高松高等裁判所判決 令和2年(ネ)第176号
【
主 文
1 原判決を次のとおり変更する。
(1)被控訴人は、控訴人■に対し、3302万6397円及びこれに対する平成27年11月3日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
(2)被控訴人は、控訴人▲に対し、3302万6397円及びこれに対する平成27年11月3日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
(3)控訴人らのその余の主位的請求及び予備的請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用のうち、当審における鑑定費用は全部被控訴人の負担とし、その余の訴訟費用は、第1・2審を通じてこれを5分し、その1を控訴人らの負担とし、その余を被控訴人の負担とする。
3 この判決は、第1項(1)及び(2)に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第1 控訴の趣旨(主位的請求、予備的請求とも同趣旨である。)
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人は、控訴人■(以下「控訴人■」という。)に対し、4124万9484円及びこれに対する平成27年11月3日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3 被控訴人は、控訴人▲(以下「控訴人▲」という。)に対し、4124万9484円及びこれに対する平成27年11月3日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2 事案の概要
1 事案の要旨
(1)亡●(以下「●」という。)は、被控訴人が運営する「□□医療センター」(以下「被控訴人病院」という。)に入院し、集中治療室(以下「ICU」という。)において治療を受けていたところ、●は、ICUの5号室(以下、単に「ICU5号室」という。)のベッドから床面に転落し、脳死状態になり(以下「本件事故」という。)、その約3か月半後、被控訴人病院において死亡した。
本件は、●の相続人である控訴人ら(●の両親)が、被控訴人病院の医師ないし看護師が●の上記転落を防止し、又は、上記転落により重篤な傷害が発生することを防止するための措置を講ずべき義務を懈怠した過失があったために本件事故が発生した旨主張し、また、●が死亡したのは、本件事故に加え、その後(死亡直前の時期)の不適切な輸液投与を行った過失があったためであると主張して、主位的請求として、●の死亡による損害につき、予備的請求として、●が脳死状態になったことによる損害(金額は死亡の場合と同額)につき、控訴人らの固有の慰謝料と併せて、診療契約上の債務不履行又は不法行為(使用者責任)による損害賠償請求権に基づき、各損害金合計4124万9484円及びこれに対する本件事故の日(平成27年11月3日)から支払済みまで民法(平成29年法律第44号による改正前の民法、以下同様)所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。
(2)原審は、控訴人らの主位的請求及び予備的請求をいずれも棄却した。
控訴人らは、いずれも原判決の取消しと自己の請求認容を求めて控訴した。
2 前提事実
以下の事実は、当事者間に争いがないか、末尾の括弧内掲記の証拠及び弁論の全趣旨等により容易に認められる。
(1)当事者等
ア ●及び控訴人ら
●(平成○月○○日生、本件事故当時26歳)は、平成27年11月2日に被控訴人病院に入院し、後述のとおり翌3日に本件事故に遭った後、平成28年2月14日、同病院において死亡した(死亡当時も26歳)。
●は、控訴人■(父)と控訴人▲(母)との間の子である。
(以上について、甲●7、甲B38)
イ 被控訴人
被控訴人は、高知県及び高知市をもって組織され、高知市において、被控訴人病院を開設、運営している企業団(特別地方公共団体)である。
(2)●の診療経過の概要
以下の判決文においては、年の記載がない出来事は、いずれも平成27年の出来事を指す。
ア ●は、9月中旬頃から頭痛や倦怠感などの体調不良が続き、10月29日頃から頭痛、鼻汁や倦怠感が増悪するようになったことから、11月2日午後3時頃、控訴人■に付き添われて、高知県安芸市所在のB病院(以下「B病院」という。)を受診した。
●は、同病院において急性肺炎と診断され、消防防災ヘリコプターで被控訴人病院に救急搬送されることになり、同日午後5時44分、控訴人■とともに被控訴人病院に到着した。
(甲●8・13、20頁(頁数は証拠下部中央部の数字を指す。以下同じ。)、29、乙●7、8の2、控訴人■本人)
イ ●は、被控訴人病院において診察を受けた結果、11月2日即日に、同病院に入院することになり、被控訴人との間で診療契約を締結した。
●は、被控訴人病院への入院時、血液循環不全の状態にあったため、同日午後7時及び午後7時30分に、それぞれヴィーンF(血液代用剤。すなわち、血液の血漿を代用する輸液であり、体液のバランスを整え、水分・血圧を維持するために使用される。)500mlを投与された(甲●8・13頁、9・409頁、10・508頁、B4、乙●3・8029頁~8030頁)。
この点、●が、同日午後6時30分にもヴィーンF500mlを投与されたか否かについては、当事者間に争いがある。
ウ ●の主治医であった呼吸器内科のC医師(以下「C医師」という。)は、11月2日午後7時15分、控訴人■に対し、●の身体抑制に関する説明を行い、控訴人■は、●の身体抑制に関する説明・同意書の用紙に●の親族・代理人として署名押印し、●の署名押印部分を代書して、同意書を完成させ(以下、完成した同意書を「本件同意書」という。)(甲●1)、被控訴人病院に提出した(甲●1、8・19頁、B38、控訴人■本人)。
エ ●は、11月2日午後8時52分頃、被控訴人病院において、急性呼吸窮迫症候群(以下「●RDS」という。)と診断され、同日午後9時15分にICU5号室に入室し、ICUにおいて治療を受けることになった(甲●8・17頁、28頁、甲B17、乙●8の2、控訴人■本人)。
オ 被控訴人病院は、11月2日午後9時30分頃、●に対する両上肢の身体抑制を開始し、同日午後9時51分頃、気管内挿管による人工呼吸管理を開始した(甲●8・31頁、9・406頁)。
カ 被控訴人病院の医師及び看護師は、11月3日午前0時30分頃、ベッドで横になっている●に動脈ラインを挿入するため、●に装着していた右手の安全ベルトを外したところ、●は、ベッドから起き上がろうとするなどの不穏行動(以下「本件不穏行動」という。甲●2、9・各405頁)を起こした。
本件不穏行動の具体的な態様については、当事者間に争いがある。
キ ●は、11月3日午後6時35分頃、SpO2(経皮的酸素飽和度。健常者の標準値は96~99%である。90%未満は呼吸不全の状態であり、長期に継続すると心臓や脳といった重要な臓器に十分な酸素が供給されず、障害を起こすことがあるとされる。)が80%台から上がらなくなり、収縮期血圧(動脈血圧の波の頂点、いわゆる最高血圧)が65mmHgに低下した。
被控訴人病院の看護師は、同病院の救急救命科のD医師(以下「D医師」という。)から指示されて、●に対し、同日午後6時36分頃から、CVライン(中央動脈ライン)経由で、ヴィーンF500mlをポンピング(注射器を使用した加圧)により投与し、さらに、同日午後6時45分から2本目のヴィーンF500mlをポンピングにより投与し、同日午後7時1分から3本目のヴィーンF500mlを通常の点滴により投与した(以下、この3度の輸液投与を「本件輸液投与」という。)。
(以上について、甲●9・416頁、10・531頁~532頁、B14、乙●14)。
ク ●は、11月3日午後7時29分頃、ICU5号室のベッドから病室の床に転落し、頭蓋骨骨折、外傷性くも膜下出血及びびまん性脳腫脹の傷害を負い、意識不明の状態になり、脳死状態になった(本件事故。甲●4、8・119頁、11)。
●は、本件事故後も、被控訴人病院での入院を続けた。
ケ 被控訴人病院は、平成28年2月9日から同月14日までの間、●に対し、合計約2万1222mlの輸液を投与した(甲●13の1~7。以下「本件2月の輸液投与」という。)。
コ ●は、平成28年2月14日午後4時23分、死亡した。
被控訴人病院のD医師が作成した死亡診断書のⅠ欄には、直接の死因は「急性呼吸窮迫症候群」、その原因は「敗血症」と記載され、また、「直接には死因に関係しないがⅠ欄の傷病経過に影響を及ぼした傷病名等」の欄には「脳死とされうる状態 びまん性脳損傷」と記載されている(甲●7)。
(3)●の身体抑制に使用された器具(甲●3~6、B1)について
ア 被控訴人病院は、●の両上肢を抑制する際、ミトン及び安全ベルト(抑制帯)を使用した。
なお、被控訴人病院は、上記身体抑制の際、マジックテープを使用して、●の右手に固定板も装着した。固定板(正式名称:圧脈波センサ固定具)は、患者の橈骨動脈に挿入している動脈ラインが、患者の手の動きによって抜けたり、動脈圧の測定に影響したりすることを防止するために使用する器具であって、身体抑制のための器具ではない。同種の品の形状は別紙1写真1及び2のとおりである。
イ ミトンは、手袋状の介護用品であり、患者によるカテーテルの抜去等を防止するために使用する器具である。
●に装着されたミトンは、ホックが特殊な構造をしており(アイデアホック)、ホックを閉じるためにはホックを合わせてホック周りの金属部分を軽く押すだけで足りるが、ホックを外すためにはホックの裏に手を当て、爪を立てるようにホックの中央部を押す必要があることから、患者は装着されたミトンを外しにくくなっている。同種の品の形状は別紙1写真3のとおりである。
ウ 安全ベルト(正式名称:グリップ)は、固定フックの付いたリストバンドをベッド柵等に括りつけるために使用する器具である。
●に対する身体抑制の際は、●の手首にリストバンドを巻き、紐をベッドの落下防止柵に括りつける方法で使用された。同種の品の形状は別紙1写真4のとおりである。
(4)●のベッドの形状等(甲●4)
●が、本件事故当時、ICU5号病室において使用していたベッド(以下「本件ベッド」という。)及びベッド柵の形状の詳細は、別紙2記載のとおりである。
すなわち、本件ベッドは、縦の長さが外寸234.2cmで内寸195.0cm、横の長さが外寸(サイドレール使用時)102.0cmで内寸83.0cm、高さは床からベッド上面までが50.0cmでベッド手すり上縁までが127.8cmのキャスター付きである。
また、本件ベッドの左右(本件ベッドの頭部側から見た位置関係であり、以下、同様に表現する。)には、2個ずつ、左右合計4個の落下防止柵(ベッド柵)が設置されていた。ベッド柵の横の長さは、頭部側の2つがそれぞれ68cm、足側の2つがそれぞれ63cmであり、高さはいずれも30cmであった。ベッド柵の間隔は、ベッド水平時では上部24cm、下部38cmであり、頭部挙上時(約10度)では上部19cm、下部35cmであった。
なお、本件ベッドは、本件事故当時、ICU5号室の入口から見て、頭部側を奥、足側を手前にして設置されていた。
(5)控訴人らによる本件訴訟の提起
控訴人らは、平成28年5月12日、本件訴訟を提起した(顕著な事実)。
3 争点及びこれに関する当事者の主張
(1)被控訴人病院の医師及び看護師は、●が11月3日午後7時29分頃に本件ベッドから転落すること(本件事故の発生)を予見できたか(争点(1))
〔控訴人ら〕
以下の各事情からすると、被控訴人病院の医師及び看護師は、●が本件ベッドから転落することを予見し得た。
ア 本件事故前の不穏行動
(ア)●は、11月3日午前0時30分頃、フェンタニル等の鎮静剤を投与されながらも、本件ベッド上で起き上がったり、暴れたりするなどの本件不穏行動を起こした。被控訴人病院の医師及び看護師は、4人がかりで●を制止しようとしたが、制止できなかった。本件不穏行動は、呼吸苦もしくはせん妄又はその両方により、惹起されたものである。
被控訴人病院も、控訴人らに対し、本件事故の原因について、●の呼吸苦が想像を超えるくらいの苦痛を伴っていた可能性を第一の原因と考えている旨回答しているから、呼吸苦から不穏状態が生じることは十分にあり得るといえる。
(イ)●は、11月3日午後2時頃、自分に施された挿管チューブを握ろうとした。これは、●が挿管を不快に感じていたり、呼吸苦の状態にあったためと考えられるから、そのような状態に陥れば、挿管チューブを外そうとしたり、暴れたりする等の不穏状態に及ぶおそれがある。
この点、被控訴人は、同月3日午後2時頃は●の安全ベルトを解除しておらず、●が挿管チューブを握ろうとする行動をする余地がない旨主張する。しかしながら、被控訴人病院においては、安全ベルトを解除したにもかかわらず、その旨記載しないことがあるから、カルテ等に記載がないからといって、安全ベルト等を解除した事実がないということはできない。むしろ、被控訴人病院が同日午後2時頃に●の体位を左完全側臥位に変換したことからすれば、そのために、安全ベルト等を解除したものと考えるのが自然である。
(ウ)本件事故当時、●は入院直後であり、●に対しては、重症患者として気管内挿管、人工呼吸器管理がされ、しかも輸液療法などの医療行為を行っている状況であったから、●の病態は今後増悪していくと考えられた。
(エ)当審鑑定人であるE医師(以下「E鑑定人」という。)も、「浅い鎮静下にある患者が突発的に危険行動をとるこことは珍しくない。とくに本患者の場合、3日午前0時30分に相当の力で暴れていることを考慮すれば、突発的に身体抑制の解除などの危険行動を起こし、ベッドから床面への転落に至る可能性も想定すべきであったといえる。」、「本患者の鎮静が浅くなり、筆談も可能になった3日午後6時の時点では、身体抑制の解除などの危険行動を起こし、転落を含む重大な事象に至ることは想定すべきであったと言える。」との鑑定意見を述べている。
(オ)以上のとおり、本件事故の約19時間前(上記(ア))と約5時間半前(上記(イ))の2回、●に不穏状態が発生しており、また、●の病態がその後も悪化していくと考えられたのであるから、被控訴人病院の医師及び看護師は、本件事故当時、●が不穏状態になり、●がベッドから転落する可能性があることを予見できたといえる。
イ 輸液の急速投与
●は、11月2日午後6時30分、同日午後7時及び同日午後7時30分の3回、それぞれ、ヴィーンF500mlを投与された結果、同日午後8時頃に呼吸苦を訴えた。その後、●は、同月3日午後6時36分から本件輸液投与を受けた。
このように、●は、同月2日に合計1500mlのヴィーンFの投与を受け、その約30分後に呼吸苦を訴えたのであるから、被控訴人は、その翌日である同月3日にも同様にヴィーンFの投与を行えば、約30分後に●が呼吸苦を訴え、不穏状態に及び、ベッドから転落するであろうことを予見し得た。
ウ 不穏状態に陥ることを予見させる各数値
(ア)ICDSC(ICUにおけるせん妄を評価する方法)の数値
●のICDSCは、11月3日午前0時及び午前7時4分時点において、いずれも5点であった。
したがって、●が同月3日午前0時30分頃に上記アのとおりベッド上で起き上がったり暴れたりした(本件不穏行動)理由は、呼吸苦を感じていたのみならずせん妄状態にあったためと考えられる。そして、ICDSCの評価項目に「症状の変動(上記の徴候あるいは症状が24時間のなかで変化すること)」があることからすると、せん妄の徴候、症状が出た後24時間以内は、同様の徴候や症状が出る可能性があるといえる。
また、同月3日午前7時及び同日午後3時時点でのICDSCは3点であったが、ICDSC3点の状態は「閾値化せん妄」や「亜症候性せん妄」とされ、せん妄症状が出現している状態とされる。特に、●については、「精神運動的興奮、遅滞」で1点計上されており、その計上基準は、「患者自身あるいはスタッフへの危険を予測するために追加の鎮静薬あるいは身体抑制が必要となるような過活動(例えば、静脈ラインを抜く、スタッフをたたく)。活動の低下、あるいは臨床上明らかな精神運動遅滞(遅くなる)。これらのうちいずれかがあれば1点。」とされているものである。
したがって、被控訴人病院の医師及び看護師は、同月3日午前0時30分頃からその24時間後である翌4日午前0時30分頃までの間につき、●が「過活動」の状態になってベッドの上で暴れるなどし、それによりベッドから転落することを予見し得たといえる。
(イ)SpO2(経皮的酸素飽和度)の数値
11月3日午後7時の時点での●のSpO2は89%であったことからすれば、●の呼吸苦や不穏状態を予見し得たといえる。
これに対し、被控訴人は、同日午後2時のSpO2が94%であったことや、同日午後7時15分の時点でのSpO2が96%であったことを理由に転落を予見することはできなかった旨主張するが、SpO2の数値は数分で変化するので、同時点でのSpO2の数値が96%だったからといって、●の転落の予見可能性がなかったとはいえない。
(ウ)CT所見
●のCT所見によれば、肺にかなり強い浸潤影を来しており、強い炎症を示している。その状態で輸液を急速かつ大量に投与すれば、呼吸不全が悪化し易かったことは容易に予見できるのであり、ひいては呼吸苦や不穏状態の発生を予見し得たといえる。
(エ)PEEP(呼気終末陽圧)の数値
●のPEEPの数値は8cmH2Oであり、FiO2の数値は1.0であったことからすると、人工呼吸器の呼吸補助が不十分であったことは明らかであって、●が呼吸苦を訴える可能性は十分あり、さらには不穏状態になる可能性があることは予見可能であった。
エ 本件同意書の記載
●の身体抑制に関する本件同意書には、「せん妄、不穏状態、認知機能低下があり、転倒・転落の危険が著しく大きい」の欄にチェックが入っていた。これは、被控訴人病院の医師及び看護師が、●の転倒・転落の危険が著しく大きいことを認識していたことを示す事実である。
〔被控訴人〕
●がベッドから転落することを予見し得たという控訴人らの主張は、以下のア~クのとおり、これを争う。
ア 患者の不穏状態によって生じるとされる事象について
人工呼吸中の鎮静のためのガイドライン(甲B34別添資料5。以下「本件ガイドライン」という。)には、「興奮・不穏状態にあると、安静が保たれないだけでなく、気管チューブの抜管などライン類の不慮の抜去の原因ともなる」、「不慮の抜管による患者の死亡率や肺合併症の増加はなかったとの報告もある」といった記載があるから、不穏状態によって生じるとされる事象は、気管チューブ等の抜去のみである。
すなわち、一般的な臨床の現場では、人工呼吸器管理が行われている患者が不穏状態になったとしても、ベッドから転落することは想定されていない。実際に、被控訴人提出の意見書(乙B10)や控訴人ら提出の意見書(甲B34、B35、B44)を作成した医師は、患者がICUベッドから転落した事態を、一度も経験していない。
なお、本件では人工呼吸器のアラームが転落と同時に鳴っていることからすれば、●は、転落前に気管チューブを自ら抜去していなかったと考えられる。
イ 転倒・転落アセスメントシートの点数について
被控訴人病院は、本件不穏状態の発生後である11月3日午前1時7分頃、●の転倒・転落の危険性について、「転倒・転落アセスメントシート」を用いて評価したところ、合計点は0点であった。被控訴人病院においては、合計5点以上の場合に転倒・転落防止の計画を立案するものとしていたため、合計点0点であった●に対し、転倒・転落の防止を目的とした処置を必要とする状態ではなかったことが明らかである。
加えて、被控訴人病院は、同日午前11時27分に、●に対して身体抑制を継続すべきかどうかを再評価したところ、「手術創を保護できない、点滴ライン等を抜去するなど、治癒や処置に協力が得られない」ために身体抑制を継続する旨決定した。これは、最初の評価時点で認められた「せん妄、不穏状態、認知機能低下があり、転倒・転落の危険が著しく大きい」という状況(身体抑制の基準の一つである。)が、上記再評価の際に消滅したことを示している。
ウ 本件事故前の不穏行動の具体的な状況について
転落前の不穏行動に関する控訴人らの主張はいずれも否認する。
実際の事実経緯は下記のとおりであって、被控訴人の予見可能性を基礎づける事実はない。
(ア)本件不穏行動の状況(11月3日午前0時30分頃)について
● 本件不穏行動が起きた11月3日午前0時30分頃、●が横になっていた本件ベッドの周りには被控訴人病院の医師及び看護師(男性3名、女性1名)がいた。そして、●は、本件ベッドから起き上がろうとしたが、上記4名のうち2名の看護師(男性1名、女性1名)だけで●(極めて痩せていた。)を押さえることができた。また、●を押さえた理由も、●に対する挿管チューブ等を保護するためであった。残り2名の医師は、医療器具を所持していたため、●を押さえつけることはなかった。
この点、●の診療記録には、本件不穏行動について、「突然起き上がり動作あり。指示入らず。興奮している。大暴れで、4人がかりで押さえつけるが制止できず。」と記載されているが、これは、上記医師及び看護師が●に右手を振り回す行為をやめるよう指示したものの聞き入れられなかったことを意味している。また、E鑑定人は、●が本件ベッドから転落する可能性を想定すべき根拠として、●の本件不穏行動の存在を指摘するが、E鑑定人が前提とする事実(●が相当の力で暴れた事実)は存在しないから、上記評価根拠の前提に誤りがある。
b ●が本件不穏行動を起こした11月3日午前0時30分頃から本件事故までは約19時間が経過しているが、この間、●は一度も不穏状態になっていない。したがって、本件不穏行動を理由に●が転落することを予見し得たとはいえない。
しかも、●は、被控訴人病院へ搬送されてから本件事故の発生時まで、本件ベッドから転落しかけたことは一度もなかった。この点は、本件不穏行動の時も同様であって、本件不穏行動の存在は、●が本件ベッドから転落する予見可能性を基礎づける事実ではない。
(イ)●が挿管チューブを握ろうとした事実はなかったこと(11月3日午後2時頃)について
●は、11月3日午後2時頃においては、両手を安全ベルトでベッド柵に固定されており、腕を動かすことができなかったから、その頃、●が挿管チューブに触れた事実すら存在しない。
この点、診療記録には、3日午後2時頃、●が「挿管チューブを握ろうとする」と記載されている。しかしながら、これは、●が挿管チューブを握ろうとする可能性があることを意味するに留まる。
仮に、●が同時刻頃に挿管チューブを握ろうとした事実が存在したとしても、挿管チューブを握ろうとするという意図的な行為が存在することで、意図的ではない苦痛による体動によって、本件ベッドから転落することを予見することはできない。
エ 控訴人らが主張する「輸液の急速投与」について
(ア)被控訴人病院による11月2日の輸液投与に関して
被控訴人病院は、11月2日(●が本件不穏行動に及ぶ前)、●に対し、輸液(ヴィーンF)を、午後7時に500ml、午後7時30分に500ml、午後9時59分に160ml、午後11時59分に160ml投与した。しかしながら、控訴人らが主張するように、午後6時30分に輸液(ヴィーンF)500mlを●に投与した事実はない。
そして、同日午後7時の上記輸液投与から本件不穏行動の発生(翌3日午前0時30分頃)まで約5時間が経過していたことからすれば、3日午後6時35分頃以降の輸液の投与によって●が本件事故当時(同日午後7時29分頃)に不穏状態に陥ったとしても、その予見可能性があるとはいえない。
(イ)被控訴人病院による11月3日の輸液投与(本件輸液投与)に関して
●は、11月3日午後6時35分頃、体温41度、HR(心拍数)150(回/分)、収縮期血圧60~70mmHg台であり、ショックインデックス(心拍数を収縮期血圧で除して求められる指数)が2.14~2.5の状態であった。
一般的に、ショックインデックス2.0以上の場合、推定出血量は2000ml以上と考えられている。●に対しては、同日午後6時36分頃から輸液(ヴィーンF)500mlが2本ポンピングされ、同日午後7時1分頃から3本目(500mlの点滴)に更新されたものであるが(本件輸液投与)、上記ショック指数の数値からも、一連の投与量が過剰でないことは明らかである。また、上記3本目の輸液の点滴が開始された後である同日午後7時2分の時点で、●の尿比重は1.028又は1.027と高濃度であって、過剰輸液でないことが確認されている。
そして、本件輸液投与の結果、●は、HR140(回/分)、血圧90mmHg台、体温が低下するなどしたから、●の状態は改善したといえる。
したがって、11月3日午後6時36分以降の本件輸液投与によって、●が呼吸苦や不穏状態になることを予見することなど不可能というほかない。この点については、E鑑定人も、輸液(の急速投与)によって呼吸不全が増悪し、不穏が増強して転落に至った可能性は考えにくいとする旨の鑑定意見を述べている。
なお、E鑑定人は、11月3日午後7時1分、●に泡沫状の痰が多量に生じた旨指摘し、それが強い呼吸困難感になって危険行動を誘発した可能性が否定できないとするが、同日午後7時20分に上記痰の吸引措置を実施したから、その8分後に強い呼吸困難感になったとは考え難い。
オ 控訴人らが主張する各数値(不穏状態に陥ることを予見させると主張する各数値)について
(ア)ICDSCの数値について
● ●は、11月3日午前0時頃にICDSC5点であったが、本件不穏行動の時点(同日午後0時30分頃)を含め、●に転落のおそれは生じなかった。
加えて、●の上記数値が同日午前7時に3点、同日午後3時に3点にとどまっており、被控訴人病院の看護師が●に話しかけた同日午後7時21分においても、●がせん妄ではなかったことからすれば、せん妄を理由に、●がベッドから転落することを予見できない。
b 控訴人らは、11月3日午前7時及び同日午後3時のICDSC3点について、ICDSC3点は「閾値下せん妄」であり、せん妄に近い状態であること、●については、ICDSC評価の際、「精神運動的興奮、遅滞」があるとして1点計上されており、これは●の「過活動」が認められたためであると考えられることから、●がベッドから転落する可能性を予見できたと主張する。
しかしながら、「閾値下せん妄」という概念の理解や事象そのものへのアプローチは、まさにこれから進展していく段階にあるとされており、本件事故の発生時点では概念として確立しておらず、被控訴人病院の医師及び看護師の注意義務を基礎づけるものではない。また、閾値下せん妄の状態が不穏状態やベッドからの転落につながるともいえない。
そして、11月3日午前7時、同日午後3時のいずれの時点も、●が「過活動」であった事実はない。●は、11月3日午前7時の時点でR●SS-3、同日午後3時の時点でR●SS-2の状態である。被控訴人病院は、「精神運動的興奮、遅滞」のうち、「遅滞」として1点計上したものである。
なお、ICDSCの評価方法では、「症状の変動」につき、「上記の徴候あるいは症状が24時間の中で変化する(例えば、その勤務帯から別の勤務帯で異なる)場合は1点」とされているが、せん妄の徴候、症状が常に24時間変化するとされているわけではない。
(イ)SpO2の数値について
控訴人らが主張するとおり、11月3日午後7時の●のSpO2が89%であったとしても、●はこの時点で呼吸苦を訴えなかったこと、同日午後7時15分頃に●のSpO2が96%まで上昇したこと、同日午後7時21分頃に、被控訴人病院看護師がこの状態でいられるか尋ねると、●が頷いていたことからすれば、上記数値から、●の呼吸苦や不穏状態(更にはベッドからの転落)を予見可能であったとはいえない。
また、同日午後2時(●が挿管チューブを握ろうとしたと主張する時刻。●に呼吸苦はなかった。)の●のSpO2が94%であったこと、また、上記のとおり同日午後7時15分頃に●のSpO2が96%まで上昇したことからすれば、その後、数値が急に下降することは予見できなかったといえる。
(ウ)CT所見
控訴人らが主張する「CT所見」とはいつの、どの画像であるのか特定されておらず、予見可能性を基礎付ける事実足り得ず、主張自体失当である。
仮にCT上に強い浸潤影があったとしても、輸液を投与した結果、呼吸不全が悪化し、不穏状態となってベッドから転落することなどおよそ予見できない。
(エ)PEEPの数値について
本件では、●に対する人工呼吸器管理を始めてから一度もPEEPの値が原因と考えられる呼吸苦は生じていない。したがって、PEEPの値から控訴人らの主張する呼吸苦、不穏状態、暴れて転落、といった事実を予見できたとはいえない。
カ 本件同意書の記載等
●のような重症患者が入院する際は、ルーチンで同意書を事前に取得しておくことが被控訴人病院の一般的な対応である。したがって、本件同意書に記載された事柄(「せん妄、不穏状態、認知機能低下があり、転倒・転落の危険が著しく大きい」の欄にチェックが入っていること)から、●がベッドから転落することの予見可能性の根拠になるとはいえない。
現に、被控訴人病院は、11月3日午前1時32分、●について全身にわたる褥瘡のリスクがあるとして、褥瘡対策の計画を立案し、●の体位を変換したことに照らしても、●は、自らベッド上で動くことができない状態であったことが現れている。
加えて、被控訴人病院の看護師が●に装着した安全ベルト等の身体抑制器具が外れたことは一度もなかったから、安全ベルトが外れて●がベッドから転落することは予見できない。
しかも、●は、重症●RDSであり、被控訴人病院に入院した時点から寝たきりで、経口栄養も行なっておらず、11月3日午後7時20分頃(本件事故の発生直前)におけるR●SSが-2であった。このような状態の●が、その直後に、高さが30cm以上ある四方のベッド柵を乗り越えて転落することなど予見できない。
キ E鑑定人の鑑定意見について
(ア)●の鎮静レベルについて
E鑑定人は、●の鎮静レベルが徐々に浅くなり、11月3日午後6時には筆談も可能になったため、意思の表出が可能であったとした上で、本件事故当時、●が浅い鎮静化にあった(そのような患者が突発的に危険行動を取ることは珍しくない。)とする鑑定意見を述べている。
しかしながら、●は、同日午後5時59分から、鎮静剤(フェニンタニルとプレセデックス)が十分に投与されるようになり、上記筆談後、経時的にその効果が表れ、同日午後6時30分以降、鎮静レベルが基本的にR●SS-2になったものである。この状態は、呼びかけられれば反応する程度であるから、●が同日午後6時に筆談できたとしても、それ以降も継続して覚醒し続けたとは考え難いのであり、●において意思の表出が可能であったとするE鑑定人の上記評価は誤っている。
(イ)●の身体抑制に関する意見について
E鑑定人は、患者が身体抑制を解除することが想定可能であるとする鑑定意見を述べる。
しかしながら、被控訴人病院の看護師が3日午後7時21分に●の状態を確認した後、●は、それから8分以内に、自らに施された身体抑制(安全ベルト)を外したのであり、被控訴人病院の医師及び看護師においてこのような事実を具体的に予見すべきであったとはいえない。E鑑定人は、上記事実関係の下で、具体的にどの程度の身体抑制の解除が想定されるかを検討していないから、上記意見は単なる抽象的な可能性にとどまり、法的な過失(具体的な予見可能性)を基礎づける意見になるとはいえない。
また、●が身体抑制を解除することの予見と、●が本件ベッドから転落することの予見は全く異なる。すなわち、●が自らの身体抑制を解除するにとどまらず、首からCVラインを、手首から●ラインを、喉から人工呼吸器チューブをいずれも引き抜き、尿道カテーテルの接続部も引きちぎった上で、本件ベッドの四方に設置された柵(高さ30cm)を飛び越えて頭から床に転落するという、いわば身投げ・自殺に等しい非論理的な行動に及ぶことなど、到底予想し得ないといわざるを得ない。この点、被控訴人病院の医師及び看護師のみならず、控訴人らが提出したF医師(以下「F医師」という。)の意見書でも、ICUベッドから患者が転落した経験はないと記載されているところである。
(2)被控訴人病院の医師及び看護師は、●がベッドから転落することを防止し、又は転落により重篤な傷害が発生することを防止するために、いかなる措置を講じるべきであったか(争点(2))
〔控訴人ら〕
上記(1)で主張したとおり、被控訴人病院の医師及び看護師は、●がベッドから転落することを予見できたから、●の転落又は転落による重篤な傷害の発生を防止するために、以下のア~オの措置を講ずるべきだった。
ア 適切な身体抑制
(ア)●に施すべき身体抑制の程度
身体抑制に関する本件同意書には、転落防止帯の使用欄にチェックが付けられている。そして、●は、上記(1)で控訴人らが主張したとおり、11月3日午前0時30分頃に本件不穏行動をとり、被控訴人病院の医師及び看護師が4人がかりで制止しようとしたにもかかわらず制止できなかったのであるから、両手のみの抑制では不十分であり、体幹を抑制するための転落防止帯を使用すべきであった。
この点、身体抑制の目的は転落防止にあるから、呼吸を妨げるように胸郭をきつく締める体幹部の抑制は必要ない。胸郭拳上が十分可能なだけの隙間をあけておけば、たとえ●のような呼吸不全の患者であっても、その転落を防止しつつ、体幹部を抑制帯などで抑制することは可能である。
(イ)●に対する身体抑制が不十分あるいは不存在であったこと
被控訴人は、本件事故後、●の左手に装着されていたミトンが安全ベルトに装着された状態で●の左手から外れており、また、右手に装着されていた固定板と安全ベルトを繋いでいたマジックテープがリング状でベッド上に残っていたと主張する。そうであれば、本件事故の際、●の両手ともマジックテープが外れることなく抜けたということになるから、マジックテープの装着が緩く、身体抑制が不十分であったといえる。
また、控訴人らは、実際にミトン等が●に装着されていたかを見ておらず、仮に●に身体抑制をしなかったとすれば、それ自体、被控訴人病院の医師及び看護師に過失があったといえる。
以上については、本件身体抑制を自ら解除することは容易ではないことや、本件事故の発生前に人工呼吸器のアラーム音や本件ベッドの柵がきしむ音がしなかったことからも裏付けられる。なお、診療記録には、11月3日午後6時と同日午後7時20分にしか身体抑制に関する記載がなく、いずれも●の転落後に記載されたことからすれば、いずれの記載も極めて不自然であって、上記各記載が診療記録にあるからといって、●に対して身体抑制がされたとは到底いえない。
この点に関し、日本救急医学会救急科専門医、日本外科学会外科専門医であり、G病院の高度救命救急センター救急部の副院長であるF医師が、意見書(甲B34)を作成するにあたって、●に装着されていた抑制帯を装着したところ、強い力で引き抜こうとしても容易に引き抜けなかったというのであり、F医師は、●に適切に抑制帯が装着されていなかった、又は、抑制自体がなかった可能性が高いとの意見を述べている。
イ 緩衝用マットの設置
高知県屈指の最先端医療技術を有する被控訴人病院に求められる医療水準に照らせば、被控訴人病院は、患者の転倒・転落に備えて床面に敷く緩衝用マットを備え付けておくべき義務があり、仮に備え付けていなかったのであれば、それ自体が過失である。
また、緩衝用マットを備え付けていたのであれば、これを●のために使用すべきであったのに、これを怠った過失がある。●が、本件事故当時にICUに入室していたことを踏まえても、緩衝用マットを使用すべきである。
ウ 被控訴人病院の医師又は看護師(職員)による付添い等の措置
(ア)付添いの措置
被控訴人病院の医師及び看護師は、●にヴィーンFを投与すれば、その後に●が呼吸苦を訴えることが予見できたから、11月3日午後7時頃に3本目のヴィーンFを投与した後の1時間程度は、被控訴人病院の医師又は看護師(職員)が病室に付き添うべきであった。
(イ)ICU全体を見渡せる人員の配置
ICUにおいては、ICU全体を見渡せる人員を常時1名配置することが通常であるが、被控訴人病院の医師及び看護師はこの配置をしなかった。この配置をしていれば、●が危険行動を起こしたとしても、その後●がベッドから転落する事態を防げた可能性が高いことは明らかである。E鑑定人も、同趣旨の鑑定意見を述べている。
(ウ)ナースコールの設置
●の手が届く範囲にナースコールが設置されていれば、●は、呼吸苦等を感じた際、ナースコールを押すことにより呼吸苦等を訴えることができ、その結果、職員が駆けつけ、●がベッドから転落することを防止できたといえる。E鑑定人も同趣旨の鑑定意見を述べている。
これに対し、被控訴人は、●が鎮静された状態にあったため、ナースコールを押せる状態になかった旨主張するが、事実に反する。すなわち、●は、意識レベルが十分に下げられていない状態で人工呼吸器が装着されており、これによる苦痛を訴えて不穏行動を起こし得る状態にあった。11月3日午後6時36分にD医師が病室を訪れるまでの●のR●SSが+2(興奮した(頻繁な非意図的な運動、人工呼吸器ファイティングの状態))であったことからも、●が呼吸苦を感じていたことが窺われる。
なお、診療記録には、同日午後6時30分時点でのR●SSが-2である旨記載されているが、同日午後6時36分に●の病室を訪れたD医師が、「R●SS +2→0」と評価したことや、●が同日午後6時頃に筆談ができる状態だったことと整合しないため、上記記載は信用できない。
(エ)離床センサーの設置
前記のとおり、●がベッドから転落することを予見できたから、●の転落又は転落による重篤な傷害の発生を防止するためには、●が使用していた本件ベッドに離床センサーを設置しておくべきであった。
離床センサーが設置されていれば、●が本件ベッドから起き上がる動作を検知することが可能であり、●が転落に至る前に適切な対応を採れた可能性が高い。E鑑定人も同趣旨の鑑定意見を述べている。
被控訴人病院の医師及び看護師は、本件ベッドに離床センサーを設置しなかったから、結果回避義務違反があることは明らかである。
(オ)人工呼吸器(挿管チューブが外れた際)のアラームの設定
被控訴人病院の医師及び看護師は、●に施された挿管チューブ等が外れた場合、その事実を知らせるアラームが鳴るよう適切に設定すべきであったにもかかわらず、これを怠ったため、本件事故当時、アラームが鳴らなかった。
この点、被控訴人は、アラームは適切に設定されており、ベッドから転落後に挿管チューブが外れてアラームが鳴った旨主張するが、機器の配置や挿管チューブ等の位置、●の身体の向き、転落した場所等に照らせば、挿管チューブは●がベッドから転落する前に外れたとしか考えられないから、●の転落前後を通じて上記アラームが鳴らなかった可能性が極めて高い。
上記設定をしていれば、挿管チューブ等が外れた際にアラームが鳴ることで、職員が駆けつけ、転落を防止することができたといえる。
エ 十分な鎮静措置(プロポフォールやミダゾラムの使用)
患者に人工呼吸器を装着した場合、患者は、痛みや苦しさ等から人工呼吸器を外そうとする等の不穏行動に及ぶおそれがある。そのため、患者に鎮静措置を施して意識レベルを下げ、不穏行動に及ばない程度まで鎮静する措置を取っていれば、患者がベッドから転落することはないといえる。
この点、被控訴人病院は、●を鎮静するため、プレセデックス(鎮静剤)とフェンタニル(鎮痛剤)を併用したが、特に●のような若年者の場合、これらだけでは十分な鎮静が得られないのであり、プロポフォールやミダゾラム(いずれも鎮静剤)などを使用して、深い鎮静にする必要があった。
なお、鎮静剤の量を増やせば血圧の低下が予想されるが、昇圧剤を用いることによって、血圧低下を来すことなく、鎮静剤の投与量を増加させることは可能である。●の体重からすると、11月3日午後6時の時点で、昇圧剤としてノルアドレナリンを増量することは可能であったし、バソプレシン(昇圧剤)も追加使用可能であった。
オ 呼吸苦等の回避措置
呼吸不全であれば、肺実質(空気に触れている部分。肺胞上皮細胞と肺胞腔)に炎症が及んでおり、炎症部位には水分が容易に集積し易いことを考えると、輸液療法によって肺実質が重くなり、呼吸不全が増悪することが予想される。
そこで、過剰投与を避けるために、循環動態の評価を頻回に行う必要があるところ、ベッドサイドで簡易に行える検査としてはエコー検査がある。この検査によって下大動脈の径や左心室の内腔の大きさを確認して、輸液量を調整する。また、中心静脈カテーテルを留置しているのであれば、CVP(中心動脈圧)の値も参考にすべきである。
本件では、被控訴人病院の医師及び看護師は、●に対する輸液の投与を開始した後、エコー所見やCVPの値の変化等を確認し、輸液療法が適切かどうか判断すべき義務があったところ、これらを怠っており、上記検査等をしていれば、●が呼吸苦になるまで輸液(ヴィーンF)を投与することはなく、その結果、●が不穏行動に及ぶこともなかった。
〔被控訴人〕
仮に、被控訴人病院の医師及び看護師において、●が本件ベッドから転落することを予見可能であったとしても、以下のとおり、被控訴人にはその結果を回避する義務及びその義務違反は存在しない。
ア 適切な身体抑制に関する主張について
(ア)身体抑制が許される場合及びその程度等について
● そもそも、入院患者に身体抑制を行うことは原則として禁止されており、その患者の受傷を防止するなどのために必要やむを得ないと認められる事情がある場合にのみ、必要最小限度の身体抑制が許されるにすぎない。そして、これまで主張したとおり、3日午後7時21分頃の時点では、●が不穏状態になって本件ベッドから転落する具体的な危険はなく、転落防止を目的として身体抑制を行うことは許されなかった。
この点、被控訴人病院が、安全ベルトやミトン等により●の身体抑制を継続した目的は、あくまで●によるライン等の抜去を防止することにあった。この目的や、上記のとおり、患者に対する身体抑制は必要最小限度の範囲で認められるにすぎないことに照らせば、被控訴人病院の医師及び看護師が●に行った身体抑制の程度が不十分なものであったといえないことは明らかである。
b また、控訴人らが必要と主張する転落防止帯は、患者に呼吸困難の危険を生じさせるものであって、重度の呼吸不全であった●に使用すべきではない。さらに、●が大暴れした場合、腹部が転落防止帯で圧迫され、呼吸に支障が生じ重大な事態につながった可能性が高い。したがって、●の体動を予見できたのであればなおさら、●に対し転落防止帯を装着することは許されず、注意義務の内容になり得ない。
この点、E鑑定人も、被控訴人病院の看護師による身体抑制の内容は適切であったとする意見を述べている。
c なお、これまで主張したとおり、身体抑制に関する本件同意書は、患者が病院に入院する際、身体抑制の必要が近い将来生じ得ると考えた場合に事前に同意を取っておくものであるから、具体的な身体抑制の義務を発生させる根拠にはならない。実際、本件同意書には、「他患者や周囲へ及ぼす迷惑行為の危険が著しく大きい」など、本件同意書が作成された11月2日午後7時15分の時点で●に生じていない事実であってもチェックが付けられている。
また、本件不穏行動は、被控訴人病院の看護師が●の右腕の安全ベルトを外した際に、●が右腕を振り回したというものであって、●の両手を抑制する前の行動であった。そして、これ以外に、●に体動がなかったことからすれば、本件不穏行動をもって、●の両手のみの身体抑制で足りなかったという結論を導くことはできない。
(イ)医療機関は、患者による身体抑制の意図的な取外しを防止できないこと
一般に、医療機関が患者の両上肢の身体抑制を適切に行ったとしても、患者による意図的な取外しなどを防止することはできない。
この点、控訴人らが提出するF医師の意見書でも、適切に両上肢の抑制をした場合も外れることがあることを指摘している。実際、令和元年11月6日に被控訴人病院で実施された原審の進行協議期日において、本件事故当時と同等の医療器具を用いて、●と同等の体格(身長172cm、体重50kg)の男性に対し、本件と同様の身体抑制をしたところ、同人は両上肢の身体抑制を外すことができた。
イ 緩衝用マットの設置に関する主張について
被控訴人病院においては緩衝用マットを備えていたが、本件で●のために緩衝用マットを設置すべき義務があったとする控訴人らの主張は争う。その理由は次のとおりである。
すなわち、緩衝用マットを敷くことで、医師や看護師がマットにつまずいたり、滑ったりするなど、看護処置の障害が生じる。また、●は、本件事故当時、緊急処置を行うICUに入室しており、頻回に行うべき緊急の処置を行う際に、その都度緩衝用マットを外すといった処置を講ずるのは現実的でないからである。なお、緩衝用マットを設置すべき基準に照らしても、●につき緩衝用マットを設置する必要がなかったことは明らかである。この点は、E鑑定人も同趣旨の意見を述べている。
ウ 被控訴人病院の医師又は看護師(職員)による付添い等の措置に関する主張について
以下のとおり、控訴人らの主張は全て争う。
(ア)付添いの措置について
この点に関する控訴人らの主張は、結局のところ、24時間、常に付き添うべきであったというに等しい。しかしながら、ICUといえども、病院職員が24時間常に特定の患者に付き添うなど不可能である。
また、控訴人らが主張するように、ヴィーンFの投与によって●に不穏状態が生ずることについての予見可能性が導けないことは、既に主張したとおりである。
E鑑定人も、この点に不適切な点はなかったという意見を述べている。
(イ)ICU全体を見渡せる人員の配置について
ICU全体を見渡せる人員を常時1名確保しておくことをICU臨床一般に求めることは到底不可能である。ICU医療従事者の配置基準は、「患者何名に対して看護師1名」という形で診療報酬上決まっており、それを超えて、患者を担当せず常にICU全体を見渡すスタッフを確保しても、診療報酬額に反映されない。診療報酬の配置基準にない体制を構築する法的義務がないことは明らかである。
(ウ)ナースコールの設置について
一般に、ナースコールは、必要な場合に自己の判断に基づき意図的にナースコールを押すことができる患者につき設置するものである。しかしながら、●の身体抑制の程度や鎮静の程度からすれば、意図的にナースコールを押すことができる状態にはなかった。
すなわち、控訴人らが主張するような、転落の原因となるせん妄や不穏状態が患者(●)に生じた場合、患者は正常な判断ができず、自ら的確にナースコールを押すことはできない。したがって、控訴人らの上記主張事実を前提とすれば、ナースコールを●の手元に設置したとしても、●はナースコールをすることができなかったから、転落を防ぐことができた高度の蓋然性はない。
なお、E鑑定人は、ナースコールを設置しなかったことは不適切であるとの鑑定意見を述べている。しかしながら、E鑑定人は、その意見の前提となる診療経過(本件事故前における●の鎮静レベル)を誤認していること、E鑑定人の同意見は、本件診療経過(上記鎮静レベルや、アラーム付き人工呼吸器の装着、本件事故発生の8分前に●の危険行動の予兆がなかったことなど。)に照らした前方視的な意見ではなく、単に、ナースコールを設置しておけば●の転落を防げたかもしれないという後方視的な結果論に過ぎないから、被控訴人病院の医師及び看護師の法的な結果回避義務(ナースコールの設置義務)を基礎づける意見とはいえない。
(エ)離床センサーの設置について
●は、本件不穏行動の際に本件ベッドから離床した事実がない。そもそも、離床センサーは、一人で離床できる状態の患者に設置するものであるから、被控訴人病院の医師及び看護師が、当時離床できなかった●のために離床センサーを設置すべき注意義務はない。
(オ)人工呼吸器(挿管チューブが外れた際)のアラームの設定について
本件では、●がベッドから転落した時と同時に人工呼吸器のアラームが鳴ったから、アラームが適切に設定され、作動したといえる。
そして、上記事実に照らせば、本件において●の上記転落を回避することはできなかったといえる。
エ 十分な鎮静に関する主張ついて
(ア)適切な鎮静措置を行ったこと
鎮静についての一般的な医学的知見は、①鎮静そのもの(鎮静薬、鎮静状態)が、入院患者に重大なリスクを生じさせること、②原則、鎮静薬は使用しないこと、③鎮静薬を使用する場合も、鎮静レベルは深くなり過ぎないようにしなければならないことと整理される。
本件ガイドラインでは、プレセデックスについて、「臨床使用量では深い鎮静レベルの維持が一般に困難であり、フェンタニルなど鎮痛薬との併用やミダゾラム、プロポフォールなどへの変更が必要になる場合がある。」と記載されているから、被控訴人病院の●に対する鎮静措置(プレセデックスとフェニンタニルの併用)はこれに沿った適正なものである。また、フェンタニルは、その添付文書で、癌性疼痛に対して2~6ml/日から点滴静注を開始するとされているところ、本件では36ml/日が投与されており、本件の投与量が不十分であるとは評価できない。そして、プレセデックスは、その添付文書で、浅い鎮静に見えることがあっても不十分と考えてはならないとされている。
加えて、11月3日午後2時に●が挿管チューブを握ろうとした事実(不穏状態の事実)はないこと、同日午前0時30分頃の本件不穏行動を理由に鎮静すべき理由がなく、●は、本件不穏行動から約19時間もの間、1度も不穏状態になっておらず、転落の可能性が生じていなかったからすれば、上記以上に●を鎮静すべき義務はない。E鑑定人も、●に対する鎮静について不適切な点はなかったとする意見を述べている。
(イ)鎮静薬の副作用
鎮静薬はいずれも「呼吸抑制」、「低血圧」の副作用が生じる。
特に、控訴人らが主張するミダゾラムは、呼吸抑制や低血圧を誘発する可能性があること、これによって引き起こされる無呼吸は慢性閉塞性肺疾患や呼吸予備力が低い患者で最も起こりやすく注意が必要であることが指摘されている。
また、鎮静深度については、浅い鎮静深度で管理することが推奨されており、かつ、人工呼吸器管理の終盤ではなく早期の段階において浅い鎮静とすべきとされている。
オ 呼吸苦等の回避措置に関する主張について
(ア)被控訴人病院の医師及び看護師が採るべき結果回避措置は、●の転落を予見できた時点で執るべきであった具体的措置を問題にすべきである。この点、控訴人らは、本件輸液投与に関連した結果回避措置を主張するが、本件で結果回避措置を執るべき義務が生じた時点では、上記輸液投与が終了している。したがって、結果回避措置として輸液療法が適切かどうかを判断して輸液量を調整すべきであったという主張は、論理的に成り立ち得ない。
(イ)加えて、控訴人らは、エコー所見やCVPの値の変化等が具体的にどのような数値であれば輸液投与を止めるべきだったのかを主張していないため、主張自体失当である。もっとも、本件輸液投与の量は必要かつ適切であったから、仮に被控訴人病院の医師及び看護師が●のエコー所見やCVPの値の変化等を確認していたとしても、本件輸液投与を止めることにはならない。
敗血症の初期蘇生において特定のモニタリングを推奨するには十分な根拠がなく、本件当時、輸液量の調整について、CVPやエコー検査等特定のモニタリングを実施する義務は認められない。CVPは、静脈還流量と心拍出量のバランスのパラメーターであって、輸液量の調整に用いることはできないと考えられており、本件で実施が義務付けられるものではない。また、エコー検査についても、本件は人工呼吸器管理によるPEEPが施されているため、心エコーの下大静脈径、心腔内容量について、正確に評価できず、実施が義務付けられるものではない。なお、本件では心不全が問題となっておらず、この点からも実施が義務付けられるものではない。
(3)被控訴人病院の医師及び看護師が、●に対し、平成28年2月12日~同月14日に輸液投与を行ったこと(本件2月の輸液投与)に関して過失があったか(争点(3))
〔控訴人ら〕
●の肺の状態は、平成28年2月10日には良くなっており、同月12日~同月14日の間に、●に対して大量の輸液を必要とする事情はなかった。それにもかかわらず、被控訴人は、同月12日以降、●にそれまでの約3、4倍の輸液を行った。
また、仮に輸液の必要があったとしても、被控訴人病院の医師及び看護師は、●に対するエコー検査やCVPの値を参考にして、輸液の量を調整するべきであったにもかかわらず、漫然と輸液を大量急速に投与した。
これによって、●は静水圧性肺水腫となり、又は、肺水腫が増悪したため、死亡した。
したがって、本件2月の輸液投与が被控訴人の過失に当たることは明らかであるといえる。
〔被控訴人〕
控訴人らの主張を争う。
●は、●RDS、敗血症によって全身状態が悪化し、血圧が安定しないなどの状態であったため、輸液によって循環動態を維持・改善することが不可欠であった。●が重症の呼吸不全、敗血症の状態で搬送されて来たことは、同人がヘリコプターで被控訴人病院に搬送されてきたことからも明らかである。
●の収縮期血圧は、平成28年2月13日午後11時45分の時点で55mmHgであり、同月14日になっても60mmHg台であったため、●に対する輸液が必要であり、輸液量も適切であった。この点、控訴人ら提出のF医師の意見書でも、3日午後6時36分以降の輸液投与を「必要かつ適切」と評価しており、同日の輸液量は9245mlであった。これに対し、平成28年2月14日の輸液量は4538mlであったから、必要かつ適切な輸液量であったことは明らかといえる。そもそも、控訴人らは、本件2月の輸液投与の量がなぜ過剰といえるのか、医学的知見に基づく具体的な理由すら主張できていない。
なお、●RDSは、輸液の大量・急速投与により生じるものではない。●が●RDSとなった原因としては、パラコート(除草剤)の吸引や、重症血性血小板減少症候群(SFTS。マダニに咬まれることにより感染するダニ媒介感染症)が考えられる。
(4)被控訴人病院の医師及び看護師の各過失と結果との間に相当因果関係が認められるか(争点(4))
〔控訴人ら〕
ア 死亡との相当因果関係(主位的請求の請求原因)
被控訴人病院の医師及び看護師は、その過失により、●を本件ベッドから転落させて脳死状態に至らせ、その後、●は、長期間の闘病により栄養状態が不良になったことと相まって、●の恒常性(生体の内部や外部の環境因子の変化にかかわらず生理機能が一定に保たれる性質のこと)が破綻し、死亡したものと考えられる。E鑑定人も同趣旨の鑑定意見を述べている。
また、上記恒常性の破綻に加えて、平成28年2月以降に輸液を大量に急速投与したという被控訴人の過失も相まって、●は死亡したとも考えられる。
この点、●のP/F値(動脈血酸素分圧であるP●O2を、呼気に含まれる酸素濃度であるFiO2で除した数値)(以下「P/F値」という。)は、11月2日に122であった数値が同月3日に94まで低下したものの、その10日後の同月13日には345まで改善しており、これは、●の●RDSが被控訴人病院の治療によって改善したことを意味する。また、E鑑定人も、P/F値等を参照して、●が本件ベッドから転落していなければ、12月15日頃には退院可能であったとする鑑定意見を述べている。
したがって、上記転落がなければ、●を救命できた可能性は極めて高かったといえるから、被控訴人病院の医師及び看護師の過失と、●の死亡との間には、相当因果関係がある。
イ 脳死とされる状態になったこととの因果関係(予備的請求の原因)
仮に、●の死亡と被控訴人病院の医師及び看護師の過失との間に相当因果関係が認められないとしても、●は死亡前に脳死とされる状態になった。
すなわち、転落後の頭部CT画像によると、右後頭骨骨折があり、びまん性脳損傷・脳腫脹が認められるから、●は、転落による頭部外傷から脳死状態になったものであり、少なくとも、●がベッドから転落し受傷したことに係る過失と、●の脳死状態との間には、相当因果関係がある。
〔被控訴人〕
ア ●の死亡との相当因果関係について
(ア)本件ベッドからの転落に関する過失と●の死亡との因果関係
● 過失と転落との因果関係
(●)既に主張したとおり、身体抑制は原則禁止されており、患者の受傷を防止するなど必要やむを得ない場合にのみ、必要最小限度の実施が許されるに過ぎない。また、患者が力一杯引っ張っても抜けないような強さで安全ベルトを装着すると、(もともと血圧が低い状態に)血流を悪化させるほか、患者に強い精神的苦痛を与える可能性があるため許されない。
したがって、仮に安全ベルトを適切に装着したとしても、●が力を入れて引っ張れば外れるのであり、転落を防止することはできない。
(b)既に主張したとおり、とりわけ体幹の転落防止帯は、それ自体呼吸困難の危険を生じさせるものである。●は●RDSの状態であったから、転落の具体的な危険が現実的に生じていない場合は直ちに外されるべきものである。
本件では、11月3日午前0時30分頃から同日午後7時20分頃までには約19時間あり、その間、●が不穏状態になることも、転落の予兆もなかった。したがって、仮に同日午前0時30分頃から転落防止帯を体幹に装着したとしても、その後19時間の間に外されることとなる。現に、同日午前11時27分頃の時点で、身体抑制継続の理由(適用基準)が、「手術創を保護できない、点滴ライン等を抜去するなど、治療や処置に協力が得られない」に限定されており、他の事由の記載がないことは、同月2日午後9時30分頃の身体抑制開始時における「せん妄、不穏状態、認知機能低下があり、転倒・転落の危険が著しく大きい」可能性がある状況がなくなったことを示していることは、既に主張したとおりである(なお、上記は入院当初の時点であるために広く記載されているに過ぎず、客観的に転落の危険が生じた事実はない。)。したがって、少なくとも同時刻時点では、体幹の転落防止帯は外されることになる。
このように、仮に同月3日午前0時30分頃に転落防止帯を体幹に装着しても、その後、外されることになるため、●の転落を防止することはできない。
(c)また、●は、11月3日午後7時20分頃の時点でR●SS-2(~-1)の状態であったから、仮にナースコールを設置したとしても、●はナースコールを押すことはできなかった。
加えて、ナースコールは、論理的かつ冷静な思考ができる状態でなければ使用できないのであって、上記のとおり、●は、本件事故当時、身投げ・自殺に等しい行動に及んでいることからすれば、この点でも、●がナースコールを使用できた高度の蓋然性はなかったといえる。
(d)被控訴人病院の医師及び看護師が、●のために離床センサーを設置したとしても、離床センサーが鳴った時点で●は本件ベッドから起き上がっていることになるから、●が本件ベッドから転落することを防止できた高度の蓋然性があるとはいえない。
(e)被控訴人病院のICUにおける医師ないし看護師の配置状況は、別紙4記載のとおりであるが、被控訴人病院の医師ないし看護師(職員)が、ICUの中心であるスタッフステーションにいたとしても、●の部屋の様子までは見ることができない。この点、E鑑定人も、上記職員がICU内を常時歩き回るという非現実的な行為までは求めていないと考えられるが、仮にそのような措置を採るべきであったとしても、●は、被控訴人病院の看護師によってその状態を確認された後、8分程度で本件ベッドから転落したことからすれば、上記職員において、●が転落するところを発見できた高度の蓋然性があるとまでは認められない。
(f)本件において、人工呼吸器のアラームが鳴ったのは●の転落後であったため、同アラームによって転落を防止することはできない。
なお、挿管チューブの接続部分は、安全のため一定の力が加わった場合に外れる仕組みになっており、外れやすいものではない。
b 本件ベッドからの転落と死亡との間の相当因果関係について
●の死亡の原因は●RDSである。●は●RDSに罹患した状態で被控訴人病院へ搬送されたところ、●RDSの死亡率は61.3%であり、転落がなければ死亡しなかった高度の蓋然性は認められない。
この点、P/F値は●RDSの指標になるところ、本件では●に脳挫傷が生じた後からP/F値は改善しており、脳挫傷及びその後の脳の状態によって●RDSが増悪したわけではないことが明らかである。また、P/F値は平成28年1月中旬まで改善したかに見えるが、同年1月後半から数値が急激に悪化しており、●RDSによる肺の炎症が持続したことで肺胞や間質の線維化が遷延しその器質的(不可逆的)変化によって肺における酸素交換ができなくなり死亡に至ったことが導かれる。
E鑑定人も、●RDS患者の死亡率は、中等症の場合40%、重症の場合45%であるとしている(なお、日本呼吸器学会は、16歳以上の285例における予測病院死亡率が49.4%、病院内日死亡率が61.3%、ICUでの死亡率が48.6%と報告している。)。●は重症であったことからすれば、本件ベッドからの転落がなければ死亡しなった行動の蓋然性があるとはいえない。
(イ)本件2月の輸液投与に関する過失と●の死亡との相当因果関係について
ヴィーンFの添付文書には、その投与によって●RDSが発生・悪化するとの記載はなく、患者に大量の輸液を投与すれば●RDSが悪化するとは限らない。現に、被控訴人病院は、平成28年2月3日以降、●に対して大量の輸液を投与したが、●の●RDSは悪化せず、むしろ改善している。
大量輸液の実施前である同月12日時点で、●の血圧は60mmHg台であったこと、それより前の時点からP/F値が悪化していたことからも、本件2月の輸液投与により肺水腫となって死亡したわけではないことが明らかである。なお、上記輸液投与について控訴人らが主張するような死亡の機序は、控訴人ら提出のF医師の意見書にも記載されていない。
イ ●が脳死状態になったこととの間の相当因果関係
被控訴人病院の医師及び看護師の過失と、●が本件ベッドから転落したこととの間に相当因果関係がないことは、既に主張したとおりである。
また、●が本件ベッドから転落しただけで、脳幹が直接ダメージを受け、脳死と同視し得る状態となる高度の蓋然性は認められない。本件では、重症●RDSによる血小板減少が作用したことが考えられる。●に生じたくも膜下出血が外傷性であるという客観的所見も存在しない。
(5)●及び控訴人らの損害及び額(争点(5))
〔控訴人ら〕
ア ●が死亡したことによる控訴人らの損害額(主位的請求)
控訴人らの損害額は、以下の(ア)~(エ)記載のとおり、各4124万9484円である。
(ア)●の損害額
● 逸失利益 4635万2450円
(●)基礎収入 536万0400円
① ●が控訴人■の農業経営を承継することはほぼ確実であり、●が控訴人■の年収額(概ね650万~700万円)程度の収入を得る蓋然性は高かったと考えられるため、●の基礎収入は、平成26年賃金センサス男性・学歴計全年齢平均賃金である536万0400円が相当である。
② 仮に、E鑑定人が述べるとおり、●に後遺障害が残存し、身の回りのことや短時間の軽作業、一般的な会社員の事務作業(デスクワーク)が可能であるにとどまるとしても、●は、上記(●)記載の程度の基礎収入を得られたというべきである。
すなわち、●は、Hを17歳で中退し、1年間勉強して大検に合格した後、I専門学校のシステム開発科に入学して、C言語やJ●v●言語等のプログラミング技術、HTMLやCSSを使ったWEBページデザイン、コンピューターの知識全般等を勉強して、情報処理技術者試験(国家資格)に合格した。●はプログラマーになることを希望していたが、平成22年9月頃に控訴人■が脊柱管狭窄症手術のために入院し、控訴人▲だけでは家業である農作業を完遂できなかったことから、●が上記農作業を手伝うようになった。
したがって、●は、12月15日頃(当時26歳である。)に被控訴人病院を退院した後、農作業に従事できないとしても、上記国家資格を活かして、デスクワークであるプログラマーとして稼働することは十分に可能であったから、平成26年賃金センサス男性・学歴計全年齢平均賃金である536万0400円を得られる蓋然性があった。
(b)中間利息の控除 17.2944
●は、死亡当時26歳の男子であり、67歳までの41年間就労可能であったため、この年数に対応する年5分の割合に基づく中間利息控除に関するライプニッツ係数は、17.2944である。
(c)生活費控除率 50%
●は独身の男性であったため、生活費控除率は50%とすべきである。
(d)逸失利益の計算
したがって、●の逸失利益は、以下の計算式のとおり、4635万2450円(円未満切捨て)になる。
(計算式)5,360,400×17.2944×0.5=46,352,450
b 慰謝料 合計2350万円
(●)傷害慰謝料 150万円
本件事故が発生した11月3日から●が死亡した平成28年2月14日までの約3か月強の入院期間(104日)は、本件事故と因果関係のある入院であり、この期間に対応する傷害慰謝料は150万円が相当である。
(b)死亡慰謝料 2200万円
●が死亡したことによって被った精神的苦痛を慰謝するに足りる金額は、2200万円を下らない。
c 治療費 39万0518円
●が被控訴人病院に入院した11月2日から●が死亡した平成28年2月14日までの間における治療費は、合計で39万0518円になる。
(d)入院雑費 15万6000円
上記b(●)記載のとおり、本件事故と因果関係のある入院期間は104日間であるから、日額1500円として、15万6000円(=1500円×104日)が本件事故と相当因果関係のある損害である。
(e)葬儀費用 160万円
控訴人らが要した●の葬儀費用は、160万円である。
(f)合計
上記(●)~(e)の合計 7199万8968円
(イ)控訴人らの相続 各3599万9484円
控訴人らは、●の権利義務一切を各2分の1ずつ相続したため、上記7199万8968円の2分の1に当たる3599万9484円の損害賠償請求権をそれぞれ取得した。
(ウ)控訴人ら固有の損害額
● 遺族固有の慰謝料 各150万円
控訴人らの精神的苦痛を慰謝するに足りる金額は、各150万円を下らない。
b 弁護士費用 各375万円
控訴人らは、本件訴訟の追行を弁護士に委任しているところ、弁護士費用のうち各375万円は、被控訴人の過失と相当因果関係のある損害である。
(エ)控訴人らの各損害の総額 各4124万9484円
イ ●が脳死とされる状態になったことによる控訴人らの損害額(予備的請求)
●が脳死状態になったことによる控訴人らの損害額も、上記アの額と同額である各4124万9484円になる。なぜならば、脳死状態は死亡とほとんど同義であり、脳死状態からの回復が期待できないからである(逸失利益や葬儀費用も当然に認められるというべきである。)。
〔被控訴人〕
ア ●が死亡したことによる控訴人らの損害額について
(ア)逸失利益について
● ●が農業を承継する旨の主張について
(●)基礎収入
① 控訴人らの農業事業は、ナス栽培(2500平方メートル)の他に水稲耕作(2000平方メートル)もあったところ、ナス栽培のみを手伝っていたに留まる●が、控訴人らの農業経営を承継できたとの高度の蓋然性はない。
●は、11月の時点で、「ここ数年昼夜逆転」、「両親と接触していない」、「いつも家にいる。元気かはわからず。」という状態だった。そして、被控訴人病院へ防災ヘリコプターで搬送された時点で、重症●RDS、敗血症の状態であった。また、●は、H中退、I専門学校中退の後、全く就労経験のないまま上記状態となったものである。したがって、●が控訴人■の農業経営を承継できた蓋然性は認められない。
② 控訴人らは、控訴人■に関する損益計算書から、●の収入が年額210万~255万円だったと主張する。
しかしながら、上記損益計算書では、親族に対する専従者給与として支払った形で記載されているから、●が経営者として控訴人らの事業を承継できる状態であったことを推認させない。
仮に、●につき逸失利益が認められ、賃金センサスを用いる場合、学歴計ではなく、中学卒が適用されるべきである。
(b)就労可能年数
控訴人らは、平成28年時点で50歳前後であったから、●が直ちに控訴人らの事業(農業)を承継するとはいえない。
(c)生活費控除率
争う。
b ●がプログラマーとして稼働する旨の主張について
●の逸失利益の発生を否認し争う。次のような状況にあった●が、プログラマーとして、控訴人らが主張する程度の収入(賃金センサスの平均賃金)を稼ぐことができたとは到底考えられず、●について逸失利益が認められる余地はない。
●は、H中退、I専門学校中退の後、一度も社会に出て就労した経験がなく、既に主張したとおり、11月時点で「ここ数年昼夜逆転」、「両親と接触していない」という状態であった。
また、●が合格した試験は、基本情報技術者試験(FE)という情報処理推進機構の試験区分のうちの最も基本的な試験であり、情報技術者として何ら専門性を有する資格ではなく、同資格を活かしてプログラマーとして稼働できたとは考え難い。加えて、●が同試験に合格したのは平成20年であり、平成27年までの7年間、少しの農作業を手伝うことがあったとしても、基本的にいわゆる引きこもりの生活をしており、プログラマー関係の業務は一切していなかった。
c ●の労働能力喪失率について
仮に、●が何らかの軽作業に従事できる状態であったとしても、●は、本件ベッドから転落する前に●RDSに罹患していたことからすれば、●の労働能力は認められず、少なくとも、労働能力喪失率は80%を超えるものといわざるを得ない。
(イ)慰謝料、治療費、入院雑費及び葬儀費用について
いずれも争う。
(ウ)控訴人らの相続について
控訴人らが●を各2分の1ずつ相続したことは認める。
(エ)遺族固有の慰謝料及び弁護士費用について
いずれも争う。
イ ●が脳死状態になったことによる控訴人らの損害について
(ア)●に脳死状態が生じたことは争わない。
(イ)しかしながら、仮に、●の脳死について被控訴人に責任があるとしても、●は、平成28年2月14日、被控訴人の過失とは関係なく死亡したので、逸失利益が認められるとしても、同日までの期間に限られる。そして、●は、11月2日から重度の呼吸不全で入院した後、平成28年2月14日までの間に就労できる蓋然性はなかったのであるから、結局、●に逸失利益はない。
(ウ)●は11月2日から平成28年2月14日まで呼吸不全に対する入院加療が必要であったから、治療費及び入院雑費が本件事故と因果関係のある損害とはいえない。
(エ)死亡結果を損害としない以上、葬儀費用を損害として認めるのは相当でない。
(オ)その余の反論は、「●が死亡したことによる控訴人らの損害額」に係る被控訴人の主張と同じである。
第3 当裁判所の判断
1 認定事実
前記前提事実、証拠(甲●1~9、10、12、24、30~35、36の1~3、B10、25、36、38、39、C10、11、乙●1、3、5~7、8の1・2、9、11、14、15、乙B11、26、原審証人J、同D、原審控訴人■本人、当審における鑑定の結果)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。
(1)●の経歴及び被控訴人病院に搬送されるまでの経緯等
ア ●(平成元年○月○○日生、本件事故当時26歳)は、控訴人ら間の子であるところ、平成17年3月に中学校を卒業後、同年4月にH専門学校(H)に入学したが、平成18年(当時17歳)に中退し、平成19年8月31日、高等学校卒業程度認定試験規則による認定試験に合格後、I専門学校システム開発科に入学した。●は、同科において、プログラミング技術(C言語、J●v●言語等)、WEBページデザイン、コンピューター知識全般等を学習し、平成20年11月13日、国家試験である情報処理技術者試験(基本情報技術者試験)に合格した。
●は、上記資格試験に合格したことから、プログラマーとして稼働することを希望していたが、控訴人■が平成22年9月頃に脊柱管狭窄症の手術のため入院したことをきっかけにI専門学校を中退し、その頃から、控訴人■が経営する農業(ナス等のハウス栽培)を手伝うようになった。●がしていた当時の農作業は、ナスの収穫や定植等(午前6時30分~午後零時頃)、不要な葉や脇芽を取るといったナスの手入れや収穫したナスの袋詰め(午後2時頃~午後5時頃)であった。なお、ナスのハウス栽培は、毎年9月頃~翌年6月頃にかけて行われる。
イ ●は、平成24年頃から自分の部屋に引きこもることが多くなり、農作業もほとんどしなくなった。また、●は、この頃から、昼夜が逆転した生活をするようになり、同居する控訴人らともほとんど接触しなくなったため、控訴人らは、●の普段の体調を窺い知ることができない状態になった。
●は、平成27年頃においても、控訴人らと顔を合わせたり会話したりすることは、●の誕生日や年末年始等の出来事があるときや、ナスの定植が始まる8月頃の数回に留まっていた。控訴人■は、●の誕生日である○月○○日、自室にいた●に対し、誕生日の食事として寿司を差し入れ、ハウスの仕事(ナスの栽培)もしてみないか、おまえ自身がやる気があるならいつでも待っていると声を掛けた。
●は、9月中旬頃から、頭痛や倦怠感といった体調不良を覚えるようになり、特に倦怠感が持続・増悪して、10月27日頃からは通常の食事がとりにくいとして、控訴人らが●の部屋に持参したゼリー飲料、スポーツドリンクしか摂取しなくなった。
ウ ●は、10月29日頃から頭痛、鼻汁、倦怠感が増悪し、また、同月31日に発熱、11月1日に鼻汁と咳嗽が出現するようになった。
●は、上記症状に耐えかねて、同月2日、農作業中の控訴人■の携帯電話に電話をかけ、鼻水がつらい、呼吸がしづらいと訴えた。
そのため、控訴人■は、●をB病院へ連れていくことにし、両名は、同日午後3時頃、同病院に到着した。
診察した同病院の内科の医師は、●について、意識清明であるが、呼吸不全があること、体温が39.8度、血圧が88/61mmHg、SpO2が88%~100%、胸部CT検査の結果、肺の両側上葉から下葉にかけて小葉中心性のすりガラス影が認められること、血液検査の結果、WBC(白血球)が1800/μl、Plt(血小板)が55000×10の4乗/μlと著明に低値であったこと、●によればHIV感染などの思い当たるエピソードはないが、何らかの基礎疾患を有する可能性があり、今後の状態が増悪することを予想して、ICUに入床する適応もあるとして、急性肺炎との疾病名で、ICUのある被控訴人病院に、●を緊急搬送する判断をした。
そこで、●は、ソルアセトF輸液(血液代用剤)500mlの投与及びリザーバーマスクでの酸素投与を受けながら、同日午後5時35分、防災ヘリコプターに収容されて、B病院を出発し、同日午後5時44分、被控訴人病院に到着した。上記ヘリコプターには控訴人■も同乗した。
(2)被控訴人病院における11月2日の診療経過
以下、本項における出来事はいずれも11月2日のものであるから、月日の記載は省略する。
ア 被控訴人病院に搬送された●は、同病院医師の診察を受け、同病院に入院することになり、被控訴人との間で、診療契約を締結した。
●は、午後6時頃から、血液検査、一般細菌検査(血液、喀痰、尿等)、胸部画像検査、心電図検査等を受けた(甲●2、8・13ないし18頁)。その結果、白血球が1330/μl(下限値3500)、血小板が4.4×10の4乗(下限値12.0)であり、いずれも下限値を下回っていた。もっとも、心臓に負荷がかかったときに上昇するBNP(心房性ナトリウム利尿ペプチド)は4.8pg/ml(上限値18.4)であり、上限値内であった。
また、●は、当時、心拍140bpm、血圧100/60mmHgと循環不全の状態にあり、体温が40度あった。そして、●のSpO2の数値は、酸素投与を受けた状態で、午後5時58分及び午後6時20分はいずれも99%、午後6時45分は96%であった(甲●10・507、508頁)。
イ ●は、午後7時、ヴィーンF(血液代用剤)500mlの投与を受けた。
ウ 被控訴人病院呼吸器内科のC医師は、午後7時頃、●について、入院申込時病名が、「急性呼吸窮迫症候群(●RDS)」であり、B病院での状態よりも悪化傾向にあること、重篤な呼吸不全が認められ、緊急治療が必要な状態にあるとして、急性期の状態が落ち着くまで、推定最大2週間程度の入院が必要であると判断した。
C医師は、午後7時4分頃、控訴人■に対し、●の病態について、肺炎ではあるが、通常の細菌性のものではなく原因不明のものであること、肺以外の感染症がもとになっている可能性があること、重篤な場合には気管内挿管し、手術のように鎮静して治療時間を稼ぐことが救命のために必要になるときもあるが、そこまで重篤化した場合には一般的に救命率が低いことなどを説明した。
また、C医師は、午後7時15分頃、控訴人■に対し、場合によっては●の身体を抑制する必要がある旨説明した。そこで、控訴人■は、「やむを得ない身体抑制に関する説明・同意書」と題する文書の親族欄に署名押印し、患者氏名欄についても、●の署名押印部分を代筆して、本件同意書が完成した。
本件同意書には、患者に身体抑制を行う場合として想定される事例が列挙されており、そのうち当該患者に当てはまるものに被控訴人病院が予めチェックを入れた後、患者や親族から同意(署名押印)を得る書式になっている。●については、「せん妄、不穏状態、認知機能の低下があり、転倒・転落の危険が著しく大きい」、「せん妄、不穏状態、認知機能の低下があり、医療ケアへの拒否行動がある。」、「手術創を保護できない、点滴ライン等を抜去するなど、治療や処置に協力が得られない」などにチェックが入れられていた。
エ ●は、午後7時30分、ヴィーンF500mlの投与を受けた。
また、●は、午後7時40分頃からメロペネム(抗菌薬)の投与を受け、以降、定期的に同抗菌薬の投与を受けた。
C医師は、午後7時58分頃、被控訴人病院の看護師等に対し、SpO2を90%以上で保つように酸素を投与すること、リザーバーマスクを使用すること、SpO2の数値が良ければ、酸素投与量を徐々に減らし、あるいは中止しても構わない旨指示した。
●は、午後8時、更衣時に本件ベッドの頭部側を下げる(ギャッチダウンする)と呼吸苦が増悪し、すぐに起坐位になった。●に咳嗽はなかったが、頻呼吸が続いており、看護師に対して、呼吸苦や鼻水が辛いと訴えていた。
●は、午後8時30分頃からミノサイクリン(抗菌薬)の投与を受け、以後、定期的に同抗菌薬の投与を受けた。
C医師は、午後8時52分頃、グラム陽性球菌2+などの一般細菌検査の結果を見て、●の傷病としては、「敗血症を基礎疾患とする●RDS」、「発熱性好中球減少症」、「DIC(播種性血管内凝固症候群)」の可能性があると考えた。
オ ●は、午後9時15分、被控訴人病院のICU(5号室)に入室した。以後、本件事故の発生まで、ICU5号室の入口扉は開けたままの状態にされていた。
●が、本件事故当時、ICU5号病室において使用していた本件ベッド及びベッド柵の形状の詳細は、別紙2記載のとおりである。
すなわち、本件ベッドは、縦の長さが外寸234.2cmで内寸195.0cm、横の長さが外寸(サイドレール使用時)102.0cmで内寸83.0cm、高さは床からベッド上面までが50.0cmでベッド手すり上縁までが127.8cmのキャスター付きである。
また、本件ベッドの左右(本件ベッドの頭部側から見た位置関係であり、以下、同様に表現する。)には、2個ずつ、左右合計4個の落下防止柵(ベッド柵)が設置されていた。ベッド柵の横の長さは、頭部側の2つがそれぞれ68cm、足側の2つがそれぞれ63cmであり、高さはいずれも30cmであった。ベッド柵の間隔は、ベッド水平時では上部24cm、下部38cmであり、頭部挙上時(約10度)では上部19cm、下部35cmであった。
なお、被控訴人病院のICUの概略図は別紙4記載のとおりであり、5号室は個室であったが、6号室~10号室は4人~5人部屋であり、5号室と6号室~10号室の間には壁があったが、6号室~10号室は大部屋で、間に壁はなかった。
被控訴人病院のICUに入室する患者の主治医は、救急救命科の医師ではなく、当該患者をICUに入室させる判断をした診療科の医師が務めることになっていた(オープンICU)。そのため、●がICUに入室した後も、C医師が主治医を務めた。
●は、午後9時25分、激しく咳込んだ後、「息ができない。」と訴えて苦痛の表情を浮かべ、頻呼吸で悶え始めたことから、C医師は、●を鎮静した上、気管内挿管を実施することにした。
そこで、被控訴人病院は、午後9時30分、●の身体抑制の要否を検討したところ、●については「せん妄、不穏状態、認知機能低下があり、転倒・転落の危険が著しく大きい」、「せん妄、不穏状態、認知機能低下があり、医療ケアへの拒否行動がある」、「手術創を保護できない、点滴ライン等を抜去するなど、治療や処置に協力が得られない」、「検査や手術後に必要な安静を保つことができない」ため、両手を安全ベルトで抑制する必要があると判断した(この内容は、被控訴人病院が「アセスメントシート」と呼称する文書に記載された。)。そのため、●は、同時刻頃、両上肢を抑制された上で、気管内挿管のためにプロポフォール(全身麻酔、鎮痛用剤)が投与された。
●のSpO2は、同時刻頃が90%であり、午後9時45分に83%に低下したが、●は、その後、気管内挿管をされ、午後9時51分、人工呼吸器を装着された。
カ ●は、午後9時59分、ヴィーンF160mlの投与を受けた。
午後10時、●の気管から多量の痰(薄茶色の泡沫状のもので、淡血性が混じっていた。)が溢れた(SpO2は96%であった。)。加えて、午後10時20分、バッキング(患者がせき込みだすことなどにより、患者の呼吸と人工呼吸器の送気リズムが同調しない状態)を原因として、●の気管から多量の泡沫状の痰が吹き上がった。そのため、被控訴人病院は、午後10時24分、●を鎮静するべく、フェンタニル(鎮痛剤)2ml/h、プレセデックス(鎮静剤)4ml/hの投与を開始した。
●の収縮期血圧は、午後10時42分、80mmHg台に低下した。
キ 控訴人らは、午後10時56分頃、ICU5号室にいる●と面会した。控訴人らは、人工呼吸器を装着して横たわった●の姿を見て、●が眠っていると思い、●と意思疎通をすることなく、午後11時15分頃、退室した。
この点、午後11時における●のR●SSは-1(傾眠状態)であり、収縮期血圧は改善せず、60mmHg台に低下していた。
また、●は、同時刻頃、気管及び口と鼻の吸引処置を受けたところ、泡沫状で淡血性のある、多量の痰が採取された。そして、●は、鎮静中であることから、危険行動があると評価された。
ク 午後11時30分の●の収縮期血圧は、●の下肢を挙上しても70mmHg台であった。
その後、●は覚醒し、午後11時40分、被控訴人病院の看護師の問いかけに頷いたが、収縮期血圧が改善しなかったことから、●は、午後11時59分、ノルアドレナリン(昇圧剤)2ml/hの投与を受けるようになった。
(3)11月3日の診療経過(本件事故前まで)
以下、本項における出来事はいずれも11月3日のものであるから、月日の記載は省略する。
ア ●は、午前0時、気管及び口と鼻の吸引措置を受けたところ、泡沫状で淡血性が混じった痰が多量に採取された。
同時点における●のICDSCは5点(せん妄の判定基準(4点以上)を上回る。)であり、その内訳は以下のとおりであった。
評価項目 点数
意識レベルの変化 1
注意力欠如 1
失見当識 0
幻覚、妄想、精神障害 0
精神運動的興奮、遅滞 1
不適切な会話、情緒 1
睡眠/覚醒サイクルの障害 0
症状の変動 1
イ ●に投与されていたノルアドレナリンは、午前0時14分、C医師の指示で、4ml/hに増量された。
ウ 本件不穏行動の発生
●のSpO2は、午前0時15分が91%、午前0時30分が87%であった。
被控訴人病院の医師(男性)2名及び看護師(男女各1名)2名は、午前0時30分、●の右手に動脈ラインを挿入するため、本件ベッドの周囲に集まり、●に装着された安全ベルトを外したところ、本件ベッドに寝ていた●は、突然起き上がろうとした。●は興奮しており、看護師から動かないように言われても従うことができず、本件ベッド上で身体を激しく動かしたことから、上記医師及び看護師(合計4名)は●を押さえつけたが、●の動きを直ちに制止することができなかった(本件不穏行動の発生)。
そのため、C医師が●にフェンタニル5mlを投与(フラッシュ)したところ、午前0時40分に●の体動がおさまり、午前0時45分、●の右手に動脈ラインが挿入された(この時点で、ICDSCは5点と評価された)。
エ 午前0時52分、●に投与されていたノルアドレナリンは、6ml/hに増量された(甲●9・406頁)。
被控訴人病院は、午前1時7分、●の転倒・転落の危険度について、評価スコア0点(危険度Ⅰ:転倒・転落を起こす可能性はあるが、その防止計画を立案する必要を認めない。)と判定した。なお、この検討内容は、被控訴人病院が「転倒・転落アセスメントシート」と呼称する文書に記載された。
●は、午前1時20分、右頚部にCV(中央動脈)ラインが挿入され、午前1時30分、プレセデックスとフェンタニルの投与を受けた。この時、三つ又になっているトリプルルーメンのCVカテーテルをすべて輸液、薬剤投与のために使用したことから、●のCVP(中心静脈圧)は記録できなかった。
被控訴人病院は、午前1時32分、●が自力で体位を変換できない状態にあることから、全身の褥瘡対策を立案し、2時間毎に体位を変換することにした。
オ ●は、午前2時21分頃、リコモジュリン(血液凝固阻止剤)の投与を受け、午前3時37分頃、献血ヴェノグロブリン(血漿分画製剤)の投与を受けた。
●のR●SSは、午前2時、午前3時14分及び午前5時の各時点において、いずれも-4(深い鎮静状態)と評価された。また、●のSpO2は、午前2時~午後7時において、概ね92%~96%の間で維持されていた。
カ ●は、午前7時、R●SS-3(中等度鎮静状態)と評価され、ICDSCは合計3点であった(その内訳は以下のとおりである)。(なお、控訴人らは、午前7時4分のICDSCが5点であったと主張するが、これを認めるに足りる的確な証拠はない。)。
評価項目 点数
意識レベルの変化 0
注意力欠如 1
失見当識 0
幻覚、妄想、精神障害 0
精神運動的興奮、遅滞 1
不適切な会話、情緒 0
睡眠/覚醒サイクルの障害 0
症状の変動 1
キ ●は、午前10時、R●SS-2(軽い鎮静状態)と評価された。
午前10時32分、●の口腔に多量の黄色泡沫状の痰が認められ、午前11時8分に実施された口腔ケアの際にも、血性痰が中等量吸引された。
●のSpO2は、午前7時30分~午前11時の間において、概ね90%~94%で推移した(ただし、午前9時30分は86%であった。)
ク C医師は、午前11時20分頃、午前中に撮影された胸部の画像を見て、肺の陰影が増加していること、特に下肺野での増加を認めた。●のSpO2は、同時点で94~95%であった。
また、C医師は、午前11時27分頃、同日朝の血液検査の結果から、免疫グロブリンが低めであり、好中球が増加したが84.5程度であること、リコモジュリンをもう少し試み、血小板数(3.5)が低下すれば補充すること、腎機能が低下すれば血液透析(HD)も相談すること、著効ではないがエラスポール(好中球エラスターゼ阻害剤)の適用があるなどと評価した。
そして、被控訴人病院は、同時刻頃、●に対する身体抑制を継続すべきか検討した結果、継続すべきと判断した。その理由は、「手術創を保護できないこと、点滴ライン等を抜去する等治療や処置に協力が得られないこと」のみであり、2日午後9時30分の身体抑制アセスメント時のように、せん妄、不穏状態、認知機能低下を理由とするリスク(転倒・転落の危険が著しく大きい、医療ケアへの拒否行動がある)があるとは認めなかった。
●のSpO2は、午前11時30分に93%、午後0時に95%であった。また、●の体位は、午後0時、右完全側臥位に変換された。
ケ ●は、午後1時24分、痰の吸引処置を受けた際、多量の黄色泡沫状の痰及び中等量の淡々血性混じりの黄色の痰が認められた。
●のR●SSは、午後1時25分、-2(軽い鎮静状態)と評価された。また、午後1時34分頃、●に危険行動がなく、安静を保てていること、●が呼び掛けに対してうなずき、首振りが可能であることが確認された。
被控訴人病院は、午後1時51分、●の身体抑制に関するアセスメントシートの記載内容を更新した(前記のとおり、●については、「手術創を保護できない、点滴ライン等を抜去するなど、治療や処置に協力が得られない」ため、引き続き両手を安全ベルトで抑制する必要があるとされた。)。
被控訴人病院の看護師は、午後2時、●の体位を右完全側臥位から左完全側臥位に変換するに当たり、両上肢の安全ベルトを外した際、●が気管内挿管の挿管チューブを握ろうとした。看護師は、これについて、●の危険行動があったものと評価し、診療記録にその旨記載した。
●のSpO2は、午後0時30分~午後2時において、94%~95%で推移し、午後2時6分時点で98%に上昇した。
コ ●の午後3時時点のICDSCは、合計3点であり、その内訳は以下のとおりであった。また、●の午後3時4分時点のR●SSは、-2(軽い鎮静状態)と評価された。そして、●のSpO2は、午後2時30分~午後4時30分において、93%~95%で推移した(なお、午後3時時点は93%であった。)。
評価項目 点数
意識レベルの変化 1
注意力欠如 0
失見当識 0
幻覚、妄想、精神障害 0
精神運動的興奮、遅滞 1
不適切な会話、情緒 0
睡眠/覚醒サイクルの障害 0
症状の変動 1
サ ●は、午後4時27分、右完全側臥位へと体位変換された。そして、●のR●SSは、午後4時38分、-2(軽い鎮静状態)と評価された。
シ 被控訴人病院のJ看護師(以下「J看護師」という。)は、午後4時30分から、準夜勤(所定の勤務時間は午後4時30分~翌4日午前1時15分である。)を開始し、ICUの5号室(●在室)~7号室を担当した(5号室~7号室に入室する時以外は別紙4記載の(N)(△)の位置にいた。)。
J看護師は、勤務の開始に当たって●の診療記録を確認した際、午前1時7分の転倒・転落リスクの評価及び午後1時51分の身体抑制の必要性評価(各アセスメントシート)を見て、●については転倒、転落のリスクは低く、点滴ラインを抜去するおそれを防止するために身体抑制がされていること、午後2時に●が挿管チューブを握ろうとしたことを認識した。そこで、J看護師は、●が挿管チューブを握ろうとしないか(点滴ラインを抜去するなどのおそれがないか)を注意して観察することにした。
ス 控訴人らは、午後5時15分頃、●と面会するためにICU5号室に入室した。その際、●は右向きの状態で控訴人らに背を向け、本件ベッド上で横になっていたため、控訴人らは●が起きているのか否か分からなかったが、同席したJ看護師が●に声を掛けた後に●の顔の正面側に回り込むと、●は目を開けていた。
控訴人らは、●の動きから何かを伝えたそうであると感じ、控訴人▲が、●に対し、「どこか痛いの」、「かゆいの」、「どうしたの」と次々に話しかけ、さらに、「メガネがいるの」と問いかけると、●は頷いた。
●は、当時、人工呼吸器を装着されていたため、声を出すことができなかったことから、控訴人らと筆談することになり、J看護師は、そのために●の右手の安全ベルトを外した。●は、上半身を起こし、J看護師が用意した紙と筆記用具を使用して、「こんなおおごとになるとはおもわん」、「おおごとのことは(じ)をかくだけのこと」、「ほかの人が大ごとににんしきしすぎただけ」などと記載した。
●は、控訴人らとの面会中、J看護師に痰の吸引措置をしてもらったが、その際、何らかの原因で人工呼吸器の管が外れ、異常を知らせるアラームが鳴ったので、控訴人▲は、●に対して「驚いたね。」と声をかけた。
控訴人らと●の面会は午後5時45分頃に終了した。控訴人▲は、その際、●がぐったりしているように見えた。
その後、J看護師は、●を左側臥位にし、右手の安全ベルトを再装着し、その際、●の身体抑制が適切であるかも確認した。
●のSpO2は、午後5時に92%、午後5時15分に91%、午後5時30分に87%、午後5時45分に90%であった。
セ ●は、控訴人らとの面会が終了する午後5時45分頃から、体調の悪化を覚えるようになり、J看護師も、●の全身の発汗が著明であると認識した。
午後5時59分、プレセデックス、フェンタニル、ノルアドレナリンの投与が更新された(いずれも継続的に投与されていた。)。
●のSpO2は、午後6時頃が95%、午後6時30分頃が93%であったが、午後6時35分頃に80%台に低下し、値が上昇しなくなった。また、同時刻における●は、体温41度、呼吸数40回/分、心拍150回/分前後になり、収縮期血圧も60~70mmHg台に低下した。そのため、J看護師は、同時刻頃、ICUで他の患者を診ていたD医師(救命救急科医師)に対し、呼吸不全の患者の循環状態が悪いので急いで診てほしいなどと声を掛け、上記各数値を報告した(なお、D医師は、上記の理由でたまたまICUに居ただけで、●をそれまで診たことがなく、●の診療記録も見ていなかった。)。
D医師は、午後6時36分頃、ICU5号病室に入室し、●の人工呼吸器モニターに表示された呼吸数が40回/分程度、体温が41.2度、脈拍が150回の洞性頻脈、収縮期血圧が60~70mmHg、平均血圧40mmHg台であり、ショックインデックスの数値がおよそ2.1~2.5であることを確認した。これについてD医師は、●の体内の血液量が2l以上少なくなっており、脱水状態であることから、大きな注射器を使って体の中に急速に輸液を入れ(ポンピング)、血液量を補正する必要があると判断した。そこで、D医師は、J看護師に対し、ヴィーンF500mlをポンピングで投与するよう指示し、●の意識レベルについて、非意図的な運動はなかったものの、人工呼吸器ファイティング(呼吸数が多くなりすぎて人工呼吸器と同期しないこと)があったことなどから、●のR●SSを+1(落ち着きのない)~+2(興奮した)と評価した。
J看護師が、同時刻頃、●に対し、CVラインから、ヴィーンF500mlをポンピングで投与し始めたところ、●は、呼吸数25回/分、心拍130~140回/分、収縮期血圧80mmHg台になり、興奮が落ち着き始めた。D医師は、●を初めて診るため、疾患の原因を探るべく、●に対し、ご飯を食べていたかなどと話しかけると、●は首を横に振り、また、パソコンが得意だったのかと聞くと、●は頷いた。D医師は、この反応を見て、●の状態が落ち着いてきたものと感じた。
D医師は、●が何か言いたそうだったので、両手の安全ベルトを外し、●と筆談することにした。●は、紙に、「のどのほうをおさえながらたんをのみこめるかもしれん」と記載したので、D医師は、それはできない、チューブを押し込むと肺の片側に酸素が入らなくなると返答すると、●は頷いた。
●に対する上記ヴィーンFの投与は、午後6時45分頃に終了した。●は、この頃、心拍が139回/分、血圧が81/72mmHgになり、発汗も軽減し始めた。D医師は、同時刻頃、J看護師に対し、●に対する2本目の輸液投与(ポンピングによるヴィーンF500mlの投与)を指示した後、ICU5号室から退室した。
ソ J看護師は、午後6時45分頃、D医師の上記指示どおりに、●に対する2本目の輸液投与を開始した。その頃の●のSpO2は94%であり、収縮期血圧も90mmHg台に上昇した。この輸液投与(2本目)は午後7時1分頃に終了したところ、その頃の●のSpO2が89%、収縮期血圧が99mmHgであったこと、●の人工呼吸器のモニターに表示された呼吸数が25回/分であり、発汗も軽減したことから、J看護師は、●の状態が午後6時35分頃の状態と比べて落ち着いたと感じた。
J看護師が●に対し、楽になったかと問い掛けると、●は首を縦に振った。この時、●が暴れるなどの動作は一切なかった。
タ J看護師は、午後7時1分頃、●の尿が出たため、D医師にその旨報告すると、D医師は、尿比重を確認するため、ICU5号室を訪れた。
D医師は、●が●RDSであると考え、肺胞リクルートメント(萎んだ肺を膨らませるために、人工呼吸器で圧力をかけること。)の目的で、●に対するPEEPを20cmH2Oまで上げたところ、モニタリング呼気1回換気量が0.4から0.8に上昇し、呼吸状態がよくなった(萎んでいた肺が膨らんだため、ガス交換がよくなった)ものと判断した。もっとも、D医師は、PEEPを高く設定したままにすると肺の状態が悪くなると考え、ほどなくPEEPを10cmH2Oに戻した。
また、D医師は、午後7時2分頃、J看護師から、●の尿比重が1.027~1.028であるとの報告を受けた。D医師は、尿比重が高い数値を示していることから、腎機能に関しては、尿を濃縮する力は残っているものの、脱水があるため、腎前性腎不全(脱水等が原因で腎臓への血流が低下し、腎臓の機能が失われていないにもかかわらず、尿量が乏しくなった状態)の可能性が高いと推測して、輸液を継続して対応するべきと判断した。●の収縮期血圧は、同時刻頃、90mmHg台で維持されていた。
D医師とJ看護師は、同時刻頃、●の手の爪が3~4cm伸びていることに気付いたので、別の看護師(K看護師)が、●の両手の安全ベルト及び左手のミトンを外して、●の両手の爪を切った。この時、D医師は、●に対し、いつから爪を切っていなかったのかと尋ねたところ、●は、「たいちょうわるなってから」と紙に書いて(筆談で)返答した。D医師が、●に対し、体調が悪くなったのは1か月前からかと尋ねると、●は頷いた。この時、●が不穏な動作をすることは一切なかった。
D医師は、この頃、J看護師に対し、ヴィーンFを通常の点滴で追加投与するように指示し、ICU5号病室から退出した。J看護師は、この頃、D医師の指示どおりに上記点滴投与(120ml/hの速度で合計500mlの投与)を開始した。
この点、D医師は、上記のとおり輸液を2本ポンピング投与した後、●の状態が落ち着いたものとして、R●SSは0(意識清明で落ち着いている)程度と評価した。そして、D医師は、今後、●の全身状態が更に改善することで、●のR●SSがマイナスになるだろうと考えており、また、人工呼吸(気管挿管)の開始早期(最初の48時間)に深鎮静をするとその後の予後が悪くなる(抜管の遅延、死亡率の増加をもたらす)という報告があること(乙B11)を承知していたため、●については、プレセデックスとフェンタニルの投与(浅い鎮静)で足り、プロポフォールやミダゾラムなどを投与して、より深く●を鎮静する必要はないと考えた。そして、D医師は、●のP●O2が90台であり、P/F値が悪かったことから、FiO2を下げることは考えなかった。
チ J看護師は、午後7時5分頃、●の発汗により、右手動脈ラインの固定テープが緩んでいることを見つけ、他の準夜勤の看護師とともに、右手の固定板を一度外した上、動脈ラインの固定テープを張り直し、その後、固定板を再装着した。そして、同看護師らは、●を左完全側臥位の体位にし、腹部にクッションを抱かせ、背部に折り畳んだ掛布団(毛布)を当て、両脚の間に布団を挟ませた。
そして、J看護師は、●の固定板(別紙1の写真1及び2の形状)が装着された右手に安全ベルト(別紙1の写真4の形状)を、左手にミトン(別紙1の写真3)と安全ベルトをそれぞれ手首に装着した。その際に、指2本程度が入る余裕をあけて手首に安全ベルトを装着し、右手の安全ベルトを足側左のベッド柵に、左手の安全ベルトを頭側左のベッド柵に、それぞれ固定した。安全ベルトの紐部分の長さは、右手のものが約30cm、左手のものが約12cmであった(以下、J看護師が行った上記の身体抑制を「本件身体抑制」という。)。その際、J看護師は、●が痩せているため(●は、身長172cm、体重47kgであった。)、手首が細いと感じた。
また、●の左頭部側には吸引セット等の器具、CV点滴や動脈ライン点滴のための点滴台などが置いてあり、右頭部側に人工呼吸器とモニターが置いてあった。尿道留置カテーテルに接続されたハルンバッグ(採尿器)は、ベッドの下の柵に固定されていた。詳細は別紙3記載の「平成27年11月3日19:20分頃転落前の状況」記載のとおりである。
その後、J看護師は、●の痰を吸引する措置をした。
午後7時15分において、●のSpO2の数値は96.0%であり、動脈圧(収縮期)は96であった。
J看護師は、午後7時20分における●をR●SS-1(軽眠状態)~-2(軽い鎮静状態)と評価し、●はナースコールを使用できる状態にはないと考えて、●の手の届く範囲内にナースコールを置かなかった。また、●のために、離床センサーが設置されていなかった。
そして、J看護師は、午後7時21分頃、●に対し、この状態でいられるかと尋ねると、●が頷いたため、●に対し、また見にくることを伝えてICU5号室を退室し、その隣室のICUの7号室に移動した。
なお、本件事故当時、別紙4記載のとおり、(N)の位置には看護師が、(D)の位置には医師が、(×)の位置にはD医師がいた。
(4)本件事故の発生
以下、本項における出来事はいずれも11月3日のものであるから、月日の記載は省略する。
ア J看護師は、上記のとおり午後7時21分頃にICU5号室を退室後、隣のICUの7号室において、患者に点滴する薬剤の交換作業を開始した。同病室には同患者以外にはJ看護師しかおらず、特に発語することなく、この作業を行った。この点、ICUの7号室にいると、間に壁があるため、ICU5号室の中の様子を見ることはできなかった。
D医師は、上記タ記載の作業をしてICU5号室を退室した後、同病室の前にあるスタッフステーション2(別紙4記載の(×)の位置)において、隣(別紙4記載の(D)の位置)に座っていたL医師(循環器内科)と、適宜、患者の状態に関する会話をしながら、パソコンで救急救命科の患者の管理を始めた。
前記のとおり、ICU5号室の入口扉は常に開けた状態にされていたが、上記スタッフステーション2(D医師らが座っている場所)からは死角になっており、同所からICU5号病室の中の様子を見通すことはできなかった。
もっとも、人工呼吸器の異常(接続された管が外れる等)を知らせるアラームが鳴れば、上記場所にいたD医師らだけでなく、ICUの7号室にいたJ看護師も、その音に気付くことができる位置関係にあった。
イ ●は、J看護師が午後7時21分頃にICU5号室を退室後、何らかの方法により左手のミトンから左手を抜き、右手の安全ベルトから右手を抜き、本件身体抑制を解除した。そして、被控訴人の主張によると午後7時29分頃、●は、何らかの方法によって、本件ベッドのベッド柵を越え、本件ベッドの右側から転落し、頭部を床面に強く打ち付けた。
証人J看護師は、ICU5号室からドスンという音がし、それとほぼ同時に人工呼吸器の異常を知らせるアラームが鳴り始めた旨証言している。ICUの7号室にいたJ看護師は、この音を聞いて直ちにICU5号室へ駆け付けると、本件ベッドの右側の床に、●が仰向けで横臥した状態であった。また、D医師も、ドスンという音を聞き、看護師の声がするICU5号室に駆け付けた。なお、証人D医師及び同J看護師は、上記ドスンという音がする前に、本件ベッドのベッド柵等がきしむなどする音を聞いたことはなかった旨証言している。
ウ 本件事故直後のICU5号室(●が発見された状態)の詳細は、別紙3記載の「平成27年11月3日19:29分頃転落後の発見状況」のとおりである。
すなわち、●の身体は、病室の壁よりも本件ベッドに近い位置の床にあり、また、下半身よりも頭部の方がより壁に近い状態であった。そして、●の顔は左(本件ベッド側)を向いており、鼻と口からは血性痰が溢れていた。もっとも、それ以外の出血は殆ど見られず、本件ベッドに点々と血が付着した程度であった(なお、●の左下腿外側には擦過傷が、右後頭部には打撲痕と思われる発赤が認められたが、出血は見られなかった。)。また、●の両手にも傷は認められなかった。
●の右手首には固定板が装着されたままであったが、右手に施した動脈ラインが抜けており、その先端が本件ベッド上の中央部に残されていた。もっとも、点滴台やベッドサイドの物品等は、それが倒れたり位置が変わったりしていなかった。
●の右頚部に施されたCVカテーテルは、先端から抜け、本件ベッド上の中心部のやや上側に残されていたが、CVカテーテルの固定材は刺入部(ナート部)に残っていた。
また、●に装着されていた人工呼吸器は外れており、挿管チューブは床に落ちていた(なお、回路とチューブが繋がっていたかについては証拠上判然としない。)。
本件身体抑制の際、●の腹部に抱かせたクッションと、背中に当てた掛布団(毛布)は、いずれも本件身体抑制を行った際の位置とほぼ同じ位置にあった。尿道留置カテーテルは、ハルンバッグの接続部から外れていた。なお、ベッド上にチューブ類が散乱していた。
本件身体抑制に使用された器具のうち、●の左手に装着されたミトンと安全ベルトについては●の左手から外れ、●の頭側のベッド柵に固定されたままベッド上に残されていた。そして、右手に装着されていた安全ベルトも●の右手から外れ、●の足側のベッド柵に固定されたままベッド上に残されていた。
J看護師による上記発見当時、本件ベッドのベッド柵(高さ30cm)は全て引き上げられた状態であった。なお、●の呼吸苦が強いため、本件ベッドの頭部側が軽度上げられた状態であったが(本件事故当時にどの程度上がっていたかは不明である。)、これによってベッド柵も同時に上がるため、●が本件ベッド上で横になっていれば、●の身体の一部(頭部等)がベッド柵より上方に位置することはなかった。
(5)本件事故後の経過
ア ICU5号室に集まってきた被控訴人病院の医師及び看護師は、床で倒れていた●を抱えて速やかに本件ベッドに戻し、直ちに気管内挿管を行い、痰の吸引を行いつつ、バッグバルブマスクで換気を行った。その際の●は、呼び掛けに反応せず、自発呼吸が認められず、頸動脈が微弱であり、瞳孔は両側6mmで対光反射が消失していた。D医師は、●の循環血液量が不足していると考え、アルブミナー(血漿分画製剤)の急速投与を指示した。
D医師は、その頃、主治医のC医師や当直医が到着したので、状況を説明するなどの引継ぎをして、ICUから退室した。
被控訴人病院は、11月3日午後10時頃から●のCT検査を施行したところ、●の肺の状態が更に悪化し、くも膜下出血も認められた。この点、被控訴人病院は、●の右後頭部に頭蓋骨骨折があるため、外傷性のくも膜下出血であると判断した。また、●の脳が強く腫脹していることが判明した。
イ 控訴人らは、11月3日午後9時頃、被控訴人病院から●の容体が急変したとの連絡を受け、同日午後10時頃、被控訴人病院に駆け付けた。
控訴人らは、同日午後11時頃から約1時間、救急救命科のM医師、C医師及びN看護師並びに途中から加わった救急救命センター長であるO医師(以下「O医師」という。)から、●は身体抑制を受けていたが、抑制帯を外して本件ベッドから転落したこと、転落による外傷性くも膜下出血、脳幹損傷、頭蓋骨骨折が認められること、●の瞳孔が開いたままで、脳幹反射などの反応が全くなく、ほぼ脳死状態であることなどを説明された。
また、O医師及び脳神経外科のP医師は、翌4日夕方、C医師、D医師、Q看護師、R看護師の同席のもと、控訴人ら及びその娘に対し、●の容体(肺炎や脳の状態)や本件事故の状況について説明した。その際、P医師は、●の状態を脳死だと判断しても矛盾しないと説明し、O医師は、本件は事故の範疇に入ると考えられるが、●が転落した原因(●が自分で身体抑制を解除したのか、また、被控訴人病院に落ち度があったか等)については分からないので、調査し報告したいと述べた。
ウ 本件事故後、●の主治医は、C医師からO医師に変更された。
(6)平成28年1月25日までのP/F値の経過
●は、本件事故後も被控訴人病院での入院を続けており、平成28年1月25日までのP/F値(P●O2/FiO2値)は、以下のとおり推移した。なお、数字の次の括弧内の記載は、ベルリン定義上の「酸素化の障害」の程度(●RDSの重症度を把握する指標)である。
ア 平成27年11月2日 122(中等症)
イ 同月3日 94(重症)
ウ 同日 181(中等症)
エ 同月5日 222(軽傷)
オ 同月13日 345(酸素化の障害なし)
カ 同年12月15日 418(酸素化の障害なし)
キ 平成28年1月11日 528(酸素化の障害なし)
ク 同月25日 429(酸素化の障害なし)
(7)平成28年2月9日~同月14日の経過
以下、本項目における出来事は、特に記載のない場合は、いずれも平成28年2月の出来事である。
ア 5日における●のP●O2/FiO2は、420であった。
●は、9日に合計1222mlの輸液投与を受けた。
●の主治医になったO医師は、10日、控訴人らに対し、●の病状について、レントゲン上、肺の状態はよくなっているが、腸の動きが悪いこと(腸閉塞のような状態になっていること)や血液検査の結果から、血管内が脱水傾向にあるのではないかと考えられる旨説明した。
●に対しては、同日に972ml、11日に1532mlの輸液が投与された。
イ 12日、●はピトレシン(バソプレシン、昇圧剤)を投与されていなかったが、収縮期血圧は朝から60mmHg台であり、尿がほとんど出ていなかった。
被控訴人病院は、●が脱水状態にあると判断し、同日午前11時57分頃、輸液を合計2.5l投与したところ、●の尿が出始めた。この他、●は、血液検査の結果、3%食塩水が必要な状態であったところ、尿中のN●も高い状態にあり、中枢性塩類喪失症候群のままであったため、食塩水負荷はやむを得ない状態であった。
また、被控訴人病院は、この頃、●に対する経管栄養の継続が厳しいと判断し、高カロリー輸液に変更した。
●に対しては、同日、上記輸液を含めて合計1932mlの輸液が投与された。
ウ 13日、●の収縮期血圧は日中から60mmHg台と低い状態が続き、同日午後11時10分に60mmHg台を下回ったことから、輸液の投与量を追加して対応することになった。また、ピトレシン(昇圧剤)も投与された。
●に対しては、同日、合計6095.9mlの輸液が投与された。
エ ●の12日午前0時~13日午後11時45分の血圧は、以下のとおりであった。
(ア)12日午前0時~同日午前9時45分
収縮期血圧は50~69mmHg、拡張期血圧は22~41mmHgで推移した。
(イ)12日午前10時~同日午後5時
収縮期血圧は60~77mmHg、拡張期血圧は31~54mmHgで推移した。
(ウ)12日午後5時30分~13日午前6時30分
収縮期血圧は81~102mmHg、拡張期血圧は30~73mmHgで推移した。
(エ)13日午前7時~同日午後6時
収縮期血圧は60~79mmHg、拡張期血圧は20~35mmHgで推移した。
(オ)13日午後6時30分~同日午後9時
収縮期血圧は58~63mmHg、拡張期血圧は20~23mmHgで推移した。
(カ)13日午後9時30分~同日午後11時45分
収縮期血圧は45~59mmHg、拡張期血圧は15~22mmHgで推移した。
オ ●は、輸液の投与を受けても、上記エのとおり血圧が上がらなかったので、14日午前0時41分、ノルアドレナリンを投与されるようになった。また、●のSpO2も低下傾向になり、投与する酸素濃度が上げられた。
●は、同日午前1時1分、著明な低カリウム血症と診断された。同日午前1時48分、●の収縮期血圧は60mmHg台であったが、D医師が確認したところ、頚動脈はしっかり触知できた。また、●の尿がほとんど出ていない状態であった。●は、同時点において、呼吸性アシドーシスと代謝性アシドーシスの混合性アシドーシスであると判断された。
カ 14日午前7時47分、●の収縮期血圧は70mmHg前後であり、動脈ラインによる血圧測定によると40mmHg前後であるが橈骨動脈は触れることが確認された。また、●のアシドーシスは改善傾向にあるが、発熱、炎症反応は上昇傾向にあった。同時刻頃における●のSpO2は90%前後であった。
キ 14日午前11時57分、●の収縮期血圧は60mmHg(ノルアドレナリン7ml/hr、ピトレシン4ml/hr投与下)であった。●の状態はかなり悪くなっており、被控訴人病院は、その原因について、これまでの経過から、肺水腫の進行と右上葉の肺炎像を疑わせる上肺野の浸潤影があったが、敗血症性ショックを最も疑った。
●は、同日午前11時58分、血圧が低下している状態にあり、体温39度、心拍100台、橈骨動脈は触知し難いが、頚動脈はよく触れる状態であった。簡易動脈ガス検査ではpH7.0台に突入しており、CO2は正常範囲であり、HCO3低下、BE-14であった。●については血流分布異常であるため、ビカーボン輸液500mlが●に投与されるとともに、血圧上昇のためアドレナリン0.1mgがゆっくりと静注された。被控訴人病院は、●の状態を敗血症性ショック(代謝性アシドーシス)と判断した。
ク ●の低血圧は14日以降も持続しており、同日午後4時8分、血圧上昇のためアドレナリン0.1mgが投与された上で、その持続投与が開始された。しかしながら、●は、血圧低下から回復できず徐脈になり、さらには頚動脈も触知されず、心肺停止状態に陥った。●は、胸骨圧迫を受けるとともにアドレナリン1mgが投与されたものの、その後も徐々に血圧が低下し、心拍数20台になった(洞性徐脈であった。)。
●は、同日午後4時23分に死亡した。
被控訴人病院のD医師が作成した死亡診断書のⅠ欄には、直接の死因は「急性呼吸窮迫症候群」、その原因は「敗血症」と記載され、また、「直接には死因に関係しないがⅠ欄の傷病経過に影響を及ぼした傷病名等」の欄には「脳死とされうる状態 びまん性脳損傷」と記載されている。
ケ ●は、14日に合計9468mlの輸液を投与された(●に対する12日~14日の輸液投与量は合計1万7495.9mlである。)。
また、同日における●のP●O2/FiO2は、160と48であった。
(8)本件に関する基本的な医学的知見について
ア ●RDS(●cute Respir●tory Distress Syndrome、急性呼吸窮迫症候群)(甲B17、27~29、34、40、44、45、乙B10)
(ア)肺水腫とは、肺胞内に液体成分が貯留することで、酸素と二酸化炭素のガス交換ができなくなり、全身の低酸素状態や呼吸困難を引き起こす疾患をいう。肺水腫を発生原因で分類した場合、●RDSのような非心原性肺水腫と、静水圧性肺水腫に大別される。
●RDS(急性呼吸窮迫症候群)は、肺が直接的又は間接的に損傷を受けて炎症反応を起こし、肺胞の壁が障害を受け、水分が漏れ出やすくなってしまい、重症低酸素血症をもたらす疾患であり(血管透過性(非心原性)肺水腫)、呼吸困難、チアノーゼ、痰、起坐呼吸などが現れる。●RDSは、敗血症、肺炎、誤嚥、多発外傷、熱傷等により生じる。
静水圧性肺水腫は、肺の毛細血管の静水圧が上昇したことで起こる疾患であり、その大半は、心臓の異常(心筋梗塞等)によって全身へ拍出する血液の流れが滞り、肺から心臓へ至る肺静脈の血液がうっ滞することで、肺静脈及び肺毛細血管内圧が上昇し、肺胞内に水分が漏出して生じるものである(心原性肺水腫)。
(イ)●RDSは、2012年ベルリン定義において、下記●ないしdのとおりに定義される。
● 発症経過
臨床的な障害や呼吸器症状の発現又は増悪から1週間以内
b 胸部画像
両側性の陰影で、胸水や無気肺、結節としては説明できない。
c 肺水腫の成因
呼吸不全が心不全や輸液過剰としては説明できない。
危険因子がないときは心エコーなどの客観的方法で静水圧性肺水腫を除外する。
d 酸素化の障害
PEEP(Positive End-Expir●tory Pressure、呼気終末陽圧)を5cmH2O以上にした状態で低酸素血症が見られること。●RDSの重症度については、次の基準で判断する。
軽傷:200mmHg<P●O2/FiO2≦300mmHg
中等症:100mmHg<P●O2/FiO2≦200mmHg
重症:P●O2/FiO2≦100mmHg
P●O2は動脈血酸素分圧で、動脈血の中に含まれている酸素量を表し、FiO2は呼気に含まれる酸素濃度を指す。上記P●O2/FiO2(P/F値)は、動脈血内と肺胞内の酸素量(濃度)の比率であり、肺胞と動脈の間にある壁の通過性等を評価することができる。
炎症性反応によって肺の実質(肺胞など)に水が溜まり、酸素交換が妨げられると、動脈血に酸素が取り込まれないため、人工呼吸器により肺胞内の酸素濃度を大気中の酸素濃度より高めることでFiO2を高めても、動脈血内の酸素濃度は低くなり(高くならず)、P●O2の値は下がる(上がらない)。すなわち、●RDSの程度が重くなれば、P/F値が下がるので、P/F値は、●RDSの重症度を把握する指標になる。
イ ICDSC(Intensive C●re Delirium Screening Checklist)(甲B19、25)
せん妄とは、主に身体疾患により惹起され、集中的な治療を要するICU患者に頻繁に認められる症候群であり、注意力の散漫や見当識の低下、さらに記憶の欠損や幻覚を伴う精神・行動の傷害で、時に生命の危機的状態を引き起こすとされている。
ICDSCは、ICUにおけるせん妄を評価する方法として国際的に認められた評価方法である。評価項目は、「意識レベルの変化」、「注意力欠如」、「失見当識」、「幻覚、妄想、精神障害」、「精神運動的な興奮あるいは遅滞(患者自身あるいはスタッフへの危険を予測するために追加の鎮静薬あるいは身体抑制が必要となるような過活動(例えば、静脈ラインを抜く。スタッフをたたく。)、活動の低下、あるいは臨床上明らかな精神運動遅滞(遅くなる。))」、「不適切な会話あるいは情緒」、「睡眠/覚醒サイクルの障害」及び「症状の変動(上記の徴候あるいは症状が24時間のなかで変化すること)」の8項目(各1点)である。そして、合計点が4点以上であれば、せん妄ありと判定される。
ウ R●SS(Richmond ●git●tion-Sed●tion Sc●le)(乙B2)
(ア)患者に対して鎮静薬の投与を開始するに当たっては、患者ごとに目標とすべき鎮静レベル(至適鎮静レベル)を決定しておくことが重要であるとされている。R●SSは、個々の患者の至適鎮静レベルを決定するために一般的に使用が推奨されている鎮静スケールであって、鎮静の深度及び質を示す指標である。
R●SSは、-5~+4のスコアで患者の状態を評価し、スコアが高くなるほど患者の不穏行動の危険性が高くなる。スコアは、①30秒間、患者を観察し、この視診のみでスコア0~+4を判定する、②これらのスコアに当てはまらないときは、大声で名前を呼ぶか、開眼するように言い、10秒以上アイコンタクトができなければ繰り返すことでスコア-1~-3を判定する、③これでも動きが見られなければ、肩を揺するか、胸骨を摩擦する方法で身体を刺激することで、スコア-4、-5を判定する、という方法で確定する。
(イ)各スコアの内容は、以下のとおりである。
+4 好戦的な(明らかに好戦的な、暴力的な、スタッフに対する差し迫った危険)
+3 非常に興奮した(チューブ類又はカテーテル類を自己抜去;攻撃的な)
+2 興奮した(頻繁な非意図的な運動、人工呼吸器ファイティング)
+1 落ち着きのない(不安で絶えずそわそわしている。しかし動きは攻撃的でも活発でもない。)
0 意識清明で落ち着いている。
-1 傾眠状態(完全に清明ではないが、呼び掛けに10秒以上の開眼及びアイコンタクトで応答する。)
-2 軽い鎮静状態(呼び掛けに10秒未満のアイコンタクトで応答する。)
-3 中等度鎮静状態(呼び掛けに動き又は開眼で応答するがアイコンタクトなし)
-4 深い鎮静状態(呼び掛けに無反応、しかし、身体刺激で動き又は開眼)
-5 昏睡(呼び掛けにも身体刺激にも無反応)
2 事実認定の補足説明
(1)●は、11月2日午後6時30分にヴィーンF500mlを投与されたか
控訴人らは、11月2日午後6時30分に、被控訴人病院が●に対してヴィーンF500mlを投与した旨主張する。
なるほど、●の診療記録中の「患者診療記録」(甲●8・72頁)には、同日午後6時30分、同日午後7時及び同日午後7時30分に、それぞれ「当日外来注射」を「開始した」旨記載されているから、●に対しては、被控訴人が投与を認める同日午後7時及び同日午後7時30分のほかに、同日午後6時30分にもヴィーンF500mlが投与されたようにも思われる。
しかしながら、上記3時点の投与の「開始」について記載した欄には、各投与に対してそれぞれ別の「オーダー番号」が記載されている。そして、同日午後6時30分の投与「開始」分のオーダー番号は「39153077」であるところ、このオーダー番号分については、「開始」とは別の欄に、同日午後7時に投与を「実施」したと記載されている(甲●8・72頁)。そして、上記「患者診療記録」において、同日午後7時に投与を「開始した」こと記載されている分のオーダー番号(39154137)については同日午後7時30分に投与を「実施」した旨記載されているのに対し、同日午後7時30分に投与を「開始した」とされるオーダー番号分(39154138)については、これに対応する投与の「実施」に関する記載が存在しない(甲●8・72頁)。加えて、●の診療記録中の「重症経過表」には、被控訴人病院が、●に対し、同日午後6時~午後8時に、1回当たり500mlのヴィーンFを2回分投与した旨記載されている(甲●9・403頁)。さらに、これとは別の「経過表」においても、同日午後6時30分の欄に「ヴィーンF」という記載こそあるものの、その投与量は「0.00ml/h」と記載されている(甲●10・403頁)。
以上によれば、同日午後6時~午後8時に被控訴人病院が●に投与したヴィーンFについては、被控訴人病院は、500mlを3回分投与する予定で準備(オーダー)したものの、実際には、同日午後7時と午後7時30分に500mlを1回ずつ合計2回●に投与したにすぎないものと認めるべきである。
したがって、これに反する控訴人らの主張は採用できない。
(2)11月3日午前0時30分における、本件不穏行動の発生状況について
被控訴人は、本件不穏行動の発生状況について、上記認定事実と異なり、被控訴人病院の医師及び看護師が●に右手を振り回す行為をやめるよう指示したが聞き入れられなかった旨主張し、また、●の不穏の程度も、2名の看護師(男性1名、女性1名)だけで、起き上がろうとした●を押さえることができる程度のものであった旨主張する。
しかしながら、●の診療記録(甲●10・520頁)においては、「突然起き上がり動作あり。指示入らず。興奮している。大暴れで、4人がかりで押さえつけるが制止できず。」と記載されているから、男女各1名の看護師だけで●の上記不穏を制止できたとは考え難い。上記記載からは、少なくとも本件ベッド上で身体を激しく動かしたものであって、看護師らの指示を聞くことができないほどに●が興奮していたため、上記2名の看護師だけでなく、その場にいた2名の医師も加わらなければ制止できなかった程度に不穏が強度であった(すなわち、単に右手を振り回そうとする程度にとどまらず、「大暴れ」であった)と認めるのが相当である。
これに反する被控訴人の上記主張は採用できない。
(3)11月3日午後2時における●の挙動について
上記認定事実と異なり、被控訴人は、●が11月3日午後2時に挿管チューブを握ろうとしたことはないと主張する。
しかしながら、●の診療記録(甲●10・528頁)には、同時刻の欄に、「危険行動 ある」、「根拠 挿管チューブを握ろうとする」と記載されているから、●が現に挿管チューブを握ろうとする動作(危険行動の根拠になる動作)をしたものと理解するのが自然であって、被控訴人が主張するように、この記載を「挿管チューブを握ろうとする可能性がある」ことを意味するにすぎないと理解することは困難である。
この点に関し、被控訴人は、当時の●は身体抑制を受けているため腕を動かすことができず、挿管チューブを握ろうとする動作はなかった(挿管チューブに触れた事実すらなかった)と主張する。しかしながら、●は、同時刻に、右完全側臥位から左完全側臥位に体位を変換されたことからすれば、被控訴人病院の看護師は、この体位変換のために●の両上肢の身体抑制を一時的に解除した時間帯があると考えるのが自然であり、●がその際に挿管チューブを握ろうとする動作をしたものと考えることに矛盾はなく、被控訴人の上記主張は前提を欠く。なお、同時刻における●の鎮静の程度は証拠上明らかではないが、同日午後1時25分時点のR●SSが-2(軽い鎮静状態)にとどまっていたことを踏まえると、その約35分後である同日午後2時に、●が挿管チューブを握ろうとする動作をすることがあり得ないとはいえない。
したがって、この点に関する被控訴人の上記主張は採用できない。
(4)本件事故直前における●に対する身体抑制(本件身体抑制)の程度について
控訴人らは、本件身体抑制がされた場合に、これを患者が自ら解除することは容易でないにもかかわらず、本件事故後、●の左手に装着されていたミトンが安全ベルトに装着された状態で●の左手から外れており、右手に装着されていた固定版と安全ベルトを繋いでいたマジックテープがリング上でベッド上に残されていたことなどからすれば、●の両手とも、マジックテープが外れることなく手から抜けたことになるとし、そうであれば、本件事故当時におけるマジックテープの装着が緩かったこと、すなわち、被控訴人病院の看護師らによる身体抑制が不十分であったか、あるいはそもそも●に対して本件身体抑制が全くされなかったと主張する。そして、本件事故発生前に人工呼吸器のアラームや本件ベッド柵がきしむ音がしなかったことからも、身体抑制が不十分ないし不存在であったことが裏付けられる旨主張する。
なるほど、前記前提事実によれば、本件身体抑制に使用されたミトンや安全ベルトは、興奮状態等に陥って挿管チューブや動脈ライン等の医療器具を自ら抜去することを防止するために使用されるもので、装着された患者において容易に解除できない構造になっていることが認められる。そうすると、被控訴人病院の医師及び看護師がICU5号病室を不在にした約8分間という比較的短い時間のうちに、●が本件ベッドから転落したことからすれば、●に対し本件身体抑制がされず、あるいはそれが不十分なものにとどまった可能性がないとはいえない。
しかしながら、証人J看護師は、上記認定のとおり、一貫して、●に対して適切に身体抑制(本件身体抑制)を実施した旨証言している。その上で、安全ベルトとミトン等を使用した身体抑制の経験が1500件以上あり、看護師としての経験年数が当時約8年程度であったJ看護師だけでなく、医師としての経験年数が10年以上ある証人D医師が、適切な身体抑制を患者に実施した場合でも、患者が何らかの方法で身体抑制を解除してしまう事態を経験したとし、抑制帯(バンド)を使用した身体抑制が5~6件解除され、あるいはミトンを使用した身体拘束を10件程度解除された経験がある旨証言している。
加えて、当審における鑑定の結果によれば、E鑑定人は、患者が適切な身体抑制を施されたとしても、8分間あれば、これを解除し、気管チューブなどを抜去した上でベッドから転落する事態が生じ得る(また、この事態は想定可能である)とする意見を述べており、また、J看護師が証言する本件身体抑制の内容であれば、身体抑制の方法として適切であったとする意見を述べていることが認められる。
その他、控訴人らは、●に係る診療記録において、身体抑制に関する記載があるのは11月3日午後6時及び同日午後7時20分のみであり、極めて不自然であると主張する。しかしながら、一般病棟よりも入院患者の生命に対する危険が突発的に生じ、これに対し医師や看護師が臨機応変に即応することが求められるICUにおいては、患者に対する必要な処置を行った後にまとめて診療記録に状況を記載することもあり得るといえるから、上記記載状況から、本件身体抑制がなかった事実が直ちに裏付けられるともいえない。
以上のとおり、証人J看護師は、一貫して、●に対して適切に本件身体抑制を実施したと証言していること、ミトンや安全ベルトを用いて適切に身体抑制を実施しても、それが解除される事態が現に存在し、かつ、上記約8分間があれば生じ得る事態であることからすれば、J看護師は、●に対して本件身体抑制を実施し、かつ、その抑制方法も適切であったと認めるのが相当である。これと異なる控訴人らの上記主張はいずれも採用することができない。
(5)本件事故当時に、人工呼吸器のアラームが鳴ったかについて
控訴人らは、上記認定事実と異なり、本件事故の発生当時、●に装着された人工呼吸器のアラームが鳴った事実がない旨主張する。
しかしながら、●の診療記録には、被控訴人病院が11月3日の夜に控訴人らに対して本件事故状況の説明内容として、本件事故当時の「状況を確認したところ、事前のアラームは鳴っておらず、物音がして駆け付けたのと同時であったようである」と記載されており(甲●8・122頁)、また、上記説明後に、被控訴人病院の看護師長らが担当看護師(J看護師と考えられる。)に確認したところ、(本件事故前に)「アラームはやはり鳴っておらず、物音がした直後に(ICU5号室)に駆け付けた」と返答した旨も記載されている(甲●8・123頁)。そして、控訴人▲が、同日午後5時15分頃~午後5時45分頃に●と面会した際、●の人工呼吸器の管が外れてアラームが鳴ったことを経験していることに照らせば、本件事故当時、人工呼吸器のアラームが設定されていないため、それが鳴らない状態にあったとは考えにくいというべきである。
以上によれば、控訴人らが主張するように、本件事故の発生当時、●に装着された人工呼吸器のアラームが鳴らなかったとは認められない。
しかしながら、他方、前記認定事実によれば、●は、転落前には左完全側臥位の体位であり、モニターや人口呼吸器サーボが設置されている左側を向いて寝ており、人口呼吸器の気管チューブは人口呼吸器サーボから●の口に装着されていたこと、●が転落したのは、人口呼吸器サーボなどがない右側であり、しかもベッドには柵が設置されていたこと、人口呼吸器は、気管チューブが患者の口から外れると、アラームがなることが認められ、これらによれば、●が人口呼吸器の気管チューブを口に装着したままの状態で、本件ベッド右側の柵を超えて右下に落下するとは考え難く、落下とアラームが同時であると証言するのはJ看護師のみで、しかも裏付け証拠も存在しないことを考え併せると、人口呼吸器のアラームが鳴るのと、●が落下するのとの間には一定のタイムラグが存在したと認めるのが相当であって、この点に関する証人J看護師の証言は信用できない。
(6)●の病に関する被控訴人病院の判断の適正について
前記認定のとおり、被控訴人病院は、11月2日に入院した●が●RDSに罹患している旨診断したところ、その適切さについて、この項において検討する。
前記認定のとおり、●RDSの診断基準(ベルリン定義)は、①発症経過(急性発症)、②胸部画像検査で両側肺の陰影があること、③肺水腫の成因(心不全等の否定)、④酸素化の障害の4点であるところ、前記認定及び当審における鑑定の結果によれば、●は、B病院を受診する4日前から気道感染を示唆する鼻汁が存在し、この頃発症と推認されるため上記①の要件を満たし、同病院のCT画像で両側肺に陰影があり、心不全を示唆する所見がなかったことから上記②及び上記③の要件を満たし、被控訴人病院における挿管直後の検査(2日午後10時47分)においてP/F値が122であったことから上記④の要件を満たすものである。
なお、前記認定のとおり、●は、被控訴人病院に入院してほどなく、ヴィーンF500mlを複数回急速投与されたことが認められるが、この投与によって●が心原性肺水腫に罹患したとは認め難い。これは、被控訴人病院の入院時の血液検査において、心臓の負荷の程度を示すBNPが4.8pg/mlと低値であり、胸部画像検査で心拡大の所見がないことから、既存の心疾患を認め難いこと、そのような患者(●)にヴィーンF500mlを2~3本投与するだけで、心原性肺水腫が生じるとは考えにくいことにある(当審における鑑定の結果)。
したがって、被控訴人病院が●の疾患名について●RDSと判断したことは適切であったといえる。
3 被控訴人病院の医師及び看護師は、●が11月3日午後7時29分頃に本件ベッドから転落すること(本件事故の発生)を予見できたか(争点(1))について
(1)控訴人らは、被控訴人病院の医師及び看護師は、●が11月3日午後7時29分頃にベッドから転落すること(本件事故の発生)を予見できた旨主張するところ、被控訴人がこれを争うことから、上記予見可能性の存否について検討する。
(2)当審における鑑定の結果によれば、呼吸不全の患者に、失見当識や異常言動、不穏が見られることはあるが、●(本件事故当時26歳)のような若年者では少ないことから、●に見られた不穏の原因は、挿管に伴う苦痛や、意思疎通が困難であることによるストレスの関与が大きいこと、浅い鎮静下にある患者が突発的に危険行動を取ることは珍しいことではないことが認められる。
これを本件についてみると、前記認定のとおり、●は、11月2日午後6時頃までに被控訴人病院に入院し、同日午後8時52分頃、敗血症を基礎疾患とする●RDSと診断され、同日午後9時15分にICU5号室に入室したこと、同日午後9時25分、●が激しくせき込み、「息ができない。」などと苦痛を訴えたことなどから、同日午後9時51分、鎮静措置を施された上で気管内挿管を実施されるようになったものである。そして、前記認定のとおり、●は、本件事故当時、気管内挿管が続けられた状態にあったこと、証拠(甲●4)によれば、被控訴人病院も控訴人らに対し、本件事故の原因について、●の呼吸苦が想像を超えるくらいの苦痛を伴っていた可能性を第一の原因と考えている旨回答していることが認められるから、●が不穏を起こす可能性があり得たというべきである。
しかも、前記認定のとおり、●は、同月3日午前0時30分、本件不穏行動に及んでおり、同日午後2時頃にも、気管チューブを握ろうとする動作をしたものであって、いずれも鎮静下の不穏行動(危険行動)であったことが認められる。このうち、本件不穏行動の具体的な内容は、前記認定事実によれば、被控訴人病院の医師(男性2名)及び看護師(男女各1名)が、同時刻、●の右手に動脈ラインを挿入するため、本件ベッドの周囲に集まり、●に装着された安全ベルトを外したところ、本件ベッドに寝ていた●が突然起き上がろうとしたこと、その際、●は興奮しており、看護師から動かないように言われても従うことができず、本件ベッド上で身体を激しく動かしたことから、上記医師及び看護師(合計4名)全員で●を押さえつけようとしたが、●の動きを直ちに制止できなかったというもので、不穏の程度は強度であったことが認められる。そうすると、本件事故当時、●が挿管に伴う苦痛を感じるなどすれば、本件不穏行動のような強度の不穏を起こす可能性があるというべきである。
前記認定のとおり、浅い鎮静下にある患者が、突発的に危険行動を取ることは珍しいことではないのであり、●に対する鎮静は、本件事故の発生時点に近づくにつれ、R●SSが-4(深い鎮静状態)から-2(軽い鎮静状態)へと徐々に浅くなってきており、同日午後5時台(控訴人らと●の面会時)、午後6時及び午後7時2分頃、●は、控訴人らのほか、被控訴人病院の医師及び看護師と筆談できる状態になっていたものであって、D医師から、同日午後7時時点における●のR●SSは0(意識清明で落ち着いている)と評価されるまでに至った。そして、前記認定事実によれば、その後、J看護師が、同日午後7時20分時点の●のR●SSを-1(傾眠状態)ないし-2(軽い鎮静状態)と評価し、●に対する鎮静が深まりつつあったものの、同日午後7時21分頃、J看護師が●に対し、この状態でいられるか尋ねると、●は頷いており、遅滞なく意思の表出ができる程度の浅い鎮静にとどまっていたことも認められる。
以上のとおり、●は、本件事故当時、浅い鎮静下にとどまっており、気管内挿管をされた状態であったことからすれば、●が突発的に強い不穏を起こすなどの危険行動を取る可能性は十分に存在するといえること、しかも、不穏等の程度は、本件不穏行動の強さを踏まえると、本件ベッドのベッド柵の高さが30cmしかないため、●を抑え付ける者がいなければ、●が(徐々に)不穏を強めることで、本件ベッドからICU5号室の床面に頭部から転落する可能性は十分にあり得たというべきである。
(3)そして、前記認定のとおり、●は、11月3日午後7時21分頃、J看護師によって適切な身体抑制(本件身体抑制)を受けた状態にあったところ、その後、本件事故が発生した同日午後7時29分までの8分間の間に、何らかの方法により本件身体抑制を解除し、本件ベッドのベッド柵を超えて転落し、ICU5号室の床面に頭部を強く打ち付けた事実が認められる。
この点、適切な身体抑制を施したとしても、ある程度の力のある患者による身体抑制の解除を完全に防止することは困難であり、また、上記8分間は比較的短時間であるものの、●が本件身体抑制を解除し、気管チューブなどを抜去した上で、本件ベッドから転落するまでの時間としては十分な時間であると認められる(当審における鑑定の結果。これと異なる被控訴人の主張は採用できない。)。
(4)以上のとおり、●については挿管に伴う苦痛などを原因として不穏を起こし得るところ、本件事故当時、●は気管内挿管を受けた状態にあったこと、一般的に、浅い鎮静下にある患者が突発的に危険行動を取ることは珍しいことではなく、現に、●が、鎮静下で不穏行動(危険行動)に及んだこと、●に対する鎮静は、J看護師からの呼びかけに遅滞なく頷ける程度に浅く、この程度の鎮静であれば上記不穏を起こし得るといえるところ、本件不穏行動の際の●の不穏の程度が強かったことに照らすと、●が不穏を起こせば、徐々に不穏を強めて前後不覚に陥り、本件ベッドのベッド柵(高さ30cm)を乗り越えて、頭部からICU5号室の床面に頭部を打ち付ける事態が生じ得たというべきである。
被控訴人病院の医師及び看護師は、●に生じた上記一連の事態を把握していたから、J看護師が午後7時21分にICU5号室を離れた際、●の鎮静が深まりつつあり、危険な行動に及ぶ予兆がなかったことを踏まえても、その後8分間の間に、気管内挿管をされた●が、これまでのように再び突然に不穏を起こし、不穏を徐々に強めた末、高さ30cmにとどまるベッド柵から●が転落する可能性(本件事故の発生可能性)について、十分に予見することが可能であったというべきである(当審における鑑定の結果)。
(5)以上に対して、被控訴人は、●に対する鎮静剤が十分に投与されることで経時的にその効果が表れるのであり、3日午後6時30分以降、鎮静レベルが基本的にR●SS-2(呼びかけられれば反応する程度の状態)になったのであるから、●が同日午後6時に筆談できたとしても、それ以降も継続して覚醒し続けた(意思の表出が可能であった)とは考え難い旨主張する。
しかしながら、J看護師が同日午後7時21分に●に声をかけると、遅滞なく●が頷いたのであって、同時刻において●は意思の表出が可能な状態であったことは明らかである。また、●が同時刻頃、鎮静が深まりつつあったことは被控訴人が主張するとおりであるが、●は、浅い鎮静を受けた状態で不穏行動ないし危険行動を起こしたことは前記認定のとおりであるから、上記のようにJ看護師の呼びかけに応答できる程度の鎮静を受けたに過ぎない●が、およそ意思の表出ができない状態にあったとは到底認め難い。
したがって、この点に関する被控訴人の主張は採用できない。
(6)また、被控訴人は、●が身体抑制を解除することの予見と、●が本件ベッドから転落することの予見は全く異なる旨主張する。
しかしながら、既に検討したとおり、本件不穏行動は強度であり、医師及び看護師4人がかりでもただちに●の不穏を抑えられなかったのであるから、●が不穏に陥り、徐々にその程度が強くなれば、8分間という短時間内の出来事ではあっても、本件ベッドのベッド柵(高さ30cm)を乗り越えて、本件ベッドから転落することは十分に予見可能であった(具体的な予見可能性がある)というべきである。そして、この点は、被控訴人病院の医師やF医師がICUベッドから患者が転落した経験を有していないとしても、その結論が左右されるものではない。
したがって、この点に関する被控訴人の主張は採用できない。
(7)このほか、被控訴人は、●が本件ベッドからICU5号室の床面に転落することについて具体的な予見可能性がない理由として、①本件ガイドラインの記載内容に現れているように、一般的な臨床の現場では、人工呼吸器管理が行われている患者が不穏状態になったとしても、ベッドから転落することは想定されていない、②被控訴人病院が●について転倒・転落の危険性を検討した結果、その危険の防止を目的とした処置を必要とする状態ではなかった(転倒・転落アセスメントシートにおいて、合計点が0点であった)、③被控訴人病院が●に対する身体抑制(の継続必要性)を検討した結果、11月3日午後11時27分の時点で、「せん妄、不穏状態、認知機能低下があり、転倒・転落の危険が著しく大きい」状況が消滅していた、④●は、被控訴人病院へ搬送されてから本件事故の発生時まで、本件ベッドから転落しかけたことは一度もなく、本件不穏行動の時も同様であった(本件不穏行動の存在は、●が本件ベッドから転落する予見可能性を基礎付けない)、⑤控訴人らが主張する●に関する各数値(ICDSC、SpO2等)は、いずれも●の上記転落を具体的に予見させるものではないことなどと主張する。
しかしながら、●の上記転落に関する具体的な予見可能性を基礎付ける主要な事実は、浅い鎮静下にあった●が、気管内挿管を受けた状態で2度にわたり不穏(危険)行動に及んだこと、本件不穏行動における不穏の程度が大きかったこと、本件事故当時も、●が気管内挿管を受けた状態にあったことなどの具体的事実関係(診療経過)にあり、かつ、被控訴人病院の医師及び看護師がこれら一連の経過を全て把握していたことにある。そうすると、上記①の本件ガイドラインの記載(一般的な記載)によって、具体的な予見可能性がないことにはならず、この点は、本件不穏行動の強さに照らし、上記④の事実や、上記⑤の各数値を参照したとしても同様といえる。また、被控訴人病院内での各アセスメント(上記②及び上記③)も、これらは被控訴人病院の内部評価にすぎず、これらの評価が存在することで、被控訴人病院の医師及び看護師による上記具体的予見可能性がなかったとは認め難い。以上によれば、被控訴人病院の医師及び看護師において、●が本件ベッドからICU5号室の床面に転落することについて具体的な予見可能性がないとする被控訴人の主張は採用できない。
4 被控訴人病院の医師及び看護師は、●が本件ベッドから転落することを防止し、又は転落により重篤な傷害が発生することを防止するために、必要な措置を講じるべき義務があったか(争点(2))について
(1)控訴人らは、被控訴人病院の医師及び看護師において、●が本件ベッドから転落すること、あるいは転落による重篤な傷害の発生を防止するための適切な措置(結果回避措置)を講ずるべき義務があったと主張するのに対し、被控訴人は、本件事故の発生を避けることはできなかったなどと主張して、上記結果回避義務の存在及び義務違反について争っている。
そこで、被控訴人病院の医師及び看護師に、上記結果回避義務及びその違反があるかについて検討する。
(2)まず、被控訴人病院のICUにおいて、ICU全体を見渡せる人員を常時1名確保すべき義務があったか否かについて検討する。
ア ICUは、生命の危機にある重症患者を24時間体制で濃密に観察し、先進医療技術を用いて集中的に治療できるようにするために設置される。そして、ICUに入室する患者によっては、突然の入院であったり、意識状態が清明でない場合もあり、心理的にも危機状態にあって、抑うつや怒り、せん妄などの症状を呈することもある。その結果、患者が重要な点滴、チューブ、ドレーンなどを自己抜去してしまったり、ベッドから転落してしまうこともある。ICUに入室する重篤患者にとって、こうした事態は生命に危険をもたらすから、これを防止し、患者の安全を確保することが求められているといえる(以上について、甲B58)。
上記のようなICUの性格からすると、ICUにおいては、通常はICU全体を見渡せる人員を常時1名確保すべきであるところ(当審における鑑定の結果)、とりわけ、被控訴人病院のICUは●が入室していた5号室のみが個室になっており、看護師や医師が6号室~10号室にいると、5号室の状況を容易に把握できない構造になっていたのであるから、ICUの各病室の入口に詰めている看護師が病室に入って作業をしている間、上記看護師に代わり、ICU全体を見渡せる人員を配置することは、ICUが上記役割を果たし、重篤患者の安全を確保するためには不可欠であったといえる。そして、そのような人員を常時1名確保していれば、被控訴人病院の医師及び看護師は、●の危険行動を速やかに把握することができたといえる。そうすると、前記認定のとおり、3日午後7時21分の時点では、●には何らの危険行動の予兆が見られず、本件身体抑制により、●が直ちに本件ベッドから転落する可能性はなかったのであるから、上記人員配置をしていれば、●が本件ベッドから転落する前に上記危険行動を把握し、同転落を防止できたといえる。
したがって、被控訴人病院において、ICU全体を見渡せる人員を常時1名確保していなかったことは当事者間に争いがないから、同医師及び看護師に結果回避義務違反があると認めるのが相当である。
イ これに対し、被控訴人は、ICU全体を見渡せる人員を常時1名確保しておくことをICU臨床一般に求めることは到底不可能である旨主張する。
しかしながら、上記主張は、ICU医療従事者の配置基準が診療報酬上決められていること(患者何名に対して看護師1名というように決められていること)を根拠にしているが、前記認定のとおり、そもそも別紙4記載のとおり、スタッフステーションを含む被控訴人病院のICUには相当数の医師や看護師が存在していたのであるから、あえてICUの人員を増やさなくても、人員の配置位置を変更するとか、ICUの各ベッド付近にテレビカメラを設置し、それをスタッフステーションにいる看護師や医師のうち1名がモニターで常時監視するという体制を構築しさえすれば、容易に実現できるのであり、患者を担当しない看護師等を上記人員として確保しなければ、ICU全体を見渡す役割を果たすことができないとはいい難いから、被控訴人の上記主張は採用できない。
(3)次に、ナースコールを設置する義務があったか否かについて検討する。
ア 本件事故当時、●の手の届く範囲にナースコールが設置されていなかったことは前記認定のとおりである。
そして、●が不穏状態に陥った際、手の届く範囲にナースコールが設置されていれば、不穏になった●が、徐々に興奮を強めることでナースコールを押すことができない状態に陥る前(本件ベッドから床面に転落する前)に、ナースコールを利用することが期待できたといえる(当審における鑑定の結果)。
加えて、●がナースコールのボタンを押せば、被控訴人病院の医師ないし看護師がごく短時間のうちにICU5号病室を訪室することが可能であるといえるから、●が不穏を強めるあまりに本件身体抑制を解除し、気管チューブ等を抜去するなどした後に本件ベッドから転落する前に、被控訴人病院の医師及び看護師から適切な処置を受けることで、●が本件ベッドから転落することを回避できたといえる。
イ これに対し、被控訴人は、ナースコールは、必要な場合に自己の判断に基づき意図的にナースコールを押すことができる患者のために設置するものであって、●の身体抑制の程度や鎮静の程度からすれば、●は意図的にナースコールを押すことができる状態にはなかったから、ナースコールの設置義務はなかったと主張する。
しかしながら、●の手の届く範囲にナースコールを設置していれば、●が身体抑制を受けていたとしても、その利用(ボタンを押すこと)は可能であるし、その際、適切な身体抑制が施されていたとしても、患者自らそれを解除してしまうことがあり得ることからすれば、適切な身体抑制があることで、●がおよそ本件ベッドから転落する可能性がなかったともいえない。
また、●が、浅い鎮静下において、本件不穏行動(強い不穏)を起こしたり、挿管チューブを握ろうとする動作(危険行動)をしたことからすれば、11月3日午後7時21分時点で、●が看護師の問いかけに頷ける程度の浅い鎮静(R●SS-1~-2程度)にとどまっていた以上、鎮静の程度に照らし、●がおよそナースコールを利用できる状況になかったとは認め難い。
さらに、被控訴人は、転落の原因となるせん妄や不穏状態が患者(●)に生じた場合、患者は正常な判断ができず、自ら的確にナースコールを押すことはできないとも主張する。しかしながら、●が異常を感じた際に直ちに正常な判断ができない状態になるとは限らない。この点、E鑑定人も、ナースコールの設置の必要性に関して、「ナースコールを設置することで苦痛などを訴えることができ、興奮状態に陥ることを回避し」とする鑑定意見を述べており、これは、●が苦痛を感じてから正常な判断ができない状態(興奮状態)に至るまでに、一定の時間があることを前提にしているものであって、合理的な内容と認められる。
したがって、ナースコールの設置義務がないとする被控訴人の主張は採用できない。
(4)次に、本件ベッドに離床センサーを設置する義務があったか否かについて検討する。
ア 離床センサーとは、別紙5記載のような器具である。
本件ベッドに離床センサーが設置されていなかったことは前記認定のとおりである。
イ 本件ベッドに離床センサーが設置されていれば、●が本件ベッドから起き上がる動作をするだけで、それを知らせる検知音が直ちに鳴るから、この検知音が鳴れば、被控訴人病院の医師及び看護師としては、鎮静が深まりつつあった●が、その流れに反して何らかの理由で起き上がり動作をしたことを直ちに知ることができたといえる。
そして、前記のとおり、●に対する身体抑制は、被控訴人病院の医師及び看護師が、重大事象に至る前に●の危険行動を気付けるようにするための時間稼ぎとして作用するのであり、本件ベッドに離床センサーが設置されていれば、●の起き上がり動作があった時点でその検知音が鳴り、それを聞いた被控訴人病院の医師ないし看護師がただちにICU5号病室を速やかに訪室することで、●が本件ベッドから転落する前に適切な処置を受けることができ、●が本件ベッドから転落することを回避できたというべきである。
ウ これに対し、被控訴人は、離床センサーは一人で離床できる状態の患者に設置するものであるから、当時離床できなかった●のためにこれを設置すべき注意義務はない旨主張し、乙B15において、S教授がその旨の意見を述べている。
なるほど、証拠(当審における鑑定の結果)によれば、E鑑定人が鑑定書において示した、別紙5記載の離床センサーに関する説明資料(販売業者が作成したカタログ)には、患者が使用するベッド周りやトイレ、病室出入口に離床センサーを設置した様子がイメージイラストとして描かれており、そこではベッドから利用しようとする患者や、病室出入口付近を歩行する患者が描かれていることが認められる。しかしながら、上記別紙5以外の資料には、「ヒヤリ・ハットの不安を軽減!」、「STOP!転倒・転落」などと記載されているほか、「対象者様の転倒リスクや使用目的など、それぞれの現場に適しているセンサーをお選びいただけます。」などと記載されており、被控訴人が主張するように、一人で離床できる状態の患者(身体抑制を受け、人工呼吸管理下にある患者)に設置することはできない、あるいは設置になじまないといった記載がないことからすれば、被控訴人の上記主張は採用できない。加えて、前記で判示したとおり、被控訴人病院の医師や看護師には、本件事故当時、●が本件ベッドから転落することを予見できたのであるから、なおさら離床センサーの設置に意味がないなどとは到底いえない。
なお、前記で被控訴人が主張するように、被控訴人病院にとってICU全体を見渡せる人員を確保するのが困難であるなどというのであれば、なおさら安価で容易に設置できる離床センサーを設置すべきであったといえる。
(5)控訴人らが主張するその余の結果回避措置について検討する。
ア 控訴人らは、●が本件ベッドから転落することを防止する措置として、体幹を抑制するための転落防止帯を使用すべきであったと主張する。
しかしながら、上記転落防止帯による抑制は、患者の腹部を圧迫するため、横隔膜の動きを制限することになって、●の呼吸不全がさらに悪化する危険性があるから(乙B1、当審における鑑定の結果)、上記主張は採用できない。
イ 控訴人らは、●が本件ベッドから転落することを防止する措置として、本件ベッドの床面に緩衝用マットを設置するべきであった旨主張する。
しかしながら、前記のとおり、通常、ICUでは患者の看護に当たる職員による監視が行き届く状態にあり、患者が気管チューブを抜去すれば人工呼吸器のアラームが鳴るため、最終的に転落にまで至ることは想定困難である(当審における鑑定の結果)。したがって、被控訴人病院の医師及び看護師において、●が本件ベッドから転落することを前提に、本件ベッドの床面に緩衝用マットを設置するべき義務があるとはいえない。
ウ 控訴人らは、11月3日午後7時頃の輸液投与(ヴィーンF500ml)を開始してから1時間程度、被控訴人病院の医師又は看護師が、●がいるICU5号室に付き添うべきであったと主張する。
しかしながら、被控訴人病院のICUには複数の患者が入室しており、ICUに対応できる病院の医師及び看護師の員数は限られるから、ICUが担う前記役割を踏まえたとしても、通常、医師及び看護師は、複数の患者を担当するのであり、そのうち特定の患者だけに付き添って監視すべきであるとする控訴人らの上記主張は、現実的なものとはいえず(当審における鑑定の結果)、法的な結果回避義務として、上記付添義務を認めることはできないというべきである。
エ 控訴人らは、患者に鎮静措置を施して意識レベルを下げ、不穏行動に及ばない程度まで鎮静する措置を取っていれば、患者がベッドから転落することはないとして、そのための十分な鎮静措置を取る(プロポフォールやミダゾラムを使用する)べきである旨主張する。
しかしながら、●のように血行動態が不安定な患者(前記認定のとおり、●は、被控訴人病院に入院後、循環不全の状態にあったことから、11月2日午後7時からと同月3日午後6時35分に、それぞれ、ヴィーンF500mlの急速投与を複数回受ける必要があった。)に対して、より深い鎮静のためにプロポフォールやミダゾラムを使用することは、血行動態の破綻を来す危険性があるといえる(当審における鑑定の結果)。
したがって、この点に関する控訴人らの主張は採用できない。
オ 控訴人らは、●に装着された人工呼吸器に関し、挿管チューブが外れた際にアラームが鳴るように設定すべき義務があったところ、同義務を怠ったため、本件事故時にこのアラームが鳴らなかったと主張する。
しかしながら、前記認定のとおり、遅くとも、●が本件ベッドから転落した際、上記人工呼吸器のアラーム音が鳴ったこと、また、11月3日午後5時15分~同日午後5時45分に控訴人らが●と面会した際、●に装着された人工呼吸器のアラームが鳴った事実が認められることからすれば、被控訴人病院の医師及び看護師において、上記アラームの設定を怠ったものとは認められない。
もっとも、前記で判示したとおり、人口呼吸器のアラームが鳴った時期と●が転落した時期には時間差があったと認められるから、アラームが鳴った時点ですみやかに5号室に駆け付ければ、転落を防止できた可能性があることは否定できない。しかしながら、転落よりどの程度早くアラームが鳴ったかを確定できる証拠がない以上、アラームが鳴った時点ですみやかに5号室に駆け付けていたとしても、●の転落を防止できたとまでは認められないから、この点に注意義務違反は認められない。
したがって、この点に関する控訴人らの主張は採用できない。
カ 控訴人らは、●に輸液を投与する際、これによって肺実質が重くなり、呼吸不全が増悪することが予想されることから、過剰投与を避けるために、循環動態の評価を頻回に行う必要がある旨主張する。
しかしながら、●の不穏については、挿管に伴う苦痛や意思疎通が困難であることによるストレスの関与が大きいものであり、輸液の投与によって呼吸不全が増悪し、不穏が増強して、●が本件ベッドから転落したとは考えにくいといえる(当審における鑑定の結果)。したがって、控訴人らが主張する上記措置は、●が本件ベッドから転落するという結果を防止するために有効な措置とはいえない。
したがって、この点に関する控訴人らの主張は採用できない。
(6)そして、証拠(当審における鑑定の結果)によれば、被控訴人病院の医師及び看護師において、●が本件不穏行動に及び、また、11月3日午後2時の挿管チューブを握ろうとする動作をした後、控訴人ら及び被控訴人病院の医師及び看護師らと筆談可能になり、意思の表出が可能になった同日午後6時までに、①ICU全体を見渡せる人員を常時1名確保する措置を採るか、②J看護師において●の手の届く範囲にナースコールを設置するか、③被控訴人病院の医師及び看護師において、本件ベッドに離床センサーを設置することができたことが認められるから、これらの全部又は少なくとも一部の措置が機能することで、●が本件ベッドからICU5号室の床面に転落するという結果を回避することができたものというべきである。したがって、上記各結果回避措置(結果回避義務違反)に関する控訴人らの主張は理由がある。
5 被控訴人病院の医師及び看護師が、●に対し、平成28年2月12日~同月14日に輸液投与を行ったことに関して過失があったか(争点(3))について
控訴人らは、●の肺の状態は、平成28年2月10日には良くなっており、同月12日~同月14日の間に、●に対して大量の輸液を必要とする事情はなかったにもかかわらず、被控訴人病院の医師及び看護師は、同月12日以降、●にそれまでの約三、四倍の輸液を行ったものであって、この点に過失がある旨主張する。
しかしながら、前記認定事実によれば、●の収縮期血圧は、同月13日午後11時45分時点で55mmHgであり、同月14日になっても60mmHg台であったため、循環動態を改善するため、●に対する輸液が必要であったことが認められる。そして、その投与量は多量ではあるが、尿量も多かったことから、血圧を維持するために必要な輸液として許容されるというべきである(当審における鑑定の結果)。そして、同月12日の●の胸部レントゲン写真を見る限り、心拡大がなく、肺水腫を示唆するような肺野陰影も認められないことからすれば、輸液を制限すべき肺の病態は認められない(当審における鑑定の結果)。
そうすると、被控訴人病院の医師(及び看護師)が、●に対して上記のとおり輸液投与を行ったことについて、過失があったとはいえないから、この点に関する控訴人らの主張は採用できない。
6 被控訴人病院の医師及び看護師の各過失と、結果との間に相当因果関係が認められるか(争点(4))について
(1)前記認定のとおり、●は平成28年2月14日に死亡したところ、前記認定事実に加え、当審における鑑定の結果を踏まえると、●が死亡に至る機序については以下のとおりであると認められる。
ア ●が脳死状態に至る機序について
(ア)●が本件事故によって脳死状態になったところ、前記認定事実によれば、本件事故直後に撮影された●のCT画像を参照すると、くも膜下出血の所見があり、右後頭骨の骨折が存在することから、●は外傷性くも膜下出血を起こしたものであり、これを原因として、●は脳死状態になったものと認められる(なお、このような機序で●が脳死状態になったと考えられることは、●の診療記録(甲●8・122頁、181頁)に記載された被控訴人病院による分析結果からも認められる。)。
上記頭部外傷は、●が本件ベッドからICU5号室の床面に頭部から落下したことによって発生したことからすれば、上記脳死状態に至った主たる原因は、この転落にあったものと認めるのが相当である。
(イ)この点、被控訴人は、重症●RDSによる血小板の減少が脳死状態の原因である旨主張する。
なるほど、11月2日~3日の血液検査の結果、●の血小板数の減少状態が遷延していることが認められ、これによって外傷性くも膜下出血が重症化した可能性自体は否定し難い。しかしながら、上記のとおり、外傷性のくも膜下出血がなければ、●は脳死状態に至っていないものと考えられるから、転落に起因する外傷と●の血小板数の減少を比較したとき、後者によって外傷性くも膜下出血が著しく重篤化した(すなわち、●の血小板数の減少が脳死状態に至った主な原因であった)とは考えにくい(当審における鑑定の結果)。
したがって、この点に関する被控訴人の主張は採用できない。
イ ●の死亡に至る機序について
(ア)前記のとおり、●は平成28年2月14日に死亡したところ、死亡した原因(機序)は、上記アのとおり脳死状態になったほか、長期間の闘病により栄養状態が不良なったことが相まって、恒常性が破綻したことによると認められる(当審における鑑定の結果)。
(イ)これに対し、被控訴人は、●RDSによる肺の炎症が持続したことで肺胞や間質の線維化が遷延しその器質的(不可逆的)変化によって肺における酸素交換ができなくなったため死亡したと考えられる旨主張する。
しかしながら、平成28年2月12日の胸部レントゲン写真によれば、両肺野の透過性は良好であり、●RDSに伴う線維化など肺の不可逆的変化が存在した可能性は低いといえる(当審における鑑定の結果)。
したがって、被控訴人が主張する上記機序で●が死亡したとは認められず、この点に関する被控訴人の主張は採用できない。
(2)上記(1)を前提に、被控訴人病院の医師及び看護師の過失と●の死亡との間の相当因果関係について検討する。
ア 当審における鑑定の結果及び補充鑑定の結果によれば、被控訴人病院の医師及び看護師の上記過失によって、●は本件ベッドからICU5号室の床面に頭部から転落し、上記(1)の機序によって死亡したと認められるところ、上記過失がなければ、●のP/F値の推移に照らして、遅くとも平成27年12月末日までには被控訴人病院を退院することが可能であったと認められるから、上記過失と●の死亡の間には相当因果関係が認められる。
イ これに対し、被控訴人は、●RDS患者の死亡率は61.3%であるから、上記転落がなければ●が死亡しなかった高度の蓋然性は認められない旨主張する。
しかしながら、上記数値は飽くまでデータにすぎず、●の転帰に直結するものではないし、証拠(当審における鑑定の結果)によれば、中等症以上の●RDSの死亡率は40%にすぎないことが認められるから、上記死亡率が61.3%であることを前提に検討するのは相当ではない。しかも、●の場合には、●RDSの重症度の指標になるP/F値が平成28年1月11日まで順調に回復し続けており、ベルリン定義上の基準に従うと、11月13日までに酸素化の障害がなくなったものである。●の入院が長期化したのは、本件ベッドから転落したことで脳死状態になり、長期間の闘病によって栄養状態が不良になったことにあり、それが死亡の原因になったと考えられることからすれば、上記転落がなければ●が死亡しなかった高度の蓋然性は認められるといえる。
したがって、この点に関する被控訴人の主張は採用できない。
(3)以上によれば、被控訴人病院の医師及び看護師による過失と、●の本件ベッドからの転落、また、同転落による●の脳死状態の発生及び最終的な死亡との間に相当因果関係があるものと認められるから、この点に関する控訴人らの主張は理由がある。
7 ●及び控訴人らの損害及び額(争点(5))について
(1)●の死亡による損害及び額について
上記のとおり、被控訴人病院の医師及び看護師の過失と●の死亡との間に相当因果関係が認められることから、●の死亡による損害及び額について検討する。
ア 治療費 16万8579円
前記認定のとおり、●は●RDSに罹患していたものの、●のP/F値が、被控訴人病院入院後(本件事故後)に徐々に回復しており、12月15日に418であったことからすれば、本件事故に遭わなければ、遅くとも同月末までには退院可能であったと認めるのが相当である(当審における鑑定の結果)。
したがって、その後である平成28年1月1日~同年2月14日の治療費合計16万8579円(甲C7、8)を●の損害と認める。
イ 入院雑費 6万7500円
アと同様の理由で、平成28年1月1日~同年2月14日(45日間)の入院について、1日当たり1500円の入院雑費を損害として認める。
ウ 傷害慰謝料 77万円
アと同様の理由で、平成28年1月1日~同年2月14日の入院について、傷害の程度、入院期間に照らして、77万円の傷害慰謝料を認める。
エ 葬儀費用 160万円
証拠(甲C9)によれば、控訴人らは●の葬儀費用として160万円を出捐したことが認められ、これは本件事故と相当因果関係のある損害と認められる。
オ 死亡逸失利益 3244万6715円
当審における補充鑑定の結果によれば、●は、退院後、身の回りのことや短時間の軽作業にしか従事できないものの、一般的な会社員の事務作業(デスクワーク。これは短時間に限られない。)に従事することが可能であったと認められる。
そして、前記認定のとおり、●は、従前、両親の農業を手伝って収入を得ていたものの、平成20年11月13日に情報処理技術者試験に合格したこと、控訴人■の入院を契機に農作業を手伝うようになったものの、もともとプログラマーになることを希望していたことが認められるから、農作業(重労働といえる。)に従事することは困難であるとしても、プログラマー関係の仕事(デスクワーク)に従事することができると考えられる。もっとも、●が上記資格を取得したのは、被控訴人病院の退院が見込まれる時期(平成27年12月末)から約7年前のことであり、この間、●が上記資格を活かして就職した経験がないことなどに照らすと、●の基礎収入としては、平成26年賃金センサス男性学歴計・全年齢平均額(536万0400円)の約7割に相当する375万2280円とするのが相当である。
また、●は、本件当時、独身男性であったから、生活費控除率を50%と認め、また、就労可能年数(死亡当時26歳であり、以後67歳までの41年間)に対応するライプニッツ係数(17.2944)を基に●の逸失利益を計算すると、その額は、以下の計算式のとおり、3244万6715円(円未満切捨て)になる。
(計算式)3,752,280×(1-0.5)×17.2944≒32,446,715
カ ●の死亡慰謝料 2200万円
本件各証拠及び本件に現れた一切の事情に照らすと,●の死亡による慰謝料は2200万円と認めるのが相当である。
キ ●の損害合計額 5705万2794円
上記ア~カの合計額。
(2)控訴人らの損害について
ア 控訴人らの相続 各2852万6397円
●の死亡により、控訴人らが●の権利義務一切を各2分の1の割合で相続したから、控訴人らの相続した損害額は各2852万6397円になる。
イ 控訴人ら固有の慰謝料 各150万円
控訴人らは●の両親であるところ、子に若年で先立たれたことによる控訴人らの精神的苦痛は誠に大きく、これを慰謝するための額としては、いずれも150万円と認めるのが相当である。
ウ 弁護士費用 各300万円
本件事故と相当因果関係の認められる弁護士費用の額は、各300万円をもって相当と認める。
(3)控訴人らが主位的請求において請求できる損害合計額(元本)
各3302万6397円
上記(2)ア、イ及びウの合計額。
(4)控訴人らの予備的請求について
ア 本件において、控訴人らは、被控訴人に対し、診療契約上の債務不履行又は不法行為(使用者責任)に基づき、主位的請求として、●が死亡したことによる損害の賠償を請求し、予備的請求として、●が脳死状態になったことによる損害の賠償を請求しているところ、控訴人らの主位的請求は、上記(3)の金額及び附帯請求の限度で理由があることになる(この点、被控訴人病院の医師及び看護師は、●が本件ベッドから転落したことについて不法行為上の過失があり、民法709条に基づく不法行為責任を負うことから、被控訴人に対する使用者責任による損害賠償請求として、上記主位的請求を認容する。)。
イ 次に、主位的請求において認容すべき金員を上回る控訴人らの請求部分について、控訴人らの予備的請求の当否が問題になる。
本件では、控訴人らが主張する損害及び額は、主位的請求と予備的請求でいずれも同一であること、主位的請求において、控訴人らが主張する損害の費目はいずれも全部又は一部が認められるところ、認められなかった部分について、死亡による損害とは別に、脳死状態になったことによる損害が生じたとは認められる余地はないことからすれば、結局、控訴人らの予備的請求は全部理由がないことになる。
8 結論
以上によれば、控訴人らが、被控訴人に対し、不法行為(使用者責任)による損害賠償請求権に基づき、損害金各3302万6397円及びこれに対する不法行為の日(本件事故の日)である平成27年11月3日から支払済みまで民法所定年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるが、その余の主位的請求及び予備的請求はいずれも理由がないから棄却を免れないところ、上記と異なり、控訴人らの主位的請求及び予備的請求をいずれも棄却した原判決は不当である。
よって、原判決を上記の趣旨に変更することとして、主文のとおり判決する。
高松高等裁判所第2部
裁判長裁判官 神山隆一
裁判官 上田元和
裁判官長谷川利明は、転補のため、署名押印することができない。
裁判長裁判官 神山隆一