名古屋地方裁判所判決 平成29年(ワ)第3420号
主 文
1 被告は、原告に対し、330万円及びこれに対する平成26年2月6日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 原告のその余の主位的請求を棄却する。
3 原告の予備的請求を棄却する。
4 訴訟費用は、これを50分し、その49を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。
5 この判決は、第1項に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第1 請求
1 主位的請求
被告は、原告に対し、1億6375万0700円及びこれに対する平成26年2月6日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 予備的請求
被告は、原告に対し、2億1459万1023円及びこれに対する平成26年2月6日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2 事案の概要
本件は、交通事故により左膝蓋骨骨折等の傷害を受け、左下肢の疼痛等が残った原告が、被告が開設する病院で腰部交感神経節ブロック(神経破壊薬を用いるもの。以下「本件治療」という。)を受けたところ、脊髄梗塞が生じ、両下肢の運動・感覚麻痺及び膀胱直腸障害が残ったとして、被告に対し、説明義務違反、血管走行の確認義務違反、手技上の過失、直ちに脊髄梗塞の治療をしなかった注意義務違反を主張して、不法行為(又は使用者責任)に基づき、主位的に、訴外加害者に対する上記交通事故による後遺障害逸失利益の請求が認められることを前提に、治療費、入院雑費、休業損害、後遺障害逸失利益、慰謝料、将来介護費などの損害合計1億6375万0700円及びこれに対する本件治療が行われた日(不法行為の日)である平成26年2月6日から支払済みまで民法(平成29年法律第44号による改正前の法。以下に同じ。)所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めるとともに、予備的に、訴外加害者に対する上記交通事故による後遺障害逸失利益の請求が認められないことを前提に、同逸失利益等を増額した損害合計2億1459万1023円及びこれに対する上記同日から支払済みまで上記同割合による遅延損害金の支払を求める事案である。
1 前提事実(争いのない事実に加え、後掲証拠及び弁論の全趣旨により明らかに認められる事実)
(1)当事者
ア 原告は、昭和年○月生まれの男性である(甲●2)。
イ 被告は、●病院(以下「被告病院」という。)を開設する法人である。
(2)交通事故及びその後の治療経過
ア 原告の交通事故
原告は、以下の交通事故(以下「本件交通事故」という。)にあった(甲●1)。
(ア)発生日時:平成25年2月22日午前5時10分頃
(イ)発生場所:名古屋市千種区(以下略)先路線上(名古屋長久手線)
(ウ)加害車両:■(以下「分離前被告■」という。)が運転する車両
(エ)被害車両:▲が運転する車両
(オ)事故態様:県道60号線(いわゆる広小路通)を西進し、信号機による交通整理が行われている交差点の東西信号が赤信号であったため、停止していた被害車両に、加害車両が追突し、加害車両に同乗していた原告は、事故の衝撃により傷害を受けた。
イ 本件交通事故後の原告の症状及び診療
原告は、本件交通事故により左膝蓋骨骨折等の傷害を受け、医療法人D病院を受診した後、平成25年2月25日、精査加療目的でE病院に転院した。しかし、同病院で腹痛等の症状が出現し、外傷性内蔵破裂の疑いがあるとして、同日、F医療センターに緊急搬送され、そのまま同病院に入院することになった。
原告は、同センター入院中から、左下肢の疼痛が存在し、その後も持続したため、複数の医療機関の診察を受けたところ、複合性局所疼痛症候群(▲RPS。以下、単に「▲RPS」という。)の疑いありとして、再度、同センターの紹介を受けた。同センターでは、原告について、やはり▲RPSの疑いありとし、末梢神経障害性疼痛、難治性疼痛、下肢痛との診断もして、被告病院の麻酔科のG医師(以下「G医師」といい、その証言を引用するときは「証人G」という。)と連携し、腰部硬膜外ブロックを行った。しかし、疼痛の改善が見られず、原告は、平成26年1月16日、被告病院を受診することになった。
(3)原告の被告病院における診療及び治療の経過
原告は、平成26年1月16日、被告病院を受診し、同年2月6日、原告に対して本件治療が行われたところ、治療中、突然、両下肢に熱を感じるなどし、本件治療は中止された。その後、原告の下半身には重大な感覚機能障害及び運動機能障害が発生した(以下「本件医療事故」という。)。
(4)被告病院の麻酔科医師の報告書
被告病院の麻酔科医師(麻酔科部長であるH医師とG医師)は、平成26年4月14日付で、本件医療事故に関して報告書(甲■1)を作成した。同報告書(14頁)では、現時点では原告の下部胸髄から腰仙髄までの脊髄梗塞(虚血)の原因を特定することはできないが、主原因は、無水エタノールの左第2腰動脈刺激による可逆的な高度血管攣縮と考えられること、ただし、無水エタノールの直接的な脊髄組織毒性が全くないとはいえないこと、上部から中部の胸髄へ脊髄障害が遅発性に拡大した原因は、左第2腰動脈の高度血流障害では説明できず、アレルギーや炎症等の影響があるかもしれないが、明確ではないことを報告している。
また、上記報告書(15頁)においては、再発防止に向けての改善策として、X線透視画像の更なる高精細化を挙げるとともに、患者への説明として、非常にまれではあるが、腰部交感神経節ブロックの合併症の中に、腰動静脈血管障害、脊髄梗塞(対麻痺)の項目を含め、患者に説明することを挙げている。
(5)被告病院の医療事故調査委員会の報告書
ア 被告病院の医療事故調査委員会は、平成26年9月4日付けで、「平成26年2月6日に発生した腰部交感神経節ブロック手術施行に伴う医療事故についての報告書」(乙■1)を作成した。
イ 上記報告書(16頁)では、結論として、以下の(ア)から(オ)までのことを述べている。
(ア)本件交通事故後の持続性下肢痛(▲RPS)に対して、エタノールを用いた腰部交感神経節ブロックは、絶対的ではないが相対的に適応があり、原告に対する選択は適切であった。
(イ)インフォームドコンセントに関しては、効果や一般的な合併症、代替治療について説明されており、問題はないと判断した。腰部交感神経節ブロックにおける脊髄梗塞は極めてまれな合併症であり、術前に予見することは困難と考えられた。
(ウ)本件治療の手技に関しては、ペインクリニック治療指針改訂第4版(注:甲■9、乙■4のこと)の神経ブロック(「Ⅰ-24 腰部交感神経節ブロック」)の手順を遵守しており、手技上の問題(過誤)は指摘できなかった。
(エ)脊髄梗塞の原因として、エタノール注入による血流障害と神経破壊が考えられた。エタノールが腰動脈内に流入したかについては確証は得られなかった。
(オ)治療は、脊髄梗塞発症直後から、神経内科と協力して、抗神経浮腫治療をはじめ、抗凝固療法、抗血小板療法等、適切な薬物治療が施行されている。リハビリに関しても、早期に開始し、専門性の高いリハビリ施設への転院など、適切な対応がされていた。
ウ また、上記報告書(16、17頁)では、再発防止への提言として、以下の(ア)及び(イ)を含む複数の再発防止策を述べている。
(ア)本事例では、エタノールが血管を刺激、あるいは血管内に流入したことにより、脊髄梗塞が生じたと考えられる。ブロック手技を開始した早期に第2腰椎部で造影剤や逆流テストを行い、ブロック針が血管内に入っていないことを確認しているが、エタノール注入まで1時間余り時間が経過している。後方視的に考えて、ブロック針を刺入してエタノール注入まで時間を要する場合や、ブロック針内部に血液成分を認めた場合には、神経破壊薬を注入する直前に再度造影剤を注入し、針が血管内に刺入されていないことを確認することを再発防止策の一つとして提案する。
(イ)腰部交感神経節ブロックをはじめ、神経根ブロックや硬膜外ブロックなど、難治性疼痛に対する侵襲的治療には、このような予期することができない腰動静脈血管障害、脊髄梗塞が生じ得ることを患者に説明し、ペインクリニック学会などを通じて啓蒙することも重要と考える。
(6)原告の障害
本件医療事故の結果、原告には脊髄梗塞が生じ、胸部以下の感覚・運動障害、膀胱・直腸障害が生じた結果、両下肢完全対麻痺、自動運動は股関節部以下不能、体幹下肢は重度感覚障害で痛み(難治性)を伴い、立位・歩行は不能などと診断された(甲●3の1・2。なお、甲●3の1の診断書では、症状固定日は平成26年7月23日とされている。)。原告に対しては、脊髄梗塞の治療及びリハビリテーションが実施されたが、同症状の改善が乏しい状況が継続している。また、原告は身体障害者手帳(甲●2。障害名:脊髄疾患による起坐不能な体幹機能障害。1級)の交付を受けた。
(7)被告病院でのその後の腰部交感神経節ブロック施行の状況
被告病院では、本件医療事故発生後、腰部交感神経節ブロックの治療は行っていない。他の神経ブロック治療においては、患者にまずは熱凝固法を勧め、患者側でエタノールによる神経破壊を希望するようであれば、これを施行することとしている。(証人G25、26、48頁)
(8)本訴における本件交通事故に関する和解の成立
原告は、本訴被告に対する訴えとともに、本件交通事故に関し、加害車両の運転手である分離前被告■に対して、自動車損害賠償保障法3条及び民法709条に基づき、損害賠償請求を求める訴えを提起したところ、令和3年2月24日、原告は分離前被告■と裁判上の和解をした。同和解の内容は、原告が、分離前被告■から一定額の金員の支払を受けることとし、原告はその余の請求を放棄するというものであった。
(9)前提となる医学的知見
ア 腰部交感神経節ブロック
(甲■7・185、196、197頁、■9・45~47頁、乙■1・3、22~24頁)
(ア)腰部交感神経節ブロックとは、腰部の脊柱前方に位置する交感神経節(下肢を支配)に薬液(アルコール等)を注入し(本件治療)、あるいは熱凝固装置を用いて神経節、神経幹をブロックする方法である。これは、下肢の血行改善、発汗停止、交感神経系求心路が関与する疼痛を寛解させることを目的に行われるブロックである。この手技は比較的容易であり、交感神経遮断効果も数年以上持続するとされる。神経破壊薬としてアルコールを使用する場合は、合併症の発生を防ぐために、ブロックは透視下に行い、読影とアルコール注入時には細心の注意を払わなくてはならない。交感神経節ブロックは、大腰筋筋膜と腹内側の腎筋膜後葉とが構成するコンパートメント(この中に交感神経幹が存在する。)内に針を進め、薬液を注入し、交感神経を遮断することから始まったが、現在では合併症を減らす目的で、高周波熱凝固法を併用し、使用薬液量を少量(エタノール1~1.5ml前後)としたり、高周波熱凝固法のみで行うことが多くなっている(乙■1・22、23頁)。
(イ)腰部交感神経節ブロックの合併症には、アルコール神経炎、神経根損傷、射精障害、血管穿刺、尿管穿刺、椎間板炎などがある。血管穿刺については、大血管の穿刺は透視装置を使用すれば避けられるものの、腰動静脈の穿刺は必ず一定の確率で起こるため、大切なのは、血管穿刺したことを画像から判断し、ブロックを修正又は中止することであるとされる。脊髄を栄養している根動脈に万一アルコールが注入されると、激痛を生じるとともに、脊髄損傷を来す。
(ウ)腰部交感神経節ブロックについて代替可能な治療法としては、薬物療法、光線療法、腰部硬膜外ブロック、脊髄刺激療法がある。
また、前記(ア)の疼痛等のある患者について、この腰部交感神経節ブロックを行わなかった場合に予想される経過としては、知覚神経障害(疼痛、しびれ)の出現・悪化、血行障害の出現・悪化、感染の出現・増悪、下肢切断が考えられる。
イ 神経破壊薬として無水エタノールを用いた腰部交感神経節ブロック(本件治療)
(ア)本件治療の際に用いられた無水エタノールは、強力な脱水固定作用により血管を収縮させ、さらに血管内に血栓が形成されることによって止血効果が生じる(甲■3)。
(イ)本件治療の手技については、まず、体位は側臥位ないし軽度斜位とする。刺入位置より椎体側方からアプローチする傍脊椎法及び椎間板を貫く経椎間板法がある。第2、3、4腰椎で行うのが一般的である。透視下に、目的とする椎体終板が一線に見えるように管球の傾きを調整する。刺入後はできるだけ椎体前方1/3に針を当て、その後は、椎体に可能な限り針を密着したまま針を進める。骨膜や骨皮質に針先がめりこまないようゆっくり回転させながら進めることが重要である。造影剤と局所麻酔薬の混合液は、1分節につき2mlから3ml使用する。造影剤と局所麻酔薬の混合液注入20分経過後、鼠径部を中心とした神経障害と運動障害がなければエタノールを同容量かそれより少ない容量を使用する。施行後は、エタノール使用時は側臥位のまま1から2時間、さらに自由体位で2時間の安静をとらせる。(乙■1・23頁)
ウ 高周波熱凝固法
高周波熱凝固法とは、薬剤の代わりに高周波を用いて交感神経をブロックする治療である。この治療法は、針の先端を電気で加熱し、神経の中にあるたんぱくを熱で固め、物理的に神経の伝達経路を遮断するもので、安全性は高いが、その効果は、薬液(アルコール)を注入して行う腰部交感神経節ブロック(本件治療)に劣るとされる。高周波熱凝固法は、ピンポイントで神経を狙いやすいので、神経破壊薬のように思わぬところに流れ、痛みに関係のない神経を麻痺させる恐れが少ないとされる。(甲■7・185頁、甲■8・4頁、乙■1・12頁)
エ 脊髄刺激療法
脊髄刺激療法(S▲S)とは、難治性の痛みの治療として、脊髄の硬膜外空に電極(リード)を入れ、臀部若しくは腹部に埋め込んだ刺激装置に接続して、脊髄に弱い電気刺激を与え、痛みの信号を脳に伝えにくくし、持続的な痛みを緩和させる治療方法である(乙●4・4頁、証人G2頁)。
オ 脊髄梗塞
脊髄梗塞は比較的まれな疾患であり、その頻度は全ての脊髄症の6%、全ての脳卒中の0.3から1.0%程度(甲■22。甲■21では脳卒中の1/50~1/100の頻度とされている。)と報告されるが、過去の報告は多くないとされる。脊髄梗塞の発生機序、病態、自然経過及び予後について明確に述べているものはない。それゆえ確立した治療法はなく、個々の症例で検討されているのが現状である。原因として、動脈硬化、塞栓症、大動脈解離、大動脈手術、硬膜外麻酔、ショックによる低血圧、血管炎、凝固系の異常、椎間板ヘルニア、梅毒などを挙げる文献もある。(甲■21、22)
2 争点
(1)脊髄損傷及び対麻痺という腰部交感神経節ブロックの合併症についての説明義務違反
(2)高周波熱凝固法による腰部交感神経節ブロックについての説明義務違反
(3)本件治療前にあらかじめ原告の血管走行を確認しなかった過失
(4)本件治療におけるブロック針の位置の誤り
(5)無水エタノールによる脊髄神経障害の可能性を認識した後、直ちにMRI検査等の脊髄梗塞に対する治療を実施しなかった過失
(6)原告の損害及び額
3 争点についての当事者の主張
(1)争点(1)(脊髄損傷及び対麻痺という腰部交感神経節ブロックの合併症についての説明義務違反)について
(原告の主張)
本件医療事故前に出版されていた一般的な医学書(甲■7)には、本件治療の合併症として、血管穿刺が挙げられている(同196、197頁)。そのため、被告病院の医師としては、本件治療において、根動脈に無水エタノールを注入させる可能性があること、これにより脊髄損傷が生じる危険があることを認識し得たといえる。
また、一般に、神経ブロックにおいては、脊髄動脈の血流障害による神経麻痺の危険が指摘されている(甲■2、■4の1・2、■5など)。そして、無水エタノール自体に血管収縮作用の危険があることが知られている(甲■3)。そのため、こうした強い薬剤を人体に注入する以上、血管の変性が生じる危険が一定程度あるから、神経麻痺の危険についても説明する義務がある。
よって、被告病院の医師は、原告に対し、本件治療(腰部交感神経節ブロック)に内在する危険性として、血管穿刺による脊髄梗塞(脊髄虚血)の危険性を説明する義務があった。
それにもかかわらず、被告病院の医師はこれらの説明をしなかったのであるから、同医師には説明義務違反がある。
(被告の主張)
ア 原告が主張するように、被告病院の医師は、原告に対し、本件治療(腰部交感神経節ブロック)の合併症として、脊髄梗塞による対麻痺の可能性があることは説明していない。
しかし、本件治療の合併症としての脊髄梗塞による対麻痺の発生については、日本国内で神経ブロックを扱う約5000名の医師が所属する日本ペインクリニック学会治療指針改訂第4版(甲■9、乙■4。以下「本件治療指針」という。)には記載がなかった(46頁)。「極めて稀であるが、エタノール注入による腰動脈虚血から対麻痺を誘発する場合がある」と記載されたのは、改訂第6版(令和元年。乙■17・47頁)になってからである。本件治療当時、国内における報告例もなく、文献上、海外の報告例が1例しかない極めてまれな合併症であった(乙■1・12、13頁)。
この点、唯一の国内論文として本件医療事故のわずか2か月前に発刊された「区域麻酔・神経ブロックの合併症とリスクマネジメント」(臨床麻酔 11-2013. Vol.37/No11)では、「末梢神経ブロックと脊髄栄養動脈損傷」の項にて、「最も忌まわしい合併症は脊髄栄養動脈の損傷による脊髄虚血である。」と記載され、「次の末梢ブロックでは脊髄栄養動脈の走行と分布を認識しておかなければならない。」とし、胸部・腰部交感神経節ブロックをその対象として挙げている(乙■11・1599頁)。しかし、同論文は、筆者であるI医師(以下「I医師」という。)がその意見書(乙■12・1、2頁)で自認するとおり、啓蒙的な意味で「理論的には、危険である」と指摘したにとどまるものである。I医師も、同論文が上記の危険性を指摘した最初の論文ではないかとしており(乙■12・2頁)、本件医療事故当時、ペインクリニックを手掛ける医師に上記の危険性が周知されていたとは到底いえない。
イ しかも、被告側協力医が意見を述べるように(乙■2、3、12)、原告は、左第2腰椎分節動脈が脊髄栄養動脈、大根髄動脈(●d●mkiewi▲z動脈)につながっていた可能性が高い。そして、大根髄動脈(●d●mkiewi▲z動脈)に分枝しているのは、その75%が第9から第12胸椎レベルで、左側が多く、原告のように第2腰椎分節動脈から分枝しているのはまれである。
ウ そうすると、腰部交感神経節ブロックの合併症として脊髄梗塞や脊髄虚血が発症するとの一般的知見はなかったのであり、しかも、本症例は術者が予見することができない「血管の破格(異形成)」ともいうべき血管の走行異常があった症例であるから、被告病院の医師は、このように極めてまれな合併症である脊髄梗塞(対麻痺)について説明義務を負わない。
エ なお、被告病院の医師は、本件治療前の平成26年1月16日、原告に対し、本件治療の同意書取得の際、起こり得る合併症として、神経損傷、くも膜下ブロック、腰神経ブロック・腰神経損傷(知覚低下、麻痺)、アルコール性神経炎(大腿部~陰部のしびれ感)といった神経症状に関わる合併症について説明した上で、それ以外にも侵襲的な処置を伴う「現時点では不測の偶発症が発生することがある」旨の説明を行い(乙●1の1・9/947頁)、原告の署名を得ているのであり、必要かつ十分な術前説明はされていたといえる。
(2)争点(2)(高周波熱凝固法による腰部交感神経節ブロックについての説明義務違反)について
(原告の主張)
ア 腰部交感神経節ブロックには、本件治療のように神経破壊薬を使用する方法のほか、高周波熱凝固法(針先から高周波電流を流し、その熱で蛋白質を凝固させて、痛みの信号を遮断する方法)もある。この高周波熱凝固法は、長期の効果が得られるものの、神経破壊薬を使用する場合と比べれば、その持続効果は劣る。しかし、高周波熱凝固法は、ピンポイントで神経を狙いやすいため、神経破壊薬のように思わぬところへ流れ、痛みに関係のない神経を麻痺させるおそれが少ないなど、その安全性は高い(甲■7・185頁、■8)。本件治療指針の腰部交感神経節ブロックの項目(甲■9・45頁~)においても、現在では合併症を減らす目的で、高周波熱凝固法を併用し、使用薬液量を少量(エタノール1~1.5ml前後)としたり、高周波熱凝固のみで行ったりすることが多くなっていると記載されており、最近は安全性と有用性から、高周波熱凝固法が多用されていることが説明されている。
イ それにもかかわらず、原告は、本件治療の前に、被告病院の医師から、腰部交感神経節ブロックの方法として、神経破壊薬を利用した方法しか説明を受けておらず、本件治療の代替治療法である高周波熱凝固法について一切説明を受けていない。被告病院の医師の説明は明らかに不十分であり、原告は、より安全性が高い高周波熱凝固法を選択する機会を失い、神経破壊薬による合併症を避ける機会も失ったといえる。被告病院の医師の説明義務違反は明らかである。
(被告の主張)
ア 被告病院の医師が原告に対して高周波熱凝固法について説明していないことは認めるが、その余の原告の主張は否認ないし争う。
イ 被告病院では、腰部交感神経節ブロックを施行する場合、原則、局所麻酔薬を使用したブロックか、あるいは相対的少量のエタノール(通常は2~5mlを使用するが、被告病院では3mlまで)を用いた神経破壊かを選択している。
高周波熱凝固法は、有効性の点で、神経破壊薬を用いた場合よりもブロック効果消失までの期間が短いと考えられていることや、本件当時までの報告では症例数が少ないため合併症を明らかに減らせるとの傍証に十分ではないことから、被告病院では、高周波熱凝固法は採用していなかった。被告病院では、処置中の造影所見からエタノールの使用が適切ではないと考えた場合には、薬液減量やブロックを中止する対応をとっていた。
ウ 上記のとおり、被告病院では、神経破壊の方法として高周波熱凝固法を採用していないので、これを選択肢として提示してはいなかった。しかし、被告病院の麻酔科・ペインクリニックの医師は、原告に対し、本件治療に際して、代替可能な治療法として、薬物療法、光線療法、腰部硬膜外ブロック、脊髄刺激療法を提示している(乙●1の1・9/947頁)。また、本件治療についての同意を取得した後、撤回する場合の対応方法(いつでもやめることができる。)も説明しているのであるから(乙●1の1・10/947頁)、被告病院の医師からは、必要かつ十分な説明がなされたといえる。
エ 以上のとおり、被告病院の医師には、本件治療当時、腰部交感神経節ブロックを実施するに当たり、高周波熱凝固法について説明しなければならない義務は存在しなかった。
(3)争点(3)(本件治療前にあらかじめ原告の血管走行を確認しなかった過失)について
(原告の主張)
無水エタノールは強力な薬剤であるから(甲■3)、その使用に当たっては慎重に行う必要がある。一般的な文献によれば、交感神経節ブロックにおいて血流障害による神経麻痺等の危険が指摘されていること(甲■2、6)、血管走行は個々人で異なること、大根髄動脈(●d●mkiewi▲z動脈)がL2-L3領域で分岐している可能性が12%に及ぶこと(甲■13)からすれば、被告病院の医師としては、原告の血管走行が一般的でない可能性を考慮して、本件治療前に、原告の大根髄動脈(●d●mkiewi▲z動脈)のみに限らず、血管走行一般を確認する義務があった。
それにもかかわらず、被告病院の医師は、本件治療前に原告の血管走行を確認しなかったのであるから、過失が認められる。
(被告の主張)
腰部交感神経節ブロックの術前評価で、大根髄動脈(●d●mkiewi▲z動脈)の血管走行を確認することは一般には行われていない。なぜなら、同走行はMR●(MR血管造影。MRIによる血管造影。甲■17・3頁、乙■13・517頁)や単なる造影▲Tでは判断することができず、カテーテルを用いた選択的血管造影という侵襲の高い検査を行う必要があるからである(乙■2・2頁)。原告側協力医の意見書(甲■17・3、5頁)で参考資料とされた文献(乙■13)でも、▲T●(▲T血管造影)やMR●でも大根髄動脈(●d●mkiewi▲z動脈)を同定することは決して容易ではないことを前提にした記載がされている。そもそも本件治療当時、腰部交感神経節ブロックの合併症として、脊髄梗塞が生じる一般的知見はなかった。しかも、まれにではあるが対麻痺や前脊髄動脈症候群が生じるとされる腹腔神経叢ブロックですら、本件医療事故当時、大根髄動脈(●d●mkiewi▲z動脈)の血管走行を術前評価すべきであるとはされていなかった。
そして、被告病院では、腰部交感神経節ブロックを行う全例で、単純X線及び腰部▲Tを用いて、術前評価として腰部神経ブロック関連領域の解剖を確認している。原告の場合も、ブロックを安全・有効に行うため、術前検査として、血液検査、単純X線検査、▲T検査を行い、出血傾向、凝固異常、易感染性、脊椎変形や大血管偏位等の解剖学的異常がないことを確認し、事前に画像上でブロック針刺入位置や方向、深さなどを検討してから、実際のブロックを行っている。
よって、被告病院の医師に、原告が主張するような過失はない。
(4)争点(4)(本件治療におけるブロック針の位置の誤り)について
(原告の主張)
原告に異常が生じてから5分後の15時50分の造影検査において、血管造影効果が確認されたことからすると(乙■1・7頁等)、本件治療において用いられたブロック針は、血管内に薬液を注入し得る位置にあったといえる。そして、前記のとおり、一般的な文献で本件治療に関して血管穿刺の危険が指摘されており、しかも、本件治療中、血管の造影効果が薄く現れていたし(乙●4・13頁。乙■1の14時41分の画像)、無水エタノール注入直前の逆流テストでは、ブロック針内に血液成分が貯留していたことからすると(乙■1・13頁)、被告病院の医師は、ブロック針が血管内に薬液を注入し得る位置にあることを認識することができた。このため、被告病院の医師は、ブロック針を当該位置のままでエタノールを注入することを避けるべき義務があったにもかかわらず、そのまま無水エタノールを注入して原告の脊髄梗塞を引き起こしたのであるから、過失が認められる。
(被告の主張)
ア 被告病院の医師は、本件治療に当たり、手順書(本件治療指針「神経ブロック(Ⅰ-24 腰部交感神経節ブロック) 2)手技」。甲■9、乙■4の46頁)を遵守し、手技を適切に遂行しているから、同医師に手技上の過失はない。
すなわち、被告病院の医師は、X線透視画像でブロック針先端が椎体骨靭帯に固定されていること、ブロック針に陰圧をかける逆流テストにより血液が引けていないこと、局所麻酔薬を投与して、目的とする交感神経にブロック効果があること、ブロック針から造影剤を投与しても、血管が造影されず、薬液が適切な部位に留まることを、それぞれ確認している。このように、被告病院の医師は、血管内に針先が入っていないことを確認しているから、手技上の過失は認められない。
イ 原告は、本件治療中の14時41分の画像に血管の造影効果が薄く現れていたとするが、これは事後に特殊な条件(拡大された静止画像)に検討したレトロスペクティブ(後方視的)な評価であって、術中(プロスペクティブ)にはおよそ把握し得なかったものである。
また、原告は、無水エタノール注入直前の逆流テストでブロック針内に血液成分が貯留していたことを指摘するが、腰部交感神経節ブロックの手技は、針先を骨に接触させ擦りながら進める手技であり、複数回穿刺する場合には、骨膜からの出血が穿刺針から一時的に血性体液として吸引されることがある。もし動脈内に針先があれば拍動性の吹き出す出血が、一方、静脈内に針先があればじわじわと持続する出血が見られるはずであるが、本件ではそのような出血はなく、数回の拭き取りで血性体液が認められなくなっているから、血管から血液が吸引されたとは判断されなかったのであり、何ら誤りはない。
(5)争点(5)(無水エタノールによる脊髄神経障害の可能性を認識した後、直ちにMRI検査等の脊髄梗塞に対する治療を実施しなかった過失)について
(原告の主張)
前述のとおり、一般的な医学書において、本件治療の合併症として血管穿刺や脊髄障害の可能性が明確に指摘されている。
原告は、15時45分の神経破壊薬(無水エタノール)の注入開始後、直ちに異常を訴え、はじめに右足から、続いて左足に強い痛みが出て、その後下肢に力が入らなくなったと説明しているのであるから(甲■1別紙3、乙■1・6頁)、医師としては、目的とする部位の周りに脊髄に血液を送る動脈が走っていることからしても、血流障害による脊髄梗塞などが発生した可能性を疑うべきであった。
また、被告病院の医師は、15時50分に、ブロック針より尾側のL2/3椎間板に相当する部位に血管影らしい造影効果を確認し、神経破壊薬が、目的とした部位以外の血管内に入った可能性があり、患者の訴える症状と併せると、無水エタノールによる脊髄神経障害を起こしている可能性があると考えている(甲■1別紙3、乙■1・7頁)。つまり、被告病院の医師は、遅くとも15時50分には、血流障害が生じ、脊髄梗塞が発生した可能性を認識していたといえる。
しかし、被告病院の医師は、16時45分にMRI検査をするまで、約1時間の間、脊髄梗塞に対する処置をしなかった。原告の脊髄梗塞の治療を中心的に担ったJ医師(以下「J医師」といい、その証言を引用するときは「証人J」という。)によると、本件では、無水エタノールが血管内に侵入し、血栓を生じさせて血管の末梢から詰まらせ、広範囲に血管が閉塞したと考えられるとのことであるが(証人J3、4頁)、細胞の虚血による死は急速に進んでいるのであるから、脊髄神経障害や脊髄梗塞を疑った時点において、早期にMRI検査を行い、脊髄梗塞に対する治療、例えばステロイド薬や抗血小板薬の使用等の治療、抗凝固療法などを実施していれば、原告の広範囲な感覚・運動障害、膀胱・直腸障害までの大きな障害は残らなかった。
したがって、被告病院の医師は、上記のように脊髄梗塞や脊髄神経障害の可能性を認識した以上、神経内科の意見を聞くなどして適切な治療を行うべきであったにもかかわらず、これを怠った過失がある。
(被告の主張)
ア(ア)本件医療事故当時、ペインクリニック学会の本件治療指針にも、腰部交感神経節ブロックの合併症として脊髄梗塞(脊髄虚血)の記載はなかった(甲■9・46頁)。前記争点(1)における被告の主張で記載したとおり、本件当時、腰部交感神経節ブロックによる脊髄梗塞の症例は、海外論文1例以外に海外・国内ともに報告例はなかった。
そして、前記のとおり、原告の臨床的な経過からは、左第2分節動脈が脊髄栄養動脈、大根髄動脈(●d●mkiewi▲z動脈)につながっていたことが示唆されるところ、大根髄動脈(●d●mkiewi▲z動脈)へ分枝しているのは75%が第9から第12胸椎レベルで、原告のように第2腰椎分節動脈から分枝している症例は極めてまれであることからすると、原告については血管の破格(異形成)ともいえる血管の走行異常があった症例と認められる。
(イ)本件では、原告の急変から5分後の15時50分の造影検査の結果から、無水エタノールが血管内に入った可能性が考えられたものの、術前の事情、すなわち、エタノール投与前の造影検査で、針から投与した造影剤は適切な部位にとどまっており、血管造影を確認することはできなかったこと、針から投与された局所麻酔薬が腰部交感神経を確かに遮断したこと、逆流テストで血液が確認されなかったこと、針先は骨に固定されて移動していないことからすれば、原告の急変の原因として、無水エタノールが血管内に入った可能性だけが高いとは考えられなかった。そして、エタノール少量分割投与開始直後の痛みの訴えから、エタノールの脊髄神経から末梢神経への予期せぬ浸潤の可能性も考えられた。このため、原告の症状が一過性のものか判断がつかなかった。
また、脊髄梗塞の場合、MRI検査で変化が見られるものの、発症直後はMRIを実施しても所見が得られないし、検査室へ移動するデメリットとして患者バイタルの変化や神経破壊薬の更なる拡散も考えられた。
(ウ)以上により、本件治療の際、術者であるK医師(以下「K医師」という。)やG医師などが、無水エタノールの注入直後の症状から、直ちに脊髄梗塞の発症の認識を持ち得なかったことは、やむを得ないことと考えられる。
イ 原告は、被告病院の医師の治療開始時期が遅れたと主張するが、様々な可能性のある診断前には、副作用の危険性が高い、若しくは侵襲度の高い治療は開始することができない。
被告病院の医師は、緊急MRI検査で放射線科医に読影診断を依頼し、脊髄梗塞の可能性を指摘されたことから、直ちに神経内科にコンサルトをして治療方針を相談し、速やかに脊髄梗塞の薬物治療(抗神経浮腫、抗凝固、抗血小板等)を開始しており、適切な処置が迅速に行われたといえる。
原告が拠り所とする甲■18号証の意見書(3丁)では、被告病院の医師が投与した薬剤の早期の投与の可能性を指摘するところがある。しかし、同医師が投与したソル・メドロールやラジカットには重篤な合併症があり、致命的な経過をたどる薬剤であると添付文書にあり(乙■15、16)、被告病院の医師は、神経内科医による神経機能の臨床診察とMRI検査結果を参考にした的確な診断(脊髄梗塞)に基づいて慎重に薬物療法適応を決定している。投薬開始時期についても、添付文書記載に準じた方法(ソル・メドロールは受傷後8時間以内、ラジカットは発症後24時間以内)で早期に適切に投与することができている。もっとも、本症例では、1週間後には再開通が確認されていることからすると、エタノール投与直後に脊髄栄養動脈に血管攣縮が起こっていた可能性が高いので、上記の薬剤を脊髄病変部位まで十分到達させられていたかは明らかではない。
なお、原告の脊髄梗塞の原因は、上記の血管攣縮の可能性を考えると、原告がJ医師の証言を基に主張するように、無水エタノールが血管内に入り、血栓形成により血管閉塞を引き起こしたのではなく、右第2腰動脈の異形成があり、左第2腰動脈血管攣縮により脊髄栄養動脈である大根髄動脈(●d●mkiewi▲z動脈)の閉塞、低還流が引き起こされた可能性が考えられる。
(6)争点(6)(原告の損害及び額)について
(原告の主張)
ア 治療費 261万4340円
本件医療事故発生後の治療費については、被告が、原告に対して、その一部として261万4340円を請求している(甲▲1)。これ以外にも治療費が発生しているはずであるが、まだ未請求であったり、障害者医療費助成により原告がそもそも負担しないものであったりするであろうから、本訴においては、暫定的に、本件医療事故に基づく原告の治療費を同金額として算定する。
なお、原告の後遺障害の部位、程度等に照らすと、症状固定の前後を問わず、少なくとも平成26年2月6日以降に継続して入院している期間の治療やリハビリテーションは必要性、相当性があるというべきであり、それに要した費用についても本件医療事故と相当因果関係があるというべきである。したがって、その期間の治療費及びリハビリテーション費用は損害となる。
イ 入院雑費 236万7000円
(ア)入院雑費については、1日当たり1500円とする。
(イ)そして、入院期間については、原告は、本件治療を受けるために平成26年2月6日に被告病院に入院し、同日に本件医療事故が発生した後も継続して入院し、その後は愛知県内の複数の病院を転々とし、被告病院に戻った後、愛媛県松山市にある医療法人L病院(以下、単に「L病院」という。)の入院を経て、同市にある障がい者支援施設かなさんどうに入所するまで、合計1578日間入院している。
この点、後遺障害診断書の中には平成26年7月23日を症状固定日としているものがあるが(甲●3の1)、これは、原告にとって治療費の負担増などから身体障害者手帳の交付の必要性が高まるなどしたため、同日で症状固定としたにすぎない。また、原告は本件医療事故によって下半身不随となったため、寝たきりの状態となり、褥瘡を発症し、その治療が入院中はずっと行われていた。したがって、同日以降の入院雑費についても因果関係を有する損害であるといえる。
(ウ)したがって、入院雑費は、1500円×1578日=236万7000円となる。
ウ 交通費
原告は、前記のL病院に入院する際に飛行機を利用して移動しているが、その際に要した交通費は本訴では請求しない。
エ 付添看護費 合計1289万6800円
(ア)付添費 467万4600円
原告の障害の内容や程度、褥瘡の程度からして、原告は自ら満足に動くこともできないから、症状固定の前後を問わず常時介護が必要であり、付添いの必要性があったといえる。そこで、原告には、本件医療事故後、松山市に居住する原告の両親が、毎月1週間程度、定期的に付き添っていた。したがって、原告の両親は、本件医療事故が発生し、前記障がい者支援施設かなさんどうに入所するまでの1578日間中、つまり約53か月間、毎月7日、合計371日、原告に付き添ったといえる。
そこで、一人につき1日6300円の付添費が妥当であることから、6300円×371日×2人=467万4600円が原告両親の付添費になる。
(イ)付添人交通費等 822万2200円
原告の両親は、原告に付き添うため、松山市から愛知県まで、特急電車と新幹線を乗り継いで原告の入院先に通った。そのため、毎回、往復の旅費と6泊分(毎月1週間の付添い)の宿泊費がかかっている。片道の旅費は、電車代が名古屋駅まで概ね一人1万6550円である(甲▲2)。また、1泊の宿泊費は概ね一人8000円である。付添いの期間は、本件医療事故後、平成30年2月15日にL病院に転院するまでの1471日、約49か月間となる。
したがって、原告の両親の付添いに関する旅費は、1万6550円×2(往復)×49回×2人=324万3800円となる。また、宿泊費は、8000円×6泊×49回×2人=470万4000円となる。さらに、宿泊している宿から各入院先まで片道200円以上の交通費がかかっているから、200円×2回(往復)×7日×49回×2人=27万4400円の交通費も必要であった。
以上により、付添人交通費等の合計は、822万2200円となる。
オ 休業損害 132万1137円
原告は、M株式会社に勤務していたところ、本件交通事故以降、本件交通事故による傷害及び本件医療事故による障害を理由に休職している。
本件医療事故の翌日である平成26年2月7日から、症状固定日である同年7月23日までの167日の休業損害は、本件交通事故前3か月の給料から算出した日額が7911円であるから(甲▲3の1)、7911円×167日=132万1137円となる。
カ 後遺障害による逸失利益 2058万2481円(主位的主張)
6680万0956円(予備的主張)
(ア)原告に存する後遺障害は、脊髄障害に基づく完全対麻痺、両側下肢全廃、排尿便障害等のいわゆる下半身不随という、恒常的かつ著しい運動障害及び感覚障害である。当該後遺障害は脊髄障害であるから、自動車損害賠償保障法施行令(自賠法施行令)別表第一第1級第1号(神経系統の機能又は精神に著しい障害を残し、常に介護を要するもの)に該当する。
そして、原告は、本件医療事故によって受けた傷害の症状が固定した当時(平成26年7月23日)の年齢が42歳であり、就労可能期間は67歳までの25年間とする(25年についての年5分の割合による中間利息の控除に関するライプニッツ係数は14.0939である。)。また、原告の本件医療事故以前の年収は473万円9707円であり(甲▲4)、原告は後遺障害により労働能力を100%喪失した。
したがって、本件医療事故の後遺障害による原告の逸失利益は、6680万0956円(=473万9707円×1.00×14.0939。小数点以下四捨五入)となる。
(イ)もっとも、原告の本件交通事故による後遺障害の逸失利益は、後記(ウ)のとおり4621万円8475円となるから、原告は、主位的に、同逸失利益が認められることを前提に、上記の本件医療事故の後遺障害による原告の逸失利益6680万0956円から本件交通事故による逸失利益4621万円8475円を控除した金額である2058万2481円を本件医療事故による逸失利益と主張する。なお、原告は、予備的に、本件交通事故に基づく上記逸失利益が認められない場合、本件医療事故に基づく逸失利益を、前記のとおり6680万0956円と主張する。
(ウ)原告は、本件交通事故によって▲RPSを発症した。▲RPSによって、原告の左下肢は、何かが触れるだけでも激しい疼痛が生じ、あるいは何も触れなくても強い疼痛が生じたため、運動障害及び歩行障害が認められていた。このような原告の左下肢の症状及び程度は、自賠法施行令別表第2の7級4号(軽易な労働以外の労働に常に差し支える程度の疼痛があるもの)に相当するものであったことは明らかであり、その労働能力の喪失率は56%である。
そして、本件交通事故による逸失利益を計算するに当たっては、本件医療事故日(平成26年2月6日)を症状固定日と考えるべきである。原告は、同日当時は42歳であり、67歳までの25年間の就労可能期間があったといえ、25年間について年5分の割合による中間利息控除に関するライプニッツ係数は17.4131とすべきである。
よって、原告の本件交通事故による逸失利益は4621万円8475円(=年収473万9707円×0.56×17.4131。小数点以下四捨五入)となる。
キ 慰謝料 入通院分 300万円
後遺障害分 3640万円
原告は、本件医療事故によって下半身の運動障害及び感覚障害を負い、一人では排尿、排便もすることができない体になり、一緒に暮らしていた女性とも別れ、仕事面でも家庭面でも身体面でも全ての希望を打ち砕かれ、将来を奪われてしまった。かかる原告の悲しみ等を慰藉するには、入通院慰謝料は300万円(本件医療事故日である平成26年2月6日から症状固定日である平成26年7月23日までの日数は168日であり、全日入院した。)、後遺障害慰謝料は3640万円が相当である。
ク 介護に伴う費用
原告の後遺障害の部位・程度からすれば、前記の施設入所費用や自宅改造費、自宅介護に伴う備品代、装具が損害となるが、現時点で原告が施設退所のめどが立っておらず、退所後の生活についても未定であるため、退所後に算定せざるを得ない。
ケ 将来の介護費 6968万2515円
原告は、本件医療事故による後遺障害で常時介護が必要な状態にあり、将来においても常時介護が必要な状態から回復する可能性は著しく低い。そして、原告の介護は大きな身体的負担を強いられるものであるため、少なく見積もっても職業介護人の1日当たりの料金は1万円を下らない。もっとも、入院中は看護師等の助けを借りることもできるため、前記の月7日程度の付き添いは必要であるが、常時職業介護人による介護までは必要ではないといえる。
そこで、症状固定日(平成26年7月23日)から約4年後の平成30年6月2日に退院し、前記の施設に入所しており、原告の症状固定時の平均余命が39年であることから、本件医療事故と相当因果関係のある将来介護費は、以下のとおり、6968万2515円となる。なお、将来の介護費を現在価額に換算するために控除すべき中間利息は民法所定の年5分の割合によるべきである。
1万円×365日×{22.8082(39年のライプニッツ係数)-3.7171(これを入院期間約4年のライプニッツ係数とする。)}=6968万円2515円
コ 上記アからケまでの合計
主位的請求について1億4886万4273円
予備的請求について1億9508万2748円
サ 弁護士費用 主位的請求について1488万6427円
予備的請求について1950万8275円
原告は、自身では本件訴訟を遂行することが不可能ないし困難であるため、原告代理人弁護士に依頼せざるを得なかった。その弁護士費用は、少なくとも損害賠償金額の1割を下ることはないから、主位的請求については1488万6427円、予備的請求については1950万8275円(いずれも小数点以下四捨五入)となる。
シ 以上アからサまでの合計
主位的請求について1億6375万0700円
予備的請求について2億1459万1023円
(被告の主張)
以下に指摘するほか、原告の主張は否認ないし争う。
ア 治療費
被告が原告に対して治療費の一部として261万4340円を請求していること、それ以外の治療費も被告病院において発生しているが、障害者医療費助成により原告がそもそも負担しないことは認め、その余は否認ないし争う。
イ 入院雑費
原告の主張のうち、(イ)の第1段落については認める。同(イ)の第2段落のうち、後遺障害診断書(甲●3の1)上は平成26年7月23日を症状固定日としているが、同時期に作成された他の後遺障害診断書(甲●3の2)上は症状固定日が未定とされていることは認める。その余の原告の主張は、否認ないし争う。
ウ 交通費
原告が、本件医療事故後、常に病院に入院していること、L病院に転院する際、飛行機を利用して移動するなどしていることは認め、その余は否認ないし争う。
エ 付添看護費、休業損害、後遺障害による逸失利益、慰謝料、介護に伴う費用、将来の介護費、弁護士費用、その他の計算結果否認ないし争う。
第3 当裁判所の判断
1 認定事実
前記前提事実及び当事者間に争いのない事実に加え、証拠(後掲証拠に加え、甲■1、乙●1の1・1/947頁以降の部分、乙●4、乙■1)及び弁論の全趣旨によれば、本件治療の経過に関して、以下の事実が認められる。
(1)本件治療の説明及び原告の同意
ア 原告は、平成25年10月24日、本件交通事故により生じた左下肢痛の治療として脊髄刺激療法の適応を知りたいとして、被告病院麻酔科・ペインクリニック(以下では、同科のことを指す場合も、単に「被告病院」という。)を受診した。被告病院のK医師とG医師は、同療法の適応があると判断し、原告に対して、腰部交感神経節ブロックや脊髄刺激療法などの治療方法を説明した。原告は、当面はF医療センターで10回程度、腰部硬膜外ブロックを行うこととし、今後、原告の希望があれば手術を予定することとした。
その後、原告は、F医療センターで腰部硬膜外ブロック治療を受けながら、本件交通事故の加害者の損害保険会社から脊髄刺激療法の承諾を待っていたが、連絡がなかった。このため、同病院の医師は、平成26年1月6日、原告に対し、代替療法として腰部交感神経節ブロックを紹介し、同月14日、同治療法の適応について見解を求めるため、被告病院に原告を紹介した。
(以上、争いのない事実に加え、甲●12・2頁、乙●1の1・1/947頁、証人G2、3、27頁、原告本人5、11、12頁)
イ 原告は、平成26年1月16日(以下では、同年内のことについては、単に日付のみを記す。)、被告病院を受診し(前提事実(3))、K医師から、所定の説明文に沿って腰部交感神経節ブロック(神経破壊薬を用いる本件治療)の説明を受け、同治療を行った上でその経過を見て脊髄刺激療法を行うこととし、本件治療を受けることに同意した。この説明の際、K医師は、原告に対し、本件治療の合併症として、血管穿刺・血腫、神経損傷等の神経症状に関わる合併症などを説明し、それ以外にも侵襲的な処置に伴う「現時点では不測の偶発症が発生することがある」旨の説明も行ったものの、脊髄梗塞による対麻痺の可能性があること、他の施術方法として高周波熱凝固法があることについては、いずれも説明をしなかった(被告病院では高周波熱凝固法は行っていなかった。ただし、造影剤の所見によっては熱凝固の神経破壊を後日行うことがあり得ることは説明された。)。
そして、原告に対しては、同日、X線検査、血液検査とともに、K医師により腰部硬膜外ブロックが施行された。
(以上、争いのない事実に加え、甲●12・2頁、乙●1の1・6/947~9/947頁、証人G4~7、28、29頁、原告本人5~7、12頁)
ウ 原告は、1月23日、被告病院を受診し、本件治療を受けることについての同意書を提出した。
原告に対しては、同日、K医師により被告病院における2度目の腰部硬膜外ブロックが施行された。
エ 原告は、1月30日に被告病院を受診し、K医師により3度目の腰部硬膜外ブロックが施行されるとともに、腰部▲T撮影が施行された。
(2)本件治療の開始から15時40分頃までの処置(本項以降、後記(4)イまでについて、診療録の記載は乙●1の1・36/947~41/947頁)
ア 原告は、2月6日(以下、同日のことについては時刻のみで記載する。)、本件治療施行目的で被告病院(麻酔科)に入院し、本件治療を行うこととなった。主治医(術者)はK医師であり、G医師が指導医兼助手を勤め、他にX線透視装置操作担当(麻酔科)のN医師(以下「N医師」という。)と看護師1名がいた。(甲●12・2頁、乙●4・10、11頁、証人G12頁)
原告は、14時00分に手術室に入室し、14時25分にブロック処置が開始された。14時26分(甲■1・別紙3・1枚目、乙●4・11頁)、被告病院の医師は、X線透視下で、第2、3、4腰椎を確認した。
イ 14時30分、L2レベルのブロックから開始し、棘突起から8▲m外側に刺入し、23Gカテラン針で、X線透視下で方向を確認しながら、横突起部まで麻酔を行った。原告に対する本件治療においては、外来用イメージ装置を用いてリアルタイムにX線透視画像を撮影し、17インチ高解析度(走査線1000本)のモニターを3人の麻酔科医で確認しながら、処置が行われた(乙■1・7頁)。
14時32分、X線透視下に21G12▲mブロック針を刺入し、針先をL2椎体中央からやや前方付近に当てた。
14時38分、原告の左足底温度測定を行い(33.2度)、ブロック針の先が骨に接している状態で、針先を回転させながら向きを変え、椎体前方へ進めた。
14時39分、側方視で椎体全面から背側0.5▲mから1▲m辺りになるまで針先を進め、針先が椎体骨に接している部位で、ガーゼのこよりを用いてブロック針の内腔の液体を取り除いた後、5mlシリンジを接続して逆流検査を施行し、血液が吸引されないことを確認した(逆流検査陰性)。
14時41分、局所麻酔薬2%リドカイン1mlと造影剤イオヘキソール注射液2mlの混合液をゆっくり注入した。その際、X線透視下で血管が造影されないことと(ただし、後日の事後評価では、この時点で非常に薄い血管の造影効果が現れていたことが推察された。乙●4・13頁、証人G17、18頁)、椎体前方の適切な部位に造影剤の溜まりを確認した。(証人G14、17、18頁)
14時49分、被告病院の医師3名は、側面像から管球の位置を変更し、正面像の確認を行ったところ、椎体外側に造影効果がないことを確認したため、薬液が側方の不適切な部位へと拡散しておらず、ブロックに適切な部位であると判断した。K医師は、予定量の薬液を注入した後、ブロック針内腔が閉塞しないようにマンドリン(内針)をブロック針の内に戻した。(乙●4・13頁、証人G18頁)
14時51分、本件治療の効果としての足底温度の上昇確認と、合併症としての腰神経叢ブロックがないことを確認するため、しばらく様子を見ることとした。
ウ 被告病院の医師は、14時57分、L3レベルの刺入を、L2レベルと同様の手順で開始した。
15時02分、原告の左足底温度測定を行い(36.0度)、足底温度が2.8度上昇し、L2レベルの交感神経節ブロックの効果を確認することができた(証人G24、25頁)。N医師は、L3レベルへの局所麻酔薬を含んだ造影剤の投与の前に大腿部の感覚異常がないこと(つまり、局所麻酔薬浸潤による腰神経叢ブロックがないこと)を確認した(乙●4・14頁)。
15時04分、K医師は、L3ブロック針から局所麻酔薬2%リドカイン1mlと造影剤イオヘキソール注射液2mlの混合液をゆっくり注入した。L3レベルの造影では血管造影はなく、椎体前方に造影剤の溜まりを確認することができた。
15時06分、正面像で椎体後方(外側)への造影効果が確認されたので、被告病院の医師は、造影剤が消えるのを待って針先を進め、再度造影することとし、その間にL4レベルの穿刺を行うこととした。
エ K医師は、15時23分(乙●4・14頁)、L4レベルも同様に穿刺を開始したが、椎体前方へ針先を進めることがやや困難で、時間を要した。そこで、15時25分(乙●4・15頁)、G医師が術者を交代し、L4椎体前方、骨に接した部位に針先を進め、造影をしたが、薬液注入時、注入圧が高く、注入困難であったため、骨膜に針先が入ったと考えられた。そこで、15時29分(乙●4・15頁)、G医師は、少し手前から穿刺し直し、針先を椎体前方へ進めた。(証人G19頁)
15時30分、原告の左足底温度測定をしたところ、36.8度であった。N医師は、L4レベルへの局所麻酔薬を含んだ造影剤の投与前に大腿部の感覚異常はないことを確認した(乙●4・15頁)。G医師は、吸引テスト後に局所麻酔薬を含んだ造影剤をL4ブロック針から投与した(乙●4・15頁)。
15時31分、正面像の確認をしたところ、血管造影はなかったが、椎体前方やや外側に造影効果があった。外側への造影効果は、腰神経叢に薬液が拡散する危険性があるため、L4レベルへの神経破壊薬(無水エタノール)の投与は行わないこととした。(証人G19頁)
オ K医師は、15時38分(乙●4・15頁)、再度L3レベルに戻り、ブロック針を5mm程度進めた。
15時40分(乙●4・15頁)、造影剤3mlでL3レベルの造影効果を確認したところ、椎体後方(外側)への造影は減少したが、造影の後半にわずかに造影効果が認められた。そこで、15時41分、被告病院の医師3人は、相談の上、神経破壊薬の投与量を減量して投与することとした。原告の下肢の血流は良くなり(足底温の上昇と自覚症状改善)、N医師が大腿前面の腰神経叢のブロック効果(大腿部の感覚異常)がないことを確認した(乙●4・16頁)。
カ そして、K医師は、上記同時刻(15時41分)、L3レベルからL2に戻り、自覚症状の改善と大腿前面の腰神経叢のブロック効果(大腿部の感覚異常)がないことを確認した。同医師は、L2レベルのブロック針の針先が椎体に接触していることを指先の抵抗で確認し、針先にずれがないことを確認した上で、マンドリンを抜去後、ガーゼのこよりを用いてブロック針の内腔にあった血性体液を取り除いた。2回目に血性色が薄くなり、3回目のガーゼのこよりには液体が付着せず、持続的な流出がないことを確認した。(証人G19、20、34頁)
また、被告病院の医師は、同時に、神経破壊薬(無水エタノール)を5mlシリンジに3ml用意し、同シリンジをブロック針に接続した後、血液が吸引されないことを確認した(逆流テスト陰性)。
(3)本件治療中の15時45分頃の原告の異常の訴えと、その後15時50分頃までの状況
ア 15時45分、神経破壊薬(無水エタノール)がゆっくり注入され始めたところ、原告が声を上げて異常を訴え、ビクッと動いたため、直ちに薬液投与が中止された。被告病院の医師は、外筒内の残存薬液を吸引したが、血液の逆流も含め、何も吸引することができなかった。
15時46分(乙●4・17頁)、X線透視下では針先と脊柱管の位置関係は問題なく、針先が脊柱管内ではないと考えられた(ただし、この時点でのブロック針固定の確認はできていない)。G医師は、神経破壊薬による痛みと考え、同部位から1%リドカイン少量を投与した。原告の痛みはしばらくして落ち着いてきたものの、運動神経麻痺は変わらずあり、詳細を問診したところ、最初は右足に、続いて左足に強い痛みが出て、その後下肢に力が入らなくなったとのことであった。K医師が投与後にシリンジ内の無水エタノール残量を確認したところ、2.6mlであったことから、無水エタノールの注入量は0.4mlであり、ブロック針のデッドスペースが0.02ml程度であることから、実際には0.38mlが体内に注入されていた。(証人G20頁)
イ G医師は、15時49分(乙●4・18頁)、L2ブロック針の位置を確認するため、当該ブロック針から造影剤単剤を少量注入した。その結果、15時50分、X線透視下でブロック針より尾側のL2/3椎間板部位に血管影らしき造影効果を確認した。そして、第2腰動脈の一部に血管攣縮様の不整な血管狭窄像が描出され、この血管造影が二、三シーン連続して見られた(乙■1・12、13頁)。G医師は、この時点で、原告の症状(訴え)から、神経破壊薬が目的とした部位以外の血管内に入り、無水エタノールによる脊髄神経障害を起こしている可能性を考えた(乙●4・18頁、証人G21頁)。しかし、G医師は、ブロック針先の固定がされていることや逆流テストの結果を踏まえ、無水エタノールが思わぬところに流れていき、神経に影響を与えて一過性の神経症状が出ている可能性も考えた(乙●4・18頁、証人G20~22、42頁)。G医師らは、そこで、原告の安静を保ち、バイタルサインを確認しつつ、手術室でしばらく経過観察をした。(証人G20頁)
(4)本件治療中の16時45分頃の処置(脊髄梗塞の可能性の報告)及びその後の血流障害の状況
ア 原告は安静の状態を保っていたものの、症状が改善しないため、16時45分以降、原告についてMRI検査が行われた。その結果、17時30分頃、原告のL1に脊髄梗塞が疑われる所見が認められた。そこで、G医師は、同時刻頃、神経内科医にコンサルテーションをし、薬物療法の提案を受けた。(乙●4・19頁、乙●5・1、2頁、証人J2、3、6頁)
イ 原告に対しては、18時48分以降、脊髄梗塞に対する治療薬(ソル・メドロール、ハルトマン、ステロイド、グリポーゼ、ラジカット)が投与された(乙●1の1・41/947~45/947頁、証人J6、7頁)。
ウ 本件治療の翌日である2月7日に施行した▲T検査の画像では、左第2腰動脈の造影効果が見られず、閉塞若しくは高度狭窄に陥っていたことが推測され、この時点では原告の対麻痺が一過性のものではないと考えられた。もっとも、1週間後に検査した▲T画像では、同血管が再開通しており、無水エタノールによる血流障害は一過性(数日間)であったと考えられた。(乙■1・8、13頁、乙●4・2頁)
(5)本件治療後の脊髄梗塞等に対する治療
原告に対しては、以下のとおり脊髄梗塞の治療が開始されたが、原告の下肢の運動・感覚麻痺は軽度改善するも、持続した。
ア 脊髄機能障害治療・抗浮腫治療
2月6日ないし7日、脊髄機能障害に対してはメチルプレドニゾロンの大量ステロイドパルス療法を、脊髄浮腫に対してはグリセリン(2月6日から25日まで)、マンニトール(2月16日から17日まで)の投与を開始した。
イ 抗凝固・抗血小板療法
▲Tで血管閉塞が認められたことから、血管内皮障害から血管閉塞への移行を予防する目的で、2月7日から未分画ヘパリン持続投与による抗凝固療法とシロスタゾール、リマプロスト内服による抗血小板療法を開始した。
ウ 酸化的障害抑制・血管循環改善・免疫抑制
2月6日から、脳梗塞の治療に準じて、フリーラジカルを消去し、脂質過酸化抑制作用を有するエダラボンの投与を開始した。また、脊髄血流維持のため、低分子デキストランやオザグレルナトリウムを投与し、脊髄循環の改善・維持に努めた。さらに、上位胸髄灰白質部分の障害に対しては、二次性炎症反応が関与している可能性を否定することができないと考え、2月13日から26日までプレドニゾロンを少量投与した。
(6)原告の転院
原告は、7月23日、被告病院において症状固定(両下肢完全対麻痺等)と判断され(甲●3の1)、専門性の高い病院へ転院し、以後、リハビリ治療を継続した(前提事実(6))。
2 争点(1)(脊髄損傷及び対麻痺という腰部交感神経節ブロックの合併症についての説明義務違反)について
(1)原告の主張
原告は、被告病院の医師には、本件治療をする前に、原告に対し、血管穿刺による脊髄梗塞(脊髄虚血)の危険性を説明する義務があったにもかかわらず、これを怠ったと主張する。
(2)説明義務及び本件治療前の説明状況
ア 医師は、患者の疾患の治療のために手術を実施するに当たっては、診療契約に基づき、特別の事情のない限り、患者に対し、当該疾患の診断(病名と病状)、実施予定の手術の内容、手術に付随する危険性、他に選択可能な治療方法があれば、その内容と利害得失、予後などについて説明すべき義務があると解される。そして、実施予定の手術内容のほか、もし他に選択可能な治療方法があれば、その内容と利害得失、予後などが説明義務の対象となるというべきである。(最高裁平成10年(オ)第576号同13年11月27日第三小法廷判決・民集55巻6号1154頁参照)
イ そこで検討するに、本件において、被告病院の医師は、原告に対し、本件治療の合併症として、血管穿刺・血腫、神経損傷等の神経症状に関わる合併症などを説明し、それ以外にも侵襲的な処置に伴う「現時点では不測の偶発症が発生することがある」旨の説明も行ったものの、脊髄梗塞による対麻痺の可能性があること(ないし原告が主張する、血管穿刺による脊髄梗塞・脊髄虚血の危険性)を説明していない(認定事実(1)イ)。
(3)血管穿刺による脊髄梗塞の発生頻度
ア しかし、本件治療の合併症としての脊髄梗塞による対麻痺の発生については、本件治療当時、国内における報告例はなく、文献上、海外の報告例が1例あるのみであった(乙■1・12、13頁、■12・1頁、証人G44、46、48頁)。そして、本件治療を行ったG医師は、本件治療当時、上記の合併症の発生例を知らず(証人G5頁)、被告病院の神経内科医師であるJ医師や、被告側協力医であるO医師(整形外科)及びI医師(麻酔科)も、上記合併症の発生が極めてまれであることを供述等している(乙●5・6頁、●6、■2・2頁、■12・1頁、証人J4、26頁)。
イ 加えて、本件治療当時に発行され、被告病院の医師も本件治療の際に従った本件治療指針(甲■9、乙■4)には、本件治療の合併症として脊髄梗塞による対麻痺の発生は記載されていなかった(46頁)。本件医療事故の発生を受けて、当該学会の治療指針に「極めて稀であるが、エタノール注入による腰動脈虚血から対麻痺を誘発する場合がある」と記載されたのは、治療指針の改訂第6版(令和元年。乙■17・47頁)になってからである(証人G44、48頁)。
ウ もっとも、証拠(乙■11・1599頁)及び弁論の全趣旨によれば、本件医療事故のわずか2か月前に発刊された「区域麻酔・神経ブロックの合併症とリスクマネジメント」(臨床麻酔 11-2013. Vol.37/No11)という文献にではあるが、「末梢神経ブロックと脊髄栄養動脈損傷」の項にて、「最も忌まわしい合併症は脊髄栄養動脈の損傷による脊髄虚血である。」と記載され、「次の末梢ブロックでは脊髄栄養動脈の走行と分布を認識しておかなければならない。」とし、胸部・腰部交感神経節ブロックをその対象として挙げていることが認められる。
しかし、上記論文については、筆者であるI医師は、その意見書(乙■12・1、2頁)において、「非常に稀であるが起こりうる重大合併症について知っておく必要があると考え」て上記論文を執筆したとしており、上記記載については、啓蒙的な意味で「理論的には、危険である」と指摘したにとどまるものであるとしている。そして、I医師は、上記論文が上記の危険性を指摘した最初の論文ではないかとしていることからしても(乙■12・2頁)、本件医療事故当時、腰部交感神経節ブロックを手掛ける医師に上記の危険性が周知されていたとはいえない。
エ そうすると、本件当時、本件治療について血管穿刺による脊髄梗塞(脊髄虚血)が発生することは極めてまれであったと認められ、このことが本件治療当時の医師に広く知られていたということはできない。
よって、被告病院の医師が脊髄梗塞の発症についてまで説明義務を負うとはいえない。
(4)原告の指摘に係る事情等
ア 以上に対し、原告は、文献上、本件治療の合併症として血管穿刺が挙げられており(本件治療指針にも記載されている。)、また、本件治療で利用される無水エタノールに血管収縮作用(甲■3)の危険があることを、前記説明義務の根拠として主張する。そして、J医師も、本件治療の手技は確立したものとはいえ、手練れの術者がどれだけ慎重に行っても、わずかな確率で動脈を穿刺してしまう回避不可能なリスクが潜在するように感じるとも陳述する(乙●5・3頁)。
しかしながら、前提事実((9)ア(ア)、イ(イ))及び上記の認定判断に加え、証拠(証人G52、53頁)及び弁論の全趣旨によれば、腰部交感神経節ブロックの治療において本件治療のように無水エタノールを使用する場合、交感神経幹が存在する大腰筋筋膜と腹内側の腎筋膜後葉が構成するコンパートメントに無水エタノールを注入するところ、このコンパートメント近くには腰動脈が走っているにもかかわらず、合併症としての脊髄梗塞の報告は前記のとおり海外のもの1例しかなかったことが認められる。このような点に鑑みれば、たとえ原告が指摘する上記の一般的な知見が認められるとしても、やはり、極めてまれである合併症としての脊髄梗塞発生の危険性についてまで、被告病院の医師が説明義務を負うということはできない。
イ また、甲■7号証の文献(196頁)には、腰部交感神経節ブロックの合併症として血管穿刺を挙げ、脊髄を栄養している根動脈に万一アルコールが注入されると、激痛を生じるとともに、脊髄損傷を来たすとの記載がある。しかし、同文献では、具体的な症例報告や発生頻度(あるいはこれらの判明する文献の引用)などは記載されておらず、このような文献の存在のみをもって、本件治療について血管穿刺による脊髄梗塞が発生することが広く知られているということもできない。
さらに、原告が提出する証拠のうち、甲■2号証の文献(585頁)には、神経ブロックに関する文献の中に、前脊髄動脈の血流障害が起こると、脊髄前領域の虚血が起こるとか、神経虚血により対麻痺や四肢麻痺などが生じるとかの記載がされている。しかしながら、同文献は神経ブロック全般に関するものであり、当該記載が本件治療にも当てはまるかは不明であり、具体的な根拠についての記載もない以上、同文献の存在をもって、本件治療について血管穿刺による脊髄梗塞が発生することが想定されていたということもできない。
なお、甲■4号証の1及び2は、腹腔神経叢ブロックを行って対麻痺を生じさせた症例の報告であるが、腰部交感神経節ブロックのこと自体ではない(甲■5も同様に腹腔神経叢ブロックについてのものである。)。
ウ 以上の他に、原告は、無水エタノールの強力な血管への作用についても説明義務があるかのように主張するが、これは無水エタノールの血管収縮作用による脊髄梗塞発生のおそれを根拠とするものであり、結局は、脊髄梗塞の危険性に関する説明義務の点に収れんするものであると解される。そうすると、前記説示のとおり、被告病院の医師に脊髄梗塞の合併症に関する説明義務が認められない以上、上記の無水エタノールの危険性に関する説明義務も認めることはできない。
(5)小括
以上により、本件治療当時、被告病院の医師には、極めてまれな合併症である血管穿刺による脊髄梗塞(脊髄虚血)についてまで説明する義務があったとまでいうことはできない。同医師に説明義務違反があるとする原告の争点(1)に関する主張は、採用することができない。
3 争点(2)(高周波熱凝固法による腰部交感神経節ブロックについての説明義務違反)について
(1)原告の主張
原告は、被告病院の医師は、本件治療の前に、原告に対し、腰部交感神経節ブロックの方法として、神経破壊薬を利用した方法しか説明せず、より安全性の高い代替治療法である高周波熱凝固法について一切説明をしなかったから、説明義務違反がある旨主張する。
(2)高周波熱凝固法に関する説明の不存在
そこで検討するに、前記のとおり、医師は、実施予定の手術内容のほかに、他に選択可能な治療方法があれば、その内容と利害得失、予後などについて説明義務があると解される。そして、前記前提事実((9)ア(ア)、ウ)のとおり、腰部交感神経節ブロックには、本件治療のように神経破壊薬(無水エタノール)を用いる方法とともに、薬剤の代わりに高周波を用い、針の先端を電気で加熱し、神経の中にあるたんぱくを熱で固め、物理的に神経の伝達経路を遮断することで交感神経をブロックする高周波熱凝固法がある。
それにもかかわらず、被告病院の医師であるK医師ないしG医師は、原告に対し、高周波熱凝固法について、本件治療中に造影剤の所見によっては同方法を行うことがあるという限度では説明しているものの、本件治療(神経破壊薬を用いた腰部交感神経節ブロック)の代替療法(選択可能な治療方法)としては、これを説明していない(認定事実(1)イ)。
(3)高周波熱凝固法の安全性
しかしながら、高周波熱凝固法は、無水エタノール等の神経破壊薬を用いる場合のように、思わぬところに薬剤が流れ込むことによる無関係な神経の麻痺などの恐れが少ないため、安全性が高いと評価されているのであり(前提事実(9)ウ)、本件治療当時においても、合併症を減らす目的で、併用ないし高周波熱凝固法のみによって施術を行うことが多くなっていたといえる(被告病院の医師が従った本件治療指針の45頁にも記載がある。前提事実(9)ア(ア)、証人G26頁)。
また、証拠(証人G6、26頁)及び弁論の全趣旨によれば、被告病院の医師が、神経破壊薬(無水エタノール)を使用する本件治療の代替方法として高周波熱凝固法を紹介しなかったのは、本件当時、神経破壊薬を用いる場合の利点(効果がより長く期待できること。前提事実(9)ウ、乙●4・8頁)を重視し、安全性についてはあまり意識していなかったからであることが認められ、何らかの特段の事情があってのことではない。実際、被告病院においては、本件医療事故以後、本件治療は行われておらず、他の神経ブロック治療において、まずは患者に熱凝固法を勧めている(前提事実(7))。
(4)小括
そうすると、G医師が、原告については、神経破壊薬を用いず、高周波熱凝固法を用いたとしても、同様の合併症が生じた可能性があることを指摘していること(証人G49、50頁)を踏まえても、腰部交感神経節ブロックの方法として高周波熱凝固法が神経破壊薬を利用した方法より安全性が高く、合併症を減らす目的で実施される例も多いとされていることからすれば、被告病院の医師には、本件治療の代替方法として高周波熱凝固法についても説明すべき義務があったというのが相当であり、これをしなかった点で説明義務違反が認められるというべきである。
よって、争点(2)に関する原告の主張は、採用することができる。
4 争点(3)(本件治療前にあらかじめ原告の血管走行を確認しなかった過失)について
(1)原告の主張
原告は、本件治療に用いられた無水エタノール(神経破壊薬)が強力な薬剤であり、血管走行が個々人で異なることから、原告の血管走行が一般的でない可能性を考慮して、本件治療前に血管走行一般を確認すべきであったと主張する。
(2)血管走行確認の必要性
ア しかしながら、本件証拠上、原告が主張する上記の確認を必要とする医学的知見に係る的確な証拠はない。本件治療指針においても、原告が主張するような血管走行一般の確認は求められていない(甲■9、乙■4、証人G9頁)。
原告は、被告の争点(1)に関する主張(第2、3(1)(被告の主張)イ。原告の血管走行異常)を踏まえ、大根髄動脈(●d●mkiewi▲z動脈)がL2-L3領域で分岐している可能性が12%に及ぶこと(甲■13)を上記確認の根拠として挙げる。しかし、証拠(乙■2・2頁、■13、証人G8頁)及び弁論の全趣旨によれば、大根髄動脈(●d●mkiewi▲z動脈)の血管走行は、MR●(MR血管造影)や単なる造影▲Tでは判断することができず、その確認にはカテーテルを用いた選択的血管造影という侵襲性の高い検査を行う必要があるから、こうした確認は一般には行われていないことが認められる。
この点、原告側協力医であるP医師ら3名(以下「P医師ら」という。)は、その意見書(甲■17、■18)において、▲T●(▲T血管造影)とMR●を共に用いれば、侵襲性の高い選択的血管造影法と同様に大根髄動脈(●d●mkiewi▲z動脈)を特定することができる旨の意見を述べる。しかしながら、このような方法が仮に可能であったとしても、そのこと自体から血管走行の確認が直ちに義務付けられるわけでもない。しかも、P医師らの臨床経験、特に腰部交感神経節ブロックを行った経験があるかについては本件証拠上不明であり、上記医師3名のうちのQ医師については、ペインクリニック自体をやっていないことも認められる(弁論の全趣旨)。そうすると、P医師らの意見を基に、原告主張の確認義務があるとすることも難しい。
イ 加えて、前記認定説示のとおり、本件治療当時、本件治療について血管穿刺による脊髄梗塞という合併症が発生することは極めてまれであるとされていたのであるから、この点からも、当時の医師の認識を前提にすれば、血管走行一般を事前に確認する必要性が高かったとはいい難い。
ウ そして、前記認定事実((1)イ、(2)ア)に加え、証拠(乙●1の1・11/947、13/947、22/947、24/947、25/947頁、証人G7、8頁)及び弁論の全趣旨によれば、被告病院の医師は、原告に対し、術前検査として、血液検査、単純X線検査、▲T検査を行い、出血傾向、凝固異常、易感染性、脊椎変形や大血管偏位等の解剖学的異常がないことを確認し、事前に画像上でブロック針刺入位置や方向、深さなどを検討してから、実際のブロックを行っていることが認められる。
(3)小括
以上により、被告病院の医師が、本件治療前に、上記ウの確認や検討に加えて、原告の血管走行一般を確認すべき義務があったということはできない。争点(3)に関する原告の主張は、採用することができない。
5 争点(4)(本件治療におけるブロック針の位置の誤り)について
(1)原告の主張
原告は、15時50分に血管造影効果が確認されたことから、本件治療において用いられたブロック針が血管内に薬液を注入し得る位置にあったとし、被告病院の医師は、ブロック針を当該位置のままでエタノールを注入することを避けるべき義務があったにもかかわらず、これを怠ったから、過失が認められると主張する。
(2)本件治療の手順及びブロック針の位置の確認状況
ア そこで検討するに、前記認定事実に加え、証拠(甲■1、■9、乙●4、■1、■4、証人G)及び弁論の全趣旨によれば、K医師及びG医師は、本件治療に当たり、本件治療指針中の手技に関する手順を遵守し、手技を遂行していること、すなわち、同医師らは、X線透視画像でブロック針先端が椎体骨靭帯に固定されていること、ブロック針に陰圧をかける逆流テストにより血液が引けていないこと、局所麻酔薬を投与して、目的とする交感神経にブロック効果があること、ブロック針から造影剤を投与しても、血管が造影されず、薬液が適切な部位に留まることを、それぞれ確認し、血管内にブロック針先が入っていないものとして、手技を遂行していることが認められる。
イ そして、被告病院の医療事故調査委員会の報告書での結論(前提事実(5)イ(ウ)、乙■1・12頁)に加え、被告側協力医であるI医師や、原告側協力医であるP医師ら3名でさえも、本件治療について手技上の過失は認められない旨の意見を述べている(甲■17・4頁、乙■12・2頁)。
ウ もっとも、前記認定事実、((2)イ、カ)によれば、被告病院の医療事故調査委員会の報告書で指摘されているとおり(前提事実(5)ウ(ア))、L2レベル(第2腰椎)に関しては、14時41分に造影剤が投与され、血管造影効果がないことが確認されてから、無水エタノールが15時45分に注入されるまで、約1時間が経過している。そして、G医師も、この約1時間の経過について、長くかかっている方であるとの認識を有していた以上(証人G33頁)、原告に脊髄梗塞という重大な合併症が生じたという点を踏まえてあくまで後方視的にみれば、無水エタノール注入直前に再度造影剤を注入して血管造影効果を確認することも可能であったとはいえる。
しかし、G医師は、無水エタノール注入の直前である15時41分の時点で、ブロック針の先にずれがないことを確認しており(認定事実(2)カ)、他に本件証拠上、原告の体動によって針先がずれたことを認めるに足りる的確な証拠もない。また、I医師も、穿刺針先端が動く可能性が極めて少ないため、無水エタノール等の薬液注入時に改めて造影剤で確認することは通常行わないとの意見を述べている(乙■12・2頁)。そうすると、上記の時間の経過を根拠に、G医師らがブロック針の先の位置確認を怠ったということもできない。
エ 以上により、被告病院の医師は、血管内に針先が入っていないことを確認しながら手技を進めていると認められ、手技上の過失はあったということはできない。
(3)14時41分の血管造影効果
ア 以上に対し、原告は、本件治療中の14時41分の画像(甲■1の画像88)に血管の造影効果が薄く現れていたこと(認定事実(2)イ)を指摘して、被告病院の医師は、ブロック針が血管内に薬液を注入し得る位置にあることを認識することができたと主張する。この点、G医師は、同時刻においては、血管の造影効果がなかったとの判断をしている(乙●4・12~14頁)。
イ しかし、証拠(乙●4・13頁、証人G17、18頁)及び弁論の全趣旨によれば、上記画像に血管の造影効果が薄く現れていたことは、後日、録画された動画を静止させ、拡大することによってようやく判明したものであり、その映像も極めて短時間しか映っておらず、しかも非常に薄い血管の造影効果しか現れていなかったこと、後日判別を行った放射線科医師も、本件治療時にこの造影効果に気づくことは困難であるとの見解を述べていることが認められる。
ウ そうすると、このような短時間の薄い造影効果をもって、ブロック針が血管内に薬液を注入し得る位置にあることを認識することができたということはできない。
(4)逆流テストの結果
ア さらに、原告は、無水エタノール注入直前の15時41分の逆流テスト(認定事実(2)カ)において、ブロック針内に血液成分が貯留していたことからも、被告病院の医師は、ブロック針が血管内に薬液を注入し得る位置にあることを認識することができたと主張する。
イ そこで検討するに、前記認定事実(2)カによれば、K医師は、15時41分、L2レベルのブロック針の針先が椎体に接触していることを指先の抵抗で確認し、マンドリン(内針)を抜去後、ガーゼのこよりを用いてブロック針の内腔にあった血性体液を取り除いたところ、2回目に血性色が薄くなり、3回目のガーゼのこよりには液体が付着せず、持続的な流出がないことを確認している。そして、前記前提事実(9)イ(イ)に加え、証拠(証人G10、11、38~40頁)及び弁論の全趣旨によれば、腰部交感神経節ブロックの手技は、針先を骨に接触させ擦りながら進める手技であり、複数回穿刺する場合には、骨膜からの出血が穿刺針から一時的に血性体液として吸引されることがあること、動脈内に針先があれば拍動性の吹き出す出血が見られるはずであり、静脈内に針先があればじわじわと持続する出血が見られるはずであることが認められる。しかし、上記のとおり、本件ではそのような出血はなく、数回の拭き取りで血性体液が認められなくなっているのであるから、ブロック針内に貯留された血液が血管から吸引されたものであるとはいえず、ブロック針内に血性体液が貯留していたことをもって、被告病院の医師は、ブロック針が血管内に薬液を注入し得る位置にあることを認識することができたということは難しい。
ウ この点、原告は、14時39分にもブロック針の内腔の液体を取り除いているにもかかわらず、1時間以上が経過した15時41分に上記のように血性体液を取り除いていることを指摘して、ブロック針の先が血管の内腔にあり、血管を傷つけていたことを認識することができたと主張する。
しかしながら、上記認定に係る血性体液は、2回の拭き取りにより拭える程度のものであり、このような血性体液があることをもって血管から血液が吸引されたものといえないことは上記イのとおりであり、また、このような血性体液の発生がある場合には、ブロック針が血管内に挿入されたといえることを認めるに足りる的確な証拠は本件では見当たらない。そして、G医師が針先のずれがないのを確認していることは、前記(2)ウに記載のとおりである。そうすると、上記の事実をもって、被告病院の医師が、ブロック針が血管内に薬液を注入し得る位置にあることを認識することができたとまでいうことも難しい。
(5)小括
以上により、本件治療において、被告病院の医師が、ブロック針が血管内に薬液を注入し得る位置にあったと認識し得たと認めることはできない。被告病院の医師は、ブロック針の位置を誤ったままエタノールを注入することを避けるべき義務があったにもかかわらず、これを怠ったとする原告の争点(4)に関する主張も、採用することができない。
6 争点(5)(無水エタノールによる脊髄神経障害の可能性を認識した後、直ちにMRI検査等の脊髄梗塞に対する治療を実施しなかった過失)について
(1)原告の主張
原告は、被告病院の医師が、15時50分に血管影らしい造影効果を確認し、無水エタノールによる脊髄神経障害を起こしている可能性があることを認識したにもかかわらず、16時45分にMRI検査をするまでの間、神経内科医の意見を聞くこともせず、脊髄梗塞に対する処置をしなかったことについて、過失がある旨主張する。
(2)15時50分の血管造影とその後の治療経緯
ア そこで検討するに、前記認定事実((3)、(4)ア、イ)によれば、G医師は、15時50分、X線透視下でブロック針より尾側のL2/3椎間板部位に血管影らしき造影効果を確認し、第2腰動脈の一部に血管攣縮様の不整な血管狭窄像が描出され、この血管造影が二、三シーン連続して見られたため、原告の症状(最初は右足に、続いて左足に強い痛みが出て、その後下肢に力が入らなくなった。)は、神経破壊薬が目的とした部位以外の血管内に入り、無水エタノールによる脊髄神経障害を起こしている可能性を考えた。しかし、G医師は、ブロック針先の固定がされていることや逆流テストの結果を踏まえ、無水エタノールによる一過性の神経症状が出ている可能性も同時に考えた。そこで、G医師は、原告の安静を保ち、バイタルサインを確認しつつ、手術室でしばらく経過観察をしたものの、症状が改善しないため、16時45分以降、原告についてMRI検査を行った。そして、17時30分頃、原告のL1に脊髄梗塞が疑われる所見が認められたため、G医師は、同時刻頃、神経内科医にコンサルテーションをし、薬物療法の提案を受け、18時48分以降、脊髄梗塞に対する治療薬を投与している。
以上の経過に鑑みれば、確かにG医師らは、15時50分に無水エタノールによる脊髄神経障害を起こしている可能性があることを認識したにもかかわらず、16時45分にMRI検査をするまでの間、脊髄梗塞に対する処置を特段してはいないといえる。
イ しかし、本件医療事故当時、本件治療の合併症として脊髄梗塞(脊髄虚血)が起こることは極めてまれであると考えられ、本件治療指針にも合併症としての記載はなかったことは、前記2(3)ア、イで認定説示のとおりである。そして、K医師及びG医師が、15時45分に無水エタノールを注入する前に、X線透視画像でブロック針先端が椎体骨靭帯に固定されていること、ブロック針に陰圧をかける逆流テストにより血液が引けていないこと、局所麻酔薬を投与して、目的とする交感神経にブロック効果があること、ブロック針から造影剤を投与しても、血管が造影されず、薬液が適切な部位に留まることを、それぞれ確認し、血管内にブロック針先が入っていないとの認識で手技を進めていた(前記5(2)ア)。こうした点に鑑みると、G医師らが、血管穿刺・無水エタノール注入による脊髄神経障害の発生を即断せず、無水エタノールによる一過性の神経症状が出ている可能性も考えたこと、そして後者の場合には更なる薬液の拡散を防ぐために安静としたこと(証人G12、22、43頁)は、不当な判断とはいえない。この点については、J医師も、有力な可能性の一つとして脊髄梗塞の発生を疑うものの、無水エタノールによる灌流固定など、他の病態も鑑別対象として挙げたであろうとの意見を述べている(乙●5・5、6頁)。
ウ 加えて、証拠(乙●5・2、6頁、■14、証人J4、5頁、証人G22、42、43頁)及び弁論の全趣旨によれば、脊髄梗塞の治療を開始するためには、MRI検査による診断が必要であるところ、脊髄の細胞の変化・障害が出るのに時間がかかるため、脊髄梗塞発生直後はMRI検査を行っても所見が得られないことも認められる。そして、15時45分の無水エタノール注入から1時間後の16時45分にMRI検査を実施したことが、殊更に遅かったことを認めるに足りる的確な証拠もない。
エ そうすると、被告病院の医師が、15時50分に血管造影効果を確認した後、直ちに脊髄梗塞の治療を開始すべきであったということはできない。
(3)P医師らの意見
以上に対し、原告側協力医であるP医師らは、その意見書(甲■17・4、5頁、■18・3丁)において、無水エタノール注入直後に症状が出て改善しないこと、血管造影効果が得られたこと、エタノールが血管塞栓物質であり、組織障害性があることから、無水エタノールによる脊髄組織障害ないし脊髄梗塞を容易に想定することができたといえ、直ちに他科と協議し対策を行うべきで、治療の開始が遅れた可能性があるとの意見を述べる。
しかし、P医師らの上記意見は、エタノールの組織障害性を強調して直ちに脊髄梗塞の治療を開始すべきであったとするものであり、本件治療の過程の具体的な状況を踏まえたものではなく、前記(2)イ、ウにおける急変後の状況や治療の準備も踏まえると、上記意見はにわかに採用し難いところがあるといわざるを得ない。かえって、J医師は、脊髄梗塞に対する治療の効果は極めて限定的であり、仮に本件医療事故直後に治療薬を投与しても、症状改善は非常に期待しづらいとの意見を述べている(乙●5・2、5、8頁、証人J26頁)。
また、P医師らは、脊髄梗塞の治療薬として、ソル・メドロール、グリポーゼ、ラジカットの早期投与を提案するが(甲■18・3丁)、J医師は、ソル・メドロールとラジカットについては早期投与が可能であったとするものの、グリポーゼ(グリセリン)については浮腫が始まった後の投与で十分であり、MRI検査後の投与でよいとしており(乙■5・6頁、証人J7、8頁)、必ずしも見解は一致していない。そして、P医師らの臨床経験、特に腰部交感神経節ブロックを行った経験があるかは本件証拠上不明であり、その見解を直ちに採用し難いところがある点については、前記4(2)ア記載のとおりである。
そうすると、P医師らの上記意見を基にG医師の前記判断が不当であったということもできず、被告病院の医師の脊髄梗塞の治療が遅れたと判断することは難しい。
(4)小括
以上により、被告病院の医師が、15時50分に血管造影効果を確認した後、16時45分にMRI検査をするまで経過観察としたことについて、過失があるということはできない。争点(5)に関する原告の主張も、採用することができない。
7 争点(6)(原告の損害及び額)について
(1)前記3記載の説明義務違反(高周波熱凝固法に関するもの)と因果関係のある損害の範囲について検討すると、前記前提事実((2)イ、(3)、(9)ウ)及び認定事実((1))に加え、前記2(3)記載の認定説示によれば、原告は、▲RPSの疑いありとされ、末梢神経障害性疼痛、難治性疼痛、下肢痛に悩まされ、他の病院において腰部硬膜外ブロックを複数回にわたって行ったものの、症状は改善せず、被告病院で本件治療を受けるに至ったこと、被告病院では高周波熱凝固法は行っていなかったこと、腰部交感神経節ブロックでは、神経破壊薬を用いる方が高周波熱凝固法よりブロック効果が長いこと、原告は具体的な施術方法についてまで特段の関心を示していなかったこと、本件治療(神経破壊薬を用いる腰部交感神経節ブロック)の合併症として脊髄梗塞が発生することは極めてまれであることがいえる。
そうすると、難治性の疼痛に悩まされ、他の病院における治療が奏功せず、被告病院で治療を受けるに至った原告が、本件治療前において、被告病院の医師から高周波熱凝固法があることについて説明を受けたとしても、被告病院では同方法を行っていないことや、神経破壊薬による方法の方が効果の持続がより長いこと、そして脊髄梗塞という合併症の発生が極めてまれであることから、高周波熱凝固法を敢えて選択し、他の病院で治療を受けた蓋然性が高いとまでは認められない。
よって、被告病院の医師に認められる高周波熱凝固法についての説明義務違反と、原告が主張する本件医療事故後の後遺障害等を理由とした損害との間に、因果関係を認めることはできない。
(2)もっとも、被告病院の医師が、原告に対し、高周波熱凝固法についても説明していれば、原告は、その安全性を優先して、同方法を選択することが可能であったとはいえる。そして、原告に生じた合併症としての脊髄梗塞、その結果としての下半身の運動障害及び感覚障害という結果が極めて重大なものであり、原告がその不便や苦痛を生涯負わなければならないことを考慮すると、患者である原告の上記選択は十分に尊重されなければならないものである。
よって、被告は、原告が上記選択を奪われたことによって被った精神的苦痛について、賠償すべき義務があるというのが相当である。そして、原告は、争点(6)の損害に関する主張の中で入通院や後遺障害に関しての慰謝料を請求しているが(第2、3(6)「原告の主張」キ)、実質的な選択の機会がない中、被告による本件治療を受けたことを前提にしていると解されることから、同慰謝料の請求には、原告の選択(自己決定権)が奪われたことによる精神的苦痛に関するものも予備的に含まれていると解することとする。
(3)以上によれば、原告の請求は、高周波熱凝固法についての被告病院の医師の説明義務違反(争点(2))によって原告に生じた精神的苦痛についての慰謝料及びこれと相当因果関係のある弁護士費用相当額を請求する限度で理由がある。そして、前記前提事実及び認定事実に加え、本件審理経過によって本件に現れた諸般の事情、特に本件当時の高周波熱凝固法の安全性についての評価や原告の選択の機会の重要性を考慮し、原告の精神的苦痛に対する慰謝料を300万円、弁護士費用をその1割である30万円と認めることとする。
(4)そうすると、原告の主位的請求は、上記金額の限度で理由があり、その余の部分は理由がない。
また、原告の予備的請求(分離前被告■に対する本件交通事故による後遺障害逸失利益が認められないことを理由にするもの。第2、3(6)「原告の主張」カ(イ))についても、上記(3)記載の損害と同様の損害が認められるべきであり、主位的請求の認容額を超えないから、これを棄却することとする。
8 結論
よって、原告の本訴主位的請求は、主文第1項の限度で理由があるからこれを認容することとし、その余の請求は理由がないからこれを棄却することとし、原告の本訴予備的請求は理由がないからこれを棄却することとして、主文のとおり判決する。
名古屋地方裁判所民事第4部
裁判長裁判官 岩井直幸
裁判官 棚井 啓
裁判官 秦 卓義


