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吸引分娩実地前に帝王切開のダブルセットアップを怠った為に、新生児が脳性麻痺の後遺障害を負ったとして損害賠償請求をもとめたものの棄却された事件

名古屋地裁 平成28年(ワ)第3353号

判決日    令和2年3月25日

 

       主   文

 

 1 原告らの請求をいずれも棄却する。

 2 訴訟費用は原告らの負担とする。

 

       事実及び理由

 

第1 請求

   被告は,原告X1に対し2億5497万4849円,原告X2に対し550万円,原告X3に対し550万円及びこれらに対する平成23年○月○○日から各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

第2 事案の概要

   原告X2(以下「原告X2」という。)は,平成23年○月○○日,大津市が開設するA病院(以下「被告病院」という。)において,原告X1(以下「原告X1」という。)を吸引分娩にて出産したところ,原告X1は,低酸素性虚血性脳症による脳性麻痺の後遺障害を負った。そこで,原告X1並びに同人の父母である原告X3(以下「原告X3」という。)及び原告X2は,被告病院の医師らには,吸引分娩実施前に帝王切開術に移行するためのダブルセットアップを怠った過失などがあったと主張して,大津市から本件訴訟を承継した被告に対し,債務不履行又は不法行為(使用者責任)に基づき,損害賠償として,原告X1においては2億5497万4849円及びこれに対する不法行為の日である平成23年○月○○日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を,原告X3及び原告X2においては各550万円及びこれらに対する同日から各支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めた(訴えの変更後の請求。その後,後記のとおり,原告X1は,損害額の一部を減額したが,請求の趣旨は減縮されていない。)。

 1 前提事実(当事者間に争いがない事実,後掲各証拠及び弁論の全趣旨により容易に認められる事実)

  (1)当事者等

   ア 原告X1は,平成23年○月○○日生まれの男性であり,原告X3及び原告X2は,原告X1の父母である(争いはない)。

   イ(ア)被告は,地方独立行政法人法(平成15年法律第118号)の規定に基づき,地域の中核病院として,市民に救急医療及び高度医療を始め,良質で安全な医療を継続的かつ安定的に提供するとともに,地域の医療機関との機能分担及び連携を行うことにより,市民の健康の維持及び増進に寄与することを目的として,平成29年4月1日に設立された地方独立行政法人であり,設立以降被告病院を設置及び運営している(弁論の全趣旨)。

    (イ)B医師(以下「B医師」という。)及びC医師(以下「C医師」という。)は,産婦人科医として被告病院に勤務し,原告X2の分娩を担当した。B医師及びC医師は,これまで患者に対して鉗子分娩を実施したことはなかった。(乙A7・1頁,A8・1~2頁)

   ウ 地方公共団体である大津市は,平成23年○月○○日当時,被告病院を開設して病院事業を運営していたが,本件訴訟の係属中である平成29年4月1日,被告が設立され,被告は,同日,地方独立行政法人法(平成15年法律第118号)第66条1項の規定に基づき,平成29年3月31日現在の被告病院の業務に関し大津市が有する債務を承継した。そこで,被告は,同年7月12日,本件訴訟の引受けを命じられ,本件訴訟に引受参加するとともに,大津市は,同年8月9日,原告らの承諾を得て,本件訴訟から脱退した(顕著な事実)。

  (2)分娩経過の概要

   ア(ア)原告X2は,妊娠週数40週3日である平成23年○月○○日午前11時30分頃,陣痛を感じたとして被告病院に入院した。入院時の体重は,70.6キログラムであり,妊娠前から15.6キログラム増加していた。原告X2に妊娠・分娩歴はなく,初産であった。(乙A1・40頁,A2・13頁,弁論の全趣旨)

    (イ)平成23年○月○○日(以下,同日の出来事は単に時刻のみを示す。)午前7時頃,原告X2は,有効陣痛が見られ,分娩が進行しているとして,LDR(陣痛室,分娩室,回復室が一つになった部屋。甲B2の2・6頁)に入室した(乙A2・14頁)。

    (ウ)午後2時47分頃,原告X2は,微弱陣痛ではないのに分娩進行が遅く,経過時間が長くなっていたことから,児頭骨盤不均衡(CPD。骨盤の大きさに比較して児頭が大きすぎる状態。このような状態で経膣分娩を行った場合,強い陣痛がきても児頭が骨盤の中の方まで降りてこないことや,骨盤の中に頭が入ってきてもそこから分娩が進まない状態となる。甲B2の2・6頁)が疑われ,骨盤X線撮影が実施された結果,産科的真結合線(OC。骨盤の入り口の前後を結ぶ線であり,平均値は11.5センチメートルである。児頭の大きさと比較して,児頭が骨盤を通ることができるかを判断する。甲B2の2・6頁)が11.9センチメートルであり,児頭骨盤不均衡ではないものの,男性型骨盤(前半部はV字型で狭く,後半部は平坦で,児頭が通過する際,前方と後方とで死腔となる部分が大きくなるため,分娩予後が不良となることが多い骨盤の形状であり,児の骨盤内嵌入障害や回旋異常の原因となったり,児頭がうまく下降しないこともある。乙B6・N-183頁,証人B医師・31~32頁)であることが確認された(乙A2・6,21頁,A7・1頁,A8・1頁)。

      また,午後3時頃から,帝王切開術の実施を想定し,原告X2に対し,胸部X線撮影,心電図撮影,採血が実施された(乙A2・15頁,A7・1頁,A8・1頁)。

    (エ)午後4時50分頃,完全破水し,午後8時15分頃,児頭がStation+2(児頭の先が骨盤の左右の坐骨棘を結んだ線より2センチメートル産道の中に下りてきている状態。プラスの値が大きくなるほど児頭が産道の中に下がってきている状態を示す。甲B2の2・4頁)と確認され,子宮口全開大となった。(乙A2・15頁)

   イ(ア)午後9時53分頃,胎児(原告X1)に遷延一過性徐脈が生じた(乙A3・16頁)。B医師及びC医師による2回目のクリステレル胎児圧出法を併用した吸引分娩によって,午後10時2分頃に排臨(陣痛発作時は胎児先進部が陰裂の間から見え,陣痛間欠時には産道抵抗によって児頭が膣内に後退し見えなくなる状態。甲B41・204頁)が確認された。午後10時23分頃,小児科医への連絡がなされた。午後10時27分頃,9回目のクリステル胎児圧出法を併用した吸引分娩によって,原告X1は出生した(以下,この総牽引回数9回のクリステレル胎児圧出法を併用した吸引分娩を「本件吸引分娩」という。ただし,吸引開始時刻については,後記のとおり争いがある。)。(乙A2・15頁)

    (イ)原告X1は,重症新生児仮死の状態で娩出され,頸部には臍帯巻絡が1回あった。B医師は,原告X1に対し,バッグ・マスク(鼻と口をマスクで覆い,マスクに風船のような形のバッグをつなげ,バッグを手で押して空気を肺に送り込む方法。甲B2の2・11~12頁)を施行したものの,アプガースコアは1分後3点(心拍数100以上で2点,呼吸なしで0点,筋緊張はだらっとしており0点,反射は反応なく0点,皮膚の色は躯幹ピンク色四肢チアノーゼで1点),3分後及び5分後ともに4点(皮膚の色が全身ピンク色に回復し2点。その他は同じ)であり,経皮的動脈血酸素飽和度(体の中に酸素が行き渡っている度合いを,指先などに器具を取り付けて計測した値。以下「SpO2」という。甲B2の2・12頁)は60パーセント台であった。(乙A2・7,38頁,A5・11頁)

    (ウ)午後10時43頃,小児科医であるD医師(以下「D医師」という。)が,LDRに到着したところ,原告X1は,口唇のチアノーゼはないが,四肢のチアノーゼが著明であり,自発呼吸がない状態であった。D医師は,B医師と交代して,原告X1に対しバッグ・マスクを続行したところ,肺野はclearで,air入りは良好,左右差なしの状態であった。末梢血管を確保し,アシドーシス(血液が酸性側に偏ってしまっている状態。酸血症ともいう。甲B2の3・1頁)に効果があるメイロン(乙B24)を投与したところ,SpO2がやや回復し,午後11時1分頃,自発呼吸が出現し,四肢のチアノーゼもやや軽快し,第1啼泣があった。午後11時10分頃,気管挿管(口から細いチューブを入れ,胎児の気管までそのチューブを入れて,空気を送り込む方法。甲B2の2・12頁)を実施したところ,SpO2が98~100パーセントとなった。(乙A2・7頁,A4・8頁,A5・11頁)

   ウ 原告X1は,生後14日目に低酸素性虚血性脳症(脳組織へ流れる血液量が少なくなると同時に,脳組織を流れる血液中の酸素が不足することにより,脳が必要とする酸素を得ることができず,その結果,脳がダメージを受けてしまった病態。甲B2の2・15頁)と診断され(甲A1),平成24年○月○○日には,重度脳性麻痺との後遺症診断がなされた(甲A2)。同年2月13日には,低酸素性虚血性脳症による体幹機能障害,歩行・起立・座位不能により身体障害者1級の認定を受け(甲C2),その後,A判定の療育手帳を取得した(甲C3)。

  (3)消滅時効援用の意思表示

    本件訴訟は,平成28年7月27日に提訴されたところ,大津市は,平成29年1月11日に実施された本件訴訟の第1回弁論準備手続期日において,原告らに対し,前記第1の原告らの請求のうち不法行為に基づく損害賠償請求権について,その消滅時効を援用する旨の意思表示をした(顕著な事実)。

  (4)医学的知見

   ア 急速遂娩法

    (ア)吸引分娩

      児頭に吸引カップをかけることにより吸着させ,カップの柄(牽引ハンドル)を牽引することにより胎児を娩出させる急速遂娩法である(甲B4・1頁)。産婦人科診療ガイドライン-産科編2008(甲B3。以下「ガイドライン2008」という。)には,次の内容の記載がある(なお,A,B,Cは,推奨レベルを表す。乙B9・Ⅶ頁)。

     a 適応(B)

      ・分娩第2期(子宮口が完全に開いてから児娩出までの期間。甲B2の2・10頁)遷延例や分娩第2期停止例

      ・母体合併症(心疾患合併など)や母体疲労が重度のため分娩第2期短縮が必要と判断された場合

      ・胎児機能不全(胎児の健康に問題がある,あるいは,将来問題が生じるかもしれないと判断される状態。甲B2の3・17頁)例

     b 要約(条件)

      ・35週以降(C)

      ・児頭骨盤不均衡の臨床所見がない(A)

      ・子宮口全開大かつ破水(B)

      ・児頭が嵌入し,十分に下降している(B)

     c 施行時の注意事項

      ・吸引分娩における総牽引時間(吸引カップ初回装着時点から複数回の吸引分娩手技終了までの時間)が20分を超える場合は,鉗子分娩あるいは帝王切開術を行う(吸引分娩総牽引時間20分以内ルール)(C)

      ・吸引分娩総牽引時間20分以内でも,吸引術(滑脱回数も含める)は5回までとし,6回以上は行わない(吸引分娩術回数5回以内ルール)(C)

    (イ)クリステレル胎児圧出法

      術者が妊産婦の腹壁上から子宮底部に当てた両手の手掌を置いてマッサージする,および陣痛に合わせて骨盤軸に沿って圧迫して胎児を押し出す手技である(甲B13・161頁)。

   イ 胎児心拍数陣痛図(以下「CTG」という。)

    (ア)基線細変動の減少

      胎児の心臓は神経の働きによって,速くなったり遅くなったりしながら動いているため,分娩監視装置(陣痛の強さと胎児の心拍数を継続的に記録する装置。陣痛計と胎児心拍数計を着ける。)で記録した胎児心拍数はギザギザとたてに波を打ったような線となる。これを胎児心拍数基線細変動という。元気がある胎児の心拍数は,細変動(ギザギザの幅)が1分間に6~25拍の範囲で現れるが,元気でなくなると神経の働きが弱まってくるため,細変動が1分間に5拍以下と減少する。そのため,基線細変動の減少を認めた場合には,胎児の状態が悪くなってきていないかを判断する必要がある。(甲B2の2・3,8頁,B42)。

    (イ)遷延一過性徐脈

      心拍数が一時的に減少して再び元の状態に戻るパターンを一過性徐脈といい,一過性徐脈のうち,心拍の低下が始まって元に戻るまでの時間が,2分以上10分未満のものを遷延一過性徐脈という。母体の血圧低下や,臍の緒が圧迫されたとき,胎児の元気がなくなっているときなどに現れる。(甲B2の2・9頁)

      一過性徐脈には,遷延一過性徐脈以外にも,変動一過性徐脈や早発一過性徐脈がある。変動一過性徐脈は,心拍数が子宮の収縮に関連して急速に少なくなり,2分以内にまた元の状態に戻るもので,臍の緒が圧迫されて,臍の緒に流れる血液の量に変化が起こると現れる。早発一過性徐脈は,子宮収縮とともにゆっくりと心拍数が低下し,子宮の収縮が収まるのと同じようにゆっくり元の状態に戻るもので,子宮の収縮が一番強くなった時に胎児の心拍数も一番少なくなる。胎児が骨盤を通る際に,頭が圧迫され,心拍数を減らすように働く神経が刺激を受け,一時的な徐脈が起こる。(甲B2の2・7~8頁)

   ウ アプガースコア(Apgare-Score)

     新生児の状態を,①心拍数,②泣き声の強さ(呼吸),③手足の動きの活発さ(筋緊張),④反応の良さ(反射),⑤皮膚の色の5項目につき,各0~2点で点数をつけて判断する。生後1分後,5分後に測り,5分後のスコアが7点以上あれば,新生児の状態は良いといえる。(甲2の2・11頁,乙A2・38頁)

 2 争点

  (1)遷延一過性徐脈が生じる前に吸引分娩が開始されたか(争点①)

  (2)吸引分娩開始前の過失の有無

   ア 分娩進行の停止・遅滞の原因検索等を怠った過失の有無(争点②)

   イ 吸引分娩実施前のダブルセットアップを怠った過失の有無(争点③)

  (3)吸引分娩開始後の過失の有無

   ア 遷延一過性徐脈が生じた時点で吸引分娩を中止しなかった過失の有無(争点④)

   イ 吸引回数5回,総牽引時間20分を超えた時点で吸引分娩を中止しなかった過失の有無(争点⑤)

   ウ 小児科医への連絡を遅延するなどして適時適切な蘇生を懈怠した過失の有無(争点⑥)

  (4)説明義務違反の有無(争点⑦)

  (5)因果関係(争点⑧)

  (6)損害額(争点⑨)

  (7)原告X1に対する債務不履行責任の成否(争点⑩)

  (8)消滅時効の成否(争点⑪)

 3 争点に対する当事者の主張

  (1)争点①(遷延一過性徐脈が生じる前に吸引分娩が開始されたか)について

  【原告らの主張】

   ア 原告X2は,午前7時頃にLDRに入室した後,微弱陣痛ではないのに分娩が進まなかった。その後,ゆっくり分娩が進行し,午後8時15分頃に子宮口全開大,児頭の位置がStation+2と確認されたが,その後も児頭の下降が認められず,午後8時45分頃においても,児頭の位置はStation+1~2と判断された。午後9時頃からは,CTGに基線細変動の減少とともに変動一過性徐脈あるいは早発一過性徐脈が頻回に確認されるようになった。

     そのため,B医師及びC医師は,午後9時30分頃,吸引分娩の実施を決定し,午後9時44分頃には,原告X2に装着していた分娩監視装置の陣痛を計測するベルト(以下「陣痛ベルト」という。)を外して,本件吸引分娩を開始した。当初,C医師が,吸引カップを児頭に掛けようとしたが,なかなか掛からなかったため,B医師に交代した。吸引分娩を実施したことにより,午後9時53分頃,遷延一過性徐脈が生じ,午後10時2分頃,2回目のクリステレル胎児圧出法を併用した吸引分娩で排臨した。午後10時8分頃,児頭を上に押し上げることで,一時的に胎児心拍が回復したものの,児頭の下降は進まず,以後,7回のクリステレル胎児圧出法を併用した吸引分娩を実施し,午後10時27分頃,原告X1は娩出された。

   イ 被告は,本件吸引分娩は,午後9時53分に遷延一過性徐脈が生じたことを理由に,午後10時頃から開始されたのであり,午後9時44分頃には未だ開始されていない旨主張する。しかし,午後9時から午後9時半頃まで一過性徐脈が起こっていたことから吸引分娩を開始した旨の診療録の記載(乙A2・7頁,証人B医師・10頁)や,CTG上午後9時44分頃から陣痛曲線が全く計測されていないこと(乙A3・17頁)と整合しない。また,吸引分娩の準備や牽引等にかかる時間を考慮すれば,午後9時53分頃に吸引分娩を決定し,午後10時2分頃に2回目の牽引を実施することは時間的に不可能である。

  【被告の主張】

   ア B医師及びC医師は,午後9時53分頃に胎児に徐脈が生じたことから,吸引分娩の実施を決定した。同人らは,LDRの隣室へ吸引カップを取りに行き,吸引娩出器と接続し,吸引圧の調整などを行い,原告X2を分娩体位とした。まず,C医師が吸引カップを児頭に掛けようと試みたものの,掛からなかったため,B医師に交代した。午後10時頃,B医師は,クリステレル胎児圧出法を併用し,1回目の牽引を開始した。1回目の牽引でほとんど排臨に近い状態まで児頭が下降した。午後10時2分頃,2回目の牽引で排臨,それも発露(陣痛発作時に胎児の先進部が陰裂から絶えず見え,陣痛間欠時でも後退しない状態。甲B41・204頁)に近い程度まで児頭が下降した。しかし,その後,なかなか児頭が下降せず,7回の牽引の末,原告X1が出生した。

   イ 原告らは,午後9時44分頃から本件吸引分娩が開始された旨主張する。しかし,子宮口全開から2時間児頭下降を認めず,一過性徐脈も認められるようになったことなどから,午後10時頃に吸引分娩を開始した旨の診療録及びパルトグラム(乙A2・7,15頁)の記載と整合しない。午後9時44分頃からのCTGは,陣痛ベルトが緩んだため正しく計測されていなかった(甲B55,B57)。また,吸引分娩の準備や牽引等にかかる時間を考慮しても,午後9時53分頃に吸引分娩を決定し,午後10時2分頃に2回目の牽引を実施することは十分可能である。

  (2)争点②(分娩進行の停止・遅滞の原因検索等を怠った過失の有無)について

  【原告らの主張】

    原告X2は,午前7時頃から子宮口全開となるまでの間も分娩は遷延していた上,午後8時15分に児頭がStation+2で子宮口が全開大となった以後も,児頭が全く下降せず,分娩が進行しなかった。

    分娩の進行が停止あるいは遅滞した場合には,分娩の三要素である①娩出力(陣痛),②産道(骨産道,軟産道),③娩出物(胎児の大きさ,回旋など)を評価して,円滑に分娩が進行しない原因を検索した上で必要な介入をして,母児を安全に分娩させる必要がある(甲B1・2頁)。

    原告X2は,男性型骨盤や過剰な体重増加(妊娠中の推奨増加体重は7~12キログラムとされている(甲B43)ところ,原告X2は15.6キログラム増加していた。)が確認されており,これらによる頭頂位(頭頂部すなわち矢状縫合(頭のてっぺんに前後に走るつなぎ目)の中央部が先進して回旋しながら産道を下降する。甲B2の2・8頁,B10・192頁)や不正軸進入(児頭進入軸と骨盤誘導線の方向が一致せず,進入の角度が骨盤入口部に対し直角にならなくなり,分娩が遷延又は停止してしまうこと。甲B46),軟産道狭小化(過剰な体重増加分が脂肪となって産道に蓄積し,産道が狭くなる状態)・軟産道強靭(分娩進行が妨げられるほど,子宮下部,子宮頚,膣,外陰の柔軟化や伸展力が不足する状態。証人B医師・52頁)が分娩進行を遅らせた原因であることは明らかであった。しかるに,被告病院の医師らは,上記のとおり分娩初期の段階から分娩進行が遅かったにもかかわらず,上記原因を確認せず,子宮口全開大後約100分が経過した時点においてもこれを確認しなかった。

    したがって,被告病院の医師らに,分娩進行の停止・遅延の原因検索等を怠った過失がある。

  【被告の主張】

    胎児の態勢は頭頂位ではなかったし(乙B20・3頁,B21・1頁,B27・1頁),不正軸進入もなかった。骨盤X線撮影において,児頭骨盤不均衡はなく(乙B20・1頁,B21・2頁),児頭が通過可能と診断されており(この場合,93~95パーセント経膣分娩が可能と判断される。乙B6・N-183頁),骨盤の大きさも正常骨盤(乙B6・N-183頁)とされていることから,男性型骨盤であることをもって吸引分娩で娩出されないことを予見することはできない(実際にも,児頭が骨盤を通過した発露に近い状態まで下降できており,男性型骨盤が娩出に影響したわけではない。証人B医師・55頁)。また,軟産道狭小化という確立した概念はないし,原告X2の産道に娩出を妨げるような量の脂肪は付着していなかった(証人B医師・16頁)。軟産道強靭とは,分娩時の異常の原因が事後的に考えてもわからない場合に臨床で用いる概念であって,これが確認されたわけではない。

    したがって,原告らが主張するような男性型骨盤による頭頂位,不正軸進入,過剰な体重増加による軟産道狭小化・軟産道強靭はなく,被告病院の医師らにこれらを確認すべき注意義務はない。

  (3)争点③(吸引分娩実施前のダブルセットアップを怠った過失の有無)について

  【原告らの主張】

    前記(2)【原告らの主張】で述べたとおり,被告病院の医師らは,男性型骨盤による頭頂位,不正軸進入や,母体の体重増加による軟産道狭小化・軟産道強靭により,児の娩出が容易ではなく,クリステレル胎児発出法を併用した吸引分娩では娩出が困難となって,他の急速遂娩を実施しなければならない可能性を十分認識することができた。

    吸引分娩は,吸引回数5回以内あるいは総牽引時間20分以内に娩出できない場合,別の急速遂娩法(鉗子分娩か帝王切開術)に切り替えることが不可欠である。その上,クリステレル胎児圧出法を併用した吸引分娩は,娩出が難渋した場合,吸引分娩単独より子宮および胎児の循環環境を悪化させて,胎児の低酸素状態を誘発するため,より速やかに別の急速遂娩法に切り替える必要がある。被告病院においては,鉗子分娩ができないため,帝王切開術に切り替えることになるところ,夜間帯に緊急で帝王切開術を行おうとした場合には,麻酔科医等を呼んだり,手術の準備をしたりするのに1時間~1時間半程度かかってしまう状況であった。そうすると,被告病院の医師らは,迅速に手術室の準備,麻酔科医,小児科医への連絡というダブルセットアップ(以下単に「ダブルセットアップ」という。)をした上で吸引分娩を実施すべきであったにもかかわらず,これを怠り,本件吸引分娩を実施した。

    したがって,被告病院の医師らには,吸引分娩実施前のダブルセットアップを怠った過失がある。

  【被告の主張】

    前記(2)【被告の主張】で述べたとおり,頭頂位,不正軸進入,軟産道狭小化,軟産道強靭は生じていなかったし,ガイドライン2008(甲B3)においても,これらを理由としてダブルセットアップをすべきとはされていない。男性型骨盤であることや,妊婦の体重が15キログラム増加したことをもって,吸引分娩で児が娩出されないことを予見することはできなかったし,ダブルセットアップすべき義務が生じるものでもない。原告らは,吸引回数5回あるいは総牽引時間20分を超えたら別の急速遂娩法に切り替えるべきであるとか,ダブルセットアップとして手術室の準備,麻酔科医,小児科医への連絡をすべきである旨主張するが,これらが本件当時の医療水準であったとはいえない。一般的には,術前検査として,胸部X線検査,心電図検査,採血を行うことがダブルセットアップと呼ばれることが多い(乙B20・1,4頁)。

    したがって,本件吸引分娩実施前に,原告らの主張するダブルセットアップをする注意義務はなく,被告病院の医師らに過失はない。

  (4)争点④(遷延一過性徐脈が生じた時点で吸引分娩を中止しなかった過失の有無)について

  【原告らの主張】

    本件吸引分娩が開始された午後9時44分頃の時点では,児の状態は安定していた(甲B1・3頁,B43・5~6頁)にもかかわらず,午後9時53分頃に突然遷延一過性徐脈が生じたのは,クリステレル胎児圧出法により,胎盤と子宮との間の絨毛間腔の血液循環が悪化したためである(甲B43・3頁)。そうすると,被告病院の医師らは,上記遷延一過性徐脈が見られた時点で,その原因であるクリステレル胎児圧出法を併用した吸引分娩を直ちに中止して,児の心拍数等回復が見られるまで待機すべきであり,その上で,吸引分娩を続行しても難産が容易に予想されたから,ダブルセットアップを整えた上で吸引分娩を進めるか,または,吸引分娩を回避して帝王切開術に切り替えるべきであった。しかるに,被告病院の医師らは,これを怠り,遷延一過性徐脈が生じた後も本件吸引分娩を強硬に続行した。

    したがって,被告病院の医師らには,遷延一過性徐脈が生じた時点で吸引分娩を中止しなかった過失がある。

  【被告の主張】

    原告らは,クリステレル胎児圧出法によって午後9時53分頃の遷延一過性徐脈が生じた旨主張するが,前記(1)【被告の主張】で述べたとおり,本件吸引分娩は上記遷延一過性徐脈が生じる前は未だ開始されていなかったから,原告らの主張は前提が誤っている(娩出後の胎盤に異常がないことなどからも,クリステレル胎児圧出法によって低酸素状態となり徐脈が生じたのではないといえる。乙A2・37頁,証人B医師・21~22頁)。また,吸引分娩は,胎児機能不全の場合ですら適応がある(前提事実(4)ア(ア)a)から,遷延一過性徐脈が生じたからといって中止すべき義務はない。

    したがって,遷延一過性徐脈が生じた時点で吸引分娩を中止すべき注意義務はなく,被告病院の医師らに過失はない。

  (5)争点⑤(吸引回数5回,総牽引時間20分を超えた時点で吸引分娩を中止しなかった過失の有無)について

  【原告らの主張】

    前記(3)【原告らの主張】で述べたとおり,クリステレル胎児圧出法を併用した吸引分娩は,吸引回数5回以内あるいは総牽引時間20分以内に娩出できない場合,速やかに別の急速遂娩法に切り替えることが不可欠であるため,被告病院の医師らは,ダブルセットアップをした上で,吸引分娩を開始し,吸引回数5回,総牽引時間20分を超えた時点で吸引分娩を中止し,帝王切開術に切り替えるべきであった。しかるに,被告病院の医師らは,これを怠り,ダブルセットアップをせず本件吸引分娩を開始した上,吸引回数5回,総牽引時間20分を超えても本件吸引分娩を続行した。

    したがって,被告病院の医師らには,吸引回数5回,総牽引時間20分を超えた時点で,本件吸引分娩を中止しなかった過失がある。

  【被告の主張】

    ガイドライン2008の術回数5回以内あるいは総牽引時間20分以内ルールは,推奨レベル「C:(実施すること等が)考慮される(考慮の対象となるが,必ずしも実施が勧められているわけではない)」(乙B9・Ⅶ頁)にすぎない。産婦人科診療ガイドライン産科編2017(乙B16・262頁。以下「ガイドライン2017」という。)においては,実施時間は15~30分程度が妥当とされているところ,本件吸引分娩の総牽引時間は30未満である。また,1~2回の牽引で児頭の下降がみられた場合には,吸引回数が5回を超えてもやむを得ないとされているところ,本件吸引分娩においては2回目の牽引で児頭が下降し発露に近い排臨に至っている。

    したがって,吸引回数5回,総牽引時間20分を超えた時点で,本件吸引分娩を中止すべき注意義務はなく,被告病院の医師らに過失はない。

  (6)争点⑥(小児科医への連絡を遅延するなどして適時適切な蘇生を懈怠した過失の有無)について

  【原告らの主張】

   ア 次のとおり,被告病院の医師らには,遷延一過性徐脈が認められたにもかかわらず吸引分娩を続行するなか,小児科医への連絡を遅延するなどして適時適切な蘇生を懈怠した過失がある。

    (ア)小児科医への連絡遅滞

      新生児仮死が見込まれる場合,新生児蘇生法に習熟した医師2名以上が児の出生に立ち会い,直ちに新生児蘇生が実施できるよう準備する必要がある(甲B39・12頁,B40・3頁)。

      前記(3)【原告らの主張】で述べたとおり,①クリステレル胎児圧出法を併用した吸引分娩を実施しても娩出に難渋することは容易に予測できたのであるから,吸引分娩を開始した時点で小児科医に連絡すべきであった。また,②午後9時53分頃に遷延一過性徐脈が確認された時点で,蘇生を必要とする児の出生が見込まれたのであるから,速やかに小児科医に連絡すべきであった。遅くとも,③遷延一過性徐脈が継続し,午後10時2分頃に排臨に近い状態となったのに,吸引カップが滑脱して牽引できない状態となった段階(午後10時3~4分頃)で,小児科医に連絡すべきであった。しかるに,被告病院の医師らは,これを怠り,午後10時23分頃になってようやく小児科医に連絡したため,小児科医が原告X1の出生に立ち会うことができなかった。

      このように被告病院の医師らには,小児科医への連絡を遅滞した過失がある。

    (イ)適切な新生児蘇生の不実施

      原告X1は,出生時の臍帯動脈血ガス分析値のpHが6.743(生後1~24時間の基準時は7.3。甲B2の2・12頁),生後43分後に気管挿管されたときの静脈血ガス分析値のpHが6.84であり,出生時から気管挿管までほとんど回復がなく,低酸素,酸血症が持続していたから,適正な新生児蘇生が実施されていなかったといえる。

      原告X1の午後10時43分頃のSpO2は,60パーセント台で,バッグ・マスクでは状態が改善しなかったのであるから,日本周産期新生児医学会2010日本蘇生法協議会が定めた新生児蘇生法のアルゴリズム(甲B16・85頁。以下「アルゴリズム」という。)に従い,より早期に気管挿管やメイロンなどの薬物投与が必要であった。しかるに,B医師は,バッグ・マスクに拘泥し,これらの蘇生措置を実施しなかったのであるから,適切な新生児蘇生を怠った過失がある。

   イ D医師は,連絡後19分でLDRに到着していることからすると,午後10時3~4分頃までに連絡していれば,午後10時27分頃の原告X1の出生に立ち会って直ちに適切な蘇生を実施することができたのであり,原告X1は,出生後43分間にも及ぶ低酸素,酸血症に至ることはなかった。

  【被告の主張】

   ア(ア)小児科医への連絡について

      クリステレル胎児圧出法を併用した吸引分娩を行うことや遷延性一過性徐脈が生じたことをもって,直ちに小児科医を待機させておく義務が生じるわけではない。B医師は,日本周産期・新生児医学会認定新生児蘇生法(NCPR)専門コースインストラクター(乙B4,B5)であり,適切な蘇生措置を行うことができたし,後記(イ)のとおり適切な蘇生措置を行った。B医師が,小児科医に連絡した目的は,蘇生後の継続的な小児科医療を行うためであった(証人B医師・58頁)。原告らは,夜間であっても,新生児蘇生のため小児科医2名以上(一般的な産科医や母体対応の産科医を除く。)を待機させておく必要がある旨主張するが,周産期母子医療センターでもない被告病院においてこのような体制をとることは,あまりに非現実的である。

      したがって,被告病院の医師らに,小児科医への連絡を怠った過失はない。

    (イ)適切な新生児蘇生の実施について

      アルゴリズムによれば,気管挿管の適応は,心拍数が100/分以上に回復しない揚合か,胸骨圧迫も必要な状態が長時間続く場合のいずれかである(甲B16・84頁)ところ,原告X1は,出生時から心拍数が100回/分以上であったから,気管挿管の適応はない。

      バッグ・マスクによる換気によって気管挿管と同等の空気を肺に送ることができ(乙B7・11頁,B8,B20・6頁,B21・6頁),B医師は,バッグ・マスクを行う際,胸郭が順調に挙上し,聴診器で呼吸音が聞こえたので,バッグ・マスクが有効に行われ,その結果チアノーゼが改善したことを確認した上で,気管挿管を行う必要はないと判断した(証人B医師・22頁)のであり,気管挿管を行う前の時点で酸素化は良好であった。また,メイロンの投与にはリスクがあるから(乙B24・1頁),出生直後は原則として投与せず,蘇生後血液ガスを検査し,必要があれば投与する(甲B39・14頁)にすぎない。

      したがって,本件より早期に気管挿管やメイロンの投与をすべき義務はなく,B医師の蘇生処置に過失はない。

   イ 仮に,原告X1の出生後直ちに小児科医による蘇生措置が実施されたとしても,B医師と同じ処置が行われた。原告X1は,出生時点で肺や腎臓の機能が悪化していたため,十分な酸素化が行われたものの酸血症を回避することができなかった可能性がある(証人B医師・24頁)。

  (7)争点⑦(説明義務違反の有無)について

  【原告らの主張】

    分娩の進行が遷延し,医療的介入をする場合,医師は,患者に対し,当該分娩の状態(病名と病状),実施予定の手術の内容,手術に付随する危険性,他に選択可能な治療方法があれば,その内容と利害得失,予後などについて十分に説明しなければならない(甲B53・11頁)。そうすると,被告病院の医師らには,午後9時30分頃に吸引分娩の実施を決定するまでに,遅くとも午後9時44分頃までには,母胎ともに特段の緊急性はなかったのであるから,吸引分娩によって娩出が難渋する可能性,そのため帝王切開術に移行すべき事態となっても,被告病院は速やかに帝王切開術に移行できない体制であり,娩出が完了するまで長時間,複数回クリステレル胎児圧出法を併用した吸引分娩を継続することになること,並びに,クリステレル胎児圧出法を併用した吸引分娩そのものの危険性などについて説明する義務があった。しかるに,被告病院の医師らは,分娩がなかなか進まないため吸引分娩を実施する旨告げただけで,上記の点について何ら説明しないまま,本件吸引分娩を実施した。原告X2は,上記説明を受けていれば,ダブルセットアップのないまま本件吸引分娩を実施することに同意しなかったから,被告病院の医師らに説明義務違反があることは明らかである。

  【被告の主張】

    原告らは,午後9時30分頃に吸引分娩の実施が決定されたことを前提としているが,前記(1)【被告の主張】で述べたとおり,本件吸引分娩は,午後9時53分頃に遷延一過性徐脈が生じたことを受けて選択されたものであるから,前提が誤っている。また,本件吸引分娩開始前の時点で,吸引分娩による娩出が難渋し,複数回牽引しなければならなくなるとは予見できなかったし,1回も牽引を行っていない段階で帝王切開術へ切り替えることを説明する義務はない。本件当時,ダブルセットアップの実施は医療水準ではなく,クリステレル胎児圧出法を併用した吸引分娩によって胎児が低酸素性脳症になるとも考えられていなかったから,これらを説明する義務もない。

    したがって,被告病院の医師らに,原告らが主張するような説明義務はなく,過失もない。

  (8)争点⑧(因果関係)について

  【原告らの主張】

    本件吸引分娩により,子宮内環境及び胎児胎盤循環が悪化して,胎児が低酸素,酸血症となったため,原告X1に脳性麻痺が発症した。そして,小児科医への連絡が遅延し,十分な蘇生措置が執られず,出生後43分間にも及ぶ低酸素,酸血症を改善できなかったことが,脳性麻痺を増悪させた(甲B1・1頁,B2の1・16頁)。

  【被告の主張】

    否認ないし争う。

    午後9時53分頃に遷延一過性徐脈が生じ,その後も胎児の状態が改善していないこと(乙A3・16頁以降),娩出後の胎盤に何ら異常はなく,胎盤循環が悪化したために低酸素状態となった所見は存在しないこと(乙A2・37頁,証人B医師・21~22頁),原告X1は出生時点のpHが6.743で(乙A5・3頁),長時間低酸素の状態に置かれていたといえること(証人B医師・21頁),出生時原告X1の頸部に臍帯巻絡が生じていたこと(乙A4・5頁)からすれば,臍帯因子(胎児の下降により,臍帯が胎児と産道との間で圧迫されるなどにより高度の狭窄を来し,臍帯血流が悪化し胎児に酸素・栄養がいかない。証人B医師・12頁)で低酸素性虚血性脳症となっていた若しくは先天的な脳性麻痺であった可能性がある(乙B21・7頁)。

  (9)争点⑨(損害額)について

  【原告らの主張】

   ア 原告X1が負った後遺障害

     既に述べた被告病院の医師らの過失によって,原告X1は,低酸素性虚血性脳症に陥り,重度脳性麻痺となり,身体障害者1級の認定を受け,A判定の療育手帳を取得した。原告X1は,首が据わらず,四肢を動かすこともできない。食事は胃瘻であり,排泄はおむつである。断続的に吸痰が必要であり,発声も発語もない。24時間,全介護を要する状況にあり,これが改善する見込みはない(甲C19)。このような原告X1の後遺症は,後遺障害等級1級に相当する。

   イ 原告らが被った損害

    (ア)原告X1に生じた損害

      原告X1は,別紙1及び別紙2記載のとおりの損害を被り,その合計額は,2億5488万1969円を下らない(なお,原告らは,自宅改造費について,当初696万9240円と主張し,その後,687万6360円に減額訂正したが,これに伴う請求の趣旨の減縮はなされていない。)。

    (イ)原告X3及び原告X2に生じた損害

      上記アのとおり,原告X1に重篤かつ回復困難な後遺症が残存したため,両親である原告X3及び原告X2は多大な負担を強いられ,次の損害を被った。

     a 固有の慰謝料  各500万円

     b 弁護士費用    各50万円

     c 合計      各550万円

   ウ よって,原告らは,被告に対し,債務不履行又は不法行為(使用者責任)に基づき,損害賠償として,原告X1においては2億5488万1969円及びこれに対する不法行為の日である平成23年○月○○日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を,原告X3及び原告X2においては各550万円及びこれらに対する同日から各支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める。

  【被告の主張】

    否認ないし争う。

    なお,診療契約の当事者ではない原告X3は,債務不履行に基づく慰謝料請求をすることはできない。

  (10)争点⑩(原告X1に対する債務不履行責任の成否)について

  【原告らの主張】

    分娩管理に関する診療契約は,その性質に鑑み,医師に対し,母親及び胎児に対する当時の臨床医学の水準に準拠した胎児・母体管理,分娩管理及び出生後の新生児管理を行う債務を発生させるとともに,それらの債務不履行により児に後遺障害等の損害を発生させた場合には,当該債務不履行と相当因果関係のある損害の賠償請求権を直接児に取得させる旨の第三者のためにする契約を含んでいる。第三者のためにする契約においては,第三者が契約から生ずる債権を取得するのであり,その中には慰謝料を請求する権利も当然含まれている。

    原告X2は,被告との間で,原告X1の出生を条件として,同人の安全な分娩の確保等を内容とする準委任契約(第三者のためにする契約)を締結し,原告X1の出生時点で,法定代理人たる原告X3及び原告X2により,黙示に受益の意思表示をした。

    したがって,原告X1は,上記第三者のためにする契約の不履行に基づく損害賠償請求権を有し,慰謝料を含む債務不履行に基づく損害賠償を請求することができる。

  【被告の主張】

    原告らが主張する第三者のためにする契約の成立時点においては,胎児が娩出され法的主体としての児となるか不明であること,同契約によって,被告は胎児との関係では何らの権利も取得せず,極めて高額になり得る債務のみを一方的に負担する地位に置かれること,第三者である胎児は履行の請求をすることができないこと,医師が懸命に処置をして生きて娩出させた場合は児から直接損害賠償請求され得るのに対し,医師の重大な過失により死産してしまった場合には児の損害を賠償請求されることはなくなるという不合理な結果になることからすると,上記第三者のためにする契約が成立したということはできない。

    したがって,原告X1は,被告に対し,債務不履行に基づく損害賠償を請求することはできない。

  (11)争点⑪(消滅時効の成否)について

  【被告の主張】

    原告らが主張する原告X1の症状固定日である平成24年○月○○日から既に3年以上が経過しているから,原告らの不法行為に基づく損害賠償請求権は時効により消滅した(民法724条前段)。

  【原告らの主張】

    原告らは,原告X1の脳性麻痺の原因について,B医師から,「母体の体重増加著しく,軟産道が狭く,これがわざわいした可能性が考えられる」との説明を受けていたため,被告が加害者であることを知り得なかった。しかし,産科医療補償制度原因分析委員会の原因分析報告書(甲B2の1~2の3)の交付を受けて初めて,クリステレル胎児圧出法を併用した本件吸引分娩が,子宮内環境及び胎児胎盤循環を悪化させ,胎児の低酸素,酸血症をもたらしたと考えられ,出生後43分間低酸素,酸血症が持続したことが脳性麻痺の症状の増悪因子となったと推測されることなどを知った。このように,被告が加害者であることを原告らが知ったのは,原因分析報告書が完成した平成25年11月21日(甲B2の1・3頁)以降であり,少なくとも,平成25年11月21日以前に,原告らは,被告が加害者であることを知り得なかった。

    したがって,平成28年11月21日の経過までは,不法行為についても消滅時効は完成していない。

第3 争点に対する判断

 1 争点①(遷延一過性徐脈が生じる前に吸引分娩が開始されたか)について

  (1)認定事実

    前記前提事実,後掲各証拠及び弁論の全趣旨によれば,次の事実が認められ,他にこれを左右するに足りる証拠はない。

   ア 原告X2は,午前7時頃,有効陣痛が見られたにもかかわらず,その後も分娩の進行が遅く,午後8時15分頃になってようやく児頭がStation+2まで下降し,子宮口全開大となった(前提事実(2)ア(イ)~(エ))。

   イ CTG上,午後8時48分頃から午後9時15分頃までの間,基線細変動の減少が認められ,また,午後8時45分頃から午後9時18分頃の間,毎回の子宮収縮に伴い,軽度の変動一過性徐脈(VD)又は早発一過性徐脈(early deccerelation)ともとれる一過性徐脈も認められたが,その後はいずれも一旦回復した。B医師は,このような経過について,臍帯がどこかで圧迫を受けるなどして臍帯の血流が減少し,胎児に行く酸素が少なくなったことで,基線細変動の減少等が生じたのではないかと考え,厳重経過観察とし,LDRのすぐそばにあるスタッフステーションで,CTGのモニターを見ながら待機することとした。(乙A2・7頁,A3・9~16頁,証人B医師・6~11頁)

   ウ 午後9時53分頃,高度の徐脈(遷延一過性徐脈)が確認され,基線細変動も再度減少した(乙A3・16頁,A7・2頁,証人B医師・8,12頁)。B医師及びC医師は,上記イの分娩経緯から,胎児が,臍帯のどこかで高度の狭窄を来し,臍帯血流の非常に悪い状態に陥ったと考えた。そして,この状態を改善するためには,胎児を娩出する以外方法がないことから,B医師及びC医師は,すぐにLDRに駆け付け,吸引分娩を実施する準備を開始した。(乙A2・7頁,証人B医師・12~13頁)

   エ 吸引カップや吸引器をLDR又はその隣室から準備して吸引圧を確認し,内診してから,まずC医師が吸引カップを児頭に掛けようとしたが,吸引カップから膣壁を外すことができなかったため,すぐにB医師に交代した(乙A2・15頁,証人B医師・16~17,39~42頁)。B医師は,内診して児頭がStation+2以上であることを確認してから,C医師によるクリステレル胎児圧出法を併用して,牽引を実施することとした(証人B医師・43,45頁)。1回目の牽引で大きく児頭が下降し,ほぼ排臨(Station+5)の状態となり,会陰切開後,午後10時2分頃に2回目の牽引を実施したところ,発露に近い排臨の状態となった(乙A2・7,15頁,証人B医師・16~18,43頁)。

     B医師は,胎児の徐脈が続いていたため,胎児の心拍数の回復を図ろうと内診指で児頭を押し上げた。その結果,午後10時5~7分頃,一時的に心拍数が改善したように見えたものの,陣痛が来て児頭が下降したのと同時に,胎児心拍が徐脈に戻ってしまった(乙A3・17頁,証人B医師・19,47~48頁)。3回目の牽引で児頭が全く動かず,胎児心拍も徐脈から戻らなかったため,B医師は,再度内診指で児頭を挙上しようとしたが,児頭は全く動かなかった(証人B医師・18~19,48頁)。4回目又は5回目以降8回目までの牽引は,吸引カップが滑脱するなどして娩出できず(証人B医師・18,46,48~49頁),午後10時27分頃,9回目の牽引で原告X1が出生した(前提事実(2)イ(ア))。

  (2)原告らは,本件吸引分娩が開始されたのは,午後9時44分頃であり,遷延一過性徐脈が生じるよりも前であった旨主張する。

   ア 上記(1)イで認定したように,午後8時15分頃子宮口全開大となった後,CTG上,午後8時48分頃から午後9時15分頃までの間,基線細変動の減少が認められたこと,B医師が記載した診療録(乙A2・7頁)には,「基線細変動も減少し,分娩準備」との記載があること,パルトグラム(乙A2・15頁)には,21時と22時の間に「CDrカップはめるもかからず」との記載があることからすると,B医師は,午後9時30分頃,急速遂娩が必要であると判断し,吸引分娩の実施を決定したとみる余地もある。

     しかし,他方,証拠(証人B医師12~13,38~39頁)には,「午後9時53分頃,急激に胎児心拍が下降し,遷延一過性徐脈が生じたことから,吸引分娩の実施を決定したのであり,午後9時44分頃は,CTG上異常はなく,吸引分娩を実施する理由がない」旨の証言がなされている。前記(1)認定事実イで認定したように,午後8時45分頃から午後9時18分頃までの間,基線細変動の減少や一過性徐脈が生じていたものの,その後は回復していること,午後9時30分頃あるいは午後9時44分頃の胎児の心拍パターンは正常で,well beingが保たれていて(甲B1・3頁),緊急に児を娩出させる高度の必要性はなかったこと(乙B21・4頁),証拠(甲B3・121頁)によれば,分娩第2期遷延の診断基準は,初産婦では第2期所要時間が2時間以上とされていることが認められるところ,午後9時30分頃の時点では,子宮口全開大から未だ2時間を経過していなかったことからすると,上記証言は合理的なものと認められる。

     証拠(証人B医師・6,10,12頁)によれば,B医師が記載した診療録(乙A2・7頁)の「22:00頃」,「VDあるいはearly deccerelationも認められるようになった。」,「基線細変動も減少し,分娩準備の上VE(吸引分娩)及びクリステレルtry」との記載は,上記(1)認定事実イで確認された基線細変動の減少と一過性徐脈を指し,その右下方に記載されている「(児心拍80bpm位の遷延徐脈であったため)」との記載は,午後9時53分頃からの遷延一過性徐脈を指していることが認められるから,上記証言と上記診療録の記載とが矛盾しているとまではいえない。もっとも,上記診療録(乙A2・7頁)の「(児心拍80bpm位の遷延徐脈であったため)」との記載は,排臨及び娩出に関する記載の右後方に記載されており,排臨後に徐脈が生じたようにも読めるが,実際には排臨より前である午後9時53分頃から遷延一過性徐脈が生じている(乙A3・16頁)から,上記各記載の位置関係をもって,吸引分娩開始後に徐脈が生じたとまではいえない。また,証拠(乙A2・15頁)によれば,パルトグラムの記載自体から,C医師が吸引カップをかけ始めた時刻について明確に記載されているとはいえない。

     そうすると,診療録(乙A2・7頁)やパルトグラム(乙A2・15頁)の記載をもって,原告らの上記主張を認めることはできない。なお,入院診療抄録(乙A2・3頁)等には,分娩第2期遷延で軽度一過性徐脈を頻回に認めるようになり,基線細変動の減少を認めるようになったため,急速遂娩が必要と判断された旨や,排臨時に80bpmの遷延徐脈となった旨の記載があるが,これは,上記B医師の診療録(乙A2・7頁)の記載を基にして作成されたため(乙A8・3頁),同診療録の記載位置に従った経過であったかのような記載となった可能性があり,上記入院診療抄録等の記載をもって直ちに原告らの上記主張が認められるとはいえない。

   イ 次に,証拠(乙A3・15~20頁)によれば,CTG上,午後9時44分頃から陣痛曲線が正確に計測されなくなっていることが認められ,このことは,クリステレル胎児圧出法を併用した吸引分娩を実施するため,B医師らが,原告X2の陣痛ベルトを意図的に外したことによるものであるとみる余地がある。

     他方,証拠(甲B54~B57)によれば,被告病院において使用していた分娩監視装置の製造販売会社である株式会社フィリップス・ジャパンは,陣痛ベルトのトランスデューサが取り外された場合だけではなく,大きくベルトが緩んで腹壁へのトランスデューサの押付けがほとんどなくなった場合も同様の波形となること,午後9時43分頃の直前は,圧力値が20より下の状態が続いており,これは,ベルトが緩んできたり,トランスデューサがベルトから脱落することなどで発生すると回答していることが認められるところ,証拠(乙B27・2頁,証人B医師・39,67~68頁)によれば,陣痛ベルトが緩むことはしばしばあること,B医師は,陣痛曲線が計測されていなくても,厳重に観察しなければならない胎児心拍数については計測できており,午後9時53分頃までは異常もない状態であったことから,すぐさま陣痛ベルトを付け直す必要はないと考えていたことが認められる。

     そうすると,陣痛ベルトを取り外していないのにもかかわらず,陣痛曲線が正しく計測されない状態が午後9時44分頃から続くということも,生じうるところであり,午後9時44分頃からの陣痛曲線の波形をもって直ちに陣痛ベルトが意図的に取り外されたとまでは認め難い。

   ウ さらに,原告らは,吸引分娩の準備や2回の牽引等にかかる時間等を考慮すれば,午後9時53分頃に吸引分娩の実施を決定して,午後10時2分頃に2回目の牽引で排臨に至ることは,時間的に不可能である旨主張する。

     上記(1)認定事実イ・エのとおり,B医師及びC医師が待機していたスタッフステーションは,原告X2が入室していたLDRのすぐそばにあったこと,吸引カップや吸引娩出器はLDR又はその近くに備え置かれていたこと,C医師が吸引カップをかけようと試みたものの,うまく掛からなかったため,すぐにB医師に交代していることからすれば,午後9時53分頃の高度の徐脈を認めてから速やかに吸引分娩の準備等を行い,午後10時2分頃に2回目の牽引をすることが不可能であるとまではいえない。

     かえって,原告らの主張によれば,午後9時44分頃から吸引分娩を開始し,午後10時2分頃に2回目の牽引を実施したことになるが,B医師は,総牽引時間20分以内ルール(前提事実(4)ア(ア)c)があり,速やかに吸引分娩を実施しなければならないと認識していた(証人B医師・20頁)のであるから,午後9時44分頃から午後10時2分頃までの18分間に2回しか牽引していないことになり,上記原告らの主張を前提とすることは,上記証言内容に沿わないものといえる。

   エ 以上によれば,本件吸引分娩が開始されたのは午後9時44分頃で,遷延一過性徐脈が生じるよりも前であったとの上記原告らの主張を認めることはできず,前記(1)の認定判断を覆すものではない。

 2 争点②(分娩進行の停止・遅滞の原因検索等を怠った過失の有無)について

  (1)原告らは,被告病院の医師らは,原告X2の分娩進行の遅滞の原因を検索し,男性型骨盤による頭頂位,不正軸進入や,過剰な体重増加による軟産道狭小化,軟産道強靭が生じていることを確認すべきであった旨主張する。

   ア 頭頂位について

     B医師が作成した診療録(乙A2・7頁)には,「児頭の産瘤の位置からと吸引カップの瘢痕より頭頂位(反屈位)であったと推測された。」旨記載がある。

     これにつき,B医師は,「排臨・発露の状態から児頭が全く下降せず娩出できなかったことや,出産直後の児頭が産瘤に覆われていて,頭頂位の可能性が排除できなかったことから,娩出に困難を極めた理由について,頭頂位であったこと以外に考えられなかったので,このような記載をした」旨の証言をしていて(証人B医師・4,52~53頁),上記診療録の記載も「推測された」となっていることからすると,胎児の状態が客観的に頭頂位であったとは認め難く,B医師もそのような認識を有していなかったといえる。

     また,証拠(甲B11・23頁,B45,乙B20・3頁,B21・1~2頁,B27)によれば,出生後の原告X1の頭部には,左側頭部から頭頂部の端にかけて広範囲に帯状の皮下浮腫があるが,産瘤の先端は左側頭部(立位でいえば後頭部の高さ)にあり,同部分に吸引カップが掛かってできたと考えられることが認められ,このことは,胎児の後頭部が先進していたことを示している。

     加えて,証拠(乙A2・21頁,A6,B25,26,証人B医師・1~3頁)によれば,午後2時47分頃に撮影された骨盤X線画像の胎児の態勢は,屈位であり,既に骨盤の中に先進している後頭部が少し入り込み掛けている状態であったこと,そのため,さらに狭い骨盤に転出していくにつれより大きな断面である反屈位になっていくとは考え難いことが認められる。

     したがって,胎児の態勢が頭頂位であったとは認められない。

   イ 不正軸進入について

     証拠(甲B43・4~5頁)には,不正軸進入があった旨の記載があるが,上記証拠によっても,不正軸進入があったという理由は明確ではなく,上記アのとおり頭頂位でもなかったことからすると,上記証拠をもって不正軸進入があったと認めることはできない。

   ウ 軟産道狭小化及び軟産道強靭について

     分娩当時の原告X2の体重は,非妊時から15.6キログラム増加し,70.6キログラムであり(前提事実(2)ア(ア)),B医師が作成した診療録(乙A2・8頁)には,「母体の体重増加著しく,軟産道が狭く,これがわざわいした可能性が考えられる」旨の記載がある。

     原告X2の妊娠中の推奨増加体重は7~12キログラム(甲B43・3頁)とされ,15.6キログラムの体重増加は,それを超えるものではあるものの,極端に肥満とまではいえないこと(乙B20・3頁,証人B医師・32~33頁),B医師は,原告X2の産道に分娩に支障があるほどの脂肪は付いていないことを確認しており(証人B医師・16頁),パルトグラム(乙A2・15頁)にも「軟産道強靭の可能性」の項目にチェックは入っていない。

     また,証拠(証人B医師・66頁)には,B医師が診療録に上記のような記載をしたのは,児頭が排臨・発露の状態になってなお娩出されない理由がわからなかったため,考え得る原因・可能性を記載した旨の証言があり,上記診療録に「これがわざわいした可能性が考えられる」と記載されていることは,上記証言内容を裏付けるものである。

     したがって,原告X2について,軟産道狭小化や軟産道強靭が生じていたとは認められない。

  (2)以上によれば,被告病院の医師らに,原告X2の分娩遅滞の原因として,頭頂位,不正軸進入,軟産道狭小化,軟産道強靭について確認すべき注意義務があったとはいえない。

 3 争点③(吸引分娩実施前のダブルセットアップを怠った過失の有無)について

   原告らは,被告病院の医師らは,男性型骨盤による頭頂位・不正軸進入や,母体の体重増加による軟産道狭小化・軟産道強靭により,児の娩出が容易ではなく,クリステレル胎児圧出法を併用した吸引分娩では娩出が困難となって,他の急速遂娩法を実施しなければならない可能性を十分認識することができたから,ダブルセットアップをした上で,吸引分娩を実施すべきであった旨主張する。

   前記2で既に認定判断したとおり,頭頂位,不正軸進入や,軟産道狭小化・軟産道強靭が生じていたとは認められない。また,骨盤X線画像で,児頭骨盤不均衡はなく,経膣分娩可能と診断されたこと(前提事実(2)ア(ウ),乙B6・N-183頁,B20・1頁,B21・2頁)からすれば,分娩初期から分娩進行が遅延していたとしても,男性型骨盤(前提事実(2)ア(ウ))及び約15キログラムの体重増加(前提事実(2)ア(ア))をもって,吸引分娩で娩出できない可能性が高いことを事前に予見することは難しかったと認められる(実際にも,前記1(1)認定事実ア・エのとおり,子宮口全開大となった時点で児頭はStation+2まで下降していること,吸引分娩においても2回の牽引で排臨に至っていることからすれば,男性型骨盤であることが3回目以降の牽引で娩出困難となった原因であるとは認められない。)。

   そして,本件当時の被告病院においては,夜間帯に帝王切開術を行うには,その準備や麻酔科医の確保等に1時間~1時間半程の時間を要する(証人B医師・14頁)ところ,前記1で認定したとおり,午後9時53分頃に遷延一過性徐脈が確認され,早急に胎児を娩出するため,緊急に吸引分娩を実施する必要があったから,本件吸引分娩実施前にダブルセットアップをしている時間的余裕はなかったと認められる。

   したがって,被告病院の医師らに,本件吸引分娩開始前にダブルセットアップを実施すべき注意義務があったとは認められない。

 4 争点④(遷延一過性徐脈が生じた時点で吸引分娩を中止しなかった過失の有無)について

   原告らは,午後9時44分頃に本件吸引分娩が開始されたことを前提として,午後9時53分頃の遷延一過性徐脈が生じた時点で,その原因であるクリステレル胎児圧出法を併用した吸引分娩を直ちに中止すべきであった旨主張する。

   しかし,前記1で認定したとおり,午後9時53分頃の遷延一過性徐脈が生じた時点では,未だ本件吸引分娩は開始されておらず,クリステレル胎児圧出法を併用した吸引分娩によって上記遷延一過性徐脈が生じたとも認められないから,被告病院の医師らに,午後9時53分頃の時点で本件吸引分娩を中止すべき注意義務があったとは認められない。

 5 争点⑤(吸引回数5回,総牽引時間20分を超えた時点で吸引分娩を中止しなかった過失の有無)について

  (1)原告らは,クリステレル胎児圧出法を併用した吸引分娩は,吸引回数5回以内あるいは総牽引時間20分以内に娩出できない場合,速やかに別の急速遂娩法に切り替えることが不可欠であるため,被告病院の医師らは,ダブルセットアップをした上で本件吸引分娩を開始し,吸引回数5回,総牽引時間20分を超えた時点で本件吸引分娩を中止し,帝王切開術に切り替えるべきであった旨主張する。

  (2)ア ガイドライン2008(前提事実(4)ア(ア)c)及びガイドライン2017(乙B16・259頁)は,吸引分娩における総牽引時間が20分又は総牽引回数5回を超える場合は,鉗子分娩や帝王切開術を行う旨規定しており,原告らが指摘する他の文献においても,牽引時間や牽引回数に関する指摘がされている。

     しかし,ガイドライン2017(乙B16・262頁)においても,吸引分娩を行った場合の総牽引の制限時間や回数,滑脱の許容範囲についてのエビデンスは明確ではないとされている。また,ガイドライン2017(乙B16・262頁)は,①総牽引時間は20分以内としたことについて,初回カップ装着から分娩までの所要時間,あるいは初回カップ装着から複数回吸引手技終了までの時間(総牽引時間)が30分を超えると,児の頭蓋内出血危険性が指数関数的に増加すること,急速遂娩述の実施時間は,十分な根拠に基づくものではないが,一般的に15~30分程度が妥当であるとされていること,フランス産婦人科学会のガイドラインでは,20分を超えて吸引分娩をすべきではないとされていることをあげ,②吸引回数について,88~96パーセントが3回以下の牽引で娩出,76パーセントが4回以下の牽引,2回未満の滑脱回数で娩出しているとの報告があること,フランス産婦人科学会のガイドラインでは,吸引手技が3回を超えた場合には,その後の吸引分娩は失敗に終わることを認識し,吸引分娩を断念すべきであるとされていることから,20分以内であっても,吸引手技は5回(滑脱回数を含める)としたとされ,③1~2回の実施で児頭の下降がみられるなど,5回以内で娩出できると判断された場合に限って施行し,児頭の下降があり,5回以内で娩出可能と判断して継続した結果,5回を超えた場合には,施行時の状況について診療録に詳細に記載するとされている。

     このようなガイドラインの記載内容からすると,そこで示された基準は絶対的なものであるとはいえず,ガイドライン2008の推奨レベルがCであったこと(前提事実(4)ア(ア)c,乙B9・Ⅶ頁)も考慮すると,上記各ガイドラインによっても,本件当時,吸引回数5回あるいは総牽引時間20分を超えた場合は,必ず吸引分娩を中止すべきであったということはできない。

   イ 前記1及び3で認定判断したとおり,本件吸引分娩は,午後9時53分頃,胎児に高度の徐脈が生じたことを契機として,胎児を早急に娩出するため緊急に実施されることになったものであり,その際吸引分娩に難渋すると予見することはできなかったところ,2回の牽引で児頭が大きく下降し,発露に近い排臨に至ったのであるから,5回以内の牽引で娩出可能と判断して吸引分娩を続行したことは合理的であったと認められる。

     また,吸引回数5回又は総牽引時間20分を超えた時点においても,夜間であり帝王切開術に切り替える準備に1時間~1時間半程度かかるため(本件吸引分娩開始前にダブルセットアップをすべき義務がなかったことは,前記2で判断したとおりである。),その間に胎児が死亡することが予測されたこと(証人B医師・14頁),既に排臨・発露の状態に至っていたこと(前記1(1)認定事実エ),この時点で帝王切開術を実施するためには胎児を子宮内に押し戻す必要があるがそれは困難であったこと(乙B21・5頁)から,帝王切開術に切り替えるよりも吸引分娩を続行したほうがより早期に胎児を娩出できると考え,これを続行したことは合理的であったと認められる。

  (3)以上によれば,被告病院の医師らが,吸引回数5回,総牽引時間20分を超えた時点で本件吸引分娩を中止し,帝王切開術に切り替えるべきであったとは認められず,本件吸引分娩を中止しなかったことに過失はない。

 6 争点⑥(小児科医への連絡を遅延するなどして適時適切な蘇生を懈怠した過失の有無)について

  (1)原告らは,アルゴリズムに従い,原告X1に対し,より早期に気管挿管やメイロンなどの薬物投与をすべきであったにもかかわらず,B医師はバッグ・マスクに拘泥し,適時に適切な蘇生措置をしなかった旨主張する。

    原告X1の出生時の心拍数は100/分以上であった(前提事実(2)イ(イ))ところ,アルゴリズム(甲B16・84~85頁)によっても,気管挿管の適応は,バッグ・マスクを30秒間行ってもまだ心拍数が100/分以上に回復しない場合や,人工呼吸だけでなく胸骨圧迫も必要な状態が長時間続く場合,数分間のバッグ・マスクが無効な場合などとされており,心拍数が100/分以上の場合は,直ちに気管挿管や薬物投与をするとはされていない。B医師は,バッグ・マスクによって,原告X1の胸郭が順調に挙上し,聴診器で全肺野の空気の入りが良好で,呼吸音が聞こえていたことから,バッグ・マスクが有効に行われていることを確認しており(乙A4・8頁,A5・11頁,証人B医師・22頁),気管挿管をせずにSpO2が80~90パーセントまで回復していること(乙A4・8頁)からすれば,バッグ・マスクによって酸素化できていたと認められる。

    また,メイロンについては,出生直後は原則として投与しないとされており(甲B39・14頁),新生児に高濃度液を投与すると頭蓋内出血を起こす危険性があるため,血液検査の値を見てからこれを投与するか判断しようとB医師が考えたこと(乙B24,証人B医師・59頁)は合理的である。そして,D医師においても,LDRに到着後すぐに気管挿管やメイロンの投与をしているわけではないこと(前提事実(2)イ(ウ))をも考慮すれば,B医師の蘇生措置が医療水準を逸脱した不適切なものであったということはできない。

    したがって,より早期に気管挿管やメイロンなどの薬物投与をすべきであったとは認められず,B医師の蘇生措置に過失はない。

  (2)原告らは,遅くとも午後10時3~4分頃までには,新生児蘇生法に習熟した小児科医(2名以上)に連絡をし,原告X1の出生に立ち会えるようにしておくべきであった旨主張する。

    しかし,B医師は,本件当時,日本周産期・新生児医学会認定新生児蘇生法(NCPR)専門コースインストラクターの資格を有しており,産科医として経験年数25年目で,その間新生児蘇生の経験が20件以上あったこと(乙B4,B5,証人B医師・63頁),C医師が母体対応をするため新生児の対応に専念できる状況であったこと(乙A7・3頁,A8・2頁,B21・6頁),上記(1)で認定判断したとおり,B医師は適切な蘇生措置ができたこと,当時,被告病院において,夜間に新生児蘇生法に習熟した小児科医(2名以上)を待機させておくことが可能であったと認めるに足りる証拠はないことからすれば,被告病院の医師らが,午後10時3~4分頃までに,小児科医へ連絡をしなかったことについて,過失があるとはいえない。

 7 争点⑦(説明義務違反の有無)について

   原告らは,被告病院の医師らには,本件吸引分娩を実施するに当たり,遅くとも午後9時44分頃までには,吸引分娩によって娩出が難渋する可能性,そのため帝王切開術に移行すべき事態となっても,被告病院は速やかに帝王切開術に移行できない体制であり,娩出が完了するまで長時間,複数回クリステレル胎児圧出法を併用した吸引分娩を継続することになること,並びに,クリステレル胎児圧出法を併用した吸引分娩そのものの危険性などについて説明する義務があった旨主張する。

   前記1で認定したとおり,本件吸引分娩は,午後9時53分頃に高度の徐脈が生じたため緊急に実施することとなったものであって,午後9時44分頃には未だ実施が決定されていなかったのであるから,同時点で原告らが主張するような説明をすべき義務はない。

   また,本件吸引分娩の開始時点においても,早急に胎児を娩出する必要があったため,詳細な説明をしている時間的余裕はなく,吸引分娩より早期に胎児を娩出させる方法はなく(証人B医師・20頁),前記3で認定判断したとおり,吸引分娩が難渋することを予見することも困難であった。

   したがって,被告病院の医師らに,原告らが主張するような説明をすべき義務は認められない。

 8 以上,被告病院の医師らについて,原告らが主張する過失を認めることはできず,その余の点を判断するまでもなく,原告らは,被告に対し,債務不履行ないし不法行為に基づく損害賠償を請求することはできない。

第4 結論

   よって,原告らの請求はいずれも理由がないのでこれらを棄却することとし,主文のとおり判決する。

    名古屋地方裁判所民事第4部

        裁判長裁判官  末吉幹和

           裁判官  松田敦子

           裁判官  西ヶ谷恵

 

(別紙1)損害一覧

第1 基礎事情

 誕生日    平成23年○月○○日

 症状固定時期 平成24年○月○○日(1歳)

 就労可能年齢 22歳

 症状固定時期から就労可能年数までの年数  21年

 21年に対応するライプニッツ係数  12.8212・・・①

 就労終了年齢  67歳

 症状固定時期から就労終了までの年数 66年

 66年に対応するライプニッツ係数  19.2010・・・②

 逸失利益の算定に適応すべき係数    6.3798・・・③

 平成24年賃金センサス(大学・大学院卒男子)  648万7100円・・・④

 提訴年月日  平成28年7月27日(5歳時点)

第2 介護等に関する基礎事情

 1歳男子の平均余命(平成24年簡易生命表)  79.98年

 80年に対応するライプニッツ係数  19.5965・・・⑤

 出産時点の母親年齢  34歳

 提訴時点の母親年齢  39歳

 6歳~20歳までの15年に対応するライプニッツ係数  10.3797・・・⑥

 家族介護日額単価  1万円・・・⑦

 家族介護年額  365万円・・・⑧

 提訴時点から母67歳までの28年に対応するライプニッツ係数  14.8981・・・⑨

 家族介護・職業介護併用日額単価  1万6000円・・・⑩

 家族介護・職業介護併用年額  584万円・・・⑪

 職業介護日額単価  2万4000円・・・⑫

 職業介護年額  876万円・・・⑬

第3 入通院に関する基礎事情(別紙2 参照)

 症状固定時点までの入院日数  155日・・・⑭

 提訴時点までの総入院日数   252日・・・⑮

   A病院           45日

   E病院          140日

   F             67日

 提訴時点までの実通院日数   577日・・・⑯

   F             66日

   G            509日

   H病院            2日

 提訴時点までの5年に対応するライプニッツ係数  4.3295・・・⑰

 症状固定時期までの入通院交通費合計額  54万4150円・・・⑱

第4 個別の損害費目

 1 後遺症逸失利益

    4138万6400円

    計算根拠  ④×③×1.0

 2 後遺症慰謝料

    3000万円

 3 付添介護費

  1)提訴時点まで(家族介護・5年間)

    1825万円

    計算根拠  ⑧×5

  2)6歳~20歳まで(家族介護)

    3788万5905円

    計算根拠  ⑧×⑥

  3)子21歳~母67歳まで(家族介護・職業介護折衷)

    2638万7456円

    計算根拠  ⑪×(⑨-⑥)

  4)母68歳~子80歳まで(職業介護)

    4115万7984円

    計算根拠  ⑬×(⑤-⑨)

4 医療費

 1)5歳まで(提訴時点での既発生分)

   80万6942円

 2)6才以降の医療費

   133万8217円

   計算根拠  (5歳までの医療費-症状固定時点までの医療費)÷4×(⑤-⑰)

      =(806,942-456,325)÷4×15.267

      =1,338,217

5 入通院慰謝料

   145万円(入院3月)

6 入院雑費

 1)5歳(提訴時点)まで

   40万3200円

   計算根拠  1600円×⑮

 2)6歳以降

   59万2359円

   計算根拠 (5歳時までの総入院日数-症状固定時点までの入院日数)÷4×1600×(⑤-⑰)

        =97÷4×1600×15.267

        =592,359

7 入通院交通費(別紙2 参照)

  旧自宅  あま市(以下略)(平成27年2月4日以前)

  現自宅  名古屋市(以下略)(平成27年2月5日以降)

  ガソリン代  1kmあたり20円で計算

  旧自宅~E病院間  往復400円

  旧自宅~F  往復56km 高速料金1790円

  千種~高蔵寺~F間  往復1340円

  旧自宅~G  往復15km

  新自宅~G  往復15km

  旧自宅~H病院  往復60km、高速料金1220円

  新自宅~H病院  往復25km、高速料金2560円

 1)5歳(提訴時点)まで

   54万4150円

 2)6歳以降

   161万4523円

   計算根拠  (5歳までの合計額-症状固定時点までの合計額)÷4×(⑤-⑰)=423,010÷4×15.267=1,614,523

8 オムツ等衛生品・消耗品費

 1)5歳(提訴時点)まで

   91万2500円

   計算根拠  日額500(円)×365(日)×5(年)

 2)6歳以降

   278万6227円

   計算根拠  500×365×(⑤-⑰)

9 補装具等物品費

 1)5歳(提訴時点)まで

   32万7221円

   (ただし、本年度中に購入が確実なバギー費用及び立位装置費用の自己負担分4万円を含む)

 2)6歳以降

   68万0654円

   計算根拠 (5歳時までの合計額-症状固定時点までの合計額)からバギー代及び立位装置費用を控除した金額÷4×(⑤-⑰)

        =(327,221-130,179-40,000)÷4×15.267=599,390

        バギー代及び立位装置費用  4万円×耐用年数8年で交換した場合の80歳までのライプニッツ係数の合計(2.0316)=81,264

10 自宅改造費

   687万6360円

11 リフト

   577万9043円

   (内訳)

    リフト代 150万円

         427万9043円

    計算根拠 150万円×耐用年数6年で交換した場合の80歳までのライプニッツ係数の合計(2.85269582)

12 車両購入費、車両改造費

 1)車両購入費

   421万4076円(車いす仕様タイプ エスクァイア)

 2)将来の車両購入費

   615万1325円

   計算根拠  400万円×耐用年数10年で交換した場合の80歳までのライプニッツ係数の合計(1.53783128)

 3)将来の車両改造費

   233万7427円

   計算根拠  改造費81万9375円×耐用年数6年で交換した場合の80歳までのライプニッツ係数の合計(2.85269582)

13 弁護士費用

   2300万円

総合計  2億5488万1969円

 

 



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