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膀胱内視鏡検査ができる医療機関を紹介しなかった為、膀胱がんの発見の機会をうしなわせ、ストマになったとして損害賠償請求を求めたが、認められなかった事例

大阪地裁 平成30年(ワ)第4928号

判決日 令和2年6月24日

 

       主   文

 

 1 原告の請求を棄却する。

 2 訴訟費用は,原告の負担とする。

 

       事実及び理由

 

第1 請求

 1 被告は,原告に対し,2016万5697円及びこれに対する平成29年4月26日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

 2 訴訟費用は,被告の負担とする。

第2 事案の概要

   本件は,原告において,被告は,平成26年10月7日から,自らが開設しているA泌尿器科クリニック(以下「被告クリニック」という。)において原告を診察してきたところ,平成27年3月31日に原告から排尿時痛と頻尿の訴えを受け,その後平成28年7月14日まで治療を続けたが同月1日まで膀胱炎様症状が繰り返し再発した末,同月1日には血尿(無症候性肉眼的血尿,顕微鏡的血尿)及び膀胱刺激症状(頻尿,排尿時痛,残尿感等)が現れ,同月14日に至るも改善しなかったのであるから,遅くとも同日の時点で,尿細胞診又は膀胱内視鏡検査を自ら行うか,又はそのような検査が可能な医療機関を紹介すべき注意義務があるのにこれを怠った過失により,前同日時点での膀胱癌の発見の機会を失わせ,これにより,原告をして,その後さらに進行した状態における膀胱癌の切除術等に伴い,永久的にストマを要する膀胱及び直腸の各機能障害の後遺障害を負わせ,もって,治療費等,カルテ及びフィルムのコピー代,逸失利益,後遺障害慰謝料並びに弁護士費用の合計2016万5697円の損害を被らせ,仮にそうでないとしても,適切な医療行為を受ける期待権を侵害し,精神的苦痛を被らせたと主張して,被告に対し,診療契約の債務不履行又は不法行為に基づく損害賠償請求権として,前同額及びこれに対する平成29年4月26日から支払済みまで平成29年6月2日法律第44号による改正前の民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。

 1 前提事実(争いのない事実又は後掲の証拠により容易に認定できる事実)

  (1)当事者

   ア 原告は,昭和15年○月○日生の男性であり,以前から,芳香剤のゲル等を製造する株式会社Bの代表者を務めている者である(甲C7,乙A1〔1頁〕,弁論の全趣旨)。

   イ 被告は,被告クリニックを個人で開設し,院長として診療を行っている医師である(争いがない,弁論の全趣旨)。

  (2)診療経過

   ア 原告は,かねてから,糖尿病,脂質異常症,高血圧症,両側頸動脈硬化症の各既往症を患い,医療法人Cクリニックに通院し,D医師(以下「D医師」という。)の診療を受けていた。

     そうしたところ,D医師は,平成26年10月頃,原告から頻尿等の訴えを受けて,フリバスOD錠を処方していたが,症状の改善が見られなかったため,同月6日付けで,前立腺肥大症と過活動膀胱ではないかとの意見を添えて,被告に原告を紹介した。

    (以上につき,乙A1〔29頁〕)

   イ 上記アの紹介を受けた原告は,平成26年10月7日,被告クリニックを初めて受診し,被告の診察を受けた。

     その際,原告は,被告に対し,2年前からトイレが近く安定しない,尿の回数が多い,陰部の不快感があることを訴えた。この日の尿検査では,潜血は認められなかった。被告は,原告に対し,前立腺肥大症治療薬であるタムスロシンOD錠(以下「タムスロシン」という。)14日分,セルニルトン錠(前立腺炎周辺症状の治療薬)7日分及びトスフロキサシン(抗菌薬)3日分をそれぞれ処方した。

    (以上につき,争いがない,乙A1〔4頁〕,弁論の全趣旨)

   ウ その後,原告は,次のとおり被告クリニックを受診して,被告の診察を受けた(争いがある旨が付記されていない事実については争いがない,乙A1,弁論の全趣旨)。

    (ア)平成26年10月20日

      原告は,被告に対し,症状がだいぶ楽になった旨を述べた。この日の尿検査では,潜血(+)であった。被告は,被告に対し,タムスロシンだけを28日分処方した。

    (イ)同年12月2日

      この日は尿検査は行われず,タムスロシン42日分が処方されたのみであった。

    (ウ)平成27年1月15日

      原告は,少し残尿感がある旨訴えた。この日の尿検査では,潜血は認められず,タムスロシン42日分が処方されたのみであった。

    (エ)同年3月31日

      原告は,頻尿がある旨訴えた。この日の尿検査では潜血(++)に加え,白血球が10ないし20/hpf,バクテリア少数が認められた。被告は,採取した尿の培養検査を外注する一方,原告に対し,タムスロシン42日分のほか,スオード(抗菌薬)5日分等を処方した。

      被告は,翌月4日頃,上記培養検査の結果,ストレプトコッカスが同定された旨の報告に接した。

      (この日の原告の主訴の内容については,争いがある。)

    (オ)同年5月15日

      この日の尿検査では,潜血(+)であった。被告は,原告に対し,タムスロシン42日分だけ処方した。

    (カ)同年9月7日

      原告は,夜間頻尿や膀胱刺激症状があることを訴えた。この日の尿検査では,潜血は認められなかった。被告は,原告に対し,タムスロシンを42日分,スオードを5日分など処方した。

    (キ)同年10月16日及び11月27日

      これらの受診日には尿検査は行われず,前者にあってはタムスロシン42日分が,後者にあってはタムスロシン56日分が,それぞれ処方されたのみであった。

    (ク)同年12月22日

      この日の尿検査では,潜血(+)に加え,白血球5ないし10/hpf,少数のバクテリアが認められた。被告は,原告に対し,グレースビット(抗菌薬)5日分等を処方した(その際,原告が,排尿時痛を訴えたかどうかについては争いがある。)。

    (ケ)平成28年1月19日

      この日の尿検査では,潜血は認められなかった。被告はそのまま様子を見ることとし,原告に対し,タムスロシン56日分とベタニス(頻尿治療薬)56日分を処方した。

    (コ)同年3月11日及び5月6日

      これらの日には尿検査は行われず,いずれにあっても,タムスロシン及びベタニスがそれぞれ56日分処方されたのみであった。

   エ 原告は,同年7月1日,被告クリニックを受診して被告の診察を受けた。

     この日の尿検査では,潜血(+)のほか,白血球が0ないし1/hpf,少数のバクテリアが認められた。被告は,採取した尿の培養検査を外注する一方,原告に対し,ユリーフ56日分及びスオード(抗菌薬)5日分を処方した。

     被告は,同月6日頃,上記培養検査の結果,ストレプトコッカスが同定されたとの報告に接した。

    (以上につき,争いがない,乙A1〔8,23頁〕。ただし,この日の原告の主訴の内容については,当事者間に争いがある。)

   オ 原告は,同月4日,被告クリニックを受診して被告の診察を受けた。

     この日の尿検査では,潜血(++)に加え,白血球が50ないし70/hpf,少数のバクテリアが認められた。被告は,原告に対し,セフカペンピボキシル(抗菌薬)を5日分,フラボキサートを5日分及びツムラ猪苓湯を2日分,それぞれ処方した。

    (以上につき,争いがない,乙A1〔9頁〕,弁論の全趣旨。ただし,この日の原告の主訴の内容については,当事者間に争いがある。)

   カ 原告は,同月14日,被告クリニックを受診して被告の診察を受けた。

     この日の検査では,潜血(+)のほか,白血球が1/hpf,少数のバクテリアが認められた。被告は,原告に対し,トスフロキサシン(抗菌薬)5日分及びフラボキサート5日分をそれぞれ処方した。

    (以上につき,争いがない,乙A1。ただし,この日の原告の主訴の内容については,当事者間に争いがある。)

   キ さらに,その後,原告は,平成28年8月29日から平成29年4月18日まで,原告は,21回にわたり,被告クリニックを受診し,被告の診察を受けた。(争いがない,乙A1)。

   ク 原告は,平成29年4月18日付けで,被告からE病院(以下「E病院」という。)宛ての紹介状を得て,同月25日,同病院泌尿器科を受診し,F医師(以下「F医師」という。)の診察を受けた。

     F医師は,同日に行った膀胱内視鏡検査の結果,右三角部から側壁にかけて腫瘍(一部CIS様)を認めた。また,尿細胞診の結果はclass5であった。

     さらに,原告は,同月28日にMRI検査を,同年5月2日にCT検査を,それぞれ受検し,筋層浸潤性膀胱癌(cT3bN0M0)を疑われ,同月16日に同病院に入院し,翌17日に経尿道的膀胱腫瘍切除術を受けた。病理組織診断の結果は,Invasive urothelial carcinoma,high grade,G3>G2,pT2,INF b,Ly1,v1であった。

    (以上につき,甲A2,3,5,7)

   ケ 上記クの病理組織診断の結果に基づき,原告は,同年10月16日,E病院において,開腹膀胱前立腺尿道摘除術及び回腸導管造設術を受け,永久的にストマを要する状態となった(甲A4,7)。

   コ 同月26日,原告は,膀胱機能障害により,身体障害者等級4級と認定された(甲C6)。

  (3)医学的知見

   ア 日本泌尿器科学会が編集した「2015年版 膀胱癌診療ガイドライン」(以下「本件ガイドライン」という。)には,次のとおり記載されている(甲B1)。

    (ア)膀胱癌が発見される契機となる主な臨床症状は,血尿(無症候性肉眼的血尿,顕微鏡的血尿),膀胱刺激症状(頻尿,排尿時痛,残尿感等)である。特に,無症候性肉眼的血尿は,最も頻度の高い症状であり,過去の報告では同症状を主訴とする患者の13ないし28%が膀胱癌と診断されている。一方で,顕微鏡的血尿の背景疾患としての膀胱癌の頻度は高いものではないとの報告があるものの,膀胱癌は高齢者に好発する悪性腫瘍であり,50歳以上での顕微鏡的血尿症例における膀胱癌の頻度は,若年の症例群に比較して有意に高いとする報告があり,注意を要する。

      また,膀胱刺激症状は,膀胱癌症例の約3分の1で認められるとされており,治療に難渋する膀胱炎様症状を有する患者を診た場合,膀胱癌を鑑別診断に挙げる必要がある。

    (イ)膀胱癌の確定診断は,膀胱鏡検査(膀胱鏡を尿道より挿入し,膀胱,尿道を調べる検査。膀胱鏡とは光源と観察のためのレンズを有した細長い,管状の器具。膀胱鏡検査は,男性の場合,尿道粘膜麻酔で行われるが,仙骨部硬膜外麻酔や腰椎麻酔が用いられることもある。甲B2〔30頁〕,B3〔291頁〕)や経腹的超音波検査により腫瘍を確認し,経尿道的膀胱腫瘍切除術により採取した腫瘍組織を病理学的に確認することで確定診断される。

      膀胱鏡検査により腫瘍の肉眼的形態を確認することは,以後の診断治療計画を決定するうえで重要な情報をもたらす。膀胱鏡検査は,膀胱癌診断のgold standardであって,膀胱癌を疑う症状を示すすべての患者において推奨され,初期診断において不可欠な検査法と位置付けられる。

    (ウ)一方,尿細胞診検査は,尿中に排出される尿路上皮剥離細胞の異型度を病理学的に診断する方法であって,侵襲性がないという利点があるものの,その感度は40ないし60%と決して高くはない。

    (エ)膀胱癌の存在が確認されれば,引き続き,病期診断等が必要となる。治療方針決定の為に原発巣の膀胱壁内深達度の評価(T staging),リンパ節転移有無の評価(N staging)及び遠隔転移の有無の評価(M staging)を行う。病期分類としては,UICCによるTNM悪性腫瘍の分類が使用されており,本邦でも,「腎盂・尿管・膀胱癌取扱い規約第1版」においてこれと同じ病期分類を採用している。

   イ 上記ア(エ)のTNM分類によれば,「T3b」は,膀胱周囲組織までの肉眼的浸潤を,「N0M0」は,リンパ節及び遠隔への各転移が認められないものを指す。

     そして,癌の進展や,患者の予後を評価するために行われるステージ分類によれば,TNM分類で「T3bN0M0」の癌は,「ステージⅢ」に位置付けられる。一方,「ステージ0a」には非浸潤性乳頭状癌(粘膜上皮に限局している腫瘍)が,「ステージ0is」には上皮内癌(粘膜上皮に限局しているが悪性度が高い腫瘍)が,「ステージⅠ」には粘膜固有層まで浸潤している腫瘍が,「ステージⅡ」には筋層まで浸潤している腫瘍が,それぞれ位置づけられる。

    (以上につき,甲B2〔12,13頁〕)

   ウ また,別の文献によれば,膀胱癌の症状について,次の知見が指摘されている。もっとも,血尿,頻尿,排尿痛等の諸症状は,膀胱癌だけにみられるものではなく,尿路感染症,腎結石,前立腺肥大症等の疾患でも見られる。

    (ア)血尿

      約85%の症例で無症候性肉眼的血尿を認める。顕微鏡的血尿を含めると膀胱腫瘍患者のほぼ全例において血尿が認められる。血尿は間欠的であるため,50歳以上で一度でも肉眼的な血尿を来した場合は,来院時の尿検査にて血尿が認められなくても膀胱鏡検査は施行した方がよい。

    (イ)膀胱刺激症状

      膀胱炎の合併や膀胱癌の膀胱壁内浸潤によって,頻尿や排尿痛など膀胱刺激症状がみられる。膿尿がないのに膀胱炎症状が続くときは,尿細胞診を施行することを怠ってはならない。

    (以上につき,甲B2〔10頁〕,B3〔290頁〕)

 2 本件の争点及び争点をめぐる当事者の主張

  (1)争点(1)(被告が平成28年7月14日の時点で尿細胞診又は膀胱内視鏡検査を自ら行うか,そのような検査が可能な医療機関を紹介すべき注意義務を負っていたと認められるか)について

  (原告の主張)

   ア 膀胱癌が発見される契機となる主な臨床症状は,血尿(無症候性肉眼的血尿,顕微鏡的血尿),膀胱刺激症状(頻尿,排尿時痛,残尿感等)であり,特に,無症候性肉眼的血尿においては,同症状を主訴とする患者の13%から28%が膀胱癌と診断されたという知見があり,治療に難渋する膀胱炎様症状を有する患者を診た場合,膀胱癌を鑑別診断に挙げる必要があるとされている。

     治療に難渋する膀胱炎様症状とは,通常,膀胱炎は,抗生物質等の投与により,2日から3日で症状が改善するところ,なかなか薬が効かない,又は,いったん改善しても繰り返し再発する膀胱炎様症状(頻尿,肺病時痛,残尿感,血尿)をいう。

     したがって,血尿(無症候性肉眼的血尿,顕微鏡的血尿),膀胱刺激症状(頻尿,排尿時痛,残尿感等)の症状があり,抗生物質等の投与を行っても,なかなか薬が効かない,又は,いったん改善しても繰り返し再発する膀胱炎様症状がある場合,医師は,膀胱癌を鑑別診断に挙げる必要があり,尿細胞診又は膀胱内視鏡検査を自ら行い,又は,そのような検査が可能な医療機関を紹介すべき注意義務を負う。

   イ 原告は,平成27年3月31日から平成28年7月14日に至るまで,以下のとおり,被告クリニックを受診したが,症状が改善しなかった。

    (ア)平成27年3月31日,原告は,排尿時痛と頻尿を訴え,尿潜血も認められ,抗菌薬(スオード)の投薬を受けた。

    (イ)同年5月15日,尿潜血が認められた。

    (ウ)同年9月7日,原告は,夜間頻尿を訴え,抗菌薬(スオード)の投薬を受けた。

    (エ)同年12月22日,原告は,排尿時痛を訴え,尿潜血が認められ,抗菌薬(グレースビット)の投薬を受けた。

    (オ)平成28年7月1日,原告は,排尿時痛と残尿感,肉眼的血尿を訴え,尿潜血も認められ,抗菌薬(スオード)の投薬を受けた。

    (カ)同月4日,原告は,排尿時痛と残尿感,肉眼的血尿を訴え,尿潜血も認められ,抗生物質(セフカペンピボシキル)の投薬を受けた。

    (キ)同月14日,原告は,なおも排尿時痛と残尿感,肉眼的血尿を訴え,尿潜血が認められ,抗菌薬(トスフロキサシン)の投与を受けた。

   ウ 上記イの経過からすれば,遅くとも,平成28年7月14日までに,原告は,抗菌薬を繰り返し処方されたのに,膀胱炎様症状が改善しないか,又は何度も再発していたといえるから,被告は,遅くとも,前同日の時点では,原告に対して尿細胞診又は膀胱内視鏡検査を行うか,そのような検査が可能な医療機関を紹介すべき注意義務を負うに至ったというべきである。

  (被告の主張)

   ア 血尿,排尿時痛等は,膀胱癌に特異的な症状ではないため,どの時点で,鑑別診断を要するかについては,当該患者の基礎疾患等の背景も踏まえて,主治医が適切に判断する必要がある。

   イ 原告は,基礎疾患として2型糖尿病を患っており,尿路感染症その他の周辺症状を容易に発症する状態であって,平成26年10月,平成27年3月,同年9月に発症した感染症は,上記基礎疾患の存在によって容易に発症する尿路感染症その他の周辺症状と考えても矛盾しないし,抗菌薬の投与によりその都度症状が改善しているのであるから,膀胱癌の鑑別を要するとまではいえない。

   ウ また,原告は,平成28年7月1日及び同月4日の時点では,肉眼的血尿は認められていないし,前同日には細菌少数が認められ,尿沈渣において白血球が50/hpfから70/hpfであったものの,前同日に同月1日に処方したのとは別の抗生物質を投与したところ,同月14日には膀胱炎の改善を認められている。

   エ 上記イ,ウによれば,原告の一連の症状が尿路感染や膀胱炎によるものと考えても問題はなく,膀胱癌の鑑別診断を要するとまではいえない。

     したがって,被告が原告の主張するような内容の注意義務を負っていたとはいえない。

  (2)争点(2)(相当因果関係)について

  (原告の主張)

   ア 膀胱癌は,発症からステージⅠ,Ⅱを経て,ステージⅢに進行するまでに,通常,1年程度の期間が必要である。

   イ 原告の膀胱癌は,平成29年5月2日の時点で,ステージⅢであったから,原告の膀胱癌は,遅くともその1年前である平成28年5月2日頃には発症し,発症から2か月程度経過した同年7月時点においては,ステージ0a,ステージ0is又はステージⅠの段階にあった蓋然性が高い。

     そうすると,同年7月14日の時点で膀胱癌の鑑別検査がされていれば,原告への治療は,限局した癌を取り除くだけで済み,膀胱摘除まで要することはなかった蓋然性が高い。

     したがって,被告の上記(1)の注意義務違反と開腹膀胱前立腺尿道摘除術及び回腸導管造設術を受け,その結果ストマを要する膀胱及び直腸の機能障害を負ったことによる原告の損害との間には,相当因果関係がある。

  (被告の主張)

   ア 原告の主張欄アの内容について,そのような医学的知見は存在しない。

   イ 仮に,原告が主張するように,平成28年7月の時点で膀胱癌が存在し進行中であったならば,同時点以降も,継続して尿潜血が認められなければならないのに,原告は,平成28年7月4日に尿潜血が認められたものの,同年8月29日及び同年10月3日には尿潜血は認められていない。

     また,原告は,膀胱上皮内癌を伴っていることから,これが急速に進行した可能性もある。

   ウ 以上より,平成28年7月の時点で膀胱癌があったという医学的根拠はなく,平成28年7月より後の時点で,膀胱癌が発生した可能性も否定できないから,被告の上記(1)の注意義務違反と原告が主張する結果との間に相当因果関係は認められない。

  (3)争点(3)(重大な後遺症が残らなかった相当程度の可能性及び期待権侵害を理由とする損害賠償請求(予備的主張))について

  (原告の主張)

   ア 仮に,高度の蓋然性が認められなかったとしても,膀胱癌の準行については,上記(2)原告の主張欄アのとおりであるから,平成28年7月14日の時点で,被告が上記(1)の注意義務を果たしていれば,原告の治療は限局した癌を取り除くだけで済み,膀胱摘除までは必要でなかった相当程度の可能性が認められる。

     そうであれば,被告の上記(1)の注意義務違反により,原告は,ストマを要する膀胱及び直腸の機能障害により,後遺障害を負うには至らなかった相当程度の可能性を侵害されたものというべきである。

   イ 被告は,上記(1)のとおり注意義務を負っていたところ,原告は,平成26年10月7日から平成29年4月18日までの2年6か月にわたり,38回継続的に通院受診してきたこと,尿細胞診は侵襲性は皆無で,検査費用も安価であり,かつ,外部の検査機関に依頼することもできる極めて容易な検査であったこと,膀胱内視鏡検査についてもE病院などの他の医療機関に紹介すること自体は容易であったこと,以上の事情に照らすと,被告が上記(1)の注意義務に違反して,膀胱癌の鑑別検査を行わず,また,他院への紹介も行わなかったことは,被告が著しく不適切な医療を行ったものというべきである。

     したがって,被告は,期待権侵害に基づく損害を賠償する責任を負う。

  (被告の主張)

   ア 被告に,原告が主張するような注意義務違反がないことは,上記(1)被告の主張欄のとおりである。

   イ また,上記(2)被告の主張欄のとおり,原告について,平成28年7月の時点で既に膀胱癌が存在したという医学的根拠はないから,上記時期に被告が膀胱癌の鑑別検査をし,又は他院への紹介をしていれば,膀胱癌摘除に伴う後遺障害を生じなかった相当程度の可能性があるということもできない。

  (4)争点(4)(損害及びその額)について

  (原告の主張)

   ア 積極損害

    (ア)治療費等 50万4966円

      平成29年4月28日から平成30年2月27日までの間,原告がE病院に入通院したことにより要した治療費等である。

    (イ)カルテ,フィルムのコピー代 3万5540円

      原告がE病院に依頼したカルテやフィルムのコピー代である。

   イ 逸失利益 205万1946円

     上記(1)の注意義務違反と相当因果関係のある逸失利益は,60万円(株式会社Bからの業務委託契約に基づく報酬月額5万円×12か月)×79%(後遺障害等級5級相当の労働能力喪失率)×4.329(労働能力喪失期間5年に相当するライプニッツ係数)=205万1946円である。

   ウ 後遺障害慰謝料 1574万円

     後遺障害等級5級相当の慰謝料である。

   エ 弁護士費用 183万3245円

   オ 合計 2016万5697円

  (被告の主張)

   不知ないし否認。

第3 当裁判所の判断

 1 争点(1)について

  (1)ア 血尿が,膀胱癌発見の契機となる主な臨床症状の一つであることは,本件ガイドラインをはじめ,一般的に指摘されており,特に肉眼的血尿については,一般的に,膀胱癌の約85%の症例において認められるとか,50歳以上で一度でも肉眼的な血尿を来した場合は,来院時の尿検査にて血尿が認められなくても膀胱鏡検査を施行した方がよい旨の指摘もある(前提事実(3)ア(ア),ウ(ア))。

     そうであれば,特に,原告において,平成28年7月1日,同月4日及び同月14日の各診察日に被告の診察を受けた際,肉眼的血尿を訴えたかどうかは確定しておく必要がある。

     そして,原告は,上記第2の2(1)原告の主張欄イのとおり,肉眼的血尿及びその他の症状について訴えた旨主張し,これに沿う供述等をする(甲C7,原告本人)。これに対し,被告は,原告の上記主張に係る内容の訴えがあったことを争っている。

   イ そこで検討するに,被告が作成した診療録中には,原告の主訴としては,①平成28年7月1日の診察では,排尿困難と残尿感,②同月4日及び③同月14日の各診察では,いずれも排尿時不快感しか記録されておらず,肉眼的血尿を含む原告の主張に係る各訴えがあった旨の記載は見当たらない(乙A1〔8,9頁〕)。

     そうしたところ,肉眼的血尿はもとより,排尿時痛については,いずれも泌尿器科医としては,患者が訴えることの多い症状であって,日常的な診察において重要な要素の一つであるというのであるから(被告本人〔1頁〕),そのような訴えに接しながら診療録に記載しない事態は通常想定し難い。実際に,診療録中には,原告が現認した内容としての血尿,すなわち,肉眼的血尿が出た旨の訴えが記載されている診察日も窺える(乙A1〔15頁〕,被告本人〔18,19頁〕)。総じて,原告の診療録中,被告が手書した部分の多くは,被告本人の説明がない限り第三者が解読することが著しく困難な筆跡からなっているけれども(乙A1),そうだからといって,原告が肉眼的血尿や排尿時痛等を訴えたのに,被告が故意に又は誤って診療録へ記載しなかったことになるわけではない。

     してみると,上記①ないし③の各診察日において,原告が肉眼的血尿を含む,その主張に係る症状を訴えた旨の原告の供述等はたやすく信用することができないし,ほかに上記主張に係る事実を認めるに足りる証拠はないというに帰する。この点に関する原告の主張は,採用することができない。

  (2)上記(1)のとおり,平成28年7月1日,同月4日,同月14日の各診察日において,原告が肉眼的血尿を含むその主張に係る諸症状を訴えた事実までは認められないとはいえ,少なくとも,上記3回の診察日にあっては潜血が認められていたというのであるから(前提事実(2)エ,オ,カ),この間,顕微鏡的血尿の所見が連続して認められていたことにはなる。

    また,原告は,上記各診察日についていえば,少なくとも,残尿感及び排尿困難(平成28年7月1日)並びに排尿時不快感(同月4日,14日)を訴えていたことは確実であるけれども(乙A1〔8,9頁〕),それ以前にも,残尿感(平成27年1月15日),頻尿(初診日,平成27年3月31日,同年9月7日),膀胱刺激症状(前同日)を訴えていたというのであるから(前提事実(2)イ,ウ(ウ),(エ),(カ)),原告には,初診時から平成28年7月頃までの間,本件ガイドラインにおいて「膀胱刺激症状」とされる諸症状(前提事実(3)ア(ア))のうちのいくつかを訴えたことが一度ならずあったといってよい。そして,上記の間,被告は,種類を変えながら単発的に抗菌薬を3日分又は5日分処方することによって対応していたが(前提事実(2)イ,ウ(エ),(カ),(ク)),上記諸症状の根本的な改善を見るには至らなかったことになる。

    これらの事情に加え,50歳以上の者に顕微鏡的血尿が認められた場合の膀胱癌の可能性,治療に難渋する膀胱炎様症状を有する患者における膀胱癌との鑑別の必要性に関する一般的な医学的知見(前提事実(3)ア(ア),ウ)に照らすと,平成28年7月14日の時点で,尿細胞診又は膀胱鏡検査の施行,又はそれが可能な他の医療機関の紹介が選択されることもあり得るものと考えられる。

  (3)しかし,原告には,もともと糖尿病の既往があり,そのことによる感染症のリスクが相応に高い状況にあったことを前提にしないわけにはいかない(前提事実(2)ア,被告本人〔2頁〕)。

    また,初診時から平成28年5月6日までの診療経過中,尿検査の結果,白血球やバクテリアが認められたことが複数回あり,原因菌の同定も行われたところ(前提事実(2)ウ(エ),(ク)),単発的な抗菌薬の投薬によって,いわゆる膀胱刺激症状が改善したり(原告本人〔1頁〕),抗菌薬の服用期間が終わった後の診察において膀胱刺激症状の訴えが見られず,前立腺肥大症治療薬の継続処方にとどまる日もあったというのであるから(前提事実(2)ウ(ア),(イ),(オ),(キ),(ケ),(コ)),何らかの感染症を疑って抗菌薬を処方したことがそれなりに奏功していたといってよい。そうしたところ,平成28年7月1日,4日及び14日の各診察日にあっても,尿検査の結果,白血球やバクテリアが認められ,この間の同月6日には,実際に原因菌が同定された旨の報告に接したというのであってみれば(前提事実(2)エ,オ,カ),平成28年7月14日時点においても,従前の診療経過におけると同様,何らかの感染症を起こしていると見る余地が十分にあるものといわねばならない。

    しかも,顕微鏡的血尿が背景疾患として膀胱癌を有する頻度の高さについては,本件ガイドラインも一定の留保をしていることが窺えるし,いわゆる膀胱刺激症状は,膀胱癌だけにみられるものではなく,尿路感染症,腎結石,前立腺肥大症等の疾患でも見られるというのである(前提事実(3)ア(ア),ウ)。

  (4)上記(3)の事情に照らすと,上記(2)のとおり指摘できるからといって,直ちに,被告が平成28年7月14日までの時点で原告について尿細胞診や膀胱鏡検査を実施し,又はこれを行わせるべく他院を紹介すべき注意義務を負っているとまでいうことはできない。

  (5)これに対し,原告は,原告の主訴の内容をいう点(上記(1))のほか,上記第2の2(1)原告の主張欄のとおり主張し,原告訴訟代理人弁護士がF医師から聴取した結果を記載した「弁護士聴取報告書」中には,上記主張に沿う部分がある(甲B7)。

    しかし,上記報告書は伝聞に過ぎず,F医師の言わんとするところを正確に録取できている裏付けが乏しいといわなければならないし,上記報告書中においてF医師が指摘したとされる部分について,上記(3)で指摘した原告の既往症や,従前の診療経過を同医師がどのように把握し,評価した結果であるかを窺い知る手がかりも見当たらないものというべく,これをたやすく信用することはできない。ほかに,この点をめぐる原告の主張を認めるに足りる証拠はない。この点に関する原告の主張は,採用することができない。

 2 争点(3)について

   原告は,上記第2の2(3)原告の主張欄のとおり主張する。

   しかし,被告が上記第2の2(1)原告の主張欄において原告が主張する内容の注意義務を負っていたと認められないことは,上記1で説示したとおりである。

   そうすると,この点に関する原告の主張は,その前提を欠くことになるから,採用することができないというに帰する。

 3 結論

   以上の次第で,その余の争点について判断するまでもなく,原告の請求は理由がない。

    大阪地方裁判所第17民事部

        裁判長裁判官  吉岡茂之

           裁判官  諸井雄佑

 裁判官古川大吾は転補のため署名押印することができない。

        裁判長裁判官  吉岡茂之

 

 



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