本人の指とを人差し指で交互に触ってもらい,小脳失調の症状である距離測定障害や運動分解や企図振戦等をみる試験)を行おうとしたものの,原告X1の協力を得られず,実施することができなかった(甲A2,乙A1)。

     C医師は,上記のような態度をとる原告X1に対し,繰り返し検査に協力するよう説得する一方,原告X1が各種検査に対して抵抗したときの手足の動きや,血圧計を外そうとする動き等から,神経学的所見の有無を確認した(乙A2,証人C医師)。

     C医師は,原告X1に対し,患者の協力がなくとも実施が可能なアームドロップ検査(寝ている患者の腕を,患者の顔の上に持ち上げた上で急に離す検査)を行った。麻ひがなければ腕が顔面を避けるように落下するところ,原告X1の腕は,顔面を避けて落下した(甲A2,乙A1,2,B2,証人C医師)。

     D医師は,原告X1の上記態度を踏まえ,Barre徴候検査(肢挙上の保持検査)を含めた身体診察全般を再度行った(乙A3,証人D医師)。

   エ 検査結果

     C医師及びD医師は,原告X1に対する一連の診察や,車椅子に移乗する際の動きから,左上下肢挙上が右側に比べやや低下傾向であること及び左上肢の軽度脱力を認めた。D医師は,原告X1に対し,車椅子上で下肢挙上を指示したところ,右下肢に比べ左下肢が軽度下垂した状態であった。そこで,C医師及びD医師は,原告X1に対し,左足に力が入らない感じがあるか聞いたところ,「普段と変わらず,普段に比べて動かしにくさなどはない。」旨の回答を受けた。また,C医師及びD医師が原告X1に対して力を入れるよう指示したところ,原告X1ははっきりと力を入れられる状態であった(甲A2,乙A1~3,証人C医師,証人D医師)。

   オ 血圧

     原告X1の血圧は,被告病院に来院後,徐々に数値が低下していた。原告X1が被告病院での診察等を終えた平成23年8月1日午後10時頃時点では,原告X1の血圧は収縮期圧180mmHgであった(乙A1,2,証人C医師,証人D医師)。

   カ 原告X2に対する聴取

     D医師は,原告X2から,原告X1の既往等についての聴取を行った。しかし,原告X2は,D医師に対し,原告X1に一過性脳虚血発作の入院歴があること,約1年前の脳ドックで血管の高度狭窄が指摘されたことを告げなかった。C医師及びD医師は,原告X1に対する診察等を終えた後,処置室において,原告らに対し,原告X1の血液検査の結果等を示してその数値の説明を行い,検査結果等から麻ひ等は認められないことを説明し,症状の改善が認められるので自宅で様子をみるよう指示をした。これに対し,原告X2は「分かりました。」と返答した(甲A8,乙A2,3,証人C医師,証人D医師,原告X2本人)。

   キ E医師の対応

     E医師は,平成23年8月1日午後9時頃,被告病院の病床業務に当たっていたところ,原告X1の病状等について,D医師から電話で報告を受け,帰宅可能とするなどの判断をした。もっとも,E医師は,同日,カウンターサイン(指導医の承認のサイン)を失念した(乙A3,5,証人D医師,証人E医師)。

   ク 診断結果

     C医師は,1回目救急搬送時の問診等を踏まえ,診療録に「心筋梗塞の疑い」,「脳出血の疑い」,「狭心症の疑い」,「高血圧症」,「倦怠感」,「脳梗塞の疑い」と記載した(甲A2,乙A1)。

  (3)2回目救急搬送時の診療経過等

   ア 原告X1は,平成23年8月2日午前0時30分頃,被告病院に救急搬送され,F医師が診療を担当した。原告X1の主訴は,左上肢の軽度の麻ひであった(乙A1,4,証人F医師)。

     F医師は,診察に先立ち,C医師及びD医師から,1回目救急搬送時の経緯等について,詳細に聴取した(証人F医師)。

   イ F医師は,平成23年8月2日,原告X1に対して行った頭部CT検査,MRI検査等を踏まえ,原告X1について右アテローム血栓性脳梗塞と診断した(甲A1~7,乙A1,6,証人F医師)。

     そこで,F医師は,平成23年8月2日,原告X1について,ラジカット(脳保護薬),バイアスピリン(抗血小板薬),キサンボン(抗血小板薬)を投与した。F医師は,アルテプラーゼ(rt-PA,t-PA)の投与も検討したが,原告X2やD医師の説明から,原告X1の最終無症状確認時刻(すなわち原告X1が最後に元気であった状態が確認された時刻)は平成23年8月1日の朝であると考え,アルテプラーゼ(rt-PA,t-PA)の適応はないと判断し,これを投与しなかった(甲A2,乙A1,3,証人F医師)。

   ウ F医師を含む原告X1の担当医師らは,平成23年8月2日朝,カンファレンスを行い,その結果,原告X1に対し,同じ作用機序であるバイアスピリン(抗血小板薬)とキサンボン(抗血小板薬)を投与するのではなく,異なる作用機序であるバイアスピリン(抗血小板薬)とスロンノン(抗凝固薬)を投与する方が,効果があると判断して,キサンボン(抗血小板薬)の投与からスロンノン(抗凝固薬)の投与に変更した(乙A1,証人F医師)。

   エ 原告X1の脳梗塞は,主に右中大脳動脈の穿通枝領域等の進行性脳梗塞であった(乙A1,6,証人F医師。なお,このことは,穿通枝領域のアテローム血栓性脳梗塞の場合は進行性に悪化する場合があるとされていること〔後記3〕に沿うものである。)。

  (4)原告X1の入院後の診療経過等

   ア 原告X1は,平成23年8月2日~同月19日の間,被告病院に入院した。同月2日以降,脳梗塞の病態は進行した(乙A1)。

   イ ギャッジアップについて

    (ア)F医師は,原告X1に対し経鼻栄養チューブを用いることを提案したが,原告らの了解を得られなかった。一般に,原告X1のような脳梗塞急性期の患者に対し,ギャッジアップ(背部を水平にするのではなく頭部を一定角度に挙上する座位をとること)をせずに食事をさせると,誤嚥性肺炎という致命的な疾患を引き起こす危険性があるため,F医師は,原告X1に対し,ギャッジアップを行った(甲B20,乙A4,証人F医師)。

    (イ)F医師は,原告X1に対し飲水テストを実施した際,ギャッジアップをし,座位の姿勢でテストを行った(甲A2,乙A1,4,証人F医師)。

    (ウ)F医師は,平成23年8月2日,原告X1の左片麻ひの徒手筋力テストの数値が4から3程度に増悪をしたことを認めた。その原因はギャッジアップによる頭蓋内血流の一時的な低下にあると考え,ギャッジアップを制限し,経管栄養を開始することとした。その後,徒手筋力テストの数値は4に改善した。以上を踏まえ,F医師は,ギャッジアップを制限することとした(甲A2,乙A1,証人F医師)。

    (エ)F医師は,平成23年8月7日,週明けからギャッジアップの角度を上げていくと判断した。同月8日,ギャッジアップを注入中の15度までにとどめるよう指示した。同月11日時点で,原告X1のギャッジアップは,90度まで行ってよいとされていた(乙A1)。

   ウ セレネースの投与について

    (ア)原告X1は,平成23年8月2日以降,左片麻ひの症状があり,移動時介助を要する状態で,めまい,ふらつきも見られ,転倒・転落に気を付ける必要のある状態であった(乙A1)。

    (イ)原告X1が担当看護師に対し,「ねむれへん!うるさい。帰る。」などと述べるとともに,上半身を起こし,ルートやコードを体に巻き付けて移動しようとするなどしたことから,被告病院の当直医師は,平成23年8月2日午後11時50分頃,セレネース(抗精神病薬,鎮静薬)の投与を指示した(乙A1)。

    (ウ)原告X1は,平成23年8月3日午前6時48分頃,セレネースを投与された(甲A2,乙A1)。

    (エ)F医師は,セレネース(抗精神病薬,鎮静薬)と脳梗塞による麻ひの増悪との間に医学的な因果関係は明らかになっておらず,悪影響はないと考えたものの,脳神経外科の医師である原告X1の二男からセレネースの投与を中止してほしい旨の依頼があったため,セレネース投与の中止を指示した(証人F医師)。

   エ 経鼻栄養チューブについて

    (ア)原告X1は,入院当時,左片肺が不全状態であり,そのことをF医師も認識していた(証人F医師)。

    (イ)F医師は,原告X1に対し経鼻栄養チューブを用いることについて,胃管が酸素の状態に悪影響を及ぼすという科学的根拠はないこと,早めに腸に栄養を入れることが必要であることに鑑み,原告X1に対し,経鼻栄養チューブを用いた(証人F医師)。

    (ウ)原告X2がF医師に対し「鼻の管は入院時にはいれないって言ってたんですけどね,本人が息できないって言ってます。」と述べたため,F医師は,経管栄養チューブの必要性について説明した(乙A1)。

   オ 身体拘束(「おにぎりくん」の着用)について

    (ア)原告らは,平成23年8月2日,原告X1の入院に際し,「安全対策のための行動制限」同意書に署名し,治療に使用する機器や点滴注射のチューブを無意識に引っ張ったり抜いたりする場合,転倒・転落の危険性がある場合等には,抑制帯を使用し,身体の一部を拘束する処置を被告病院がとることに同意した(乙A1)。

    (イ)原告X1は,入院期間中,チューブトラブルの観点から,両手に「おにぎりくん」(ミトン)を着用したことがあった(甲B37,乙A1)。

    (ウ)F医師及び担当看護師は,原告X1の神経所見等の容態を診察する際,「おにぎりくん」(ミトン)を外した上で確認を行っていた(証人F医師)。

    (エ)原告X2は,平成23年8月6日,原告X1に「おにぎりくん」(ミトン)を外してほしいと言われたため,これを外したことがあった(乙A1)。

   カ 原告X1の入院期間中の受診態度等

    (ア)原告X1は,経鼻栄養チューブを入れられた際,F医師及び担当看護師に対し,「これ抜いて。」,「鼻のチューブとって,こんなんされるなら退院する。」,「しらん,死んでもええねん。」,「入院なんかせん。娘なんか呼ばんでええ。」などと述べたことがあった(乙A1)。

      原告X1は,リハビリや薬の投与の際,しばしばこれらを拒否する姿勢を見せ,F医師から説得されることがあった(証人F医師)。

    (イ)原告X1は,経管栄養のためチューブが挿入されていたにもかかわらず,原告らの判断でお茶を飲んだことがあった(乙A1)。

    (ウ)原告X2らは,原告ら家族の付添中であり,原告X1が気持ち悪がったことから,原告X1の経鼻栄養チューブを抜くとともに,「おにぎりくん」(ミトン)も外したことがあった(乙A1)。

  (5)医学的機序

    上記診療経過,医学的知見(後記3)に照らせば,原告X1は,平成23年8月1日頃,主に右中大脳動脈の穿通枝領域等の進行性脳梗塞にり患し,これにより,麻ひ等の症状が発生したことが認められる。

 2 事実認定の補足説明

  (1)1回目救急搬送時における,C医師及びD医師の原告X2に対する聴取・説明状況等(上記認定事実(2)の関係)

    1回目救急搬送時における,原告X2に対する聴取・説明状況につき当事者間に争いがあり,診療録の記載内容の信用性も争われているため,この点に関するC医師及びD医師の証言・陳述,原告X2の供述・陳述の信用性について検討する。

   ア C医師の証言・陳述要旨

     原告X1が処置室に搬送された際,D医師も処置室にいた。原告X2は,原告X1の問診をしていた時に処置室に入ってきた。そこで,原告X2に対し,救急要請した理由及び原告X1の既往について聴取をしたが,原告X1に一過性脳虚血発作の入院歴があること,約1年前の脳ドックで血管の高度狭窄が指摘されたことについての話はなかった。その後,原告X2には,待合室で待つよう指示した。

     原告X1に対して各種検査をした後,原告X2のところに行き,何か新しい情報がないかを聴くなどしたが,この際も既往の話はなかった。この間は,D医師が原告X1の診察をした。

     D医師と互いの診察結果を確認した上で,原告X2に診察室に入ってもらい,原告らに対し,血液検査の値等を示しつつ,脱水症状や電解質異常,感染の徴候,発熱等について特に異常はない旨説明するとともに,原告X1に対しできる範囲で検査をしたところ麻ひ等はないと判断したことを説明した。そして,血圧も下がってきていたことから,自宅で様子をみるよう指示した。その際,D医師は,処置室におり,カルテを開き,検査結果を確認しながら待機していた。

   イ D医師の証言・陳述要旨

     原告X1が処置室に搬送された際,自分も処置室にいた。

     C医師が原告X1に問診をしていた際,原告X2はずっと廊下にいた。廊下にいた原告X2から原告X1の既往等について聴取したところ,原告X2は,原告X1の血圧が普段から高く何度か救急搬送された,この日は血圧の薬を飲み忘れたようなので,夕方に帰宅した後すぐに薬を飲ませた旨述べた。その際,一過性脳虚血発作の入院歴や,約1年前に血管の強度狭窄を指摘されたという話はなかった。

     原告X2から聴取した後,処置室に戻った。

     その後,C医師と共に,原告らに対し,処置室において,原告X1の症状等についての説明をした。口頭での説明は主にC医師が行い,自分はカルテで数値や所見を再度確認しながら話を聴いていた。C医師は,原告らに対し,狭心症の既往もあるが心臓の問題はなく,特に問題はない,症状も改善しているので帰れると思う旨説明していた。

   ウ 原告X2の供述・陳述要旨

     原告X1が処置室に入った後,自分は処置室に入れてもらえず,D医師に廊下で待つよう言われ,そこで問診を受けた。その際,原告X1の既往について,過去に今回と同じように倒れて救急搬送されたことがあること,狭心症をり患していること,ディオバン,ヘルベッサー,アダラートを内服させたことは告げたが,一過性脳虚血発作での入院歴,高血圧性脳症の既往,脳ドックで脳の血管狭窄が認められたことは告げなかった。

     原告X1に対する処置の中盤辺りで処置室に入ったが,D医師はおらず,C医師のみが処置室にいた。C医師からは,原告X1の血液検査の結果,数値,血圧が下がったことの説明を受けただけであった。

   エ 被告病院の診療録の記載内容(甲A2,乙A1)

     被告病院の診療録には,原告X2から,原告X1は今回のような症状で他の病院に何度か受診し高血圧と診断されたこと,血圧が下がったら症状が改善すること,平成23年8月1日午後7時頃にディオバン,ヘルベッサーを内服したこと等の話を聞いた旨の記載,D医師が原告らに対し病状説明を行い,これに対し原告X2が相づちを打ちながら「分かりました。」と返答した旨の記載がある。

   オ C医師及びD医師の証言,原告X2の供述・陳述の信用性の検討

    (ア)まず,原告X2に対する聴取について,D医師の証言及び原告X2の供述は,「原告X2が,最後に処置室に入った以外は廊下にいた」という限りでは,おおむね一致していることからすると,原告X2に対し廊下で聴取したのはD医師のみであると認められ,この点に関するC医師の証言部分は採用できない。

    (イ)その上で,原告X2に対する聴取内容としては,原告X2が狭心症という原告X1の既往等についての返答をしたことからすると,D医師は,原告X2に対し,原告X1の既往等についての問診をし,可能な限りの情報を得ようとしていたものと認めることができる。

    (ウ)原告らに対する病状説明については,原告X2はこれを受けていない旨を一貫して供述する。しかし,この供述・陳述は被告病院の診療録の記載(上記エ)に反するところ,被告病院の診療録の記載の信用性を否定すべき具体的な事実が認められないこと,原告X2が原告X1を心配していたことでC医師及びD医師の説明内容を正確に記憶していない可能性が十分考えられることに照らすと,原告X2のこの点に関する供述・陳述を採用することはできない。

    (エ)したがって,C医師及びD医師の原告X2に対する聴取・説明状況として次の事実が認められる。すなわち,D医師は,原告X2から,原告X1の既往等についての聴取を行った。しかし,原告X2は,D医師に対し,原告X1に一過性脳虚血発作の入院歴があること,約1年前の脳ドックで血管の高度狭窄が指摘されたことを告げなかった。C医師及びD医師は,原告X1に対する診察等を終えた後,処置室において,原告X2に対し,原告X1の血液検査の結果等を示してその数値の説明を行い,検査結果等から麻ひ等は認められないことを説明し,症状の改善が認められるので自宅で様子をみるよう指示をした。これに対し,原告X2は「分かりました。」と返答した。

  (2)E医師のカウンターサインの失念の点(上記認定事実(2)の関係)

    E医師は,平成23年8月1日における原告X1に対するC医師及びD医師の診療についてカウンターサイン(指導医の承認のサイン)を失念した旨証言するところ,この証言の信用性を否定する具体的事情はうかがわれないから,E医師の上記証言部分は信用することができる。

  (3)原告X1についてのF医師の診断内容(上記認定事実(3)の関係)

    原告らは,F医師が原告X1についてラクナ梗塞と診断した旨主張する。しかし,診療録によれば,F医師は,原告X1についてラクナ梗塞ではなくアテローム血栓性脳梗塞と診断した事実が認められる(甲A2・4頁,乙A1・12,14頁)。

  (4)キサンボン投与の有無(上記認定事実(3)の関係)

    原告らは,原告X1にキサンボン(抗血小板薬)は処方されたものの実際には投与されていない旨主張する。しかし,診療録によれば,平成23年8月2日,同月3日,同月4日に原告X1にキサンボンが実際に投与された事実が認められる(乙A1・20,21頁)。

 3 平成23年当時の医学的知見

   前記前提事実並びに後掲各証拠及び弁論の全趣旨により認められる平成23年当時の医学的知見は,次のとおりである。

  (1)脳梗塞

   ア 意義

     脳梗塞は,主に,①アテローム血栓性脳梗塞,②ラクナ梗塞,③心原性脳梗塞,④その他に分類される。アテローム血栓性脳梗塞は,一過性脳虚血発作(後記(2)参照)を生じていることが比較的多い。アテローム血栓性脳梗塞の中には,発症時の症状は比較的軽い場合が多いが進行性に悪化する場合(数時間から数日にわたって次第に症状が進行する場合。進行性脳梗塞)がある(後記(3)参照)(甲A16添付資料,B25,29,42,48,49,証人F医師)。

   イ 診断

     脳梗塞の診断においては,病歴,身体所見,検査所見等が総合的に判断されるが,臨床的には,CT検査,MRI検査等により確認されることが多い。すなわち,MRI検査は,脳組織の状態や脳血管が詰まっているか否かを判断することができるため,脳梗塞の診断に際して有用である。神経学的所見を確認するため,各種の検査がされる。具体的には,上肢Barre徴候検査(上肢挙上の保持検査),回内回外試験(上腕を回内回外させ,その周期が不規則になると小脳失調があると判断される試験),鼻指鼻試験(患者に,検査者の指と本人の指とを人差し指で交互に触ってもらい,小脳失調の症状である距離測定障害や運動分解や企図振戦等をみる試験),アームドロップ検査(寝ている患者の腕を,患者の顔の上に持ち上げた上で急に離す検査)等がある。これらの検査においては,患者の協力が必要なものが多い。また,一般に,脳梗塞等を原因としてめまい(中枢性めまい)が発生することがあり,患者がめまいの症状を訴えている場合には,そのめまいが中枢性めまいか末梢性めまいかを鑑別することが重要である。そして,中枢性めまいの場合には,①手足や顔面のしびれ感と運動障害,②構音障害,③複視等の症状を伴うことがあり,これらの症状の有無を確認することも必要であるとされている。なお,フィブリノーゲン値について,これは飽くまで補助的検査所見であり,血栓ができやすい状態を示しているとはいえるものの,脱水等の他の病態でも上がってくるとされている(甲B15,17,34,乙B2,証人F医師)。

   ウ 治療

     一般に,脳梗塞の治療に当たっては,適応が認められる場合にはアルテプラーゼ(rt-PA,t-PA)投与による血栓溶解療法が有効であるとされている。アルテプラーゼの投与については,適正治療指針が定められている。そして,平成23年当時,アルテプラーゼの適応は,患者が無症状であることが最後に確認された時刻(目の前で脳梗塞を発症したのでない場合は,最終無症状確認時刻)から3時間以内とされていた(なお,その後,4.5時間以内とされた。)。そこで,アルテプラーゼの投与に当たっては,脳梗塞発症時刻の把握が重要となる。また,症状が軽症であることも適応基準の1つである上,高齢者に対する投与は慎重に検討しなければならないとされている(甲B1,4,24,33,証人F医師)。

   エ リハビリテーション

     脳梗塞のリハビリテーションは,できるだけ早く開始されることが勧められる(ただし,十分な科学的根拠はないとされている。)。一般に,中大脳動脈(MCA)という主幹脳動脈が完全閉塞した重度の脳梗塞の場合は,脳血流を低下させる低血圧状態は避けるべきであるという意見もある。脳梗塞急性期の患者について,仰臥位(背部を水平にして,顔を上向きにすること)で食事をさせると,誤嚥性肺炎という致命的な疾患を引き起こす危険性があるため,ギャッジアップ(背部を水平にするのではなく頭部を一定角度に挙上する座位をとること)がされることがある。ギャッジアップと脳梗塞の進行の関係については,専門家の意見が分かれており,その機序は不明であるとする意見がある一方,頭部挙上で麻ひが悪化したと思われるとする症例の報告を根拠にギャッジアップが病状を悪化させる可能性があるとする意見がある(この点は,現在においても議論が続いている。)(甲B18,20,21,34,51,52,証人F医師)。

  (2)一過性脳虚血発作(TIA)

   ア 意義

     一過性脳虚血発作(TIA)とは,脳血管の狭窄や閉塞による局所脳神経症候を呈する短時間の発作である。一般に,一過性脳虚血発作の発症後,10~15%が90日以内に脳梗塞を発症し,脳梗塞を発症した症例のうち約半数の症例においては一過性脳虚血発作発症から48時間以内に脳梗塞を発症したとの報告がされており,一過性脳虚血発作発症は脳梗塞発生の徴候であるといえる。また,高血圧は,脳梗塞の危険因子であるとされている。一過性脳虚血発作には内頚動脈系のものと椎骨脳底動脈系のものがある。内頚動脈系の一過性脳虚血発作の場合,一過性黒内障,一側の運動麻ひ,感覚障害,失語等の高次脳機能障害の症状があり,椎骨脳底動脈系の一過性脳虚血発作の場合,運動失調,めまい,構音障害,複視,視力障害等の症状があり,最も多い症状は,半身の麻ひ(片麻ひ)症状である(甲B1,3,7,10,16,34,証人F医師)。

   イ 診断

     一過性脳虚血発作の診断においては,病歴,身体所見,検査所見等が総合的に判断されるが,臨床的には,CT検査,MRI検査等により確認されることは多くなく,その場合には臨床経過を検討することになる。一過性脳虚血発作の診断に当たっては,病歴聴取が重要であるとされる。そして,①感覚障害の進行(マーチ),②回転性めまいのみ,③浮遊性めまいのみ,④嚥下障害のみ,⑤構音障害のみ,⑥複視のみ,⑦尿便失禁,⑧意識レベルの変化と関連した視力障害,⑨片頭痛に関連した局所症状,⑩confusion(混乱)のみ,⑪健忘のみ,⑫転倒発作のみの場合には,一過性脳虚血発作とはみなされない(甲B2,証人F医師)。

   ウ ABCD2スコア

     ABCD2スコアとは,一過性脳虚血発作発症から48時間以内の脳梗塞発症リスクを評価するための基準である。スコアの計算方法は点数方式であり,①3点以上の症例,②0~2点の症例で,外来による診断的検査が2日以内に終了するかが不確定な場合,③0~2点の症例で,症状の原因が局所脳虚血であることを示す他の根拠が認められる場合には,患者を入院させることが推奨されている。もっとも,一過性脳虚血発作を発症した患者を入院させることの効果やABCD2スコアによる入院患者選別法の有効性については,無作為試験による評価は行われていない(甲B2,証人F医師)。

   エ 治療

     上記(1)ウで述べたとおりである。

  (3)進行性脳梗塞

   ア 意義

     進行性脳梗塞とは,主にアテローム血栓性脳梗塞のうち,進行性に悪化するものをいう。内頚動脈や中大脳動脈(MCA)水平部の閉塞によるアテローム血栓性脳梗塞は,進行性の経過をたどることが比較的多い。進行性脳梗塞の危険因子の1つとして,基礎疾患に糖尿病や高血圧があるとされる。進行性脳梗塞の中には,穿通枝病変で血管走行に沿って梗塞巣が進展する場合(穿通枝梗塞:BAD)がある(甲B35,48,50,証人F医師)。

   イ 診断

     上記(1)イで述べたとおりである。

   ウ 治療

     進行性脳梗塞の治療においては,エダラボン(商品名・ラジカット。脳保護薬)等の薬剤が投与されることがあるが,現状において,進行性脳梗塞においては早期の入院措置をとるなどしたとしても進行性を食い止めることは容易ではなく,臨床上の課題の1つとされている(甲B24,48,証人F医師)。

  (4)セレネース

    セレネースは,一般に,そう鬱病や統合失調症等に用いられる薬剤であり,脳内の神経伝達物質の働きをよくする働きや,強い不安や緊張等の精神の不安定な状態を抑える働きがある。重大な副作用の1つに,血栓塞栓症が挙げられる。禁忌として,過敏症,昏睡状態,重症心不全,パーキンソン病,中枢神経抑制剤の強い影響下,アドレナリン投与中,妊婦・産婦が挙げられる。慎重投与として,心・血管疾患,低血圧,又はこれらの疑いのある患者,脱水・栄養不良状態等を伴う身体的疲弊のある患者,脳に器質的障害のある患者等が挙げられる。脳卒中の場合,鎮静薬が意識障害を促進させることがあるとする文献がある。一般に,高齢者に対して薬物療法を行う(向精神薬を投与する)場合,より少量から開始し,増量も緩徐に行うことが原則とされている。セレネースの投与と脳梗塞の悪化との間の因果関係は不明である(甲B29,31,32,36,41,59,60,証人F医師)。

  (5)経鼻栄養チューブ

    経鼻栄養チューブを挿入する際には,栄養供給の必要性や潜在的なリスクを考慮した評価を実施する必要があるとされている。また,インフォームド・コンセントを患者や家族に行うとともに,経鼻栄養チューブの自己抜去等が予測される場合には,病院内の身体拘束に関する基準に沿って対応する旨説明することとされている(甲B28,証人F医師)。

 4 争点(1)(〔1回目救急搬送時における〕MRI検査・脳梗塞予防措置義務違反の有無)について

  (1)原告らは,前記争点(1)の原告らの主張欄のとおり,C医師及びD医師は,平成23年8月1日,原告X1に対して頭部MRI検査を施行すべき注意義務を負っていたにもかかわらず,頭部MRI検査を施行せず,同注意義務に違反した旨主張する。

  (2)そこで検討すると,一般に,救急外来診療は,救命処置,応急処置,診療時の主たる症状の緩和を目的として治療を行い,その他の問題については通常診療時間帯での再診を促すという性質を有する(乙B1,弁論の全趣旨)。このような救急外来診療の性質をも踏まえると,次のア~ウ等の本件の事実関係の下では,一過性脳虚血発作や脳梗塞を疑うべき神経学的局所症状・所見が認められなかったこと(あらゆる病気の中から一過性脳虚血発作や脳梗塞を発症している具体的可能性を疑うこと〔ひいてはMRI検査等を行い,その疑念を解消する措置までとること〕が相当であったとはいい難いこと),原告X1の主訴であっためまい等の症状の解消が認められたこと,収縮期圧180mmHgの患者であれば帰宅を促すことについて医学的に問題がないこと(このことは,K医師の意見書〔甲34〕においても是認されているところである。)を肯定することができるから,(事後的にみれば1回目救急搬送時にMRI検査等を実施しておくことが望ましかったといい得るとしても,)C医師及びD医師にMRI検査等を行うべき注意義務まではなかったというべきである。

   ア C医師及びD医師は,原告X1の既往を狭心症及び高血圧と認識していたところ(なお,D医師は,原告X2に対し,原告X1の既往を含め問診しており,C医師及びD医師の問診に特段の問題はうかがわれない。)(上記認定事実(2)),このような認識及び原告X1の主訴を踏まえて,脳の病気を疑い,その原因を明らかにするために,上肢Barre徴候検査(上肢挙上の保持検査),回内回外試験(上腕を回内回外させ,その周期が不規則になると小脳失調があると判断される試験),鼻指鼻試験(患者に,検査者の指と本人の指とを人差し指で交互に触ってもらい,小脳失調の症状である距離測定障害や運動分解や企図振戦等をみる試験),アームドロップ検査(寝ている患者の腕を,患者の顔の上に持ち上げた上で急に離す検査)等の各種検査を行った(上記認定事実(2))。そして,原告X1は,C医師及びD医師が行う各種検査に非協力的な状況であったため,各種検査の実施が困難な面があったものの,四肢に巻かれた血圧計を自ら外そうとすることができるほどには,原告X1は体を動かすことができていた(上記認定事実(2))。これに加え,アームドロップ検査の結果から麻ひの存在はうかがわれなかった(上記認定事実(2))。

   イ 原告X1は,めまいの症状に関し,めまいは落ち着いたと述べており(上記認定事実(2)),主訴となった症状等の解消が認められた。

   ウ 原告X1は,当時降圧剤を服用していたため(上記認定事実(1)),C医師及びD医師が診察をする中で原告X1の血圧は下がってきており(上記認定事実(2)),今後も血圧が下がっていくと予測された。

  (3)原告らの主張の検討

   ア C医師及びD医師は,1回目救急搬送当時,原告X1の左上下肢に軽度脱力を認めていた(上記認定事実(2))。しかし,C医師及びD医師は,原告X1に対し力を入れるよう促し,その疑念の解消のための措置をとった上に,原告X1が当時左側に力を入れることができたこと,普段と変わらないと述べたこと(上記認定事実(2))からすると,上記の所見をもって左麻ひがあると評価すべきであったということはできないし,ひいては一過性脳虚血発作や脳梗塞を疑うべき所見であったとまで評価することはできない。

   イ 被告病院の診療録に「脳梗塞の疑い」との記載はあるものの(上記認定事実(2)),他の病名とともに記載されていることからすると,この記載のみから,C医師及びD医師が脳梗塞を具体的に疑いつつ何らの措置もとらなかったということはできない。

   ウ 一般に,めまいの種類は複数ある上(上記3(1)),めまいの原因として一過性脳虚血発作や脳梗塞以外の病気も考えられるところである(甲B15,17・添付資料3,弁論の全趣旨)。その上で,原告X1自身がめまいは治まった旨述べた上(上記認定事実(2)),1回目救急搬送時に原告X1が訴えていためまいが回転性めまいであったことは,原告X1が後に脳梗塞を発症したことを踏まえて後方視的に検討することで認定できることでもあること(このことは,原告らのめまいに関する主張が,単なるめまいから,中枢性のめまい,回転性のめまいと変遷していることからも明らかである。)からすると,C医師及びD医師が,1回目救急搬送時の時点において原告X1のめまいを回転性めまいと評価し,一過性脳虚血発作や脳梗塞の症状の発端であると評価すべきであったとはいえない。また,本件における事実経過に加えて,上記のような救急外来診療の性質をも考慮すれば,C医師及びD医師が,原告X1が1回目救急搬送時に訴えていためまいが回転性めまいであると評価できるまで問診や各種検査をすべきであったともいい難い。

   エ フィブリノーゲン値について,これは飽くまで補助的検査所見であり,血栓ができやすい状態を示しているとはいえるものの,脱水等の他の病態でも上がってくるとされていること(上記3(1))からすると,原告X1のフィブリノーゲン値をもって一過性脳虚血発作や脳梗塞を疑うべき所見であったということはできない。

     原告X1の血圧が当時収縮期圧血180mmHgであった(上記認定事実(2))ことも,原告X1の当時の年齢,高血圧の既往等を踏まえると,直ちに一過性脳虚血発作や脳梗塞を疑うべき所見であったとはいえない。

   オ さらに,原告らは,見当識障害の主張や,身体失認の主張もする。しかし,原告X1が1回目救急搬送時の診察の際に抵抗する動きをとることができ,D医師や担当看護師らと応答ができていたこと(上記認定事実(2))からすると,原告X1が間違った場所,日付を答えたこと(上記認定事実(2))をもって,1回目救急搬送時に見当識障害であると推察すべきであるとはいえない。また,原告X1が左上下肢の動きについて普段と変わらない旨述べたこと(上記認定事実(2))をもって,脳梗塞急性期の約10%しか認められない身体失認を疑うことは困難であり,1回目救急搬送時に身体失認であると推察すべきであったともいえない。

     原告らの主張は,要するに,原告X1が脳梗塞を発症した事実から後方視的に検討した上で,1回目救急搬送時に一過性脳虚血発作や脳梗塞を疑うべき神経学的局所症状・所見が明らかに認められたことを前提にするものであって,そもそも上記所見が認められなかった本件においては,その主張は妥当しない。

   カ L医師は,意見書において,本件で,脳卒中・神経センターを開設していた被告病院においては1回目救急搬送時に原告X1が脳梗塞を発症しておりこの時点で発症を診断することができたはずであるとして,早期診断を見逃したことにより適切な治療を早期に得られなかった原告らの不利益は明白である旨述べる(甲B33)。しかし,上記意見書において,注意義務の具体的な内容等については必ずしも明らかではない。

   キ K医師は,意見書において,個別の具体的な質問事項に回答する形で,1回目救急搬送時の被告病院の担当医師らに診療上の問題点がある旨述べている(甲B34,67)。この意見の中には,上記3の医学的知見に基づくものも多く含まれており,慎重な検討を要するところではあるが,同医師の指摘は,総じて,後方視的な観点から本件を検証して救急外来,脳卒中診療のあるべき姿を医学的視点から論じたという側面が強く,具体的な診療経過等を踏まえた法的な注意義務の有無等の判断においては別途の考慮を要するものといえる。

  (4)以上のとおりであるから,C医師及びD医師が,1回目救急搬送時において,一過性脳虚血発作や脳梗塞を疑うべきであったなどとはいえず,原告らが主張するようなMRI検査等を行うべき前提を欠く。したがって,C医師及びD医師は,MRI検査等を行うべき注意義務を負っておらず,争点(1)についての原告らの主張は理由がない(なお,1回目救急搬送時に原告X1についてMRI検査が行われていた場合に,拡散強調画像で淡い小さな異常高信号が出現していた可能性があるが,出現していなかった可能性もある。また,1回目救急搬送時にそのまま入院措置をとった場合であっても,進行性脳梗塞である本件においては,その進行性を食い止めることは容易ではなかったことがうかがわれる〔甲B34,乙A4,証人F医師,弁論の全趣旨〕。)。

 5 争点(2)(〔2回目救急搬送時における〕アルテプラーゼ等の投与義務違反の有無)について

  (1)アルテプラーゼについて

   ア 原告らは,前記争点(2)の原告らの主張欄のとおり,F医師が原告X1に対しアルテプラーゼ(rt-PA,t-PA)を投与すべき注意義務を負っていたにもかかわらず,同注意義務に違反した旨主張する。

   イ 本件当時,アルテプラーゼの適応は,脳梗塞の最終未発症確認時刻から3時間以内とされていた(上記3(1))。そこで,原告X1の脳梗塞の最終未発症確認時刻について検討する。

     この点に関し,原告X1が平成23年8月1日昼頃に自宅を歩いていた事実は認められる(上記認定事実(1))。しかし,原告X1は同日午後6時頃の時点で,その詳細については争いがあるものの,体調不良を訴えていたこと(上記認定事実(1))からすると,この時点で全くの無症状であったということはできず,この時点以降を最終未発症確認時刻と評価することはできない。すなわち,最終未発症確認時刻は同日午後6時頃より前の時点であると認められるところ,仮に,同日午後6時頃を最終未発症確認時刻としても,2回目救急搬送時の時点(同月2日午前0時30分頃)では,最終未発症確認時刻から既に3時間以上(約6時間30分)経過しており,アルテプラーゼの適応はなかったといえる。

     これに加え,原告X1の症状は,主に穿通枝領域等の進行性脳梗塞であり(上記認定事実(3),(5)),軽症とは評価できないこと,原告X1が当時77歳であったことを考慮すると,2回目救急搬送時において,アルテプラーゼ投与の適応はなかったといえる。したがって,F医師が,原告X1に対し,2回目救急搬送時においてアルテプラーゼを投与すべき注意義務を負っていたとはいえない。

   ウ これに対し,原告らは,上記の判断は1回目救急搬送時についての判断(上記争点(1)における判断)と矛盾する旨主張する。しかし,1回目救急搬送時においては,一過性脳虚血発作や脳梗塞発症の有無の判断の前提となる,神経学的局所症状や所見が認められるか否かが医師の判断対象であり注意義務の内容にもなる一方,2回目救急搬送時においては,端的に脳梗塞をいつ発症したかが医師の判断対象であり注意義務の内容にもなるのであって,その内容を異にするものである以上,争点(1)及び争点(2)の結論が矛盾するものとはいえない。

  (2)キサンボンについて

   ア 原告らは,F医師が原告X1についてキサンボン(抗血小板薬)を処方したものの投与しなかった旨主張する。

   イ しかし,F医師はキサンボン(抗血小板薬)を含め適切に薬剤を処方した上で投与したことは,上記認定事実(3),上記2(4)のとおりである(なお,原告X1の症状が進行性脳梗塞であったことは,上記認定事実(3),(5)のとおりである。)。

  (3)したがって,F医師は,原告X1に対し,2回目救急搬送時にアルテプラーゼを投与すべき注意義務を負っておらず,キサンボン(抗血小板薬)投与の点を含め,争点(2)についての原告らの主張は理由がない(なお,F医師は,原告X1の症状をラクナ梗塞であるなどと診断しておらず〔上記認定事実(3)〕,この点に関する原告らの主張も理由がない。)。

 6 争点(3)(〔1回目救急搬送時における〕説明義務違反の有無)について

  (1)原告らは,前記争点(3)原告らの主張欄のとおり,C医師及びD医師は,1回目救急搬送時において,原告X2に対する説明義務に違反した旨主張する。

  (2)そこで検討すると,原告X1の1回目救急搬送時の症状等に照らせば,C医師及びD医師は,1回目救急搬送の際,原告X1らに対し,原告X1の症状等について,医療上の意思決定をするに足りる程度の説明をすべき注意義務を負っていたといえる。

    そして,本件においては,上記認定事実(2)記載のとおり,C医師及びD医師は,平成23年8月1日,原告X1に対する診察等を終えた後,原告らに対し,原告X1の血液検査の結果等を示してその数値の説明を行い,検査結果等から麻ひ等は認められないことを説明し,症状の改善が認められるので自宅で様子をみるよう指示をし,これに対し,原告X2は「分かりました。」と返答したことが認められる。そうすると,C医師及びD医師は,1回目救急搬送の際,原告らに対し,原告X1の症状等について,医療上の意思決定をするに足りる程度の説明を行ったということができる。

  (3)これに対し,原告らは,上記の事実が証拠上認められない旨主張するが,この点については,上記2(1)で説示したとおりである。

  (4)したがって,C医師及びD医師に,原告ら主張の説明義務違反は認められず,争点(3)についての原告らの主張は理由がない。

 7 争点(4)(被告病院の救急診療態勢についての注意義務違反の有無)について

  (1)原告らは,前記争点(4)の原告らの主張欄のとおり,被告病院の救急診療態勢には不適切な点があり,救急診療態勢について注意義務違反がある旨主張する。

  (2)しかし,1回目救急搬送時,C医師だけでなくD医師も実際に原告X1の診療を行ったこと(上記認定事実(2)),E医師はD医師から同診療について報告を受けていたこと(上記認定事実(2))に照らすと,当時1年目の研修医であったC医師が原告X1の診療を実質的に1人で行っていたなどということはできない。上記認定事実(2)のとおりE医師はカウンターサイン(指導医の承認のサイン)を失念しており,この点は被告病院の規約(前記前提事実(1))に沿ったものではないものの,同規約は飽くまで内部的な規約にとどまり,同規約に違反したことが患者の権利・利益を直接的に侵害するものとはいえないこと,E医師はD医師から報告を受け実質的な内容を把握していたと認められること(上記認定事実(2))等に照らせば,E医師のカウンターサインの欠如をもって被告病院の医師らに救急診療態勢について注意義務違反があると評価することはできない(この判断は,被告病院が脳卒中・神経センターを開設して24時間態勢での脳卒中救急搬送の受入れを標榜しているという事実によって直ちに左右されるものではない。)。

  (3)したがって,被告病院の医師らに原告ら主張の注意義務違反はないから,争点(4)についての原告らの主張は理由がない。

 8 争点(5)(被告病院の原告X1に対する入院後の治療及び容態管理に関する注意義務違反の有無等)について

  (1)原告らは,前記争点(5)原告らの主張欄のとおり,被告病院の原告X1に対する入院後の治療及び容態管理に関し,注意義務違反がある旨主張する。

  (2)まず,争点(5)に係る原告らの主張及び甲B33,34号証(協力医の意見書)の提出が時機に後れた攻撃方法であるか否かについて検討する。上記主張等は,本件訴訟提起から約3年後である平成30年5月頃に提出されたものであり(弁論の全趣旨),被告の防御に対する配慮を欠く面があることは否定し難い。しかし,上記意見書は同月頃に作成されたものであって原告ら自身が上記意見書を得たのも同月頃であると認められること(弁論の全趣旨),原告X1の二男は脳神経外科を専門とする医師であるものの原告ら自身は脳神経外科の専門医ではないこと,実際の証人尋問は予定通りに行われたことに照らすと,原告らの故意又は重大な過失までは認め難く,また,上記主張等の提出により訴訟の完結を遅延させることとなるものともいえない。したがって,当裁判所は,被告の申立て(前記第2の3(5)の被告の主張欄ア)を却下することとする。

    以上を前提に,原告らの主張について判断する。

  (3)ギャッジアップ(原告らの主張(ア))について

   ア 一般に,ギャッジアップ(背部を水平にするのではなく頭部を一定角度に挙上する座位をとること)は,致命的とされている誤嚥性肺炎を避けるために行われるものであるところ(上記認定事実(4),上記3(1)),F医師は,原告X1の当時の容態に沿った形でギャッジアップの角度を徐々に変えるなどしており,十分な注意を払ってその管理を行っていたといえる(上記認定事実(4))。

   イ また,ギャッジアップと脳梗塞の因果関係について医学的に不明な面があり,医師の間でも見解が分かれていることも認められる(上記3(1))ところ,増悪したとされる原告X1の麻ひは,ギャッジアップの制限により元の状態に戻っていること(上記認定事実(4)。なお,F医師は,脳梗塞が起きた場合,脳神経細胞が死ぬため麻ひは元に戻らない旨証言する。)を併せ考慮すると,本件において,ギャッジアップが具体的にどのように原告X1の脳梗塞に影響したかが明らかでない(甲B34号証におけるK医師の意見も,本件におけるギャッジアップが病状を悪化させた可能性を指摘するものにとどまる。)。むしろ,原告X1の症状が進行性脳梗塞であったこと(上記認定事実(3),(5))からすると,原告X1の脳梗塞の進行は,その病状に起因するものであったと推認できる一方,ギャッジアップがその原因であったと推認することは困難である。

   ウ したがって,F医師は適切にギャッジアップの管理等を行っていたといえ,F医師に原告らが主張するような義務違反は認められず,争点(5)(ア)についての原告らの主張は理由がない。

  (4)F医師の誤診(原告らの主張(イ))について

    F医師の誤診について原告らの主張が採用できないことは,これまでに認定・判断したとおりである。

  (5)セレネースの投与(原告らの主張(ウ))について

   ア 一般に,セレネースは鎮静薬として用いられているところ(上記3(4)),原告X1にセレネースが投与された当時,原告X1は転倒・転落防止の必要性がある状態であった上,ルートやコードを体に巻き付けて移動しようとするなどしており,セレネースを投与することで状態を鎮静化する必要性があったと認められる(上記認定事実(4))。そして,この必要性及び鎮静薬であるセレネースと脳梗塞による麻ひの増悪との間に医学的な因果関係は明らかになっていないとうかがわれること(上記3(4))からすると,F医師がセレネースの用法(上記3(4))に反してその投与をしたとはいえない。F医師は,その後セレネースの投与の中止を指示しているものの,その経緯は原告X1の二男の指示によるものと認められる(上記認定事実(4))以上,後に投与を中止した事実から,原告X1に対しセレネースの投与が差し控えられるべきであったと認めることもできない。

   イ 原告らは,原告X1に対しセレネースを投与したことが,原告X1の脳梗塞の症状の悪化につながった旨主張する。しかし,本件において,医学的に,どのような機序でセレネースの投与が原告X1の脳梗塞の症状の悪化に作用したのかが明らかでない。むしろ,原告X1の症状が進行性脳梗塞であったこと(上記認定事実(3),(5))からすると,原告X1の脳梗塞の進行は,その病状に起因するものであったと推認できる一方,セレネースの投与がその原因であったと推認することは困難である。

   ウ したがって,F医師はセレネースの投与を差し控えるべき注意義務を負っておらず,争点(5)(ウ)についての原告らの主張は理由がない。

  (6)経鼻栄養チューブ(原告らの主張(エ))について

   ア 原告X1の栄養摂取の方法として,早めに腸に栄養を入れることが必要と考えたとするF医師の証言・陳述は,その内容自体医学的にみて合理的なものであり,首肯できるものである(上記認定事実(4))。そして,胃管が酸素の状態に悪影響を及ぼすという科学的根拠は特段うかがわれないことに照らすと,原告X1が当時左片肺全摘であったこと(したがって,原告X1の呼吸機器能が通常人よりも劣っていたこと)(前記前提事実(3),上記認定事実(4))を踏まえても,F医師が原告X1に対し経鼻栄養チューブを用いるべきでなかったなどとはいえない。

   イ 原告らは,原告X1に対し経鼻栄養チューブを用いたことが,原告X1の脳梗塞の症状の悪化につながった旨主張する。しかし,本件において,医学的に,どのような機序で経鼻栄養チューブが原告X1の脳梗塞の症状の悪化に作用したのかが明らかでない。むしろ,原告X1の症状が進行性脳梗塞であったこと(上記認定事実(3),(5))からすると,原告X1の脳梗塞の進行は,その病状に起因するものであったと推認できる一方,経鼻栄養チューブを用いたことがその原因であったと推認することは困難である。

   ウ したがって,F医師は経鼻栄養チューブの使用を差し控えるべき注意義務を負っておらず,争点(5)(エ)についての原告らの主張は理由がない。

  (7)身体拘束(「おにぎりくん」の着用)(原告らの主張(オ))について

   ア 原告らは,原告X1の入院に当たり,身体拘束を受ける場合があることを了解してこれに同意し,原告X2が署名した同意書には,その適応基準として,治療に使用する機器や点滴注射のチューブを無意識に引っ張ったり抜いたりする場合,転倒・転落の危険性がある場合等が挙げられていたところ,原告X1は,入院期間中,自らチューブを抜去したり,ルートやコードを体に巻き付けて移動しようとしたりする(転倒・転落のおそれのある行為に及ぶ)ことがあったというのである(上記認定事実(4))。また,F医師は,原告X1の診察の際,「おにぎりくん」(ミトン)を外した上で診察を行うなどしており,チューブ抜去等の危険や転倒・転落の危険を防止するために必要最小限度で「おにぎりくん」(ミトン)を使用していたところである(上記認定事実(4))。これらの事実に照らすと,原告X1に対し「おにぎりくん」(ミトン)を使用したことは,同意書の適応基準に従った必要かつ相当な措置であったといえる。

   イ したがって,身体拘束の処置に関し,F医師に原告ら主張の義務違反はなく,争点(5)(オ)についての原告らの主張は理由がない。

  (8)専門医による早期診療及びMRI等を用いた経過観察の不備(原告らの主張(カ))について

    専門医による早期診療及びMRI等を用いた経過観察等の不備に関する原告らの主張が採用できないことは,これまでに認定・判断したとおりである。

  (9)小括

    上記(3)~(8)に照らすと,F医師を含む被告病院の担当医師らにおいて,原告X1の入院期間中の容態管理等に不適切な点があったとはいえず(なお,原告X1の麻ひ等の症状の経過が,いずれも進行性脳梗塞が原因であったことは,上記認定事実(3),(5)のとおりである。),争点(5)についての原告らの主張はいずれも理由がない。

 9 まとめ

   以上のとおり,被告病院の担当医師らは,原告ら主張の注意義務を負っていないか,又は同注意義務に違反していないから,被告は,原告らに対し,不法行為責任又は債務不履行責任を負わないというべきである。また,以上の認定・判断に照らせば,被告は,原告らに対し,相当程度の可能性侵害,期待権侵害に関する責任も負わないというべきである。

第4 結論

  したがって,その余の点について判断するまでもなく,原告らの請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし,主文のとおり判決する。

    大阪地方裁判所第19民事部

        裁判長裁判官  山地 修

           裁判官  杉本敏彦

           裁判官  野上恵里

 

 



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